ようこそ、最終使徒戦争へ。

第二章

第十二話 雨、逃げ出した後。

presented by SHOW2様


入院生活−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………8月27日15時30分、ドイツ。



「もぉぉお!!やってらんないわよぉォオ!!」

NERVの実験場に少女の声が木霊する。

「まぁまぁ。そんなに興奮するもんじゃないぞ?アスカ。」

だらしなく伸びた髪を一本に結わえた男の新たな任務。


……この活発な少女の護衛をせよ、と命令されて早一ヶ月が過ぎようとしていた。


「…ねぇ、加持さんは知っているんでしょ?」

LCLに濡れた紅茶色のロングヘアが、青い瞳の少女の動きに合わせるように揺れ動く。

「…ほれ、バスタオルだ。いくら何でもそのままじゃ〜風邪引くぞ?」

加持と呼ばれた男は彼女の問いかけを”サラッ”と流して、まるで何も聞かなかったかのように、

 次の実験までの合間、パイプイスに座って休んでいる少女にタオルと缶ジュースを手渡した。

アスカは不満気に受け取ったタオルを無造作に頭から掛けて、もう一度目の前に立っている男に顔を向けた。

「”プシュ!”…ねぇ、加持さんってば!」

男は少女の有無を言わせない強い視線を受けて、

 仕方なく周りを見て誰も人がいないことを確認すると、”やれやれ”と少し真剣な口調で答えた。

「…ふぅ。……あ〜日本に”使徒”と呼称される正体不明の巨大生物兵器が現れたって言うウワサかい?」

「”…ごく、ごく…プハッ!”そう!!それですよ!!

 これって、正に人類のピンチってヤツじゃないですか!?

 …ハッキリ言って、こんな実験と訓練なんてノンキにしてる場合じゃないと思いませんか!!

 ……なのに、なのに誰も…なぁ〜んにも教えてくれないんですよ!?……全く、何考えてんのかしら!?」

アスカはジュースを”タンッ”とテーブルに置くと、バスタオルで多少乱暴に髪を拭いながら憤慨していた。

「…詳しい情報が日本から来ないのは、しょうがない事なんだぞ…アスカ。」

「え〜どうしてですかぁ?」

『…セカンドチルドレンはエントリープラグに搭乗して下さい。』

スピーカーから館内放送が聞こえる。

「そりゃ〜いくらここがNERVの支部だとは言え、

 万が一そんな情報が外部に漏れたりすれば、それこそ世界中がパニックになるからな。

 ……ま、オレのほうで何か分かったら、こっそり教えてあげるよ。」

「それって、本当ですかぁ?……加持さぁ〜ん?」

いつもこう言って適当にはぐらかす加持を見たアスカの目は、ちょっとジト目だった。

『……繰り返します。…セカンドチルドレンはエントリープラグに搭乗して下さい。』

「ま、まぁ、何れにしろ、日本がピンチになれば、

 直ぐに洗練された制式タイプの弐号機とその優秀な専属パイロットが必要だと判断され召集となるだろう。

 ほら…さっきから放送で呼ばれてるんだ。……詰まらんかも知れないが、訓練がんばれよ…アスカ。」

「そう…そうよね!!そうですよね!!…ふっふぅ〜ん、じゃちょっと行ってきますね♪…加持さん♪」

自分と弐号機の優秀性を当然のように理解してくれている男の言葉に、

 不機嫌そうだった顔をたちまち御満悦で嬉しそうな笑顔に変えた少女は、再び白い筒に入って行った。

軽い足取りでエントリープラグに向かうアスカを見やった加持は”やれやれ”と再びため息をついて、

 NERV本部で忙しい時間を過ごしているであろう女性を思い出していた。



………同日・同時刻、第3新東京市の丘陵地帯。



……シンジとレイが仲良く眠りの世界に入った23時30分頃。


二回目の使徒戦も無事に勝利したNERVは、一回目と同様に多くの職員が戦後処理に忙殺されていた。

今回の調査は前回よりも規模も大きく、時間も掛かると言うのは誰の目にも明らかだろう。


……なぜなら謎の生命体、使徒と呼ばれるモノが原形を保ったまま存在しているのだから。


謎の生物兵器…と言われているこの物体を秘匿するために、

 保安部は多数の工事部隊を率いて超大型の仮設テントを建設する準備をしていた。

「おぉ〜い!初号機の内蔵電源の充電、終了したぞ!…そっちのクレーンの用意は良いかぁ!?」

使徒に馬乗りになった状態のエヴァンゲリオンを地下深いケージに搬送する作業は、最終段階を迎えていた。

「伊吹二尉、回収ルートは予定通りE−18を使います。」

整備部の主任作業員が携帯電話でNERV本部の発令所に連絡を入れていた。

『はい、了解しました。…リフトの準備は完了しています。』

「ありがとう御座います。リフトに固定しましたら、こちらから連絡を入れます。」

携帯電話の通信を切った主任は、整備部専用の無線機で上司に確認を取る。

”ピピ”

「課長、こちらEVA回収班です。準備完了しました。…これから移動開始しますが宜しいでしょうか?」

『”ピ!”意外と時間が掛かったのぉ…さっさとEVAを休ませてやれや。』

「了解。では、これよりEVA初号機の移動を開始します。」

初号機に繋げられたアンビリカルケーブルの情報ラインを利用して、巨人の身体を動かす。

もちろん、パイロットが動かすように滑らかな動きは出来ない。

整備部が行っている移動作業は、

 出来の悪いロボットを操るようにEVAの筋肉に電気信号を与え伸縮させるという単純なモノだった。

機体に余計なダメージを与えない様にクレーンを補助ロープ代わりに利用しながら、EVAを立たせる。

そして、ゆっくりとワイヤーで誘導しながらリフトまで慎重に移動させる。

現地についてアンビリカルケーブルの用意や巨大クレーン設置などの準備に4時間、

 そして、その巨大クレーンのワイヤーを利用した移動作業だけで2時間を消費していた。


……外部操作によるEVAの制御はコレが限界だった。


「リフトに固定完了、ケージに移動を願います。」

一仕事を終えた主任作業員は、発令所に連絡を入れると”ホッ”と安堵の息をついた。

『こちら発令所…了解しました。リフト、下降開始します。…お疲れ様でした。』

初号機は、第七ケージに向かってゆっくりと地下に戻っていった。


……EVAの移動が始まった頃。

 
別作業の回収班を組んだ一団は、この丘陵地帯の山から見える第3新東京市の郊外に居た。

保安部が封鎖している破壊されたこの街の中心には、白い筒が”あのまま”の状態で放置されていた。

整備部の整備一課長である男は、変形したエントリープラグの回収作業を始めた。

「せやけど、どうしてパラシュートは開かなかったんやろ?」

「課長…持ち帰り調査をしなければ分かりませんが、メイン・サブ両方とも…というのが気になりますね。」

「…そぅやの。」

興味無さそうに答えたその言葉とは裏腹に、この男の視線は現場に着いてからずっと白い筒に注がれていた。

「鈴原課長、輸送用トレーラーが着きました。」

「おう、遅かったのぉ。」

「…スミマセン。なに分、道路がめちゃくちゃでして。」

超大型低床式トレーラーを運転して来た整備一課の若い作業員に文句を言った男は、

 体格の良い中年で短髪…と言うよりスポーツ刈りの頭に、オレンジ色の整備部用の作業着を着ていたが、

  その腕をまくっているツナギは所々油に汚れていて、現場の親方といった感じだった。


……この男の名は、鈴原ヒデユキ一尉…NERV本部の整備部整備一課長…E整備担当であった。


「ま、ええわ。さっさと持ち帰って原因調査するんや。今夜は徹夜になるで。…ベルトスリングを掛けぇ!」

鋭い指示に的確に応えたエントリープラグ回収班は、

 プラグに素早く特殊強力繊維のベルトを掛けてそのままクレーンで吊り上げ、トレーラーの荷台に載せた。

そのまま手を休める事なく続けた荷台への固定作業を終えると、プラグを専門に整備していた男達は、

 自分達のミスを探るべくNERV本部へ向けて20のタイヤを装備したトレーラーを出発させた。



………NERV本部、レベル10。



広大な整備棟の一角に降ろされたエントリープラグを見たヒデユキは、

 パイロットが無事でよかった、と改めて安堵の息をついた。

「ふぅ。信じられんのぉ……特殊合金で出来た頑丈なプラグが、こんなに変形しとる。

 ……サードチルドレンちゅーのは、余程運が良いんやな…こらぁ〜普通なら死んどるでぇ。」

「確か、碇三佐と御子息は同級生ではなかったですか?」

いつの間にか隣に来ていたのは、ヒデユキの右腕…EVAの回収を任されていた主任作業員だった。

「あぁ、そうや。…碇三佐はトウジの友達や。…嬉しそうに話してたからの。本当に死なんで良かったわ。」

ヒデユキは彼を横目で確認すると、再び視線をプラグにやって返事をした。


……余談ではあるが、トウジの河内弁がインチキなのは無理に標準語を使おうとしたこの父親のせいだった。


若い作業員がプラグ後方のメンテナンスハッチを開けて、パラシュートユニットを取り外していた。

「課長!…コレを見てください!」

ユニットを分解して、パーツの異常を発見した彼がヒデユキを呼んだ。

「ふ〜こりゃ言い訳できんのぉ〜…本当にうちの不手際……やな。」

ヒデユキは一目で動作不良を起こした原因を見つけた。

「…密閉用シールの材質が悪かったのでしょうか?」

主任作業員も上司が手に取った黒いペースト状のモノを見て、眉間にシワを寄せて厳しい表情になる。

「この火薬と混ざったモンの成分を分析するんや!…多分、LCLやろが……。」

課長が手に取った火薬は、”ベットリ”と濡れていた。

また、この火薬がパラシュートを開くための”キーアイテム”であった。

(LCLが漏れて入った……パッキンの不良やろぅか。これじゃ、パラシュートは開かんわな。)

「赤木博士に報告を入れるんや!」

「了解しました。…”ピ、ピ、ピ、ピ”…繋がりました、どうぞ。」

隣に立っていた主任作業員は、通話中の携帯電話を当然のようにヒデユキの目の前に差し出した。

「ん?…バカ!お前が報告せいや……ぅ、ワシは苦手なんや。」

「…あの、聞こえますよ。」

「ぅえ!…つ、繋ごぉとるんかい!?」

「さっき言ったじゃないですか!」

『……もしもし?……もしもし?……』

整備一課長よりも若い主任が持つ電話機からは、聞き覚えのある理知的な女性の声が聞こえていた。

その声を聞いたヒデユキは”ダラダラ”と冷や汗をかきながら、携帯電話をひったくるように奪い取った。

「も、もしもしぃ!…お待たせしましたぁ!!…鈴原ですぅ。」

『……お疲れ様です、鈴原課長。………そんなに私とは、”お話し”しづらいかしら?』

「と、とんでもないですゥ!…ごほん!…え〜それでは、エントリープラグの不具合について報告します。」

声色と喋り方を真面目に戻して、男は技術系最上位の女性に報告を始める。

『ふぅ…まぁいいわ。それで?』

「はい、パラシュート展開用の火薬にLCLが漏れ入り、着火しなかったのが主要原因と思われます。」

『そう。…漏れた原因は?』

「ユニットの組み立てと、取り付ける際の作業ミス…と思われます。」

『整備部として対応策を纏めて提出して頂戴。』

「はい…組み立て時の確認検査作業に、LCLの充填と高圧水密試験を新たに設けるよう検討します。」

『…そうね。EVA独立中隊には、私の方からこの件に関する処置と対応策の説明をしておくわ。』

「すみません。宜しくお願い致します。」

『EVA初号機の右手の状態は?』

「はい、部下からの報告によりますと素体にダメージは無いようです。

 手首から先の特殊装甲を換装すれば、初号機の修理は完了すると考えます。」

『そう。…では直ぐに装甲の換装作業を始めて頂戴。それと、そのデータを私宛に送って。』

「ハッ分かりました。…現時点での整備部からの報告は以上です。」

『鈴原課長、整備部の皆さん、ご苦労様です。…では。”ピ!”』

”ピ!……バシッ!”

「おっと!」

携帯電話を主任作業員にやや乱暴に投げ渡すと、ヒデユキは報告書を作成する為に自分の執務室に向かった。



………翌28日、それぞれの家の朝。



「お姉ちゃん、お弁当ぅ〜まだぁ?」

「あ、ごめんごめん、ノゾミ。もう直ぐ出来るから。」

ヒカリは台所で少し”ぼぉー”としていたようだ。

(いけない、いけない。…平常心よ、平常心。)

昨日の出来事を思い出し、顔を真っ赤にしながらも素早く弁当を完成させるお下げの少女。

彼女は昨晩から何度も思い出しては、その度に胸を高鳴らせ熱を帯びたように頭を”ぼぉ〜”とさせていた。

「あら、ヒカリ…どうしたの?顔赤いわよ?」

”ビクゥ”

「な、何でもないわよ、コダマお姉ちゃん。はい、出来たっと。……ノゾミ!ココに置いておくからね!

 じ、じゃ…行ってきまぁす!」

ヒカリは姉妹の分の弁当を机に置くと、慌てたように家を出て行ってしまった。

「なにあれ?……どうしたんだろ?お姉ちゃん。」

「う〜ん、こりゃ〜何かあったのかな?」

小学生の妹はまだ気付いていないが、

 高校生の姉コダマは、もしかしたらヒカリが好きな男と何かあったのでは、と鋭く感じていた。




「お兄ちゃん、いい加減に起きないと学校チコクするわよ!!」

襖の向こうで寝ているであろう、寝坊助の兄に向かって大きな声を上げたのはナツミだった。

「……ワシぁ〜今日は学校、行かん。」

「え!?…ちょっと、お兄ちゃん…どっか具合でも悪いの?」

「うぅん…風邪、引いたみたいや。せやから、寝かせといてや…ナツミ。」

「そう、分かった…じゃ、私は学校に行くから。お兄ちゃん、ちゃんと学校に電話しなよ?」

「…おお、分かっとる。」

風邪を引いたと聞いたナツミは、昨日家に帰ってきてから、

 トウジの様子がどこか普段と違うように感じていたが、な〜んだ…と素直に納得して小学校に向かった。

(お兄ちゃんが風邪ぇ?…珍しい事もあるものねぇ。…そう言えば今日は午後から雨だって言うし。)




(今日からオレは変わるんだ!)

早朝NERVから解放された少年は、新しい眼鏡を右手で掛け直しながら鏡に映る自分に言い聞かせていた。

「そうだ、これからなんだ。…オレは。」

学校指定のカバンを手にした茶色のくせっ毛の少年は、勢いよく家を出て行った。



………第壱中学校。



避難命令のあった翌日、2年A組の生徒たちは登校した朝から何時もより騒がしい雰囲気に包まれていた。

あの転校生に聞けば、昨日の出来事を教えてくれるかもしれない。

これは他の第3新東京市民にはない同級生、という自分達だけの特権のようなモノ。


……そんな期待感に包まれていた。


”ガラッ!”

「おはよう!」

クラスメートの楽しげな”ガヤガヤ”とした教室の喧騒が一瞬だけ水を打ったように静かになり、

 入口ドアに見えた人物を確認すると、落胆したような表情でまた元通り…それぞれお喋りに興じていった。

(…くっ…誰も返事してくれないのかよ……。)


……ケンスケにとってツライ1日が始まった。


”カラ!”

「おはよう!」

「あ、ヒカリ、おはよう!」

「おっはよう!」

仲の良い女子達が、お下げの少女に挨拶を返す……ここまでは普段と変わらなかったが、次の言葉は違った。

「あれあれぇ〜、彼氏と一緒じゃなかったのぉ?」

「愛しのトウジ君はぁ?」

「な、何言ってるのよ!!…昨日も言ったけど、そう言うんじゃないのよ!!」

からかい8割、羨ましさ2割くらいの友人の視線に、ヒカリは顔を赤くして答えた。

(…何だ?委員長のヤツ……えっ…まさか、トウジと?)

教室の廊下側から2列目、後ろから3番目の席に座ってションボリと肩を落としていたケンスケは、

 ヒカリと女子達の普段にはない会話を聞いて耳を大きくした。

「わ、私と鈴原は…ただ、その。あ、あ…」

シドロモドロになり掛けたヒカリは、

 ”相田を探していただけなんだから!”と言うつもりで、無意識にケンスケの席を見て驚いてしまった。

「…あ、あっ!!…相田ぁ!!!」

お下げの少女はやっと見付けた男の子を見ると、

 今…お喋りしていた女子達との会話を忘れたように、ケンスケの席に”ズンズン”と歩いて行った。

教室中の生徒達は、突然の学級委員長が発した叫びのような大声を聞いて、止まっていた。

”し〜〜ん”

クラス中の視線が二人に集まる。

「な、何だよ…委員長。」

「何だよ、じゃないわよ!!…相田!昨日、ドコに行っていたのよ!!」

「き、昨日?」

「そうよ、昨日!…シェルターを探しても居なかったし。

 …先生に言われて、家に帰ってから電話しても繋がらないし……どこにいたのよ!!」

「え、え〜と、それは……」

(ど、どうしようぉ…昨日、イヤって言うほど釘を刺されたから、何も言えないんだよ〜委員長……。)

珍しくケンスケが答えに窮していると、ちょうど始業のチャイムが鳴った。


”キーンコーンカーンコーン”


”ガララ…”

「みなさん、おはよう御座います。…昨日は大変でしたねぇ。」

「あ、先生……相田、後でちゃんと教えてよ!」

(ほっ!…た、助かったぁ)

ヒカリは号令をかけながら、自分の席に向けて足早に戻って行った。

「きりぃ〜つ!……礼、着席。」

(碇…やっぱりケガ、酷かったのかな?)

ケンスケは窓際とその横の空席を見て、顔を落とした。

ヒカリは席に着きながら、空席のままの一番後ろの席を見た。

(鈴原……今日、学校に来ないのかな。)

そのホームルームが終わり、視聴覚室に向かう廊下でヒカリはメガネの少年を確りと捕捉していた。

「相田!…ちょっと、待ちなさいよ。」

「委員長…何も言えないんだ!」

ケンスケは走った。

「ちょ、ちょっと、相田!!」



………ジオフロント、病院。



「し、シンジ。」

落ち着きを失っている父親を見て可笑しそうに少年が笑っている。

505号病室のあるこのフロアにいる患者は、シンジ一人であった。

これは、ジオフロントにあるレイのマンションと同じ保安上の理由が大きい。

ゲンドウは話題を変えようと思い、ふと息子に連絡事項がある事を思い出した。

「…シンジ、国連からお前と綾波クン宛に要請文が届いている。」

「要請?」

その意外な話題の転換に少年は少し真面目な顔を父親に向けた。

「あぁ、9月1日から2日にかけて国連軍は特別軍事演習を行うようだ。

 …その演習のゲストとして元トライフォースの隊員に招集をかけているらしい。

 そこで…隊長と副隊長であった二人にぜひ参加して欲しい、というのが要請の内容だ。」  

「へぇ〜。」

「もちろん、お前はケガをしているから、参加はしないだろう?…そうなれば綾波クンも参加するまい。」

少し考えるような仕草をしたシンジは、上に向けていたルビー色の瞳を父に向けて答えた。

「いや。父さん、参加するよ。…そう伝えて。」

父親は意外な返事をした息子に、少し目を細めた。

「シンジ…いいのか?」

「うん、久しぶりに皆に会いたいし。」

ゲンドウはサングラスを掛け直しながら、シンジの右腕を見た。

「…その右手はどうするのだ?」

「え?まだ治ってないからね…もちろん、このままで行くよ。」

「そうか、分かった。国連軍の事務局には、そう伝えよう。」

「…ねぇ、後で地下にある射撃訓練場を使いたいんだけど、いい?」

「ん?…それは構わん。お前のセキュリティカードで入れない場所は無いし、利用できない施設もない。

 第一、お前は武官のトップだ…訓練など好きな様にしろ。」

「ありがとう、父さん。」

”ピピピ”

「…時間だ。」

父親はそう言って、アラームを知らせたPDAを胸ポケットから出してスケジュールを確認すると、

 パイプイスから立ち上がり、暖かな眼差しでシンジの顔を見てから病室の出入り口のドアに向かった。

”…カチャ”

ゲンドウはドアノブを回して開けると、部屋を出る前に振り向かず一言だけ小さな声で言った。

「シンジ…無茶はするな。」

「…うん。」

白銀の少年の入院生活が始まった二日目の28日、

 ゲンドウの見舞いが終わった14時頃から、第3新東京市に乾燥した空気を潤す雨が降り始めた。



………2年A組。



その頃…出所の分からないウワサが、授業を受けている生徒達のチャット上で遣り取りされていた。

登校時のヒカリ以来、ケンスケは他のクラスメートから話し掛けられる事はなかった。

(俺から話し掛ければ、応えてくれるけど…余所余所しいって言うか……これって、一体何なんだ?)

メガネの少年は、クラスの女子というよりも男子にすら感じる疎外感…ヒトの距離とでもいうのか、

 自分に向けられるヘンな違和感を”ボンヤリ”と降り始めた雨を見ながら考えていた。

そんな時、自分の机のノートパソコンにチャットの呼び出しが掛かった。

”ピピピ!”

ケンスケは”ハッ”として”きょろきょろ”と周りを見渡すと、窓際にいる二人の女子が手を振ってくれた。

今日初めての相手からきたコミュニケーションに、ケンスケは慌てるように急いで画面に目をやった。

《 ねぇ…相田、昨日はドコに居たの? 》

(へ…昨日……そうか、シェルターに居なかったから………どうしよう。)

ケンスケは、このチャットの話題を理解すると、”どうしたものか”と落ち着きなく視線を動かした。

《 相田くん、なんで碇君は今日休んでいるの? 》

《 まさか……碇君、ケガしたの? 》

その後に続く文章を読んで、ケンスケは顔を青くした。

《 何で、碇の事をオレが知っているって言うんだよ? 》

《 え、だって相田くんの事…ウワサになっているよ? 》

《 そうそう、相田が外にいて”碇君の戦い”を見ていたんじゃないかって… 》

ケンスケは”サァー”と顔から血が引いていくような感覚を覚えて無意識に”ゴクッ”と喉を鳴らした。

《 そんなの見るワケないだろ!! 》

《 ウソ…相田って、いつも見たいって騒いでんじゃん 》

《 教えてよ……相田くん、見てたんでしょ? 》

《 本当に見て無いよ…昨日はずっと家に居たんだ 》

《 じゃ、相田の家からは、見えたんでしょ? 》

ケンスケは誤魔化そうと嘘をついたが、安直だったと…直ぐに後悔して心の中で舌打ちをした。

(チッ!!しまった。適当なシェルターに居たって書けば良かった……。)

《 見たんでしょ、本当は。ねぇ、教えてよぉ…相田くん! 》

《 分かったよ。……実は見たんだけど、ウチからは良く見えなかったんだよ 》

《 ちぇ〜!!…何だ、つまらないの 》

そして、チャットを見ていた男子も加わってきた。

《 嘘付けよ…お前がビデオとか写真を撮らないわけ無いじゃん! 》

《 そうだよ、ケンスケ…本当は家の外に出てバッチリ見てたんだろ? 》

《 だから、家に居たんだってば! 》 

《 ん、なんだぁ?…なんでそんなに必死に否定するんだよ。…なんかおかしくね〜か? 》

《 あ!!…って事は、もしかして…お前のせいで碇がケガでもしたんじゃないのか? 》

”ビクッ!”

その文章を見たクラス中の目が”バッ”と一斉にケンスケを見た。

《 どうしたんだよ!お前、顔…真っ青じゃん!! 》

《 本当だったのかよ!? 》

《 うそ、碇君…ケガしたの!!! 》


……教室の雰囲気がざわついていく。


「ん?……こら!!お前ら、何かあったのか!?ざわついて…授業中だ!静かにしろ!!」

歴史を担当している中年の男性教師が、黒板から振り向き教壇から降りて注意した。

一応クラスメートたちは前を向き授業を受けるが、ケンスケを”チラチラ”見る視線が絶える事はなかった。


”キーンコーンカーンコーン”


委員長の号令が終わると、教室に居た生徒たちは相田ケンスケの席に集まった。

「ちょっと、相田。ちゃんと説明しなよ!!」

「ねぇ、相田くん。碇君は本当に怪我したの?」

先程のチャットをしていた男の子のように活発そうな少女と、大人しそうな少女が最初に聞いた。

「やっぱり綾波さんも学校を休んでいるのって、もしかして碇君のお見舞いの為なんじゃないの?」


……女の子のカンは結構鋭い。


「し、知らないよ!」

ケンスケは席を立って逃げ場は無いか、と周りを見渡したが……しっかり360°囲まれていた。

「ケンスケ、じゃ〜オマエ…何でそんなに慌ててるんだよ!」

「そうだよ!なんか必死に隠しているって感じだぞ!!」

「じゃ、やっぱり…お前が外に居て、怪獣と戦っていた碇は…お前を庇って怪我をしたってことか?」

「「「「「相田ァ!!!!」」」」」

周りからの責め立てる声と視線に耐え切れなくなったメガネの少年は、身体を震わせ、顔を俯けて叫んだ。

「…そうだよ!!アイツはきっと病院だよ!!お、オレはちゃんと謝ったんだ!!…碇は許してくれた!!」





”し〜〜〜〜ん”





「……さいてぇ。」





”ポツリ”と聞こえた言葉は、誰が言ったのだろうか……ソレは良く分からなかったが、良く聞こえた。

「オレは、もう二度としないって、碇と約束したんだ!!…アイツは仲直りしようって言ってくれた!!!」

ケンスケの叫び声は教室中に響いたが、何か圧迫するような重苦しい雰囲気に変化は無かった。





”しーーーーん”





顔を下に向けたケンスケの”ぐぐっ!”と握った拳が”ブルブル”と震えている。

「オレは、…おれは、……クッ!!どけよ!!」

”ガタンッ!ダダダダダ!!”




「………あっ!!ちょ、ちょっと、相田!」




突然…強引に人の輪を押し退け教室を出て行ったケンスケに、ヒカリの声は届かなかった。

「……相田くん、泣いてたね。」

静まり返った教室で最後に聞こえた言葉は、最初にチャットをしていた大人しそうな少女の声だった。



………病院。



病院に戻ってきたレイは、505号病室のドアをノックしようと右手を上げたが……”ピタッ”と止めた。

(…ん?)

そして少し小首を傾げた少女は、ノックしようとした手を”すっ”と下ろして、静かにドアノブを回した。

”……チャ”

昼寝をしているシンジは、病室のドアが開いても目を覚まさなかった。

(碇君…疲れていたのね。)

レイに続くように入って来たマユミは、病室の中を見ると先ほど少女がノックを止めた理由を理解した。

(…シンジ様、寝てらしたのね。)

マユミは持ってきた荷物を静かに置くと、

 その中から茶道具の入った袋を持って、この部屋にあるキッチンに向かった。

レイは空気の入れ替えをするために窓を少し開けて、ベッド横のパイプイスに腰掛けた。


……暫くすると、アールグレイの香りが部屋に満ちてくる。


マユミが紅茶のポットとティーカップを載せたトレイをテーブルに置いた。

「レイ様、シンジ様の御容態は?」

「右手のヤケド。…全治2週間よ。」

「そうですか。…レイ様、私もこちらでシンジ様のお世話をしますわ。」

「大丈夫…私がいるもの。」

「いいえ、させて下さい。」

「ぅ……ぅん?」

少年は周りの声に反応して目を覚ましたが、頭は”ぼ〜”としていた。

「起こしてしまいましたか…申し訳ありません、シンジ様。…紅茶を淹れました、お飲みになりますか?」

「あぁ、ありがとう。…マユミさん、見舞いに来てくれたんだ。」

「碇君、ただいま。」

「おかえり、綾波。」

少女に挨拶をしながらシンジは上体を起こした。

「ちょっと寝ちゃったみたいだね。」

少年はマユミから渡されたティーカップを受け取った。

「…ゆっくり休めばいいと思うわ。」

湯気立つ紅茶を見ていたシンジは、柔らかく微笑んでいるレイの深紅の瞳を見て”ニコリ”と微笑んだ。

「うん、ありがとう。

 ……あ、そうだ。さっき父さんから連絡があってね、今度の9月1日から2日にかけて実施される、

 国連軍の軍事演習に参加して欲しいって国連から要請がきたって言うんだけど、綾波はどうする?」

「…碇君は?」

レイはティーカップを備え付けのテーブルに置いて聞いた。

「僕は参加しようと思う。…トライフォースの皆が来るらしいからね。」

「みんな?」

「うん、参加不参加はまだ聞いていないけどね。皆に招集が掛かったらしいよ。」

「そう。…碇君が参加するなら、もちろん私も参加するわ。」

「分かった。じゃ、父さんにそう伝えるね。…ドーラ、メールをお願い。」

『畏まりました、マスター。』

「シンジ様、宜しいでしょうか?」

「何?マユミさん。」

「私もこちらに残り、シンジ様の身の回りのお世話をしたいと思うのですが、宜しいでしょうか?」

「え、…大丈夫だよ、マユミさん。家のほうの仕事だってあるんだから。無理しないで、ありがとう。」

「…そ、そうですか。」

マユミは”がっくり”と肩を落とした。

「ぅ…で、でも、出来れば明日もお見舞いに来てね?」

そんな彼女の様子に、シンジはフォローを入れた。

「は、はい!!もちろんですわ!」

勢い良く顔を上げて、嬉しそうに頷いたマユミの黒く長い髪が”ふわっ”と揺れ動いた。



………マンションの襖の部屋。



(……うぅ、アカン、限界や。……も、もぅ…寝れん。)

窓から雨の降る音が聞こえる。

ベッドから”もそもそ”と起き上がったトウジは、これ以上寝れないくらいの睡眠を取っていた。

最初の頃は、昨日の出来事を思い出して色々考えたりもしていたが、結論が出ないまま気が付けば寝ていた。

トイレにでも行こう…と襖を開けると、ちょうど妹が学校から帰ってきた。

”ガチャン!”

「たっだいまぁ〜。」

「おぅ、おかえりぃ。」

「なに、その格好?…まさか、今まで寝てたの?お兄ちゃん……。」

ナツミは兄の姿に目を大きくしてしまった。

「そのまさかや。…お陰ですっきりや。これから更にすっきりする為にトイレに行くんや。」

トウジは妹の顔を見て、なぜか”にやり”と笑いながらお腹を”ポンポン”と右手で叩いていた。

「なっ!早く行きなさいよ!…ホント下品なんだから、もぅ。」

傘を片付けたナツミは、兄を無視するように自分の部屋にランドセルを置きに行った。


”……ジャーーー、ゴポゴポ”


「ふぅ〜〜快便、快便っと。」

”スラッ”と襖の開く音のほうにトウジが目をやると、余所行きの格好をした妹がいた。

「なんやぁそんなカッコして。こん雨ん中…遊びにでも行くっちゅーんか?」

「…ふぅ、行きたくないんだけど、ちょっと学校の近くの公園までね……。」

歯切れの悪い妹の言葉に兄は眉間にしわを寄せた。

「なんや?…行きたくないんやったら、行かんって断ればええや無いか。」

「そうもいかないの。…相手にキチンと言わなくちゃいけないからね、こういう事は。」

「??」

「じゃ、帰りに夕飯の材料も買ってくるから、行って来ます。」

”パタン!”

傘を持って出掛けた妹の姿を”ぼぉー”と見送っていた兄は、何度もナツミの言葉を繰り返し呟いていた。

「…呼び出しか…誰に?…行きたくない…言わなくちゃいけない?…公園?…こういう事?…お、男ぉ!?」

昨日から”男と女…カップル…付き合い…”と考えていたトウジの脳が、珍しくも急速に正解を導き出す。

”バン!”と自分の部屋の襖を乱暴に開けて中に入ると、素早く黒のジャージに着替える。

そして傘を持ってマンションを後にした。



………路。



”バシャ!バシャ!バシャ!”

雨の中、トウジは走っていた。

(確か、学校の近くの公園っちゅーとったな!……待っとれよ、ナツミ!)

交差点を渡り、路地を曲がろうとした時だった。


”どん!!”


「うわっ!!」「のわ!!」

”ズシャーー”

トウジは思いっきり転んだ。

「いててて…」

「いつぅぅぅ…」

「ど、ドコに目を付けているんだよ!!」

「こっちのセリフじゃ、ボケッ!!」

トウジが見たのは、良く知る少年だった。

「…ぁ…トウジ……クッ!!」

その少年は泣き腫らしたように目が真っ赤だった。

”……バシャ!バシャ!バシャ!”

「…………け、ケンスケ。」

傘を持っていなかったメガネの少年はずぶ濡れだったが、立ち上がるとそのまま走って行ってしまった。

「な、なんなんや、アイツ………」

トウジは、濡れながら走る少年の後姿をあっけに取られながら見送っていた。

(…アイツ、泣いとったんか?…なんかあったんかのぉ…………ハッ!!それ処や無いで!!)

「な、ナツミ!!…今行くからの!」

トウジは道路に転がっている傘を持って再び走り出した。



………公園。



「うそ、お兄ちゃん!?………って何しているの?……こんな所で?」

公園まであと少し、トウジが入口に向かって減速し始めた時、その先から出てきた女の子の声が耳に届いた。


”ザァーーーーザァーーーーザァーーーーー”


空は厚い雲に覆われて薄暗く、止め処なく降り注ぐ雨脚は強い。

「はぁ、はぁ、はぁ。」

傘を背にしてヒザに手をつき肩で息をしている少年を見た、ナツミは驚きの顔だった。

「な、ナツミ。どいつや?…ワシが…」

「何言ってるの?」

「男なんやろ?……呼んだんは?」

「え!?」

「どいつや?」

どうして兄がココに来たのかを理解したナツミは、大きなため息をついた。

「はぁぁーーー……」

「な、何や?」



「ちょっと、いい?…お兄ちゃん。」



いつもとは違う……芯の強い言葉にトウジは妹の顔を見た。

「な、何や?」

「どうしてココに来たの?」

「そ、それは、オマエが男に逢うっち思ぉての……その早すぎるっちゅうか…その…。」

「はぁ!?…それって、かなり余計なお世話だよ!」


……兄を見る妹の瞳が冷たい。


「…せ、せやかて……のぉ…。」

「あのねぇ…もし、お兄ちゃんが好きな女の人に告白したり、されたりする時……私が見ていて良い気分?」

「そ、そりゃ……」

「イヤ、でしょ?」

「ぅ、あ。……あぁ。」

「もう二度としないでね?」

兄の見た妹は”ニコッ”と笑っているが、本気で怒っているのが手に取るように判る。

「お、おぉ。」

バツの悪そうなトウジは、それでも気になる事をナツミに聞いた。

「……そ、それで、ソイツと付き合うんか?」

ショートカットの女の子は数瞬、”ポカン”とした顔だったが可笑しそうに笑い始めた。

「ははは♪…まさか。ちゃんと断ったよ。」

「そ、そうか。」

なぜか”ホッ”としたような兄に、妹が言葉を続ける。

「だって、好きな人がいるからね。」

”ピキン”とトウジの顔が強張る。

「な、な、な、何やて!!……だ、ダレや?ドコのどいつや?」

「碇センパイ♪」

「は?」

兄の顔は○が3個で構成されたハニワのように、見事に二つの目と口が大きく開いていた。

「……プッ、冗談よ?お兄ちゃん。」

妹はその面白い顔に思わず噴き出してしまった。

「へ?」

「そりゃまぁ、碇センパイってすごく素敵なんだけど…もう決まった相手がいるみたいだしぃ。」

「そ、そうや。センセと綾波は許婚なんや、オマエの入るスキマは無いで!」

「ええ!!…やっぱりねぇ。…はぁ〜…いーもんいーもん、私も碇センパイみたいな人探すから。」

がっくりと肩を落としたナツミは、そのまま兄が走って来た方向に向かって歩き始めた。

トウジもその後に続くように足を進める。

「な、なぁ…ナツミ。」

「なに?」

「さっきみたいなん……よくあるんか?」

「…そうねぇ。」

「あるんか?」

ナツミは自分を睨むように強い視線を投げている兄を見て、可笑しそうに笑った。

「ふふふ♪…こう見えても、私…結構モテるんだから♪」

「な、何やて!!」

「ぷっ…あはははっ♪……あ、そうだ。ちょうど良いわ。…夕飯の買い物の荷物、持ってね?」

「な!なんでやねん!」

「もちろんバツよ……ノゾキ未遂のね♪」


……女の子の成長は、男の子よりも早い………かなり。


トウジは、先程まで忘れていた”男女の恋愛”についてまた考え始めた。

「お兄ちゃん、はやくぅ!……何、ボケッとしてるのぉ?」

いつの間にか立ち止まっていた兄に気付いて、ナツミが振り返って声を掛けた。

「…お、おぉ。」

この日、トウジの頭の中には”昨日のヒカリ”との出来事が”ぐるぐる”と回り続けていた。



………翌29日(土)505号病室。



…地上では、昨日から雨が降り続いていた。

「え?…トウジが昨日、学校を休んだ?」

「どうぞ、洞木様。」

マユミがティーカップを応接用のテーブルに置く。

「あ、どうもスミマセン。」

恐縮して”ペコッ”とお辞儀をしたのは、厳重なチェックの末、レイに連れられて来たお下げの少女。

学級委員長として、学校で配られたプリントを届けようと、軽い気持ちで市立総合病院を訪れたのだが、

 入院患者の名前を告げた瞬間、別室に入れられて持ち物検査やら身体検査をさせられたのだった。

検査をした女性職員に頼んだ電話で、レイと連絡を取り…彼女が迎えに来てくれてやっと自由になれた。

直通のエレベーターで地下の広大な空間を見たヒカリは、ジオフロントに来たのは初めての事だった。

レイはシンジの右隣に座って、ティーカップに角砂糖を一つ入れた。

シンジの目の前に座っているヒカリは、紅茶を一飲みすると再び話を始めた。

「うん、そうなの。…一昨日は普通だったから、その…病気って事は無いと思うんだけど。」

「…洞木さん。」

「何、碇君?」

「トウジの事、とても心配しているんだね。」

シンジの真紅の瞳に見詰められたヒカリは、”ボッ!”と一瞬にして顔を真っ赤に染めた。

「そ、そ、そ、そんなんじゃないのよ!!…ただ、学級委員として、心配しただけで…そ、その。」

レイは顔を赤くして”ブンブン”と首を振ってから、段々小さくなっていく少女を見て、シンジに聞いた。

「…洞木さんは鈴原君の事が好き、そう言う事?碇君。」

「ははは、綾波…それは、本人にしか分からないよ。」

ストレートに質問してきた少女に答えた少年は”タラリ”と汗をかいた。


……彼女の様子を見れば、十分に分かると思うが。


「あ、あの、碇君…。」

「何?洞木さん?」

テーブルに用意されていたマユミお手製のクッキーに伸ばした手を止めて、シンジはソファーに座り直した。

「その、失礼な質問だと思うんだけど、え、と…綾波さんと本当に婚約しているの?」

ヒカリが怖ず怖ずと小さな声で質問をした。

「うん。」

白銀の少年は即答を返す。

「それって、親に決められたって言う事?」

「え?…いいや、違うよ。」

「そ、それじゃ、何で?」

シンジは隣に座る蒼銀の少女の深紅の瞳を暫く見詰めてから、目の前のお下げの少女に顔を向けた。

「う〜ん、洞木さんが聞きたいのは、まだ若いのにどうしてって言う事なのかな?」

シンジの言うとおり、ヒカリは不思議に思っていたのだ。

…自分達はまだ子供だ。若い。これからも様々な出会いがあるだろう。

それなのに、もう結婚を決定してしまうとは…自分では考えられないし、想像も出来ない。


……”それ”を彼らに聞きたかったのだ。


「洞木さん、人を好きになるっていう事、恥ずかしいと思う?」

「そ、そんな事ないと思うけど……でも。」

照れるように視線を外した少女を見たシンジは”すっ”と瞳を閉じて、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「僕はね、綾波の事が大好きだよ、愛してる。とても大事な人。これはハッキリとした僕の心の想いなんだ。

 …でも。自分の心の中は他の人には判らない。…だから声に出して言葉にするし、カタチにしたいと思う。

 そのカタチの一部が婚約っていう事なんだよ。」

シンジは瞳を開けて、ニッコリと笑った。

その言葉と笑みは一切の迷いの無い、清らかな川の流れのように自然なモノだった。

(…す、凄いわ。)

ヒカリは我知らずに頬を染めていた。

レイはシンジの告白に紅い瞳を潤ませて”ぽぉ〜”と少年の横顔を”ジッ”と静かに見詰めていた。

「…い、碇君は、綾波さんに好きって告白した時に…断られるかも、って思わなかったの?」

「そうだね、断られるかもって考えたら、言いづらいよね。

 あれ?…そう言えば、僕が綾波に最初に告白したのって…いつだろう?」

シンジが顔を上げて、小首を傾げて悩みだした。

「え、いつって?」

ヒカリはシンジの言葉の真意を汲み取れなかった。

「…約11年前よ。」

少年に”ピタッ”とくっ付いたレイの言葉に、ヒカリが驚いた。

「じゅ、11年前ぇぇえ!?」

「…あ、そうか、あの時か!」

シンジは手を”ポムッ!”と叩いた。

「…そう。あの時、碇君は私と永久の時を共に過ごす事を望んでくれたわ。」

「そっか。そうだね、あの時の言葉って…何だか、プロポーズの言葉みたいだねぇ。」

頬をピンク色に紅潮させた少女は、更に嬉しそうに言葉を続ける。

「…初めて”愛してる”って言ってくれたのは5年前。」

「はははっ♪…そうだったねぇ。」

シンジは”しみじみ”と頷いて、やおら右腕を少女の腰にやると”きゅ”と抱き寄せた。

「…ぁん…碇君……」

見詰め合っている二人を見てヒカリは固まっていた。

(……あ、あぅぅ〜…やっぱり、この二人って普通じゃないのね。)

「シンジ様、レイ様。洞木様が困ってらっしゃいますよ?」

この二人のピンクフィールドに慣れているマユミが、主人達をこの世に呼び戻す為に声を掛けた。

「あ!…ご、ごめん。えぇ〜と、何だっけ?」

流石にシンジも頬を染めてバツの悪そうな顔になった。

レイは構わないのに、と少し残念そうな顔だったが。

「ううん、いいんだけど、って。……え〜と、私達、何を話していたんだっけ?」


……ヒカリも再起動したが、先程までの”会話の流れ”は忘却の彼方だった。


「あ、そうそう。…え〜と、告白の話だったっけ?」

「う、うん。」

「まあ、確かに断られるかも知れない…って考えちゃうと怖いよね。

 でも、その一歩が大事だと思うんだ。それに、後悔したくないじゃない。

 昔の僕は、いつも最初の一歩を踏み出せず…全てが終わった後に後悔ばかりしていたからね。」

「えぇ〜碇君が?……何だか、ちょっと信じられないわね。」

ヒカリは少し目を大きくして少年の話を聞いていた。

「まぁ、昔の話だよ。ね、綾波。」

シンジは横の少女を見て笑った。

「あ、あの、綾波さんは、告白された時ってどうだったの?」

レイは”ポッ”と頬を染めると目を閉じて俯きながら答えた。

「…嬉しかったわ。」

”リリリリン!…リリリリン!”


……病室の壁面に設置された電話機が鳴ると、メイドであるマユミが素早く取った。


「……はい、505号病室で御座います。…はい、少々お待ちくださいませ。

 シンジ様、ゲンドウ様からで御座います。」

「父さんから?……ちょっとごめんね。」

シンジはソファーから立ち上がって、メイド服を着た女性から電話機を受け取った。

「……もしもし?」

病室の入り口近くに歩いていった彼の様子を”ジッ”と見ているレイに、ヒカリが遠慮がちに声を掛けた。

「あ…あの、ねぇ綾波さん…碇君のお父さんって、どんな人?…やっぱりカッコいい?」

ヒカリは興味津々といった目でレイに尋ねた。

「碇君のお父さんはNERVの総司令、体は大きいわ。」

「…え?体格がいいの?……あ、あの顔は?」

レイは瞳を上に向けて人差し指を顎に当てると、ちょっとだけ考えて答えた。

「…強面。」

「碇君と似てないの?」

「似ていないわ。………全く。」


……レイの口調は、”全く”の部分だけ強調するように語気がちょっと強かったりした。


「分かった、じゃ明日行くから。…うん。……大丈夫だよ、じゃ、またね。」

”カチャ”

左手で電話機を置いたシンジに、マユミが一歩近付いた。

「あの、シンジ様。明日…どちらかにお出かけになるのですか?」

マユミはシンジの右手を気遣わしげに”チラチラ”と見ていた。

「うん、明日退院したら、長野に行くよ。国連軍で予定されている演習について、直接話があるんだって。」

「あら、そうなのですか。明日は退院祝いだって…あの娘たち張り切っていましたのに。……残念ですわ。」

筆頭メイドは、長野県に向かう主人は当然宿泊の予定だろうと考えたので、

 脳裏で”ガッカリ”している5人のメイド達を想像した。

「?…夕飯はちゃんと家で食べるよ?」

「まぁ!…そうでしたか。……よかった。」

マユミは嬉しそうに微笑んだ。

「…碇君?」

ヒカリとの遣り取りに区切りをつけたレイが、いつの間にかシンジの側に立っていた。

「…あ、綾波。明日、僕と第二新東京市に行こう?ワーグナー閣下が僕達に会いたいってさ。」

「分かったわ。」

「?…あの碇君、国連軍って?」

「…洞木さん、僕と綾波は国連軍にいたんだよ、前にね。」

「え、それって……軍隊にいたってこと?」

「そうだよ。」

ヒカリは”ポカン”とした表情になっていた。

「碇君って、本当に中学生?」

「もちろん、そうだよ。」

再びレイとソファーに座ったシンジは、丸いクッキーを手にしながら答えた。

シンジは、何か言葉を捜しているようなお下げの少女を不思議そうに見ていた。

『…ねぇ、お兄ちゃん。』

『どうしたの?リリス。』

『たぶんヒカリちゃんは、お兄ちゃん達に恋愛相談がしたいんだよ。』

『へ?』

『だって、彼女から見たらお兄ちゃんたちはスゴク大人っぽいし、実際に恋愛経験のセンパイじゃない?』

シンジは、先程から自分達の関係や今までの事など色々と質問するヒカリの様子を思い返して、

 ”確かにリリスの言うとおり、何か自分達に相談をしたいのかも”と感じた。

(僕達の事…男女について?…恋愛相談?……何かあったのかな?)

「…洞木さん、質問しても良い?」

「え?」

突然のシンジの声にヒカリが”バッ”と勢い良く反応して顔を上げた。

「もしかして、何かあったの?…トウジと。」

「え!!…な、何言っているのよ!!碇君!!何で鈴原の事なんか……そ、な、に、も。」

ヒカリは自分で”鈴原”と言った瞬間、あの出来事がフラッシュバックしてしまった。

「ふふふ、それだけ動揺しちゃうんじゃ…分かっちゃうよ。」

「…そうね。」

「ぁう。」

ヒカリは真っ赤になって小さくなった。

「……ところで”何か”って、なに?碇君。」

小首を傾げている可愛い蒼銀の少女に、シンジはどうやって答えようか…少し考えてしまった。

「え〜と、告白されたとか…なんて言うか、そう、友達以上の関係になるような切っ掛けがあったとか…。」

「え、え、え、ってっちょ、違うの!違うのよ!!…そんなのじゃないのよ!!」

「教えて、洞木さん。」

レイがヒカリを”ジッ”と見て言った。

「……え、えとね、実は、あの避難の時なんだけど。」

二人の紅い瞳に、進退窮まったヒカリは小さな声で”ポツリ、ポツリ”と先日の出来事を告白していった。




「そっか、あの時ケンスケを探していたんだ。」

「う、うん。…地上近くの階段を上っていたら、地震が強くなって…その後…結局、下に戻ったんだけど。」

ヒカリは”抱き合った事”を”寄り添って”と変換して話をしていた。

「…洞木さん。」

「何?綾波さん。」

「…鈴原君に護られて、嬉しかった?」

ヒカリは、ゆっくりと頷いた。

「う、うん。…やっぱり女の子としては、嬉しかったわ。」

そしてお下げの少女は、嬉しそうに笑った笑顔に”すっ”と影を落として言葉を続けた。

「でもね……その後、クラスの皆が…からかって、鈴原は走って行っちゃったの。」

「…そう。」

「それで、昨日…トウジは学校を休んだんだ。」

レイとシンジが一昨日の顛末を理解しそれぞれ相づちを返すと、ヒカリは一層悲しげな顔になった。

「うん、そうだと思う。……イヤ、だったのかな。」

”ポツリ”と小さく呟いたヒカリは、静かに視線を落とした。

「…それは違うと思うよ、洞木さん。」

「え?」

膝の上に持っていたティーカップに落としていた視線を上げたヒカリは、慈愛に満ちた少年の笑顔を見た。

「トウジは戸惑っただけだよ…多分ね。きっと今頃、学校を休んだ事を後悔しているんじゃないかな……。

 ”アカン!、こんなん漢らしくないでぇ!!!”……とか言ってさ。」

”キョトン”としてしまった二人の少女。

「……ぷ、あははは、碇君、モノマネ下手ねぇ。」

大人っぽいシンジが子供っぽいトウジの口調を大げさにマネしたのが意外だったのか、

 ヒカリは少し目を大きくしたが、直ぐに可笑しそうに笑った。

「そ、そう?…似てなかった?」


……ちょっとショックを受けた様子の少年は、隣に座る蒼銀の少女に聞いた。


「え、ええ。…碇君に方言は似合わないわ。」

「ぅ…そ、そう…」

目をパチクリさせていたレイの言葉に、”…ガクン”と大げさに首と肩を落とすシンジ。

その様子を見て、更に可笑しそうにお下げの少女が笑った。

「アハハハ、やだもぅ、ハハハ♪…はぁ、はぁ、はぁ〜可笑しかった。

 ふぅ、でも…ありがとう、碇君。お見舞いに来たのに、何だか逆に気を遣わせちゃったみたいで…。」

笑いすぎて目尻に溜まった涙を指で拭いながら、ヒカリはお礼を言った。

「ハハッ♪…そんな事無いよ。」

肩を落としていた少年は、顔を上げるといつもの様に笑って答えた。

(やっぱり、私に気遣ってワザとモノマネなんてしてくれたのね……。)

「あ!私、そろそろ帰るね。…夕飯の買い物もあるし。……じゃ、お大事にね、碇君。」

「シンジ様、私も戻ります。…送りますわ、洞木様。」

「うん…じゃ、また学校で、洞木さん。」

ヒカリは手荷物を取ると、マユミに案内されてジオフロントの病院を後にした。

シンジは静かになった病室で、一息つくと少女に顔を向けた。

「ありがとう、綾波。」

「…?」

「さっき、ワザとああ言ってくれたんでしょ?…洞木さんを笑わせるために。」

窓を閉めていたレイは、ゆっくりとシンジの横に歩いてくると、”ジッ”と彼の瞳を見て言った。

「碇君。………方言は使わないほうがいいと思うわ。」

「……わ、分かったよ。」



………地下、訓練所。



「お待たせしました。…葛城さん、グロック17の実包9mmパラベラム弾です。」

メガネの男性が差し出した4つの箱を受け取って、”ニコッ”と笑う女性。

「ありがと、日向君。」

射撃訓練場の防音ドアを開けると、どうやら先客がいたようだ。

”ガァン!…ガァン!…ガァン!…ガァン!…ガァン!”

ミサトはその発砲音の大きさで、ライフルだと思った。

(ふぅ〜ん、ここでライフル扱えるヤツなんて居たんだぁ。)

何気なく音の出所を見ると、一人の男性が立っていて左手で構えているのは拳銃だった。

その横に…もう一人いて、ちょうど構えた処だった。

”バン!バン!バン!バン!バン!”

先程より少し可愛らしい、というのは可笑しいが口径の小さいオートマチック拳銃の発砲音。

その二人を見て、ミサトは思わず声を出した。

「な、何をしているのよ…アンタたち!」

黄色いシューティンググラスを掛けた二人は、”ちらっ”と見たが興味が無いのかミサトを無視した。


……マユミとヒカリが見舞いを終えて帰った後、シンジ達二人はここで射撃訓練をしていた。


これは国連軍の演習を控えたシンジが、左腕での射撃練習をしてみたいと思ったからだった。

ミサトはシンジの拳銃を見た。

「あ、アンタ何てモノ使ってんのよ。…それってもしかしてFN5−7?……ライフル弾じゃない!!」

「そうですよ。僕の愛用の拳銃です。…なんですか?」

「どうして、射撃訓練なんてしているのよ?」

シンジはミサトの言葉に呆れた。

「…エヴァンゲリオンはパイロットの脳波コントロールで動きます。

 であれば、操縦者が実際の動きを理解し経験する事は非常に重要だと考えられます。

 いつ出撃になるか判らない現状では、可能であれば出来る限り早期に左腕での射撃訓練をしたほうが良い。

 …そう思いませんか?」

「あぁ!…なぁるほど〜。」

深く頷いたのは、ミサトの後ろにいたマコトだった。

「ふぅ…綾波、整備がてら休憩にしよう。」

「…はい。」

二人は射撃訓練所に隣接している休憩室に歩いて行った。

「…流石ですね。」

二人の後姿を見ていたミサトにメガネの男が声を掛けた。

「あにがよ?」

マコトが手元のスイッチを操作すると、30m先にあった紙がレールを伝わって手前に巻き取られてくる。

「見てください、碇三佐のターゲットペーパー。」

「!…うゎお!」

ミサトが思わず声を上げてしまったのは、マコトの手に持つ紙を見たから。

その中心を貫いている穴の大きさは僅か2cmの幅しかなかった。そしてそこに全弾貫通していた。

「たしか碇三佐は、右利きですよね?」

「そ、そうだったかしら?」

ミサトは”タラリ”と汗をかいた。




休憩室に入ると、レイは自販機のジュースを買って、先にイスに座っていたシンジにそのコップを手渡した。

「ありがとう、綾波。」

「その拳銃のメンテナンス、私がやるわ。」

そう言うとレイは、彼の横に座り素早く拳銃を分解していった。

「ありがとう、ゴメンね?」

”フルフル”

かぶりを振ってパーツをクリーニングする美少女。

レイは可動部にグリスを塗りながらシンジに聞いた。

「…演習、平気?」

オレンジジュースを飲んでいたシンジは、カップをテーブルに置いて答えた。

「うん、今やってみた感触だと、たぶん平気だと思う……けど、致命的な欠点が分かったよ。」

「なに?」

「再装てんが出来ないんだ。…片手じゃね。……はははは。」

「どうするの?」

「まぁ、側に綾波がいるんだから、大丈夫でしょ。……サポートしてね?」

”ポッ……コクリ”

「…はい。」

自分の心を照らしてくれるような笑顔を向ける少年に、少女は唯…嬉しそうに頬を染めて頷くしかなかった。





雨、逃げ出した後。トウジ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………翌日の病院。



30日、シャムシエル戦終了の夜から3日経った日曜日の午後…シンジは退院した。

右手を覆うLCLパックは小さく最小限度の大きさではあるが、固定されて動かせないのは変わり無い。

「はぁ〜…本当にキレイだ。…すごく似合っているよ、綾波。」

「…あ、ありがとう。」

照れている蒼銀の少女は、シルクの黒いドレスを着ていた。

白銀の少年は国連軍の軍服ではあるが、式典用の礼服であった。

「じゃ、行ってきます。」

「お気を付けて、シンジ様、レイ様。」

「じゃ、帰る時に電話するから。」

「はい、畏まりました。直ぐにお迎えに上がります。…行ってらっしゃいませ。」

病院を後にしたシンジは、NERV本部に向かってゆっくりと歩いて行った。

当然と少年に付き添う少女は、彼の左手を握って寄り添うように歩いていた。

「父さんが機体を用意してくれるって言っていたからね。…長野まで、お空の散歩って感じだね。」

”むぎゅ!”

シンジの左腕を取って腕を組んだ少女は、嬉しさの中に少しの不満があるようだ。

「デート…でも乗り心地は余り良くないわ。」

少女の柔らかさを腕に感じる少年は、我知らずに顔を赤らめた。

「な、なら…僕の膝の上にでも座る?」

「…そうね。」

”クスッ”と笑って返事をしたレイにシンジは慌てた。

「じょ、冗談だよ、綾波?」

「ふふ、構わないわ。」


……シンジ達の為に7機のVTOL型重戦闘機がNERV本部に用意されていた。


「こちらFOX1。フライトプランC11、長野県第二新東京市に向けて予定通り離陸する。許可を求む。」

『了解、MAGI及び航空管制システムの許可が下りました。…どうぞ。』

”キュゥィィィイーーーーーーー!!”

ジオフロントから地上に向けて編隊を組みながら、VTOL機は飛び上がった。

地上部に出る最終装甲板が開くと、そこから大量の水が落ちてくる。

「…ジオフロントの光が薄いなって思っていたけど、地上では雨が降っていたんだね。」

「一昨日の午後から…降り続いているわ。」

「そうだったんだ。」

「重くない?…平気?」

「モチロンだよ♪」

”きゅ”

シンジは嬉しそうに微笑むと、彼女の細いウエストにやった左腕に力を込めて密着度を増すようにした。

「ハフゥ…碇くぅん…」

切なそうな甘い吐息をもらした少女は、幸せそうにシンジの首に顔を埋めて首に回した腕に力を込めた。

(ケッ…やってらんねぇーーー!)

(…がまんしろ!副長!)

(ですが、機長!!!)

(分かってる!!気にするな!…いいな?)

後部座席に座っている二人、使っているシートは一人分。……レイはシンジの膝の上だった。

7機のVTOL機が次々に地上に飛び出ると、それらの機体は等しく激しい雨水に濡れる。


……珍しくも第3新東京市には、連日雨が降り続いていた。


”ザァァァァーーーーーーーー”


第3新東京市から飛び立ったVTOL機の編隊は、長野県にある第二新東京市に向かって速度を上げた。



………国連ビル。



ビルの屋上のヘリポートに設置されている誘導灯が点灯すると、1機の戦闘機が垂直に降下してくる。

その上空には、6機の戦闘機が周囲を警戒するように油断なく飛行していた。

事務官は、予定時刻どおりに到着したVIPを迎えるべく屋上で待機していた。

(…重戦闘機を6機引き連れてとは……すごいな。)

実際に戦闘機などまともに見た事の無かった男は、目の前の迫力ある光景と爆音に目を見開いている。

”キュイィィィィーーーーーー”

「お待ちしておりました!…碇三佐、綾波一尉!」

”ガチャン!”と開いたハッチから出てきた人影を確認した事務官は、緊張しながらも素早く最敬礼した。

「ご苦労様です。」

柔らかな表情で出てきた上官は、美しいドレスを着た可憐な美少女と腕を組んで降りてきた。

「…………ハッ、こちらです!」

事務官はその少女に一瞬目を奪われてしまったが、何とか自分の任務を思い出す事に成功した。

シンジ達は、男の案内でエレベーターに乗り込み目的地に向かった。

白銀の少年は南極調査船から直接、第3新東京市に召喚されてしまったので、

 このビルを訪れるのは一年以上振りの事であった。


……事務官に案内されたシンジとレイは、ワーグナーの執務室を訪れた。


”コンコン”

廊下のカメラで訪問者を確認した総司令官の声がインターフォンから聞こえる。

『入りたまえ。』

”チャ”

「失礼します。…お久しぶりです。ワーグナー閣下。」

「よく来てくれたね、A・O……いや、碇シンジ君、綾波レイ君。さ、そこに座ってくれたまえ。」

ワーグナーはイスから立ち上がりソファーを指差すと、内線電話で秘書官と連絡を取った。

そして、総司令官は少女の姿に少し目を凝らすように見て柔らかく笑った。

「……ドレス姿も美しいな、レイ君。」

「…ありがとう御座います、閣下。」

ソファーに座ったレイは”ペコッ”と頭を下げた。

「ん?シンジ君、その手はどうしたのだ?」

「あ、ちょっとヤケドをしてしまいまして。」

「大丈夫なのかね?」

「ええ、演習には参加します。大丈夫ですよ。」

「そうか。…さて、その特別演習の詳細なんだが。…これは、あの委員会には詳しく報告していないんだ。

 良く分からないが、彼らは君達が集まるのを快く思っていないみたいだからね。」

「…失礼します。…どうぞ。」

秘書官がコーヒーをシンジ達の前に差し出した。

「…あ、すみません。」

コーヒーカップを左手で受け取ったシンジは、向かい側に座った総司令官に顔を向けた。

「…閣下、明後日からの演習はドコで行うのですか?」

「大涌谷で行う予定だ。第3新東京市の近郊で、というのがNERVからの条件でね。

 ……元トライフォースと国連の選りすぐりの兵員で2日間の演習を予定している。」

「突然で、しかも短期間ですね。…何かあったのですか?」

「…ふむ、先日の戦闘でね。在日国連軍の士気が大きく落ち込んでいるんだ。」

ワーグナーの話を聞くと、

 先日行われた使徒に対する作戦でN2以外では敵にダメージを一切与える事が出来ず、

  損害を被っただけの国連軍の兵士の士気はかなり落ち込んでいる、という事だった。

「そこで、国連軍のヒーロー部隊である、トライフォースとの特別演習を企画したんだよ。」

”ニコッ”と笑う総司令官はどこか楽しそうであった。

「予想通り…希望者は予定数の300倍、

 陸・海・空、海外部隊も含めて12000人も手を挙げたんだ……盛り上がるぞぉ!」

「閣下、まさか……」

シンジはそれだけの人数を集めるのか、と目を見開いてしまった。

「あぁ、もちろん…予定数をオーバーするが60名を抽選で決めている。

 それに私も参加するよ。久しぶりの演習だ。……ふふふふふ……楽しみだなぁ〜。」

いたずらっ子のように笑うワーグナーにシンジは”タラッ”と汗をかいた。

「閣下、トライフォースの皆は参加するのですか?」

「ああ、国連軍はな。……霧島君は参加出来ないそうだ。……先程、戦自から返答があった。」

「…そうですか。」

「大涌谷で行う演習は、模擬弾を使用したフラッグゲームを予定している。」

「…へ……あの〜閣下、それって。」

シンジは、ワーグナーの話を聞いて少し呆れた口調になってしまった。

「日本には昔からファンが居るんだってな?」


……何故か、日本の文化を学んだんだぞぉ…どうだ?…と得意気な国連軍のトップ。


少女は今まで黙って二人の会話を聞いていたが、思わず少年の顔を見て口を開いた。

「サバイバルゲーム?…碇君。」

「…そ、そう言う事みたい…だね、綾波。」



………夜。



「…手伝うわ。」

長野県から自宅に帰ったシンジは、自室でレイに着替えを手伝ってもらっていた。

「…ごめんね。」

軍服の上着を脱がしてくれた少女に申し訳なさそうな顔で少年が言った。

「何が?」

「いや、手間かけて。」

「私が碇君の事で、手間なんて思った事は一度も無いわ。」

「あ、ありがとう。綾波って本当に優しいんだね。」

「…碇君にだけ。」

そう言いながらレイはシンジの背に”ぽふっ”と抱き付いた。

「あ…そ、そう。あ、ありがとう。」


そして、シンジとレイはメイド達が腕を振るった退院祝いの料理を楽しむ為にダイニングルームに向かった。



………襖の部屋。



トウジは”アレ”から学校に行かなかった。……いや、正確には行けなかった。

”あの日”から既に3日経っていた。

窓の外は相変わらず厚い雲に覆われて薄暗く、そして雨が降っている。

(…はふぅ…イインチョ……ってワシ、何しとんのやろ?…明日は、月曜日や。ガッコに行かんと…ふぅ。)


……翌朝、傘を手に学校に向かう途中、寝不足状態のトウジの足取りは非常に重いモノだった。


(イインチョに会ったらどないすれば良いじゃろ……お、雨やんどるんかい。)

用の無くなった傘を”ボンヤリ”と見ながらトウジは通学路の途中にある公園に入って行った。



………公園。



「あれ?トウジじゃない。…どうしたの、こんな所で?」

”ぼぉ〜”とベンチに座っていたジャージの少年は、後ろから聞こえた声にゆっくりと反応を返した。

「……センセ。」

トウジが振り返ると、中学校の制服を着た白銀の髪の少年と蒼銀の髪の少女が立っていた。

「おはよう、トウジ。」

「おはようさんですわ。」

「どうしたの?…遅刻しちゃうよ?」

「いや、それより…センセ、その手は?」

ジャージの少年は、シンジの右手を覆う包帯を見た。

「あぁ、これ?…ははっ、ちょっとヤケドしちゃってね。」

照れ臭そうにシンジが笑った。

「はぁ、そうなんでっか。」

トウジはそう言うと、顔を下に向けて黙り込んでしまった。

「トウジ、学校に行かないの?」

いつもと違うその様子に、シンジは心配そうな顔になって窺うように聞いた。

「センセ、ワシは…………ワシぃ学校、行かれんのですわ。」

「え!?…どうして?」

「え?…あ、そ、の。えっと。」

トウジは話しづらそうに”チラチラ”とレイを見た。

『…碇君?』

『う〜ん…多分、洞木さんの事なんだろうねぇ……』

『洞木さん?』

『トウジは自分の気持ちを持て余しているんだよ。

 意識し始めた”初めての恋”の始まりかな………きっと戸惑っているだけなんだろうけど。』

『…そう。』

『ま、乗りかかった船か……しょうがない、ちょっと相談に乗ってあげよう。』

シンジはレイの朝日に輝く深紅の瞳を見詰めた。

「綾波、ごめん、先に学校に行ってて。……僕も直ぐに行くから。」

「そう、分かったわ。」

レイはシンジの真紅の瞳を優しく見詰め返し”コクッ”と頷いて、静かに歩いて公園を後にした。

その様子を黙って見ていたトウジは、シンジの顔を”チラッ”と見て、また直ぐに視線を地面に落とした。

「…スマンです、センセ。」

「いいんだよ、だって友達じゃない。……で、何があったの?」

シンジはトウジの座るベンチに腰掛けた。

「あの、ワシ…何やようワカランのですわ。」

「?」

シンジは悩みを打明けようとしている少年の、若干頬を染めながらも苦悩に満ちた横顔を見た。

「…イインチョの事、単に五月蠅い女やっち思っていたんやけど…………その、この前の事ですわ……」


……トウジはシェルターでの出来事をシンジに打ち明けた。


「センセ、ワシはどうしたんやろうか……おかしいんや。ずっと、イインチョの事を考えているんや……。

 ほんで、イインチョの事を考えると…こう、突然…胸の奥が苦しうなって、心臓もバクバクになるんや。」


シンジは出来うる限り優しい口調で、ゆっくりと噛み砕くようにジャージの少年に言った。


「…そうか、そうなんだ。ねぇトウジ…それって、洞木さんの事が”好き”って事なんじゃないのかなぁ。」


……自分の気持ちを”ハッキリ”と言葉でカタチにされたトウジの顔が、”ボッ”と真っ赤になった。


「…わ、ワシがイ、イインチョの事を……」

「え、違うの?……洞木さんの事、嫌いなの?」

真紅の瞳と視線が合ってしまったジャージの少年は、落ち着きなく目を泳がせて取り乱していく。

「え?…せ、センセ…い、いや…ワシは…」

「…はぁ。…”漢”らしくないよ?トウジ。……自分の気持ちに向き合えないなんて。」

”ピクン!”とシンジの言葉にトウジが反応する。

「そ、そんな事無いですわ!!!…ワシは唯、こんなこと初めて……で…そ、の……」


……語尾が弱弱しく小さくなったジャージの少年に、シンジが聞いた。


「トウジはどうしたいの?」

「…っへ?ワシですか?」

「うん、トウジは洞木さんとどうしたいのかなって。」

トウジはしかめっ面になりながら唸った。

「う〜〜〜ん、イインチョとでっか。……ワシは、」

シンジはトウジの話を遮った。

「彼女の名前って、イインチョ…じゃないよね。」

「え…」

「ちゃんと向き合うって、決めたのなら…ちゃんと彼女の名前で呼んであげなよ?」

「イインチョの名前でっか……そんなん…む、無理や!!無理ですわ。」

「どうして?」

「そ、そんなん…は、恥ずかしいですわ!」

「そうかな。」

トウジはシンジを横目で見ながら言う。

「…第一、センセも綾波っちゅうて、名前で呼んでないやないですか。」

「あぁ…僕は、前は名前で呼んでいたんだけど、今は呼んでいないんだ。」

「ほな……」

「結婚したら、綾波って呼べないじゃない。……だからさ♪」

シンジはベンチから立ち上がって、自分を見上げているジャージの少年を柔らかい表情で見た。

「ま、呼び方は人それぞれだから良いけど……向き合うって決めたんなら、ちゃんと学校に行こう?…ね?」


……シンジに促されてトウジは第壱中学校に向かって歩き出した。



………中学校。



さて、シンジより先に教室に入ったレイは窓際の席に座ると、頬杖をついて窓の外を見ていた。

「あ、綾波さん…おはよう。」

ヒカリは花瓶の水を取り替えて教壇近くの窓際に置くと、そのまま歩いてきた。

「おはよう、洞木さん。」

「あれ、碇君は?」

「後で来るわ。」

「珍しいわね、一緒じゃないなんて。」

「…そうね。」

”ガラ!”

ちょうどその時、シンジとその後ろから黒いジャージの少年が教室に入ってきた。

「おはよう、洞木さん。」

「お、お、おはようさん、イインチョ。」

「あ、おはよう、碇君。す、鈴原も。」


……トウジを見たヒカリの頬は少し赤かった。


シンジはそのまま自分の席に座ってレイを見た。

『…碇君。』

『ま…後は本人同士の問題さ。もう僕は何もしないよ。』

トウジは席に荷物を置くと、ヒカリの前に来た。

そして、真剣な眼差しでお下げの少女を見て、意を決したように言葉を出した。

「イインチョ…放課後、話があるんや。いいかの?」

「…わ、分かったわ。」

ヒカリは、彼の真剣な表情と予想もしなかった言葉に、何とか返事をするのがやっとであった。

クラスの生徒達は、これでほぼ決まったであろうカップルをからかうほどの余裕は無かった。

なぜなら、シンジ達の影響もあるが…自分が売れ残るような恐怖を感じ始めていたのだから。

特に女子は真剣な表情だった。


……奥手のヒカリと”ガキ”のトウジがカップルになるなんて卒業するまで有り得ないと踏んでいたのだ。


(……”前のとき”の罪滅ぼし……ってワケじゃないけど…お幸せにね、トウジ。)

シンジは前史を少し思い出した。

その波動を感じたレイは、”スッ”と少年の手を握って彼の心を優しく暖かな波動で包み込んだ。

『ありがとう、綾波。』

『…碇君。』



………放課後。



週番であったトウジは教室の机を整理したり、ゴミを出したりと仕事をしていながら、気はそぞろであった。

朝、彼女を見た時に思わず”話がある”と言ってしまったが、

 実際その後、冷静に考えると…その少女に何をどう言って何を伝えたらいいのか…良く判らなかった。

彼は、今日一日の授業の時間を全て使って色々考えていたが、結局…結論は出なかった。

「…よし、これでお終いや。」

自分の机からカバンを取り、夕日の赤い色に染まった静かな教室の黒板を何となく”じっ”と見詰めた。

(漢らしくないで!…昼ん時にセンセに言われたやないか、自分の感じている想いのまま言えばええって。)

ヒカリには、近くの公園で待ってもらっている。

(アカン、はよいかんと。…イインチョに悪いで。)

白いカバンを肩に掛けると、トウジは意を決したかのように力強く歩いていった。



………公園。



太陽も大分低くなり、風のない空に赤く染まった大きな雲が浮かんでいる。

この公園は、市立第壱中学校から程近い場所にあり、女子生徒の間では有名な告白スポットであった。

今…ベンチに”ポツン”と座っている一人の少女が、落ち着きなく視線をあっちこっちに泳がせていた。

(まさか、ここに私がいるなんて。)

友達と交わすいつものおしゃべりには、この公園の恋愛エピソードが特に多かった。


……誰がいつここで告白したとか、あの子は想いを伝えて、それは叶わなかったとか。


ヒカリはこの公園に入る時に別の誰かとかち合ってしまわないか、本気で心配したほどだった。

「はぁ。」

お下げの少女は、今日一日まともにトウジを見る事が出来なかった。

朝、自分に向けられた彼の真面目で真剣な表情。

…そして、昼休みが終わり、午後の授業が始まる直前に放課後ここで待っててくれ、と言った時の表情。

「はぁ。」

ヒカリは、彼に早く来て欲しいような、来ないで欲しいような……そんな”もやもや”とした気分だった。

「はぁ。」

先程から何度ため息をついているのか、自分のヒザに落とした目を上げる事なく”ボンヤリ”と考えていた。

「おまっとさん、イインチョ。」

細長く伸びた影が自分の足に掛かったのを見たのと、声が聞こえたのは同時だった。

ヒカリはゆっくりと顔を上げた。

「ううん、そんなに待っていないわよ。…鈴原、ちゃんと掃除した?」

「おう、もちろんや。」

ジャージの少年は沈みかけた太陽を背に、お下げの少女から3mほどの場所に立ったまま動かなかった。

ヒカリは何か話題を…と必死に考えるが、頭は真っ白のまま何も浮かばず、時間だけが長く感じられた。

「イインチョ。」

「……な、なに?」

「しょ、正直に言う。……ワシ…ワシ……」

トウジは段々と声が小さくなり、視線を泳がせ、まるで壊れた機械のように頭を落ち着きなく動かし始めた。

(漢らしくないよ、トウジ。)

そんな彼の真っ白になってしまった頭の中に、シンジの声が聞こえたような気がした。

(…あ、そ、そうや、想っているままで…ええんや。)

ゆっくりと深呼吸をして、一度きつく閉じた瞳を”スッ”と開けたトウジは、真っ直ぐヒカリを見詰めた。

”どきん、どきん、どきん”

…胸を打つ心臓の鼓動がヤケに五月蠅かった。

”ゴクッ”

…喉がカラカラに渇く。



「…イインチョ、ワシ…イインチョの事……………好きやねん。」



その言葉に、ヒカリは無意識に立ち上がって両手を頬に当てた。

「そ、そんだけや。…すまんかったの、こんな時間まで…待たせてしもうて。」

トウジは、一旦視線を切るように顔を横に向けたが、またヒカリの様子を窺うように”チラリ”と見た。

「?…イインチョ?」

彼女は、まるで時が止まってしまったかのように目を見開いて固まっていた。

「あ、ああ、」

トウジの声で漸く自我の再構築を始めた少女は、顔を茹でた様に赤くさせた。

「あ、ああ、」

そんな様子に流石のトウジも心配そうな顔になる。

「だ、大丈夫け?」

「…だ、だ、大丈夫…。」

「そや、この前は……スマンかったの。」

「な、なにが?」

「シェルターや。…ワシ、逃げるように走ってもうて。」

「いいの、いいのよ、別に…。」

「いや、スマンかった。」

「鈴原…。」

ヒカリは”フラフラ”した足取りで、一歩、一歩とトウジに近付いていった。

「なんや、イインチョ?」

ジャージの少年は、自分にゆっくりと歩き寄るお下げの少女から目を離す事が出来なかった。



「わ…私も、鈴原の事……好きよ。」



トウジは、”ボン!”と火が出るような勢いで顔を真っ赤にさせた。

彼は今日一日自分の事で頭が一杯一杯だったので、相手から返事があるとはちっとも考えていなかったのだ。

「そ、そうなんか……。」

「う、うん。」

二人の距離は1mもなかった。



「…こ、これからも、よろしゅーな、イインチョ。」



これは30秒ほどの沈黙の後、トウジが何とかひねり出した言葉だった。

「うん♪」

少年は、嬉しそうに微笑んだヒカリの顔がとてもキレイだと素直に思って”ジッ”と見惚れてしまった。

「…お、遅うなってしまうさかい、も、もう帰らんと。」

太陽は殆ど沈み込み、空の半分以上が深い藍色に染まっていた。

「そ、そうね。」

ヒカリが公園の出口に歩き出すのを見たトウジは、そのまま彼女と一緒に歩き出した。


……お互い意識してしまうのか、帰路の途中は無言のままだったが、イヤな雰囲気ではなかった。


ヒカリが曲がり角の手前で立ち止まった。

「じゃ、鈴原…また明日、学校で。」

「…おう、また明日や。イインチョ。」

ヒカリが自宅の方へ歩いて行くのを見送りながら、ふとトウジは妹の言葉を思い出した。

(…ナツミの言う通りや。…こんなトコ家族に見せられんわ。)

ジャージの少年は少女の姿が見えなくなると、再び歩き出したが…朝と違ってその足取りはとても軽かった。





雨、逃げ出した後。ケンスケ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………大涌谷。



「あれ、雨が止んだんだ。」

ずっと降り続いていた雨は月曜日の午前中やっと止んだようだ。

メガネの少年が退屈そうに寝袋に横になって聞いていた、テントの布地を叩く雨音が聞こえなくなっていた。

学校をサボり、現実逃避中の少年はテントから出て周りを見た。

「うわ〜…やっぱり、土がぐちゃぐちゃだな。今日一日何してようか。」

ケンスケはテントに戻って”ゴロッ”と寝袋の上に横になった。

(はぁ、詰まらないな。)


……ぼ〜〜〜としている少年は、いつしか”こっくり、こっくり”と舟を漕ぎ出していた。


(いけね、寝ちゃったよ。)

テントから出てみると、既に辺りは夜になっていた。

ケンスケは太陽の落ちた暗闇の中、大涌谷の濃紺の空を見上げた。


「ふぅ…やっぱり、こういう自然の中にいるっていうのは…いいねぇ。」


……彼の独り言を聞くものはいない。


”りりりり……りりりり………りりりり”

虫の音が聞こえるこの空気を満喫するように、ケンスケは腕を体を伸ばしていた。

「う、う〜〜〜〜ん。よぉし…明日から”定期訓練”だな。シチュエーションを考えよっと。」



………国連軍、陸軍基地。



「隊長達は、明日コッチに来るみたいね。」

「じゃ、会えるのは本当に2日間だけなんだな…。」

少し残念そうな表情になったのは、引き締まった筋肉を纏う体格のいい黒人の男だった。

肩に届くセミロングの髪を揺らしながら隣を歩く女性は、書類の入ったケースで男の頭を軽く叩いた。

”パシッ”

「いてっ」

「もう、アルったら。そんな顔しないの。……ほら、さっさと”ここ”の司令に挨拶に行きましょ。」

「……へいへい。分かってるよ、カーチャ。」

廊下を進むと、懐かしい仲間達の姿が見えた。

「おやおや、ちょうど一緒になったねぇ……カーチャ、アル…元気だったかい?」

ベッキーが二人を見て声を掛けると、その横に立っていた二人も振り返って廊下を歩いてきた仲間を見た。

「お久しぶりです、ジャックロウ一尉、ウィリアムズ一尉。」

「お久しぶりぃ…アル、カーチャ。元気だった〜?」

堅苦しい挨拶をしたのはロビーで、気の抜けたような挨拶はエマだった。

「あなた達、元気そうね。」

「じゃ、せっかく揃ったんだ……みんなで一緒に着任の挨拶をしようぜ。」

アルが司令官執務室のドアをノックした。




アル、カーチャ、ベッキー、ロビー、エマの元特殊部隊トライフォースの面々が、

 2日間の特別演習の為に日本の国連陸軍基地に先程着任した、

  という情報は、兵士達に興奮と熱い空気を齎していた。

「おい、聞いたかよ?もうこの基地に着いているらしいぜ?…元”トラ”の隊員って。」

「ホントかよ?…あ〜オレ抽選に外れたんだよなぁ…くそ〜サイン貰えないかな?」




「…以上、5名の着任キョカをねがいマス。」

「う、うむ、許可する。

 ……君達の隊長は明日の朝、こちらに来るという事だ。それまで身体をゆっくり休めたまえ。」

「アリガトウございマス。…それでは、失礼しマス。」

カーチャを先頭に一斉に敬礼をして、アル達は司令官執務室を出た。

「…ふぅ!……いや、カーチャが日本語喋れてよかったぜ!」

廊下に出た瞬間、アルが”ドッ”と疲れたかのように肩の力を抜いた。

「A・O隊長に教わったのが役に立ったわね。…備えあれば憂いなしって感じだねぇ。」

ベッキーも”うんうん”と頷いていた。

「まさか、基地司令が英語を理解出来ないとは思わなかったわ。」

カーチャも”タラリ”と少し汗をかいていた。



………翌日。



「久しぶり、みんな。元気だった?」

国連軍に敬意を払う為に、白銀の少年と蒼銀の少女は国連軍の正装に身を包んで敬礼をしていた。

VTOL機から降りてきた少年の最初の一言は、出迎えてくれた懐かしい仲間達に向けてのものだった。

「ハッ、A・O隊長!」

一歩前に出たアルが代表して返礼をした。

「…ご苦労様です。」

レイの抑揚のない言葉も、その仲間を見る深紅の瞳には優しさに満ちている。

左手での敬礼を解くと、シンジは笑って言った。

「アル、A・Oじゃなくて、碇シンジで良いんだよ?」

「いえ、自分たちにとって隊長はA・Oです。」

「はははは♪……分かったよ。」

シンジの右手を見たアルの目が大きくなった。

「って、隊長…その手はどうしたんですか?」

「う…ちょっと、ヤケドしただけだよ。」

少年は少し恥ずかしそうに、その手を背に隠した。

アルの横に立っていた女性が、嬉しそうな微笑みを浮かべてシンジの前に立った。

「隊長、こちらです。」

カーチャが体育館のような格納庫に彼を案内するように手で指し示した。

一列に並んでいる隊員たちの顔は、みんな再会を喜ぶ笑顔であった。

「あれ、ワーグナー閣下は?」

「はい…閣下は直接、演習予定地にいらっしゃるようです。」


……暫く歩き、大きな格納庫が見えてくると、中に大勢の人の気配がする。


「…ねぇ、僕たちはここで何するの?」

何となく不安になったシンジは、カーチャに質問した。

「はい、午前中は戦術理論についての講義を…午後は装備を確認の後、大涌谷での演習を予定しています。」

「講義って、僕が?」

「もちろんです。」

「何も用意して無いよ?」

カーチャに困ったような表情を向けるシンジ。

「過去の作戦を題材と出来るように用意しています。…アフリカ大陸の作戦ですけど。」

「あ、もしかして…僕達のヤツ?」

「ええ、そうですわ♪」

カーチャは嬉しそうに笑った。


……2時間の時間を掛けたトライフォースの隊長の講義は盛況のうちに無事、終わった。



………控室。



「…お疲れ様。」

「ありがとう、綾波。」

ウーロン茶を受け取ったシンジは、少し疲れた顔だった。

「あれ、”綾波”だなんて、どうしちゃったんだい?…隊長?」

机の向かい側に座っていたベッキーが、少し目を大きくして少年を見た。

”コトッ”と紙コップを置いた少年は、正面の黄金色の髪をポニーテールに結っている女性に答えた。

「え、あ…あぁ。NERVに行ってからそう呼んでいるんだ。」

「どうしてですかぁ?」

その横にいたエマも興味津々な目で尋ねてきた。

「”レイ”と僕は婚約してね、結婚したら”綾波”って呼べないから、それまではそう呼ぼうかなってね。」

シンジは紙コップに残ったウーロン茶を飲み干した。

「へぇ、隊長…婚約したんだ。…おめでとう、レイ。」

カーチャは”ニッコリ”と笑って祝福した。

「…ありがとう。」

シンジの隣に座っていた少女は、嬉しそうに微笑んで答えた。

「さ、メシ食ったら大涌谷だ、準備しようぜ!」

アルがそう言うと、それぞれ立ち上がって食堂に向かった。



………NERV本部。



その頃、ジオフロントに15機の重戦闘機が降り立った。


”キュゥゥゥーーーーーーーン………”


「わざわざの出迎え、恐縮ですな。」

「……いえ、歓迎しますよ、閣下。」

タラップを降りてきたのは、鍛えられた身体をその軍服に隠している金髪、碧眼の国連軍のトップだった。

出迎えたのは、特務機関として特殊な軍事組織を率いるサングラスの大男だった。

「…こちらです、閣下。」

金髪の女性は日本人だが、流暢な英語で客人の案内を始めた。

リツコを先頭に、ゲンドウ、ワーグナーは総司令官執務室に向かって歩き出した。



………総司令官執務室。



「…今日、明日と息子さんをお借りして申し訳ないね、碇総司令。」

ソファーに座り、徐にワーグナーが話し始めた。

「……いえ。」

同じように向かい側のソファーに座ったゲンドウは、ヒザに肘つき手を顔の前で組むと無表情に答えた。

「A・O…いや、シンジ君はNERVの所属になっても、国連軍のトップエースである事には変わらない。」

「…どう言う意味でしょうか?」

国連軍のトップは机に置かれたコーヒーを一口飲んだ。

「特殊部隊トライフォースは軍のなかでも人気でね。中でもA・Oと綾波レイ君はアイドル並なのだよ。

 …君達が”使徒”と呼んでいる敵に対して、我々国連軍は為す術もなく敗退した。

 それにより著しく士気が落ちてね。

 責任者としては、部下の士気を鼓舞するようなイベントを用意する必要があったのだよ。」

「…それが、今回の特別演習ですか。」

「その通り。…それに私としては、せっかく近くに来たのだから…ここを見てみたいと思ってね。」

ゲンドウが組んでいた手を離して顔を上げた。

「EVAを、ですか?」

ワーグナーはゲンドウの目を見て言った。

「見せてくれるかね?……あの決戦兵器を。」

「…いいでしょう。」



………第7ケージ。



「こ、これか…これが人類の守護神か……。」

「…はい。」

アンビリカルブリッジに案内されたワーグナーは、目の前に佇む紫の巨人に圧倒させられていた。

ゲンドウとリツコは、呆然としている男の後ろに立っていた。

「圧倒されるね、迫力があると言うか……世界の軍事バランスが崩れるな。」

「その為の、非公開組織です。」

「だが、諜報の目があるだろう?」

「フッ…戦自、ですか?」

ゲンドウは鼻で笑った。

「人払いをお願いできるかね、碇総司令?」

「赤木博士、整備部の人間を退室させたまえ。」

「はい、了解しました。」

リツコは携帯電話で発令所に連絡を入れた。

『…第7ケージは特別警戒態勢に入ります。職員は直ぐに退室してください。……繰り返します……』

「では、失礼します。」

金髪の女性が扉の向こうに消えると、ワーグナーはゲンドウに向き合うように身体を回した。

「私には、愛する妻がいるんだ……。」

ゲンドウは彼の突然とした話に目を細めた。

「…たった一人の子供はセカンドインパクトで亡くしてしまった。」

「お悔やみを申し上げます…が、この世界ではよくある話です。」

サングラスを右手で掛け直しながら言った男を見たワーグナーは、少し自嘲気味に笑いながら言った。

「フッははは……ありがとう。…その通り、よくある話だな。

 だが、今…本当の子供のように可愛がっている子たちが3人いるんだ。」

ワーグナーは初号機に向けて顔を上げた。

「シンジ君、レイ君。この二人は君のところにいる。…昨日のように無理に呼べば会う事も出来る。

 しかし、もう一人…霧島マナ君の情報が中々手に入らないのだ。」

「…霧島、マナ君ですか。」

ゲンドウも初号機の顔に視線を向けて確認するように呟いた。

「あぁ。…戦略自衛隊は元々の自衛隊を国連軍に吸収した事で出来た組織だ。

 なので、どうも国連軍に対しての印象はよろしくなくてね。

 彼女の情報が入らないのだよ。」


……ワーグナーの顔は娘を心配する親の表情に似ていた。


「閣下、どの様な娘なのですか?」

ゲンドウは視線を横に向け、軍服の男を見た。

「君の息子と同じ年齢で、あの試験を一般選出で受かった娘でね。」

「あの試験をですか…優秀ですね。」

「情報分析官という話だったので許可し出向と言う形で戦自に行ってもらったんだが……ね。」

「その後の状況が不明だと?」

「それだけではないのだ。」

「?」

「彼女の情報を得ようと、内偵を出して掴んだモノなのだが、

 何と戦自は独自の”対使徒兵器”を開発しているらしい。」

「……閣下、そちらが本題ですか?」

ワーグナーはゲンドウに向いて首を振った。

「いや、その兵器の情報は無理に得ようとは思っていない。

 先の戦闘を見れば余程のバカで無い限りそんなモノの開発は無駄だと分かるだろう。」

ゲンドウは相手の目を見て、彼の言わんとする事を察した。

「戦自はその”バカ”がいるのですよ。」

「ふむ、話にならんなぁ…EVAはN2以上の爆圧にも耐えたのだ、これに勝てるものは無いだろう?

 …使徒との戦闘映像はこちらでも分析していてね。」

ワーグナーはサキエルの自爆を思い出して、初号機を見上げながら言った。

「ま、どうにせよ…戦自に対して国連軍としては、動きようが無いのだ。波風が高くなるだけでね…。」

司令官の顔は苦渋に満ちていた。

「分かりました。特務機関NERVとして”独自”に当たってみましょう。」

「…君に大きな借りが出来たな。」

「御心配なく、ちゃんと払って頂きますよ。」

ゲンドウは口の端を上げて”ニヤッ”と笑った。



………国連軍基地。



”キューーン、シュンシュンシュ…シュバババババババババ!!”

3機の巨大な輸送ヘリのエンジンに火が入った。

2機にはそれぞれ30名ずつ、先日の抽選に選ばれた国連軍のエリート兵が乗り込んでいる。

もう1機は、食材やらテントやら今回の演習に必要な物資が”ギッシリ”と積み込まれていた。

シンジ達トライフォースは、ブラックホークと呼ばれる3機より若干小さな多目的ヘリに乗り込んだ。


……振動が激しくなり、離陸の瞬間はいつも独特の浮遊感に包まれる。


「じゃ、この移動時間を使ってブリーフィングをしよう。」

隊長であるシンジは、A1サイズの大涌谷の地図を広げた。

「よろしいですか、隊長?」

金髪リーゼントの青年、ロビーが手を上げた。

「…よっと。どうぞ、ロビー。」

シンジは、ベッキーとレイに丸まった紙の端をテープで止めてもらいながら返事をした。

「隊長は、トライフォースを解散された後、何をなさっていたのですか?」

その質問にテープを張っていたベッキーが乗っかった。

「そうそう、オーバー・ザ・レインボーにも何にも情報がなかったのよ。…リッジ提督が心配していたわ。」


……荷室にいる隊員たちの真剣な瞳がシンジを見る。


「解散の後、か。……僕はね、この一年近く南極にいたんだ。」

「南極?」

ベッキーが聞きなれない言葉を繰り返した。

「そう、南極。…あのセカンドインパクトの第3次調査団の一員として、働いていたんだ。」

「何があったんですかぁ?」

エマがシンジの顔を見て聞いた。

「あの惨劇の跡地、変容した海のサンプルの回収、詳しい事は専門家にしか判らないけどね。」

「隊長は南極から帰ってきてから、今は何しているんです?」

アルの直球な質問に、隊長である白銀の少年は苦笑した。

「ははっ…日本に帰ってきてから、僕は綾波と同じNERVの所属になったんだ。」

「NERV?」

カーチャが眉根を寄せて確認するように聞く。

「うん、NERV。…国連直属の非公開組織。強権と特権を与えられた組織。」

「そこで、隊長は何をされているのですか?」

ロビーが先を促した。

「ウワサは聞いているんじゃないかな?…正体不明の巨大生物兵器の事を。」

「それって……ホントだったの?」

ベッキーが驚きを隠せない、という口調で呟いた。

「僕の今の仕事は、人類滅亡の阻止。…NERVの決戦兵器を駆り、巨大生物兵器と戦っているんだ。」

「はぁ〜…相変わらず、隊長はスケールがでかいね!」

アルは”うんうん”と首を縦に振った。

「ま、この話はトップシークレットでお願いね。操縦士の二人もね。」

シンジはパイロット達に視線を投げて言った。



………ジオフロント。



「さて、では私は大涌谷に向かうとしよう。…今日は突然すまなかったな、碇総司令。」

「いいえ、構いませんよ。」

戦闘機に乗り込む国連軍のトップはその足を止めて振り向いた。

「では、頼んだよ。」

「…はい、出来るだけ速やかに動きましょう。」

国連軍機は大涌谷に向かって飛び立って行った。

ゲンドウは飛び去る機影を見送ると、自分の執務室に戻った。


”プシュ!”


そしてポケットから携帯電話を取り出して徐にダイヤルした。

”プルルルル、プルルルル、プルルルル…ピ!”

「はい、もしもし?」

ゲンドウは口の端を上げて”ニヤリ”と笑って用件を告げる。

「…加持一尉、仕事だ。」



………大涌谷。



”ザッザッザッザッザッ!”

「だっだっだっだっだっだっだっ!!!……どわゎぁぁぁああ!!」

ススキの生い茂る原っぱを駆けていた兵士が倒れる。

”ドサァッ!”

「ッ!…小隊長殿ぉ!!」

「……ぃけぇ……相田ぁ、行くんだぁ!!」

「し、しかし自分は小隊長を…置いては進めません!」

”スカッ!”

小隊長が相田三等陸士を殴りつける。

「ッバカもん!!」

「あぁぁぁ!」

”ドサァア!”


……相田劇場…いや、相田演習場…とでも言えばいいのか。


ケンスケは昨日から落ち込んだ自分の気晴らしにと、ここ標高1000mの大涌谷にいた。

彼はかなりディープなミリタリーマニアだ。

今まで何度も、自分の設定した仮想戦争を”一人芝居をして”体験し楽しんでいた。

(…違うよなぁ……やっぱり、これは遊びなんだよな。)

今まで漠然と強い兵器や屈強な兵士に憧れていたが、”先日の体験”で今までのように夢中になれなかった。

ススキやアセビがそよぐ風に揺れている。

ケンスケが倒れたまま、夕暮れに染まる空の赤と青のグラデーションを”ボンヤリ”見ていた時だった。



”……キューーン…シュババババババババ!”



突然と鳴り響いた空気を切り裂く大きな音に、ケンスケは”ガバッ!”と上半身を起こした。

「な、なんだぁ!?」

ケンスケは立ち上がったが”ゴゥ!!”と叩きつけられる様な強い風と、

 自分に向かって襲いかかってくるような大きな影に驚き、咄嗟に両腕を上げて頭をガードした。

「う、うわぁ!!」

腕の隙間から見ると、自分の真上を3機の大型輸送ヘリが連なって地面を舐めるように低空を飛んでいた。

その巨大なヘリは全長30mを超えるタンデムローター式の大型輸送ヘリコプター、チヌークであった。

600mほど離れた場所で3機の内1機はそのまま飛び去り、残った2機のヘリが空中で停止すると、

 後部ハッチがまるでクジラの口のように開いて無数のロープが投げ垂らされる。

そして別方向からもう1機飛来してくるが、こちらのヘリは先程の2機よりも少し小さく、速かった。

”バババババ”

「こっちはブラックホーク?…って何だ!?」

そのヘリからもロープが垂らされて、

 メガネの少年の近くに黒いボディアーマーに身を包んだ人間が素早く降りてくる。

ケンスケは唖然とした。


……突然何が起きたのか?


視線を反対側の輸送ヘリに向けると、ロープを利用して迷彩服を着た兵士が”ワラワラ”と降りていた。

そして、兵員が降りきるとホバリングしていた2機の大型輸送ヘリはそのまま飛び去っていった。

また西の方角から別の機影が見える。

”キュイィィィィーーーー!!”

独特な音で搭乗したのは15機のVTOL型の重戦闘機だった。

(うぉぉお!!)

メガネの少年は驚きと珍しいモノが見られた喜びを感じるが、それよりも大きく身の危険を感じ始めた。

ケンスケは取り敢えず自分の身の安全を確保しようと、茂みの中に身を潜めた。

(こ、これって…せ、戦争か?)




全身黒の防具で覆われた…小柄でラインを見ると女性と判る隊員が、細身の男性に声を掛ける。

「…隊長、演習開始まで後5分です。」

「了解、副隊長……う?」

黒いヘルメットにミラーコーティングしたゴーグルを付けている男が返事をしたが、突然…周りを見渡した。

(この波動って、ケンスケ?)

シンジは驚いた。

(……ここは、封鎖されているんじゃないの?)

「何かありましたか、隊長?」

カーチャも隊長が”キョロキョロ”としているのを不思議そうに見た。

「どうやら、一般人が居るみたいだ。始まる前に捕まえよう。…ロビー、前方30mだ、捕まえて。」

「了解しました。」

”ザッ!”

黒い男が茂みに走り込み、数秒すると男の子の声が聞こえた。

「ぷぎゃっ!」

(…いけね、手加減するように言うの…忘れてたよ。……ごめんねぇ、ケンスケ。)


……その悲鳴を聞いたシンジは”タラリ”と汗をかいたのは秘密だった。


ロビーは狩人のように獲物を肩に担いで運んできた。

「隊長、確かに一般人の様でしたが戦闘服を着てライフルを手にしていましたので、一応気絶させました。」

「ご、ご苦労様。」

シンジはケンスケがロビーの肩から降ろされ、地面に横にされる様を見て”やれやれ”とため息をついた。

「隊長ぉ、フラッグの準備が出来ました〜。」

「了解、エマ。…アル、少年を起こして。」

「はいよ!」

アルは少年の上半身を起こして、背中に当て身を入れた。

”ドン!”

「ぐ、ぅう…」

「よし…気が付いたな。」

アルが満足げに頷いた。

強制的に覚醒された少年は目を白黒させて周りを確認すると、自分の状態に驚いて首を左右に巡らせた。

自分を取り囲むように無言で立っている黒い集団に、ケンスケは恐怖を感じた。

「な、何なんだよ、あんたら!…人攫いか!!」

シンジは小声でカーチャに説明を頼んだ。

カーチャはケンスケの前に立つと、ヘルメットとゴーグルを外して、

 安心させる為に彼の目線の高さに合わせる様にしゃがんでから”ニコッ”と笑った。

ケンスケは、正体不明の”怖い集団”から出てきた外人美女に惚けたように見入ってしまった。

「スミマセン、私達は国連軍デス。…ココは演習で着ました。…すぐに演習は始まってしまいマス。」

片言の日本語で一生懸命に説明し始めた女性を見る少年の顔は、赤くなっていった。

「へ?…こ、国連軍…UN、ですか。」

「ハイ、そうデス。…あなたの安全を確保する為、私達と行動を共にして頂きたいのデスが。」

ケンスケは、他の隊員たちを見るように”ぐるり”と視線を巡らせた。

(見たこと無い戦闘服だな、このオレが知らないなんて?ううん?……あ!!!!)

訝しげな視線で観察していた少年のミリタリー知識に”ピン!”と、あるデータが引っ掛かった。

「し、失礼ですけど、もしかしてあなた達はトライフォースじゃないですか!?」

「oh!!」

こんな少年が自分達を知っているとは思わなかったベッキーは、思わす驚いて声を出してしまった。

「…そうデス。」

仕方ないわねぇ、とカーチャは苦笑しながら肯定した。

「す、すごい、すごい、すごいぃ!!!」

メガネの少年は突然立ち上がり興奮しきった様子で隊員たちを見た。

「マリア誘拐事件解決の立役者!!世界最大のテロ組織を壊滅させたエリート部隊!!!

 あの極秘部隊、国連軍最強の特殊部隊がこの日本に来ているなんて!!すごすぎるぅぅうう!!」

ロビーが興奮して騒いでいる少年の肩を持って、彼の口にタクティカルグローブをしたままの指で塞いだ。

「Be Quiet!」[静かに!]


……そして、その瞬間。


”ヒューーーーー…パァァン!!”

花火のような音が聞こえた。

国連軍のエリート兵とトライフォースの模擬戦。

…山中を利用した大掛かりなサバイバルゲームが始まった。

開始の合図を聞いたトライフォースの隊員たちは、一斉に隊長の方を向いた。

その時…シンジは片腕で逆立ちをして、腕を曲げ、足を曲げて身体を小さくするようにしていた。

彼の天に向いたブーツの足裏にレイが飛び乗った瞬間、シンジはバネのように力いっぱい身体を伸ばした。

少女はその力を利用し、一番高い樹の太い枝に向かってジャンプした。

ケンスケは、”ポカン”とその様子を見ていた。

レイは15mの高さにある枝を足場として、背負っていたスナイパーライフルを構え…迷いなく連射した。

”ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!”

その音を聞きながら、立ち上がったシンジはハンドサインで隊員たちを呼び寄せた。


……A・O隊長はケンスケを擁護しながら相手を撃破する作戦を考えた。


”ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!”

「ルールは先程の通り、相手の青いフラッグに触れるか、相手を殲滅するかだ。」

ケンスケは隊長と思わしき人物の英会話に、目を”らんらん”と輝かせて聞いていた。

”ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!”

レイは15発撃ち終わると、相手の様子を窺うようにスコープを覗いたままライフルを左右に振っていた。




”ーーーーヒュン!!ビシッ!!”

「いッてぇぇ!!……なんだ?…え!嘘だろう!!」

「ヒット!!」

「スナイパーか?」

「ヒット!」

「バカ!散開!!!身を低くしろ!!動けぇ!!」

「ヒット!!」

「くそっ!」

ワーグナーは目の前で次々にリタイアしていく隊員を見て舌打ちした。

「チッ…流石だな、トラめ!!」

総司令官は、開始直後に受けた予想外の被害に恐怖を覚えた。




「いいか、相手は我々の作戦を奇襲作戦と考えているハズだ!

 それもそうだろう、そこの少年を含め我々の戦力は8名…つまり彼我兵力差は61対8なのだからな!

 しかし、我がトライフォースに敗北の二文字は無い!

 我々の取るべき作戦は殲滅戦である!私は君達の戦闘能力ならば必ず完遂できるモノと確信している!

 これより、作戦を提示する!」

『碇君、敵兵が分散…もう射角が得られないわ。』

『ま、15人リタイアさせたんだ、閣下も悔しがっているだろうさ。降りておいでよ。』

『了解。』

隊長は、”クルッ”と身体をターンさせると、抜群のタイミングで上から降ってきた少女をキャッチした。

「す、すげぇ!!」

メガネの少年は、驚きの余り口を間抜けに大きく開けていた。

「副隊長のスナイプにより、敵兵は46名となった。」

横に副隊長を立たせた隊長は、振り向いて英語での説明を再開した。

「戦闘範囲を東側、中央、西側の3つに分割する。それぞれの幅は約300mとなる。

 アル、ベッキー、カーチャのA班は東側から中央へ、私と副隊長のB班は中央から西へ。

 エマとロビーのC班はその少年と自陣で赤のフラッグを護ってくれ、以上。」

A班の隊員たちは敬礼して了承すると、武装を手に走り出した。

C班は防衛ラインの確認をし始める。

B班のシンジ達は中央の兵員達の波動を確認して走り出した。

『ケンスケはどうしてココにいたんだろう?』

『…知らない。』

『ま、ケンスケもこういうのが好きだから、参加できるように後で閣下に上申してみよう。』

『…そう。碇君、前方400mに斥候を兼ねた突撃隊がいるわ。』

『うん、人の波動を感じるよ。…リリス?』

シンジの黒いボディーアーマーの左の内側に仕舞ってある紅い本から、喜色満面な波動が発生する。

『はいはい♪…お兄ちゃん、えっとね〜…このフィールドに居るヒトの波動のポイントを言うよ。

 う〜〜…中央前方に5、後方に7、東に13西に11、防衛に9+閣下のおじさんって処だね。』

『…ありがとう、リリス。』

そして間髪入れず、右側から別の波動が発生した。

『マスター、衛星軌道上にある国連軍の偵察衛星のシステム起動を確認しました。』


……この演習の各兵員の動きを記録して、後の講習会の資料にするようだ。


『…了解、ドーラ。なら、無茶な動きは出来ないね。』

生い茂る草葉や、行く手を阻むような木の枝をものともせずB班の少年少女は疾走した。

そのまま300m走り切った所で立ち止まった少年に、レイは彼の拳銃を用意した。

「はい、隊長。」

左手で受け取ったシンジは、ゆっくりと構えて5発の弾丸を一瞬で放った。

”ガガガガガァン!!”

「よし、これで…この音とリタイアした兵を見た後方部隊の足は鈍るでしょ。」


……100m先にいた斥候兵は身体に受けた突然の衝撃に、自分の死を理解し…ゲームから降板していった。


左腰のホルスターに拳銃を仕舞ったシンジは、少女の方に向いて左手を差し出した。

「副隊長、先に西に行こう。」

「了解。」

その手を握ったレイは、シンジと共に西に走り出した。




”ダダダ!…ダダダダ!…ダダダダダ!”

C班としてフラッグを守護すべく待機しているロビーは東側から聞こえる銃声に意識を向けていた。

(中央から侵攻してくる敵は、B班の攻撃をしのいでもA班に遭遇する…殲滅は確定的。

 西の部隊はB班のあの二人が相手では殲滅は確定。

 となれば、東側から残存兵による特攻がある、と予想しておくのが正解と考える。)

ロビーが戦況を真面目にシミュレーションしている後方、エマは退屈そうな少年に話し掛けていた。

「ねぇねぇ、キミ〜それを見せて〜?」

「え?……えっと、これを見たいの?」

エマの身振りで、何とかコミュニケーションを成立させるケンスケは、自分のオモチャを彼女に渡した。

「oh!」

(はぁ〜結構精巧に出来ているのねぇ〜…これじゃ、ロビーが危険を感じて気絶させるわけだわ〜。)

エマはメガネの男の子自慢のコレクションでもある、オモチャのライフルを”しげしげ”と見た。

(この人、敵が攻めてくるかもしれないのに遊んでいて良いのかな?)

ケンスケは軍人らしくない柔らかな…というよりも、のんびりとした雰囲気を持つ女性を不思議そうに見た。

エマは”ジッ”と自分を見ている男の子の視線に気が付くと、右腰に手を伸ばした。

”カチャン!”

手にしたグロック17と呼ばれる拳銃のマガジンを抜き、横に置く。

”カシャ!”

更に、スライドさせて薬室に残された弾丸を抜き取ると、興味深げに自分を見ているケンスケを見た。

そして徐に安全になった”本物”の拳銃を少年に渡した。

「え、見せてくれるんですか!」

恐る恐る拳銃を受け取ったケンスケは、その独特の重みに緊張した。

(これが、本物の……武器。)




ケンスケが”まじまじ”と拳銃に見入っていた時。

アルは舌打ちをしていた。

(チッ、中央側から敵兵…現るか。)

別の方角から飛んできた弾に、中央側からの敵兵の存在を確認した。

「カーチャ!挟撃される前に前進するぞ!」

「了解!」

「ベッキー左に回り込め!…中央側への移動を開始する!!」

3人は素早く移動を開始した。




「よし、西側の敵兵の殲滅を確認。…お疲れ様、副隊長。」

木の上から降りてきた少女を優しくキャッチした隊長は、そのまま優しくお姫様抱っこした。

レイは腕に抱えていたスナイパーライフルを地面にゆっくりと降ろすと、彼の首に腕を回した。

『碇君、中央側の敵が東に移動し始めたわ。』

『後方にいた7人だね、その内の3人が中央突破を狙っている。…東側の兵も2人生き残っているね。』

『…どうするの?』

『よし、一番近い中央3人をこちらで始末しよう。…その後、アル達と合流しようね。』

『了解。』

ゆっくりとレイを降ろすと獲物を確認したシンジは、西から中央側に向かってしなやかに走り出した。




”……ピュッ!”

ロビーが口笛を吹く。

エマはその甲高い音を聞くと、今まで纏っていた柔らかな雰囲気を一気に変化させてゆく。

「…隠れて!」

”カチャン!”

少年の手にあった拳銃を素早く奪い取るように手にしたエマは、マガジンを再装てんし戦闘準備を始めた。

「え!え!?」

ケンスケは彼女に腕を引かれて立たされると、木の陰に押しやられるように背を押された。

エマは、何か話そうと口を開いた少年の口に”そっ”と指を当てて、”静かに”とジェスチャーで伝えた。

”コクコク”と首を縦に振った少年を満足そうに見たエマは、ロビーの元に走って行った。

ロビーは身体を伏せて迎撃の姿勢をとっていた。

「…何人?」

「東側、2〜3人と考える。」

「了解、じゃ〜私が中央側に50mほど進むわ。十字砲火で歓迎しましょ〜…それでいいかしら?」

「了解した。確認次第迎撃する。」

「じゃ、また後でねぇ。」

エマはそのまま中央側に向けて、身を低くした中腰の姿勢のまま走り出した。




「カーチャ、行くよ!」

「了解、アル、援護よろしくね!」

中央側、後方から進軍してきた部隊は二手に分かれたという事を後悔した。

とりあえず、速攻でフラッグに触ればいい…と判断したのが間違いだったようだ。

なぜなら、中央側を侵攻した仲間のいるであろう、その方角から3発の銃声と悲鳴が聞こえたから。


……いつの間にか、状況は完全に不利に変化していた。


今の戦況は著しく不利だと判断し…防衛部隊と合流しようと後退し始めた兵士は後手に回ったと舌打ちした。

数瞬の判断の遅れが、命取りになるのは戦場では良くある事だった。

前方からの激しい弾幕を避けながら後退したその時、全く違う方向から襲撃された兵士は自分の死を悟った。




”ガガガ!”

(さすが、バートン一尉…素早い。)

ロビーは感心しながらも、ターゲットを確認してトリガーを絞った。

”ダダダダ!”

「ヒット!」

ケンスケは模擬弾とはいえ、目の前で繰り広げられる戦闘に身体を硬くし固まっていた。

(は、迫力ぅ〜〜…やっぱり、こ、怖い!!)

”ガ…ガガガガ!!”

”ダダダダダ!”

「ヒット!」




「アル、ご苦労様。」

「隊長、副隊長!!」

アルはゴーグルを外して、二人を見た。

「あれ、他の二人は?」

「東側50mほどにいると思います。」

「よし、合流後…敵本陣を攻める、行こう。」

「了解です。後方のエマとロビーは呼ばなくて良いんですか?」

「敵残存兵力は、防衛している9名と閣下だけだよ。後ろの二人はあの少年の相手をしていてもらおう。」

そう言ったシンジは前方に向かって走り出した。

「了解っと。相変わらず、足が速いねぇ!」

走り出した2人の後をアルは必死に走っていった。




「キサマら、恥ずかしくないのか!…まだ戦闘開始から15分だぞ!」

ワーグナーは余りの戦闘能力差に怒りを通り越して、呆れていた。

森林地帯を舞台にした演習に参加した自軍の兵が、次々に戻ってくる。

「閣下、4班の攻撃隊は壊滅しました。…トラがこちらに攻めてまいります。」

太陽は既に低く、暫くすると辺りは闇に包まれそうだった。

指揮官は模擬弾を装てんしたライフルを手に取った。

「よし、防衛準備!…情け無いが、敵に一矢を報いろ!…ヤラレた兵たちはキャンプの設営に回せ!」

「了解、キャンプ準備及び夜食準備に掛かります。」

二人の兵を連れ立って司令官は青色の旗の下に立った。

「…行くぞ、相手は言葉どおり一騎等千の猛者達だ。油断するな!」

世界最強部隊を相手にする防衛兵たちは、極度の緊張に包まれていた。


……報告を聞くと、彼我兵力差61対7は…今では司令官を含めても10対7になっていた。




「よし、作戦を変更しよう。フラッグを取りに行く。」

「隊長?」

紅茶色の髪をヘルメットに隠している女性はA・Oの言葉に顔を向けた。

「カーチャ、僕は無駄な争いはしないよ。スマートに行こう?」

「了解。で、どうするんですか?」

「アル、カーチャは東側、副隊長は西側で陽動してもらうよ。僕が中央から旗を取る。

 殲滅戦と思っている閣下たちは、まさか中央から来るとは思わないでしょ。

 ベッキー、悪いけど…後方の3人をここまで呼んで来て。その頃には終わっているからね。」

「了解、少年はどうしますか?」

「この演習の目的は国連軍兵の士気向上だ。目を輝かせた子供がいれば、景気付けになるんじゃない?」

「では、拘束はしないと?」

「うん。このキャンプには特に機密は無いよ…僕らの情報以外はね。」

「あ!…先程はスミマセンでした。」

ベッキーは自分の声で、メガネの少年にこの部隊の名がバレた事を思い出して”シュン”とした。

「?…あ、さっきの事は別に気にしないで?…僕らの個人情報がバレたワケじゃないし、ね?」

「はい、ありがとう御座います。」

「それに、あの男の子は僕の事を知っているんだ。」

「は?」

「学校のクラスメートなんだよ、実はね。…後で驚かせようと思っているんだ。」




「なぜ、攻めて来ない?」

ワーグナーは多少イラ立ちを感じていた。

「我々の出方を窺っているのでしょうか?」

「何れにせよ、今までの戦い方から見て敵は我々を殲滅させる気でいるのは間違いない。」

「そうですね。トライフォースの目は最初から旗なんか見ていないようですからね。」

ワーグナー達の目は暗闇に包まれた森の先を見ていた。

その時、東側から銃声が鳴った。

”ガガガガガガ!!”

”ピリピリ”と張り詰めていた兵士達の視線が、素早くその音源に向けて動く。

また、重い沈黙が周囲に訪れる。

「被害は?」

「大丈夫です、いません。」

「それにしても近いな、どこだ?」

”ダンダンダンダンダンダン!”

西側から聞こえてきた発砲音に”ビクッ”と全員が反応する。

「どこだ?」

「西側ですね!先程より近いです!!」

防衛兵達の警戒レベルがMAXになる。


……既に太陽は沈み、周囲は闇に包まれていた。


”ガガガガガガガガ””ダンダンダンダンダン!””ヒュン!”

銃声に紛れて空気を切る音が聞こえた。

ワーグナー達の目は、それぞれ左右の銃声の方向に釘付けになっていた。

黒い物体が巧妙に死角を衝いて青い旗が掲げられている樹の上に到達した。

「敵はドコだ!」

ワーグナーの上方から返事が聞こえた。

「ここですよ、閣下。」

「な!なにぃ!」

”ガバッ!!”と驚き…振り向いた指揮官の背後の樹の上には、青い旗を持った黒い男が立っていた。

「ま、まさか…いつの間に?」

「演習終了ですね♪…閣下?」

「あ、ああ。…終了の合図を出せ!」



”ヒューーーーーーン…パァアン、パァアン!!”




「な、なんだ?」

空中で破裂した花火の音を聞いた少年が暗くなった周囲を見渡すと、人が近付いてくるのが何となく見えた。

その女性隊員は少年の前に立つと、カメラがくっ付いているようなゴーグルを渡した。

「こ、これってナイトヴィジョンゴーグル?」

メガネの少年の頭を”ぽふぽふ”と優しく叩いたエマが明るい口調で話した。

「キャンプに行きましょ〜…隊長が呼んでいるわ。」

ケンスケは、僅かな星明りでも昼間のように鮮明な映像を映し出すゴーグルを掛けて歩き出す。

「す、すごい!…昼間みたいだ!!」

少年が”キョロキョロ”としながら歩いていると、その先にベッキーとロビーが待っていた。

ケンスケが暗闇の森林の中を慎重に2kmほど歩くと、大多数の人がいる開けた原っぱに出た。

そこは大型の照明で煌々と照らされていたので少年はゴーグルを外して、物珍しそうに周りに視線をやった。

「うぉ〜!!すごい!!正に国連軍のキャンプ地!!うぉぉ!!」

感動に浸っているケンスケを、エマは少し大きめのテントに案内した。

「失礼します、隊長…少年を連れてきました。」

「ご苦労様。」

メガネの少年がテントの中に入るとそこは長方形の机が置いてあり、その周りに座っている黒い集団がいた。

(トライフォースの拠点テントか?)

ケンスケが何気に視線を動かすと、その上座に座る隊長が立ち上がった。

「ケガは無かったかい?…ケンスケ?」

「あ、はい、大丈夫です…って………へ?」

思わず”ペコッ”とお辞儀をしたが、久しぶりに聞く突然の日本語と自分の名前に少年の目が点になった。

少年に声を掛けた男性は、徐にヘルメットとゴーグルを外した。

そのヘルメットから出てきたのは輝くような白銀の髪と真紅の瞳。


……ケンスケは自分の瞳に写った情報を上手く咀嚼できなかった。


目を”パチクリ”させている少年に向かってシンジはゆっくりと近付いた。

「ケンスケ…ちょっとすまないけど、僕に付き合ってくれない?…閣下に報告しなきゃいけないんだ。」

「は?」

「だって、ケンスケもこのまま強制退去じゃ、詰まんないだろ?」

自分の目の前に来た背の高い少年が、悪戯ッぽい笑顔で笑うとメガネの少年は漸く再起動した。

「い、碇じゃないか!!」

「そうだよ。」

「な、何してんだよ!、こんなところで!!」

「それは、僕のセリフなんだけどな。」

「それに、オマエその格好って……」

「あぁ、詳しくは話せないけど、僕は国連軍に所属していたんだ。NERVの前にね。」

「へ?」

ケンスケの顔は、正に”ハトが豆鉄砲を食らう”と言う表現がぴったりの表情だった。

「さ、行こう。」

迷彩服を着た少年は、そのままシンジに肩を押されるようにテントの外に連れて行かれてしまった。

「ねぇ〜レイ。あの男の子って隊長の知り合いだったの〜?」

エマは不思議そうな顔で副隊長に質問をした。

「…私達のクラスにいるわ。」

部外者がいなくなり、隊員たちは一斉にヘルメットとゴーグルを取った。

「クラスって?」

「…中学校。」

「隊長たちって中学校に通う意味あるのかよ?」

アルが首を捻っていた。

「…知らないわ。」

レイはシンジの装備をテーブルに広げてメンテナンスを始めた。

「あ!、そうね。ご飯の前に装備の点検整備、終わらせちゃいましょう?」

カーチャが他の隊員たちを促した。

「そうだな、メシまで…まだ時間有りそうだしな。」

アルは工具箱とウエスの入った袋を取り出した。




「失礼します。」

「碇三佐か、入りたまえ。何かあったかね?…………ん、その少年兵は誰だね?」

総司令官は、先程の演習での兵員の動きを衛星画像でチェックしていた。

その目を上げると、自分の息子の様に大切にし誇りに思っている少年がいたが、その横にも別の少年がいた。

(こ、国連軍、最高総司令官じゃないか!!!)

テントの中の人物を知っていたケンスケの時は止まった。

ワーグナーは眉間にシワを寄せて立ち上がった。

「閣下、この演習に巻き込まれた、僕のクラスメートです。」

「クラスメート?…巻き込まれたとは?」

「彼はたまたま、大涌谷で遊んでいました。…我々の演習予定地で。

 演習中は安全確保のため、トライフォースが彼の身柄を確保していました。

 周囲の安全を確認した我々国連事務局のミスと思いますが。」

「君の友達、なのか?」

「ハイ、そうです。彼は私の友達です。」

ケンスケはシンジと上官の英会話を聞いていたが、会話の”friend”という単語は理解できた。

(碇、オレを友達だって説明してくれているんだ。…やっぱり、友達でいてくれるんだ。)

メガネの少年は、素直に嬉しさを感じていた。

「……そうか。態々連れてくるという事は、彼に見学をさせて欲しい、とでも言いに来たのかな?」

「…はい、ダメでしょうか?」

「う〜ん、広報の一環と考えれば問題あるまい。それと、見学範囲のレベルも君の判断で良いぞ。」

我が子の我侭を聞く父親のような表情になるワーグナーは、何処となく嬉しそうにシンジと遣り取りをした。

「ありがとう御座います、閣下。」

「ふっ…あぁ。それでは、また後でな。」

「はい、失礼します。」

「あ、ちょっと待て。」

「ハッ。」

司令官にストップの声を掛けられたシンジは、出入り口に向けた身体を元に戻した。

「”A・O”、明日は負けんぞ?」

「閣下、”トライフォース”に敗北の文字は有りませんよ?」

「ふん…今日は指揮官である、私のカンが鈍っていたのが原因だ。先程の敗退でそのカンを取り戻せたよ。」

「了解であります。…楽しみにしております♪」

シンジは笑いながら敬礼をして、ケンスケとテントを後にした。

「おい碇、どうなったんだよ?」

「大丈夫、ケンスケは見学者として後で正式なIDを渡されるよ。だから、ここにいても怒られないよ。

 ねぇ、この演習って明日まであるんだけど、見て行くかい?」


……この申し出をミリタリーマニアの少年が断るワケが無い。


「え!!…い、いいのか!碇!」

「だって、こういうの好きなんでしょ?…男の子だもんねぇ。」

”クスクス”と笑っている同級生を見たケンスケは、

 何か自分よりも物凄く年上な人と会話をしているような錯覚を覚えた。

「ま、晩御飯まではこのテントで休んでてよ。」

先程のテントに入ったケンスケの驚きの声は何度目だろうか。

「あ、綾波さんもなのか!!」

「そうだよ、綾波も僕と同じなんだよ。」

レイはケンスケを見たが、特に気にする様子もなく…そのままシンジの元に近付いた。

「隊長、装備のメンテナンス終了しました。」

「あ、ゴメン、僕の分やってくれたんだ。ありがとう。」

シンジは少女の絹のように柔らかな蒼い髪を愛おしそうに優しく撫ぜた。

「…ぃぃ。」



………屋外、食卓。



シンジ達、ゲストであるトライフォースの隊員たちは最高司令官の御相伴に与っていた。

流石に最高司令官を擁する特別演習である。

国連軍最高のコックが腕を振るった料理は、キャンプとは思えないほどに豪勢であった。

「では、頂こう。」

ワーグナーの合図を以って始まる夕食は、このテーブル”以外”は祭りの屋台の如しであった。

焼きそば、お好み焼き、もんじゃ、カツ丼、カレー、フランクフルト…メニューの数は枚挙にいとまが無い。

ケンスケは、この純白でシミ一つ無い清潔なクロスが敷かれたテーブルで身体を小さくしていた。

席は無理を言ってシンジの横にしてもらった。……もちろん、反対側には彼の嫁が座っている。

「いっただっきま〜す。」

シンジは横で畏まっている居心地悪そうな少年の為に、ワザと日本語で大きな声を出した。

必要であればカンペキなテーブルマナーを守るA・Oの子供っぽい仕草に、ワーグナーを始め隊員たちも、

 数瞬だけ目を凝らしたが、その横の少年の安心したように変化した表情を見て理解した。

(ハハッ…流石に気が利くね、A・O。)

ワーグナーも”にっこり”と笑って食事を始めた。

ケンスケは、学校であった”イヤで辛かった事”も忘れるほど…今の自分の状況を楽しんでいた。


……そう、彼にとってありえない状況だった。
 

漠然とではあるが、憧れていた軍隊…その中枢にいる自分。

バイキング形式の料理を食べている周りの迷彩服を着た兵士たちも、きっとスゴイ精鋭部隊なのだろう。

しかし、自分は最高の部隊の一員と同じ扱いを受けている。

ケンスケは”チラッ”と横を見る。

(信じられないよな…碇が軍人で、トップエリート部隊の隊長だったなんて。…でも。…だからか。

 大人っぽいって思っていたけど、経験が全然違うんだな。尊敬すべき人だよ、うん。………って、え!!)


……その瞳に映ったのは、単純にイチャイチャしているカップルだった。


「綾波、これも美味しいよ。…はい、あ〜んして。」

シンジは食べ易い大きさに切り分けた鴨のローストを、愛する少女の口元に運んだ。

「あぁ…ん。」

美少女はホッペをピンク色に染め上げて、消えそうな小さな声で愛する彼に応えていた。

”…ん、もぐもぐ。”

「どう?…美味しい?」

”コクリ”

「はは♪…よかった。」

咀嚼し終えたレイは左手を添えて、シンジに香ばしく焼きあがった子牛のフィレ肉を差し出した。

「はい、碇君…あ〜〜ん。」

「うん、あ〜……ん、ん、ん…うん、美味しいねぇ。」

「…そう、よかった。」

レイは満足気な柔らかい表情で幸せ満開の笑顔になった。

(うぉぉおおおーー!!……あんな、綾波さん見た事ねぇぇぇえ!!!…い、イヤーンな感じぃぃい!!!)

ケンスケは未知の領域に踏み込んでいるカップルに悶絶した。

そんなメガネの少年の隣に、エマが座った。

「ケンスケ〜、美味しいわよぉ…これ食べてみなさいねぇ。」

お好み焼きを紙の皿に取り分けて持ってきた女性は、その皿を隣の席に座っている少年の前に置いた。

「あ、せ、センキュ〜。」

棒読みのような英語で答えたケンスケは、そんなカップルを見てもやはり楽しげであった。



………テント。



騒がしいバカンスのようなお祭り騒ぎが終わり、明日の演習の為に見張り以外の兵員は寝静まっていた。

ケンスケは何故か気に入られてしまったロビーのテントにいた。

(明日の演習…参加してもいいって、碇が言ってたな……う、うおぉぉー…寝れないよぉォォお!!)

シンジとレイは、お約束のように二人の専用テントにいた。

「…碇君。」

「何?」

仮設のパイプベットに横になっている少女が、イスに座っている少年に聞いた。

「…なぜ?」

シンジが彼女の深紅の瞳を見る。

「ん?…ケンスケの事?」

”コクリ”

「う〜〜ん……まぁ前じゃ”3馬鹿トリオ”って言われた位の友達だったからね。

 今幸せを感じているトウジばかりじゃ〜不公平かなってね。……唯、それだけだよ。」

「…そう。」

レイは彼に向けて横に起こしていた身体を”コロン”と仰向けに戻した。

「…綾波は、イヤだった?」

「どうでもいいわ。」

シンジは立ち上がって、少女の隣に腰掛けた。

「まぁ、せっかく彼の”歪み”が治りそうだからね。ちょこっとだけど…手助けかな。」

少年の手が少女の髪に優しく触れると、彼女は”すぅ”と瞳を閉じた。

「…そう。」

「ホント、綾波の髪って柔らかくて気持ち良いね。」

「そ、そう…」

若干…頬を染めた少女は照れているのか、薄いタオルケットでその顔を隠すようにした。

”ギシッ”

シンジは少女の横に”ゴロリ”と寝転ぶと、頭の後ろに左手をやった。

レイは”そそっ”と腕を伸ばして”ピタッ”とくっ付いてから彼の右腕を枕にした。

暫くすると、少年が”ぼそっ”と呟いた。

「……実際は、どうでも良かったんだ。」

彼の小さな独り言は、まるで懺悔の様だった。

紅い瞳を閉じた少女は、少年の波動を感じながら邪魔をしないように静かに彼の話を聞いている。

「…僕は自分勝手だ。」

シンジはテントの天井を見るとなしに見ていた。

「…人の事なんて何も判っちゃいない。……でも、判ろうともしない。……いや、知りたくないんだ。」


……呟く少年の言葉が小さなテントに響く。


この独白は、シンジの偽ざる本心だった。

神の力を持つ少年。そしてそれは巨大すぎる力だ。

意識しなくてもヒトの心の中など簡単に見えてしまうだろう。

そして”ヒトの心”を見てしまったら。……本音と建前があるのが普通の人間だ。


……ソレを見ながらでは多分、人間社会で生きていけないだろう。


だからシンジは”本能的”に力を使って見えぬようにフィルターを掛けている。

これは、紅い世界でリリスが教えた”無意識の力”の使い方だった。

「…ねぇ、僕は変わったのかな?」

「いいえ。」

蒼銀の少女は、彼の温もりを感じながら答えた。

「じゃ、変わっていないのかな?」

「いいえ。」

その答えを聞いた白銀の少年は、愛しい少女の顔を見た。

瞳を閉じたまま、レイは言葉を紡いだ。

「…碇シンジは、碇シンジ。…私の愛する人。大事な人。何があっても私の心に変わりはないわ。」

シンジはその言葉に、”きゅ!”と胸を掴まれるような感覚を覚える。

「ありがとう、”レイ”。」

「いい…ぁ。」

シンジは彼女を優しく抱き締めた。

彼女の柔らかな髪から甘い香りが少年の鼻腔を擽る。

「…暖かい。」

「わたしも。」

シンジはレイの温もりを感じながら、ゆっくりと眠りの世界に向かった。

「…綾波、お休み。」

「はい、お休みなさい…碇君。」


……翌日開始された演習の戦果、ワーグナーが喜んだトライフォース初の脱落者はケンスケであった。


「疲れた?…ケンスケ?」

演習も終わり、撤収作業を開始した国連軍キャンプ地。

「あぁ。いや、楽しかったよ。…碇、ありがとう。」

「撃たれた処、大丈夫?」

「ああ!…これは名誉の負傷さ!!」


……確かにエマを庇って被弾したのは事実だった。


「そっか。…うん、じゃ〜明日、学校でね。」

「…あ、あぁ。」

ケンスケはシンジの顔を見た。

(明日、学校で、か……本当のところ、行きたくない。あんな冷たい目で見られるクラスに入りたくない。

 でも。……でも、クラスのヤツらにどんな目で見られても、何を言われても。

 碇がオレの事を友達って言ってくれている限り、オレは学校に行かなきゃ…ダメだ。ダメだと思う。)

「…あの、オレさ…」

「どうしたの?」

シンジは顔を俯けたメガネの少年を見た。

「オレ、こういう軍人って言うのを将来の夢って感じで考えていたんだ。」

「?」

「漠然とね……でも、今日無理って分かった。」

「……ケンスケ。」

シンジは思わず彼の肩に手を伸ばそうとしたが、先に少年の顔が動いた。

「オレ、真面目に写真家を目指すよ。…決めたんだ。」

顔を上げた少年の瞳は力強かった。

「……そう、そっか。」

頷いたシンジは”写真”と聞いて、少し引っ掛かるモノを感じてメガネの少年に確認した。

「写真家ね。…あ、でも、」

白銀の少年の言わんとする事に気付いたケンスケは慌てるように答えた。

「?…あ!…分かってるよ、二度と盗撮はしない。オレを助けてくれた碇に誓ってね。」

それを聞いたシンジは安心したように笑った。

「ははははっ♪…頑張ってね、ケンスケ…応援するよ。」

「…碇も色々大変だろうけど、頑張れよ。」

「隊長ぉ!撤収作業終了!…離陸時間ですよ!」

アルがシンジの後ろに駆け寄ってきた。

「じゃ〜明日、学校で会おう…ケンスケ。」

「あぁ、また明日な、碇。」

白銀の少年はケンスケに背を向けると、そのままヘリに向かって歩いていった。

”ババババババババババ”

シンジ達を乗せたヘリが飛び立つ。



「いかりーー!!!…明日、がっこうでなぁぁあーー!!!」



……飛び去るヘリを見上げて、大きく手を振っているケンスケの顔は晴れやかな笑顔だった。






………某所。



その夜、ドイツから偽造パスポートを使って日本に戻ってきた男は、夜空に浮かぶ月を眺めていた。

(碇司令の特命任務か。…久しぶりに腕がなるなぁ。…最近はだらけた仕事が多かったからな。)


……暗闇に紛れ込むように佇む男は、周りに同化し何人にも気配を感じさせる事はない。


(戦略自衛隊の軍事研究所に潜入せよ、ね。…さてさて、一体何が出てくることやら。)

だらしなく伸ばした髪を1本に結っている男は、目元に笑みを残したまま…ゆっくりと歩き出した。







第二章 第十三話 「保険」へ










To be continued...


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