ようこそ、最終使徒戦争へ。

第二章

第十四話 決戦、第3新東京市。

presented by SHOW2様


再起動実験へ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………ジオフロント、総合病院。



”…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…”

薄暗い部屋の中、心電計が規則正しい音を出している。

この音は、センサーを取り付けられている対象が生きているという”生存の証”である。

白衣の男女が無機質な心電計の音を聞きながら、この部屋の中心にあるベッドの方を見て会話をしていた。

「無理を言って…こんな時間に、お手数をお掛けしました。」

女性が”ペコッ”と頭を下げた。

「いえ、いいんですよ。今日は偶々当番でしたからね。…でも、博士にも分からない事があったんですね。」

中年男性は意外そうな表情で、隣の女性を窺うように横目で見た。

「…内科は専門外ですから。」

その男の視線を感じて、少し困ったような口調で答えたリツコは苦笑すると、彼に視線を向けて質問した。

「……やっぱり、彼…入院ですか?」

消化器内科を担当する中年の医師は、彼女に見詰められて慌てたようにカルテを確認しながら答えた。

「あ、いいえ。…今は胃を洗った時の麻酔が効いているだけですから、明日になれば気が付くでしょう。

 そうしたら、そのままお帰りいただいて結構だと思いますよ。」

リツコは再びベッドに視線を戻した。

「…そうですか。では、明朝…迎えに来ますわ。」

カルテから目を上げた男は、金髪の女性の横顔を見て答えた。

「判りました。一応、ナースに注意するように伝えておきます。暴れたら危険でしょうからね。」

「あら、彼はそんな乱暴な性格をしていませんわよ。」

「そうなんですか?…ですが意識を戻したら、きっと混乱すると思いますよ。

 …なにせ、運び込まれた時は意識がなかったんですから。」

”…パタン”

白衣の男女は病室を後にした。



………白い洋館。



ターミナルドグマから自宅に帰ったレイは上機嫌であった。

何しろ愛する少年に、より一層近い存在に成れたのだ。

前史、最終局面でリリスと一つに”戻った”あの状態より、今の自分はこの身体から溢れる力を強く感じる。

その感じる強力な”力”こそ、シンジがくれた”モノ”だった。

今、その少年は風呂に入っている。

先に風呂に入ったレイは、身繕いを終えてリビングのソファーに一人で座っていた。

(……碇君がくれた、蒼い指輪…)

彼女は、ふと自分の首に掛かるネックレスの蒼い指輪を眺めると、先ほどのドグマでの補完を思い出した。



〜 白 〜



『さぁ…私に還りなさい。』

右腕を上げた蒼銀の少女の小さな声と波動が、霞む事なくハッキリと広大な空間に響く。

”…ドクン!”

彼女の宙に浮く身体の先に、震えるように動き出した巨大な”白”があった。

”……グッググゥ…”

”白”がその不完全な身体を起こし、力なく首をもたげると顔の7つ目の仮面がゆっくりと剥がれた。

レイは、巨大な腕が緩やかに自分に近付いてきた時、実は震えるほど緊張し、恐怖を感じていた。


……愛する少年は”大丈夫”と言ってくれたが、巨大なるリリスの力は前史の時に十分理解していたのだ。


もしかしたら……自分の自我が…この魂が、

 何よりも彼を愛するこの気持ちが消えてしまうのでは?…と無表情になった顔の裡で漠然と考えていた。

”…ドバッシャーーン!!”

下側から、巨大質量が液体に落ちる音が聞こえた。

そして周りの空間を閉じるように包まれて…まるで液体の様に、上からこぼれてくる白と自分が触れた瞬間。


その瞬間、”パァァン!”と自分が弾け飛んだような…

 一瞬にして白と自分の境界線がなくなってしまったような不思議な感覚に襲われた。


全く自分の身体をイメージ出来ない。……自分の意識である自我、魂しか判らないような状態だった。


(アッ!!)


その突然の変化に驚いたレイは、自分に起きた状態を確認しようと周りを見た。

身体を失ってしまった彼女が、直接イメージとして感じ取れた周りの世界は、”唯の白色”だった。


……何もない白い空間に、透明になってしまった自分がたゆたっている。


少女はそんな感覚を感じたが、自由に動くは一切出来なかった。

白と混ざる事なく、そこに在るだけの存在。

明るさも暗さもない白い世界に、ただ漂うだけの透明の少女。

時間の概念もなくなってしまったような漠然とした感覚。


……1年?…1秒?…いえ、1千年?…わからない。


全く変化のない世界に…今がアレからどれ位の時間が経っているのか、レイは把握する事が出来なかった。

そんな時、ふと色を失ってしまった自分の透明な右腕を、突然…何かが”グイッ”と後ろに引っ張った。

それは、まるで氷のように冷たい感触だった。


(…ッ!)


レイが突然の変化に、その感覚に驚いた…その時、周りの白い世界に変化が起きた。

”ドクン!”

自分の周りの全てを震わせるような、大きな鼓動音が響き渡った。

(なに?)

少女が、自分を後ろに引っ張った冷たい感覚を確認しようと、透明な頭を背後に向けた瞬間、

 その力は、あらゆる方向から感じられるようになり、彼女の”魂の身体”を引き裂くような強さに変わる。

(え!!…アッ!!!…クゥッ、ダメ!………消、え、る!…あ、ァァァアアーー!)

圧倒的で無慈悲なリリスの力で魂を引き裂かれようとしている少女は、その”力”に抗う事が出来なかった。


……彼女は、自分が何も出来ぬこの状態に恐怖した。


”ドクン!!”

さらに凍り付くように強まったリリスの力が、少女の周りに冷たく吹き荒れた時。


”…ポゥゥ…”


その時…レイは、まるで激しい嵐によって荒ぶる夜の海に、小さく灯った遠くの灯台を見たように、

 胸の上に儚げで小さな光が灯ったような、温かく柔らかい不思議な感覚を感じた。

(くっ!…………え?)

魂を消去される感覚に絶望を感じていた少女が”ソコ”に意識を向けると、

 プラチナのネックレスに通された蒼い指輪が、自分の目の前に揺れる様に在った。

反射的に彼女は、自分を引っ張る巨大なリリスの力に必死に抗って、

 その指輪を何とか”意識の両手”で掻き抱くと、透明な身体を丸めて愛しい少年を強く強く想った。

(ぐ、くぅ…ぅ…碇君!……碇君!…いかりくん!!!…)


……胸に抱いた指輪が、更に温かく力強く光り輝いたような気がした。


(…いかりくん………いかりくん…)


…彼女の胸を中心に、まばゆい光が溢れ出すと、そのまま透明な少女を包み込んだ。

気が付けば、彼女の身体を引っ張るような感覚は…いつの間にか消えて、周りの空間は暖かく変化していた。

蒼い指輪を世界一大事な宝のように抱く少女の表情は、自然と安心したような穏やかなモノになっていた。

そして、レイは少年との絆である太陽のように温かな指輪に、自分の意識を委ねた。

(…いかりくん…)

”スゥーー”と気を失っていくような感覚の中、レイはシンジの優しい笑顔を見たような気がした。



〜 リビング 〜



(…あれは…不思議な感覚だった。…まるで、この指輪が私を導いてくれたような気がする。)

レイは、プラチナのネックレスに通された蒼い指輪を右手に取り”ジッ”と見ていた。

(…そう、気が付いた時、”私は私”だった。)

手の平に輝く蒼い指輪を見るレイは、思慮の海を静かに泳いでいた。

(…心の解放。それは”力の翼”を広げ、体を伸ばしたときの感覚。…目を開けた時、指輪がまた光った。)

蒼銀の少女は、左手の人差し指で円を描くように指輪の周囲を”そっ”と撫ぜた。

(…そのまばゆい光が消えた後、身体の感覚が更に鮮明になった。…そして、私の補完が終わった。)

深紅の瞳に映る蒼い指輪の中に煌く天使文字が、その表情を変えるように”キラキラ”と光を反射している。


”…カタン”


「ふぅ、良い湯だった〜。…おまたせ、綾波。」

深い思考の世界に入っていた少女は、後ろから聞こえた少年の声に”ハッ”と意識をリビングに戻した。

「…碇君。」


……ゆっくりと振り向いて、愛しいシンジを見る少女の表情は、柔らかい笑顔だった。


「ゴメンね?待ったでしょ?」

”フルフル”

小さくかぶりを振った少女は、”じぃ”と愛しの少年を見詰めていた。

(きっと、碇君が…私の魂を護ってくれたのね。)

補完を終えたレイは、彼に護られていた”逆行のトンネルの時”のような満ち足りた幸せを感じている。

少年は彼女に風呂上りの時にいつも指定される、リビングの定位置に胡坐をかいて座った。

「…失礼します。シンジ様、お飲み物はいかがでしょうか?」

「あ、マユミさん…冷たいお茶がいいな。」

「はい、畏まりました。」


……日常は変わらず時間を進めている。


そんな中…動かず”ぽー”と惚けたようなレイに、マユミが気遣わしげに声を掛けた。

「…あの、レイ様?…こちらにドライヤーと櫛を用意しましたが。」

その少女は、シンジに意識を集中する余り、マユミの言葉に反応が遅れてしまう。

「…あ、ありがとう。」

少年の後ろにヒザ立ちになったレイは、ドライヤーの電源を入れて彼の神秘的な白銀の髪を乾かし始めた。

”フォォォーーー”

(幸せ…これがそう言うことなのかもしれない。)

レイはこの穏やかな時間が永遠に続く事を願った。


……そして。


”ことん”


ドライヤーと櫛がカーペットに落ちる。

「?」

シンジは、その音の方に首を動かそうとしたが、出来なかった。

なぜなら…少女のたおやかな白い腕が、シンジの首に絡むように組まれていたから。

レイは少年の後ろから、彼の右の首筋に顔を埋めた。

「ど、どうしたの?綾波。」

彼女の静かな息遣いを感じる少年は、驚いたように顔を少し動かした。

「…私、幸せ。」

鈴を転がすキレイな、小さな声がシンジの耳に届く。

彼女の蒼銀に輝く髪が柔らかく動くと、洗いたてのシャンプーの香りが”ふわり”と少年の鼻を擽った。

シンジは、その温かさを堪能するように”すっ”と瞳を閉じて暫く動かなかった。

そして、自分の胸元に組まれた彼女の温かな腕を両手で”そっ”と優しく包んだ。

”きゅ!”

「ぁ…碇君。」

白銀の少年は、蒼銀の少女に包まれている感覚に、自然と顔がほころんだ。

そして、真紅の瞳を閉じたまま…小さな声で呟いたシンジの言葉が、リビングに静かに響く。


「僕も幸せだよ、レイ。」


”ギュッ…”

その言葉に……歓喜に包まれた少女は少年をより近くに感じるために、彼を抱く腕に力を込めるのだった。



………技術開発部長執務室。



(…はぁ。こんな時間にNERVに戻って来るなんて。)

”カチッ”

金髪の女性は、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。

(ミサトと同居するっていう事は、命懸けって言う事かしら。)

日付が変わり、”今日”零号機の再起動実験を控えているという責任者が、

 この夜更けにNERVにいるのは彼女の友人のせいだった。

(…あのペンギンも不幸よね。)

部屋にコーヒーの香りが満ちてくる。

彼女はミサトが味付けしたカレーを食べて倒れたペンペンを、このジオフロントの病院まで搬送したのだ。

(一体、普段どういう風に世話をしているのかしら。)

”コポコポコポ……”

白衣の女性は、カップに注いだコーヒーを飲みながら先程の騒動を思い出すと、

 少し疲れたような表情を浮かべた。



〜 コンフォート17、葛城邸 〜



”バターン!”

勢い良く倒れたペンギンは、黄色いくちばしから泡を吹いていた。

「ちょ、ちょっと大丈夫?」

金髪の女性が、温泉ペンギンを”そっ”と抱き上げると、その動物は意識を失っているのか…動かなかった。

「ミサト!…ちょっと、ミサト!」

リツコは慌ててペンギンをリビングに運んだ。

”ゴキュ…ゴキュ…ゴキュ、……ッタン!!”

「プッファァーー、あら?…空になっちゃったわ。…もう一本♪…へへへ。」

缶ビールを振って中身が無いと判ると、ミサトは新しい缶に手を伸ばした。

”プシッ!…ごきゅごきゅ…”

美味そうにエビチュを煽る女性は、取り分け上機嫌だった。

リツコは、リビングのカーペットの上にペンギンを優しく寝かせると、ミサトが飲むビールを引っ手繰った。

「あ、ちょ!…あにすんのよ〜」

好物を奪われた家主は、金髪の女性を睨んだ。

「ミサト!!ビールを飲んでいる場合じゃないでしょ!…貴方のペット、死ぬわよ?」

「え〜?」

金髪の女性が指差す方向に”どれどれぇ”とミサトが顔を向けて、床に転がっている動かぬペンギンを見た。

「あらー、ペンペン♪…そんなトコで寝ているとぉ…風邪を引くわよぉ〜」

酩酊状態の女性は頭を揺らしながら、”げふっ”と下品にげっぷした。

「そんな悠長なこと言っていないで、さっさと病院に連れて行きなさい!!」

ミサトの友人はキレた。

「だみよ〜ん…もう飲んじったしぃー…運転出来ないわ〜ん…げぷっ。」

「その前に、あなた免停中でしょ!!………ふぅ。」

ため息をついたリツコのスキを衝いてビールを奪い返した家主は、構わず喉を鳴らす。

「あっ!」

「へっへ〜ん♪…いっただきぃ♪」

”ゴキュ、ゴキュ…”

「…クェェ…」

弱弱しく鳴いたペンペンの緑色の瞳から”ツゥー”と涙が零れる。

その様子を見たリツコは、彼を不憫に思うと、冷蔵庫からビールを補給している酔っ払いを無視して、

 優しくペンギンを抱き上げると、部屋を出てタクシーを呼んだ。



〜 執務室 〜



(ミサトの所で飼われているという事は、シンジ君も知っているハズね。

 …可哀想だから相談してみようかしら。ふぅ。…取り敢えず、仮眠の準備をしないと。)

白衣を羽織っている女性は、職場で仮眠を取る決心をするとその準備を始めた。

(あ、そうだ。一応、私も胃薬を飲んでから寝た方が良いわね。)

リツコは胃腸薬を探した。

(あったわ。…全く、とんだ迷惑ね。)

彼女は水で薬を流し込むと、白衣を脱いでハンガーに掛けた。

コーヒーメーカーのスイッチを切ったリツコは、応接用のソファーの背もたれを倒し、

 簡易ベッドを作ると、テキパキとシーツを敷いてクッションを枕に身体を休めた。

(ふぁ…明日、いえ、もう今日ね。…再起動実験か。……新兵装を……戦自研……)

金髪の女性は、ゆっくりと脳を休めていった。



………朝。



柔らかな朝日が、地上と同じように窓から降り注ぐ。

小鳥の囀りでも聞こえれば、正に爽快な一日の始まりになるだろう。

しかし、ここで聞こえるのは小鳥の鳴き声ではなかった。

「クェェェエエ!!」

「ちょ、ちょっと、落ち着いて!」

「クェ、クェェエ!(て、ドコだここ!)」

”テテテテテッ”

ナースの目の前で赤いトサカを揺らしたペンギンが、元気に病室を駆け回っている。


……少し時間を遡らせよう。



〜 それぞれの目覚め 〜



ペンペンは、目が覚めたら白い部屋にいた。

”キョロキョロ”と首を回して周りを見ると、見た事のない風景だった。

確か、自分は茶色い粘度の高い液体を口に含んで、胃が燃えるような感覚に身悶えて倒れたハズだった。

”カチャ!”

人間のメスが入って来たが、それは何時ものあの女ではなかった。

「あら、起きていたのね。」

ナースはバインターをベッドの備え付けの机に置いて、ペンギンの頭を撫ぜた。

「…先生が言った通り大人しいのね、あなた。ちょっとケーブル外すから…そのまま大人しくしていてね。」

ペンギンは、ボンヤリとナースにされるがまま、

 自分の身体からセンサーのケーブルを外されていたが、ふと自分の状況・環境の変化に気が付いた。

そう、ここはあの部屋ではない。


……もしかすると、自分は、解放されたのかもしれない。


ペンペンは喜びに震えた。

そして、ペンギンは喜びを表現するように元気にベッドから飛び降りて、病室を駆け回った。

「クェェェエエ!(やったーーー!)」

「ちょ、ちょっと、落ち着いて!」

「クェ、クェェエ!(て、ドコだここ!)」

”テテテテテッ”

「こら。…捕まえた!」

ナースは走り回るペンペンを抱き抱えた。



………部屋。



朝日が柔らかく部屋に降り注ぐ。

窓は少し開けられており…そこから時折、風が優しく舞うと白いカーテンをたおやかに動かしていた。

大きなベッドの羽毛のカバーがゆっくりと上下に動いている。

静かな部屋に、小さな寝息が聞こえた。

「くーーー、すーーー」

「…ぅ…ぅん…」

ベッドの上の膨らみが”もぞもぞ”と動くと、深紅の瞳がゆっくりと開いていく。

(あ…明るい…あさ……もう朝?……起きなきゃ……ん?…碇君、まだ寝てる…)

レイの瞳に白銀の少年のあどけない寝顔が映った。


……この少女がシンジより先に起きることは稀だった。


”じぃー”と、少年の無防備な寝顔を眺めるレイの眼差しは柔和だった。

やがて少女がゆっくり身体を起こすと、適度に爽やかな部屋の空気が羽毛のベッドカバーの中に入ってきた。

この屋敷の最上の部屋であるマスターベッドルームには、豪華なバスルームが用意されている。

(…シャワー、浴びましょう。)

レイは少年を起こさぬように気を付けてベッドから出た。

そして奥の部屋から自分の着替えと下着などを用意して、少女はシャワーを浴びに行った。



………ジオフロント。



”カチャ”

「あら、どうしたの?」

ナースが振り返ると、カルテを持ったリツコがいた。

「…あ、赤木博士。おはよう御座います。…彼が少し暴れまして。」

金髪の女性は、ナースに抱きかかえられているペンギンを見た。

「あら、ペンペン。よかったわ。元気になったのね。」

リツコはナースの側に歩き寄り、女性に抱えられている彼の頭を優しく撫ぜた。

「…クェェ。」

嬉しそうにリツコの愛撫に身を任せたペンギンが、一声鳴いた。

「じゃ、この子を引き取るわね。」

リツコがナースに顔を向けた。

「あ、判りました。…手続きはこちらで致しますから、このままどうぞ。」

「判ったわ。ありがとう。」

金髪の女性は、ナースの手を離れたペンギンを抱き上げて白い部屋を後にした。



………リビング。



「ぶぇっくしゅん!!!」

濃紺の長髪が頭の動きにつられて大きく動く。

「う〜……んっ。」

”しゅ!しゅ!”

ティッシュを手にした女性は、徐に鼻から空気を出した……景気良く。

”ビーーー!…ビーーー!……ごぞごぞ……ポイ♪”

白いティッシュを丸めてゴミ箱に投げたミサトは、ゆっくり周りの状態を確認した。

「ぬ、ぬぁによこれぇ〜〜〜」

テーブルの上に転がる、飲み干されたビールの空き缶の山。

テーブルの片隅には、金色の鍋の中に固着した茶色い物質。

彼女が昨日、努力して片付けたばかりの部屋は、”元”に戻っていた。

「あり?…確か、昨日はリツコが来ていたんじゃ?」

友人はドコにいるのだろう?と、半分寝ぼけたミサトが探すがいなかった。

(う〜〜?)

「りつこー、隠れていないで出てきなさ〜い。…貴方は完全に包囲されているわよ〜」

ワケの分からない事を口ずさみながら”ふらふら”とリビングを後にした家主は、トイレに入って行った。



………ベッドルーム。



眠りの森にいたシンジは、”ハッ”と突然の虚無感に襲われた。

…ない。…いない。

……いつもの感覚がない。…ない、ない。………ドコ?


……その刹那、彼は目が覚めた。


「あ、綾波ぃッ!!!」

”ガバッ”と上半身を起こした少年は、

 叫ぶように声を上げて、慌てた様子で”キョロキョロ"と周りを見渡す。


……誰もいない部屋。


瞬間…彼は、彼女の波動を感じようと目を閉じた。

(…あ、なんだ…シャワーか。……ふぅ、ビックリした。)

シンジにとって愛する少女との同衾は、最早当たり前…デフォルトになっているようだ。

少年は、彼女の所在を感じると、安心したように柔らかなベッドに再び身を預けた。

”ボフッ”

シンジはそのまま、柔らかなベッドの上で”うつらうつら”と眠りの森に戻っていった。


”…カチャン”


部屋の一角から、美しい白磁器のような身体に湯気を立ち昇らせている…風呂上りの美少女が出て来た。

彼女は、大きめの茶色いバスタオルを首に掛けただけの姿で、ゆっくりベッドに歩いて行く。

”パサ……ギシッ"

全裸の少女は、バスタオルを捨てるように落とすと…ベッドカバーを捲くり身体を滑り込ませた。


……そのベッドで寝ている白銀の少年は、先ほど彼女が見たあどけない寝顔のままであった。


蒼銀の少女のたおやかな体が少年に絡みつく。

シンジはむせ返るような女性特有の豊かな甘い香りに、無意識に小さく眉根を寄せた。

レイは躊躇なく彼の頭を優しく包み込むように自分の胸に抱いた。

”むにゅ!”

(ぅ?…む〜…むぅ〜、むぐっ……んぅ?)

息苦しくなった少年が真紅の瞳を開けて見たのは、雪のように白い肌。

(ふぇ?…なんだ?)

シンジは”ソレ”を確認するために無意識に頭を後ろに動かして、少しスキマを開けた。

”…むぎゅ!”

そして、”ソレ”は彼に追従するようにワンテンポ遅れて、再び少年の顔に柔らかなモノを押し付けてきた。

「…おはよう、碇君。…朝よ。」

少女の言葉が頭の上から聞こえた瞬間、シンジは正確に自分の状況を把握する。

「え!…あ!」

彼は頭を持ち上げようとした。

「あん、激しく動かないで。」

「ご、ゴメン……って、離してくれる?」

少年の頭は蒼銀の美少女の両腕にしっかりと抱かれている。

”ふるふる”

「ダメ。」

彼女の身体が小さく左右に揺れ動くと、その弾力のある柔らかな谷間にシンジの顔が更に深く包み込まれる。

「…ち、ちょ、ちょっと?」

シンジは無意識に彼女の背に手を回した。

「…ぁん!」

少年の手が少女の背に触れると、彼女の身体が”ピクン!”と小さく跳ねた。

「ちょ、ちょっと、綾波?…ど、”どいてくれる?”」

彼女の艶を含んだ声に、顔を真っ赤にさせたシンジがどもりながらお願いをした。

暫くして、レイは”しぶしぶ”と腕の力を緩めた。

シンジが彼女の顔を見ると、少女は少年と同じ位顔が紅かったが、何か満足したような表情だった。

(…?)

その笑顔を不思議そうに見た少年は、ある事に気が付いた。

(ん、もしかして。)

そう、今朝の少女の行動は彼女のイタズラだったのだ。……あの”セリフ”を言わせるための。

そして少年は、ベッドから降りて”ちらり”とレイを見て言った。

「…何?」

シンジのこの言葉は、ワザと抑揚のない調子だった。

白いベッドカバーに身を包んだ少女は、彼が気付いてくれた…と感じると嬉しそうに言った。

「くすっ…更新した新しいセキュリティカードを貰おうと思って。」

シンジはテーブルに置いてあったカバンからカードを取り出した。

「はい、綾波…キミの新しいカード。今日は受け取ってくれる?」

「…ええ。」

少女はようやく、彼からカードを受け取った。

「あの時の”逆”をしたかったの?」

茶色いバスタオルを拾ってベッドに座った少年は、先ほどの事を思い出して、少し頬を紅く染めた。

ベッドカバーで身体を覆っているレイは、

 その大きいバスタオルを彼から受け取ると少し俯いて、恥ずかしそうに答えた。

「…だって今の碇君では、同じ事…出来そうにないもの。」

「ははは。…そうだね。僕もシャワー浴びてくるから、綾波…風邪引かないうちに着替えてね。」

「そうね。」

”ん…チュ!”

少年は、彼女の桃色の唇を優しく奪うとシャワールームに向かった。

ベッドに残された少女の顔は、真っ赤に染まっていた。



………NERV、第2実験場。



オレンジ色の巨人が運び込まれている様子を、オペレーターの一人…青葉シゲルが見ていた。

『EVA零号機の搬送作業、及び拘束作業終了。』

「了解。…これより、再起動実験準備を開始する。…アンビリカルケーブルの接続準備を開始してくれ。」

『整備部第3班、了解。』

”プシュ”

実験管制室の扉が開いた。

「遅れてゴメンなさい、青葉さん。」

「…あぁ。マヤちゃん、おはよう。珍しいね、寝坊かい?」

ショートカットの女性の声に振り向いた長髪の男性が、挨拶を返した。

「あ、違うんです。…センパイの所に寄っていたら、いつの間にか時間が過ぎちゃって。」

メインオペレーターの一人であるこの女性は、少し恥ずかしそうな笑顔で”てへっ”と舌を出した。

彼女の楽しそうな雰囲気に興味を持ったシゲルは、顔を端末に戻してキーを叩きながら質問した。

「楽しそうだね…何かあったの?」

マヤは自分のイスに座り、実験場の作業状況と端末の状態を確認しながら彼に答えた。

「実はなんと今、センパイの部屋にペンギンがいるんですよ〜♪」

「…は?」

彼女の口から出た予想の遥か彼方の言葉に、流石のシゲルも手が止まってしまった。

「その子ってば、人懐っこくて、とっても可愛かったんですよぉ♪」

(…マヤちゃん、働きすぎて…ついに幻覚でも見たのか?)

彼が、ぎこちなく首を動かして窺うように見た隣の女性は、”にこにこ”と上機嫌な顔であった。

(…うん?…ペンギン?)

シゲルはその単語に引っ掛かりを覚えて、視線を管制室の天井に向けた。

「え〜と、ちょっと待ってくれ、マヤちゃん。…ペンギンって言った?」

ロンゲのオペレーターは何かを思い出すように眉根を寄せた。

「ええ、言いましたよ?」

それが何か?…と、マヤが端末にコマンドを打ち込みながら、彼の顔を横目で不思議そうに見た。

「…う〜ん、ペンギンって………セカンドインパクトで絶滅したんじゃなかったっけ?」

シゲルは顔を俯けて顎に手をやり、少し首を捻りながら思い出した知識を披露した。

「…え?そうなんですか?」

ショートカットの黒い髪を揺らして振り向いた女性は、少し目を大きくした。

「ああ、確かそう聞いたような気がしたけど。」

シゲルが顔を上げると、驚いた顔のマヤと視線がぶつかった。



………市立第壱中学校。



『…でね、私はこう思ったの。プリンをバケツで作ってみようって。』

『ぷっあはは、そっか。』

シンジは授業中、リリスとの他愛ない会話を楽しんでいた。

その横のレイは、静かにノートパソコンに向かっていた。

しかし、一見…真面目そうに見える彼女は、

 ドーラと一緒にネットでお弁当のレパートリーを広げる事に熱中していた。

これが、彼らの普段の授業風景だった。

キーンコーンカーンコーン。

『あ、授業終わっちゃったね。』

『ちぇー良い処だったのにぃ…じゃ、また後でね、お兄ちゃん。』

「起立ッ…礼!…」

学級委員長の号令がクラスにかかる。

そして教室は、休み時間の喧噪に包まれていった。

”ピピピピ、ピピピピ”

「…あ、電話だ。」

そんな1時限目の授業が終わった休み時間に、シンジの黒い携帯が鳴った。

彼はポケットの電話機を取り出しながら廊下に出て、通話ボタンを押した。

それは姉からの相談の電話だった。

シンジは、廊下の窓際に歩きながら通話をしていた。

『…分かったわ。ええ、大丈夫よ、この子とっても大人しいから。じゃ、待っているわ。』

「えぇ。それじゃ、また後で。」

”…ピ!”

「…何か、あったの?」

通話を切った少年の動きを見た蒼銀の少女が、彼の後ろに立って遠慮がちに声を掛ける。

白銀の少年は、携帯をポケットに仕舞いながら後ろに振り返った。

「ん…綾波、ペンペンって憶えている?」

シンジの質問に、彼女は”スッ”と瞳を横に動かして自分の記憶をサーチすると答えた。

「ぺん、ぺん……コンフォート17、”あの”マンションにいた…ペンギン?」

「そう、温泉ペンギンのペンペン……彼は今、NERVの姉さんの部屋にいるんだってさ。」

「…なぜ?」

少女は小首を傾げて少年の顔を見た。

「…昨日、姉さんは葛城二尉のマンションに行ったらしいんだ。」

シンジは、先ほどの電話の内容をレイに教えてあげた。

何でも、ペンペンは昨夜…飼い主が味付けしたレトルトのカレーを食べて倒れたらしい。

その飼い主は泥酔状態で話にならず、しょうがないとリツコがNERVの病院に連れて行った。

そして、治療を受け回復したペンギンは姉の部屋で元気にしていると。

彼から話を聞いていたレイは、ちょっと驚いた顔になった。

「…そう。ペンギンはカレーも食べるのね。」

そんな感想を漏らした彼女を見たシンジは、ちょっと可笑しそうに笑った。

「ふふっ違うよ、綾波。…多分、ペンペンだけじゃないかな。」

「…変わっているのね。」

「実験動物だったからね、彼。…そうそう、結構知能は高かった気がするよ。」

そう言ったシンジは、廊下の開いている窓の外に視線を動かして青い空を眺めると、少し遠い目になった。

時折舞い込む穏やかな風に、少年の白銀の髪が”さらさら”と揺れている。

レイは、”ピタッ”とシンジの横に寄り添って、彼と同じように青い空に浮かぶ白い雲を見ていた。

休み時間の学校の廊下…その喧騒から、まるで切り離されたような静かな雰囲気に二人が包まれる。

”キーンコーンカーンコーン”

「あ、教室に戻ろう…綾波。」

シンジは少女の方へ顔を向けると、同じタイミングで顔を動かした彼女の深紅の瞳と視線が合った。

彼の真紅の瞳を見たレイは、”クスッ”と微笑むと小さく頷いた。

「そうね。」


……今日、シンジ達は2時限目が終わればNERVに向かう予定だった。



………路上。



平日の午前中、中学校の制服を着たカップルが仲睦まじく街中を歩いている。

その様子を偶々目撃した女性がいた。

(あり?…あれって、チルドレンじゃない?)

その女性は、葛城ミサト…現在、飲酒運転にて免停中の身であった。

「シンジ君、レイ。…貴方たち学校は?」

その声に白銀の少年の足が止まった。

「あれ、葛城さん。…こんな所で何を?」

振り返ったシンジの真紅の瞳が、少しの驚きを表していた。

赤いジャケットに短パンの女性は、詰まらなそうに答えた。

「今日は遅番なの。これから仕事でNERVに行く途中。…で、アンタ達学校は?」

「…同じですよ。実験があるのでこれからNERVに行くんです。…そう言えば、車はどうしたんですか?」

「ん、あーちょっちね。」

「あぁ、飲酒運転で捕まったんでしたっけ?」

「ぐっ!」

余り触れて欲しくない話題に、ミサトの表情が固まる。

「…う、え〜と、あ、そうそう。今日は零号機の再起動実験だったわね〜」

彼女は少し引きつった表情のまま、ちょっと強引に話題を変えた。

「ええ、そうですよ。…それじゃ。」

シンジはミサトに一瞥をくれると、少女を伴って青信号になった交差点を”すたすた”と歩き始めた。

「ちょ、ちょっと、行き先が同じなんだから先に行くことないじゃない!」

赤いジャケットの女性は少し慌てた。


……なぜなら、方向音痴な彼女が電車でNERVに行くのは、今日が初めての事だったのだから。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

『相変わらず、騒がしいね。』

『…そうね。』

しかし、カップルはそんな事を言って、勝手に後ろに付いて来る彼女を無視した。

『…付いて来るわ、彼女。』

『多分、電車でNERVに行った事が無いんじゃないかな?』

『…不安なのね。』

『どうでもいいよ。』

『…そうね。』

「もうっ!」

その二人の様子に、コミュニケーションを諦めたミサトは、

 5mほどの距離をとって彼らを見失わないように黙って歩いていた。


”…ガタン、ガタン…ガタン、ガタン…ガタン、ガタン…”


NERV本部行きの電車にカップルが座り、ミサトは少しだけ離れた場所に座っていた。

(なんか…あの二人って中学生に見えないのよねぇ。子供っぽくないと言うか、可愛げがないって言うか。)

彼女の視線の先に映る二人は、長年連れ添った夫婦のように自然な雰囲気であった。



………NERV本部。



『…セントラルドグマは現在改装中です…グループ3は、第4直通ゲートを利用して下さい。……』

NERV本部へと続く最初の入口である金属製のゲートに、事務連絡を伝える女性の声が放送されている。

”シュ!…ピピ!…グォォオーン…ピロン♪ピロン♪ピロン♪…”

スリットにカードを通すと、チャイムが鳴り”07”ゲートが機械的な音を出しながら上下に分かれて開く。

ジオフロントへ下りる長大なエスカレーターにカップルが乗った。

その後ろに付かず離れず付いて来たミサトは、無事にNERVにたどり着いた事に、安堵の息を漏らした。

(ふぅ、良かった。…チコクしないで着いたわ。…これ以上減給になったら流石に暮らしていけないもの。)


……少し下にいる二人は相変わらず手を握り合って、くっ付いている。


(…これから再起動実験か。)

ミサトは、ふと少女に声を掛けた。

「ねぇ、レイ?…今日これから再起動の実験よね、怖くない?」

少女は聞こえていないのか、振り向きもしなかった。

「ちょっと、レイ?」

語気が強くなった女性に、レイは”ちらり”と振り向くと小さく一言返した。

「…何が?」

「何がって、前の実験の時に大怪我したんでしょ?」

ミサトは報告書の類を余り詳しく見ていない。…そして、先日マコトに実験時の話を聞いていたのだが、

 それも半分くらいしか頭に入っていなかったので、ケガと言う単語でパイロットだろうと思っていたのだ。

「…いいえ。」

「え?」

「…怪我をしたのは、碇司令。」

「へ?」

予想外の人物にミサトの頭脳は停止した。



………総司令官執務室。



”プシュ!"

エアの作動する音が聞こえる。

金属製の大きな扉から入って来たのは、背の高い白銀の少年だった。

「ん、シンジ君じゃないか。…珍しいな、一体どうしたのかね?」

ソファーに座るロマンスグレーの髪をオールバックに整えた初老の男性が、資料から目を上げて声を掛ける。

シンジはリツコの部屋に向かったレイと別れると、数限られた人間しか入れないこの部屋に来ていた。

その少年が、資料をテーブルに置いた男に答える前に、ゲンドウが口を開いた。

「冬月、今日の再起動実験は予定通り…13時に開始とする。第2実験場の準備状況を確認してくれ。」

「ん…あぁ、判った。」

茶色い司令官用の服を着た男は立ち上がりながらゲンドウに答えると、再びシンジを見た。

「…シンジ君、レイ君はどうした?一緒ではないのかね?」

この初老の男性は、保安部の報告で彼らがいつも一緒に行動している事を知っている。

「…冬月先生。今、綾波はこれから行われる実験の準備をしていると思いますよ。」

「ふむ、そうか。」

「…冬月。」

「…判っている。碇、オマエは雑用ばかりオレに押し付けおって……まぁ、いい。それではな、シンジ君。」

睨むようなゲンドウに促された冬月は、少し肩をすくめると…そのまま執務室を後にした。



………技術開発部長執務室。



”プシュ!”

「いらっしゃい、レイちゃん。」

「クェ!」

金髪の女性と同じように挨拶をしたペンギンは、その小さい右腕を上げていた。

「こんにちわ、リツコお姉さん。…ペンペンも。」

レイはカバンを両手で持ったまま、”ペコリ”と挨拶を返した。

「さ、こっちに来てソファーに座って頂戴。」

リツコは、資料と実験の手順書を束ねた書類を少女の前のテーブルに置いた。

”トテテテッ”

ペンギンは走ると、ソファーに座った蒼銀の少女のヒザの上に乗っかった。

「クェ!」

「あら、まぁ。本当に人懐っこいわね。」

リツコは眼鏡をケースから取り出すと、やおら掛けて資料に目を向けた。

「では、これから零号機の再起動実験についての説明、するわね?」

「…はい。」

返事をした少女は、ペンギンの頭を撫ぜていた。

「…クェ。」

ペンペンは気持ち良さそうに緑の瞳を閉じて寛いでいた。



………総司令官執務室。



……広大な部屋に、親子が離れた位置のままお互いを見ている。


「…シンジ。こっちに来て、ソファーに座ったらどうだ?」

少年は、真紅の瞳を閉じると小さくかぶりを振る。

「いや、もう直ぐ実験でしょ。…ゆっくりするつもりは無いよ。」

父親の言葉に子供が答えた。

「そうか。…では何かあったのか、シンジ?」

ゲンドウはいつもの様に、執務用の大きな机に肘を付くと顔の前で白い手袋の手を組んだ。

「父さん、今日なんだ。」

息子の言葉を理解出来ない父親は、確認するように同じ言葉を返した。

「…今日?」

瞳を閉じている少年は、父に答える。

「そう、今日。」

ゆっくりと瞳を開けて父を見たシンジは、そのまま言葉を続けた。

「…今日が母さんの帰って来る日さ。」


”ガタン!”


息子の言葉に大きな男が勢い良くイスから立ち上がると、そのイスは弾かれたように後ろに転がっていった。

「っ!なに!…シンジ、それは………い、いや、それでは死海文書の通り…今日、使徒が来るのか?」

数瞬の時間で冷静さを取り戻した総司令官は、赤い色の入ったメガネを右手で掛け直した。

少年は、また真紅の瞳を閉じて静かに頷きを返した。

「…そうだね。」

「では、これから予定していた零号機の起動実験は中止…ソレでいいな?」

ゲンドウは少年の方へ近付こうと足を進めた。

「いや、予定通りで良いよ。」

瞳を開けたシンジは、再び小さくかぶりを振った。

彼の反応に机の前で動かした足を止めてしまった父親は、首を縦に動かすと少年に優しい眼差しを向けた。

「そうか、判った。」

「父さん、使徒接近の一報を聞いたら、直接…初号機の出撃を命じて欲しい。」

「…なぜだ?」

少年の前5mの距離に立つ父が問うた。

「父さんに反対できる人がいないからだよ。」

「…そうか。お前が望むなら、そうしよう。」

ゲンドウは多少訝ったが、息子の話に首を縦に振った。



………女性パイロット専用更衣室。



少女は《Rei−A》と表記されたプラグスーツ用の特殊ロッカーから、白いプラグスーツを取り出した。

そして、彼女は着替える為に身につけていた衣類を全て脱ぎ、手馴れた様子で白いスーツを着込んでいく。

”プシュゥ…”

レイが、赤いプラスチック製のベンチに腰掛けて左手首のスイッチを押すと、

 エアが抜けて特殊なスーツが縮むように彼女の身体に”ぴったり”とフィットする。

蒼銀の少女が、徐に左手を伸ばして自分の座る場所の横に置いていたネックレスを取ると、

 深紅の瞳に映る蒼い指輪を静かに見詰めて、”ふっ”と自然な笑顔になった。

”チャリ…”

プラチナの擦れる音が更衣室に静かに響いた。

(…碇君。……これもあなたへと繋がる絆の一つ。)

ネックレスを首に掛けたレイは、先ほどリツコの部屋で渡された白いポンチョを手に取った。

(…ありがとう、リツコお姉さん。)

蒼銀の美少女は、嬉しそうに白いポンチョを”ふわり”と羽織った。

鏡に映った彼女の白い背には、今までと変わらない大きなNERVマークが紅く描かれているが、

 マントのように羽織ったその内側にはタンデムエントリー用に書かれた蒼い文字が追加されていた。

少年と同じ書体で 《 初 号 機 》 と。


……どうやら、このポンチョはリバーシブルに使えるようだ。


また、そのポンチョの表・裏どちら側にも、左の胸の部分には桜色の書体が追記されていた。

《 Shinji−I

  R e i −A 》

レイは”クルッ”と身体を回して、白いマントを”ふぁさっ”と翻すと更衣室を後にした。





ラミエル、襲来−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………その頃の太平洋の大海原。



大きくうねる…深い青色の海水に触れるような高さに、自然界にはない…不自然な赤い玉が浮かんでいる。

”ブヮンッ!!…キュィィィィーーーーンンン!”

突然”赤”が光り輝き、震えるように動き出すと…その玉は霞むように消えてしまった。

”ザァッ…パァァァアア………”

そして、同じ場所から青いクリスタルを思わせる巨大な正八面体が海の中からゆっくりと浮かんでくる。

”……グググッ…ググゥ…”

無機物のようなこの物体は、そのままゆっくり高度を上げていった。

”ァァーーーーー…ァァーーーーー…ァァーーーーーー”

この巨大な物体は音域の高い奇怪な音を発しながら、第3新東京市のゼロエリアに向かって侵攻を開始した。



………第2実験場。



実験場のキャットウォークに、白いマントを羽織った蒼い髪の少女と制服姿の白銀の髪の少年が立っていた。

”きゅ!”

少年は、やおら彼女の手を握った。

「…頑張ってね。」

”コクッ”

「ええ。」

手を握られた少女は、彼の優しげな瞳を見ながら頷いた。

彼らの横には、オレンジ色のツナギを着た整備部のスタッフが最終準備の作業をしていた。

”ガチャン!”

幅の狭いこの通路にエントリープラグが運ばれてくる。

そのプラグの中には既に、インテリアが用意されている状態であった。

手すりの付いた”渡し”を架けた整備部の主任が、背を伸ばし敬礼をすると報告を上げた。

「お待たせしました!…碇三佐、エントリープラグへの搭乗準備が整いました。」

少年は、その言葉を受けて主任を見ると頷きを返した。

「了解、ご苦労様です。」

シンジはレイに顔を戻すと、彼女の左の頬を優しく撫ぜて声を掛けた。

「頑張って、綾波。…僕は管制室で見ているから。」

「…判ったわ。」

少女は嬉しそうに少年の手を両手で包むと、白いポンチョを脱いで彼に預け、エントリープラグへ向かった。

白い筒に乗り込んだレイが、彼に向かって手を振り中に消えると、大きなハッチがゆっくりと閉まっていく。

”ガチャ!”

手すりの付いた渡しが外される。

彼女に手を振り返したままの姿勢で、シンジは一言だけ小さな声を出した。

「…綾波。」

シンジはエントリープラグを掴んだアームがオレンジ色の巨人に向かって動き出すのを見ると、

 ”クルッ”とターンして管制室に足を向けた。

”…グウィィィーーーン”


……隣接する実験管制室に、NERVの主要なメンバーが集っている。


少女がエントリープラグに搭乗し、全ての安全確認が終了するとアームが零号機へと動いていった。

『エントリープラグ挿入。…ファーストチルドレン、零号機への搭乗完了。』

『探査針の打ち込み終了。』

「…了解。司令、準備が整いました。」

白衣を羽織った金髪の女性がサングラスの大男を見る。

”プシュ!”

白銀の少年は、緊張感漂う実験管制室に足を踏み入れると、そのまま零号機が良く見える窓の前まで歩いた。

シンジはその特殊樹脂の窓の前に立つと、オレンジ色の巨人の顔に視線を向けて静かに佇んだ。

技術スタッフが定位置に座っており、いつでも動けるように開始の合図を待っていた。

「これより、零号機の再起動実験を行う。」

ゲンドウは、”スチャ…”と右手で眼鏡を持ち上げる。

「……第一次接続開始。」

総司令の指示を受けたあらゆる職員が、一斉に動きだす。

「…主電源コンタクト。」

金髪の女性がモニターを見て報告を上げる。

”……ガシュゥゥゥン”

高電圧が掛かる振動のような音が実験場に伝わる。

「稼動電圧臨界点を突破。」

リツコはマヤの報告に、次の指示を与えた。

「了解。フォーマットをフェイズ2へ移行。」

オペレーターの報告がスピーカーから流れる。

『パイロット、零号機と接続開始。』

『回線開きます。』

”…バシュゥゥゥーーン……”

管制室の報告が聞こえているエントリープラグの内側が、七色に光り輝く。

『パルス、ハーモニクス正常。』

”…シュィィィン”

プラグの全面に、ぼやけた物体の輪郭が突然ハッキリするように、周囲の状況が鮮明に映し出される。


……実験場に隣接する廊下の小さい窓から、赤いジャケットを着た女性が実験の様子を窺うように見ていた。


作戦課は、今日の実験管制室に入室する許可が下りなかったのだ。

現在、彼女の右腕である日向マコトは、発令所での当直任務に当たっていた。

『…シンクロ、問題なし。』

『オールナーブリンク終了。』

『中枢神経素子に異常なし。』

『再計算、誤差修正なし。』


……レイは無意識に胸元に浮かんでいる蒼い指輪を見詰めた。


「チェック、リスト2590までクリア。」

接合のレベルを表示するモニターを見たマヤが報告する。

「絶対境界線まで、あと2.5…1.7…1.2…1.0…0.8…0.6…0.5…」

管制室の人間全てが固唾を呑む中、女性オペレーターのカウントダウンは続く。

”ちらり”とリツコが大きな窓の前に立つ少年を見ると、

 彼は白いポンチョを右腕に挟み、ズボンのポケットに両手を入れて静かに単眼の巨人を見詰めていた。

「0.4…0.3…0.2…0.1……突破!!ボーダーラインクリア。」


……マヤの声がエントリープラグに流れる。


『…零号機、起動しました。』

「了解。…引き続き、連動試験に入ります。」


……ファーストチルドレンたる蒼銀の少女は、その報告を受けて手順どおりの言葉を静かに言った。


「管制室、了解。これより連動試験準備を開始します。」

管制室でレイとオペレーターの遣り取りを聞いていたシンジは、波動で彼女と会話を始めていた。

『…おめでとう、綾波。』

『ありがとう、碇君。…でも、』

『うん、これから僕は出撃だね。』

『…やっぱり、私も…』

『いや、大丈夫だよ。』

そんな時、多種多様な計器が動作する騒音に溢れたこの管制室に、際立って目立つ電子音が鳴り響いた。


”ピリリリリリ…チャ!”


「…何?……判った。」

”カチャン”

受話器を置いた副司令が責任者に顔を向けた。

「碇、未確認飛行物体が接近中だ。…おそらく第5の使徒だな。」

冬月の言葉に、ゲンドウは用意していたシナリオを読み上げるように冷静に迷いのない言葉を発した。

「テスト中断。…総員、第一種警戒態勢。」

オペレーターはその指示に素早く答えて、全館放送を流し始める。

「了解。『総員、第一種警戒態勢。』」

「…零号機はこのまま使わないのか?」

初老の男性は、腰に手をやりながらサングラスの男に確認を取った。

『…繰り返す、総員、第一種警戒態勢。』

スピーカーの放送を聞きながら、ゲンドウは少し顔を下に向けて答えた。

「まだ戦闘には耐えん。」

そして、彼は左横に立っているリツコに顔を向けた。

「…初号機は?」

司令官の声に技術開発部長は瞳を伏せると、少し逡巡して答えた。

「…はい、380秒で準備が出来ます。」

「そうか。…では、出撃だ。シンジ良いな?」

「…了解。」

シンジはコンソールに歩き寄ると、徐にマイクを握った。

「綾波、再起動実験は成功だよ、おめでとう。」

『…ありがとう。』

「今日の実験はこれで終了だから。」

『…判ったわ。』

”ブシュゥゥゥ………ンン”

その言葉と零号機の電源が落とされたのは同時だった。

レイは薄暗くなったプラグの中で、肩の力を抜くようにインテリアのシートに身体を預けた。


”こぽん…”


少女が、瞳を閉じて”ホッ”としたような顔を上に向けると、

 肺に残っていた少量の空気の泡が、彼女の口からゆっくりと出ていった。



………第3新東京市、上空。



”ァァーーーーー……ァァーーーーー…”

水晶をこすり合わせたような高周波の音を出しながら、ブルーに輝く正八面体は飛行を続けている。

その相手であるNERVの第一発令所は、敵性体の分析を行っていた。

『分析パターン青を確認。使徒と再確認。』

『初号機、発進準備に入ります。』

「全住民の避難は間に合わないわ!…使徒とEVAの戦闘予測エリアの緊急避難を開始!…急いで!!」

発令所に飛び込んできた、赤いジャケットの女性が叫ぶように指示を出す。

「了解!」

メガネのオペレーターが端末を叩く!

『第3新東京市、戦闘形態への移行…間に合いません!!』

少し遅れて、金髪の女性も発令所に入って来た。

「構わないわ。MAGIは戦闘エリアの予測計算に集中させて!

 混乱を避ける為に、今回の戦闘に対して一斉避難命令は出しません!

 保安部、エリアが確定した都市ブロックから住民の避難を直ぐに開始!!人員を集中させなさい!!」


”…ガラガラガラガラ…”


……第7ケージの巨大な金属の網が左右に分かれる。


エントリープラグに搭乗したシンジは、手順どおり発進準備の確認作業をしていた。

『第1ロックボルトを外せ。』

”バシュ”

プラグ内部にロックフリーの表示が浮かび上がる。

「…解除を確認。」

第7ケージのキャットウォークに蒼銀の少女が現れた。

彼女は走って来たのだろうか、肩が小さく上下に動いていた。

『了解。第二拘束具、外せ。』

初号機の中にいるシンジは、プラグの左上に映った少女を見ると彼女に波動で呼び掛けた。

『綾波、行って来るね。』

『碇君…気を付けて。』



………第一発令所。



使徒戦争の最前線である発令所に、戦場の状況を知らせる報告が矢継ぎ早に上がってくる。

『…目標は芦ノ湖上空に侵入。』

『EVA初号機、発進準備よろし。』

赤いジャケットの女性がオペレーター席の中央から鋭い声で指示を出した。

「EVA初号機、発進!」

その言葉を受けて、メガネのオペレーターが最終確認を取る。

「了解、碇三佐?」

エントリープラグから、少年の静かな声が一言だけ返ってきた。

『…どうぞ。』

その返答に、マコトが用意していたコンソールのキーを押す。

”バシューーーーーー!!”

瞬間、リニアリフトが弾けた様に地表に向かって動いた。




エントリープラグのシンジは、高速で移動する重力を感じながら第3新東京市のマップを確認していた。

『…射出ポイントは”前”と変わらずか。』

電荷されたLCLに浮かぶように表示されたバーチャルモニターに、緑色のプラグスーツを着た女性が映る。

”ピュン!”

『…マスター、ラミエルが加粒子砲の発射準備を始めました。』

『ドーラ、住民の避難ってどうなっているの?』

彼の問いに、射出ポイントを中心にした兵装ビルの一覧マップがサブディスプレーに表示された。

『はい、リツコ様の指示により初号機の射出ポイントを中心とした、

 都市部24ブロックの避難、及び第4から第6管区の兵装ビルの戦闘準備が完了しています。』

『…そう。都市部の避難が終わっているなら、人的被害は無さそうだね。』




”…ジュゥゥゥゥウン!”

上下に合わさった青いピラミッドの黒いスキマが、光の粒子を凝縮させて輝いていく。




喧騒に包まれている第一発令所に、シゲルの声が上がった。

「目標内部に高エネルギー反応!」

「なんですって!」

予想外に早い敵の反応に驚いたミサトの声が発令所に響き渡る。

モニターに表示される敵を捕らえたセンサーの変化に、長髪のメインオペレーターの声が更に大きくなった。

「…円周部を加速、収束していきます!!」

その報告に敵の攻撃方法を予測したリツコが思わず叫んだ。

「ッ!まさか!!」




”…グィィィイン”

地上の射出ポイントの装甲板が上下左右に開いていく。

”ジャキン!…ゴゥゥゥゥウン!!…ガァン!”

間を置かずリニアレールが伸び上がると、紫の巨人が地上に出現した。

『ダメ!!よけて!!!』

エントリープラグにミサトの叫び声が聞こえた瞬間だった。


”ピカッ!!”


初号機より、かなり離れた場所に浮かぶ青い正八面体の中心が光り輝いた。

「クッ!!」

シンジが身構えるより早く、まばゆい光線が一直線に放たれる。

”ドシュゥゥーーー!!”

初号機と使徒の中間地点にあった兵装ビルが一瞬で融解し爆発した。

そして、紫の巨人が使徒の攻撃にさらされた。




「初号機よりATフィールド発生!!」

マヤが報告を上げると、エントリープラグの開かれていた通信回線から少年の声が聞こえた。

『う、ぐ、ぐ…うぉぉ!』


……発令所の巨大3Dモニターに映る初号機は、膨大な光に包まれて正視できぬほどに輝いていた。


「…EVA胸部の第3装甲板に異常発生!」

そのメガネのオペレーターの声で、呆けていたミサトが我に帰ると部下に指示を出した。

「戻して!!早くっ!!!」

マコトが素早くその命令を打ち込むが、

 そのホログラムディスプレーに命令実行不可能を示す赤い表示が点滅した。

”ビー!…ビー!”

「ダメです!…熱でリニアレールが曲がり、リフトが降下できません!!」


『うぉぉおお!!』


「ッ!EVA初号機のシンクロ率上昇!…119、182、254、335…読みきれません!」

ショートカットの女性が叫ぶように言うと、シゲルも声を上げた。

「…EVA初号機のATフィールド、出力が上がっていきます!!2倍、7倍、13倍…理論値以上です!」

その言葉を聞いたマヤは思わず、巨大3Dモニターを見て…その様子に視線が釘付けになってしまった。

膨大な光に包まれた初号機の前面に、真っ赤な八角形のフィールドが見え始めた。

ショートカットのオペレーターが”ハッ”と自分の仕事を思い出したかのように、

 慌ててメインモニターを見ていた視線を自分のコンソールに戻すと、ありえない数字が表示されていた。

「ッ!センパイ…これを見て下さい!!」

「どうしたの、マヤ!」

リツコが彼女の肩越しに見たモニターの表示は、シンクログラフを示すモノだった。

「ちょ、シンクロ率、測定限界…400%!?」


………400%………


過去の実験レポートに書かれていた、その数字の意味を思い出した金髪の女性は、

 凍り付いたような顔になって、慌てたようにマイクを手に取り…叫び声を上げた。

「ダメよ!…ダメ!…戻って!シンジ君!…シンジ君!…マヤ、エントリープラグの映像を出して!早く!」

”プシュ!”

蒼銀の少女が、第一発令所に到着した。

彼女は、紫のEVAが敵の攻撃を防いでいる発令所の巨大モニターを見た。

”カシュ!”

そのメインスクリーンに、新しいウィンドウでプラグ内部の映像が大きく映し出された。


……映ったのは、LCLに満たされたインテリア。


その少女は、誰もいないシートを見て動きを止めてしまった。

『…いかりくん!!!!』


……そんな時だった。


「ロックボルトを爆破、リフトを物理的に破壊しろ!…兵装ビルによる攻撃を許可する!急げ!」

最上段の司令官から命令が下された。

「マヤ!」

「はい、センパイ!」

ショートカットのオペレーターが反射的にコンソールを叩く。

「ハッ!了解!!…日向くん!ターゲット設定、リフトの付け根をミサイルで破壊しなさい!」

「りょ、了解!」

ミサトの指示に反応したマコトの手が、素早く動いた。

「第5管区、兵装ビルS−12より攻撃開始!サイロ開きます!!」

”カシュン!…バシュ、バシュ、バシュ!!”


……第3新東京市の上空を3本の白い煙が弧を描く。


「マヤ、爆破タイミングはミサイルの着弾直前に!」

「了解、ロックボルト、MAGIの制御により爆破します!」

”チュィン!…バババババァァン!!」

EVAを支えていたロックボルトが爆破されて初号機がフリーになる。

そして間髪を入れず、3発のミサイルが初号機の背後から正確にリフトを破壊した。

”ドカドカドカァァァアアン!!!……ガクン!!”

黒い爆煙が”もうもう”と立ち昇る中、初号機は崩れるように地下に落ちていった。


”ーーーージュュュュンン……”


……敵を排除したと判断したラミエルは、砲撃をやめて再びゼロエリアに向けて移動を開始した。


『円周部の高エネルギー反応は、急速に減速。』

「目標、完黙!!」

シゲルの声に被さるリツコの声は大きかった。

「マヤ、EVAの保護を最優先!!…リニアリフトのルート上に緊急防護ネットを用意しなさい!!」

しかし部下は命令を実行せず、理解出来ないと困惑した顔でリツコに顔を向けた。

「センパイ!…ヘンです!…初号機の落下速度が一定のままです。」

「何ですって!?」

「しかし、この速度なら初号機はダメージを受けないと思います。碇三佐が調整しているんでしょうか?」

リツコも画面を見て数瞬、眉根を寄せた。

「これも、ATフィールドの応用なのかしら…マヤ、シンクロ率は?」

「はい、400%のままです。」

「ケージへ行くわ!…マヤ、初号機にメッセージを…第0番ケージに向かうように電信して。」

「りょ、了解!」

マヤはキーを叩きながら放送を流した。

『…初号機回収、第0番ケージへ。』

「レイちゃん…行きましょう。」

白いプラグスーツ姿の少女は発令所のメインモニターを”ジッ”と見ていた。

リツコは、弟から預かっていたポンチョを少女に羽織らせて手を取ると、発令所から移動するように促した。

その様子にミサトも一緒にケージへと向かおうとしたが、最上段からの声でその動きを止められてしまった。

「葛城二尉、敵性体に対する殲滅作戦を立案せよ。」

「ハッ。…了解しました、碇司令。」


”…カチン、カチン、カチン、カチン、カチン…”


エレベーターに乗り込んだ二人は無言だった。

白衣の女性は前を向いたまま、静かに尋ねた。

「レイちゃん、シンジ君は無事なのかしら?」

蒼銀の少女は首を縦に動かした。

「…はい、碇君は無事です。」



………第0番ケージ。



『救護班、第0番ケージへ。』

『初号機、固定完了!』

『胸部冷却、急げ!!』

実験用の特殊ケージでは、あらゆる職員が忙しそうに動きまわっていた。

紫の巨人は第0番ケージに拘束され、すぐさま冷却作業を受けていた。

そして、整備部が調べた結果、初号機の受けたダメージは見た目ほど深刻なモノではなかったようだ。

”プシュ!”

アンビリカルブリッジにリツコとレイが到着した。

「赤木博士、胸部第3装甲板が融解しています。ですが、幸いな事に機能中枢は無事でした。」

「…そう。プラグを強制排除!…急いで!!」

操作パネルから顔を上げた年の若い男は、首を横に振った。

「ダメです、初号機側からシステムをロックされています!」

「何ですって!?」

整備部の男に顔を向けたリツコは、少し考えるように初号機を見ると、

 ポケットから携帯電話を取り出して発令所に連絡を入れた。

「マヤ、第0番ケージの管制室に来て頂戴。」

『はい、了解しました。直ぐ、そちらに向かいます。』

技術開発部長は電話を切ると、ケージのスタッフに指示を出した。

「整備部、換装作業を開始しなさい。救護班はケージで待機。…レイちゃん?」

「…私はここにいます。」

「そう、判ったわ。」

金髪の女性が居なくなると、少女はそのまま暫く初号機を見て佇んでいた。

そして、レイは整備部の換装作業の邪魔にならぬように、ブリッジの上部へ向かった。



………第3新東京市、ゼロエリア。



”ァァーーーーー…ァァーーーーー……グググゥゥウ”

目的地点に到達した使徒は空中で停止すると、次の行動に出た。

下側のピラミッドの頂点、そこから光の円柱がゆっくりと地上に向かって伸びる。

ピンク色に薄く輝くその筒は、先端に光が収束しており…さながらキリ状に尖った円錐のような形であった。


”ガガガガ!!ガリガリガリガリガリガリガリ!!!!!”


その先端部分が地表に触れると、EVAと使徒の戦闘で発生する動荷重を想定し開発された、

 第3新東京市の硬度と靱性を誇る特殊アスファルトを容易く破壊して、NERV本部へと穿孔し始めた。


……使徒の攻撃が、再び開始された。



………第0番ケージ。



”プシュ!”

管制室に入ったショートカットの女性は、一人で端末を叩いている白衣の女性を見た。

「お待たせしました、センパイ。」

「マヤ、初号機の状態を詳細に分析して頂戴。ファイルのアクセス制限を一時的に解除したから。」

金髪の女性は画面に向けた瞳を動かす事なく、部下に指示を与えた。

その指示を受けた女性は席に座る時、蒼銀の少女が”ちらり”と管制室の窓から見えた。

(ッ!レイちゃん、心配でしょうね。…大丈夫、私とセンパイが必ずシンジ君を助けるから!)

マヤは無意識に右手を”ギュッ!”と握り込んだ。


……その白いポンチョに身を包んでいる少女は、一歩も動く事なく初号機を”ジッ”と見ていた。



………発令所。



巨大3Dモニターに初号機が映る。

「攻撃開始!」

ミサトの声でハンドガンを持つ初号機の右腕が上がった。

”ピカッ……ドォォォオオンン!!”

『敵、加粒子砲命中。』

『…ダミー、蒸発。』

タグボートに繋がっていたEVA初号機を模したバルーン・ダミーが、船と一緒に弾け飛ぶように消えた。

「…次!」

作戦課長の指示に従って、次の攻撃が開始される。

”グォォーーン、ガタン…ガタン…ガタン…”

2台のDE10形ディーゼル機関車に連結された列車砲が第2次攻撃ポイントに現れる。

”キィキィ、キィッ!………グィーン”

鋼鉄の車輪がきしみながら停止すると、独12式自走臼砲はその牙を敵に向けた。

”…ズドオオォォゥゥンン!!”


……臼という名の通り大口径の短い砲身から放たれた一本のレーザー光線が、まっすぐ正八面体へ到達する。


”ゥゥゥゥ…パキィィーーン!…シュゥゥ………ンン”

ラミエルは六角形のATフィールドを展開して、事も無げにその高エネルギーを天空へ弾き飛ばした。

”チカッ!”

そして、使徒は当然のように反撃する。

”…バァォォォゥゥンン!!”

次の瞬間、第2次攻撃ポイントの周囲は大爆発を起こして、列車砲は跡形もなく消え去った。

『…12式自走臼砲、消滅。』

「……なるほどね。」

赤いジャケットの女性は、僅かに呆れたような表情になった。

「葛城さん、碇司令の要請で用意された…国連軍の攻撃準備が整ったようです!」

マコトが後ろの女性に報告を上げると、

 発令所の巨大画面にMAGIの制御により光学ズームで捕らえられた、黒い機影がスクリーンに映った。

”…キィィーーーーーーン”

NERVからの要請に応えた、国連軍の爆撃機が超高高度を飛行している。

「しかし、いくら地上に人がいないからって、自分の真上にN2を落とすなんて…司令って凄いわね。」

ミサトの呟きに、目の前に座っているメガネの男も頷く。

「そうですね。…勇気があると思います。」

「司令の、使徒殲滅への覚悟ってヤツかしら。」

「NERVの責任者って感じですね。」


……二人がそんな会話を交わしていると、国連軍の無線が発令所のスピーカーから聞こえてきた。


『”ザッ”こちらビクター2。…第3新東京市上空へと到達。最終攻撃許可を求む。』

『”ザ”こちら、入間管制塔…了解。ビクター2、未確認生物兵器に対する攻撃を許可する。』

『”ザッ”ビクター2、了解。予定ポイントより爆撃を開始する。』

B−2という水平・垂直尾翼のない全翼機を操縦するパイロットが攻撃準備を始める。

”ゴゥン!…ゥィィイン”

UNマークの入った機体底部のウェポンベイが左右に開くと、

 N2弾頭を搭載した黒い特殊地中貫通爆弾がローディングされて出現した。

このレーザー誘導兵器は、通常…ディープスロートと言う”あだ名”で呼ばれ重さは2トンを超える爆弾だ。

(マーク確認!…ターゲットロック!)

目標をレーザーロックすると、

 彼は操縦桿の誤操作防止用の赤い蓋を親指で開けて、そのまま黒いスイッチを押した。

”カチッ!”

”ガチャン!…ボシュゥゥゥーーーー”

『…国連軍、N2バンカーバスターを投下しました。』

女性サブオペレーターの声が発令所に放送される。


”チカッ!”


『…敵、加粒子砲を発射。』

男性サブオペレーターの実況した報告のとおり、使徒は正確に高速で移動する爆撃機を撃退した。

『…ビクター2の消滅を確認!』


……しかし、特務機関NERVは国連軍の放った攻撃と2名のパイロットの犠牲をムダにする事はなかった。


発令所のシゲルが素早くキーを叩いている。

「バンカーバスターをMAGIの制御下に置きました。引き続き、誤差修正作業を継続します。」

地上からのレーザー誘導に切り替わって、再びリアルタイムで補正を受ける黒い塊は、

 その落下速度を”グングン”上げて正確にラミエルに向かって距離を縮めていく。

発令所に状況が逐一報告される。

”シューーーーーーー”

『N2バンカーバスター到達します!』

使徒は六角形の波紋を自分の上空に大きく強固に展開した。


”ゴッォゥゥゥウン!…………ピカッ…ドシュゥゥゥガァァァァーーン!!!!!”


黒い爆弾はその”壁”にぶち当たり、時が止まったような数瞬の後、大量の光と熱を放って大爆発した。

発令所の巨大3Dモニターが白色で埋め尽くされる。

「くぅ!!…使徒は?」

そのまぶしい光に手をかざして目を細めたミサトの声に、間髪入れずマコトが答える。

「現在の状況は不明です。…爆発の影響で磁場が乱れています。」

”…ピピ!!”

「映像回復!メインモニターに回します!!」

青葉の声が発令所に響き渡る。

「「「おおっ!!」」」

モニターに映る第3新東京市は、何の変化もなかった。


……N2を落とされた街への被害は、”使徒のお陰”で一切なかったのだ。


ミサトの目が大きく開く。

「ちょ、冗談でしょ!…何も効いてないのッ!?」

(あの第3使徒でさえ、表面上は手傷を負わせられたのに!)

驚愕の表情をモニターに向ける赤いジャケットの女性は、この敵の強さを知ると背筋に冷たいモノを感じた。



………第0番ケージ。



ショートカットの女性が隣の上司に報告を上げる。

「あっ!センパイ、プラグ内部に変化が、…え、これって何?」

マヤが見るモニターはエントリープラグの内部を映していた。


”ごぼごぼごぼごぼっ!!”


「これは、何?」

リツコは、プラグ内部のLCLが沸騰したように泡立っている映像を見て、目を細めた。

「え?…レイちゃん?」

マヤの視界の端に映っていた少女が、佇んでいたアンビリカルブリッジから搭乗口の方へ動いた。

「…マヤ、どうしたの?」

白衣の女性も後輩の声に、思わず窓に視線を向けた。

その時、モニターに薄っすらと影が出現した。



………エントリープラグ。



誰もいないプラグ。

この白い筒に満たされたLCLの液体温度は変化していないのに、突然として気泡が激しく噴き出し始める。

”ごぼごぼごぼごぼっ!!”


……インテリアのシートには誰もいない。


その時、オレンジ色の液体に変化が訪れた。

泡立つ液体の中に薄い影が現れる。

それは、白い布地…その中に人影。

ゆっくりと影がカタチを現していく。


”ごぼごぼごぼごぼごぼごぼ…ごぼ…ごぽん…”


泡が治まると、シートに一人の人がいた。

そのヒトは、ダークブラウンの髪をショートカットにしている女性のようだった。

シャギーの入った髪がLCLに柔らかく揺れていた。

そして、重力を無視するように”フワリ”とシートから浮き上がる。

その女性とシートの間に人の輪郭が薄っすらと浮かび上がった。



………管制室。



モニターを見ていた二人は、息をするのも忘れてしまったように動かず、静かにその映像に見入っていた。

LCLの泡立ちが治まると、いつの間にか白衣を着た茶色い髪の女性がエントリープラグに現れていた。

(このヒトどこかで?…あ、ユイさん?)

リツコの遠い記憶に引っ掛かった女性は、不可思議な事にその記憶のままの姿だった。

その女性が”ふわり”と何かに持ち上げられたように、オレンジの液体にたゆたう。


……その女性がもたれていた背後のシートに”人間”の輪郭が浮かび上がってくる。


そのヒトは、一瞬で実体化したようにハッキリとプラグ内部に出現した。

「…すごい。…自我境界線を取り戻したというの?…シンジ君。」

瞳を閉じてインテリアに座る少年を見たリツコは、呆れたように呟いた。

別のモニターから電子音が発せられる。

”ピピ!”

「あ…シンクロ率低下、390、345、291、228、156、93…シンクロ停止しました。」

「いいこと、マヤ。…先ほどの戦闘から今までのエントリープラグのログとあらゆるデータは、

 取り敢えず、レベルSSSクラスに設定、ロックするわよ。司令の別命あるまではね。」

「…はい、判りました。…あ、初号機よりシステムロック解除…エントリープラグ排出されます。」

上司の言葉に頷いたショートカットの女性は、取り敢えず少年が無事だと思い嬉しそうにキーを叩いていた。

白衣の女性は、マイクのスイッチを入れるとケージの作業員に指示を与えた。

『整備部、作業中断。…救護班、パイロットが出てきます、搬送準備、緊急処置室の用意をしなさい。』

そして、リツコは再びエントリープラグの女性に視線を投げると、総司令官へ連絡を入れた。



………ケージ。



”ガクゥン!”

突如、初号機の頭部がお辞儀をする様に前に動き、続いて脊椎の装甲が動く。

オレンジのツナギを着た親方は動き出したEVAを見ると、ケーブルを持っている手を休めた。

「お、よかったの…何とか今回も無事みたいやな。」

整備部の主任も巨人の動きを見ていた。

「…そうみたいですね。ファーストチルドレンもかなり心配そうな顔でしたしね。」

「そやの、三佐の恋人か。」

僅かな時間だが、緊張から解かれた整備部の主任は、上司に軽口を向けた。

「そう言えば…課長の息子さんって、ガールフレンドいないんですか?」

「オマエなぁ…ヒトの事より、自分はどないやねん?」

「NERVにこれだけ居ますから、知り合う切っ掛け…ないの御存知でしょ?」

苦笑して応えた部下に、一応頷きを返した親方はイタズラっぽい顔になった。

「ま、それもそうやのぉ。…せやけど、この本部にも結構良いオナゴ多いやろ?…どーなんや?」

”バシュー!”

白いエントリープラグの上部が出て来た。

『…エントリープラグ摘出終了。』

「同じ職場なんて、恥ずかしいですよ。…あ、プラグが出ましたね。」

少しだけ耳が赤くなった主任は、上司の話を強制的に終わらせる為にアームの操作を始めた。

”グゥィィィイン”

インテリアがプラグから出されて、ブリッジの搭乗口へと移動を始める。

そのシートには、意識を失い”ぐったり”とした白衣の女性が少年に抱かれていた。

救護班のスタッフは、見た事もない人物に困惑気味の顔になる。

シンジは医療スタッフに白衣の女性を預けると、心配そうな表情の少女に顔を向けた。

「すみません、彼女を病院に、お願いします。……あ、あやな、み…ご、め…」


……しかし、何かを言い掛けた少年はそのまま意識を失った。


ストレッチャーに乗せられた少年と女性はジオフロントの病院へ搬送されていった。





作戦準備−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………第2分析室。



バインダーの報告書を男が読み上げる。

「…これまで採取したデータに由りますと、目標は一定距離内の外敵を自動排除するモノと推測されます。」

メガネの男が上司に言う。

「エリア侵入と同時に、加粒子砲で100%狙い撃ち。…EVAによる近接戦闘は危険すぎますね。」

「ATフィールドは、どう?」

分析室の中央に座る作戦課長は、紺色のボールペンを振りながら、更なる報告を求めた。



………ジオフロント、5F病室。



白衣を着ていた女性は、女性医師の診察の結果…意識を失っているだけで至って健康だと診断された。

総司令官の厳命により、あのチルドレンと同じ扱いを受けるこの女性の病室は、豪華で広大であった。

今、彼女は薄いピンク色の病衣に着替えさせられてベッドの中だった。

使徒が現在侵攻している状況であるが、

 ソレにもかかわらず……司令官は息子を簡単に見舞った後、飛ぶような勢いで女性の病室を訪れていた。

”カ…チャ”

「……ゆ…イ。」

震える手で病室のドアノブを回した男の第一声は、弱弱しい小さな呟きだった。


……良く見れば、大男の肩が小刻みに震えている。


どうやら、感極まって上手く声が出ないようだ。

彼は白い部屋、白いベッドの上で、安らかな寝息を立てている女性を自分の黒い瞳に映すと、

 さらに動きがぎこちなくなってしまった。

「……ユ、ィ。」

サングラスの大男は、”ふらふら”と頼りない足取りでゆっくりとベッドに歩き寄る。


”カクン!…ズッターーン!”


数歩…足を進めた所で、そのヒザに力が巧く入らないのか、男は盛大に転んだ。

”カラン、カラン…”と乾いた音を立てて、赤いサングラスが病室の固い床に転がっていった。

「ぐぅっ!」

ゲンドウは震える腕に力を込めて、上半身を起こし腰の抜けたような下半身を無視して這うように進んだ。

その男が転んだ大きな物音に、病室の女性は少し瞼を震わせた。

「…ユ、イ。」

彼は、ベッドに手を掛け…何とか立ち上がる事に成功した。

男の目の前には、彼が全てを犠牲にしてでも、手に入れたいと思った女性がいる。

ゲンドウは妻の存在を確かめるように、自分の手を彼女の顔へ”怖ず怖ず”と伸ばした。

その右手が小刻みに震えている。

…触れれば、消えてしまうかもしれない。…11年間待ったのだ。…全力で、この時を。…ただひたすらに。

彼の手がユイの左の頬に”そっ”と触れた。

…彼女は、とても柔らかく温かかった。


……神は許したもうた。…夫婦の再会を。……彼らの逢瀬を。………その優しさで。


その消える事のない存在感に安心したゲンドウは、両方の瞳から溢れ出る液体を止める事が出来なかった。

「……ぐぅ、ぐぅおぅ…く、ぐぅぅ…っぅぅうぅ……ぐぅぅう……」

声を押し殺し、震える肩。……流す涙が彼の頬を伝わると、そのまま妻の頬に零れ落ちる。

”ポタッ!”

「……ぅ…」

再び瞼を震わせた女性は、確実に覚醒に向かっているように、その眉根を少し寄せた。

「…ぐぅう…ッ!…ゆ、ゆい…ゆ、ユイ…」

ゲンドウは優しく自分の妻に呼びかけた。

「…ゥ…ぅん…うん?」

夫の声に反応するように、碇ユイはゆっくりとその黒い瞳を開いていった。


……ぼんやりと映る情景。


見た事のない天井に、見た事のない服を着た男。

「…ユイ、気が付いたか?…だ、大丈夫か?」

その言葉と声色に…やがて、彼女の視界がハッキリとしてくる。

「…ぁ…ゲンドウさん?…あらあら、何を泣いているんですか?」

この男の夢にまで見た女性が、美しい記憶のままの変わらぬ笑顔と声で、自分の名を呼んでくれた。

「…ぐぅぅ!!うあああぁぁぁぁぁあ!!!…」


……その瞬間、大男は愛する女性を掻き抱いて、子供のように泣いた。




………所長室。



「久しぶりだな。…土井一佐。」

「官房長官、わざわざお越しいただきまして。…今日はどういった御用件でしょうか?」

”パリッ”とした背広を着た官僚と握手した男は、戦略自衛隊の軍服の上に白衣を羽織っていた。

「先日、戦自のトップである総理がある決定を下した。」

「決定?…この研究所の廃棄、とかでしょうか?」

マサルは、皮肉を込めた目でソファーに座った男を見た。

「君のジョークは、相変わらず自分の立場を考えないね。」

ネクタイを少し緩めた官僚は、そんな言葉に特に反応を示さなかった。

「いつの間にか所長にさせられた私が、こんな立場を考えるとでも?」

官房長官は、初めて感情を表した。

「すまん。キミを推薦したのは、確かに私だ。しかし、それはこの国の為なんだ。」

そんな言葉に、何か言おうと口を開いた男を見た政府の高官は、慌てて自分の持って来た荷物に顔を向けた。

「……おっと、詰まらん事を言ったようだ。…この紙を見てくれ。」

申し訳無さそうにした彼は、アタッシュケースのロックを解除すると、中から紙を出して所長に手渡した。

「っ!…これはどういう事ですか?」

その公文書の内容を読んだ土井一佐の目は、訝しげに細まった。

「…これは決定事項だ。…いいな?」

「ハッ…了解しました。」

敬礼を返した男は、この役職についてから初めて、心から嬉しそうな表情になっていた。



………第2分析室。



薄暗い部屋の中、作戦課長であるミサトの声が聞こえる。

「ATフィールドは、どう?」

リモコンを操作しながら男が報告を上げる。

中央スクリーンに先ほどの第2次攻撃と、その結果が再現図として再生された。

「健在です。…相転位空間を肉眼で確認できるほど、強力なモノが展開されています。」

画面に映る青い正八面体の前面に、六角形のATフィールドが”盾”のようにハッキリと見える。

その映像を見たマコトが呆れたような口調で言う。

「N2でさえ効きませんでしたからね。

 …通常の誘導火砲、爆撃など生半可な攻撃では泣きを見るだけですね、こりゃ〜。」

その画面から目を逸らさず、ミサトは感想とも付かない事を言った。

「攻守ともに、ほぼパーペキ。正に空中要塞ねぇ…。で、問題のシールドは?」

作戦課のスタッフがマップを表示させながら報告を始めた。

「現在、目標は我々の直上…第3新東京市、ゼロエリアに侵攻。

 直径17.5mの巨大シールドが、ジオフロント内NERV本部に向かい穿孔中です。」

ミサトの右腕であるマコトが口を開いた。

「敵はココ、NERV本部へ直接攻撃を仕掛けるつもりですね。」

その部下の言葉にミサトは表情を変えずに返した。

「しゃらくさい。……で、到達予想時刻は?」

先ほどスクリーンのリモコンを操作した男が、机の上のバインダーを手に取り、資料を読み上げる。

「ハッ…明朝午前0時06分54秒。

 その時刻には、22層全ての装甲防御を貫通して、NERV本部へ到達するものと思われます。」

(あと、10時間足らずか。)

ミサトは右側の第3新東京市の生映像を見ながら、作戦に思いを馳せた。

そのスクリーンに映っている青い使徒は、変わらず地味な攻撃を継続している。


”ガリガリガリ…ギュギュ、グォグォ、ゴゴゴゴゴ……”


『敵シールド、第一装甲板に接触!』

第2分析室のスピーカーから、発令所にいる青葉シゲルの声が聞こえた。

「で、こちらの初号機の状況は?」



………病室。



”……とくん、とくん、とくん、とくん……”

……その鼓動は優しい音色。

…ただ、温かかった。

男はこの静かな時間に身を委ねていた。

こんな穏やかな時間は、一体どれくらい振りなのだろう?

思い出せないほどの昔話など…もう、どうでもいい・・・・

自分の背に感じる彼女の腕。

そして、彼女は取り乱した私を落ち着かせるように、背中を”ぽんぽん”と優しく打ってくれていた。


……自分は、今…満ち足りた幸せというものを”ハッキリ”感じている。


そんな時間が静かに過ぎていたが、その彼女の手が…ふと”パタッ”と止まった。

(ん…ユイ?)

ゆっくりと妻の胸から、かぶりを上げた夫は……彼女がまた静かな寝息を立てている事を知った。

”…すぅ、すぅ…すぅ、すぅ…”

(11年振りの外だ。…疲れていたのに…すまなかったな、ユイ。…取り乱してしまって。)

ゲンドウは、ゆっくりとベッドに預けていた上半身を起こすと、

 彼女の病衣を直してやり、薄いベッドカバーをかけ直してあげた。

そして、慈しむような瞳で彼女の安らかな寝顔を見やり、ダークブラウンの髪を優しく撫ぜた。

司令官は、小さな声を出した。

「…ユイ、私はまだやらねばならぬ事がある。…使徒と戦うシンジのサポートだ。

 アイツは、立派に成長したぞ。…オマエの目が覚める頃には、戦いを終えたアイツと会えるだろう。

 …それまで、ゆっくりと休むが良い。」

ゲンドウは、床に転がっている赤い眼鏡を拾うと、静かに病室を後にした。 



………第0番ケージ、管制室。



『で、こちらの初号機の状況は?』

リツコは、突然と通信してきた友人の声に、詰まらなそうにコンソールを操作して答えてあげた。

「胸部…第3装甲板まで見事に融解。…機能中枢をヤラレなかったのは不幸中の幸いだわ。」

彼女の隣に座っている助手、マヤは整備部の報告書類を見ながら相槌を打った。

「…あと3秒照射されていたらアウトでしたけど。」

彼女達のいる管制室の窓から、初号機の胸部装甲がクレーンで運ばれて行くのが見えた。

『…3時間後には換装作業、終了予定です。』

第0番ケージのスピーカーから、整備部スタッフの報告が流れている。

『了解。…零号機は?』

第2分析室のミサトは、次の質問をした。

「再起動自体に問題はありませんが、フィードバックにまだ誤差が残っています。」

その質問にショートカットの女性が答えると、上司が結論を口にした。

「実戦は…」

友人の答えが分かるのか、リツコの声にハモったミサトの声は彼女と同じ言葉だった。

「…まだ無理よ。」

『…まだ無理か。』



………第2分析室。



「…初号機専属パイロットの容態は?」

赤いジャケットの女性が、左側に立っている部下に問う。

「はい。診察の結果、身体に異常は有りません。神経パルスが0.8上昇していますが、許容範囲内です。」

資料を持っていたマコトが答えた。

『…敵シールド到達まで、後9時間55分。』

そのシゲルの放送にミサトは腕を組んで呟いた。

「…状況は芳しくないわね。」

上司の言葉に、メガネの部下は冗談を言ってみた。

「白旗でも揚げますか?」

「その前に、ちょっちやってみたい事があるの……。」

そう言ったミサトは、顎に手をやり”にっ”と笑った。



………総司令官執務室。



”ピピ!”

突然と鳴った電子音の方へ顔を向けた副司令は、イラ立ちを隠せないのか苦み走った表情であった。

そのモニターには妙齢の女性が映っていた。

(…碇ではないのか。ふっ…当たり前か。…アイツならインターフォンなど使うハズがないからな。)

先ほどの発令所で赤木博士からの電話を受けたゲンドウを思い出した冬月は、

 やれやれと小さくかぶりを振った。



〜 発令所 〜



”ガタン!”

受話器を持った大男は、突然と立ち上がった。

「どうした、碇?」

初老の男性が見た大男は、その目を大きく開いたまま固まっていた。

そして力が抜けたように腕を下ろして、そのまま受話器を置いた総司令官は、放心したように動かなかった。

「…碇、どうしたんだ?」

予定調和…というのか、ゲンドウの行動には一切の無駄がない。

彼の計画したシナリオ、そのレールの通りに物事が進む。

だからこそ、彼がこのように取り乱す姿は中々お目にかかれない。

冬月は、その様子に訝しげな視線を投げる。

「ゆ、ユイが……」

「ユイ?…ユイ君がどうした?」

使徒が襲来している発令所で聞ける単語ではない、と冬月が眉間にシワを寄せる。

「………先ほど…サルベージ、された。」

「な!!!…なに!!…それは本当かね!?」

流石の冬月も驚きに声が大きくなる。

「これから救護班に搬送された病室へ確認しに行く。…この情報はSSSクラスとする。」

「そ、そうだな、では…私も。」

身を乗り出した副司令に、ゲンドウは努めて冷静な様子を演じたが、どう見ても動揺しているようだった。

「…いや、今…使徒が襲来しているのだ。司令官が二人ともこの場を離れるわけにいかないだろう。

 ………冬月先生、後を頼みます。」

眼鏡を右手で持ち上げた彼の目には、”ギラリ”と有無を言わせない強い力のようなモノがあった。

ソレを感じた副司令は物凄く”しぶしぶ”と返事をした。

「く、……ああ、判っている。…ユイ君に宜しくな。」

一歩二歩と足を進めたゲンドウは、覚束ない様子でスイッチを操作するとリフターで階下に下がって行った。



〜 執務室 〜



(アレから1時間以上も戻ってこんとは。…まったく、しょうがない男だ。

 …発令所の職員に対する、緘口令、その処置、情報のロック…後を頼むの一言だけでは済まんぞ?…碇。)

『…あの、副司令?』

「何だね?」

思考を中断させられたという、機嫌の悪そうな声と上官の厳しい顔を見たミサトは、少し驚いてしまった。

『あ、すみません。副司令、作戦の提示を行いたいのですが。』

「ん…ああ、そうか。…よし、入りたまえ。」

”プシュ!”

広大な空間を作戦課長である女性が中央へと歩く。

(あり?…碇司令、いないの?)

そして、敬礼をすると作戦の説明を始める。

「…目標のレンジ外、超長距離からの直接射撃かね?」

ソファーに座る初老の男性が確認を取るような口調で、女性の言葉を繰り返した。

「そうです。目標のATフィールドを中和せず、

 高エネルギー収束体による、一点突破しか方法は有りません。」

ミサトは迷いなく上申を繰り返した。

「MAGIはどう言っている?」

「スーパーコンピューターMAGIによる回答は、賛成2、条件付き賛成が1でした。」

「勝算は8.7%か。」

「最も高い数値です。」

”プシュ!”

サングラスの大男が自分の部屋に戻ってきた。

「すまなかった、冬月。」

「ッ!!…いや、構わんよ。…それで?…どうだったのだ?」

ソファーに座っていたロマンスグレーの男は、ミサトを無視してゲンドウの方へ足早に向かった。

「な!…あの!」

作戦提示中の女性は冬月に声を掛けようとしたが、初老の男性が足を止める事はなかった。

しかし、ゲンドウは冬月を無視するかのように、そのまま自分の席に着いた。

「い、碇?」

「…では、葛城二尉、使徒殲滅の作戦を提示せよ。」

手を組んで、肘を付いた総司令官のいつもの重たい口調を聞いた副司令は、漸く冷静さを取り戻した。

(そ、そうだ。彼女がこの部屋にいるのなら、下手な事は言えないな。)

”ごほん!”と咳払いをして、冬月はいつもの定位置へ立つと手を腰にやった。

「…碇、彼女の作戦は目標のレンジ外から直接射撃を行うモノだそうだ。」

漸く自分の出番だと、ミサトは再度敬礼をすると張り切って作戦の説明を開始した。

「ハッ…目標のATフィールドを中和せず、

 高エネルギー収束体による一点突破しか方法は有りません。」

「因みに、MAGIは賛成2、条件付き賛成が1だ。…そして作戦の成功確率は、わずか8.7%だぞ?」

冬月は、司令官へ情報の提供を行う。

ミサトは8.7%と言う言葉に、反対されぬように反射的に発言をした。

「最も高い数値です!」

ゲンドウは、組んだ手で顔を隠したまま動かなかった。


……無言の時間に痺れを切らした冬月が、彼の答えを促す。


「碇?」

司令官は静かに決定事項を告げた。

「…反対する理由は無い。準備に掛かりたまえ。作戦行動の詳細はEVA独立中隊長と詰めろ。葛城二尉。」

「ハイッ!」

ミサトは敬礼すると、踵を返して執務室を後にした。


……彼女が部屋から退室する様子を見やった冬月は、ゲンドウを横目で見た。


「……それで?」

「…先生。ユイは病室で寝ています。今回の使徒戦が終わる頃には目が覚めるでしょう。」

「そうか、判った。取り敢えずは、目の前の敵をどうにかせんとな。」

「その通りです。」

「そう言えば、シンジ君はどうした?」

「シンクロ率を下げ、自我境界線を再構築したシンジの身体には、特に問題ありません。

 …意識が戻れば、作戦の実行は出来るでしょう。」

シンジの屈託のない笑顔を思い出した冬月は、視線を部屋の天井に向けて、ため息混じりの返事をした。

「ふぅ…正に適格者、という事なのか。…それにしても彼には負担を掛けるな。」

「…はい。」

ゲンドウは先ほどの戦闘中、シンクロ率400%になっても暴走しないEVA初号機の状態を見て、

 冬月に”シンジは適格者ではないか”と話をしていた。

副司令は、上にやっていた目をサングラスの男へ戻して問う。

「これは、ゼーレのシナリオにはないぞ?」

その言葉にゲンドウは、いつも通りの冷徹な口調で答えた。

「冬月、今回の情報はMAGIで偽装工作をする。…ユイについても同様だ。

 …今まで通り、老人達の儀式に介入する我々の計画に…変更はない。

 暫くはこちらのシナリオ通りに進める。」

「…ふむ。ユイ君を取り戻すための老人達の儀式への介入。

 その必要がなくなっても……彼らの邪魔をせねばならぬ事に変わりはない、か。」

「…こちらには、シンジがいる。」

「……リリスを懐かせた選ばれし適格者。それが我々最強の手札…と言うワケか。」

ゲンドウは息子の事を考えて、顔を上げる事は出来なかった。



………NERV本部、レベル10。



エスカレーターに、格納庫へ向かう二人の女性が乗っていた。

「…しかし、また無茶な作戦を立てたものね、葛城作戦課長さん?」

ミサトはそんな事を言った後ろの友人に振り返った。

「無茶とはまた失礼ねぇ?…残り9時間以内で実現可能。おまけに最も確実なものよぉ。」

「これがねぇ?…EVA独立中隊が了承してくれればいいけど。」

「大丈夫よん♪…総司令が認めた作戦ですもの。」

「あら、私が聞いた許可は作戦に対する準備であって、実際の作戦行動は碇三佐と詰めろ、だったけど?」

「うぐっ」

引きつったミサトを無視して、リツコはエスカレーターを階段のように降り始めた。

「時間がもったいないから…先、行くわよ。」

「ちょ、ちょっと、待ってよぉ〜リツコぅ。」

…エスカレーターを降りて、廊下を暫く歩くと巨大な格納庫の入口が見えてくる。

「さ、着いたわよ。」

”ピピ…プシュ!”

その格納庫に白い巨大砲があった。


……これは赤木博士が中心となって開発した、円環加速式試作20型EVA専用陽電子砲であった。


「うちのポジトロンライフルじゃ、そんな大出力に耐えられないわよ?…どうするの?」

腕を組んで巨大砲を見ている女性は、友人の質問に呆れたような軽い口調で答えた。

「決まっているでしょ?…借りるのよ。」

「借りるって……まさか…」

リツコは非常識な友人の考えを察して、思わず横目で彼女の顔を見た。

「そ、戦自研のプロトタイプ♪」

その女性の横顔は得意気な表情だった。

「あなた、無理矢理…徴発する気?」

「何言ってんのよぉ〜……その為の特務権限でしょー?」

そんな事も知らないの?…という顔のミサトを見たリツコは、また書類を見ていないのね…と呆れた。

「ミサト、そんな書類を出しても上は認めてくれないわよ。」

「あんでよ?」

口を尖らして白衣の女性を見る赤いジャケットの女性。

「今日付けで、戦自研はNERVに全面的な協力をしてくれる事になったからよ。」

「へ?」

「徴発なんてしなくても、簡単に貸してくれるわよ?」

「な、なぁ〜んだ。」


……その裏側に、どれだけの政治的な取引があったのか。


たった一言で片付けてしまうこの女性は、そういう事に全く考えが及ばない。

「…必要書類は私が用意するから、貴方は移動手段を確保して。一緒に行くわ。」

「さっすが赤木博士!頼りになるわぁ〜」

「何言っているの、貴方だけだと余計な波風が立ちそうだからよ。」

リツコは、小さく肩を落として軽いため息をついた。



………病院、フロア5。



エントリープラグから搬送された女性と同じように、身体に異常がないと診断された少年が寝ている。

(…先ほど司令がこの部屋を訪れてから、どれくらいの時間が経ったのだろう?)

蒼銀の少女は、白いポンチョを羽織った白いプラグスーツ姿のまま着替える事なく、

 ベッドの上で寝ている少年の手を優しく握っていた。

「…碇君。」

静かな病室に、鈴を転がしたような少女の透明感のある声が小さく響いた。

レイは、彼の顔を見ながら先ほどの使徒戦の顛末を思い出していった。



〜 発令所 〜



『…いかりくん!!!!』

レイは自分の瞳に映ったプラグ内部の映像に、思わず波動で呼び掛けてしまった。

通常、戦闘時などは彼の邪魔にならぬように自粛していたのだが、

 そんな悠長な事を考えたり言ったりしていられる状況ではなかった。


……少女にとってはこの宇宙よりも大事なヒトなのだ。


その彼が、消えた。…レイは全力で彼の波動を感じようとした。

『…う。…あ、や、な、み。…大丈夫だよ。』


……シンジとしては、予想以上に負担のかかる状況であった。


少年はコアに居る母親にダメージが行かぬように、生体頭脳に居るドーラに負担の掛からぬように、

 それ以上に、初号機を護る為に力の調整を行っていた。

『…碇君!』

彼が応えてくれた事で、彼女も落ち着きを取り戻した。

”…ガクン!!”

紫の巨人が地下へと落下し始める。

『…ふぅ。綾波、これから母さんをサルベージするから。』

『…判ったわ。』



〜 第0番ケージ 〜



……横に立っていた姉がケージから管制室へ移動しても、少女はそのまま暫く初号機を見て佇んでいた。


目の前の初号機は、胸部装甲を整備部によって分解され換装を行っている状態であった。

『…碇君?』

『綾波。…母さんを”正確に戻す”のにちょっと力が要りそうなんだ。』

『私に手伝えること、ない?』

少女は顔を上げて初号機の顔を見た……その瞳はまるで少年を見るように慈しみに溢れていた。

『そこに居て、綾波。キミが側に居てくれるだけでいいんだ。』

『…私は側にいるわ。碇君から離れること、ないもの。』

『ありがとう。…ちょっとこれから喋れなくなるから。…戻る時にまた呼ぶよ。』

『判ったわ。……待ってるから。』 

少女は整備部の作業員が忙しく行っている換装作業の邪魔にならぬように、ブリッジ上部に歩いていった。


……変わらず喧騒に包まれる第0番ケージ。


「第3装甲板を外すぞ!!クレーン、準備が遅い!!ワイヤー架けぇ!…全作業を3時間で終わらせろ!!」

油で汚れた作業着に身を包む整備部の主任が、怒鳴り声を上げていた。


………喧騒の空間に、暫くの間が訪れた。


…感覚的に、30分くらいの時間が経っただろうか?

レイはシンジの波動を感じた。

『お待たせ、綾波。…今から”そっち”に…戻るよ。』

少女は、少年の波動を感じた事に喜んで顔を上げたが、それがいつもより弱弱しい事に気が付いた。

『…碇君?』

『ちょっと…疲れちゃった、だけ…だよ。…さ、これから母さんの…実体化を始めるよ。』

『…搭乗口で待っているから。』

『うん。…判った、待ってて綾波。直ぐに行くから…ね。』



〜 病室 〜



”コンコン…カチャ!”

レイの回想は、病室のドアが開く音で中断された。

「…レイちゃん、大丈夫?」

金髪の女性が、白いポンチョを羽織っている少女に気遣わしげに声を掛ける。

「リツコ…お姉さん。」

ゆっくりと振り向いた少女が見た姉は、銀色のアタッシュケースを持っていた。

そのケースを床に置いた金髪の女性は、

 少女に安心感を与えるような慈しみのある、優しげな瞳を向けると…静かにベッドに歩き寄った。

「シンジ君の今の状態は、疲労で寝ているだけよ。…良く判らないけど、それだけの事をしたのね、彼。」

リツコはベッドの横に立ち、彼の柔らかな白銀色の髪をゆっくりと撫ぜた。

「…はい。碇君は、初号機に溶けたユイさんの構成物質を集めるのに、かなり苦労したようです。」

「…それは、どういう事かしら?」

「初号機に取り込まれたユイさんの魂、肉体は全て彼女のモノでなくてはいけないからです。」

「それって?」

「…因果律です。」

「因果律。……ま、詳しくは、終わってからゆっくり聞かせてもらうわ。

 これ、今回の作戦の草案、シンジ君が起きたら渡してね。

 …私は、これからつくばの戦自研に行かなくてはいけないから。…じゃ、レイちゃん、弟を頼んだわよ。」

「はい、リツコお姉さん。」

リツコは”コクリ”と頷いた少女に作戦書を渡すと、彼女の蒼い髪を優しく撫ぜてから病室を後にした。



………ジオフロント。



「遅いわよ!!リツコ!!」

「貴方と違って、私には用意するべきモノがあるのよ。」

赤いジャケットを着た女性の怒声を軽く流して、金髪の女性はVTOL機に乗り込んだ。

「それでは、お願いします。」

「ハッ了解しました。」

パイロットは、二人の女性がベルトを締めたのを確認して離陸準備を始めた。

”キュゥィィィイーーーーーーー!!”

リツコたちを乗せた機体は、9機の護衛機を引き連れて飛び上がっていった。

使徒の死角になる山中の裏側に造られていた射出口が開くと、10機の航空機が勢い良く飛び出す。

それらの航空機は低空飛行のまま茨城方面へと針路を取り、その飛行速度を限界まで上げていった。



………戦略自衛隊技術研究所。



”ピピピピピピピッ!”

筑波山のレーダーサイトに突如、反応が現れる。

「未確認の機影を確認、数は10。」

レーダー端末の監視をしていた戦自兵がモニターに映った10個の光点を指差して、上官に報告を上げた。

「…解析せよ。」

「ハッ、解析開始……機種判明、国連軍用VTOL型重戦闘機のようです。」

「今度は国連か。…やれやれ、今日は来客の多い日だな。」

その上官は、対応マニュアルどおり通信機のスイッチを入れて所長へ連絡を入れた。


……太陽高い青い空に10個の黒い点が見え始めた。


監視兵が指示された方向を双眼鏡で見ていると、その点はグングンと大きくなり、

 研究所まであと5km……という距離で緩やかに速度を落とし、やがて空中に停止した。

航空管制塔を兼ねているレーダーサイトに通信が入った。

『”ザッ”…こちら、特務機関NERV。貴研究所への着陸許可を求む。』

通信機のスイッチを責任者が押す。

「こちら、戦略自衛隊技術研究所、所長の土井だ。…用件は何か?」

この責任者の声に答えたのは、先ほどの着陸要請をした男性パイロットではなく、女性だった。

『”ザ…”お久しぶりです、土井三佐。…いえ、今は土井一佐でしたわね。』

マサルは、その声に驚きの表情になった。

「…その声は、もしかして赤木博士ですか?」

『”ザァ”…まぁ。5年前に一度お会いしただけなのに、憶えていて下さって光栄ですわ。』

理知的な女性の喜色を含んだ声に、土井の顔が見る見る赤くなっていく。


……そう、土井マサル。……彼の心に秘めた女性とは、赤木リツコ嬢であった。


彼は一日とて彼女を思わなかった日はなかった。

そんな彼が、彼女の声を忘れるハズがない。

惚けた様になってしまった責任者に、レーダーサイトの通信士は思わず顔を見合わせていた。

『”ザッ!”…あの、土井一佐。…着陸許可、頂けますか?』

「あ、はい、判りました。…NERVの着陸を許可します。」

『”ザ”ありがとう御座います。』

その女性の声と同時に、空中で停止していた10機の戦闘機が戦自研に向け飛行を再開させた。



………病室。



「…ぅ、う…ぅ〜ん。」

静かだった病室に、少年の小さな声が聞こえた。

”ガタッ!”

一歩も動く事なく座っていた蒼銀の少女が、少年の手を握ったまま勢い良く立ち上がる。

病室の窓からは、ジオフロントの明るい光が差し込んでいた。

シンジは瞼を震わせて、ゆっくりと真紅の瞳を開いていく。

少女は、彼の左手から感じていた弱弱しい波動が急速に強まっていくのを感じた。

焦点の合わぬまま、白銀の少年は無意識に口から言葉を出した。

「ぅ…ぁ、なみ……あやなみ?……ぅ?ここは?…そうか、また病院か。……綾波。」


……少年がまず自分を呼んでくれた。


その言葉を聞いた少女は、胸に熱いモノがこみ上げてくるような、

 止め処ない感覚に、深紅の瞳から自然と静かに涙を溢れさせた。

「…は、い。」

震えるような…か細い声で返事をしたレイは、透明な雫を流しながら彼の瞳を見詰めていた。

少年はその声に反応したように、ゆっくりと顔を動かした。

「あ、綾波…え!?…どうしたの?泣かないで?ごめん!ごめんよ?」

彼女に気遣うように、シンジは上半身を起こして少女に手を伸ばした。

”ふるふる”

その手をやおら握った蒼銀の少女は、静かにかぶりを振った。

「謝らないで…碇君。いいの、この涙は悲しいからじゃ…ないもの。」

少女は頬の雫を拭うと、泣き笑いのような表情になった。

「…綾波、力を使ってくれたんだね。…君の手から”温かいモノ”が伝わってくるのを感じたよ。」

レイは彼の疲労を少しでも早く回復させてあげようと、握った手から”癒しの波動”を送っていたのだ。

「綾波…ありがとう。」

”ぼふっ!”

シンジの感謝の言葉に、レイは飛び付くように彼の胸に抱きついた。

『…碇君が無事なら、それでいい。…それだけでいいの。』

彼女の限りない優しい波動に、白銀の少年は少女の背にゆっくりと腕を回して、確りと抱き締めた。

『…ありがとう、レイ。』

蒼銀の少女はシンジの胸に顔を埋めたまま、かぶりを振ると再び小さく肩を震わせた。

(…碇君、本当に、本当に無事で…よかった。)

静かに涙を流す彼女を落ち着かせるように、シンジは少女の蒼く輝く髪を、何度も何度も優しく撫ぜていた。



………戦自研。



リツコとミサトは戦自研の所長室に案内されていた。

「お久しぶりです、赤木博士。」

「ええ、本当にお久しぶりですわね、土井一佐。」

「初めまして、葛城ミサト二尉です。」

「どうぞ、そちらにお掛けになって下さい。」

白衣の女性と、赤いジャケットの女性は指定された黒いソファーに座った。

土井は、内線電話で一言、二言告げると、彼女達の対面に座った。

「今、お茶を用意させていますので。」

「…いえ、お構いなく。」

金髪の女性の言葉に、急いでいるような雰囲気を感じたマサルは、望み通りさっさと彼女達の目的を問うた。

「さて…本日、態々箱根からいらした用件は何でしょう?」

「土井一佐、御存知かと思いますが、現在、特務機関NERVは正体不明の巨大生物兵器と戦っています。」

笑顔のリツコが言ったその言葉に、土井は思わず苦笑を浮かべた。


……今の彼女の言葉は、戦自の偵察をワザと見逃している、と言ったようなものだ。


「ええ、知っていますよ。…そして、先ほど…初の黒星を取ったのもね。」

金髪の女性は、彼の真っ直ぐな瞳を見て…5年前に初めて彼と出会った時と変わらぬ印象を感じた。

(…相変わらず、真っ直ぐな人ね。)

リツコが、シンジ以外の男性で初めて、自然なコミュニケーションを取れた男。

…それが土井マサルであった。

「その通りですわ。…そして、NERVは次の作戦行動に移っています。」

”コンコン、カチャ”

「失礼します。」

茶色い髪の少女が、お茶とお茶請けを持って部屋に入って来た。

「どうぞ。」

”コトッ”

ミサトは目の前のテーブルにお茶を置いた少女を見て、少し目を大きくした。

「あ、あんた、国連軍の!」

「え?…あ!」

その少女も少し驚いた顔になったが、客の手前そのままリツコの前にお茶を置いた。

「霧島一尉、キミもココに座って彼女達の話を聞いて欲しい。」

「え、私もですか?」

「ああ、どうやらNERVは戦自の兵器を借りに来たようだからね。」

「…お察しの通りですわ。」

リツコも話が早くて助かる、という顔で応えた。

「で、どういったモノを?」

マナは土井の横に座って、真面目そうな顔で会談をしている隣の男を見やった。

(お茶だけじゃなくて、お茶請けも用意しろ、なぁんて…珍しいと思ったら。……土井さんって。)


……茶色い髪の少女が見た、隣の男の耳は真っ赤だった。


「ハイ、こちらにある試作自走陽電子砲をお借りしたいのです。」

リツコが口を開く前に、ミサトが言った。

(バカッ!…NERVが戦自研をスパイしました、と言ったようなものよ、ミサト。はぁ…。)

白衣の女性は、会話の順序を無視した友人に呆れながらフォローを始める。

「スミマセン、土井一佐。…今回の敵に対して、NERVでは戦自研の力が必要だと考えているのです。

 御協力を願えませんか?」

すでに、戦自とNERVのトップの間では、全ての話は付いているのだ。

…世間では、それを一般的に決定事項という。

協力に対する拒否権もないと判っていても丁寧に願い出たリツコの態度に、マサルは快く頷いた。

「もちろん我々の技術は日本国を、いえ、人を護る為のものですから。…では、こちらにいらして下さい。」

土井はマナを伴って、NERVの二人の女性を格納庫へと案内した。



………病室。



”カナカナカナカナカナカナ…カナ、カナ、カナ”

静かな時間が、ヒグラシの鳴き声と一緒に流れている。

地上の陽は少し傾き始めたのだろうか、窓から見える森と湖は少しだけ赤くなり始めていた。

白い病衣を着た少年は、窓から見えるジオフロントの自然を見るとなしに見ていた。

(母さんのサルベージ…あんなに大変だとは思わなかったな。)


……あれから30分ほどで落ち着きを取り戻した蒼銀の美少女は、一度NERVへ戻っていた。


(さぁて、作戦課の考えを読ませてもらおう。)

シンジは先ほどレイから渡された、使徒殲滅への作戦の草案が書かれた作戦書を読み始めた。



………第4特機格納庫。



「…こ、これが。」

ミサトは目の前に鎮座している巨大砲に目を開いて驚いていた。

「そうです。FX−1…ウチで開発したI型加速器を搭載した、試作自走陽電子砲の完成品です。」

マサルは隣のリツコを見て、説明を続けた。

「しかし、赤木博士…コイツは消費電力が大きすぎます。使える電源設備なんて、用意できるのですか?」

「モチロンです。…土井一佐、NERVが今作戦で使用する電力は、1億8000万キロワットですわ。」

「えっ!?」

想定外の答えと、想像外の大電力にマサルが驚く。

リツコはそんな男の方へ顔を向けて、質問をした。

「この陽電子砲、その電力に耐えられますか?」

「…マナ?」

戦自研の所長が少女に顔を向けると、彼女は”コクッ”と頷いて白衣の女性に答えた。

「はい、計算上は持ち堪えられるハズです。…陽電子制御システムも大丈夫と考えます。」

「…結構です。…では、借用いたしますわ。」

”カチャ…”

リツコは、銀色に輝くアタッシュケースから借用書を取り出した。

「判りました。…第3新東京市までの輸送はどうしますか?」

その文書を受け取ったマサルは、内容を確認しながら質問した。

「構成ブロック毎に分解してコンテナに積み込み……そして空輸します。私たちに時間は有りませんから。」

「では、我々も同行しましょう。組み立てや調整はこちらの方が慣れている分、早いですよ。」

「お願いできますか?」

「ええ、喜んで!」

ニッコリと笑ったその男の屈託のない笑顔に、リツコは少し見入ってしまった。

マサルは内線電話を取り、”テキパキ”と的確な指示を出した。

見る間に分解されていく陽電子砲を見て、ミサトが一言寂しげに呟いた。

「私、ここに来る必要…なかったかもね。」

「…あ、ミサト。国連軍の輸送ヘリを手配して頂戴。必要数を確認してね。」

ミサトの目の前にいるリツコは、技術的な話をマサルと楽しげにしているように見えた。

「判ったわよぉ〜……だっ!!」

不機嫌そうな返事をしたミサトは、分解作業を監督・指示しているマナに歩き寄った。

「霧島さん、輸送ヘリを手配するんだけれど、何機くらい必要かしら?」

マナは振り返ると、一枚の紙をミサトに渡した。

「はい、これ。…総重量、コンテナ数はその用紙の下側に記載されています。」

「あ…そ、そう。ありがとうね。」

物凄く事務的な少女の口調に、ミサトはあいまいに感謝の言葉を述べながら電話を手にした。

「いえ、仕事ですから。…葛城二尉。」

特にミサトを見る事なく、マナは楽しげに話し込んでいる白衣の二人を見ていた。

(やっぱり…決まりよねぇ〜。土井さん、赤木さんが好きなのね。ププッ判りやす〜。)

土井はふとした疑問をリツコに問うた。

「しかし、先ほどの大電力、一体ドコから集めてくるんですか?」

「…そうですね。日本中から、になるでしょうね。」



………第3新東京市、郊外。



市立第壱中学校2年A組の生徒達は、避難命令が出されていなかったので、変わらぬ日常を送っていた。

リツコたちが茨城県にいたその頃、鈴原邸では友人を迎えての対戦ゲームで盛り上がっていた。

「ちょ、ずるいで!ケンスケ!」

テレビ画面には、”YOU WIN!”と大きく表示されていた。

「はははっ作戦だよ、トウジ。」

”パッ!”

突然、テレビが切り替わった。

第3新東京市は、常に危険と隣り合わせの街だ。

その為、テレビ、ラジオ等の広報媒体は、全て強制的に緊急放送が出来る仕様となっていた。


……そして今日、そのシステムが初めて使用された。


「な、なんや?」

「何だろう?」

テレビ画面に映った女性アナウンサーのバックには、《 日本全国、本日大停電 》と書かれていた。

『…番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えします。』

凛とした女性の声が、マンションのリビングに響いた。

「…何や、こりゃ?」

「う〜ん、もしかして……また怪獣が来たのか?」

「は?…何でや?」

「ほら、昼間、繁華街の方が一瞬だけ光ったじゃないか?」

「おお、そういえば、ピカッっち光ったのぉ。」

「トウジ、この国全体の停電なんて、どう考えても可笑しいだろ?…よし、ちょっとウチで調べてみよう!」

「お?…なんや、もう帰るんか?」

「トウジも来るかい?」

「は?…何でや?」

「碇たちが何をやるか、調べるって言っているんだよ。」

茶色いくせっ毛の少年は、眼鏡を”クイッ”と右手の人差し指で上げる。

「おお、確かに気になるのぉ。よっしゃ!…ケンスケんち、行ったるわい!」

手をポンと打ったジャージの少年は、その腰を勢い良く上げた。


……洞木邸では、ヒカリがノートパソコンで宿題を片付けていた。


突然の女性の声に驚いた彼女は、いつの間にか電源の入ったテレビに少し瞳を大きくしたまま見ていた。

『……本日、午後11時30分より……』


……第二新東京市。


高層ビルの壁面に設置された大型オーロラビジョンのスクリーンに緊急放送が流れている。

『……明日未明にかけて、全国で大規模な……』


……鹿児島県、新枕崎市。


”…バババババッ!…”

消防の赤いヘリコプターから広報活動が実施されている。

『……停電があります。皆様の御協力を宜しくお願い致します。……』


……北海道、別海市。


オレンジ色の電車が高架線路の上を走っている。

街並みに見えるビルの広報用の表示看板が停電を告げている。

『……繰り返しお伝えします。…本日、午後11時30分より……』


……山口県、宇部市。


”ゥウゥーーー”

赤いパトライトを回転させて、サイレンを鳴らす消防自動車が瀬戸内海、周防灘の沿岸を走っている。

その静かな町に町内放送用のスピーカーから、女性のアナウンスが流れていた。

『……明日未明にかけて、全国で大規模な停電が……』


……旧東京市、三鷹区。


オレンジ色に染まった夕焼けに、カラスの鳴き声が聞こえる。

”カァーーーー……カァーーーー……”

住民が殆どいない、放置されたこの地域でも全国に広報されている緊急放送は等しく流されていた。

『……停電があります。皆様の御協力を宜しくお願い致します。……』



………再び、第3新東京市。



”…ガリガリガリガリガリガリガリ!!!!!”

夕焼けの空をバックに、青いクリスタルを思わせる正八面体の使徒は穿孔作業を続けていた。


……その地下、NERV本部の発令所に女性サブオペレーターの声が流れる。


『…敵シールド、第7装甲板を突破。』

”…プシュ!”

茨城県からVTOL機で帰還した女性は、そのまま発令所のメインオペレーター席に歩いた。

彼女は、部下であるメガネのオペレーターに作戦準備状況を聞いた。

「エネルギーシステムの見通しは?」

「はい、現地より報告を上げさせます。」

マコトが素早く通信回線を開いた。

ミサトの問いに答えたのは、神奈川県、新小田原市で通線作業を確認していた男性スタッフだった。

”ピピ”

『…現在、予定より3.2%遅れていますが、本日23時10分には、何とかできます!』

彼の立っている4車線の幹線道路には、人間よりも太いケーブルが数え切れぬほど用意されていた。

その映像を見ながら、ミサトは視線を動かして次の質問をした。

「そう。…ポジトロンライフルはどう?」

赤いジャケットの女性の後ろから、少し疲れたような声が返ってきた。

「現在、戦自研のスタッフと技術局第3課が打合せ中よ。ミサト、陽電子砲よ?…ライフルではないわ。」

「あら、リツコ。で…防御手段は?」

「…これを見て。」

金髪の女性がコンソールのキーを操作して、第8格納庫の様子を映し出した。

「なに、これ?」

「…何って、防御手段よ。あの砲撃に対しては、もう盾で防ぐしかないわね。」

画面上部には、《 EVA専用耐熱光波防御兵器(急造仕様)》と表示されていた。

オペレーター席にいたマヤは、その画面を見て思わず口を開いた。

「センパイ。これが盾、ですか?」

「そう、SSTOのお下がり。…見た目は酷くとも元々底部は、超電磁コーティングされている機種だし、

 あの砲撃にも17秒はもつわ。…二課の保証書付きよ。」

作戦課長は、頷きながら満足そうな顔になった。

「結構。…狙撃地点は?」

ミサトに答えたのは、作戦課の部下であるマコトだった。

彼は、第3新東京市の周囲マップをモニターに表示させて説明を開始した。

「…目標との距離、地形、手頃な変電設備も考えると…やはり、ここです。」

彼は、グリーンの等高線で描かれた地形図の中心地点を指差した。

「ふ〜ん。…確かにイケるわね。」

ミサトは、顔をモニターから上げると、作戦課の責任者として決定事項を伝達した。

「…狙撃地点は二子山山頂、作戦開始時刻は、明朝0時……以後本作戦を”ヤシマ作戦”と呼称します!」

「了解!」

マコトが、決定事項をコンソールに叩き込む。

(…後は、パイロットの問題ね。)

ミサトは準備作業を確認する頭の片隅で、病室にいる少年の事を考えた。

「あ、ミサト。…シンジ君が呼んでいたわよ。」

「え?…彼、もういいの?」

「私たちが戦自研に行っている間に、気が付いたそうよ。」

「そうなの?」

「何でも作戦について、話があるみたいよ。」

「判ったわ。って彼、ドコにいるの?」

「ジオフロントの病院、5階よ。さ、行きましょ。」

「リツコも行くの?」

「当たり前でしょう?…NERVとしての作戦行動を決めるのよ?技術開発部も参加するのは当然でしょ?」

金髪の女性のあからさまに呆れた返事に、ミサトは冷や汗をかいた。

「そ、そりゃ…そうよね。」



………技術部3課。



「土井一佐、狙撃地点が決定しました。」

NERVのスタッフが受話器を置いて、白板の前に立っている男に報告をした。

「判りました、それでは早速、FX−1の組立てを現地で開始しましょう。ドコですか?」

白板に陽電子砲の組み立て、運用の説明をしていた戦自研の責任者が問う。

「二子山山頂です。」

「またコンテナを空輸するんですか?」

「いえ、陸路でトラックを使用します。NERVには大型輸送トラックが腐るほど有りますから。」

「なるほど。では、早速作業を開始しましょう。」

土井マサルと戦自のスタッフは、NERVのスタッフと共に部屋を出た。



………病室。



”…カナカナカナカナカナカナ…”


換気のために少し開けた窓から、ヒグラシの鳴き声が聞こえる。

”カチャ”

シンジは窓の外を見ていた目を、音を出したドアに向けた。

”カタカタ…キュ”

蒼銀の少女は制服に着替えて、病院の小型配膳用カートを運んで来た。

「綾波。」

レイは、徐に通達を始めた。

「…明日、午前0時より発動されるヤシマ作戦のスケジュールを伝えます。

 碇・綾波の両パイロットは本日17:30、ケージに集合。

 18:00、初号機及び零号機起動。18:05、発進。同30二子山仮設基地に到着。

 以降は別命あるまで待機。明朝、日付変更と共に作戦行動開始。」

少女はニコリと微笑むと、台車の下側からクリーニングパッケージに包まれた新しいスーツを取り出した。

「はい、碇君。…新しいプラグスーツ。」

レイはスーツをベッドに置くと、備え付けのイスに腰掛けた。

「ありがとう。」

「今のが作戦課のスケジュール。碇君、どうするの?」

「さっき、姉さんに葛城さんと来るように言ったから。…やっぱり、これじゃダメだよ。」

”バサッ”

シンジは、先ほどまで読んでいた作戦書をベッドの上に投げるように置いた。

「”前”のままだよ。…ま、当然かもしれないけど。」


”…カナカナカナカナカカナカナカナ…”


少女は、彼の話を聞きながらベッドの備え付けのテーブルを用意した。

「そうね。…碇君、お姉さんが来る前に食事にしましょ?」

レイはカートからトレイを出して、配膳を始めた。

「うん、そうだね。」

「はい、ジュース。」

蒼銀の少女がパックジュースにストローを刺して、少年に手渡した。

「ありがとう。」


……穏やかな時間が、この空間に満たされていく。


”コンコン、カチャ”

赤い夕日に包まれた病室に、二人の女性が入って来た。

「お邪魔するわよ、シンジ君。」

「あっらぁ〜ん。ホントにお邪魔しちゃったわね〜お二人さん♪」

ミサトが見た二人。……少女の右手にスプーン、そのスプーンは少年の口の中だった。

「”ゴクンッ”…あ、ど、どうも。」

少し頬を染めた少年は、ちょっとバツの悪そうな顔になった。

「ふふ♪あんた達ってばぁ、相変わらず仲いいわねぇ〜」

ミサトのからかいに反応しなかったのは、リツコと蒼銀の少女だった。

「はい、碇君…スープ。あ〜ん、して。」

少女は、同じ動作を繰り返した。

「ぁ、ぁ…ん」

楽しげなミサトの視線に、少年の顔が紅くなる。

「シンジ君、作戦書…見てくれたかしら。」

真面目な姉の声に、紅かった顔を”スッ”と真剣なモノにした少年は”ハッキリ”と答えを返した。

「…はい。EVA中隊として、この作戦の修正を求めます。」

「ッ!…どういう事?」

ミサトのふざけた雰囲気が一変して、”ぎゅっ”と彼女の目付きが鋭くなる。

「まず、根本的な話ですが……陽電子砲を撃つのに、EVAは必要有りません。」

「どうしてよ?」

「結局、MAGIで修正して撃つのなら、自走陽電子砲を態々ライフルに改造する必要はないからです。」

リツコはバインダーの作戦書を見ながら聞いた。

「では、どうするの?」

「はい、この作戦の致命的な処はジオフロント内部の防御がない事です。」

「はんっ!目標のレンジ外からの直接射撃よ?…必要ないじゃない。」

ミサトは少年に”バカバカしい”という表情と肩をすくめるような動作をした。

「では、なぜ、使徒はシールドで穿孔なんてしているんですか?」

「え、そりゃ、……」

濃紺の長髪を掻き揚げながら、彼女は答えに窮した。

「気になるんですよ。アレだけ強力な攻撃方法を持っているのに、なぜ時間が掛かる方法で侵攻するのか。」

「じゃ、じゃーどうすんのよ?」


……作戦課長、”ぽいっ”と仕事放棄。


そんな女性を横目で見た少年は、一旦、瞳を閉じてから再び説明を始めた。

「まず、戦自研の陽電子砲は、先ほど決定した二子山山頂より、予定通り狙撃準備。

 自分の乗る初号機は、都市部に潜伏して使徒の陽動行動に出ます。

 初号機が使徒の相手をしている間に、電力準備、照準の調整、そして狙撃。 

 零号機は、調整が完全では有りません。ですから、盾とNERVのポジトロンライフルを装備して、

 ジオフロントに配置します。」

「碇君、盾は初号機に装備するべきだと思うわ。」

少女の発言にリツコも賛同する。

「そうよ、シンジ君。…初号機で囮になるって言うんでしょ?」

「姉さん、頼んでいたの…出来ました?」

「え、あ…ええ、出来上がっているわよ。」

シンジはレイの方へ顔を向けると、彼女の手を優しく包んで言った。

「綾波、盾を装備すると、あの攻撃を避けられなくなるから。陽動かく乱には、スピードが命ってね。

 それに姉さんが用意してくれたモノがあれば、何とかなるよ。」

「……………そう。」

少年の温かな手を感じる少女は、心配そうな視線を彼に向けていた。

赤いジャケットの女性は、今の会話で引っ掛かりを覚えた。

「シンジ君?」

「はい?」

「何でリツコの事、”姉さん”なんて呼ぶの?」

「は?…そんなプライベートな事を、あなたに答える義務は有りませんよ。」

「ミサト、今…そんな事を言っている場合じゃないでしょ。」

「え、で…でも…」

「EVA独立中隊の修正案で宜しいですね?…葛城作戦課長?」

白銀の少年は、有無を言わせない軍隊モードの厳しい口調で彼女に聞いた。

「え?…えぇ、そうね。…判ったわ。じゃ、私は現地二子山仮設基地で作戦指揮を執るから、リツコは?」

「陽電子砲の組み立てと調整をしてくれている戦自研の手前、仮設基地に行くわ。」

「じゃ、シンジ君たちEVA中隊は、変更スケジュールを後で伝えるから、それで行動してね?」

「了解しました。」

「…了解。」

少年の作戦修正に、ミサトは内心喜んだ。……これは、自分の手で使徒を殲滅できるチャンスだと。

「じゃ、また後でねん♪」

「シンジ君、また後でね。」

それぞれ挨拶をすると、二人の女性は病室を後にした。

その女性たちが消えたドアを見ていた少年に、少女が声を掛けた。

「…碇君。」

「ん、何?綾波。」

「はい、あ〜ん。」

レイの手に小さく切ったパンがあった。

二人きりの病室。…安心しきった少年は、満面の笑みで彼女に応えた。

「あ〜ん♪」

シンジのかぶり付く勢いが良かったのか、彼の口の中にパンと一緒に少女の指先が入る。

”…ちゅぽんっ”

彼女は彼の唾液に濡れたその指を暫く見詰めて、徐に自分の口に含んだ。

”ぱくっ…ちゅぅ…”

「あ、綾波?」

「”ポ”…碇君の味。」

”ぼんっ!”

頬をピンクに染めた少女の言葉に、少年の顔から火が吹いた。





決戦、第3新東京市。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………廊下。



”カッ…コッ…カッ…コッ…カッ…コッ…カッ…コッ…”

病室を出た二人の女性が、病院の廊下を歩いている。

「ミサト…貴方、何か忘れていない?」

白衣の女性が横目で赤いジャケットの女性を見た。

「へ?…何か?」

「作戦課がすべき最初の仕事。…開戦を告げる全住民の避難指示。まだしてないんじゃない?」

「あっ!」

ミサトは、使徒戦が始まってから時間が経ち過ぎていて、すっかり忘れていたようだ。

「ま…避難していないのは郊外のブロックだけで、都市部の避難は最初に終わらせているし。

 今回の使徒はゆっくりと穴を掘っているだけだったから、特に影響なかったけど。」

「そ、そうね。……そんじゃ、ちょっち発令所に行って指示出して来るわ。」

タハハ、とミサトがあいまいな笑い顔になる。

「今回の作戦、判っていると思うけど…これ以上の第3新東京市の戦闘形態への移行はナシよ?」

「へ?…あんでよ?」

リツコは、片眉を上げて怪訝そうな顔を自分に向ける友人を見て、やっぱりね…と少し肩を落とした。

「ふぅ。いい?…周りのビルが一斉に稼動したら、あの使徒が反応して暴れる可能性があるでしょ?」

ミサトは手を”ポンッ”と打った。

「ああ、そっか。…じゃ、使えるのは、最初に展開させた第4から第6管区のヤツだけって事?」

「そうなるわね。ミサト、私は格納庫のポジトロンライフルの調整を確認してから、仮設基地に行くから。」

「了解。じゃ、私は移動指揮車に乗って先に現場に入っているわ。」

二人の女性は廊下の曲がり角で別れて、それぞれの目的地に向かって歩いて行った。



………夕方の第壱中学校。



”ゥウウウウウゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーー!!!”


けたたましいサイレンが赤い空に包まれた郊外の町中に鳴り響く。

多くの住民はもはや聞き慣れてしまったこの放送に、生活の手を止めて地下深いシェルターに急ぎ向かった。

”……カナカナカナカナカナカナカナ…カナ…カナ………”

ヒグラシの鳴き声が、夕日に照らされた校舎の周りに聞こえている。

そんな中、トウジとケンスケの呼び掛けに応えた2−Aの生徒達は一度下校した学校に再び戻っていた。

…彼らは、クラスの生徒を巻き込んで何をしているのか?

それは、白銀の少年と蒼銀の少女に対する感謝と手ずからの応援であった。


……それぞれが用意してきた白い布に、思い思いの言葉をシンジ達に向けて書き綴っていた。


「…えらい、遅いなぁー。もう避難せなアカン時間やで…」

夕日に染まる屋上の柵の外側で、その手すりにもたれかかっているジャージの少年が呟いた。

「パパのデータをちょろまかして見たんだ、この時間に間違いないよ。」

その横で座り込んでいるケンスケは、左腕の時計で時間を確認している。

「せやけど、出てけぇへんなぁ。」

”グァ!グァ!ギャ、ギャ、バサバサバサバサッ”

そんな時、校舎の裏側に見える小高い丘から、そこに生態系を築いている鳥類が勢い良く飛び立った。

”ビー、ビー、ビー、ゴゥォォーー……!”

丘の斜面が地響きのような音を立てながら、下にスライドしていく。

中学校の屋上にいた生徒は、その様子に目を大きくしていた。

「や、山が動きよる…」

そんな感想を漏らしたトウジの声はケンスケに届いていなかった。

メガネの少年は、期待に声が弾んでいた。

「…エヴァンゲリオンだ!」

”ガシューー…”

樹木生い茂る山中に《R−20》と白い大きな文字で書かれた金属製の巨大ゲートが出現すると、

 それが左右に分かれて口を開いていく。

”ビー、ビー、ビー、ビー……グゥィィィーーーイン”

注意を促す警告音が響く山中に、紫の巨体がゆっくりと運ばれて来る。

「「「おおおぉぉ!!!すっげぇぇーー!!」」」

「あれ?…綾波さんのEVAは出てこないのか?」


……どうやら、ケンスケの情報は変更前の作戦だったようだ。


初号機は、左肩後ろのウェポンラックに緩やかな弧を描く巨大な棒を付けており、

 右手にはその半分位の長さではあるが、同じように緩やかな弧を描く棒を持っている。

「なんや、あれ?」

「棒状の武器?…いや、形状からすると刀か?……え?あれって、もしかして巨大日本刀なのか?」

ケンスケのメガネがキラリと光る。

初号機はゆっくり一歩、一歩と足を出した。

”ズゥシンッ!ズゥシンッ!ズゥシンッ!ズゥシンッ!”

夕日をバックに移動を開始した巨人の影に、2−Aの生徒達の声援が届く。

「おおぉーーいぃっ、がんばれよぉ!!」

「センセェェェエ!!…たのんだでぇぇえ!!」

「きゃーーーいかりくーーん!!」

「いかりくーーーん!!」

「がんばってぇぇぇえ!!」

そんな彼らに、紫のEVAは左手を振って答えてくれた。

「「「うぉぉーー!!」」」


……屋上の生徒たちは興奮しきりだった。


プラグから見ていたシンジは苦笑していた。

『まったく…早く避難しないと、委員長に怒られちゃうよ、みんな。』

”ピュン!”

少年の右手が握る操縦桿の上にバーチャルモニターが現れる。

『マスター、やはり初号機のウェイトバランスが崩れています。』

『…フィードバックの係数を変更すればいいかな?』

『勝手にいじってリツコ様にお咎めを頂きませんでしょうか?』

『じゃ、連絡を入れるよ。』

『もう一つ、宜しいでしょうか?』

『ん?』

『戦略自衛隊の試作自走陽電子砲、FX−1についてですが。』

『…うん。』

『今の状態ですと、初撃の反動で転倒してしまいます。』

『え、そうなの?』

『はい、リツコ様へ提言をお願い致します。』

『…判った。ドーラ、ありがとう。』

主人の温かい笑顔を見た、女性の顔は紅かった。

『…と、当然の事です、マスター。』


……シンジはインテリアのスイッチを操作した。


”ピュン!”

『…はい、発令所です。』

インテリアの左側に”SOUND ONLY”と表示された通信用の画面が浮かび上がった。

「こちら、EVA独立中隊、碇です。…赤木博士はいますか?」

『二子山仮設基地、作戦指揮車におります。お繋ぎしますので、お待ち下さい。』



………14式大型移動指揮車。



「はい、赤木です。」

地下深いNERV本部の発令所と変わらぬ喧騒に包まれた、この狭い車内に女性の声が上がる。

『EVA初号機から通信が入っております。このままどうぞ。』

「判ったわ。…”ピュン!”…碇三佐、何かあったかしら?」

移動指揮車のモニターに初号機パイロットが表示された。

『赤木博士、新装備に対する初号機のウェイトバランスが崩れています。こちらで修正していいですか?』

「原因は、左肩に装備したマゴロク・エクスターミネート・ソードかしら?」

『右手のカウンターソードも…ですかね。』

「あら、カウンターソードは左手、ではないの?」

『今回の使徒戦においては、両刀を構えて使う気はありませんよ?』

「そう。碇三佐の方で調整出来るなら、好きにいじって貰って結構よ?」

『…判りました。…自走陽電子砲はどうですか?』

「そうね、今の処…電力の確保以外は順調よ。……戦自研のスタッフは優秀ね。」

『発射時の反動に対して、何か対策を考えていますか?』

「土井一佐の計算では、陽電子砲のショックアブソーバーを最大に効かせれば大丈夫、となっていたけど?」

『その計算、もう一度パラメーターを見直して下さい。…多分、ダメですよ。』

「判ったわ。…では、こちらで再計算をしてみるから。」

『以上です。…では、初号機、作戦位置にて待機。』

「シンジ君、気を付けてね。」

『…了解。』



………午後8時11分、ジオフロント。



太陽は既に地平線に沈み込み、ジオフロントは暗かった。

”ビー、ビー、ビー、ビー…”

薄暗い闇に包まれた地下空間に、単眼の巨人が現れる。

初号機より大分遅れた出撃になったのは、

 ギリギリまでフィードバック、ハーモニクス、シンクロの各種調整作業を行っていたからだった。

そのお陰で、レイと零号機のシンクロ率は再起動実験時の52.3%から、現在74.5%にまで上がった。

ちなみに、シンジと初号機のシンクロ率は、99.9%で揺らぎはなかった。

”ガシュン!…ガシュン!…ガシュン!…ガシュン!”

零号機は、ゆっくりと足を進めた。


……左手に巨大な黒い盾と、右手に白い巨大砲を装備したオレンジ色のEVAは、作戦位置に着いた。


MAGIのシミュレーションによる使徒のシールドは、目の前のピラミッドの真上に到達する予想であった。

レイは、零号機の片ヒザを地面につけて両手の装備を地上に置くと、そのまま薄暗い空間に目をやった。

ジオフロントの円周部に設置された人工の光が、等間隔に灯っている。


……それらは、まるで星のように煌いていた。


(…作戦開始まで、あと…3時間50分を切った。)

蒼銀の美少女は、ゆっくりと深紅の瞳を閉じた。



………同時刻、二子山山中、朝日滝付近。



山頂に続く曲がりくねった峠の道を、青い大きな車が貨物列車のように長い列を作って占拠している。

この自動車は、すべて今日の作戦のために日本中から集められた変電設備を搭載した特殊移動車両だった。

その山間に、仮設で設置されたスピーカーから状況の報告が流れる。

『敵シールド、第17装甲板を突破!…本部到達まで、後3時間55分。』

『サブ変圧システム、問題なし。』

『四国、及び九州エリアの通電完了。』

『各冷却システムは、試運転に入ってください。』



………二子山山頂、仮設基地。



「よし、砲撃ポイントまで微速前進!…ゆっくりだ、よし、いいぞ!!」

戦自のスタッフが手旗と笛で誘導を始める。

”ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…”

”ゴゴゴゴッ!…ギャリギャリギャリギャリギャリ…”

無限軌道の巨大キャタピラーが、ゆっくりと回転し始める。

白衣の男が、目の前を移動し始めた巨大陽電子砲を見ていると、後ろから女性の声が聞こえた。

「お疲れ様です、土井一佐。」

「ああ、赤木博士。…お疲れ様です。」

振り返ったマサルが見たのは、リツコだった。

「FX−1の作業状況は、いかがですか?」

「…今し方、組み立ては終了しました。…これから各システムの調整に入ります。」

「間に合いますか?」

「ええ、もちろん。」

男は胸を張って答えた。

「土井一佐、砲撃時の反動の計算ですが。」

その男に、リツコはバインダーを見せた。

「はい?」

そこに綴られた書類の数字に、女性の人差し指が”ピタッ”と止まる。

「この数式の係数、強度を少し高く見積もっていると思いますわ。

 より安全を考えると…少し下げた方が良いと考えますが?」

マサルは、書類の数字に目を凝らした。

「なるほど、う〜ん。…そうですね、そうかも知れません。

 でもそうなると、このアブソーバーの性能では足りない可能性が出てきますね。」

「こちらで、不足分を補う為の縄を用意しましたわ。」

「縄、ですか?」

「ええ、カーボンナノチューブをより合わせた物です。伸縮性と剛性に優れたモノですわ。」

「設置アンカーを地面に打って、固定。…という事ですね。判りました。指示を直ぐに出します。」

「お願いしますわ。…これで、陽電子砲の問題は片付いたでしょうか?」

「そうですね、設置、運用に関しては。」

「あとは?」

「根本的な大問題は……試射もしていない砲身、加速器が実際にもつか、の方だと思います。」

「理論上は、大丈夫ですわよね?」

「ええ、理論上は。しかしこれだけの大電力での実射は、どうなるか、全く予測がつきませんよ?」

「まぁ…戦自研のレポートの数字は完璧ですわよ?…随分と慎重ですのね?」

ありのままの自然体の男を見た金髪の女性の瞳は、少し笑っていた。

「…いえ。ただ、自分に自信がないだけですよ。」

「ふふふっ…御謙遜を。」

「ヤメてくださいよ、自分はまだまだ未熟者ですから。」

リツコの横に立つ男は、耳を赤くして鼻の頭をかいていた。



………第3新東京市…東側、EVA初号機。



紫の巨人は、高層ビルと兵装ビルの間の幅広い幹線道路に片ヒザをついた状態で、静かに待機していた。

シンジは、エントリープラグを半分排出して初号機の肩に座っていた。

少年は顔を上げて濃紺色の空を見上げたが、この明るい街の光では……星は余り良く見えなかった。

時折、風が優しく通り過ぎる。

今夜は満月だったがその月も空にまだ低く、その光も弱かった。

(…もう直ぐだ。)

『…碇君。』

『どうしたの?綾波?』

地下のジオフロントで待機している零号機も、プラグを半分排出した状態だった。

蒼銀の少女は風のない地下空間の中、オレンジ色の巨人の肩に立って地上を見るように顔を上に向けていた。

『…無茶、しないでね?』

『頑張るよ。…綾波も気を付けてね?』

『…うん。』

『何があっても、キミは僕が護るから。』

『…碇君は、私が護る。』

『ありがとう、綾波。』

『…碇君。』


……離れた場所の二人は、お互いの波動に身を寄せた。


”ピピピピ!”


『通信だね。プラグに戻ろう。』

『…そうね。』



………14式大型移動指揮車。



ミサトが通信機のスイッチを入れる。

「…今作戦における各担当を伝達します。」

ミサトの見る通信用モニターに二人のパイロットが映っていた。

「シンジ君。」

『…はい。』

「初号機にて、陽動かく乱。…使徒の注意を引き付けて。

 零号機は、ジオフロントにて本部の直援、防御になるわ。」

金髪の女性が赤いジャケットの女性を押しやるようにして、プラグの通信ウィンドウの前に立った。

「ミサト、説明不足よ?

 これから、自走陽電子砲による砲撃で使徒を殲滅する戦術作戦部の作戦を遂行します。

 EVA独立中隊には、要請書どおり支援行動をお願いするわ。」

『赤木博士…戦自研の陽電子砲、準備は整ったんですか?』

「ええ、大丈夫よ。」

『…私は、本部を護れば良いのね?』

「そうよ、零号機は本部の防御担当をして頂戴。」

『…判りました。』

「初号機は使徒に一番近い場所になるから、

 不測の事態に備えて、使徒殲滅も視野に入れた行動を要請するわ。」

『EVA独立中隊、了解しました。』

ミサトが再びプラグのチルドレンが映るモニターの前に立つ。

「…作戦開始は、午前0時よ。いいわね?」

『EVA初号機、待機します。』

『零号機、待機を続行します。』

その言葉を残してチルドレンたちは通信を切った。



………ゼロエリア。



”…フッ”

第3新東京市の信号機から光が消えた。

その歩道を照らす街灯も消えた。

地下シェルターの照明も落ちた。

今…時計の針は、緊急放送された予定時刻…23時30分を指していた。

徐々に、停電範囲が広がって行くように第3新東京市は、使徒を照らす照明を残して全て暗闇に包まれた。

そして程なく日本中が強制的に受電を切られていく。

その様子を見ていたシンジは、エントリープラグから夜空に視線を向けた。

(…星がきれいだ。)

少年は、静かに瞳を閉じて少女に呼び掛けた。

『…綾波。』

少女はその呼び掛けに、嬉しそうに応えた。

『…何?』

『綾波は”前”にEVAに乗るのは、絆だからって言ったじゃない?』

『…ええ。言ったわ。』

『今は?』

『…絆だから。』

『みんな、との?』

『…碇君との。』

『…え?』

『チルドレンも碇君との絆の一つ。…そう思うわ。』

『ありがとう、綾波。うれしいよ。』

『…いい。』

”ピピピピ!”

エントリープラグにアラームが鳴り響いた。

『…時間よ。さっさと終わらせましょ。』

『そうだね。また、後でね…綾波。』

『ええ。また後で、碇君。』

白銀の少年はゆっくりと瞳を開けた。

「EVA初号機、作戦行動準備を開始します。」

シンジは、インテリアの操縦桿を握り込んだ。

”グググッ!!”

ゆっくりと巨人が立ち上がる。

そして、紫色のEVAは気配を消して高層ビルの陰に潜んだ。


……時刻は、23時58分00秒。


”……ガリガリガリガリガリガリガリガリ!……”

ラミエルはシールドマシンのようなドリルでジオフロントに向けて侵攻を続けていた。

…23時58分、35秒。

少年のプラグに少女の声が聞こえる。

『…EVA零号機、作戦行動準備開始。』

”……ガリガリガリガリガリガリガリ!……”

静かな街に使徒が穿孔する音が響く。



………二子山仮設基地内、大型移動指揮車。



”ヴゥゥウゥゥウゥ………”

基地内を埋め尽くす電気設備から、低いうなりのような音が聞こえる。

「カウント始めます。」

女性サブオペレーターが、モニターに表示された時刻を読み上げる。

「23時59分30秒。」

計器類が音を立てている車内には、腕を組む赤いジャケットの女性が立っていた。

「23時59分40秒。」

その隣に立っている白衣の女性も、静かに各モニターを見て待機していた。

「23時59分50秒。」

土井マサルと戦自の技術スタッフは、陽電子砲の横に設置した制御室にいた。

『…ただ今より、0時0分0秒をお知らせします。』

”ピッ、ピッ、ピッ、ポーン!”

「作戦スタートです!」

作戦課のメガネのオペレーターが振り向き報告すると、ミサトはマイクのスイッチを入れた。

「土井一佐、陽電子砲発射準備を開始して下さい。

 シンジ君、敵状の変化を認めたら陽動を開始、いいわね?」

『陽電子班、了解。』

『…初号機、了解。』

リツコが指示を出した。

「電力の接続を始めます。…第一次接続開始。」

「第1から第803管区まで送電開始。」

マコトの指示で、現場の技術部員が操作を開始する。

”…ガチャン!”

受電系統を示すモニターの上位側が、通電された事を示す赤ランプに変わった。

”ヴィィィイン…フォォォォオオ”

現場のスピーカーから報告が溢れ出す。

『第一次送電システム、正常。』

『サブ変圧器、出力問題なし。』

『超伝導誘電システム稼動。』

『変換効率は予定内を維持。』

『電圧上昇中、加圧域へ。』

手順書通りの報告を確認したマコトは、次の指示を送る。

「全冷却システム、出力最大へ。」

「陽電子流入、順調なり。」

リツコは、次のステップへ移る指示を出した。

「…第二次接続。」

”ガチャン!”

モニターの通電の状態が陽電子砲に向けて更に進行する。

『サブ圧縮機、稼動。』

「全加速器、運転開始。」

『陽電子、加速問題なし。』

マヤがコンソールを叩いて、命令を実行する。

「強制収束器稼動!」



………発令所。



ヤシマ作戦の状況が報告されている。

最上段には、巨大3Dモニターを見ている二人の男がいた。

『…全電力、二子山の増設変電所へ!』

『第三次接続、問題なし。』

発令所のモニターには、直上で穿孔を続けているブルーの正八面体が映っていた。



………指揮車。



「最終安全装置解除。」

ミサトは、用意させた発射装置に手を掛けた。

マコトの横に据え付けられたソレは、飛行機の操縦桿を思わせるジョイスティックだった。

(発射ボタンなら、何でも良いでしょうに……雰囲気かしらね。)

リツコは、横目でそれをバカにしたような目で見ると、マイクのスイッチを押した。

「土井一佐。これより最終安全装置の解除をします。…宜しいですか?」

『はい、こちらは問題ありません。…いつでも結構ですよ?』

「判りました。…では、始めます。日向くん?」

「了解、撃鉄起こせ!!」

『了解。』

戦自のスタッフの操作で、巨大陽電子砲が動き出す。

”ガチャァアン!!”

実射の為のヒューズが装てんされると、ミサトの目の前のモニターの表示が切り替わる。

敵である使徒の正八面体が表示され、照準が揃い始める。

”ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、ピ…”

ジョイスティックを握る赤いジャケットの女性は、渇いた唇を”ぺろり”と舌で舐めた。

「地球自転、及び重力の誤差…修正!プラス0.0009。」

『電圧、発射電位まで0.2。』

”グォォォオオン……パリッパリパリ……”

冷却器が能力以上の働きを求められて、悲鳴を上げ始める。

山中に張り巡らせた超高圧用動力ケーブルから白い煙が立ち昇る。

メガネのオペレーターが報告する。

「第七次最終接続。」

『陽電子送信管、収束を開始。』

「全エネルギー、陽電子砲へ!」

マコトのカウントダウンが始まる。

「8、7、6、5……」

マヤの声が指揮車に響く!

「…目標に高エネルギー反応!!」

「何ですって!」

リツコの声に被るように、シンジの声がスピーカーから流れた。

『…初号機、作戦行動開始。』



………第3新東京市、ゼロエリア。



少年は巨人を動かして、先の敵を見た。

右肩のウェポンラックを展開して、左手にナイフを装備する。

シンジは、青いクリスタルのような正八面体の敵に向かって口を動かした。



「{我と対峙するアダムの子よ。永きに渡る戦いの鎖を解いてあげよう。

 我に勝てれば自由を。負ければ、白き月に還る事は叶わない。}」



……この世のルールとなった、この{言 霊}によって使徒戦再開の幕が切って落とされた。


”ガシン!…ガシン!…ガシン!…ガシン!…ガシン!…ガシン!…”

暗闇の街中に巨人の影が走り抜ける。

”ジュゥゥウン!”

目の前に浮かぶ使徒のスリットの輝きが強まっていく。

シンジは、挑発するような敵対行動をラミエルに示した。

”ブンッ!”

紫の巨人は、走りながら左手に握っていたプログレッシブナイフを使徒に思い切り投げつけた。

”カァーーン!…チカッ”

シンジは正八面体が光るのを見ると、初号機を加速させた。

”…チュゥゥゥウウン!!”

ラミエルの光線は、まるでサーチライトのように初号機を追従していく。

”…ドゴォォォォオオオン!!”

そして次の瞬間、その光線が舐めた街が次々と爆発していった。

『…2、1…』

初号機のプラグにマコトのカウントダウンが聞こえる。

(よし、今…ちょうど正反対の方向だな。)

シンジは自分の後ろに付いてくる光線を見て、作戦の成功を予感した。




”ピピピピピ…ピュイン!”

(死ねッ!!!)

赤いジャケットの女性は、目の前のモニターの照準が合わさったのを確認して、引き金を絞った。

『発射ぁ!!!』

”カチンッ!”
 
ミサトの大きな声がエントリープラグに響き渡る。

”キュィン!……ドシュゥゥゥウウ!!!!”

陽電子砲が煌くように輝いた瞬間、その砲身から巨大な光の帯が第3新東京市に向かって放たれた。

”ビリビリビリッ!!!”

『ショックアブソーバー最大!!…耐えろ!!』

本体を支える巨大なキャタピラーが反動で浮き上がる。

”…ギギッギギギギギリギリギリッ!!!”

リツコの用意したカーボンナノチューブの太いワイヤーがきしむ!


……マサルが制御室で砲撃の反動に耐えている、その瞬間だった。


”グルン!”

初号機を追っていた光線がそのまま来た道を戻るかのように、一瞬にして向きを変えた。

”…ヴヴヴヴヴヴゥゥゥゥ……”

一直線に進む光の刃が、お互いに交わるように近付いた瞬間、干渉と反発を起こしてその軌跡を歪めた。

”…ジュゥゥゥウウウンン!!”

(…えぇ!うそ!…ちょっと待った!)

ミサトの放った高エネルギー収束体は、使徒の光線に影響を受けてブレるようにたわむと、狙いがズレた。

使徒の左側を通り越し、シンジの初号機の方へ向かってくる。

ラミエルがサーチライトのように動かした加粒子砲は、陽電子砲の少し上をかすめて後方の山中に着弾した。

”…ドッゴォォォオオオン!!!”

暗闇の第3新東京市と二子山に、巨大な火柱が同時に上がった。

その二子山の仮設基地に設置された作戦指揮車は、後方の爆風に煽られて激しく揺さぶられていた。

”ガシャァン!”

「きゃ!」

悲鳴を上げたリツコは、窓が割れた指揮車でひっくり返って倒れてしまった。

強烈な電磁波で測定機器類、モニターが全て麻痺する。

「「「ぐう!!」」」

オペレーターたちも自分の席にしがみ付いて振動に耐えていた。

爆風の治まった数秒後、車内の照明が明るさを取り戻すと、赤いジャケットの女性が直ぐに立ち上がった。

「くぅ!…まさか、ミスった?…初号機は?」

マヤが端末を叩く。

「はい、第3新東京市に健在。使徒との距離、800mです。」

「800?…行き成り随分と離れたわね?」

『第二射、急げ!!』

初号機パイロットから叱咤に近い命令が飛ぶ。

「ッ!…第二射準備、急いで!」

立ち上がったリツコが大きな声を出した。




”ビーーー!ビーーー!ビーーー!”

指揮車と発令所のスピーカーから同時にアラートが鳴り響く。

ジオフロントの薄闇の中、はるか上方の天井部にある天蓋都市の頂点付近に突如、星が現れた。

”……ガガガガ!”

それは、光で出来た円錐の頂点だった。

『敵シールド、ジオフロントへ侵入!!』

どうやら、第5使徒のシールドが22層に設置された特殊装甲板の全てを貫く事に成功したようだ。




『…了解!第二射砲撃準備!!』

マサルが応えると、陽電子砲制御室のスタッフが素早くパネルを操作した。

陽電子砲の上部がスライドすると、使用済みになったヒューズが排出される。

”ゴゥゥウン!!……ガチャァアン!!”

そして新品のヒューズが再装てんされた。 

指揮車にマコトの声が上がる。

「ヒューズ交換を確認。…再充電開始!!」

『砲身、冷却開始。』

『陽電子、加速再開。』

監視モニターを見ていたマヤが叫ぶ!

「目標に、再び高エネルギー反応!!」

「マズイ!!」

ミサトが叫んだその瞬間、紫の巨人が闇の空からラミエルに向かって降下してきた。

シンジは、先ほどの陽電子の攻撃にさらされた時、地面を思い切り蹴って後方にジャンプして逃れていた。

そして、火柱が収まった瞬間、指揮車に第二射の命令を出すと、再び空を跳んでいたのだ。

ラミエルは上空から飛来してくる敵に照準を合わせた。

”カッ!”

エネルギーの加速・収束率が低いのか、先ほどの攻撃よりその光線は若干細かった。

空中にいる初号機は、右手に持つカウンターソードにATフィールドを纏わせた。

”…ガッチュィィイイン!”

巨人が、使徒の攻撃を弾き飛ばすように赤く光り輝く刃を振るうと、その光線を斜めにいなした。

弾かれた加粒子は、闇の天空に向かって飛んでいった。

(よし、いける!)

シンジは、そのままラミエルに取り付き殲滅させようと考えた。

しかし、この使徒のエネルギー収束能力は予想以上に速かった。

”カッ…カッ…カッ”

威力を落とし連射に特化した光線は、

 ATフィールドを張った初号機の落下スピードを減速させる事に成功した。

紫の巨人は、使徒の手前200mに着地させられてしまった。

(…やるね!ラミエル!)

”カッ…カッ…カッ……ドォウン!ドォウン!ドォウン!”

ラミエルは、シンジを近付かせないように威力を落とした加粒子砲を連発する。

(…くそ、連射か!…近付けない!)

『第二射、いきます!』

プラグに聞こえたマコトの声に、少年は初号機を加速させた。

(これでカタを付ける!!)

ラミエルは相変わらず加粒子砲を初号機に向けて連射していた。

正八面体の使徒を中心に円を描くように走る紫の巨人は、右手のカウンターソードを握り締めた。

(これで、どうだ!!)

”ピピピピピピ…ピュイン!”

『…ぅてぇ!!!!』

”カチンッ!”

トリガーを絞ったミサトの声が響く!

”…ドォシュゥゥゥゥゥウウンン!!!”

初号機の左側、遠くの二子山から銀色に輝くエネルギー収束体が一直線に飛んでくる。

ラミエルがそれに気付き、連射を止めた。

「今だ!!」

シンジは、目標である使徒に対して、二子山の砲撃と十字になるポイントで初号機を急停止させると、

 上下のピラミッドの中心に向けて思い切りカウンターソードを投げ付けた。

”ヴォォン!!!”


……次の瞬間。


”ブシュィィィンン!!!…ザクゥゥウ!!”

初号機から、正八面体の中心に刺さる陽電子砲の光の矢が見えた。

そして、初号機の投げた刀も同じように突き刺さったのが確認できた。

『…やった!?』

『よっしゃぁあ!!』

指揮車からリツコとミサトの声と、それに呼応したスタッフの歓声が聞こえる。


エントリープラグのシンジは、その歓声を聞きながら、

 膨大なエネルギーが物凄い勢いで”下”に移動していくような不思議な感覚を感じた。


(…なんだ?…何か、イヤな予感がする。)


その時、ジオフロントで待機していた零号機から通信が入った。

”ピピ!”

『…碇君、シールドの先端部分から赤い玉が出てきたわ。』

「え?」

レイの零号機が映す、ジオフロントの様子をバーチャルモニターで見たシンジの瞳が大きく開いた。


……薄ピンク色のシールドの先端に、赤い玉がゆっくり横方向に回転して宙に浮いていた。


”トロー…”

白銀の少年がプラグでモニターを見た、刹那だった。

その赤い玉に、ピンク色の巨大ストローからまるで溶けたチョコレートのような青い液体が垂れてくる。

「…な、え?」

少年は、予想外の事態に呆然として、プラグに浮かび上がっている画面を見詰めていた。

その青い液体に包まれた玉は、体積を大きくしていきながら、小さな正八面体に姿を変えた。


『…多分、使徒。』


シンジは、レイの言葉に”ハッ”と意識を戦闘に戻した。

白銀の少年は、確認するように自分の正面に在る正八面体に視線を投げた。

そのラミエルの正八面体の”カタチ”は身震いしたように震えていた。

クリスタルを思わせる硬そうな青い上部のピラミッドが”とぷん、とぷん”とまるで液体のように、

 うねりを打って大きな波のように揺れ動くと、見る間に”減って”いった。


……シンジは、プラグの左側のモニターに表示している、零号機のカメラが映し出す映像を再び見た。



今、目の前で”どんどん”飲み込まれるように消えている青いクリスタルだった物体が、

 ジオフロントに……さながら時間を巻き戻したかのように出現していた。


(…な!!…あのシールドは攻撃の為じゃなくて………アイツの移動手段だったのか!!!)


僅かに焦ったシンジは、大きな声で発令所に指示を出す。

「発令所!!…ジオフロント直通のゲートを指示せよ!!」

『は、ハイ!!…E−8、初号機より北に500mです!』

長髪のメインオペレーターが即座に答えた。

「ルートE−8の全ての隔壁を直ぐに解放!!!急げ!!」

『…りょ、了解!!』

シゲルは素早くコンソールを操作し、シンジが向かった先にある直通ゲートを開くコマンドを入力した。

”ビー、ビー、ビー……グォォォオン…”

「うおぉぉぉ!!」

白銀の少年は巨人を疾走させた。

そして、初号機はアンビリカルケーブルをパージすると、

 上下左右にスライドして開いていく開口部に頭から飛び込んだ。



………ジオフロント。



戦場は第2ステージに場を移していた。

”スチャッ!”

…レイがNERV製のポジトロンライフルを構えて、照準を定める。

ストローのようなシールドトンネルから現れたラミエルは、

 元の身体の半分くらいの大きさまで”正八面体”を復元させていた。

”ピピピピ…ピンッ!!”

(…クッ!)

”カチッ!”

少女は、インテリアの右手操縦桿のトリガーを引き絞る。

”バシュゥウン!!………カァーーン!”

(…完全でなくても、ATフィールドを張れるのね。)


……この使徒は、単純に移動しただけではなかった。


僅かではあるが、地上に侵攻して来た時と比べると、変化があった。


……その変化は、スリットの位置だった。


横に入っていた黒いスリットは、ジオフロントで再構築した正八面体では縦になっていた。

「目標の体内に高エネルギー反応!!今度は縦に収束していきますっ!!!」

発令所のシゲルは、モニターの表示を見て驚きの声を上げた。

”ジュゥゥィィィインン………”

『…綾波、よけて!』

零号機のエントリープラグに少年の大きな声が届く。

「クッ!」

”チカッ!”

その声に、レイは反射的に横に跳んだ。

”バシュゥゥゥウ!!”

山吹色の巨人の直ぐ脇を光の束が通り過ぎる。

「きゃぁぁぁ!!!!」

『綾波!!!』

”ズズゥゥゥン!!”

バランスを失った零号機は森林地帯に倒れ込んだ。

”ドォォオン!”

零号機が立っていた場所に、その巨人の右腕とライフルが落ちた。


”ヒューーーン……ドォッッズズゥゥゥゥンン!!!”


その時、使徒を挟んだ零号機の反対側に、紫の巨人がジオフロントに着地した。

「…お前の相手は僕だ!!」

シンジは、ラミエルを見て叫んだ。

その使徒は、既に元の大きさ、元の姿になっていた。

ダメージを受けているような感じは、一切なかった。

(なに?…縦にスリットが入っている?)

「綾波!大丈夫!?…発令所、零号機の右腕の神経接続をカット!急いで!」

『了解!!』

『…碇君、大丈夫。大した事…ないわ。』

”ぐぐぐっ”

零号機は、倒れている上半身を起こし始めた。

シンジは、アンビリカルケーブルを接続すると左肩のソードを右手で引き抜いた。

この剣は、ウェポンラック後方に装着されており、その柄はちょうど左腰の辺りにあった。




その頃、指揮車ではMAGIからのデータリンクで発令所と連携を取れるようにシステムの構築をしていた。

「マヤ、そっちはどう?」

「はい、回線を固定、いけます。」

「青葉二尉?聞こえて?」

『はい、発令所、青葉です。現在、サブオペレーターが、零号機の神経接続カットに手間取っています。』

「それはこちらで行います。マヤ、零号機の右腕の神経接続をカットして!」

「了解!」

マヤは、発令所のサブオペレーターの4倍近い速度で、次々と命令文を入力していった。

「センパイ!神経接続カット、完了しました。」

「ファーストチルドレンの状態をチェックして!」

「はい!…パイロットのバイタル・ヘルスデータを確認!よかった…無事です!」

(クッ…まさか地下に移動するなんて!これじゃ、ココにいても出来る事ないじゃない!!)

ミサトは、敵の居なくなった街を見て…目を細めて悔しそうに爪を噛んだ。

「ジオフロント内の兵装は?…何かないの!?」

赤いジャケットの女性の問いに、マコトはキーを叩いて確認する。

「はい!…クッ、ダメです!…兵装ビルは今だ建造中で、稼動できる施設は有りません!」

メガネのオペレーターはかぶりを振って答えた。




”ヴォン!…ヴォン!”

初号機がATフィールドで包んだ巨大な日本刀を振り回すと、強烈な風圧で空気が震えた。

ラミエルはシールドを上部のピラミッドの中に仕舞うと、

 天蓋都市部からゆっくりと降下を始めて、ジオフロントの湖の上に滑るように移動した。

”ァァーーーーーーーー…ァァーーーーーーーー”

そして、第5の使徒は相手を選んだ。

『敵内部に、高エネルギー反応!!』

”ジュゥゥゥウン!!…チカッ!!”

縦のスリットが光り輝くと、その中心部が太陽のように輝いた。

使徒の目標に選ばれた零号機は、まだ上半身を起こして片ヒザをついた状態だった。

「…くうっ!」

レイは、急いで左手に持つ耐熱光波防御用の盾を自分の前に固定した。

”ドシュゥゥゥウーーーー!!!”

光の帯がオレンジの巨人を包み込んだ。

”…ズバアァァァァァアン!!!!”

薄闇の空間が、使徒の光線によって昼間よりも明るく照らされる。


……初号機を無視したラミエルの行動にシンジは慌てた。


「あやなみ!!」

”ダン!”

初号機は、霞むような速さでラミエルに走った。

離れていた距離を一瞬で詰め寄った巨人は、そのまま攻撃を開始する。

その両手で持ったマゴロク・E・ソードを右肩の後ろに振りかぶって、正八面体の中心を斜めに斬り付けた。

”ザシュゥゥウン!!”

強烈な斬撃を受けたラミエルの加粒子砲が止まる。

「ん?」

白銀の少年は、不思議な手応えを感じたが、構わず初号機をそのまま零号機の方へと走らせていった。

”…シュゥゥゥ………”

オレンジの巨人のかざした盾は煙を上げていて、受け止めていた熱によって溶け始めている状態だった。

”ピュン!”

零号機のエントリープラグに少年の声が聞こえる。

『綾波、大丈夫?』

「平気。…碇君。」

蒼銀の少女は、通信用ウィンドウに映った白銀の少年を見て”ニコリ”と笑顔で答えた。

「…よかった。」

シンジのプラグに新たな通信用ウィンドウが表示される。

”ピュン!”

『…碇三佐。今の攻撃でMAGIがある推測を立てたわ。

 使徒の青い正八面体を構成する物質の状態は液相、そして中のコアは固定ではない可能性が高いの。

 だから、物理的な攻撃を与えても、それで生じてしまう流体抵抗でコアが動いてしまい、

 完璧に芯を捕らえて殲滅するのは、非常に難しいと思われるわ。』

レイを映すウィンドウの隣に映ったのは、技術開発部長である姉だった。

(…そうか、さっきの手応えの無さはそういう事か。)

「…では?」

『よくて?…零号機のポジトロンライフルで、使徒のコアの中心を正確に撃ち抜いて殲滅するのよ。』

シンジは、空中に静かに佇んでいるラミエルを観察するように見ながら質問した。

「でも、それだと出力が足りないのでは?」

『ポジトロンライフルの残存エネルギーを1発に集中させるわ。

 それに、さっきの初号機の攻撃は無駄ではなかったようね。

 コアをかすめたのか、使徒は現在、自己修復中…とMAGIは推測しているわ。』

動かない敵を見て、白銀の少年は首を縦に振った。

「なるほど、了解。…今がチャンスですね。」

零号機の横に見える白い巨大砲に向かって初号機は走った。

”ガチャ…”

シンジがポジトロンライフルを手に取る。

”ジュゥィィィイイン……チカッ!!”


……突然、ラミエルのスリットが光った。


初号機は先ほどの戦闘のように、加粒子砲の光線から逃れるように走った。

”シュドドドド!!!!”

シンジの後ろの地面が爆ぜていく。

”バチュン!”

初号機のエントリープラグに警報音が鳴り響く。

”ビーー!、ビーー!、ビーー!”

『…初号機、アンビリカルケーブル断線!!』

青葉の声が発令所に響き渡る!

『初号機、内臓電源に切り替わりました!!』

指揮車のマヤがモニターから顔を上げた。

発令所の右側の大型スクリーンに大きく表示された数字は、初号機の活動限界時間を示すモノだった。

《 5:00:00 》

残り5分の表示が0に向かって勢い良くカウントダウンを始めた。




初号機のエントリープラグに、零号機から通信が入った。

『碇君、盾の陰に隠れて狙撃して。まだこの盾はもつわ。』

「でも…」

シンジは目を伏せて首を横に振る。

『そのままでは、照準出来ないわ。…大丈夫だから。』

「クッ…ごめん!」

白銀の少年が、決意を宿した真紅の瞳を通信モニターに向ける。

『…いい。』

その通信モニターに映っていた蒼銀の少女は、澄み切った微笑みを浮かべていた。

初号機はステップを踏んで、急ターンすると零号機に向かって全力で移動を始めた。

「赤木博士、出力コントロールをお願いします!ポジトロンライフルのリミットを解除してください!」

『判ったわ。…これから、残りの全エネルギーを1発に集中させます!』




指揮車の金髪の女性は、コンソール端末のキーを凄まじい速さで叩き始めた。

”カタカタカタカタカタカタ!!”

ディスプレーに滝のような速さでコマンド文が上に流れていく。

(…ライフルの発射シークエンス、出力コントロールを組み立て直さないと!!)

「マヤ、ポジトロンライフルの照準プログラムをジオフロントに合せて!!任せたわよ!!」

「はい!センパイ!」

ミサトはジオフロントを映す画面から目を離さなかった。




”…ガシュ!ガシュ!ガシュ!…”

ラミエルは敵の止めを刺す、というより、走り逃げ回っている紫の巨人と遊んでいるようだった。

実際、EVA初号機のステップワークは大したモノだった。

使徒が威力を抑えているとはいえ、その狙いを定める事を許さず、軽快に動いていた。

”チュィィィィイン!!!”

EVA初号機の走った後ろの土地は、盛大に掘り起こされ、耕されていく。

”…ドドドドドドドォォォォオオオンン!!!”

エントリープラグに発令所からの通信が喚くように流されている。

『EVA初号機、活動限界まで、あと3分45秒!!』

シンジの初号機からレイの零号機までの距離は、まだ2Km以上は残っていた。

(意外と、ポジトロンライフルって重いね!)

白銀の少年は、”ガチャン”と操縦桿を起こして高機動モードに制御を変更した。

”ガシッ…ガシッ…ガシッ…ガッガッガッガッ……”

加速度的に速度を上げていく紫に追いつけない事を理解したのか、ラミエルは光線の出力を止めた。

”……シュゥゥゥゥンンン…”

そのスキを衝いて初号機は零号機の元へと走った。

”…ガッガッガッダンッ!!……ズザァァァァア!!”

オレンジ色の試作機の後ろにテスト機である初号機が飛び込み、スライディングして滑り込んでくる。

シンジは、初号機の左手で右の前腕からケーブルを取り出すと、

 右手に持つポジトロンライフルのグリップの底部に、その情報ラインのケーブルを接続した。

初号機の活動限界まで、残り2分を切っていた。



………移動指揮車。



『…赤木博士?』

通信用モニターに白銀の少年が映る。

「碇三佐、もう少し時間を頂戴!!」

その画面に目をくれず、金髪女性はキーを叩き続ける。

指揮車の白衣の女性の額に”じっとり”とした汗が浮かぶ。

自分が遅ければ、人類の滅亡だ。

…いや、そんな大層な事は考えていない。

……自分を信用してくれている弟を裏切る……それが、一番堪える。

私は、負けない。…間に合わせてみせる。

”カタカタカタカタカタカタカタカタカタ…タンッ!!”

「良いわよっ!」



………ジオフロント。



白銀の少年のプラグに女性の声が凛と響いた。

『良いわよっ!』

スライディングした体勢の初号機を起こして、ポジトロンライフルを撃てる様に体制を整える。

戦闘兵が、スナイプするように初号機はジオフロントの地面に片ヒザをつき、両手で銃を構える。

”……ジュゥゥゥウウウンン!!!”

ラミエルは一箇所に集まった敵を纏めて葬りさろうと、縦のスリットに力を込めていく。

”ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、ピ……”

シンジは、エントリープラグに映る正八面体の敵に十字のマークを合せるように動かす。

『誤差修正開始!…マヤ!』

『ハイ、地球自転、重力・磁場修正…マイナス0.089!!』

”ゥゥゥゥゥウウウンンンン!!!”

今までで一番の力を込めるように、第5の使徒はその輝きを強めていった。

”チカッ!!…ドシュゥゥゥゥウウウウンン!!!!”

ラミエルの最後の砲撃は、まるで、星が寿命を迎えた超新星の爆発のように眩しい光を伴った攻撃であった。

”…ヴヴヴヴヴヴドガガガガガガガガガ!!!!!”

シンジの前面にいた零号機は、当然のように溶け始めた盾を構えて初号機を援護した。

「綾波ッ!!!」

予想外に激しい加粒子砲の影響で、ポジトロンライフルの照準がズレて中々定まらない。

(…くそっ!…陽電子砲の場合、照準の補正方法を変えない方が良かったのか?)

初号機の活動限界まで、残り1分30秒。

シンジは、ターゲットサイトを何度もラミエルに合せたが、加粒子砲の影響でズレて固定できなかった。

(はやく!!…早く!!!…ATフィールドは張れないんだから!!…はやく!!…何しているんだ!!)

”ジュゥ…ジュジュジュジュジュワァァアアア!!”

『ッ!零号機の盾が融解します!!!…もう、もちませんっ!!!レイちゃん!!』

マヤの泣き声のような悲鳴がエントリープラグに響く!


……シンジは焦った。


「綾波ぃ!!!」

初号機の前の零号機の持つ盾は、まるで太陽の熱線を受けた氷のように見る見るうちに面積を失っていった。

「…もぅ!!もういいっ!!もういいよ!…綾波!!…どいて!!!お願いだから!…もう良いから!!!」

悲痛な叫びを上げる白銀の少年のプラグに、少女の声が届く。

『大丈夫。…大丈夫だから。』

”ジュワァア!!!!”

『零号機、耐熱光波防御兵器融解…喪失!!』

”ヴァシュゥゥゥゥウ……”

シンジの目の前には、腕を広げた山吹色の巨人が立っていた。

”ピピピピ、ピュイン!”

『…照準の調整作業終了!』

少年は、十字のマークがラミエルに固定された瞬間、右手のトリガーを力いっぱい引き絞った。

「いっけぇぇぇえ!!!」

”カチンッ!”

5発分のエネルギーを凝縮された陽電子の塊が零号機の横を通り過ぎて、一直線に敵に向かっていった。

”…ドシュゥゥゥウウウ!!!”

その光の矢は正確にラミエルの中心部、そのコアを貫いていった。

”……チュドォォォォオオオオンン!!!”

巨大な正八面体は、力を失ってゆっくりとその高度を下げていった。


”ガクン…バッシャーーン!!”

零号機は、役目を終えて崩れるようにジオフロントの湖に倒れていった。

”ジューーーーー…ジューーーーーー”

膨大な熱に晒された機体から白い水蒸気が”もうもう”と立ち昇る。

「あやなみっ!!」

シンジは、右手の壊れたライフルを投げ捨てて、初号機を零号機の元へ走らせた。

”…ザァパァァァアア…”

紫のEVAは、オレンジ色の巨人の腹に腕を回して、抱きかかえると地上に戻した。

そのまま初号機は、零号機の脊椎の装甲を右手で掴むと、無理矢理引き剥がす。

”ググッバキバキバキッ!”

「あやなみっ!!」

”バクンッ!!…シュゥ…”

その中から、白い筒が半分ほど出てくる。

”…バシューーー”

エントリープラグの緊急排水口が開き、オレンジ色の液体が勢い良く噴き出る。

初号機はその筒を優しく引き抜いて、”そっ”と地面に置いた。

”バシュッ!”

白銀の少年は、紫のEVAからエントリープラグを排出させると、すぐに零号機に向かって走り出した。

あの使徒の最後の砲撃にさらされたオレンジの巨人は、あらゆる装甲が融解を始めていた。

(あやなみ!!)

白銀の少年は、加熱しているプラグの緊急ハッチのレバーに手を掛けた。

”ジュジュジュゥゥゥウ!!”

焦げ臭い匂いが辺りに充満する。

「グッ!!…お、おぉぉおおおお!!」

”グイッ!!グイッ!!”

少年が、力を込めてハンドルを回すと、ハッチが”バクンッ!”と開いた。

「綾波!!」

シンジは零号機のエントリープラグに身体を入れる。

「綾波!!!」

その少女は、意識を失っているのか…インテリアのシートに身を預けていた。

少年は、プラグの中に入って少女を抱き締めた。

「綾波ッ!」

抱き起こされた少女は、ゆっくりとその瞼を震わせた。

「ぅ…ぅん?」

ボンヤリした少女の視界に、心配そうな表情の少年が映る。

「…いかりくん?」

「あやなみ・・・」

真紅の瞳から溢れた雫が、”つぅーー”と少年の頬を伝わる。

「なに…ないているの?」

「キミが無事だと判ったから…嬉しくてね。」

泣き笑いのシンジを見たレイは、力を抜いたように安心した微笑みを浮かべた。

「ありがとう、碇君。」

「大丈夫?…立てる?…ケガしてない?」

余りに心配そうな顔をしている少年の様子に、蒼銀の少女は少しだけ可笑しそうに笑った。

「くすっ…碇君、昨日”補完”したお陰で、私は何ともないわ。」

「あっ!…そうか。そうだったね。……僕って慌てると、本当にダメだね。」

シンジは、少し情けない顔になって”がっくり”と下を向いた。

”ふるふる”

「碇君、心配してくれてありがとう。…愛されているって感じがする。…嬉しいわ。」

小さくかぶりを振った少女は、少年を優しく見詰めた。

レイの柔和な眼差しとその言葉に、シンジは少し照れたように”ポリポリ”と鼻の頭をかいた。

「さ、さぁ外に出よう、綾波。」

「…ええ。」

少年は、少女の手を取り、熱気に包まれたプラグから外に出してあげた。

「…あ。」

そして顔を上げたシンジは、ジオフロントの人工湖を照らす蒼く儚げな光を見た。


……使徒戦が終わり、暗闇に包まれたジオフロントに一筋の光が舞い降りていた。


ラミエルが穿孔した天井部の穴から、地上を照らす満月の蒼い光が静かにジオフロントまで届いていた。

それを見ながら、シンジは手を握って横に立っているレイに話し掛けた。

「ゴメンね、綾波。…キミを護るって言ったのに。…結局、”前”と変わらなかった。」

”フルフル”

蒼銀の少女は、ゆっくりとかぶりを振った。

「…同じではないわ。」

その言葉に、シンジは蒼銀の少女に顔を向ける。

「…碇君は、私を護ってくれた。…私も碇君を護れた。お互いの気持ちは、前と違うわ。」

「そう、そうだね。」

月明かりに照らされているレイは、その光と同じように儚げでとても美しかった。

「だから、気にしないで。…碇君。」

優しい微笑みを浮かべてくれた蒼銀の少女に、シンジは彼女を優しく抱き締めた。

”きゅ!”

「…ぁ。」

「ありがとう、綾波。」

小さな吐息を漏らした少女は、少年に応えるように…彼の背中に”そっ”と腕を回した。

「…ぃぃ。」

レイの浮かべた表情は、全てを包み込む深い優しさに満ちた笑顔だった。

シンジは彼女の美しい深紅の瞳を見て、吸い込まれるようにゆっくりと顔を近づけた。

”チュ…”



……一筋の蒼銀の月明かりに照らされた二人のシルエットは、いつまでも一つだった。







第二章 第十五話 「神の創りしモノ、人の造りしもの。」へ










To be continued...


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