ようこそ、最終使徒戦争へ。

第三章

第十六話 アスカ、来日。

presented by SHOW2様


束の間の日常−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………レベル4、特殊保管庫。



この部屋に苦労して潜入した男は、肩を落として落胆していた。

(…くそっ、ここでもないのか。まったく、一体ドコにあるんだ?)

何かを探している彼の表情に、普段の余裕はなかった。

(司令から大きいモノではないと聞いていたが、まさかミリ単位の大きさじゃないだろうな……)

空調など用意されていないこの部屋は、とても蒸し暑く、少し動いただけでも汗が吹き出てくる。

額の汗を拭った男に、少し焦りの色が見え始めた。

「…ふぅ。」

(そろそろ怪しまれるな。…期限までの時間は短いがしょうがない。今日のところは、ここらが限界か。)

男は気を取り直して部屋の状態を元に戻すと、音を立てずに廊下に出て、散歩のように足を進めた。

(…あれ、やばいな。大分、時間を食っちまったぞ。)

腕時計で時間を確認すると、その手をポケットに突っ込み、顔を上げて配管が複雑に入り組む天井を見る。

彼は、しばらく廊下を歩いていると、後ろからの声で呼び止められた。

「あ、見付けたぁ!! 加ぁ持センパイ♪」

加持、と呼ばれた男は、考え事をしていた真剣で真面目な顔を、

 瞬時にいつものニヤけた表情に変えて、ワザとらしく”ぎくっ”と肩を竦めて振り返った。

「あ、あれ? アスカ、待ち合わせは食堂の入口じゃなかったか?」

紅茶色の髪を揺らしながら少女が走ってくる。

「もぅ! 約束の時間が過ぎても見当たらないから探しに来ちゃいましたよぉ?」

「はははっ。スマンな、アスカ。ちょっとした野暮用ってヤツでね。」


……この少女は加持の奢りで、自分だけでは入れない士官用の食堂でディナーを楽しむ予定だったのだ。


なぜ、士官用の食堂に入れないのかと言うと、現在、この少女に階級は与えられていないからだ。 

ドイツ第3支部では、研究協力者という位置付けだったのだ。

日本の本部に着任すれば、選ばれしEVAのパイロットとして三尉の階級で登録される予定であった。

どうやら、約束の時間が過ぎても現れない男に、痺れを切らせたこの少女は、艦内を捜し回っていたようだ。

アスカに腕を取られて、そのまま引っ張られるように歩かされる加持。

「おいおい。アスカ、そんなに慌てなくても、食堂は逃げたりしないぞ?」

「だってぇ、加持さんとのディナー…とっても楽しみにしていたんだもん。早く行きましょ?」

「ちょっと、そこの2人! そこから先は立ち入り禁止ブロックだよ。」


……二人の後ろから、まるで口うるさい教師のような女性の声が飛んで来た。


「あ、すみません。…上の階に戻る近道ってコッチじゃないんですか?」

アスカが振り向くと、この廊下にブロンドの髪をポニーテールに結った女性が、腰に手を当てて立っていた。

「それはコッチだよ、お嬢ちゃん? そっちから先は、私らみたいな軍人にしか用のないところさ。」

その女性の言葉に、加持は横目でプレートに書かれている”ブロック”の名前を読み取った。

(武器、武装の弾薬保管ブロックか。……ん? あれ? う〜ん。なにか、引っ掛かるな。)

何かが頭に浮かんだが、ソレがカタチにならない。

そんな漠然とした考えを纏めようとしている男に、近寄ってきた女性士官が声を掛ける。

「加持一尉、女の子をこんな場所に連れてきちゃいけないよ? アンタの護衛対象なんだろ?」

「あれ? …やぁ、久しぶりじゃないか。…ベッキー・ジョーンズ一尉。」

「むーーー」

加持の親しげな態度に、彼の腕を掴んでいるアスカは、金髪美女を睨むように見ている。

「私はアンタになんて会いたいとも思っていないけど?」

ポニーテールの女性は、何か汚いモノを見るような視線とつれない態度だった。

「おっと、こりゃ手厳しい。」

「ね、いこ? 加持さん?」

「あ、ああ。それじゃ、ジョーンズ一尉、また。」

「艦隊の規律を乱す事なかれってリッジ提督に言われたろ? さっさと上に戻りな。」

「へいへい。」

男と少女は、ベッキーが指差した方向へ歩き、その先にあるエスカレーターに乗っていった。

「…相変わらず、ヘラヘラしたヤツ。こんな所で何していたのかね?」

やや冷たい色の瞳をつぶったベッキーは、小さなため息をつくと、ワケ分からない…とかぶりを振った。



………京都。



「玄様。若様がお着きになりました。」

「うむ。」

老人は、この約束の日を指折り数えて待っていた。

そして、今日が待ちに待ったその日だった。


……彼が、その人物に直接会うのは、幾年振りだろうか。


勝手知ったる広大な屋敷を足早に、先へ先へと急ぐように歩いて、用意された広間に辿り着くと、

 畏まった使用人が”スッ”と襖を開ける。

品の良い調度品の置かれた広間の中央に、白銀の少年が立っていた。

「やぁ、おじいちゃん。」

シンジは”ニコッ”と笑顔で老人を迎えた。

「おお、シンジ。」

「約束どおり連れてきたよ。」

玄は少し落ち着きのない様子で、周りを見渡した。

「で、ドコじゃ?」

孫が指差した方へ祖父がその眼を動かすと、奥の間の仕切りの襖が”サラッ!”と左右に開いた。

そして、そこに現れたのは、薄紫色の雅な和服を着付けたユイだった。

彼女は姿勢正しく正座をして手を付き、頭を垂れていた。

「…お、お久しぶりです。お父さま。」

怖ず怖ずとした表情のまま、女性は少し俯き加減に頭を上げて実父を見た。

「う、うむ。」

玄は、まるで幻を見たかのように、ただ呆然と返事を返すと、次第に目頭を熱くさせていった。

「ユイよ。ああ……ぁぁ…本当に、会えたのだな…」

祖父が目を拭っている、その様子をシンジは温かな目で見ていた。

(…良かったね、おじいちゃん。)

そんな少年の後ろに少女が寄り添った。

『お待たせ、碇君。』

『お兄ちゃん♪』

彼女たちの波動に少年は振り向くと、”ぱぁっ”と顔をほころばせた。

『うわぁ…よく似合っている。綾波、とっても綺麗だよ。』

『あ、ありがとう。』

白を基調にした桜色の流麗な模様が、淑やかな雰囲気を醸し出している和服姿のレイは、

 はにかむと少し頬を染めて彼の袖を”きゅっ”と摘んだ。

『…ねぇ、お兄ちゃん、私は?』

その波動に、シンジは視線を落とした。

レイの隣に、私も見てよ、と幼女が艶やかな紅色の和服を”ひらひら”させていた。

『うん、似合ってるよ。すごく可愛いらしいね、リリス。』


……白銀の少年に褒められると、幼女は向日葵のような満面の笑みになる。


『えへへ…でしょー』

そんな女の子の頭をしばらくの間、優しく撫ぜていた白銀の少年は、母と向き合っている祖父に声を掛けた。

「ねぇ、おじいちゃん。…そろそろ、みんなで食事にしようよ?」

「…お、おお。そうじゃな。」



………士官食堂。



”チンッ”

ワイングラスから晩餐の始まりを告げる硬質な音が響く。

「…エヴァ弐号機専属操縦者、惣流・アスカ・ラングレー嬢が人類の希望にならんことを祈念して。」

男の畏まった言葉に、紅茶色の髪の少女はワザとらしい会釈で応えたが、次の瞬間…彼女は眉根を寄せた。

「ありがとう、加持さん♪ ……ところで、キネンって何?」

「ん、祈りっていう意味さ。日本語の練習になったろ?」

「な〜んだ。…ふふっ。神様になんて祈らなくても、すぐ現実になるわよ?

 それに、もう日本語の会話だって殆どオッケーよ?」

「ああ、そうだな。僅かな期間で、そこまで流暢に喋れるなんて、全く大したもんだ。」

「へっへ〜ん。当然よ。……それじゃ、いっただっきま〜す♪」

テーブルに前菜が用意されると、少女は嬉しそうに口に運んだ。

このアスカと加持のディナーは、

 彼が今まで体験してきたエピソードを面白可笑しく語って、少女を飽きさせる事なく楽しませていた。


……そして、ディナーの最後を締めくくるデザートがテーブルに運ばれてくる。


男は胸の内ポケットから小さなカードを取り出した。

「アスカ。」

少し真剣な表情になった加持が、少女の目の前にそのカードを置く。

「ん? 何これ?」

アスカは何気なくその黒いメモリーカードを受け取った。

「あれ? おいおい…忘れちゃったのかい? …前に約束したろ。

 これは、NERV本部でコピーした第三使徒と国連軍の戦闘データだ。」
 
「え、本当!? …って加持さん、そんなデータをコピーして平気なの?」

手に持った黒いカードを見ていた少女は、その視線を上げて男の顔を見た。

「…ま、本当はマズいんだが、バレなきゃ平気さ。」

加持は、イタズラっぽい顔でウインクした。

「…でも、使徒と国連軍って? エヴぁじゃないの?」

「EVAの戦闘データはセキュリティが格段に厳しくてね。…残念ながら間に合わなかったんだ。

 まぁ、使徒がどんなモンなのかって事くらいは、そのデータで分かるさ。」

「そう、分かったわ。ありがとう、加持さん。」

「さて、楽しい晩餐も終わりだ、アスカ。」

「そうね。…じゃ、部屋でこのデータを見てみるわ。ご馳走様、加持さん。」

「いやいや、どういたしまして。…じゃ、何かあったら連絡してくれ。」



………大広間。



”コトッ”

「あ〜…おなか一杯。すんごく美味しいかったぁ♪ ぅ…でも、ちょっと帯が苦しいかも。」

「まぁ。リリスちゃんたら。」

ユイは、お腹を擦って満足気にしている隣の幼女を見て”ニコニコ”笑っていた。

「リリスって良く食べるねぇ。昼の時も結構な量を食べていたし。」

シンジは、幼女の少し意外な面を見たな、と感想ともつかないことを呟いた。

「…そうね。」

少年の隣にいる蒼銀の少女も彼の呟きに同意した。

「…いやいや。実に、気持ちの良い食いっぷりじゃ。」

玄も”にこやか”に笑っている。

「シンジよ、今日は泊まっていくんじゃろ?」

「いや、第3に帰るよ。」

「…なんと。じゃ、せめて…ユイとリリスちゃんだけでも泊まっていったらどうじゃ?」

「まぁ、母さん達が残りたいっていうなら、別に止めないけど?」

「シンジ、いいの?」

「母さんもおじいちゃんと、まだ話し足りないんじゃないの?」

「…うん、そうね。じゃ、お父様、いいですか? お言葉に甘えても?」

「何を言うておる。ココはオマエの家じゃ。何の遠慮もいらん。」

「ありがとう御座います。リリスちゃんも良いかしら?」

「ユイかあさま、ペンペンはどうするの? きっとお家でお腹空かせてると思うんだけど?」

「あら、そうね。」


……現在、ペンペンはジオフロントのユイのマンションに住んでいた。


前の飼い主は、彼の存在を忘れているのか? 一度も探していないようだった。

まぁ、以前と比べようがないくらい快適な生活を送っているペンペンは、

 そのことについては、何の不満も無いようだが。

「いいよ、母さん。ペンペンの世話は僕がしておくよ。」

「あら、そお? 悪いわね、しんちゃん。ありがとう。」

ユイは息子を見てニコリと笑った。

「…むぅ!?」

玄は”ハッ”と黒い瞳を大きくした。

「どうしたの?おじいちゃん。」

「どうでも良い事なんじゃが…」

「え?」

「あの男はどうしたのじゃ?」

「…あ、いけね。父さんを誘うの忘れてた。」

その言葉に、ユイは少し目を大きくした。

「ふぉ、ふぉ、ふぉ。そうか、そうか。気にするな、シンジ。」


……玄のご機嫌は、この会話だけで更に3割増した。



………OTR。



”ザァァァァアア………”

太陽が沈んだ夜の東シナ海は、天候にも恵まれており、まるで波が静かに寝ているようなベタ凪であった。

「あ〜ぁ。明日はもう日本かぁ。」

空母の飛行甲板下の連絡用通路から、少女の詰まらなそうな声が聞こえる。

彼女は、勝手に敷いたレジャーシートの上に”ごろん”と横になっていた。

少女の青い瞳は、先ほどから雲に覆われた空のスキマに流れ星を見つけようとしていたが、

 それは、どうやら叶わなかったようだ。

流れる雲に隠れた薄い月明かりの下、

 OTRを中心に展開している国連海軍の第一艦隊は、最大の速力を維持したまま航海を続けている。


……ドイツから日本へ向かうこの長途も、もう直ぐ無事に終わりを迎えようとしていた。


明日、再建された佐世保港にて最後の補給を行い、その後、新横須賀港へ向かう予定であった。

「…日本と言っても、そこに降りるわけじゃない。明日は、補給の為だけの寄港だよ。

 アスカにとっちゃ退屈な船旅だっただろうが、それも後三日さ。」

「なぁ〜んだ。…そうなんだ。てっきり明日にはミサトが迎えに来るのかと思ったわ。」

彼女と会話を交わしている加持の頭は、先ほどから全く別のことを考えていた。

(う〜ん。さっき引っ掛かったのは…そう、”武器”だ。この船は観光船なんかじゃない、巨大な軍艦だ。

 …もしも、エヴァを狙ったテロ…みたいな非常事態が起きたらどうなる?)

「あ、ミサトって言うのは加持さんの前にドイツに居た人。あんまり好きじゃないんだ。

 …生き方、ワザとらしくて。」

アスカは黙り込んでしまった隣の男を”ちらっ”と横目で見やった。

「ちぇー、しばらくは加持さんともお別れか。…詰まんないの。ぶぅーー」

「日本に着けば、新しいボーイフレンドもいっぱい出来るさ。サードチルドレンは男の子って話だぞ?」

「…バカなガキに興味はないわぁ。」

(いきなりの実戦でEVAを起動させ使徒を倒したというサードチルドレンが、

 ただのバカなガキとは、とても思えないがね。)

加持は、そんな事を思いながら雲間から顔を覗かせた月を見ていた。


……少女は、しま模様のシートを”ごろごろ”転がって加持に抱きついた。


”ぎゅ!”

「私が好きなのは、加持さんだけよ?」

甘えるような少女の言葉にも、男の目は一切の喜びの色はなかった。

「…そいつは、光栄だな。」


……全く相手にされていない…そんな男の態度に、矜持の塊のような少女は必死になる。


「…もぅ! 加持さんにならいつでもOKの3連呼よ!? キスだって、その先だって!!」

加持は、天空を見詰めた瞳を動かさなかった。

「…アスカは、まだ子供だからな。そういう事は、もう少し大人になってからだ。」

「えぇ? 詰まんない〜」

瞳を閉じた男に、少女はこれが証明よ、とばかりに両手で胸元を開いた。

「私はもう十分に大人よ!! もう、大人よ!!」

”ヒュゥゥーーーーーー”

「くしゅっ!」

そんな時、夜の海風がアスカの鼻をくすぐった。

その一陣の風が通り過ぎると、加持は閉じていた目を開けて、やっと紅茶色の髪の少女を見た。

「…ぷっはははっ。大人のレディはそういう誘い方はしないと思うぞ? アスカ。」

加持は可笑しそうに笑った。

「ぁう、そ、そうね。……やっぱ、夜は少し肌寒いのねぇ。」

一人だけ熱くなってしまった自分を誤魔化すように、アスカは少し乱れた服を直した。

「…ああ、そうだな。」

再び”ごろん”と横になった少女を見た加持は、再び雲間の月に目をやった。

(あ〜どこまで考えたんだっけ? あ、そうだ。もしエヴァを狙ったテロが起きたら、この艦隊はどうする?

 OTRは? …もちろん、戦うだろうな。そうなると、ゼーレとしては重要アイテムをどう護る?)

「ねぇ、加持さん。」

さっきとは打って変わって、彼女の声のトーンは低かった。

「ん、なんだ? アスカ。」

(確か、使徒は第3の地下深くに封印されているアダムに向かっているハズだったな。

 …では、司令の言ったアダムとは別のものか? …それとも? いや、今はアダムの事は措いておこう。)

「さっき見たのよ、国連軍と使徒の戦闘データ…」


……アスカの脳裏に、巨大な使徒に為す術なく一方的に蹂躙される国連軍が蘇ってくる。


「ああ、そうか。」

(…なるほど、使徒を見たせいで少し精神的に不安定になっていたのか。)

加持は横目でアスカを見て、先ほどの少女の行動を理解すると、また自分の考え事を始める。

(もし、このOTRが沈没した場合、いくらゼーレでも海底に沈んだアダムの回収は困難になるだろう。

 …という事は、それ以前に回収できるようにする必要がある。その時の、この空母の状況はどうだ?)

「とぉんでもない化け物ね。使徒って。」

「……だが、まだ人類は負けちゃいないさ。…NERVとEVAがある。」

「そうね。それに私とこの弐号機が加われば、比べ物にならないくらいの戦力アァップ!! 

 これで益々楽勝って感じね!!」

(…戦闘中、その状況は? 数多のミサイル、魚雷を撃っているってシチュエーションだ。

 おれがキール議長なら、どうする? そうだ…ミサイルでは発射時の衝撃が強いから、魚雷がいいだろう。 
 この艦に息のかかった乗組員を用意しておき、事前に魚雷にアダムを隠して、タイミングよく発射させる。

 魚雷で戦闘影響範囲外にまでアダムを運ばせて、

  位置情報を暗号化した信号を発信させるようにしておけば、後で楽に回収できる。

 …分かったぞ!!! アダムは魚雷発射管区だ!)

「ねー加持さんってば!」

「…ん、ああ、なんだ?」

”ハッ”とした表情の男を見たアスカは、私の話を聞いていなかったのね、とジト目になって質問した。

「ま、いいわ。それよりも、どうしてパイロットのデータがないのに、サードが男だなんて知っているの?」

「うん? ああ、ただのウワサだよ。」

(…碇シンジ君か。…司令の御子息らしいが、さて…どんな男の子なのかねぇ。)

「ふ〜ん。…ま、どうでも良いけれどね。あぁ〜そう言えば…」

「…ん? どうした、アスカ?」

「…たしか、EVAのパイロットとしての訓練が始まった頃に、本部のファーストの事を聞いた時も、

 なんの訓練もしていないって言うし、ハッ…こんなんじゃ、私が一番でエースなのは確実ね。」

(…ふぅ。相変わらず勝気だねぇ。もう少し、肩の力を抜いた方が可愛らしいと思うんだが。)

加持は横目で鼻を高くしている少女を見て、ふとそんな事を考えていた。



………部屋。



”ゴトッ”

テーブルに購買部で買ったレジ袋が置かれる。

そして、備え付けの電子レンジに弁当を入れてスイッチを押し、待つこと90秒。

”ゥゥゥゥゥ…チンッ!”

面倒臭かったのか? 一纏めに温められたコンビニ弁当のポテトサラダが、”しっとり”と溶け始めている。

「くっ…分けて温めた方が良かったのか…」

独り言を呟いた男は、小さく肩を落とした。


……この男の時間を少し遡らせよう。


彼は珍しく仕事が早く終わったので、足早にこの部屋に帰って来たのだ。

しかし、玄関のドアを開けても、彼の期待した女性からお帰りなさい、とは言われなかった。

初めてこの部屋に帰って来たというのに、妻も子も留守だったのだ。 

(一人なら、本部の方がマシだな。…さっさと戻るか。)


……彼は、いつもどおり執務室で寝ようと本部に戻ったが、官舎の部屋に忘れ物をした事に気が付いた。


(む…仕方がない、何か弁当でも買ってマンションへ帰るか…)

購買部に現れたサングラスの男に、店員と客は驚いた。

巨大組織のトップが直々に現れたのだ。

一体何事か? と購買部にいた職員達が”チラチラ”と大男を見る。

ゲンドウは、そんな周りの視線に気付くことなく、弁当売り場に佇んで、どれを買うか悩んでいた。

「あ、温めますか?」

「…結構だ。」

結局、彼は焼肉弁当と缶ビールを3本買い、レジ袋片手に幹部用のマンションに戻ったのだった。


……そして、現在。


”カンッ”

グビグビと飲んだ缶ビールをテーブルに置くと、男は弁当を包んでいるラップをはがした。

少し脂身の多そうな牛カルビの匂いが部屋に充満する。

男はリモコンでテレビの電源を入れると、ニュースを見ながら寂しそうに弁当を食べ始めた。

”くいくいっ”

そんな時、ズボンの裾を何かが引っ張った。

「”モグモグ…ゴクン”…む?」

ゲンドウは、何だ? とテーブルの下を覗き込んで、”ソレ”を見た瞬間、目を見開いて止まってしまった。

覗き込んだ姿勢のまま、サングラスの奥の眼をゆっくり上から下に数回動かして、”ソレ”を観察する。

(ぃ、犬? 違うな…こ、こいつは、まさか…ペンギン? ユイ、いつに間に…こんなモノを?)

「ク、クェーーーー!(だ、だれだ、おまえ!)」

オスペンギンは、クチバシを大きく開いて鳴きながら、ひれ状のフリッパーを”バタバタ”と振りまわす。

「ぬお!」

”ガタン!”

突然の鳴き声に驚いたゲンドウは、思いっきり身を引いてイスから落ちてしまった。

「クエッ!(おいっ!)」

大きめのペンギンが、ペタペタとゲンドウに近寄ってくる。

「クエッ、クエッ!(だれだ、おっさん!)」

そして、正に襲い掛かるように身構えて鳴いた、その時。

「ペンペン、そのヒトは僕のお父さんだよ。ほら、エサを用意するからコッチにおいで?」

ペンペンと呼ばれたペンギンは、聞き覚えのある声に反応して、足を止めると声の方へ振り向いた。

「クェ!(おぅ!)」

それが少年と判ると右手を挙げるようにフリッパーで挨拶をした。

「ハッ…シンジ、おまえ、どうして……」

ゲンドウは尻餅をついた状態で、ぎこちなく顔を少年に向けた。

「ん、ゴメンね…直接この部屋に入っちゃって。…あっそれと、母さんとリリスは、今日戻ってこないよ。」

台所の冷蔵庫を開けて”ごそごそ”と何かを探している少年が答えた。

「…戻ってこない? どこに行ったのだ?」

ゲンドウはゆっくり立ち上がってイスを直した。

「うん? ああ、おじいちゃんの所だよ。…明日、迎えに行くから。…誘えなくてゴメンね? 父さん。」

「…そ、そうか。い、いや、構わん。どうせ仕事で行けなかったからな。」

父は少し寂しそうに笑った。

「そっか。……ねぇ? 父さん。」

シンジはペンペンにエサをやりながら、真剣な顔を父に向けた。

「? な、なんだ?」

「母さん、父さんが帰ってこないって寂しがっていたよ?」

「うぐ。」

ゲンドウは、シンジの視線に耐えられず、テーブルの冷めた弁当を見た。

「なるべくなら、毎日コッチに帰って来た方が良いと思うけど?」

「そ、そうだな。ユイと相談する。」

「そう。……じゃ、僕、帰るから。」

「ぅ…ちょ、ま、待て、シンジ!」

ゲンドウは、少し輪郭が光った少年を慌てて呼び止めた。

「…なに? 綾波が家で待っているから早く帰りたいんだけど?」

白銀の少年は、少しジト目だった。

「こ、このペンギンは…」

「ああ、ペンペンなら大丈夫だよ。とても賢いからね。

 さっきの行動は、多分、父さんを不審者だと思ってした威嚇行動だと思うよ。」

ゲンドウは、息子の言葉にペンギンを観察するような目を向ける。

「クエ!」

サングラスの男の視線に、ペンペンは左手を上げて挨拶した。

「…じゃ、またね。」

白銀の少年は、”あっ”という間に消えてしまった。

「あ、ああ。」

ゲンドウは、ペンギンと一晩過ごすという予想外の事態に困惑していた。



………翌日、NERV。



使徒戦争の最前線である第一発令所は、常時多数の職員が働いている眠ることを知らない場所だ。

そして、数えるのもバカバカしくなるくらいの電子機器・計測機器が、休む事なく常時稼動している。

その人いきれと機器が出す音に溢れた場所に、白衣の女性が2人現れた。

”プシュ!”

「…あら、リツコ。」

コーヒーカップを片手に立っていた赤いジャケットの女性が振り向いた。

「おはよう、ミサト。今日は珍しく早いじゃない?」

「ふん…当直明けよ。」


……珍しくは余計よ、とミサトは半眼で友人を軽く睨んだ。


「そう。でも、丁度よかったわ。メインオペレーターの三人も聞いて頂戴。

 …紹介するわね、こちら碇ユイさん。本日付で、技術開発部の顧問に就任されたのよ。」

「初めまして、碇ユイです。着任したばかりで御迷惑をおかけしますが、これから宜しくお願い致します。」

その女性は、丁寧に深々とお辞儀をすると、”ニコッ”と全てを包み込むような柔らかい微笑みを浮かべた。

彼女がいないという事を最近、妙に意識している日向と青葉は、

 この優しげな微笑みを浮かべている歳若い白衣の美女に見惚れてしまった。

そして、視線を女性に固定したまま、”こそこそ”と小声で話し出した。

「…ゎぉ、可愛いいなぁ。」

このシゲルの言葉に、呆然とした顔のマコトも”コクコク”と頷いて感想を漏らす。

「ぅん…すごく、いい。」

「ああ…いいねぇ。」

隣のその声に横目を走らせたマコトは、”ギラギラ”と目を輝かせているシゲルを見た。

「ちょ、シゲル、お前はマヤちゃんじゃなかったのか!?」

「別に決め付けることはないだろ!?」

そんな男達の声は、マヤの耳には届いていなかった。

ショートカットのオペレーターは、先ほどから”ぽぉっ”とした表情で彼女を見詰めていた。

(あんなに若いのに、シンジ君のママ…優しい母親か。いいなあ。)


……どうでもいいが、ユイの自己紹介の挨拶に誰も返事をしていない。


”ピーカタカタ…ピーカタカタ…ピーカタカタ…”

色々な思いが交錯している発令所上段の空間に、機械の作動音が大きく聞こえている。

ユイは、ここにいるNERV職員の顔をゆっくりと見渡した。

コーヒーカップを置いた赤いジャケットの女性が、ユイに声を掛けた。

「ほらほら、みんな、黙っていないで挨拶してあげましょうよ? それに、アナタもそんなに緊張しないの。

 …え〜と、私は、戦術作戦部・作戦局第一課長の葛城ミサトっていうの。…よろしくねん♪」

緊張しているような”年下”の女性に気遣い、フランクに挨拶するミサトは握手を求めるように手を伸ばす。

ユイは、一歩前に出て彼女の手を握った。

(葛城……葛城教授の娘さん?)

「はい、宜しくお願いしますね、葛城さん。」

ミサトは、上下関係を確りと確立する為に、己の階級を振りかざした。

「私は、一尉だけれど、アナタは?」

「私?」

「ええ、そう。…あなたの階級は?」

「さぁ、階級と言われましても…」

困惑した表情のユイにミサトは、私の方が上なのよ、と口を開こうとしたが、その時リツコが口を開いた。

「最初に言っておくけれど、ミサト? ユイさんは司令の奥様よ。」

「「「え!?」」」

その予想外の言葉にミサト、日向、青葉は固まった。



………廊下。



空母の弾薬庫に続く廊下を一人の男が歩いている。

(…たぶん発射管に装填されている魚雷という事はないハズだ。)

男は、曲がり角の手前で、先を窺うように覗き込んだ。

その保管庫の扉の前に、二人の海兵が門番をしている。

加持の姿は普段とは違い、NERVの士官服に身を包んでいた。

そして、彼の襟には、一尉の階級章が光っている。

(よし、いくぞ。)

”カッカッカッカッ”

静寂に包まれていた廊下に、見たこともない服を着た男が現れた。

海兵は後ろに手を組んだまま、横目で男を見た。

「…国連直属非公開組織、NERVの加持だ。」

少し強めの声に、新兵は少し目を大きくして彼の階級章を見た。

「「ハッ! ご苦労様です、加持一尉。」」

二人は鏡で合せたかのように素早く敬礼した。

「弾薬庫を視察したいんだが、良いかね?」

「こちらの管理責任者はロビー・エプシュタイン一尉であります。我々は、許可命令を受けておりません。」

「申し訳有りませんが、エプシュタイン一尉に確認を取っても宜しいでしょうか?」

そう言って内線電話機に手を伸ばした海兵を、加持はかぶりを振って制した。

「いやいや、それには及ばない。いいんだ。少し興味を持ってね。

 …ちょっと見てみたかっただけなんだ。…あ〜君たちの仕事を邪魔して悪かった。」

(やはり、正攻法では無理か。…裏口から入るしかないな。それにしても、お固いねぇ。上官ソックリだ。)

「それじゃ、失礼するよ。」

ニヒルな笑顔を作った加持は、再び廊下を歩き出した。



………学校。



市立第壱中学校は、昼休みになっていた。

屋上に座って弁当を食べるために、少年と少女たちが現れた。

最近、シンジとレイの昼食にトウジ、ヒカリ、ケンスケという顔ぶれが増えていた。

「どう? 鈴原?」

毎度のことながら、お弁当の出来を聞くお下げの少女の顔は真っ赤だった。

そして、思春期の少女が浮かべている…はにかむような表情は、

 ジャージの少年の毎度同じ感想によって”ほっ”と安堵したモノに変わる。

「いや〜美味い。イインチョの弁当はいつも美味いのぉ。」

「そ、そう。…良かった。」

”がさがさ”

ビニール袋から菓子パンと牛乳を取り出した少年は、横目でそんなカップルを見て一言。

「…あ、そう。」

詰まらなそうな顔をしているのは、購買部のパンを口にしたメガネの少年であった。

その少年が、反対側を見ると、さらにピンクな空間を展開しているカップルが目に映る。

「はい、碇君。」

「あ、ん。」


……蒼銀の少女は、お手製の弁当を隣に座る白銀の少年に食べさせてあげている。


「…ん、んまい。」

シンジはとても満足気だ。

「はぁ〜。いつかオレにも弁当を作ってくれるヒトが現れるのだろうか……」

二つのカップルの様子を見たケンスケが、やってらんないよ…と青空を見て呟いた。

「ねぇ、ケンスケ?」

「ん〜、なんだい? 碇。」

「今度、国連海軍の第一艦隊が新横須賀港に来るのって知っている?」

「ああ、ネットじゃ結構ウワサになっているよ。オレも現地に行って写真を撮ろうと思っているんだ。」

「……乗ってみたくない?」

「え?」

「乗りたいんだったら、席を用意しようと思ったんだけどな。」

シンジは、”ゴクッ”とお茶を飲みながら言った。

「! う、うぉぉぉぉおお!!! お願いするよ!!! 碇先生!! 碇大臣!!! 碇さまぁぁ!!!」

「なんや?」

突然のケンスケの大声に、トウジは、”ガツガツ”と食べていた弁当から顔を上げた。

「ちょ、ケンスケ!?」

白銀の少年は、一瞬にして間合いを詰めてきたケンスケに反応が遅れた。

”べコンッ!”

「ブハッ!」

”………ドサッ”


……ゆっくりと倒れたケンスケの顔面には、本がめり込んでいた。


喜びの余り、シンジに抱き付こうとしたメガネの少年は、蒼銀の少女の投げた”蒼い本”の一撃に沈んだ。

「あ、綾波さん……」

学級委員長であるヒカリは、一瞬の躊躇もない少女の攻撃に呆然として言葉を失ってしまった。

”パチクリ”としたシンジは、現状を理解すると立ち上がり、その本を手にしてレイを振り返って見た。

「あ、綾波?」

「…碇君は私が護る。」

揺るぎない決意を秘めた少女の紅い瞳に、トウジとヒカリは”タラリ”と汗をかいた。

「ん?」

シンジは、手に持つ本を開いた。

(…あ、ラミエルの魂の由来変更が終わったみたいだね。)

蒼い本の左のページには、第五使徒が描かれており、中心の小さな玉の色は深い蒼色に変化していた。


……”元”リリスの本は、現在、敗れた使徒を封印する為の道具になっていた。


白銀の少年は、レイの横に再び腰を降ろして、彼女に本を渡した。

「本を投げちゃダメだよ? 綾波。」

「…ゴメンなさい。」

注意を受けた少女は、申し訳なさそうに顔を伏せた。

「…あ、ゴメン。そんなに強く言ったつもりじゃないんだよ、綾波?」

シンジは、”シュン”としてしまったレイの顔を覗き込んで、温かな波動で彼女を包み込んだ。

「ん…碇君。」

愛しい彼の柔らかい波動に、蒼銀の少女は彼の方へ顔を向けた。

「なに?」

「はい、あ〜ん。」

「あ、あん。」

レイは、微笑みながら再びシンジの口に一口サイズのから揚げを運んだ。

何があっても変わらぬこのカップルを、気絶したケンスケが見る事はなかった。

白銀の少年は、何かを思いついたような表情で、目の前に座っているカップルに声を掛ける。

「あ、そうだ。トウジもどう?」

「へ? ワシですか?」

ジャージの少年は何のことだろうとシンジの顔に視線を投げた。

「うん。洞木さんも、たまには街を出て海に行ってみない?」

「え、わ、私も?」

お下げの少女は、予想外の言葉にシンジの顔とトウジの顔を交互に見る。

「うん、ちょっとした遠出になるけれどね。」



………ダクト。



空気を循環させる為の空間に一人の男がいた。

(この先を曲がった所のハズだ。)

狭い空間の中、男は”ズリズリ”と身体を先へと進めている。

(フッ…フッ…フッ…フッ…フッ…)

ほふく前進を繰り返し、ダクトの曲がり角にたどり着くと身体を曲げ、押し込むように足を動かす。

(…見えたぞ。…さて。)

加持は腰に備えてきた道具を取り出し、通気口の枠を留めているネジを外した。

”…スタンッ”

「ふぅ。」

床に着地した男は、思わず肩で息をすると、服についたホコリを払いながら周りを見渡した。

「さて、と。…さっさと探しますか…」



………飛行甲板。



「もー。加持さんってば、ドコに行っちゃったのよぉ?」

現在、OTRは佐世保港の沖合に停泊している。

第一艦隊は、補給艦から物資の積み込み作業が行われているので、数多くの海兵が忙しそうに動いている。

”どんっ!”

「きゃ!」

突如、背中に衝撃を受けたアスカは、前のめりに倒れそうになるのを何とか堪えた。

「くぅ〜いったぁ……なによ!? もう! 危ないじゃない!」

少女が怒りながら振り向くと、大きな段ボール箱を4つ持っている海兵が立っていた。

「ん? あらぁ? ゴメンなさいねぇ。ちょっと、前が良く見えなくって…」

アスカは、目の前の人物が持つ荷物の大きさに男だと思っていたが、聞こえた声は女性のモノであった。

その人物は、体を横に動かしてアスカを見た。

「あらぁ? お嬢さん、どこから入って来ちゃったの? ダメよ、勝手に乗っちゃ。」

少女が見た兵士は、ブロンドの髪を後ろでゆったりと一本に結っている美しい女性だった。

「はぁ? …ちょっと、私を知らないの?」

アスカは少し驚いた顔になってしまった。

「ごめんなさいねぇ。私、今日戻ってきたばっかりなのよ。だから、お嬢さんの事は知らないわぁ。」

微妙なイントネーションと独特な間延びする喋り方をするこの女性に、アスカは少しイラ立ちを感じる。

「そう、じゃ教えてあげるわ! この大艦隊は現在、この私のために動いているの。ナゼか分かるかしら?」

腰に左手を当て、右手を反らせた胸に当てた少女の青い瞳が”キラン”と輝く。

「…さぁ?」

小首を傾げたこの女性は、重そうな荷物を持ったままだが、辛そうな素振りは一切ない。

「私は、アスカ。…エヴァンゲリオン弐号機の専属操縦者、惣流・アスカ・ラングレー。

 この艦隊の任務は、私とエヴぁをドイツから日本に運ぶ事なのよ!!」

「エヴぁ?…EVA、ああ、アナタが…」

「バートン一尉、どうかしましたか?」

金髪リーゼントの大男が、いつの間にか後ろに立っていた。

「あらぁ、ロビー、久しぶりね〜。…ゴメンねぇ。ちょっと、このお嬢さんとお喋りしていたのよ。」

(思わずA・O隊長たちの事を口にしそうになったわ。危なかった。確かトップシークレットだったわね。)

ウインクをしたエマは、ロビーに返事をしながら、自分の敬愛する隊長を思い出した。

「あ、そうだ。ねぇ、お嬢さん?」

「な、なによ?」

大人の女性の真面目な声に、少女は探るような瞳を向ける。

「じゃ、この荷物ぅ、運ぶの手伝ってね♪」

「はぁ? な、何で私がそんな事しなくちゃいけないのよ!?」

「あらぁ…この艦の不文律…と言うか風習を知らないの?」

「…風習?」

「そう。時間のある者は、艦のために尽くせ。つまり、軍務を外れている者は、他の人の手伝いをするの。」

「は? そんなの、今まで言われた事…一度も無いわよ!」

訝しい表情の少女を見るエマの瞳は少し大きくなった。

「あら、じゃ…あなたは本当に”ただのお客さん”なのねぇ。」


……彼女は、暗にアスカのことを”荷物と同じ”と言ったのだ。


しかし、そのニュアンスはアスカに伝わらなかった。

「はぁ? …当ったり前じゃないの! ったく、付き合ってらんないわぁ。」

バカバカしい、と少女は”スタスタ”歩いて行ってしまった。

「1ヶ月間にわたる特殊部隊シールズの教官任務、ご苦労様でした、バートン一尉。

 しかし、今は余り時間がありません。もう出航まで1時間を切っているのです。」

ロビーはエマから半分の荷物を手に取りながら言った。

「あら、助かるわぁ、前が見えなかったのよぉ。 ところで、留守中何かあったぁ?」

「…先ほどの少女と巨大な荷物以外、変化はありません。」

「ふ〜ん。で…艦隊は、予定どおりぃ、14時出航?」

「そのとおりです。」

二人は、紅茶色の少女とは反対の方向へ歩いて行った。



………NERV本部、午後13時45分。



技術開発部の開発実験室に、一台の大型なインテリアが運ばれてくる。

それは、通常のインテリアの前部を少し短くし、パイロットシートの後ろに新たな座席が設けられていた。

「これですか?」

シンジは横に立つ姉の顔を見た。

「そうよ。これがタンデム用のインテリアのプロトタイプ。

 ま、量産の予定はないから、あなた達専用…ワンオフのスペシャルって処かしら。」

ファイルの設計シートを捲りながら、リツコは少し誇らしげな表情で白銀の少年の顔を見る。

少年は、新たに設けられた後ろの座席に近付いて、身を乗り出すようにして見た。

「シンジ君の希望どおり、後部座席は前部座席と同等の機能を持たせてあるわ。」

「あ、本当だ。」

「処理速度を倍にするの、結構大変だったのよ。後で、マヤを労ってあげてね?」

「マヤさんが中心になって開発してくれたんですか?」

「ええ、私は零号機の補修作業に掛かり切りになってしまったから、仕上げは彼女に任せていたのよ。」

「…これが、私のシート?」

蒼銀の少女は、少年の隣に立って座席の感触を確かめるように触った。

「そうだよ、綾波。君専用のシートさ。」

「シンジ君、明日の演習にこれを使う予定だから、申し訳ないけれど、

 これからタンデムによるシンクロとハーモニクステストをしたいの。いいかしら?」

「ええ、モチロンです。…綾波も良いよね?」

「構わないわ。」

”パタン”とファイルと閉じた技術開発部長は、スケジュールを決定した。

「結構。では、このインテリアをテストプラグに挿入して行います。…14時30分にテストスタート。」

「EVA中隊、了解しました。」



………魚雷保管庫。



「ふふふ、ははは。」

男の目の前に、魚雷の弾頭がある。

彼の足元には、オレンジ色のゼリーのようなモノが、そこかしこに散らばっていた。

それは衝撃吸収に優れたゲル状の特殊緩衝材であった。

男は、ゲルに包まれた特殊トランクケースを発見すると、その喜びから思わず笑い声を上げてしまった。

「やった。予想通りだった。…ふぅ。」

樹脂製のケースを、まるで愛しい女性を抱擁するように、彼は自身の両腕で大切そうに抱き締めた。


”ズズズズズ……”


その時、ゆっくりと地面が動く感触が男に伝わった。

「おっと、どうやら補給が終わったんだな。…さっさと戻らんと、海兵たちがシフトに戻ってきちまうな。」

加持は、佐世保での補給作業で手薄になる艦内の状況を利用して、ここまで来たのだ。

黒色の樹脂製のケースをダクトに押し込み、さっさと戻ろうとダクトに手を伸ばして、動きを止めた。

(…あ、危ない。これを外さんとダメだな。)

彼は、ケースに付いている信号発信機を弾頭の中に投げた。

そして、急いでゼリーをかき集めて魚雷の弾頭のハッチに押し込み始める。

「くそっ、何ていう量を充填しているんだ。…入りきらないじゃないか…」

軽く舌打ちした男は、無理矢理オレンジ色のゲルを押し込むと、ハッチを閉じた。

「…ふぅ。まったく。」

加持は立ち上がって、部屋の状態を再度確認した。

(これでよし。…さ、早いところこの部屋を出よう。)

加持リョウジは、再びダクトへ身をねじ込んだ。



………B棟、地下。



シグマユニットに隣接している場所。 ここは、プリブノーボックスと呼ばれている。

この実験場は常時循環する試験用の超純水に満たされている。

そして現在、この実験場に一体の模擬体が用意されていた。

その模擬体の姿は、片腕だけの上半身で、首や脊椎部分から径の太いケーブルが多数接続されていた。

高水圧に十分耐えるように設計された管制室の分厚いガラス窓の前に、白衣の女性が立っている。

エヴァと同じ大きさの模擬体を”じっ”と見ていた金髪の女性が振り向いた。

「マヤ、準備は良いわね?」

ショートカットのオペレーターが最前列のコンソールを操作しながら返事を返す。

「はい、既にチルドレンもエントリー完了しています。」

リツコは、その答えを聞きながら実験管制室の中央に歩くとスタッフに告げた。

「結構。…では、これよりサード、ファーストチルドレンによるタンデムシンクロテストを行います。」

「了解、シンクロスタートさせます。」

「リストスタート。」

「…模擬体と初号機のシステムリンクを確認。」



〜 エントリープラグ 〜



『了解、シンクロスタートさせます。』

テスト用のシミュレーションプラグに男性スタッフの声が聞こえる。

「綾波、始まるみたいだよ?」

「…そうね。」

既にプラグにはLCLが満たされていた。

シンジの座るインテリアのシートの背もたれは、彼の首の下ほどで、

 そのまま後部座席のインテリアに付属する機器類の操作パネルになっていた。

その直ぐ後ろに、レイの座るシートが用意されていた。

シンジが目を落とせば、自分の両脇から彼女の白いプラグスーツの靴が見える状態であった。

LCLに浮かぶ通信ウィンドウに映っている真剣な表情のマヤが、中隊に声を掛ける。

『碇二佐、綾波三佐…準備宜しいでしょうか?』

シンジが確認を取るために振り返ると、後部座席のレイは”コクリ”と頷いた。

「…碇から管制室へ。こちらの準備は完了しています。実験を続けてください。」

『管制室、了解。…では、フェーズ2スタートします。』

”バシュゥゥーーーン…”

プラグの内面が七色に輝き、光の粒子が過ぎ去ると、プラグの内面が全方位を映し出していた。

シンジ達の視線の先には、冷却用LCLに満たされた第7ケージのアンビリカルブリッジが見えた。



〜 管制室 〜



「接触面を超えます。」

「…0.5、0.4、0.3、0.2、0,1…ボーダーラインクリア。」

「EVA初号機、模擬体経由で起動を確認。」

「シンクロ率、99.89%」

「マヤ、初号機へのシンクロに対するパイロットの割合を出して頂戴。」

「はい。」

助手たる女性は、素早いキー捌きでコンソールを操る。

「出ました。サード、80%。ファースト、20%です。」

「コアに対する割合、という事かしら。」

「はい、EVAに対してのシンクロ率ですから、初号機の支配率、と言えるのかもしれません。」

「そうね。…今の状態は被験者である二人に聞いた方が手っ取り早いわね。」

白衣の女性は、マイクを手にした。



〜 エントリープラグ 〜



(…温かい。碇君に触れているみたいな感覚。)

レイは閉じていた瞳をゆっくりと開けて、目の前に座っている少年を見た。

『…どう、綾波?』

シンジは瞳を閉じたまま、まるで自分の心を包み込んでくれるような彼女を感じている。

『ええ、私は問題ないわ。』

『…君の心に触れているような感じ。温かい感じがするよ。』

蒼銀の少女は”コクリ”と頷くと、彼を深く感じるために再び瞳を閉じた。

『……私もそう感じるわ。』

”ピピ”

呼び出しの電子音が静かなプラグに響くと、通信用のウィンドウが開いた。

『…管制室より、シミュレーションプラグの碇二佐へ。…無事、初号機は起動したわ。…どうかしら?』

「はい。問題ありません。」

『綾波三佐は?』

「…………」

モニターに映るリツコが怪訝な表情で再度問いかける。

『…レイちゃん?』

”うっとり”と幸せな感覚に身を委ねて瞳を閉じている少女は、

 まるで心地良い音楽を聞いているような表情であった。

「綾波?」

シンジは振り返って少女を見る。

ゆっくりと深紅の瞳を開けると、レイはシンジに微笑みながら姉に答えた。

「…碇君を感じます…」

『そ、そう。分かったわ。では、リストに基づき実験を進めます。』



………特別審議室。



『…碇、説明をしてもらうぞ。』

正面に出現したバイザーの男が、徐に口を開いた。

右奥に座るアメリカ代表の委員は、サングラスの男を睨みつけるような目で言葉を続けた。

『そのとおりだ。…碇、技術開発部に顧問など…そんな話は聞いておらん。』

『左様。…それも”あの”碇ユイ博士とは。いったいEVAのコアから、いつサルベージしたのかね?』

頷いたフランス代表のメガネが光った。

「…はい。コアから出現した女性体が、本当に碇ユイ本人なのか…彼女について、

 精細な検査と調査を行っており、委員会への報告が遅くなってしまいました。

 これにつきましては、言い訳のしようがありません。…申し訳有りませんでした。」

懐疑的な委員達の視線を受けても、平然と手を組んで答えるゲンドウ。


……彼が、この人類補完委員会の突然の呼び出しを受けたのは、

 ユイを技術開発部の顧問とする人事を許可して数時間後の事だった。


イギリス代表の委員がイラ立たしげに先を促した。

『碇君。…キミのおためごかしは結構だ。さっさと説明したまえ。』

「はい、彼女がEVA初号機のコアから出現したのは、第五使徒戦の時です。」

『ほう…そう言えば、大分時間は経っているが、

 今だあの使徒戦時のデータは、本部から委員会に提出されていなかったな?』

大柄なロシア代表の委員が口の端を上げてイヤミっぽい視線を男に投げた。

「現在、ヤシマ作戦のデータを解析し、レポートを纏めております。…今しばらくお待ち願います。」

ゲンドウのサングラスがモニターのライトに反射して白く光っている。

『その報告は受けている。……先を続けてもらおう、碇。』

「はい、キール議長。第五の使徒…コードネーム”ラミエル”の初撃を受けた際、

 サードのシンクロ値は測定限界まで上がりました。」

『…では過去の実験のように、サードは自我境界線を失ったと?』

「憶測になりますが、その可能性は高いと思われます。

 戦闘時の発令所の計測機器は、測定限界値を記録したあとは、残念ながら何も計測出来ておりません。

 また、プラグの各データもラミエルの砲撃による影響でレコーダーは作動していませんでした。」

『ふん、サードの過剰シンクロの影響で、彼女がコアからサルベージされたというのか?』

「過程はわかりませんが、本部に回収された初号機のエントリープラグに彼女がいた、これは事実です。」

『…初撃時に彼女がサルベージされたとすると、初号機のコアは空の状態になっているハズだな。』

「その通りです、議長。」

『しかし、碇君。…初号機はその後の作戦でラミエルを殲滅させているではないか。…ま、まさか!?』

赤いライトに照らされているイギリス代表の目が大きくなった。

「はい、我々の進める人類補完計画…死海文書に記載されていた”適格者”が発見されたことになります。」

『…しかし、現段階での人類補完計画の修正は認められん。』

「もちろんです、議長。…サードが適格者であろうが、なかろうが…チルドレンに変わりありません。」

(ふむ…その言葉がコイツの本心かどうか、怪しいものだ。…この男には、鈴を付ける必要があるな。)


……キール・ローレンツは顔を上げてバイザー越しにサングラスの男を観察した。


『まぁ、よかろう。EVAの研究を進める優れた人材が必要な事は確かだ。

 適切な人事と評価し、人類補完委員会は技術開発部顧問に就任した、碇博士を歓迎しよう。』

「ありがとう御座います、議長。」

『『な、議長!?』』

数名の委員が”決”を出したバイザーの男に驚いたような声を上げる。

キールは、更に異議を唱えそうな委員に向けて、”すっ”と手を上げて黙らせると、そのまま言葉を続けた。

『さて。そこで、だ…』

キールは、言葉を切ると歪んだ笑みを浮かべて、自分が見下している黄色人に宣告した。

『…人類補完委員会は、特務機関NERVに対して二件の人事を命ずる。』

(む? …なんだ?)

ゲンドウは、手を組み顔を若干俯けたまま、訝しげな視線を正面の男に投げた。

『一つ、ドイツ第3支部特殊監査部所属、加持リョウジをNERV本部特殊監査部へ転属を命じる。

 そして、もう一つ。』

(…ゼーレのコマ、加持リョウジを本部付きにする。…私に対する牽制と監視のつもりか…フッ。)

ゲンドウは手に隠れている口の端を少し上げた。


……しかし、キールの次の言葉にサングラスの男の余裕ある表情は消え失せた。


『NERV本部、技術開発部顧問…碇ユイ博士をアメリカ第2支部、S2機関研究開発部長と任命し、

 現在、ドイツで行っている研究を引継ぎ、任地のネバダで続けてもらおう。』

4人の委員はキールを横目で見て、なるほど、と彼の意図を理解した。

しかし、NERVの総司令は予想外の決定に、組んでいた手を机に打って立ち上がってしまった。

”ガタッ”

「お待ち下さい!!」

アメリカ代表は、取り乱した男を面白そうに見て言った。

『…現在のS2機関の開発、研究は全く成果を出していない。』

「しかし、それは……」

尚もゲンドウは言葉を続けようとしたが、遮られた。

『左様。S2理論の実証。我々の計画に、これがどれだけ重要なファクターか…など説明する必要も無い。』

フランス代表が言い終わるのと同時に、ゲンドウは力を失ったかのようにイスに腰を落とした。

『…碇。委員会の決定は、この審議会終了と同時に効力を発揮する。…判っているな?』

キールの言葉に返した総司令の返事は、苦渋に満ちていた。

「り…了解しました。」



………執務室。



”プシュ”

黒いソファーに座っていた初老の男性は、詰め将棋の本を読んでいた目を入口の方へ向けた。

「終わったようだな。…さて、委員会の突然の呼び出し。…やはり、ユイ君のことかね?」

ゲンドウは何かを考え込んでいるような表情のまま”ツカツカ”と歩いて、自分のイスに座った。

「ん…どうした? 碇。」

サングラスの男は、机に肘をついてゆっくりと手を組んでから口を開いた。

「…人類補完委員会は、技術開発部顧問…碇ユイをアメリカ第2支部へ転属させろ、と言ってきた。」

その言葉を聞いた副司令は、少し目を大きくした。

「なに? …彼女をネバダに?」

「ああ。S2機関の研究…その責任者に据えるそうだ。」

「…ふむ。それで、お前はどうするのだ?」

「冬月、これは決定事項だ。」

副司令は本をテーブルの上に置くと、自身の腰を労わるようにゆっくりと立ち上がった。

「…まさか、何も手を打たないと言うのか?」

そして冬月は、この男が大人しくヒトの言う事を聞くハズが無い…と観察するような視線を彼に向けた。

「フッ…委員会は、彼女の存在と顧問就任を公式に認めたのだ。…S2と顧問を兼任する彼女に対しては、

 通常の職員と同じ扱いにする事は出来んさ。待遇は少将にし、護衛官をつける。」

「護衛官か。…ゼーレの手の者から彼女の安全を保障できるほど優秀な人材となると限られるな。」

ゲンドウはしばらく逡巡すると答えを出した。

「…トライフォースだ。」

「トライフォースか。確かに世界トップレベルだろうが、あの部隊員は我々の権限では好きに出来んぞ?」

「…問題ない。その権限を持つ最高司令官ワーグナーに、”先日の借り”を返してもらう。」

「碇、そのカードは”後の為”に取って置いた方が良いのではないかね?」

冬月は腰に手をやり、ゲンドウの横に立った。

「アメリカでのゼーレの影響力は弱くなったとは言え、第2支部は人里離れた場所に存在する。

 ゼーレが彼女に手をだせん状況にせねばならん。…最悪の場合、碇家の力も必要になるかもしれん。」

「フッ…我々にとって、シンジ君は希望であり、ユイ君はアキレス腱というワケか。」

「冬月、アメリカ第2支部長と詳細を詰めてくれ。…ドイツのS2機関の研究資料の引継ぎも含めてな。」

「できるだけ急ぐが…骨だな。」

「いや、時間を掛けて準備をしてくれ。」

「何?」

冬月は、聞き違いをしたか? と顔を男に向けた。

「彼女を危険にさらすワケにはいかん。まず、第2支部のゴミを掃除する。」

「まさか…ゼーレの息の掛かっている職員を転属させる、というのかね?」

「そうだ。」

ゲンドウは迷いのない瞳を虚空に向ける。

「理由もなく、本部が直接支部の人事に口を出すワケにはいかんぞ?」

「しかし…」

「冷静になれ、碇。

 ユイ君がアメリカに渡った段階で、すぐ彼女に危険が及ぶという可能性は非常に少ないとオレは思うぞ。」

「…冬月。」

ロマンスグレーの男性は、理解が遅い生徒に分かり易く説明する先生のような口調で言った。

「彼らが求めているものは、S2機関の実証とその完成だ。

 この結果が出る前に、ユイ君に手を出すという愚を犯すほど委員会…いや、ゼーレもバカではないだろう。

 まずは、向こうの手の者のデータを収集し、把握するだけに留めておくのだ。

 ……まだあからさまに敵対する時期でもあるまい?」

ゲンドウは、瞳を”ギュッ”と閉じて、答えたくない”言葉”をすり潰すように返事をした。 

「………判りました、冬月先生。」

「では、確認するが。…ユイ君の転属…それに際して、彼女を少将として任官し、専属の護衛官をつける。

 そして、アメリカ支部の受け入れ態勢が整った段階で、彼女をアメリカへ送る。

 ドイツ支部の研究資料、サンプル等は直接ネバダでいいな?」

「…ああ。」

ゲンドウは、ゆっくりと首を縦に振ると、初老の老人に視線を向けた。

「それで、今ユイはどこにいる?」

「ああ。彼女なら、チルドレンの実験に立ち会っているハズだ。」

「…そうか。今日はタンデムエントリーの実験だったか。」

「先ほど聞いた実験の途中経過だと順調だそうだ。さすがは選ばれし適格者という処か。」

「冬月、すまないが…実験が終わり次第、碇ユイ博士とサードをこの部屋に呼んでくれ。」

「…分かった。」

初老の男は、内ポケットから携帯電話を取り出した。



………管制室。



”ピリリリ、ピリリリ…チャ”

「はい、こちらプリブノーボックス実験管制室。…あ、副司令。…はい、お待ち下さい。」

ショートカットのオペレーターは、インカムで受けた通話を保留にして、リツコの携帯へ転送した。

「センパイ、副司令からです。」

「ありがとう、マヤ。」

リツコは呼び出し音が鳴り始めた携帯の通話ボタンを押した。

”ピリリ…ピッ!”

「赤木です。…はい? いえ、碇顧問はこちらの実験室に来ておりませんが?

 そうです、ええ。…はい、分かりました。シンジ君にはそう伝えます。」

携帯電話を切った上司に、マヤが顔を上げて尋ねた。

「センパイ、何かあったんですか?」

「実験後、ユイさんとシンジ君を総司令執務室に来るように伝えてくれって、言われたんだけど。

 ユイさん、どこにいるのかしら? 副司令はこの実験に立ち会っていると思っていたみたいだけれど。」



………執務室。



パソコンの画面を”ジィ〜”と見詰めている女性。

この部屋の大きさからすると、間違いなくこの女性は組織の幹部だろう。

シンプルだが清潔そうなコゲ茶色のソファーや木製のテーブルといった応接セットが中央に用意されており、

 観葉植物の緑色が白色の多いこの部屋のアクセントになっている。

「…ほふぅ。」

ため息とも付かない、小さな声を漏らした女性の瞳は惚けたように、”ぽぉ〜”とした様子だった。

彼女は、パソコンの画面に映っている動画が止まると、”ハッ”として独り言のようなお願いを口にした。

「あ、ドーラさん、今のC45からF12までのデータ、もう一度見せて頂戴♪」


………ユイは、3時間ほど自室で息子の成長記録を見ていたようだ。


このデータは、ドーラが秘密裡に作成した愛する主人の成長記録を纏めたモノだった。

超高密度のデータで作成されたPC上のシンジが、当時の記録のままに動いていく。

ユイが見ていた動画は、実写のようにリアルなCGで作成されたドキュメンタリー映画のようだった。

にこやかな微笑みの女性を見たドーラは、返事をした後……小首を傾げた。

『はい、ユイ様。すぐに再生を開始します。…あ、あの、その前に一つお聞きしても宜しいでしょうか?』

「ん、何かしら?」

『…えっと、既に3時間ほど時間が経っていますが、お仕事の方は平気なのでしょうか?』

「ふふふっ…大丈夫、大丈夫。私に何か用があるのなら、きっと電話が鳴るわよ。それに…」

更に言葉を続けようとしたユイの邪魔をしたのは、部屋に設置されていた内線電話だった。

”ピリリリリ…ピリリリリ…”

「あらやだ。…本当に電話が鳴っちゃったわ。」



………OTR。



”ゴクッ”

士官室の机の上に特殊な黒い樹脂製のケースが載っていた。

そのトランクを開けようと、好奇心に負けた男の手がゆっくりと伸びる。

このケースに備えられていた複雑な鍵は既に外してあった。

”パシュー…ガチャ”

気密性の高いケースから空気が漏れる。

「ッ!? うぉ…こ、これがアダム? 最初の人間? …人類補完計画のキーアイテムだってぇのか…」

息を呑んだ加持の瞳に、オレンジ色の特殊ベークライトで固められている不恰好なモノが映る。

(まるで胎児みたいだが、眼だけが異常に大きいな。……取り敢えず、司令に連絡するか。)

彼はケースの中身を見ながら、ポケットの携帯電話を取り出そうと手を動かした。

”ギョロ!”

「うおっ!」

突然、アダムの大きな眼が男に焦点を合せるように動いた。 

”…カターン”

まさか動くとは思っていなかった加持は、思わず身を仰け反らせて電話機を落としてしまった。

”バタン! カシュ! カシュ! カシュ!”

彼は急いで樹脂製のケースを閉めると、素早く鍵をロックする。

加持は、閉じたトランクケースに触れている手から、中身が何も動いていない事を確認すると、

 緊張を解くように肩に入った力をゆっくりと抜いていった。

「…ふぅ。全く信じられん。この状態で動くとは。……間違いなく生きているってことか。」

彼はケースに視線を固定したまま、ゆっくりと身体を動かして床に落ちた携帯電話を拾い上げる。

(…ま、ベークライトに固められているんだ。大丈夫だろう。…大丈夫、大丈夫だ…)

箱から目が離せなくなってしまった自分を安心させるように、何度も何度も呪文のように同じ事を念じる。

そして、”のろのろ”とした緩慢な動作で携帯を見ると、親指でゆっくりと通話ボタンを押した。



………執務室。



”プシュ”

広々とした部屋のドアがエアの作動音と共にスライドする。

「どうしたの? 父さん。」

中学校の制服を着た白銀の少年と、蒼銀の少女が部屋に入ってくる。

「…シンジ。」

ゲンドウの声が合図だったかのように、その机の横に立っていた母親が振り向いた。

「…しんちゃん。」

少年は少女と共に黒いソファーに座った。

「…タンデムエントリーは問題なかったようだな。」

「ま、僕と綾波だったら当然だよ。…態々ソレを聞くために呼んだの?」

シンジは、そんな事だったら実験報告書で済むだろう、と父親に目を向けた。

「…あのね、シンジ。母さん、今度アメリカに行くことになっちゃったのよ。」

「アメリカ?」

母の意外な言葉に、少年がどういう事? と顔を向ける。 ゲンドウは、その息子を見て口を開いた。

「…委員会からの命令だ。」

「なんでも、S2機関を研究しろって言われちゃってね。」

ユイは、少し困ったような表情を浮かべたまま、シンジ達の対面のソファーに座った。

「ふ〜ん。…なるほど。彼らにとって、サルベージされた母さんは渡りに船だったって事か。」

ゲンドウは、組んでいた手を下ろして、イスを回転させると、窓の外に目を向けた。

「…臨時で召集された特別審議で、委員会はサルベージされたユイの存在を認めた。

 そして、適格者と判明したサードチルドレンも計画に支障がないと判断した。

 ここまでは、私の思惑通りだったのだが…」

ゲンドウは悔しそうに言葉を切った。

「やっぱり、キールって人は侮れないね。」

父は再び机にイスを回転させて、息子に問うた。

「…シンジ。」

「なに?」

「NERVは、いつゼーレに反旗を翻せばいい?」

「一応考えているけれど、父さんが自分で判断しても構わないよ?」

今まで静かに彼の隣に座っていた少女が、驚いたように”バッ”と少年の方へ顔を向けた。

「…碇君?」

「大丈夫だよ、綾波。」

「でも…」

シンジがゼーレについてかなり悩んでいた事を知っている少女は、

 そんなに簡単に返事をして良いの? と少年を見詰めた。

『…むしろ、父さん達が決断してくれた方が良いかもしれないよ。』

『碇君…』

『もし、今NERVが明確に敵対するって決めても大丈夫さ。』

『…碇君は、それでいいの?』

『うん。…なるべく僕が関わらない方が良いような気がするんだ、こういう事って。』

少女は、静かに彼の手を握った。

「…判った、シンジ。」

見詰め合って行われていた少年と少女の波動のやり取りは、サングラスの男の声に遮られた。

「あなた?」

妻は、顔を俯けて表情が読めない夫を見た。

「…まだだ。今は、まだその時期ではない。」


……これが、現段階でのゲンドウの決定だった。


「…ユイ、すまないが準備が整い次第、アメリカに行ってくれ。」

「そうですか。…判りましたわ、ゲンドウさん。」

ユイは、少し寂しそうな笑顔で答えた。

”ピリリリ…チャ”

ゲンドウは電話を手にした。

「…私だ。」

ユイは電話に出たゲンドウを見ると、息子の方へ向き直った。

「アメリカ、ね。…また離れ離れになっちゃうわね。」

母は寂しそうな表情で”ぽつり”と呟いた。

「…そうか、ご苦労だったな。キミはこのまま本部へ転属となる。…いや、護衛任務ではない。…ああ…」

父は自分のパソコンのモニターを見ながら相手との会話を続ける。

シンジはユイの顔を見た。

「母さん、別にずっとじゃないんだから…」

「…でも。」

「それに、本部の技術顧問を兼任しているんだから、ちょくちょく戻ってくれば良いじゃない?」

「ソレはそうかもしれないけれど…」

ユイは”アッ”と、突如ある事を思いついた。

(そうよ! S2はエヴァに搭載するんだから、しんちゃんを実験パイロットとして呼んじゃいましよう。)

「…母さん?」

「え!?」

「大丈夫? …少し”ぼおっ”としていたみたいだけれど?」

「…だ、大丈夫よ。S2機関の研究、頑張らなくっちゃね。ほほほ…」

ユイは笑って誤魔化した。

そんな彼女を見たレイは、少し嫌な予感を感じていた。

(…なにか、私にとって良くない事を考えている気がする…)

シンジが、母を見て不思議そうな顔で首を傾げたのと、ゲンドウが電話を切ったのはほとんど同時だった。





合同演習−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………翌日。



…15時、空港。

この空港は、一般には開放されていない。 …と言うよりも、その存在自体が知られていない。

また、ここには、第3新東京市の特殊アスファルトと同じ材料で敷き詰められた滑走路が1本しかなかった。

管制塔すらないこの空港に唯一ある建造物は、巨大な格納庫だけであった。

”ビィーーー、ビィーーー、ビィーーー”

警報音が静かな山中に響き渡ると、巨大ハンガーのシャッターが上に開き、黒いモノが出現する。

この全翼機は、ステルス爆撃機B−2に似ているが、その大きさは桁違いに巨大だった。

そして、この機体の後部からは、紫色の脚部が見える。

『機長より、碇二佐へ。』

カーゴのスピーカーから聞こえたパイロットの声に答えたのは、

 エントリープラグを飲み込んだ初号機を見ていた蒼銀の美少女であった。

「…はい、どうぞ。」

『ハッ、綾波三佐。予定どおり、これよりフライトいたしますので、キャビンに待機願います。』

この長距離輸送を目的としたEVA専用のSTOL機は、先月組立工場をロールアウトし、

 各種の試験運用を経て、先日ようやく1機のみ制式採用された物だった。

機体中央にあるEVA収容カーゴの両サイドに設置された堅牢なガイドレールに、

 初号機の肩部パーツ部分が巨大な4本のロックボルトによって固定されている。


……そして現在の初号機は、F型装備と呼ばれる状態である。


これは、通常と同様の形状をした肩部パーツに違いがあり、

 EVAの重量を支えるべく強度に重点を置いた設計とされていた。

狭いキャピンの扉が開くと、通信士を兼ねる副機長が振り向いて乗客を確認したが、

 そこには白いマントを羽織る少女一人しか現れなかった。

「あれ? すみません、碇二佐は?」

レイは、キャビンのシートに座ってベルトで身体を固定すると、パイロットシートに顔を向けて答えた。

「…隊長は不測の事態に備え、現在エントリープラグで待機しています。

 私は飛行状態が安定した後、初号機にエントリーします。」


……彼女の着る白いポンチョの背中には、深い蒼色の文字で大きく《 初 号 機 》と書かれている。


「ハッ了解しました。…それでは、発進シークエンスをスタートします。」

「…お願いします。」

レイはシンジの顔を見るために、PDAの電源を入れながら答えた。

「こちらシエラ01、第一発令所へ。フライトプランA103を実行する。発進許可を求む。」

STOL機のパイロットが各スイッチを押しながら、無線機でNERV本部の第一発令所へ連絡を取る。

『はい、こちら発令所。…MAGI及び航空管制システムの許可が下りました。発進、どうぞ。』

マヤの声と同時に、発進位置についた巨大な翼の後ろに分厚いコンクリートの壁がせり上がってくる。

”グォォオオン…プッ、シァァァアア……”

そして、大量の水が壁に向けて噴射される。

「了解。シエラ01、発進。」

”カチッ”

パイロットがエンジンスロットルレバーの赤いスイッチを押すと、両翼のロケットエンジンが点火した。

”ドシュゥゥゥゥウウ!!”

強烈な熱にさらされた水が大量の水蒸気になって大気に吹き上がる。

”ゴォォォォォオオオオ!!!”

猛烈な勢いで速度を上げていく輸送機が離陸すると、メインである大型のジェットエンジンが起動する。

”……キィィィィィイインンン……”

空気を切り裂く音を残して、巨大なSTOL機は飛び立っていった。



………OTR。



「提督、本日予定通り演習を行う、と特務機関NERVより通達が有りました。」

「ふん。オモチャの輸送だけに飽き足らず、この艦に対する降下訓練だと? 一体、何を考えているのだ。」

リッジは忌々しげに目の前に広がる海原を睨み付けた。

『通信室より、ブリッジへ。

 特務機関NERVのEVA独立中隊、碇二佐より入電です。提督とお話がしたいそうです。』

特殊暗号無線による通信を受けた通信士が、ブリッジに許可の確認を取る。

頑丈そうな受話器を手にしている副司令官、ウィリアム・ウィルバーは思わず大きな声を出してしまった。

「は!? 何? NERVだと?」

長い年月副官を務めてくれている准将の声に、リッジは視線を海からブリッジに戻した。

「ウィルバー、何があった?」

「ハッ…特務機関NERVの碇二佐なる人物が、提督とお話がしたいと通信を入れてきておるようです。」

司令官である男は、ふむ…と一息入れると…面白いではないか、と手を副司令官に伸ばした。

「よこせ。…いいだろう。…話を聞いてやる。どうせ、あの男のような輩なのだろうが…」

リッジの脳裏に、だらしない男…加持リョウジの顔が思い浮かぶ。

『…こちら、EVA独立中隊、碇二佐です。』

「国連海軍、第一艦隊司令、リッジだ。」

『この度は、特務機関NERVの演習に御協力頂き、感謝いたします。』

「降下訓練、としか聞いておらんが?」

(この声…どこかで聞いた事があるな?)

何かを思い出すかのように、提督の目が細まる。

『はい、エヴァンゲリオン初号機を輸送機からパージし、直接OTRに着地させます。』

事もなげに言ったNERV士官の発言に、リッジの眼は大きくなる。

「な、なに!? そんな事をすれば飛行甲板がメチャクチャになる! 許可などできん!」

『…大丈夫ですよ、提督。』

「そんな事は信用できん!」

『私がA・Oでも?』

「エイオー?…キミは、A・Oなのか?」

『あれ? 僕の声、忘れてしまいましたか? リッジ提督?』

受話器から聞こえたちょっとイタズラっぽい声に、リッジは目を大きくして数秒、固まってしまった。



………10分後、上空。



”ガクゥン! バシュ!”

紫の巨人の装甲がずれると白い筒が勢いよく飛び出してくる。

プラグの射出機構は状態制御が働いており、

 EVAが静止状態であれば、どんな体勢であろうと天地がひっくり返る事はない。

メインハッチが大きく上に開くと、白いポンチョをたたんでトランクに仕舞った少女が搭乗デッキに上がる。

「さ、綾波、ソレをこっちに貸して。」

「はい。…乗っていい?」

トランクを手渡したレイが確認するように小首を傾げると、シンジは大きく頷いた。

「モチロンだよ。いらっしゃい、綾波。」

シンジは操縦席であるインテリアに、彼女から受け取った着替えなどを入れた防水トランクを固定する。

「お邪魔します。……なにか、違うような気がする。」

シートに座った彼女は、カタチの良い眉を寄せて真剣に悩みだした。

「ただいま? ソレも違う様な気がする…」

「あ、綾波?」

「なに?」

「エントリーするけれど、いい?」

「ええ、問題ないわ。」

”ウィィィン”

上部ハッチが閉まると、シンジは操縦桿を握って声を出した。

「コマンド…エントリープラグ、インサート。」

”シュイン…”

斜め下にプラグが挿入されていく感覚が止まると、少年は後ろを振り返りレイの瞳を見た。

(碇君、手伝わせてくれるのね? …そうね。これは二人だけの共同作業なの。)

蒼銀の少女は嬉しそうに”コクリ”と頷いて起動シークエンスを進めた。

「コマンド…シンクロ、スタート。」

抑揚はないが、喜色を含んだレイの声に反応したプラグの前方から、おびただしい光の粒子が流れ出てくる。

それらが過ぎ去ると、エントリープラグ前面に輸送機のカーゴが映し出された。

「こちら初号機。機長、聞こえますか?」

『ハッ聞こえます、碇二佐。』

「予定ポイントに到達次第、EVAを射出してください。」

『了解しました。 タイミングはこちらで宜しいですか?』

「ええ、お願いします。」



………トレーニングルーム。



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。」

紅茶色の髪を一本の三つ編みに結わえた少女の息は荒い。

”ガシャン!”

白のハーフパンツと灰色のトレーニングシャツ、という姿の彼女が腕の力を緩めると、

 トレーニングマシーンのウエイトが勢いよく落ちる。

エースパイロットの常識。 自己管理は完璧に。 

少女は、この船旅で鍛え抜いた身体が鈍ることがないように、自分を律してトレーニングを継続していた。

”ガシャン!”

「…ふぅ、後はフィットネスバイクで終了ね。」

白いタオルで汗を拭いながら、アスカはスポーツドリンクでのどの渇きを潤す。

「”ゴクッゴクッ…ぷはぁ!”ふぅ。筋トレ終わったらなにしよっかな。プールで泳ごうかしら。

 取り敢えず、シャワー浴びよっと。」



………ブリッジ。



「…提督、艦隊正面に未確認の機影を確認したと、CDCから報告が上がりました。」

受話器を手にしたクルーが振り向き報告する。

「…ふむ。来たようですな、提督。」

「ウィルバー、久しぶりにA・Oに会うのだ。今夜は彼と晩餐しよう。準備を頼むぞ。」

「ええ、了解しております。」


……副官であるウィルバーは、長年の付き合いから、リッジが自分の認めた者にはとことん甘く、

 逆の者には、非情なまでに厳しい事を知っている。 


「元トラの3人も同席させましょうか?」

「…その方がA・Oも喜ぶだろう。許可する。」

リッジは、自分の首に下げていた双眼鏡を持ち上げて、水平線の先を見ながら答えた。

その男の視界に、夏の青い海と白い雲、傾きかけた太陽が映る。

「まだ見えないか。 …よし! 戦闘指揮所へ行くぞ!」

目を輝かせた男は、さっさとブリッジを後にした。

「了解です。…クルーは現状を維持、艦隊はこのまま前進を続けろ!」

早口で指示を出した長身の副官は、遅れを取らぬように駆け足でリッジを追いかけて行った。



………CDC。



通常の軍艦などでCIC(コンバット・インフォメーション・センター)と呼ばれる部署は、

 この空母ではCDC(コンバット・ディレクション・センター)と呼ばれる。

”ウィィン”

その戦略的戦闘指揮所に艦隊司令が勢い良く入って来た。

「…おいっレーダー、機影を補足しているか?」

司令官の声がこの部屋に緊張をもたらす。

「いいえ。一度捕捉しましたが、また見失いました。どうやら、ステルス性能が著しく高いようです。 

 こちらから指向性レーダーを駆使して探査していますが、今だ捉えられておりません。」

CDCを管轄する士官が敬礼と答えをリッジに返す。

「Yes! レーダーに反応有り! 距離36000、高度29000フィート。」

「よし、光学カメラを向けろ。」

「イエッサー」

士官が兵に指示を出すと、直ぐに中央のモニターに赤と青のグラデーションの空とオレンジ色の雲が映った。

「…でかいですね」

ウィルバーがモニターに映った、夕日を反射する黒い巨大輸送機を見て呟く。

「提督、通信が入りました。スピーカーに出します。」

通信用イヤーマフをしている黒人の通信士が振り向いて報告する。

CDCにパイロットの声がスピーカーから聞こえた。

『”ザッ”…こちら特務機関NERV、EVA専用輸送機シエラ01。…OTR管制、応答を願う。』

「こちらOTR。感度、良。どうぞ。」

『”ザッ”演習命令書のとおり予定ポイントに到達後、エヴァンゲリオンを射出する。宜しいか?』

振り向いた通信士の視線を受けたリッジは、大きく頷く。それを見た男は、マイクに向かって返事をした。

「…OTR、了解。」

リッジは隣に立つ副官に問うた。

「ウィルバー、到達時間はどれくらいになる?」

士官は、答えよ…という副司令の視線に指で時間を示した。

「…約5分後です。」

それを見てリッジに答えたウィルバーは、そのまま士官へ命令を下した。

「飛行甲板の航空機を格納庫へ収納せよ。…通常シフトの警戒飛行は他の空母に負担させろ。」

「了解。」

「ウィルバー、今からでは…とても間に合わんだろう。航空機を寄せて、甲板員を避難させておけ。

 …A・Oの操縦技術を信じろ。」

リッジはそう言って、副官が下した機体収納の命令を取り消した。

「イエッサー」



………ジオフロント。



「ちょっと、リツコ! どういう事よ?」

実験開発室に”ドカドカ”と騒がしい足音を踏み鳴らしながら女性が入って来た。

「何事かしら、ミサト?」

白衣の女性は、モニターを見ていた目を彼女に向ける。

「何って…EVA中隊よ!」

「?」

リツコは、何かあったかしら…と視線を上にして眉根を寄せた。

「…輸送訓練よ! 今日しているんでしょ!?」

「ええ、その通りだけれど?」

ミサトは周りの技術開発部のスタッフが自分に注目する視線を感じて、若干トーンを落とした。

「…なんでも、太平洋を進んでいる第一艦隊まで出張って、EVAの着艦訓練。

 そしてそのまま明日の午後、新横須賀港に陸揚げする予定の弐号機と一緒に戻ってくるなんて!」

やっぱり語尾が強くなってしまうミサト。

「?」

「だ・か・ら、もし、今日使徒が攻めてきたらどうするのよ?」

”ずいっ”と顔を近づけるミサトに、リツコはため息をついた。

「ふぅ。…その時は、直ぐに呼び戻せば良いわ。」

「どうやって?」

「輸送機があるじゃない? …最高速度を維持したままなら、約2時間。

 明日なら更にこっちに近付いているから1時間もかからないわね。」

「その間に、サードインパクトって事になっちゃうんじゃないの?」

「それを防ぐのは、私じゃなくて、あなたの仕事でしょ? …頑張ってね、作戦課長さん。

 アナタの話は以上かしら?」

私は忙しいの、と言外に目で言われたような気がしたミサトは一歩引いてしまう。

「う…そ、そうだけれど。」

リツコは、ふぅ…と肩を落としながらモニターに向き直りながら言う。

「あ…そうそう、明日の弐号機の引き取り、事前に私も行くから。ここの留守をよろしくね、ミサト。」

「ちょ、そんなの聞いてないわよ?」

「今、聞いたでしょ?」

「わ、私も行くわよ!!」

「碇司令が認めてくれるかしら?」

「ぐっ。」



………降下ポイント。



『…所定のポイントに到達しました。これより、ガイドレールを展開します。』

”ゴゥン! ゥゥゥィィィインン…ガシン!”

レールが機体後部にスライドしていくと、カーゴに収容されていた初号機の上半身が出現する。

そして、エントリープラグに夕日を反射している海と空、その太陽の光を浴びている雲が映る。

「レールの展開を確認。…カウント、どうぞ。」

通信を任されている蒼銀の少女が、輸送機のパイロットに指示を出す。

『了解、カウントスタート。…8、7、6、5、4、3、2、1…初号機ドッキングアウトします。』

”ガシュ!”

4本のボルトが初号機の肩部装甲から引き抜かれるのと同時に、

 固定具を兼ねていた外部電源プラグがパージされると、空気抵抗と重力により巨人が航空機と分離する。


”ヒューーーーーーーー”


シンジは、落下する加速に身を任せている。

レイは、自分達の眼前に広がるオレンジ色の海原と、その緩やかな弧を描く水平線に沈み込む太陽を見た。

「…キレイ。」

「そうだね。宇宙から見たのと違う美しさがあるね。」

「”ポッ”そうね。」

少女は、彼にしてもらった宇宙でのプロポーズを思い出して頬を染めた。



”…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピ…”



そんな穏やかな雰囲気のエントリープラグに、一定のリズムで電子音が鳴り響いている。

LCLに浮かぶように表示されている高度計の数字は、見る見る間に小さくなっていった。

『マスター、高度10000フィートを切りました。』

シンジとレイの視線の先に、目標としてロックしたOTRが遥か下に見え始める。

『マスター、高度6000を切りました。そろそろ減速した方が宜しいかと思われます。…マスター?』

バーチャルモニターのドーラは、緑色の瞳を主人に向ける。

シンジは飛行甲板の先端部分に初号機を向けると、真紅の瞳を閉じた。

「ふふっ…ちょっとだけ、驚かせてあげようよ。」


……初号機はATフィールドを利用し、頭を上にしたままの状態で、両腕を横に広げて”落下”している。


飛行甲板に緊急を知らせる警報が鳴り響く。

”ヴィーー!! ヴィーーー!! ヴィーーー!!”

『退避せよ! 退避せよ!』

「なんだ?」

その緊迫した声に飛行甲板の海兵が上に視線を向けると、茜色に染まる大空に黒い人影が見えた。


……距離が離れているのに人影と判るのは、それが巨大だからだ。


「「「「No!!!」」」」

一切の減速もしない、凄まじいスピードで人影が大きくなっていく。

それに気がついたクルーは落下してくる物体が、艦に衝突する瞬間…身を伏せて衝撃に備える。

しかし、いくら待っても音も衝撃も何も伝わってこなかった。

遥か上空から突然と接近してきた、この巨人を見た乗組員達は皆…覚悟していたのだ。


……ダメだ…この空母は沈没する、と。


暫く時間が経っても、何も変化を起こさない静かな世界に、

 ゆっくりと目を開けると、その眼前に見たこともない巨人が片ヒザをついて静かに佇んでいた。

甲板にいた海兵たちは、まるであり得ない魔法か”タネ”のないイリュージョンを見させられたかのように、

 驚くというよりも一切の感情を出す事が出来ず、ただ呆然と立ちすくんでいた。



〜 戦闘指揮所 〜



CDCのレーダー員も小さな悲鳴を上げて、自分の頭を腕で守るように小さくなっていたが、

 一人の男が大きな声で笑い始めた。

「がっはっはっはっ。やりおる! さすがA・Oだ!」

「ふぅ。…やりすぎですよ。現在、この空母の指揮系統は完全にマヒしていますよ?」

リッジに突っ込みを入れたウィルバーは、

 指揮所の兵員全てがモニターに映る紫の巨体に釘付けになっている様子を見て、小さくかぶりを振った。



〜 飛行甲板 〜



飛行甲板のクルー達は、紫色の巨人にゆっくりと近付いて行った。

誰も一声も声を出せない。 

”ザァァァァァァア……”

相変わらずこの巨艦が海原を割って進む音が聞こえるだけだった。



〜 エントリープラグ 〜



内部電源の残り時間を表示しているタイマーは、4分15秒で止まっていた。

シンジは、OTRの甲板を見ると後ろに振り返った。

「見てよ、綾波。みんな驚いた顔しているよ?」

「そうね、碇君。…でもそろそろ、降りた方が良いと思うわ。」

「うん、了解。ドーラ、トランクの中のPDAに移動して。」

『了解いたしました。』

バーチャルモニターが閉じるのを見た蒼銀の少女が声を出す。

「コマンド…シンクロ、ストップ。」

”ブシュン”

レイの声に従って、プラグの映像が落ちるのと同時に、透明だったLCLに色がつく。

「じゃ、LCLを抜くよ? コマンド…LCLディスチャージ。」

音もなくオレンジ色の液体が排水されていくと、彼らの濡れた髪の先端からLCLが滴り落ちる。

シートのロックを解除して、インテリアの後部に用意されているエアガンを取り出すシンジ。

圧搾空気を吹き付けて、身体に付着しているLCLを飛ばすのだ。

「綾波、いい?」

”コクリ”と頷いた彼女の髪にエアガンのノズルを向けるが、圧力が高いので若干離して吹き付けていく。

”プシューーーー”

優しく髪を梳いてもらっているレイは、瞳を閉じて気持ち良さそうにうっとりとした表情になる。

「…ん…いいよ。乾いた。」

そう言ったシンジは、無造作にそのエアガンを自分に向けようとしたが、”パシッ”と奪われてしまった。

「…ダメ、私がするの。」

「りょ、了解。」

白銀の少年は、その素早さに目をパチクリとさせてしまった。



………甲板。



(…なんだ? 何も動かないぞ?)

プラグの中の二人が何をしているのか知らない、空母のクルー達は焦れていた。

凄まじいまでに圧倒的なこの兵器を、超絶的な方法で操縦してきた国連直属組織のパイロットを見ようと、

 自分達の仕事の手を止めているのだ。…いつ上官にドヤされるかも知れないのが、彼らの状況だった。

(早く出て来てくれよ…)

彼らの願いが通じたのか、妙な静けさが支配する飛行甲板の巨人が動いた。

”ゴォゥン! バシュ!”

片ヒザをついて臣下の礼を取っているような姿勢のEVAの頭部が、お辞儀をするように下がった。

彼らが”ガコン!”と音のした上空に顔を上げると、白いカプセルのような細長い筒が出てきた。

”あれ”にパイロットが乗っているのだろうか?と皆が注目をする。

カプセルの上部のハッチが開くとそこからマントの様なモノを着用した二人が、

 寄り添う様に抱き合い、1本の垂らされたワイヤーを使って”シュー”と降下してきた。

甲板にいた誘導員は、自分の目の前に降り立ったカップルをすぐに思い出した。


……彼らだ。少し前までこの艦隊にいた仲間。特殊部隊のトップだった白銀の少年と蒼銀の少女だった。


「「「A・O!!!」」」

「「「レイ!!!」」」

OTRの乗組員達は彼らに走り寄って囲んだ。

「君達がパイロットだったのか!」

「驚いたよ!」

「ああ、本当だ!!」

「…ちょ、お前たち、そこをどけっ…だから、空けろ。…こら。…クッ…どけ、聞こえんのか!!」

アイランドから飛行甲板にやって来た司令官の怒号が飛ぶ。

そんな太平洋の海原は、正に太陽が沈み込まんとし、そのオレンジ色の光で水平線を茜色に染め上げていた。



………ブリッジ。



「乗艦許可を願います。」

「うむ。許可しよう。」

「…改めまして、今回の演習にご協力頂きまして真にありがとう御座います。」

海軍式の敬礼をしたのは、紺色のマントのようなモノを羽織った白銀の少年。

「特務機関NERV、エヴァンゲリオン独立中隊、隊長の碇シンジ二佐です。」

少年の言葉に続けて、蒼銀の少女も敬礼をしてキャプテンシートに座る男を見た。

「…綾波レイ三佐です。」

「うむ。国連海軍、第一艦隊総司令官のリッジ少将だ。…久しぶりだな、A・O?」

「ええ、お久しぶりです。」

「色々と聞きたい事があるが、そのままの格好では落ち着かないだろう。

 キミ達の部屋を用意してあるから、着替えてくるが良い。あとで晩餐に招待しよう。」

「ハッ、了解しました。」


……少年と少女は敬礼してブリッジを出た。


「久しぶりのOTRだね。」

「…ええ。」

「僕、エントリープラグからトランクを運ぶから、綾波は先に部屋に行っててね。」

「…分かったわ。」



………廊下。



「はぁ〜…スッキリしたぁ。やっぱり運動後のシャワーは最高ね♪」

(…なんか今日は騒がしいわね?)

アスカは廊下で行き交う海兵たちが色々喋っている声に横目を向けた。

(…甲板? なぁんだ。新しい飛行機でも来たのかしら?)

彼女は、めったな事では飛行甲板に行かない。

元々戦闘機などに興味はないし、第一この船旅で見慣れてしまった。

また、空母の要である飛行甲板は常時もの凄くうるさいのだ。

ケンスケなら一日中、飽きずにいるであろう飛行甲板に、アスカは一度も行かない日があるくらいだった。

(…さっさと部屋に戻って休んでよ〜っと。 そう言えば、加持さん…どこにいるのかしら?)

着替えが入った巾着袋を”くるくる”回しながら、廊下を歩いて行く。



………士官室。



「お待たせ、碇君。」

シンジ達に用意されていたのは、あのトライフォースとしてこの艦に世話になっていた時の部屋だった。

シャワーを先に浴びていたレイが、バスタオル一枚の姿で出てきた。

「ぅ、あ、じゃ…僕もシャワー浴びるから。」

シンジは魅惑的な色香を放つ彼女を直視しないように、”そそそっ”とシャワールームに消えて行った。

そんな彼を見たレイは、小さくため息をついて、柔らかなシルクの下着を身に付けた。

最近の彼女は、キス以上の”事”をしようとしない彼に、ホンの少しだけ不満と不安を感じていた。

(…もしかして、私に問題があるのかしら? でも、直接聞くのは少しだけ怖い…)

鏡に映る自分の姿を見ながら、彼も自分も精神的に既に十分大人なのに、と暫く考えていた。

(魂が触れ合うような波動の感覚はもちろん嬉しいのだけれど。…ふぅ。取り敢えず、着替えましょ。)

レイは、再び小さなため息をつくと用意した服に着替え始める。

少女は、身繕いを終えてベッドに腰を降ろすと、PDAの電源を入れた。


……この情報端末は、自動的に世界のあらゆる情報が集約されているのだ。


愛しい彼のため、蒼銀の少女は表示されるトピックスに瞳を走らせる。

(目新しい事はない。…情勢は特に変化なし。)

『レイ様?』

『…何?』

少女はPDAのドーラに波動で返事をする。

『マスターのご指示どおり、エヴァンゲリオン弐号機の拘束システムをロックしました。』

『…ご苦労様。』



………その2つ隣の士官室。



「ふぅ。」

男はベッドに横になっていた。

箱をこの部屋に運んでから、彼は一歩も外に出ていなかった。

(…気になって、部屋を出れんな。…ふぅ。)

彼は、”のそっ”と身体を起こして、サイドテーブルの小さな箱に手を伸ばす。

”シュ、ボ!”

「…ふぅ〜」

男は”ゆらり”とタバコの先端から立ち昇っていく紫煙をボンヤリと見る。

(明日、本部から迎えが来る…か。)

加持リョウジの脳裏に一人の女性が浮かび上がる。

「…葛城…」

思わず口にした言葉が、自分の心を少し振るわせた。

(…付き合っているヤツはいないって聞いているんだが。…もう、戻れないのかねぇ…俺たち。)

彼は、ドイツに出向してきたばかりの彼女を無理に連れ出した、あのビアホールでのやり取りを思い出す。

湧き上がるように動く煙を見ていた加持は、乱暴にタバコを灰皿に押し付けると、再び横になった。



………更に隣の士官室。



「…や〜っと明日、日本に到着するのね。…やっぱりミサトが迎えに来るのかしらねぇ?」

紅茶色の長い髪を優しくブラッシングしながら、先ほど聞いた連絡事項を思い出した。

この艦隊は予定通り、明日新横須賀に入港すると。

「よし、と。」

鏡に映る自分をチェックして、満足そうに頷く。

アスカはこの日、明日着る服を選んだりアクセサリーを選んだりと忙しく、自分の部屋を出る事はなかった。



………士官用食堂。



食堂にある奥の一室から笑い声が聞こえる。

「がっはっはっは。…相変わらずだな、A・O。」

大きなテーブルの上に、次々と料理が置かれていく。

海の男、チェスター・リッジは、少年との軽妙な会話にご機嫌だった。

国連軍の正装に身を包んだ少年と少女は、豪華なディナーに招待されていた。

”コンコン”

給仕を取り仕切るウェイターがドアを開けると、その入口から3人の士官が入って来た。

「失礼します。」

…が、先頭の金髪リーゼントの軍人は、白銀の少年に気が付くと突然、その足を止めた。

「ッ! ロビー・エプシュタインであります!」

彼は”あの部隊”に所属していた時と同じように、”ビシッ”と直立不動で敬礼した。

予想もしていない男の急停止に、後ろに続いていた女性は彼の背にぶつかってしまった。

「ちょ、急に立ち止まらないでよ、ロビー。ほれっ! ったくぅ。」

ベッキーが、ブロンドのポニーテールを揺らして文句をいう。

しかし、彼女はこの部屋に白銀の髪と蒼銀の髪を見付けると、にこやかな笑みになった。

「…あれ、隊長とレイ? 演習以来じゃない。元気そうだね。」

「え? 隊長? あ、本当だ! こんばんわぁ、隊長。うわぁ、すごい! おいしそうぉ。」

エマが、大きな白いテーブルクロスの上に用意されている豪華な料理に目を奪われる。

「ちょっと、ロビー。…ベッキーもエマも早く席についてよ。…提督、すみません。」

3人の現所属を無視した言動に、”元”責任者の少年が謝る。

「がっはっは。構わん、キミはこの艦隊、いや国連軍にとって何時までもA・Oなのだ。」

リッジは、豪快に笑うと、ウェイターを呼びワイングラスに秘蔵の赤ワインを注ぐように命令した。





旧伊東沖遭遇戦−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………輸送ヘリ。



「スゴイ! 凄すぎるぅう! MiL−55d輸送ヘリ!! こんな事でもなけりゃ一生乗る機会ないよ!」

青い空に、天高く輝く真夏の太陽。

今日も気温は高く、蒸し暑い。

そんな普段と変わらない常夏の一日になりそうな天気であったが、今日はいつもと違う一日になりそうだ。

黒いジャージの少年と白いワンピースのお下げの少女は、そろってため息をついた。

「…はぁ。ケンスケ、少しは落ち着かんかい。」

「…ふぅ。そうよ、相田。いい加減、静かにしなさいよ。」


……現在、彼らは第3新東京市立総合病院の屋上にいる。


ここには、緊急患者を受け入れるためのヘリポートが用意されていた。

同級生から注意を受けたメガネの少年、相田ケンスケは興奮気味にビデオカメラを回している。

「…では、お願いします。」

金髪の女性は、出発準備完了の報告をしたパイロットにやおら頭を下げた。

その後ろに立って、ヘリポートにいる子供たちを”ぼんやり”と見ていた女性が小さく肩を落とした。

「…ねぇ、なんでココに子供たちがいるのよ?」

赤いジャケットの女性が、白衣の女性に”ボソボソ”と小声で聞く。

リツコは振り向いて答えた。

「ああ、あの子達。…シンジ君の提案なのよ。」

「どういう事?」

赤いジャケットの女性は、眉根を寄せる。

「私が、新しい仲間になるセカンドチルドレンは、海軍の護衛の下、輸送船に乗り来日するって教えたら、

 それじゃ、その子はドイツからの長期間、大人達だらけの船旅で詰まらなかっただろうから、

 同世代の子達に会わせてあげると良いんじゃないかってね。

 技術開発部として、彼の提案を受ける事に決めたの。」

「あんでよ?」

更に眉を寄せたミサトを見て、リツコは盛大にため息をついた。

「ふぅぅ。…ミサト、判らないの? 

 EVAの操縦はパイロットの精神状態に左右されるのよ?

 パイロットのストレスを軽減させる為の処置を考えるのは当然でしょ?

 あの子供たちに会って、溜まっていた”ガス”が少しでも抜ければ儲けモノじゃない。

 それに、弐号機専属操縦者であるセカンドチルドレンは、シンジ君たちと同様に、

 平時、義務教育を受けてもらうの。

 その彼女に、学校の同窓になる子達を会わせるのも、色々とメリットがあって良いんじゃないかしら?」

「でも、さー」

リツコがヘリに向かって歩くと、後ろについて歩き始めたミサトは後頭部に手を組んで背を伸ばす。

「判っているでしょうけれど、今後、こういった事はアナタが考えるのよ?」

「あんでよ?」

「弐号機は作戦課の直属になるのだから…彼女のケアを考えるのは、あなたの仕事になるのは当然でしょ?」

「へ?」

ミサトはリツコの顔を見て”ポカン”とした表情になる。

「シンジ君の中隊所属じゃないの?」

「ええ。作戦課に直属のEVAがないのは体裁が良くない、と司令が判断したの。

 だから、エヴァ独立中隊は、あの二人のままよ。」

濃紺色の髪を掻き揚げた女性は、”キラン”と瞳を輝かせた。

(やっぱ…直接指示出せないとね〜♪ 司令ってば判ってるぅ!!)

リツコは、ヘリの近くに佇んでいるトウジとヒカリに声を掛ける。

「…待たせちゃったわね。ようやく出発の準備が整ったわ。さ、あなた達、ヘリに乗って頂戴。」

「じゃ、ワシ、ケンスケ呼んできますわ。」

トウジは、ヘリの機首にいたケンスケを呼びにいった。

「あ、はい、お願いします。え、と赤木さんでしたよね?」

振り返った学級委員長は、金髪の女性に頭を下げた。

「ええ、そうよ。シンジ君から聞いていると思うけれど、私が赤木リツコよ。以後、よろしくね。」

ニコリと柔らかく微笑んだ金髪の女性に、ヒカリは大人の女性の魅力を感じた。

「私は、ミサト。葛城ミサトよ。…よろしくねん♪」

「は、はぁ…宜しくお願いします。」

リツコの後ろから”ヒョコッ!”と顔を出してウインクした子供っぽい女性に、

 ヒカリは少し引いてしまった。

機首にいると思っていたメガネの少年は、既に別の場所に移動していたようだ。

(お? おらんな。…どこに行ったんや?)

トウジは、ケンスケを探してそのままヘリの後ろ側に向かって走った。

「お! いたいた。…ケンスケ! そろそろ出発するらしいで!」

「え!? 本当かよ! ま、待ってくれよ! 今行くから!!」

赤いランニングシャツの上にポケットが沢山着いたカメラマン用のジャケット、

 下は緑色のズボンに軍足という、怪しい姿のケンスケは録画していたヘリの後ろ側から慌てて走ってきた。



………司令官執務室。



「そうだ。その問題は、既に委員会に話はつけてある。」

広大な部屋の中、サングラスの男が一人立ったままの姿勢で電話をしている。

『…判りましたわ。では、こちらの要望どおりの護衛が付くのですね。…あなた、アダムは?』

「荷物は昨日佐世保を出港し、今は太平洋上だ。」

『では、やはり…』

電話先の女性は、心配そうな声色になる。

「ああ、予定どおり洋上での戦いになるだろうな。」

『シンジは大丈夫でしょうか?』

「フッ…問題ない。」



………上空。



”ババババババババ!”

黄色い機体が太平洋に向かって飛んでいる。

「まったく、持つべきものは友達、って感じ。な、トウジ?」

空の景色をビデオカメラに収めているメガネの少年は、ご満悦な表情で真ん中に座っているトウジを見た。

「そやな…」

ケンスケの反対側に座っているヒカリも、初めて乗ったヘリコプターから見える景色に、心を奪われていた。

「わぁ…キレイねぇ。」

「ほんまやな…」

そんな返事したトウジは、”ポヤン”とした表情で赤いジャケットの女性を見ていた。

(葛城、ミサトさんかぁ。…べ、別嬪さんやなぁ。)

副操縦席に座っていたミサトが振り向き楽しそうに言った。

「毎日おんなじ山ん中じゃ、息苦しいと思ってねぇ。…たまの日曜だからデートに誘ったんじゃないのよ♪」

「ええ!? それじゃ今日は、ほんまにミサトさんとデートすか!」

(す、ず、は、らぁ〜!)

ジト目で彼氏を睨みつけたお下げの少女。その横に座っている白衣の女性が、”ふぅ”とため息をつく。

「何を言っているの、ミサト。今日この子達を誘ったのはシンジ君でしょ?」

(…まったく。本当に調子良いんだから。)

親友の呆れたような視線にミサトは目を泳がした。

「え? そ、そうだったかしら? ほほほ。」

白い雲が途切れると、真っ青な太平洋の海原に多数の白い航跡が見え始める。

「おお!!見えてきた!!」

メガネの少年が窓にへばりつく。

「空母が5、戦艦4、大艦隊だ! ほんと、持つべきものは友達だよなぁ。」

ケンスケのビデオカメラは、最大ズームで録画中である。

「これが、国連の艦隊け?」

黒い縦じまの入った白い野球帽を逆に被っているジャージの少年が、ケンスケの肩越しに呟いた。

「まさにゴージャス! さすが国連軍の誇る正規空母、オーバー・ザ・レインボゥ!」

「でっかいのぉ…」

トウジも初めて見る軍艦に目を大きくした。

「よくこんな老朽艦が浮いていられるものねぇ。」

眼下に見える艦隊に呟いたミサトの言葉に、軍事マニアのケンスケが答える。

「いやいやぁ、セカンドインパクト前のビンテージモノじゃないっすか?」

「ちょっと、あなた達!」

「「へ?」」

メガネの少年と長髪の女性は、そろって怒声の方向に振り返った。

「乗艦したら、絶対にそんな事を言わないで頂戴! こちらの仕事を請け負って頂いているんですからね!」

白衣の女性の表情は厳しかった。

「す、すみません。」

「ご、ごみん。」

リツコは二人を見て、再びノートパソコンに目を戻した。



………OTR。



覗き込んだ双眼鏡に黄色い輸送ヘリが映った。

その機体の底部には《 UN 》と大きな白い文字がペイントされている。

「フッ。どうやら、NERV本部の連中が着いたようだな。」

ブリッジの窓際のイスに座った総司令官が、隣に立つ副司令官に振り返って声を掛けた。

「ええ。彼の話ですと、非常用の電源ソケットの他に子供たちも乗っているようですな。」

「まったく、A・Oが中学校に通っているなど、笑い話だな。」

「…なんでも日本では年齢に課せられる義務らしいですよ?」

「提督、着艦したようです。」

クルーが上官に報告を上げる。

「そうか。」

リッジが飛行甲板を見ると、管制官に誘導されて駐機スペースに移動する輸送機が見えた。



………連絡通路。



この日、少女は珍しく飛行甲板へと向かっていた。

手入れの行き届いた紅茶色の髪が、たおやかに揺れている。

彼女は、そろそろ迎えに来る本部の職員が、一体どんな連中なのか見てやろうと思ったのだ。

”どんっ”

「きゃ!」

「おっと?」

アスカは、飛行甲板へ向かう廊下の交差点で、出会い頭にヒトとぶつかって倒れてしまった。

「すみません。…大丈夫ですか? お嬢さん?」

流暢な英語で手を差し伸べてくれた人物に、紅茶色の髪の少女は文句を言おうと口を開いたが、

 相手の顔を見ると動きを止めてしまった。

尻餅をついたアスカが見上げている人物は、国連軍の上級士官の服を着ていた。

しかし、彼女は別にそれで驚いているわけではないようだ。

(…銀色の髪? 赤い目?)

そう、その男性は白銀色のような髪に、見たこともないようなルビー色の瞳だった。

それにとても優しそうな笑み。

しかし、その表情が少し困ったように変化する。

「えと…あの、大丈夫でしょうか?」

背の高いその男性は、屈むように顔を近づけて右手を差し伸べた。

「あっ! え、ええ。大丈夫です。ありがとう。」

自分がバカみたいに”ボケッ”としていたことに気付いたアスカは、慌てたように彼の手を掴んだ。

その男性は、軽々と少女を引き起こした。

「ケガは有りませんか?」

大人っぽい男性の対応に、少女は恥ずかしそうにした。

(これじゃ、私まるで…お転婆な小娘みたいじゃないの…)

常にアダルトな女性を意識しているアスカは、仕切り直しよ、と咳払いをして自分を取り繕う。

「ご、こほん。…ええ、大丈夫です。ありがとう御座います。私、甲板に用がありますので、それでは。」

少し顔を紅くしたアスカは、”ぺこっ”とお辞儀をすると、足早に廊下の先に向かって歩き出した。

そんな様子を見ていた男は、後ろに寄り添うように立っていた蒼銀の少女に顔を向けた。

『ふぅ。…ここでアスカに会うとは思わなかったねぇ。』

『…そう。』

『ま、いっか。…さてと。僕らも甲板へ行こう?』

『碇君…』

”むぎゅ!”

レイは愛しい少年の腕を絡めて、彼の真紅の瞳を見詰めた。

「ど、どうしたの、綾波?」

シンジは、自分を”じっ”と見詰める少女の深紅の瞳を見詰め返した。

「彼女、”前”と変わらない?」

「う〜ん。どうなんだろう。組織の”教育”は変わっていないから、大きく違うとは思わないけれど。」

「そう。」

「さ、リツコ姉さん達を余り待たせても悪いから、行こうよ?」

「…分かったわ。」

カップルは、先ほどの少女と同じ方向へ進んで行った。



………飛行甲板。



”ブワッ”

「ッ! とと、ちょ……ま、待たんかい!」

本日の海風は、少し強く吹いているようだ。

空母のクルー達は、輸送用の大型ヘリコプターから降りた集団を笑顔で迎えていた。

「おお!! すごい!! すごい! すごい、凄すぎるゥ!!

 …男だったら涙を流すべき状況だね! これは! あぁ〜 スゴイ、スゴイ、すごすぎるぅぅう!!」


……ケンスケは、いったい今日一日で何回”すごい”を連発するのだろうか?


興奮しながらビデオカメラを回すメガネの少年の脇を、黒いジャージの少年が走っていく。

「待て!! 待たんかい!」

トウジの被っていた縦じまの野球帽は海風に翻弄されて甲板の上を”ころころ”と転がっている。

「ケンスケ君、だっけ? ヘリでも言ったけど、エヴァは撮っちゃダメよん♪」

ミサトは海風で乱れる長髪を手で抑えながら言った。

「…ハイッ了解で有ります!」

調子の良いケンスケが、左手で敬礼しながら右手のビデオカメラを回す。

そのファインダーに、レモンイエローのワンピースが映った。

「あら、アスカ。…背、伸びたんじゃない?」

空母の出入り口から現れた少女にフレンドリーに声を掛けたのは、赤いジャケットの女性だった。

「…ちょ、ちょっと! ミサト!」

しかし声をかけられた少女は、少し混乱気味だった。

「え?」

ヘリの一行にたどり着いたアスカは、指を”ビシッと空母の先端に向ける。

「あ、アレは何なのよ!?」

「え? ああ。エヴァンゲリオン初号機よ?」

彼女の指先を確認したミサトは、紅茶色の髪の少女に答えてあげた。

「やっぱり。って! 何でエヴぁがココにあるのよ?」

その時、再び海風が甲板を撫ぜた。

”ピューー”

(あ…ケンスケ、ご愁傷様。)

捲れ上がったスカートを押さえた少女が、”きっ”とメガネの少年を睨んで、彼の頬を張った。

”パァン!”

シンジとレイは、にぎやかな集団に向かって歩いていた。

「いってぇ! 何すんだよ!」

「見物料よ! 安いモンでしょ!? それよりもミサト…」

「…止まれ、止まらんかい!! …あッ! あぁあああ!!!」

「危ないわよ! 鈴原!」

トウジの帽子が大海原に向かってダイブしていく。

見ると、ジャージの少年は身を乗り出して追いかけようとしたが、後ろについていた少女に止められていた。

「…ミサト、まさか、コイツがサードチルドレンなの?」

思わず大声の方を見ていたアスカは、再び視線を戻すと、目の前のメガネの少年に指を差した。

「違うわよ。」

「えぇ? じゃ、あっちのジャージ?」

「それも違うわ。」

ミサトは、かぶりを振った。

その彼女の隣にいた白衣の女性が、アスカの前に立った。

「アナタが、エヴァンゲリオン弐号機専属操縦者、セカンドチルドレン…惣流・アスカ・ラングレーさんね?

 初めまして。私は、NERV本部、技術開発部の赤木リツコ。以後、よろしく。」

颯爽と手を差し出されて、アスカは条件反射的に握手を返した。

「え、ええ。よろしく。」

「先ほどの質問の答えだけれど。」

「え?」

リツコは少女に答えをもたらした。

「先ほどから、あなたの後ろに立っているわよ?」

「へ?」

アスカが後ろを振り向くと、先ほどの男性が立っていた。

「初めまして。碇シンジです。」

その隣に立っていた少女も小さな声を出した。

「…綾波レイ。」

(へ? さっきの男の人? このヒトがチルドレン? って言うか、なんで国連軍の服を着ているの?)


……アスカの頭の中に、際限なく”?”が溢れて、色々な疑問がリフレインしていく。


彼女は自身の視界に映る男性と女性を固まったように見る。

(銀髪…赤い目。隣の女のヒトも。蒼い髪って…)

金髪の女性が、動きを止めてしまった紅茶色の少女を通り越して少年に顔を向けた。

「シンジ君、早速で悪いけれど、ここの責任者に挨拶したいの。案内を頼めるかしら?」

白銀の少年は、リツコのお願いに頷いて答えた。

「はい、了解です。ほら…ケンスケ、行くよ? トウジ! 行くよ!」

シンジは、左の頬に紅葉模様を浮かべている少年と甲板の端にいる少年に声を掛ける。

「とほほぉー」

ケンスケは、ビデオカメラを構え直して歩き出した。

「ほら、鈴原! 碇君たち行っちゃうわよ!」

「くぅーワシの帽子…」

リツコたちを見ていたヒカリが、

 何時までも悔しそうに海面を見ているトウジを”ぐいっ”と引き剥がすように引っ張る。

アイランドに向かっていく集団に、”ぽつん”と取り残されたアスカが再起動した。

「あ、ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」



………ブリッジ。



「失礼します、提督。」

「うん? おお、A・Oか。」

国連海軍の旗艦OTRのブリッジに、にぎやかな集団がやって来た。

「提督、紹介します。こちら特務機関NERV、技術開発部長を務めています、赤木リツコ博士です。」

先頭のシンジとレイが横にずれると、リツコが英語で挨拶をした。

「初めまして、チェスター・リッジ提督。

 赤木リツコです。この度は、弐号機の輸送協力及び護衛任務を引き受けていただき、感謝いたします。」

「ふん。…国連本部からの正式な任務だ。我々に否応もない。」

イヤミたっぷりの無愛想な返事をした将官に、リツコは構わず言葉を続けた。

「では、主任務地が太平洋である第一艦隊を、”わざわざ”この任務に選んでくれた上層部に感謝します。」

”にこり”と笑った白衣の女性に、リッジの厳しかった目元が緩んだ。

「がっはっはっは。確かにそうだな。そっちに感謝してもらおう。」

赤いジャケットの女性がリツコの横に立った。

「こちらが非常用電源ソケットの仕様書です。」

「受け取ってやれ、ウィルバー。」

「ハッ。」

長身の副官がミサトからファイルを受け取る。

大人の女性の後ろに黒いジャージの少年と白いワンピースのお下げの少女が並んでいる。

その横にいるレモンイエローのワンピースを着た少女は、白銀の少年を観察するような目で見ていた。

「すごい、すごい、スッゲー! すごすぎるぅ!」

相変わらずのケンスケは、興奮しながらブリッジを録画していた。

リッジは、騒いでいるメガネの少年を見ながら確認した。

「では、弐号機の引継ぎは新横須賀に陸揚げ後、で宜しいのかな?」

「ええ、モチロン構いませんわ。」

白衣の女性は頷いて必要な話を終わらせたが、ナゼか…その横に立っていたミサトが一歩前に出た。

「…確認ですが、有事の際はNERVの指揮権が優先される、で間違い有りませんね?」

何の脈絡もない、いんぎん無礼な物言いに、リッジの目が厳しくなる。

「そんな話は聞いちゃいないぞ! 海の上は我々の管轄だ! 黙っていてもらおう!」

リツコは目立ちたがり屋の友人を横目で見ると、呆れたようなため息をついた。

「…対使徒戦においては、我々NERVの指揮権が最優先になりますわ。お忘れでしたか?」

特権を振りかざすミサトの発言に、シーン…と静まり返るブリッジ。

階段を上っている男の耳にも、彼女の声が聞こえていた。

(お、葛城が来ているのか…まったく…)


……狭い空間の空気が険悪になる中、突然、気の抜けた男の声がこの静寂を破った。


「…相変わらず凛々しいな。」

入口の外から聞こえたその声に一番素早く反応したのは、アスカだった。

「加持センパイ!」

「や、どうも。」

「ッ! うぇえ…」

”パサッ…”

ミサトは自分の瞳に映った男に、

 あんぐりと口を開けて何とも言えない呻き声を上げると、ファイルを落としてしまった。

リッジは、無断で艦橋に入ってこようとする男を見て、厳しい口調で彼を制した。

「加持君、君をブリッジに招待した覚えはないぞ?」

「おっと、それは失礼。」


……加持は艦橋にいる面子を確認したかったが、ソレは出来そうになかった。


提督のいつもより厳しい眼光に、ヤバイと感じた男は、そそくさとブリッジの外に出て行った。

「提督、指揮権の話は”規定”の通りです。」

ブリッジの奥に立っている冷静な白銀の少年の言葉に、リッジは血が上ったこめかみを揉んだ。

「…クッ、そうだな。」

「ま、何か勘違いをしている彼女に、この国連海軍を指揮する権限は有りませんよ。」

ミサトは目を大きくしてシンジを見た。

リッジは少年の意外な言葉に顔を向けた。

「どういう事だ?」

「…対使徒戦の作戦を立案することが彼女の仕事なのです。

 その使徒戦においては、特務機関NERVの作戦行動が最優先とされますが、だからと言って、

 提督の率いるこの艦隊に対して、直接指揮を執れるワケでは有りません。

 有事の際には、NERVからの要請というカタチになると思いますよ。」

要請に対する拒否権がある、という少年の言葉を理解した提督は、合点がいったと笑った。

「ふははは。そう言う事か。ソレならば理解できる。」

「やっぱ、センセはかっこぇ…」

トウジは、流暢に英会話をする軍服に身を包んだ凛々しい同級生を見て”ボソッ”と呟いた。

勘違いの上、暴走した赤いジャケットの女性は下唇を噛んで固まっている。

「あなたたちは先に出て、食堂にでも行ってて頂戴。アスカさん、案内してあげて。」

「何で私が…」

アスカはリツコに文句を言いたかったが、周りの視線に渋々と頷いた。

「う…わ、判ったわよ!」

紅茶色の少女を先頭にミサト、ケンスケ、トウジ、ヒカリがブリッジから出ていくのを見送ると、

 白衣の女性が、再びリッジに顔を向ける。

「先ほどは、大変失礼を致しました。彼女に代わって謝罪します。」

金髪の女性は”ペコリ”と頭を下げた。

「いやいや。ああいう部下がいると大変ですな。ドクター赤木。」

(部下ではないんだけれど…)

リッジの言葉に、リツコは苦笑をする。

「…では、これにて失礼しますわ。引き続き、新横須賀までの輸送と護衛をお願いいたします。」

「ああ。艦内の運営に邪魔にならない範囲での行動の自由を認めよう。」

「ありがとうございます、リッジ提督。」

「…すごすぎるぅぅ…」


……下側からメガネの少年の声が小さく聞こえた。


「よっ、食堂でお茶でもどうだい?」

艦橋の階段を下りた先に、先ほどの男が待っていた。

「だれがアンタなんかと…」

ミサトの声を遮って男に抱き着いたのはアスカだった。

「さんせー! 行きましょ、加持さん!」

とほほ、とミサトが肩を落とした。



………海中。



暗い海底に赤い光が明陰している。

その中心に浮かんでいる小さな赤い玉が震えていた。

”ぶるん”

赤い玉が大きく膨らむと、巨大な生物が形作られていく。

”キシャゥ…”

その生物は、自分の産声を上げるように巨大な口を開けた。

そして、海底をゆっくりと回遊するように泳ぎ始める。

身体の機能を確認するように泳いでいた彼は、何かに気付いて動きを止めた。

はるか先に感じるモノがあった。

強い波動を感じる。”ソレ”に彼は、強く強く惹き付けられた。

”…ゴゥッ!”

彼は海水を強く蹴るように巨大な尾を動かし、泳ぎ始めた。

第六の使徒、コードネーム”ガギエル”の侵攻はこうして開始された。



………エレベーター。



「なんで、アンタがココにいるのよ!?」

ミサトの邪険な視線の先にいる男は、涼しい表情のままだった。

「彼女の随伴でね。ドイツから出張さ。」

狭い空間に大人が2人、子供が4人ひしめいている。

「いや、鈴原! どこ触ってるのよ!」

「す、すまん、イインチョ。不可抗力や…堪忍してぇや。」

顔を真っ赤にして謝るトウジ。 彼の腕はヒカリの胸を圧迫していた。

ケンスケはエレベーターの扉の網入りガラスから見えるモノを録画している。

「チッ…迂闊だったわぁ。十分考えられる事態だったのに…」

ミサトは横目で顔をしかめた。

アスカは加持の横をキープしているが、狭そうだ。

「「ちょっと、触んないでよ!」」

ケンスケが触れ、加持が触れるとアスカとミサトは同時に叫び声を上げる。

「「しかたないだろぉ?」」

ケンスケと加持は同時に答えた。

その頃、シンジとレイ、リツコはエスカレーターに乗って移動していた。

「確かにエレベーターは速いんだけど、狭いんだよね。」

「…そうね。」

「シンジ君は、この艦で生活していたのね?」

リツコは初めて乗った軍艦を”しげしげ”と観察しながら聞いた。

「そうですよ。」

『マスター、ガギエルが目覚めました。』

『…了解。』



………一般用食堂。



一角のテーブルに、セルフサービスで運んで来たコーヒーカップが並べられている。

ミサトの横には、ケンスケ、トウジが座っている。

その対面には、加持、アスカ、ヒカリがならんで座っていた。

「加持君、なに?」

リラックスしている男は、ミサトを見て、隣の少年達を見た。

男の観察するような視線に、赤いジャケットの女性は更に不機嫌な表情を作った。

「今、付き合っているヤツ…いるの?」

加持の足は、ミサトの足にちょっかいを掛けている。

「そ…それが、あなたに関係あるわけ?」

「あれぇ…つれないなぁ。」

伸びている髪を後ろで1本に束ねている男は、コーヒーカップを口につける。

そして、メガネとジャージの少年を見比べる。

(ん〜…ちょっとオレのイメージとは違うな。)

「ところで、どっちが碇シンジ君なんだ?」

「は?」

加持の突拍子もない質問に、ミサトは”ポカン”としてしまった。

「さっきいたじゃない。」

ミサトは、コーヒーカップに口をつけて答える。

「へ?」

(なに!? ブリッジにいたのか? ん〜そう言えば、奥に士官の服が見えたような気がするな…)

加持は、チラッと見ただけで退散してしまった先ほどのブリッジにいた面子を何とか思い出す。

「ま、さか。」

男の目が驚きに大きくなった。

「そ、A・Oが碇シンジ君よ。」

「あのA・Oが…碇、シンジ君だったのか。」

ミサトの言葉を繰り返す加持。彼は、何か考え事をし始めたような表情になった。

その隣のアスカは、大人達の単語に考えをめぐらせる。

(エイオー? って、なに? 何のこと?)

「あの、アスカさん…でしたよね?」

リツコが彼女をそう呼んだ事を覚えていたお下げの少女が、相手の様子を見ながら声を掛ける。

「ん?」

加持を横目で見ていたアスカは、反対側に視線を向けた。

「あの、私、洞木ヒカリっていうの。よろしくね。」

「ああ、私は惣流・アスカ・ラングレーよ。」

少女達の自己紹介に、対面に座る少年たちも加わる。

「おお、ワシはトウジや。鈴原トウジ。」

「オレは相田ケンスケ。宜しく。」

「アスカさんって…」

「ん?」

紅茶色の少女は、少し目を細める。

「アスカさんってあのロボットの…」

アスカは、人差し指をヒカリの口に当てるようにして彼女の言葉を止めた。

「あ〜…ちょっといいかしら。私の事はアスカって呼んで。”さん”なんてつけなくて良いわ。

 私もヒカリって呼ぶから。」

「そ、そう。」

これが文化の違いであろうか? とヒカリは少し面食らったが、気取らない性格なのね、と彼女を理解した。

(A・O…いや、シンジ君と少し話をしてみた方が良いかも知れんな。)

子供達のやり取りを見ていた加持は、コーヒーを飲み干した。

「じゃ、また後で。」

男は、そう言って席を立った。

「あ、待ってよ! 加持さん!」



………士官用食堂。



「失礼します。」

ウェイターが声を掛ける。

”カチャ…”

白いテーブルクロスの上に、上品なコーヒーカップが置かれた。

「あら、良い香り。」

金髪の女性は、湯気立つカップを口元に運び、芳醇なコーヒーの香りを楽しんでいた。

「姉さん。」

「どうしたの?」

リツコは目の前に座っている弟を見た。

「あと、40分くらいで非常事態になるんだ。」

「え?」

「…使徒だよ。」

金髪の女性は瞳を大きくした。

「大変! じゃ直ぐに第3新東京市に戻らないと!」

「いや、ここさ。」

「え?」

リツコは思わず聞き返してしまった。

「今回の使徒はここを目指してくるんだ。」

「どうして?」

「最大の要因は、僕と綾波がいるから。

 あ、でもゼーレにとっては、この艦にアダムを載せてあるから、かな。」

のんびりとした様子の弟を見た姉は、落ち着きを取り戻して、再びコーヒーを飲んだ。

「でも、初号機は輸送用のF型装備よ? もし水中戦にでもなったら…」

「それは大丈夫さ。」

「”それは”って事は他に何かあるの?」

「うん。ちょっとした事をお願いしたいのと…あと暴走する葛城さんを上手く制御して欲しいんだ。」

姉は先ほどのブリッジの出来事を思い出す。

「…余計な軋轢を生む事のないように?」

「ええ。葛城さんって、頭に血が上ると周りが見えなくなるみたいですから。」

「…ふぅ、そうね。…判ったわ。で、お願い事って?」

テーブルに置いたカップを見ながら、ため息をついた金髪の女性は顔を上げてシンジを見た。



………後部連絡通路。



「どうだ? 同世代の男の子は? 久しぶりだろ?」

海風に紅茶色の髪がなびいている。

手すりに身体を預けて足を”ぶらぶら”させている少女に、男が声を掛けた。

「つまんなそうな子達。…それよりも、加持さん?」

「ん? なんだ?」

「さっき言っていた、エイオーって何のこと?」

「ああ、サードチルドレン、碇シンジ君のことか。」

加持は、取り出したタバコに火を点けた。

”シュボ!”

「あのヒトって…」

「ふー。珍しい容姿だよな。アルビノってヤツらしいが。…A・Oっていうのは国連軍のコードネームさ。」

紫煙は青空に消えていく。

「こーどねーむ?」

「そう。碇シンジ君と綾波レイちゃんは、この前まで国連軍の特殊部隊に所属していたんだ。」

「綾波?」

「神秘的な蒼い髪の少女がいたろ? あの娘が零号機専属操縦者、ファーストチルドレンさ。」


……アスカは、どこか大人っぽい雰囲気の二人を思い出す。


「彼らは、過去一度だけ募集された国連軍の特別将校養成プログラムの合格者なんだ。」

アスカは、加持にサードチルドレンである少年とファーストチルドレンである少女の経歴を教えてもらう。

不敗の特殊部隊トライフォースの隊長と副隊長を務め、国連軍に於いて不動の人気No.1とNo.2。

「…うそ」

信じられない、とアスカの瞳が大きくなる。

しかし、自分以上に努力し優秀な人間などいないと思っている少女は、認めない…と悔しそうに顔を歪めた。



………廊下。



「あ、センセ。どこ行ってたんでっか?」

ジャージの少年達が食堂を出ると、廊下の先から蒼銀の少女を伴ってきた白銀の少年が見えた。

「ん、ちょっとね。」

あいまいな返事をしたシンジは、ここにミサト、ケンスケ、トウジ、ヒカリしかいないのに小首を傾げた。

「あれ? さっきの元気な娘は?」

「ふん、アスカなら加持と先に出て行ったわよ。」

いやそうな顔をしたミサトが答えた。

綾波至上主義のシンジが初めて他の女に興味を持ったのか、とトウジとケンスケは顔を見合わせた。

「あれ、センセ。…もしかしてさっきのオナゴ、気に入ったんでっか? ぐふふふ。」

「ふふっ…ま、確かに顔は可愛いよなぁ。スタイルも良いし。性格はきつそうだけど…碇も好きだねぇ…」

ジャージの少年とメガネの少年が”ニヤッ”とイヤらしい笑みになる。

「ははは。残念ながら僕のタイプじゃないよ。」

精神的に大人なシンジは、少年達の追及に動じる事なく余裕で答えた。

「「ふーん。」」

半眼横目で自分を見る少年二人に、白銀の少年は肩を竦めた。

「…ほら。甲板にでも行こうよ?」

シンジが促してエスカレーターに乗ると、上段から女の子がレモンイエローのワンピースを翻して現れた。

「サードチルドレン! ちょっと付き合って。」

エスカレーターを降りたシンジは申し訳なさそうな顔になった。

「惣流さん、ごめんね。僕と綾波はこれから行く所があるから、キミには付き合えないよ。」

「どうして……」

文句を言いかけたアスカは、自分を見る少女の視線に気付くと、腰に手をやり、もう一方の手を差し出した。

「ん? あなたがファーストチルドレンなんですってねぇ。 同じ女同士、仲良くしましょ?」

「いや。」


……冷たい瞳と素っ気無い即答。


「な、なんでよ!」

ずい、とアスカが一歩出るが、シンジが二人の間に割って入った。

「ちょっといい? 惣流さんは、ヒトの事を記号みたいに呼ぶ人と仲良くできる?」

「え?」

ドイツ第3支部では当たり前のようにセカンドチルドレンと呼ばれていた自分。

「なんや、なんや?」

「はんっ…バッカみたい! もう、いいわ!」

少し遅れてきたトウジたちがこの場にやってくると、少女は”フン”と鼻を鳴らして行ってしまった。

お下げの少女が、肩を怒らして歩き去るアスカを見ながらシンジに聞いた。

「何かあったの? 碇君。」

(…何でも自分の思い通りにはいかないんだよ、アスカ。)

彼女の後姿を見ていたシンジは、小さくかぶりを振って答えた。

「…いいや。何でもないよ。」

その頃、リツコはブリッジを訪れていた。



………ブリッジ。



「何? CDCを見たいと?」

金髪の女性を艦橋に迎え入れたリッジの片方の眉が上がった。

「ええ、お願いできませんでしょうか?」

そこは、平時でも厳しい入室制限がかかっているブロックである。

「う〜む。」

暫く唸っていたリッジは、徐にキャプテンシートから立ち上がると、窓際に立っている副官に声を掛けた。

「ウィルバー、少しの間、頼む。」

「ハッ了解しました。」



………初号機。



トウジたちをミサトに任せたシンジとレイは、自室でプラグスーツに着替えると、初号機へと向かった。

『姉さんはうまくやってくれるかな?』

『…大丈夫だと思うわ。』

甲板の先端に来たシンジ達は、片ヒザを付いている初号機の裏側に回り、右踵にある操作パネルを開いた。

アイリスとパスワードのチェックをクリアすると、エントリープラグが飛び出し、ワイヤーが降りてくる。

”ガシュゥン…ウィィーーーーン”

海風にシンジの濃紺色のポンチョとレイの純白のポンチョが、マントのように揺れていた。



………CDC。



「…それでは、この部署から第一艦隊を指揮するわけですね?」

薄暗い部屋に、多数のモニターが周囲の地形や艦隊の情報などを表示している。

「その通りです。戦闘情報は全て、この部屋に集約されます。」

CDCを任されている士官が、提督が連れてきた金髪の女性の横に立ち、この部屋の概要の説明をしていた。

「戦術・作戦を立案し行動するに当たっては、何よりもまず、情報収集が第一なのです。」

「理解できますわ。」

リツコはソナー員の後ろに立った。

「これは?」

「これは音響探査装置、いわゆるソナーです。」

「このボタンは?」

「アクティブソナーの”ピンガー”を打つボタンですよ。」

「よく潜水艦の映画に出てくるものですわね?」

「はははっ…ええ、そうですね。」

男は陽気な笑い声を上げて答えた。

「あの音、実際に聞いてみたいですわ。」

士官は振り返り、提督を見る。

リッジは特に問題はない、と判断して頷いた。

「ええ、押してみて下さって結構ですよ?」

士官は笑顔のまま、リツコに言った。

「じゃ、お言葉に甘えて。」

白衣を着た女性は、嬉しそうにボタンを押した。

”カチッ!”

”ピィーーーーン…”

独特の甲高い音が響く。



”…………コゥ!”

「っ! ソナーに反応!」

リツコの前に座っているソナー員が目を開き、大声を出した。

「クジラ? 違う! デカイ! 我が艦隊に接近する影が有ります!」

笑顔だった士官が、素早く身を乗り出すようにモニターを見て指示を出す。

「ソナー、もう一度ピンガーを打て!」

「ハッ。」

”ピィーーーーン…”

「…対潜哨戒ヘリを飛ばせ! シーホークよりソノブイを投下し確度を上げろ!」

提督の命令がCDCに轟くと、”あうん”の呼吸で士官がマイクを握り、素早く指示を出す。

「シーホーク、準備が出来次第、方位2−2−7へ飛べ!」

”ガチャ!”

リッジは自分専用のマイクを手に取った。

「ブリッジ!! ウィルバー、第一種警戒態勢だ! 各艦に伝えよ!」

”ヴィィイ! ヴィィイ! ヴィィイ!”

第一艦隊は、けたたましい警報音に包まれた。



………洋上。



艦隊から離れた場所に出現した巨大物体は、盛大な水飛沫を上げて移動していた。

水中から突如現れたモノに対して、第一種警戒態勢を布いていた国連海軍の反応は迅速だった。

『第一種戦闘配置へ移行! 繰り返す! 第一種戦闘配置!』

旗艦からの指示に従い、護衛駆逐艦が目標を迎撃するために陣形を取り始める。

しかし、あっと言う間に接近したガギエルは、迎撃の時間を艦隊に与えなかった。

使徒は、巨体の質量と高速で移動するスピードで生み出される莫大なエネルギーを護衛駆逐艦にぶつける。

この騒動に、アスカがドアを開けると、視線の先に巨大な水柱が立ったのが見えた。

”…ドッゴォォオン!”

(なに!? あれって、まさか! うそっ!? 本物の使徒?)

『シンベリン沈黙!!』

”ヴィィイ! ヴィィイ! ヴィィイ!”

『各艦、艦隊距離に注意の上、回避運動!』

飛行甲板のスピーカーから悲鳴のような報告と非常事態を告げる警報が鳴り続けている。


……先ほどから自分のペースを乱されているアスカは、この事態に目を輝かせた。


「ちゃーんす…」

(ふっふぅ〜ん。私の華麗な操縦をアイツらに見せてやるわ!)

アスカは、自分の”力”を見せ付けるチャンスと感じ取って、飛行甲板後部へと走った。

「アンタ! ちょっと、このヘリを出しなさい!! 私をあのタンカーに運ぶのよ!」

「そんな命令は受けていない!」

飛行甲板の海兵は、突如として怒鳴り込んできた少女に目を丸くした。

「はぁ? アンタ、ばかぁ!? 非常事態だって言ってんのよ! 早くしなさい!!」

飛行甲板の管制官は、非常事態で適用される自分の権限でヘリの発進許可を出した。

そんなやり取りが空母の後部で行われている頃、先端の巨人が動き出す。

シンジがインテリアの操縦桿を握った。

「コマンド…シンクロ、スタート。」

”バシュゥゥウン!”

プラグの全周囲が外の景色を映し出すと、蒼銀の少女が通信を始める。

「”ピ!”…OTRへ達す。こちら特務機関NERV、エヴァンゲリオン独立中隊、エヴァ初号機。」

『こちら、OTR。』

『目標に対する交戦許可、及び甲板に非常用電源ソケットの準備を願います。』

CDCでリツコから使徒について詳しく教えてもらった提督が応答した。

『A・Oとレイか? こちら、リッジだ。戦闘を許可する。ソケットを甲板後部へ出す。移動してくれ!』

「…了解。」

レイが返答を返すと、紫の巨人がゆっくりと立ち上がり、飛行甲板を歩き出した。



”ドシュン! ドシュン! ドシュン! ドシュン!”

発射装置から絶え間なく魚雷が吐き出されると、それらは水面下に白い軌跡を描きながら敵に向かっていく。

同時に、アスロックと呼ばれる対潜ミサイルがイージス艦から次々と発射される。

”バシュ、バシュ、バシュ!……ヒューーールルルゥゥ………ドバァン! ドバァン! ドバァン!”

しかし、全ての通常兵器が使徒に命中しても、その活動に支障を与える事は出来なかった。

飛行甲板の下部連絡通路からその一方的な様子を見ていた男は、一言呟いた。

「この程度じゃ、ATフィールドは破れないか…」

加持は、踵を返すと自室に向かって走った。



………初号機。



エントリープラグに、ガギエルを示すサークル状のターゲットマークが左から右に動いている。

『アダムを探しているのかな?』

『ええ、そうだと思うわ。』

第六使徒は何かを探すように円を描きながら回遊する。

”ドゥォォォオオン!!”

『タイタス・アンドロニカス、航行不能!』

使徒の長大なシッポの先端がスクリューに触れたようだ。

この護衛艦は、目標を捕捉することすら出来ずに、航行不能になってしまった。

オープンにしている無線チャンネルから次々に戦況の報告が上がる。

『せっかく、早期発見できたのに…やっぱり意味無かったかな?』

シンジが振り向き、レイに聞く。

『…いいえ、よく持ち堪えていると思う。』

蒼銀の少女は、無駄ではなかったわ、と小さくかぶりを振って波動での会話を続けた。

『それに沈む艦からは、ほとんどの乗務員が退避できているわ。』



………CDC。



「くそっ! どうにもならんのか!」

リッジが悔しそうに吐き捨てた。

「やはり通常兵器の火力では、敵性体の防御フィールドは破れませんわ。」

モニターを冷静に見詰めている白衣の女性が見解を述べる。

「…ATフィールド、だったか?」

提督は横目で女性を見た。

「ええ。」



………同時刻、ブリッジ。



「くそっ…どうなっている!!」

ブリッジの窓から、また一隻の軍艦が沈んでいくのが見えた。

『…テンペスト、轟沈!!』

ウィルバーが首に下げた双眼鏡で戦況を見ていると、入口の方から呑気な声が聞こえた。

「ちわー。NERVですがぁ。見えない敵の情報と的確な対処はいかがっすかぁ?」

赤いジャケットの女性はブリッジに入ろうとするが、副司令官の怒声に止められてしまった。

「戦闘中だ!! 見学者の立ち入りは許可出来ない!!」

「これは私見ですが、どうみても使徒の攻撃ですねぇ…」

なぜか嬉しそうな顔をするミサト。

『各艦、任意に迎撃!』

「ハッ了解!」

リッジがいるCDCからの指示に副司令官が応えた傍らで、別のスピーカーから戦況の報告が上がる。

『…敵は依然健在!』

「無駄な事を…」

ミサトは顔を真剣なものにした。
 
”ドカァァアン!”

使徒に突き破られたイージス艦が爆発を起こした。

「くそっ。直撃を食らってなぜ沈まない!?」

ウィルバーが呻いた。

「やっぱ、エヴァやないと勝てへんなぁ…」

トウジの”EVA”という言葉に、

 ジャージの少年が日本語で何を言ったのか理解できた艦橋の兵員達は、悔しそう下唇を噛んだ。



………オセロー。



弐号機輸送用改造タンカーは、艦隊の中心に位置するオーバー・ザ・レインボーの左後方を航行していた。

”プシュゥ…”

左手首のスイッチを押すと、赤いプラグスーツが縮み身体にフィットする。

「アスカ、行くわよ!」

階段の一番下の踊り場でプラグスーツに着替えた少女の青い瞳に、決意を宿す強い光が輝く。

少女は身軽に階段を駆け上がり、改造されたタンカーの内側のドアを開けた。

”ドォォォオオン!!!”

「きゃ!」

突然、大地震のような凄まじい衝撃と振動が少女を襲う。

アスカは、とっさにドアの先にある手すりをつかんで必死に耐え忍んだ。

(クッ…水中衝撃波!! 爆発が近いわ!)

”ゴクッ…”

使徒の侵攻で感じる巨大で圧倒的な”暴力”…本物の戦いの迫力に、少女は我知らず喉を鳴らした。

彼女は、振動が収まると立ち上がってキャットウォークを走り、先の階段を駆け下りた。


……そして、走る少女の眼前に、巨大な”赤”が出現した。




………士官室。



この部屋に一人の男がイスに座っていた。

核爆発にも耐える特殊な樹脂製の黒いトランクケースとボストンバックに拳銃が一ヶ所に纏められている。

「こんな所で使徒襲来とは、ちょっと話が違いませんか?」

『その為の初号機だ。』

(まさか司令は予見していたと言うのか? いや…使徒はアダムに向かう…ということか?)

ブラインドに指を引っ掛け、外の様子をオペラグラスで覗く男の耳に、衛星携帯電話があった。

”ドォォォオン!!”

『最悪の場合、キミだけでも脱出したまえ。』

(何があってもアダムを運べ…という事か。)

また一隻、軍艦が爆発した。

頃合、と判断した加持はオペラグラスを閉じて返事した。

「判っています。」



………オスカー。



冷却用の液体が満たされている巨大プールに、弐号機はうつ伏せの状態で静かに横たわっていた。

アスカは脊椎の装甲の横に上り、パネルを開けてスイッチを操作する。

”ガクゥン…バシュゥ!”

赤い巨人の装甲が動くと、その背から白い筒が飛び出すような勢いで排出される。

”ウィィイン…”

大きく開いたハッチから紅茶色の少女が乗り込む。

”シュィン…”

そして、中央の蓋が閉じると、再びEVAの体内に白い筒が飲み込まれていった。


……システムが稼動し始めると、薄暗かったエントリープラグが明るくなる。


”すぅ!”と深く息を吸ったアスカは、瞳を閉じて言葉を紡いだ。

「L.C.L、Fullung.(LCL、満水。)

 Anfang der Bewegung.(…起動開始。)

 Anfang des Nerven anschlusses.(神経接続開始。)」


”…ブゥン”

赤の巨人の4つの目に光が灯った。


「…Ausloses von links−kleidung.(圧着ロック解除。)

 Synchro−Start.(シンクロスタート)」


”ビィーーーー!! ビィーーーー!! ビィーーーー!!”


プラグ全面が《 FEHLER 》(エラー)の赤い文字に埋め尽くされる。

「ちょ…ちょっと、なによ?」

予想外の事態に驚いたアスカが、慌ててエラーの詳細を別のウィンドに映し出す。

「…はぁ? 拘束システムの解除権限がない? なによ? どういう事よ!?」

バーチャルモニターに弐号機の腕部と脚部にロックを示す赤い表示が点滅している。


……彼女の操作では、肩部の圧着ロックと拘束用の各ワイヤーケーブルを解除できなかった。


「そんなもん、関係ないわ!! エヴァンゲリオン弐号機、起動!!」

少女が、横目でシンクログラフモニターを見れば、数値は70.8%を示している。

(…私なら出来る!!)

「いっくわよーーー!!」

”…グググ…ガリガリガリ…ギリ、ギリギリギリ…”

アスカがワイヤーを引きちぎるイメージを強くすると、弐号機はそれに応えるように上半身を起こし始める。



………OTR。



『オセローより入電! EVA弐号機、起動中!』

「なんだと!」

副司令官が怒鳴ったブリッジには、ミサト、ケンスケ、トウジ、ヒカリがいた。

まさかNERVの士官が中学生を連れているとは思わなかったウィルバーが、

 戦闘中の艦内を子供にうろつかれては困ると判断し、艦橋で保護したのだ。

そして、CDCのリツコからさっさと対使徒殲滅作戦を考えろと言われたミサトは、

 芳しくない戦況とEVAの貧弱な装備に頭を悩ませていた。

もちろん、彼女としては、白衣の友人と同じく戦闘情報が集中するCDCへ行きたかったのだが、

 子供を連れての入室は出来ないと言われてしまったのだ。

それならば、トウジたちを艦橋に預けて自分はCDCへ、と考えたミサトだったが、

 先んじてリツコに、国際公務員としてちゃんと子供達の面倒を見るように…と釘を刺されてしまった。

結果として、彼女はブリッジから離れることが出来なかった。

赤いジャケットの女性は、タンカーが航行している左後方を見るために走った。

彼女は、勢いよく窓に手と顔をくっ付けて喜びの声を上げた。

「ナイス、アスカ!」

(…私に直接指揮権のあるEVA! 中隊の二人よりも扱い易いかも…)


……ミサトの頭には、今だ弐号機が国連艦隊の管轄下である事など既になかった。


この事態は、CDCにいるリッジやリツコも驚いた。

「なぜ弐号機が起動できるの? まさか、初期充電をしていたとでも?」

モニターを見るリツコが信じられない、とリッジを見る。

「タンカーの運用は、ドイツ支部に任せてある。ワシらにはEVAを見せてもくれんかったぞ?」

リツコはドイツ支部のレベルの低さに目眩を感じた。

(…EVAの暴走とか考えないのかしら?)

「しかし、どうするのだ?」

「え?」

リッジの問いにリツコの意識がCDCに戻った。

「非常用電源ソケットは一つしかないぞ?」



艦橋の目の前を初号機が横切るのを見たウィルバーが、何かを思い出したかのようにマイクを取った。

(…ソケットは一つしかないのだ!)

「いかん、起動中止だ! 元に戻せ!!」

(…何言ってんのよ!! 私が自由に出来るEVAはアレだけなのよ!)

なぜか焦ったように、ミサトはウィルバーからマイクを無理矢理に奪った。

「構わないわ、アスカ! 発進して!」



………オセロー。



”バカン!! バキン! バキン!”

肩部のロックボルトが根負けして外れると、

 頭部が持ち上がり、船の縁とシートの隙間から外の様子を見ることができた。

(よし! もうちょっと!)

アスカが、エントリープラグの無線をオープンにすると、いきなり男の怒鳴り声が聞こえた。

『いかん、起動中止だ! 元に戻せ!!』

(は? だれよ!  邪魔するのは!?)

少女は、一瞬だけ《サウンドオンリー》と表示されている通信ウィンドウに視線を投げた。

『構わないわ、アスカ! 発進して!』

「五月蠅いわね! 言われなくても出撃するわよ!!」

弐号機のプラグに映る青い太平洋に、グリーンのターゲットマークが表示される。

(げ! 目標が近い!!)

「こん、のぉぉおーー!!」

少女は歯を食い縛り、操縦桿を握る手に力を込める。

”ピピピピ”

使徒を捕捉している丸いマークが急速に近付いてくる。

(こっちに来る!!)

アスカがターゲットマークの中心に映った使徒を睨んだ瞬間だった。

”グググ、ググゥ……ガクゥン!”

突然、力を失ってしまった巨人は、その場で動きを止めた。

「え!? ちょ、ちょっと!!」


……慌てた彼女が見た内部電源の表示は”0”だった。


ゲインの調整をしていなかった弐号機は、

 タンカーのワイヤーと格闘している内に、1分で沈黙してしまったようだ。

”ビーー! ビーー! ビーー!”

EVAのシステムが落ちる最後の警報音と共に彼女が見たモノは。

「うそ…く、くちぃぃ!!!」

まさに、巨大なワニのような口を”カパァ…”と大きく開いた使徒だった。

「いやぁぁぁああ!!」

”……ブシュン”

プラグの電源はそこで落ちた。

”ズドゥォォオオオンン!!”

次の瞬間、アスカは巨大物体がぶつかる衝撃に叫ぶことしか出来なかった。

「きぁぁぁぁああああああ!!!」



………OTR。



後部甲板に用意された非常用電源ソケットは、巨大なコードリールに繋がっていた。

「…初号機、外部電源に切り替え。」

レイが、初号機の背中にソケットを挿して報告する。

”ガチャ…”

『こちら、OTR。…空母のリアクターとEVAの直結を確認した。』

愛しい蒼銀の少女を見ていた少年が正面を見て、少し目を大きくした。

「…ありゃ、そっちじゃないよ、ガギエル。」

”ズドゥォォオオオンン!!”

次の瞬間…シンジの瞳に、口を大きく開きタンカーを真っ二つにして突き進む第六使徒が見えた。

「…弐号機、目標の体内に侵入。」

エントリープラグの後ろから冷静な副官による報告が上がる。

「それって、食べられたんじゃ……」

「…そうとも言うわ。」

シンジは”タラリ”と汗をかいた。


……まさか、無理矢理起動しようとするなんて…と言うより、ガギエルがコッチを無視するなんて。


「ひと手間、増えちゃったね。」

「ええ、そうね。」

シンジは自分のせいとは言え、弐号機救出という仕事が増えてしまった事に”トホホ”と肩を落とした。

「さて、おふざけは終わりだ。」

シンジは瞳を閉じて、ゆっくりと{言 霊}を唱えた。



「{我と対峙するアダムの子よ。永きに渡る戦いの鎖を解いてあげよう。

 我に勝てれば自由を。負ければ、白き月に還る事は叶わない。}」



……この世のルールとなる言葉を感じたガギエルが、突如として方向を転換した。



その時、CDCに格納庫から通信が入った。

『第3航空隊パイロット控え室からCDCへ。』

「こちらCDC。」

『特務機関NERVの加持一尉が、特命任務のため今すぐに戦闘機を出せ、と言っておりますが?』

通信士は怪訝な表情のまま、責任者に顔を向けた。

「どういう事だ?」

リッジの問いに、その横に立って戦況を見ていた金髪の女性が、片眉を上げた。

「彼は、特殊監査部に所属しています。私も知り得ない、極秘任務を受けているのかもしれません。」

「ふん、なるほど。さすが特務機関…秘密主義は内部でも、か。…よし、”ボロ”に乗せてやれ!」

「アイサー」

士官は受話器を取ると、格納庫で待機するパイロットへ命令を下した。

「提督より許可が下りた。現在、カタパルトは使用出来ない。…”ボロ”で連れて行ってやれ。」

『イエッサー』



その頃、艦橋ではミサトが目を点にして固まっていた。

「わ、私の弐号機が……」

トウジとヒカリも、やや呆然として呟いた。

「く、食われてしもうたがな…」

「アスカ、大丈夫かしら…」

「くぅ! 凄すぎるゥ!」

ケンスケは初号機(シンジ)がいるので負けるとは考えていないようだ。

そんな時、ブリッジに呑気な男の声が聞こえた。

『おぉ〜い、葛城ぃ〜』

ミサトは”はっ!”として飛行甲板を覗いた。

「加ぁ持ぃ〜♪」

彼女の表情は、何か手伝ってくれんの? とか、

 この状況を打破してくれんの? という期待に満ちたモノだった。

しかし、赤いジャケットの女性の大きな期待はすぐに裏切られた。

『届けモンがあるんで、オレ先に行くわぁ〜。』

「はぁ?」


……ミサトは、あんぐりと口を開けて固まった。


使い古された複座練習用の機体Yak−38Uという戦闘機が、右側のエレベーターからせり上がってくる。

飛行甲板に出現した、そのくすんだ青い航空機のジェットエンジンは既に起動していた。

「出してくれ。」

加持の指示にパイロットが頷くと、練習用の戦闘機は垂直に離陸を始めた。

『じゃ、よろしくぅ〜…葛城一尉ぃ〜』

飛び去る機影を呆然と見送るミサト。

その後ろにいたジャージの少年が呆れたように呟いた。

「……は? に、逃げよった…」



”ドゴォォォオン!!!”

ガギエルの体当たりを受けたフリゲート艦が大爆発する。

その轟音に、呆けたような艦橋の空気が再び”ピーン”と緊張する。

飛行甲板に立つ初号機の右腕が、ゆっくりと上がった。

左肩のウェポンラックが開くと、唯一の武装であるナイフが飛び出した。

紫の巨人は、プログレッシブナイフを右手に握ると、その切っ先を使徒に向ける。

しかし、ガギエルは飛行甲板上の敵に興味がないのか、一向に近付いてくる気配はなかった。

その様子に、エントリープラグの少年は少し眉根を寄せた。

「う〜ん、困ったねぇ。何でだろう? こっちに来ないや…」

「碇君。」

「ん? どうしたの、綾波?」

レイは、ゆったりと泳ぐ使徒を観察しながら言った。

「多分…さっき取り込んだ弐号機のせいだと思う。」

「アダム由来のEVA…それを体内に納めて満足しているってこと?」

「…ええ。」

少女は”コクリ”と首を小さく縦に動かした。

「まぁ、取り敢えず葛城一尉に作戦を聞いてみよう。…綾波、いい?」

「…了解、”ピ!”初号機よりOTRへ。葛城一尉、作戦はありますか?」

『う、えーと、えと。…今考えているの!! もうちょっちだけ待って!』


……なんとも頼りない作戦課長だった。


「やっぱりダメか。…う〜ん。どうしよう…」

シンジは、左右に動くターゲットマークを見ながら小首を傾げた。

レイは少し顔を上げて口を開いた。

「…魚雷の爆圧を利用しましょう。」

「ん、なるほど。…等間隔に爆発させて変化する水圧で、こっちに誘導するわけだね?」

「…ええ。」

蒼銀の少女の提案を理解したシンジは、OTRと通信を始めた。

「初号機よりOTRへ。…提督、お願いがあります。」

『何だ? 言ってみろ。』

「魚雷を利用し、敵をこちらに誘導をしてください。」

『…爆発する水圧を利用する、というのか?』

「囲むような衝撃波がくれば、敵は水圧の弱い部分に前進するハズです。」

『こちらに誘導してどうする?』

「今までの敵性体には、通称コアと呼ぶ弱点が有ります。」

『それで?』

「近接戦闘を行い、その部位を破壊する…これが使徒に対して有効な手段なのです。」

『ふむ。…わかった。アスロックに搭載する魚雷を利用し、誘導してみよう。』

「お願いします。」

CDCのリッジがマイクのスイッチを切った。

「索敵した使徒の水深は?」

「ハッ。計測データによりますと、水深300以上には潜っていません。」

「よし、イージス艦へ下達せよ。…アスロックの魚雷を水深200で爆発するようにセット。

 敵を包囲するように着水ポイントを設定。そのなかで我が艦の方角に逃げ道となる穴を開けといてやれ。」

「了解しました。」

「もしも、あの化けモンが我が艦に向かってこんようだったら、ヤツの鼻先に目掛けて魚雷を撃ってやれ。」

「ハッ了解!!」

士官が艦隊のイージス艦に指示を出し始める。

”バババババババシュ!!”

二隻のイージス艦から多数のミサイルが垂直に跳ぶと、それらは放物線を描いて敵に向かっていった。

ガギエルを中心にサークル状に魚雷が着水すると、セットされた水深で同時に爆発する。

”…ドンッ!!”

太平洋の海面が爆圧で円状に盛り上がる。

”キシャゥ!”

自分の身体を圧縮するような水圧に、使徒は白い巨体を捻り出口を求めた。

ガギエルは、押し出されるような感覚の中、斜め後ろ側に動き易い部分を見つけた。

”ゴゥゥ!”

尾ひれのような尻尾を振り、急速旋回した使徒は、力強く水を蹴った。



「よし、こっちに向かってくるみたいだ。さすが、巧いねぇ。着水と爆発のタイミングが完璧だ。」

「使徒、接近中。距離2100。」

レイがバーチャルモニターに表示される数字を読み上げている。

『マスター、どうされるのですか?』

「え?」

『ガギエルがこの空母の下に潜ってしまう、という可能性もあるのでは?』

「距離、1300。」

どうするの? と、蒼銀の少女もシンジを見る。

(ぁう、確かに。)

シンジは”前”のように、ガギエルがジャンプしてEVAに向かってくるものだと考えていた。

「う〜ん。よし、飛び乗るよ、アイツに。」

シンジは操縦桿を握った。

初号機は、ナイフを構えたまま前傾の姿勢になった。

巨人は、少しひざを曲げて大きく腕を伸ばし、急速に接近する使徒に狙いを定める。

”ザザザザザァァアア!!”

大量の海水を掻き分けて泳ぐガギエルは、水面上の敵を確認した。

少し口を開けて、小さな仮面にある漆黒の闇に繋がっているような瞳を、紫色の巨人に向けた。

「相対距離、300。」

シンジの耳に、レイの声が聞こえた瞬間だった。

突如、ガギエルは水を力強く蹴り上げて、自身の巨大な体躯を空中にさらした。

初めて見せたその全容。

人類の敵は、アレほど巨大に見えた空母、OTRよりも何倍も大きかった。


……まるで、自分の巨大さを見せ付けるように空母の上空を飛び越していく。


”ダン!”

初号機は徐々に細長くなっていくガギエルの尻尾に跳びついた。

”バッシャァァアン!!”

「クッ! 滑る!」

再び海中に戻った使徒の尾にしがみ付いている初号機が受ける海水の抵抗力は、凄まじいモノがあった。

シンジは、初号機を固定するため、右手を振りガギエルにナイフを突き立てた。

”ザシュ!!”

使徒の青い体液が流れる。

ガギエルは、自分に取り付いた敵を振りほどこうと激しく尻尾を動かした。


……その体内の薄暗い空間にいる少女は、何も出来ない状況に唇を噛んでいた。


「残りの電力は、生命維持モードで30分だけなんて………なんで、何で動かないのよ! きゃ!!」

”ズズン!”

激しく揺さぶられる衝撃に悲鳴を上げる事しか出来ない自分が情けなくて悔しかった。



「綾波、このまま、ガギエルの口のほうまで移動しよう。」

レイはガギエルの大きな体躯を見て答えた。

「…ATフィールドは中和しているわ。ここから解体しても良いと思う。」

シンジは、海底に沈んだ街に向けて泳ぐ使徒を観察しながら答えた。

「弐号機の位置が良く分からないし、このナイフじゃ、コアを潰さない限り次々再生しちゃうよ?」

蒼銀の少女は、シンジを見て頷いた。

「…了解。初号機の足裏に、足場用のATフィールドを張るわ。」

「よし、移動開始。」

シンジが巨大な壁を登るクライマーのように初号機を動かす。

右手のナイフを突き刺し、巨人の右足が上がると、

 その足裏に薄くオレンジ色に輝く八角形のフィールドが出現する。

それを足掛かりに、”ずいっ”と前進し、反対の足を上げる。

EVAはこの動作を繰り返して、何の引っ掛かりもない流線型の使徒の上を移動する。

『EVA初号機、状況を報告せよ!』

OTRのリッジから通信が入る。

《サウンドオンリー》と表示されたモニターに深紅の瞳を向けた少女が応えた。

「こちら初号機。現在の状況は、使徒の体表を移動中。このまま口腔内のコアを破壊します。」

『無事なのだな?』

「…はい。」



CDCのリツコは、少女の声に安堵の息を漏らした。

「よかったわ。」

「ケーブルの残り、あと1300です!」

士官がリッジに報告する。

マイクを提督から借りた金髪の女性がスイッチを入れた。

「こちら、赤木です。ケーブルの残りが少ないわ。衝撃に備えて頂戴。」

『…了解。』



「ちょっと、間に合わないね…」

現在、初号機はガギエルの大きな背の真ん中にいた。

ケーブルの残量をドーラに表示してもらったシンジは、初号機の動きを止めた。

「…そうね。このままだと、ケーブルが伸び切った衝撃で空母が損傷するわ。」

「下手すると沈没するね。」


……前史でケーブルが千切れなかったのも、空母が沈まなかったのも…ただ運が良かっただけだったのだ。


白銀の少年が振り返ってレイを見る。

「…碇君、ケーブルをパージする?」

「いや、それだと弐号機を抱えて海上に出るのは、難しいんじゃないかな。」

『マスター、ケーブルの残量がなくなります。』

「了解。」

仕方がない、とシンジは操縦桿を握る手を緩めて、初号機を使徒から離した。

”ズゥゥ…”

解放されたガギエルが、”すぅ”と海の中に消えて行く。

「よし、こっちの波動を強めて誘おう。綾波、警戒しててね。」

白銀の少年は真紅の瞳を閉じた。

「了解。」

「なんだか、ぼく達…釣りのエサみたいだね。」

「そうね。」

シンジの”例え”に少し微笑んだレイは、初号機のセンサーで周囲の探索を開始する。

”…ゴウッ!”

ガギエルは急に強く感じた敵に向かって、泳ぐ速度を限界まで上げていった。

(っ! くぅぅ…)

激しく変化する加速と、急に曲がる衝撃にアスカは気を失いそうであった。

「…方位2−7−5より、使徒接近。相対速度、95ノット。」

「了解。」

シンジは初号機を左側に向けた。

磁気流体を利用して推進力を高めた使徒の表面が淡く輝いている。

初号機はプログレッシブナイフを正面に構えた。

「ATフィールド、展開。」

レイが高出力のフィールドを展開すると、

 ガギエルは中和することも出来ずに、最高速度のまま”ソレ”にぶつかってしまった。

”ゴツ! …ィィィイン”

そして、動きを止め、気を失ってしまったかのように、ゆっくりと海底へ沈降してしまった。

「…ごめんなさい。強すぎたわ。」

後部座席の少女が”ポツリ”と呟いた。

「と、取り敢えず、使徒を追おう。」

シンジが提案すると、バーチャルモニターに緑色のプラグスーツを着たドーラが現れた。

”ピュィン”

『マスター、ケーブルは後150mしかありません。』

「…仕方がない、パージしよう。」

「了解。受電を切ります。」


……初号機は、ケーブルをパージして、海底へと泳いでいった。



………OTR。



「どないなっとるんやろ?」

ジャージの少年が呟く。

巨大空母から見える太平洋の大海原は、一見平静を取り戻したかのように静かだった。

『EVA、非常用電源ソケットをパージ!』

ブリッジのスピーカーから報告が上がる。

「なんのこっちゃ? センセはどうしたんや?」

「トウジ、碇のEVAが電源ケーブルを捨てたんだよ!」

「そんで?」

「何があったのかは分からないけれど、ピンチ何じゃないか?」

「相田、どうしよう…」

お下げの少女が口に両手を当てて大きく目を開く。

「…僕らにはどうしようもないよ。」

顔を下に俯けたメガネの少年が、悔しそうな顔になる。

CDCのリツコも報告を聞いて、何もアイデアを出せない自分にイラ立ちを感じていた。

(ケーブルをパージするなんて。…一体何があったのかしら?)

「目標の動きが止まったようです。現在は、まるで沈降しているような速度で海底へ向かっています。」

「EVA、追従している模様です。」



………旧伊東市街地、その海底。



ビルや家屋がそのまま残っている海底。 眩しいほどの太陽の光は、ここでは弱弱しく視界は狭かった。

”ズズゥゥ…”

その静寂に包まれているような世界に、紫の巨人が現れる。

『マスター、ここが海底潮流を計算した予測ポイントです。』

「…いない。って事は、どうやらガギエルは目覚めたようだね。」

『そのようですね。…活動を再開したようです。』

「碇君、残り時間、4分を切ったわ。どうするの?」

「いや、来る!」

突如、初号機の後方から白く巨大な使徒が突進してくる。

振り返ったEVAに向けてガギエルは身体をしならせ、口を大きく開けた。

「…ぼくらを”さっき”のと同じと思ってもらっちゃ困るよ。」

シンジはレイが作ったATフィールドの足場を利用して初号機を確りと海底に固定する。

そして、少年は右手のナイフに意識を集中させてATフィールドを纏わせた。

(切り裂く!)

使徒の大きく開いたワニのような口には、鋭く大きな牙がスキマなく”ぴっちり”と生えている。

巨人が横に引いたナイフを圧倒的な腕力で振り動かす。

海水が一瞬にして横一文字に裂かれるように割れるそのスピード。

しかし、使徒の反射神経はシンジの予想を上回っていた。

”バクゥン!”

「危ない!」

レイが、とっさに初号機の右腕をフィールドで包み込んだ。

”ガキィィン!”


……足場を失った紫の巨人は、ガギエルの口に腕を挟まれたまま、海中を引き摺られていった。


”ドゥゥン! ドウゥゥン! ドゥゥン! ガゥン! ガァァン!”

ガギエルは、ワザと巨人をビルや海底に当てるように泳いだ。

「…くぅ! この!」

白銀の少年が、左腕で使徒の口をこじ開けようと、操縦桿を握る手に力を込める。

「なら、これでどうだ!」

シンジは敵の口腔内にある右手のナイフを立てて、フィールドを展開させた。

”ググググゥ…ガパァ…”

ATフィールドは、つっかえ棒のようなカタチで伸びると、ガギエルの口を無理矢理こじ開けた。

”ぐぐぐっ”

使徒は、敵を噛み砕こうと口を閉じる力を増していく。

「今のうちに!」

初号機は、ガギエルの口に飛び込み、のどの奥に見える赤いコアに向けて拳を叩き込んだ。

”ガキィン!”

渾身の一撃であったが、コアを破壊する事は出来なかった。

初号機は、再び右拳を振りかぶった。

”ガキィン!”

「待って、碇君。」

レイは右拳に意識を集中させて、フィールドを展開した。

EVAの振り出す右手が紅く輝いた。

「よし、トドメ!」

シンジのイメージどおり、紫の巨人は拳を振るう。

”ドシュゥ…”

そして、コアに吸い込まれるように右手が奥に突き刺さった。

『マスター、敵内部のエネルギーが漏れます!』

「え、爆発するの?」

シンジは慌てて口を開けていたフィールドを解除して、EVAを包み込んだ。

”カッ……ドォォオオン!!”

「くっ」

使徒の爆発で初号機が吹き飛ばされる。

”ゴゥ!”

EVAは激しい水流に揉まれるように、海中に流された。


”ゴポゴポゴポゴポ……”


『マスター、内部電源の残りが2分を切りました。』

「ドーラ、弐号機を探索して。」

シンジの手に、小さな赤い玉が出現した。

(よし、ガギエルを回収。)

『了解。…発見しました。方位0−5−5。距離、300。ビルに引っ掛かっています。』

初号機は素早く泳ぎ始めた。



………弐号機。



突然として訪れた2回目の静寂が、《EVA−02》と記載されたエントリープラグを支配している。

(はぁ、はぁ。…どうしてって言うの?)

アスカは、疲れきった身体で先ほどまでの状態を思い出す。

この怪獣は、一瞬たりとも動きを止める事はなかった。

中にいる自分は、絶え間なくあらゆる方向へ振り回されていた。

壊れたジェットコースターのほうがマシであろう、と本気で思ってしまう。

使徒の体内に取り込まれてから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

いい加減、身体が”バラバラ”になりそうだ、と力なく思っていれば、

 激しい…物凄い衝撃を受けたあと、一回目の静かな状態になった。

(まさか。…コイツ、死んだの?)

何の情報もなく、何も出来ることもない状態のアスカは、漠然とした不安に襲われた。

”ドゥン…”

暫くすると、少女は軽い衝撃を感じた。 これは、ガギエルが旧伊東市街地の海底に着いた衝撃だった。

(…私、どうなっちゃうの? 誰も助けてくれないの?)

”ググ…ドォン!”

「きゃ!!」

再び、活動を再開させた使徒。その運動が始まると、再びアスカの身体は圧倒的な”G”にさらされた。

(くぅ! もう、ダメ!)

アスカの体力が限界に達しようとした時、最大級の衝撃が彼女を襲った。

”カッ……ドォォオオン!!”

「きゃぁぁぁああ!!!」

その衝撃にもみくちゃにされた後、再び静寂がエントリープラグに訪れた。



………初号機。



「…方位0−0−7。ほぼ正面にEVA弐号機を発見。」

レイは、レーダーモニターを見て報告した。

「あ、いたいた。」

弐号機は、ビルに身体を預けるようにうつ伏せに倒れていた。

泳いで近付いた紫の巨人は、肩を貸すように赤の巨人を持ち上げた。

シンジは、内部電源の残り時間を確認した。

「残り、1分を切ったね。しょうがない、少しインチキをしよう。」

初号機が淡く光り輝くと、まったく動いていないのに”ふわり”と浮かび始めた。

白銀の少年は、EVAの重力を制御し、ケーブルに向かってどんどん加速させる。

”ゴウゥ…”

「よし、ついた。」

海中に静かに佇む非常用電源ソケットを手にすると、そのまま背中に取り付けた。

”ガチャン!”

「…受電再開。外部電源に切り替え完了。」

「初号機より、OTRへ。 碇です。使徒は殲滅しました。

 弐号機を抱えていますので、ワイヤーを巻き上げて引き上げをお願いします。」

『OTR、了解。』

『A・O!! よくやった!』

リッジの大声がプラグに響く。

『よかった。…お疲れ様、シンジ君。』

リツコの声も安堵に満ちていた。



………洋上。



”ザパァ……”

大量の海水を雨のように滴り落としながら、紫の巨人が海中より帰還した。

巨人は、脇に抱えられている弐号機を飛行甲板に下ろした。

ブリッジから甲板に走ったミサトが見たのは、電源ソケットを弐号機に取り付けている初号機だった。

紫のEVAはそのまま少し離れたところへ移動すると、片ヒザを付いた状態で動きを止めた。

最低起動値まで充電できた弐号機が動き出す。

ゆっくりと立ち上がり、”キョロキョロ”と首を振った。

『…使徒は!? 使徒はドコよ?』

勝気そうな少女の声が甲板に響いた。

「アスカ! 使徒はもういないわよ! こっちに降りてらっしゃい!」

『ええ〜〜!?』

LCLを飛ばしてプラグから降りたシンジは、少し疲れたような表情になった。

(え〜? はないだろう、アスカ。君がどうしてそこにいるのか、分からないのかな?)

「碇君。」

「ん?」

少年が振り向くと、蒼銀の少女は彼の手を優しく握った。

「お疲れ様。」

「綾波も、お疲れ様。ケガもなくて良かったよ。」

シンジは、彼女の錦糸のように柔らかい蒼い髪を愛おしそうに梳いた。

レイは、気持ち良さそうに瞳を閉じる。

白銀の少年が、幸せそうな蒼銀の少女を優しく包み込んだ。

「…あっ。」

”ぽふっ”

少しの時間、大切なお互いを確認するように、その体温を感じるように抱き締めあった。

アイランドへ向けて二人が歩き出すと、弐号機のエントリープラグが排出された。

程なくして、赤いプラグスーツの少女が甲板に降りてきた。

「ちょっと! そこの二人!」

シンジとレイは揃ってアスカを見た。

「…なに?」

英語で返答するレイの抑揚のない声。この声に、アスカは彼女が怒っているように感じた。

「う、あ、そ、その。…一応、お礼を言っておくわ。」

「…そう。」

蒼銀の少女は、詰まらなそうに返事をした。

「惣流さん。」

シンジが真面目な顔を紅茶色の髪の少女に向けた。

「な、なによ?」

白銀の少年が質問したタイミングで、赤いジャケットの女性がアスカの背後に駆け寄ってきた。

「惣流さんは、出撃命令を受けたの?」

「へ?」

アスカは予想外の質問に目を”パチパチ”と数回、瞬きをした。

「あ、アンタ何言っているのよ? 使徒を倒せるのはEVAだけでしょ! 

 出撃するのは当ッたり前じゃない。」

「じゃ、無許可なんだ。」

やれやれ、とシンジは首を振る。

そんな少年に対してミサトは手を”ヒラヒラ”させて言った。

「まぁまぁ。シンジ君、今更そんな事言っても…」

「葛城一尉、これは国連軍の問題ですよ? 我々NERVではなく。」

「へ? 何言ってるのよ。」

「シンジ君の言うとおりよ。弐号機の所管は、まだ第一艦隊なんだから。」

振り返れば、出迎えに来たリツコがいた。

「ミサト、アナタも懲罰の対象になるわよ?」

「な、なんでよ! 私は別に何もしていないわよ!」

「弐号機が起動した際、あなたは艦隊の指揮命令系統に割り込み、弐号機に向かって発進を命令したわ。」

「え…あ、あれは…」

「後で国連軍から、正式な抗議文が来るわ。

 …あなた達の処分は、追って沙汰があると覚悟をしていた方が良いでしょうね。」

ミサトは”ピキン!”と固まった。 その横に立っていたアスカは”ポカン”としていた。

「ちょ、ちょっと! ”達”って私も?」

アスカが金髪の女性に詰め寄る。

「ええ、そうなるわね。」

リツコは、”クルッ”と白衣を翻してアスカを見た。

「取り敢えず、着替え終わったら新横須賀まであと2時間、懲罰房へ入ってもらうわ。」

「な、なんでよ!」

アスカは食って掛かるが、リツコは軽くあしらう。

「処分を軽減する為よ。…イヤなら弐号機を降りてもらうことになるわよ?」

「くっ! ……分かったわよ!」

アスカが足早に歩き去るのを見た白衣の女性は、シンジ達を見た。

「お疲れ様、シンジ君。レイちゃん。」

「ありがとう、姉さん。いろいろとしてもらって。」

「大したことじゃないわ。」

シンジ達は、そのままアイランドに向けて歩き出した。

「トウジたちは?」

「あの子達は戦闘終了後、すぐにヘリで先に返したわ。港に着けば搬入作業で構っていられなくなるし。」

「そうだね。」

「シンジ君も先に帰る?」

姉の質問に、シンジは愛しい少女を見た。

「どうする? 綾波?」

「…帰りましょう、碇君。」

「うん、分かった。じゃ、姉さん、提督に挨拶をして、僕たち先に帰るよ。」

「分かったわ。」

リツコは無線機を経由させて、NERV本部に連絡を取った。

「…あ、マヤ? ご苦労様。OTRは後2時間ほどで港に着くから受け入れ準備の最終確認をして頂戴。

 それとVTOL機を一機、こちらに寄越して。ええ、よろしくね。」

白衣の女性は、シンジを見た。

「あと、30分ほどで到着するから、帰る支度をしていてね。」

「わかった。ありがとう、リツコ姉さん。」



………艦内。



”…バタン”

カタチ上とはいえ、独房に入れられたアスカはイラ立っていた。

(負けていないわよ…私は。今回は、たまたま運が悪かっただけだわ。)

体育座りで、自分のヒザに顔を埋める彼女の表情は陰鬱だった。

”カチャ! コッコッコッコッ”

入口が開くと、女性と分かるヒールの音が近付いてくる。

(…誰?)

「惣流・アスカ・ラングレーさん、ちょっと良いかしら?」

「なによ?」

少女が顔を上げると、白衣の女性が立っていた。

「これからのアナタについて、説明をしておこうと思ってね。」

「私?」

「そう。アスカさんの処遇。」

アスカは怪訝そうな表情を作った。

「まず、アスカさん、あなたは…」

「ちょっと、待って。アスカさんじゃなくて、アスカで良いわ。私もアナタをリツコと呼ぶから。」


……少女を見ている白衣の女性は気にせず、そう…と言葉を続けた。


「まず、当面の生活ですが、本部の官舎に住んでもらいます。あと、平時は訓練、実験への参加。」

少女は、ハッ当然でしょ、そんなの…と特に反応することもなく視線を落とした。

「あと、基本的には中学校へ通学してもらいます。」

「は?」

「あなたは…」

アスカは、そのまま説明を続けようとする女性を再び見上げた。

「ちょ、ちょっと、待ってよ、リツコ!」

「なにかしら?」

「中学校って、なによ?」

「ああ、義務教育よ。」

「義務教育?」

「日本では、年齢で定められている義務、ってヤツね。」

「何よ、ソレ?…って。ちょ、私だけ?」

「いいえ、シンジ君たちも通っているわよ?」

「へ? あ、あの人たち、私と同じ歳なの?」

「そうよ。大分、大人っぽいけれど…間違いなくアスカ、アナタと同じ歳だわ。」

アスカは目を大きくした。

(お、同じ歳!? な、尚更…負けてらんないじゃない!!)

「ま、余り一人勝手な行動は慎んだ方が良いわよ。…降ろされたくなければね。」

「わ、分かっているわよ!」

(実績さえ上げれば、文句ないでしょ。シンクロNo.1って実力を見せてやるわ!)

何を思っているのか、大体読めたリツコは、ため息を軽くついた。

「ふぅ。…新横須賀に着いたら、ここから出られるから。

 私たちと一緒に本部に出頭、総司令への着任の挨拶、良いわね?」

「…分かったわ。」

「以上よ。では、失礼するわね。」

アスカは金髪の女性の後姿を目で追っていた。

”パタン”

扉が閉まると、再び少女はヒザの上に顔を埋めた。

(負けない。私は誰にも負けない。)



………新横須賀港。


「お疲れ様です、センパイ。」

MAGIの制御を受けてJ.A.が丁寧に初号機を持ち上げている。

”ピピーー! ピピーー! ピピーー!”

クレーンの動きを指示するホイッスルの音が飛行甲板に響く。

「マヤもご苦労様。」

「いいえ。私よりも整備部の鈴原課長の方が大変みたいでした。」

「J.A.の制御、上手くいっているみたいね。」

「ええ、かなり繊細な動きが出来るようになりましたよ!」

ソフトの修正を手伝っていたマヤが、”ニコリ”と笑った。

「じゃ、先に本部に行くから、よろしくね?」

「はい、分かりました。お疲れ様です。」

リツコが、技術開発部の用意したジープに乗り込む。

「ちょっち、待ったーー!! 私も乗っけてってよー! リツコ!」

弐号機を見ていたミサトは、慌ててジープに飛び込んだ。

「ふぅ、出して頂戴。」

ミサトは疲れ切ったように”ドカッ”と車のシートに身体を預けた。

「ふー…弐号機の引継ぎ、先にしておくべきだったわー」

「あら珍しい。反省?」

「うっさいわねー。いいじゃない。で、どうなのよ? アスカは?」

リツコは、弐号機のデータシートを見てつぶやいた。

「ん、シンクロ率70%を超えているわ。…大したものね、彼女。」

「そう…」

ミサトは、空を見上げて気のない返事をした。

「あら、アナタ直属のEVAなのよ?」

「そうなんだけれど…」

ちゃんとわたしの言うこと聞いてくれるのかしら、と言おうとした時、ジープが急停止した。

”キィ!”

「ねぇ、ねぇ! 加持さんは?」

レモン色のワンピースの少女がジープに飛びついた。

「先にとんずら! もう本部に着いているわよ! あのブヮーカ!!」

ミサトはアスカを横目で見ながら、苛立たしげに答えた。



………総司令官執務室。



「…ご苦労だったな。」

サングラスの大男が、立ち上がった。

「いやはや、波乱に満ちた船旅でしたよ…」

大きな机の上に、あの黒い樹脂製のトランクケースが置かれている。

「…やはり、これのせいですか?」

”カチャン、カチャン、カチャン…”

髪を後ろで一本に纏めた男が、ケースの鍵を外していく。

”パシュー…ガチャ”

エアが漏れる音に続けて、ケースが開く音が聞こえた。

加持は、机の上のモノを観察するように見ながら報告を上げる。

「既にここまで復元されています。…硬化ベークライトで固めて有りますが、生きています。…間違いなく。

 人類補完計画の要ですね。」

ゲンドウはゆっくりと顔を上げた。

「…そうだ、最初の人間…アダムだよ。」

男の掛けるサングラスが不気味に輝いていた。







第三章 第十七話 「転入生」へ










To be continued...


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