ようこそ、最終使徒戦争へ。

第三章

第十七話 転入生

 〜 後編 〜

presented by SHOW2様


生還への道−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





時間を少し遡らせて、物語の焦点をアメリカに向ける。



………9月30日、エリア51。



”……シュゥゥン”

複座のステルス戦闘機、F−22A/Bのターボファンエンジンが役目を終えて停止した。

この二人乗りの戦闘機は、プロトタイプの派生品で世界に一つしかない珍しいモノであった。

戦闘機のキャノピーが開くのと同時に、男性パイロットはヘルメットを脱いだ。

「…ったく、到着してもだれも出迎えてくれねぇんだな。」

その第一声は、自分達の扱いに対する不満が滲み出ていた。

「あら…じゃ、私から歓迎の言葉を送るわ。 特務機関NERVへようこそ、アル・ジャックロウ一尉。」

後部座席の女性が、からかうように言った。

「なに言ってんだよ、カーチャ。」

「アナタも素直じゃないわね。 イェーイ! 隊長と同じ組織に出向だぜ! …って喜んでいたのに。」

「だってよ、特務機関だぜ? 特務機関! 特殊っぽいじゃねーの?」

「私たちがワーグナー司令官から下達されたのは、要人の護衛任務よ。 

 アルが期待している隊長のような仕事じゃないと思うわよ?」

そう言ったカーチャは、ボブカットの紅茶色の髪をなびかせるようにヘルメットを脱いだ。

”ガチャン!”

「お疲れ様です。 このまま、支部長室にて着任の報告をお願いします。」

ハシゴを掛けたNERV職員が、二人の軍人を迎えた。

「了解。 ったく休憩もナシか。」

体格の良い黒人男性は、”ぶつぶつ”と文句を言いながら、身軽に戦闘機から降りた。

それに続いて、白人女性が広大な敷地を誇る元空軍基地に降り立った。

「特務機関NERV、第2支部か…」

カーチャは、目の前にある一本の棒のように細長いビルを見て呟いた。



………支部長室。



(S2機関研究スタッフの受け入れ準備は、ようやく整ったな…)

部屋にある瑞々しい観葉植物を見ながら、男は物思いにふけっていた。

ブロンドの髪を七三に分けた48歳のこの男は、少しお腹が出ているのが悩みであった。

彼の生真面目そうな顔に在る、人よりも一回り大きい鼻が、アンバランスな感じで人の目を引く。

”コンコン”

「…ん? ああ、どうぞ。」

「失礼します。 タッカー支部長、国連軍から出向してきた将校が到着しました。」

ブロンドの髪を結い上げている秘書官が、ブルーの絨毯が敷かれている部屋に入って来た。

メガネの彼女が見た男は、この元空軍基地の責任者である。

彼の名は、カール・タッカー。

この施設の責任者である男は、協調性を重んじる人物であった。


……独りよがりな意見を言う者、和を乱すものは許せない。


目立つ事をしなければ、マイナスの評価をしない上司。

つまり、人と違う意見を言った者の真意や、その部下の”人と為り”を見ていないのだ。

部下から見たこの施設の責任者の評は、おおむねこのようなものであった。

顔を上げて、メガネの女性秘書官を見た男は、居住まいを直しながら応えた。

「お、着いたか。 よし、通してくれ。」

「はい、分かりました。」

一旦、女性秘書官が部屋を出て行くと、

 彼女の案内で、戦闘機乗りが着る防寒に優れたグレーの軍服に身を包んだ二人の将校が入って来た。

「…失礼します。 国連軍より参りました、カーチャ・ウィリアムズ一尉です。」

「同じく、アル・ジャックロウ一尉です。」

二人は、”バッ”と右腕を上げて敬礼する。

「うん、ご苦労だったね。 君たちは、これから一人の女性の護衛を専任してもらう。」

「「ハッ!」」

「この施設の概要説明と宿舎の案内を彼女に任せてある。 頑張ってくれたまえ。 以上だ。」

「「了解しました。」」

「…では、案内をします。 …こちらです。」

深緑色のスーツを着た秘書官が命じられたとおり、施設の案内を始める。

「では、失礼します。」

黒人男性を先頭に、紅茶色の髪の女性が部屋を辞した。

「ふむ。 トライフォース、か。」

タッカーは、机に置いてあった彼らの書類に目をやった。



………廊下。



”コッ、コッ、コッ、コッ…”

秘書官がバインダーを片手に持って、廊下を歩いている。

メガネの彼女が足を止めて、”くるり”と振り返った。

「すみません。 申し遅れました。 私、ナタリー・マクヴィです。」

「あ、オレは、アル・ジャックロウだ。」

アルは彼女に握手を求めた。

「私は、カーチャ・ウィリアムズよ。 よろしく。」

彼に続いて、カーチャも右手を差し出した。

「はい、宜しくお願いします。 それでは最初に、宿舎にご案内します。」

二人と握手を交わしたナタリーは、こちらへ…と手で廊下の先を示す。

アルとカーチャは、特務機関NERVの要人護衛という任務を踏まえた目で施設を観察しながら、

 メガネの秘書官の案内を受ける。

案内が一通り終わると、二人はNERVの技術系職員の制服をナタリーに要求した。



………その数日後となる現在。



黒いジャンボジェット機から、朝日に輝き始めた夜空を照らす光が弾け出た。


”ドゥゥォォオオン!!!!!”


「うわっ!!」

突然の振動に襲われたシンジは、身体が落ちないようにシートを掴んだ。

「クッ…な、なんだ!?」

上体を起こして、少年は周りを見渡す。 

機内の照明が、”パチッ…パチチチッ…”と不安定に点いたり消えたりしていた。


”ズズゥン!”


再び振動を感じると、今まで大地のように安定していた機体が”グラッ”と大きく傾いた。


……ハッキリ言って異常事態である。


シンジは、PDAのドーラに状況を確認させる。

『ドーラ、何が起きたの?』

『マスター、エコノミークラスの後部シートを中心にデータが欠損しています。』

シートベルトなどの状況把握システムから異常を知らせるアラートが検知されている。

『機体制御用油圧B系統に異常発生! 燃料系統に異常発生! 左フラップレベル異常、操作不能です!!』

次々に報告される内容は、非常にヨロシクないものばかりだ。

『ドーラ、機体後部が爆発したって事?』

『…判りません。 先ほど私がチェックした際に、電子的な危険物は有りませんでした。』


……ゼーレは、過去のアフリカでトライフォースが電子・電気的トラップに非常に強いことを知っている。


だから、今回は機械的なトラップを用意したのだ。

真面目なサラリーマンが持っていたアタッシェケースは、まさにその情報を元に造った一品だった。

ケースに入っていた電子的なものは腕時計だけだった。

それだけでは、ドーラが危険と判断するのは無理だろう。

そして、設定時刻になれば、

 高圧空気で作動する撹拌器が作動し、2液式の薬品を混ぜて爆薬をその場で生成するのだ。

破壊力は大したものではないが、機体に損傷を与えられれば、後は内外の気圧の差が機体を破壊する。

『マスター、時間が有りません。 後3分で機体の分解が始まると予測されます。』

「くそっ!」

シンジは、この騒動にも目を覚まさない、幸せそうに眠るユイを起こそうと声を掛けた。

「母さん、起きて!!」

”ユサ、ユサ”

少年は、母の肩を激しく揺さぶった。

「う、う〜ん。」

ユイはとても眠そうに、ゆっくりと上体を起こした。

彼女は、目を擦りながら大きなあくびをする。

「ふぁ〜 …どうしたの? もう着いたの?」

「母さん、脱出するよ! もう時間がない。」

「ふえ?」

ユイは”ポカン”とした表情だった。

しかし彼女の息子、シンジの行動は迅速だった。 まさに軍隊訓練の賜物だろう。

緊急用パラシュートを背に固定させて、就寝前に用意したザックを足に固定する。

「母さん、こっちへ!!」

シンジに強制的に立たされて、息子に後ろから抱きつかれた母は、何を勘違いしたのか頬を染めた。

「あん♪ 乱暴ねぇ…」

まだ、ユイの頭はアルコールに支配されているようだ。

白銀の少年は、そんな母の腿と腰にベルトを巻き、キツク縛った。


……少年は、タンデムジャンプと呼ばれるスカイダイビングの準備をしているのだ。


「ちょ、痛いわよ、しんちゃん!」

「我慢してよ、死にたくないだろ?」

「へ?」

ここに至って、ユイはようやく地面がかなり右に傾いているのに気が付いた。

「? ちょ、これって…ど、どうしたの?」

後ろに密着している息子の顔を見ようと、母は首をムリヤリ捻った。

「いいから、母さんの荷物は諦めてね!」

「はい?」

シンジは、女性を抱えるように歩くと、エアロックされているドアの前に立った。

『マスター、残り時間1分です。 上空の監視衛星の起動を確認。 ここをチェックしている模様です。』

『…監視衛星?』 

『はい、ゼーレのスパイ衛星です。 現在、ライブ映像を送信しています。』

「ちょっと、しんちゃん! キャ!」

”ズズン!”

ユイは大きな振動に目を瞑った。

『…僕が脱出するのは、シナリオどおり。 彼らの計画に織り込み済みってワケか…』

『トライフォースの隊長であったマスターならば、生還は確実だと?』

「しんちゃん!」

ユイは、動きを止めてしまった後ろの息子を見ようとしたが、再び彼が動き出して見ることが出来なかった。

『そうだね。 …飽くまでも、この事態は父さんに対する”警告”ってことなんだろうね。』

少年は、ドアの横にあるインフォメーション用のマイクを手にした。

「この飛行機はすぐに分解する。 この放送が聞こえた人は、今すぐパラシュートで脱出してください。」

「え? 脱出?」

「そうだよ、母さん。」

事もなげに言った息子の言葉に、ユイの頭脳が回転し始める。

「ここって、かなり高いんじゃないの? たしか、ジャンボジェット機の巡航高度って…」

「うん。 高度は、だいたい1万メートルだよ。 でも、大丈夫。 僕が………」


……言いかけたまま、シンジは数瞬だけ瞳を瞑った。 


なぜなら、愛する少女に波動で問い掛けられたからだ。

そして、彼は真紅の瞳を開けると、続きを母に答えずにドアのロックを外した。

”ガシャン! ヴオォオォォオオォ…”

凄まじい速度で空気が吸い出されると、その勢いを利用して、シンジは宙に躍り出た。

「それっ!」


”…シュゴォォォォォ……”


「うそ! …キャァァァァァアアアア!!!」


……母の絶叫と共に。



………1分前、第7ケージ、起動実験中の管制室。



「ファーストチルドレンの精神パルスに異常発生!」

「心理グラフ、乱れ始めています!」

今まで安定していたEVAパイロットの状態に変化が訪れたのは、23次起動実験中のことだった。

「マヤ、EVAからの侵食なの!?」

リツコが、マヤに鋭い口調で問う。

「いえ! EVA側に変化は有りません。」

白衣の女性は、マイクを握った。

「綾波三佐、大丈夫? ちょ、ちょっと、どうしたの?」


……モニターに映る蒼銀の少女は、反応しなかった。


レイは、突然変化したシンジの波動に意識の全てを集中させていた。

『碇君!? どうしたの? 休んだのではないの?』

『…飛行機が破壊されたんだ。 これから母さんを連れて脱出するよ。』

『大丈夫?』

『うん。 必ず、戻るから。』

『…そう。 気を付けて、碇君。』

『じゃ、また後でね、綾波。』

これ以上、彼の邪魔は出来ない…と感じたレイは、ゆっくりと瞳を開けた。

『…問題有りません。』

「問題ないって…」

白衣の女性は、モニターに映る蒼銀の少女を見た。

「センパイ、パイロットのデータ、元に戻りました。」

「取り敢えず、初号機の起動実験はコレで終了とします。 今までのデータを集計して。」

リツコはパイロットに声を掛けた。

「レイちゃん、お疲れ様。 今日の実験はお終いよ。 上がって頂戴。」

『…了解。』

リツコは、マイクを置くとマヤの隣に座り、端末を操作した。


……その凄まじいキー捌きに、隣のマヤが驚嘆しているのは、いつものことか。


リツコは、今までの実験データをMAGIに解析させ、それを頭の中で吟味する。

彼女は、しばらく解析データが表示されている画面を見た後、携帯電話を取り出してダイヤルした。

”ピリリリ…チャ”

『…私だ。』

「報告します。 ファーストチルドレンによる初号機の起動は失敗に終わりました。

 現在のデータを解析した結果…コアが変質し適格者であるサード以外の起動は不可能と推測されます。」

『…そうか。 委員会には私から報告しよう。 ご苦労だったな、赤木博士。』



………高度27000フィート。



飛行能力を奪われたジャンボジェット機は、既に高度を2000mほど失っていた。

対地速度、約850Km/hで空に躍り出た少年は、その後、体制を維持するために苦労していた。

タンデムジャンプの相手、母が暴れているのである。

「いやぁぁぁあああ!!!!」

「ちょ、母さん、暴れないで!」

ATフィールドを体表に纏っているので、落下する空気の摩擦によって着衣が破れる心配はない。

また、かなり低い気圧とマイナス30℃に近い低温という厳しい環境でも、ユイが健康を害することもない。

彼女が取り乱しているのは、初めて体験するスカイダイビングが本人の望んだものではないからであろう。

白銀の少年は、どうせ声が聞こえていないのだろう、と波動に切り替えた。

『…母さん、僕を信じて、身体の力を抜いて!』

突然、頭に響いた息子の声に驚く母。 その声によって、彼女は冷静さを取り戻すことが出来た。

「し、しんちゃん。」

母が冷静になった瞬間、上空の航空機がついに爆発した。


”ズドォォォォオオン!!”


”……ヒュン! ヒュン! ヒュン!”

爆発の力で加速した飛行機の破片が、シンジ達に向かって落ちてくる。

その音に驚いたユイの体が動くと、

 ”ぐるん”と息子と体が入れ替わってしまい、彼女は上空の状況を見てしまった。

数え切れないほどの灼熱の玉が、黒い煙を纏いながら自分に迫ってくる。

それは、まるで隕石のようだった。

「…きゃぁぁああ!!」

”ゴゥ! …シュィン! …ヒュン! …ヒュン! …シュン!”

シンジは、身体のバランスをとって、再びユイを地上に向けるように縦に回転した。

白銀の少年は、まるで後ろに目が付いているかのように、雨のように降り落ちてくる破片を避け続けた。

(ここでパラシュートを開けば、破片に当たって破れてしまう……地上ギリギリになっちゃうかも…)

パラシュートが自動設定で開く高度は、すでに過ぎている。

シンジとユイは、迫り来るように見える地上に向けて、加速しながら落下していた。



………エリア51。



航空管制システムがダウンしたのは、午前5時30分であった。

これは、ゼーレのスパイによって行われた破壊工作である。

事故復旧マニュアルを手にした職員が、システムを復旧させることができたのは、午前5時40分だった。 

もう直ぐ、要人を運ぶジャンボジェット機が着陸する予定であった。

しかし、レーダーを覗き込んだ男は、先程まで確認していた航空機のシンボルが消えていることに慌てた。

「…消えた! いないぞ!! まさか墜落したのか? なんてこった! くそっ…非常事態だ!」

しかし、この事態は日本のNERV本部へ通達される事はなかった。


……人類補完委員会からの圧力が掛かっていたのだ。


支部長が自室でその連絡を受けたのは、やはり、午前5時30分。

『…S2機関開発責任者である、碇ユイ博士の捜索は不要だ。』

タッカー支部長は、この突然の電話の内容を理解することが出来なかった。

「は? 予定では、6時…そろそろ、お着きになると思いますが?」

『…本部への連絡も禁止する。 問い合わせがあれば答えて宜しい。 以上だ。』

「は、はぁ。 了解しました。 ドクター碇は捜索しません。 連絡もこちらからはしません。」

『…結構だ。』


”…ガチャ。”


「一体なんだと言うのだ?」

首を捻ってしばらく考えた彼が、再び眠ろうとベッドに横になった時、また電話に呼びだされた。

「またか……はい? もしもし…」

「タッカー支部長、ドクター碇を乗せたジャンボが消えました! 墜落した可能性が高いです! 

 すぐに捜索の指示を下さい!」

電話の相手はかなり興奮しているのだろう。 …かなり早口だった。 

突然の事故報告に、タッカーは目を”パチクリ”とさせてしまったが、先ほどの指示を思い出す。

「…エド、落ち着いて聞きなさい。 彼女の捜索は行わない。」

「は!?」

副支部長であり、研究者であるエドワード・スミスは間の抜けた返事をしてしまった。

「エド、捜索は行わない、と言ったのだ。 

 そして、こちらから本部へ報告はしない。 キミはこの指示を徹底させてくれたまえ。」

「…支部長、本気ですか?」

「上の指示だよ。 何があったのかは知らんがね。 私も直ぐそちらに行こう。」

「はい、了解しました。」

すっかり興奮が冷めてしまったエドワード・スミスは、受話器を置きながら首を捻った。

ベッドに座ったカール・タッカーは、この”事態”を考えていた。

航空機を破壊したのは、委員会だ。 そして、捜索の禁止、日本に教えない…

タッカーの脳裏に、髭面の日本人の顔が浮かんだ。

(ミスター碇、キミは何かミスを犯したのかな? それとも、裏切りか?)



………空。



「しんちゃん、もう、地面よ、地面!!!」

ユイの眼前に、顔を少し覗かせた朝日の光を反射する砂漠が見える。

落下速度は最高を維持したままだ。

(…よし! 今だ!)

シンジは、バラシュートの紐を力いっぱい引っ張った。

”…バッ!!!”

ガクン、とまるで上に引っ張られるような制動力が二人を襲う。

白銀の少年は、パラシュートを操作して、着地するべき場所を探す。

(あそこなら、いいかな…)

地上から見れば、音もなく優雅に舞い降りてくるように見えるが、実際の速度はかなり速い。


……地上までの距離が短くて、減速しきれていないようだった。


『…母さん、着地する時は、足を上げてね。』

「分かったわ、しんちゃん。」

ユイは、速度が遅くなったので、ようやく周りの景色を見る余裕が出てきた。

「ここって、ドコなのかしら?」

『ドーラ?』

『はい、マスター。 基地までは、北北東へ約70kmです。』

シンジは、母の質問に波動で答えた。

『上空の気流でかなり流されたからね。 …ここは、目的地から70kmほど離れた南の砂漠って所だね。』

「あらまあ。 でも、すぐに迎えが来るでしょ。」

『それはどうかな?』

「え?」

『飛行機の破壊は、ゼーレの仕業だよ? 第2支部に圧力を掛けているかもしれないね。』

「…さ、そんな事より、母さん、着地するよ。 足を上げて。」

波動から、普通の会話に切り替えた息子がパラシュートの操作をする。

”ズサァァ…”

ATフィールドで落下の勢いを殺したが、それでも砂地に足がめり込む。 

そのままシンジは、倒れないようにバランスをとって落下の勢いを相殺するために少し走った。

”ザッザッザッ……バサァァ……”

ナイロンで造られたパラシュートの白い布地が、全て地面に下りる。

白銀の少年は、ベルトを解いて母を解放した。

そして、シンジは、青く輝き始めた上空の見えない星を見るかのようにしばらく空を見て、次に朝日を見た。

(…まだ、監視しているのか。 僕らが基地に着くまで見るつもりなのかな。 しょうがない、歩くか。)

少年は、何も無い砂漠を見やって、息をついた。

「ふう。 取り敢えず、歩こう。 なるべく早く第2支部に行かなきゃ。」

母は、縛られていた腿をズボンの上から擦っていた。

「どうして?」

「使徒が来るのさ。」

「え!?」

「どうにしろ、もう間に合わないけれどね。 …とにかく移動を始めよう。」

シンジは、パラシュートを背中から外すと、足に固定していたザックを背負って母を見た。

「そうね。 取り敢えず歩きましょう。」

頷いたユイは、息子と共に砂漠を歩き始めた。



………暗闇。



『さすがだな。』

『ああ、無事に地上へ降りた。』

闇の空間に男たちの声が響く。

ゼーレのトップは、モニターの少年をじっくりと観察していた。

その画面に映っている少年は、まるで、自分達が監視されている事に気付いているかのように、

 彼の真紅の瞳は、真っ直ぐ偵察衛星のカメラに向けられていた。

その視線に、キールはまるで少年に見られているような感覚を覚えた。

周りのモノリスたちは、それぞれ発言を続けている。

『…計画の中止は間に合わなかったが、サードを失う、という最悪の事態は避けられた。』

『今、サードを失うワケにはいかん。』

『先ほどの碇の報告か。』

『その報告によれば、現時点で、初号機の起動はサードにしか出来ないそうだ。』

『初号機のコアが変質し、サード以外では起動不可能などとは。 これは、由々しき事態だよ。』

キールのバイザーに反射している少年が、母を伴って歩き始めた。

彼は、モニターに向けていた顔を上げて、自分の同志である周りのモノリスを見て口を開いた。

『…いずれにせよ、現段階で初号機を失うという事は容認出来ない。 

 サードは現状維持とし、万が一シナリオを外れそうならば、洗脳すれば良い。』

『ファーストチルドレンをベースとしたダミー計画。 これは、すでに初号機に使えないのでは?』

『簡単なことだ。 サードをベースにすればいい。 感情の起伏を抑える薬など幾らでもあるだろう?』

『賛同するが、洗脳や薬を使用するのは、最終手段だろう。』

『左様。 飽くまでもチルドレンの心の誘導は、自然に導かねば…』

『碇にサードをベースとしたダミー計画を実施させるのだ。』

『ならば、ファーストによるダミー計画は中止と言うことか?』

『いや、無駄にはなるまい。 現状のまま継続だよ。』

『ならば、サンプルは多いことに越したことがないだろう。 セカンドも被験者としたらどうだ?』

『セカンドチルドレン? 適格者であるサードと、人造使徒であるファーストとは価値が違いすぎる。

 やるだけ金の無駄だよ。』

『ふむ。 その提案に賛成する。 新たにサードをダミー計画のサンプルとして加えようではないか。』

『よろしい。 …では、我らの計画実行者、碇に伝えるのだ。』

そして、決の出た会議を締める呪文を参加者が詠唱する。

『『『すべては、ゼーレのシナリオのままに。』』』

そして全ては闇に消えた。



………AM7:00、玄関ロビー。



ドクター碇の到着予定時刻から、すでに1時間が経過していた。

「ふぁ〜 なんで、何にも連絡がないんだ?」

「飛行機が遅れる…なんて、別に珍しくないでしょ?」

眠そうにあくびをした黒人男性に、白人女性がたしなめた。

「ま、そりゃ…そうか。」

男は詰まらなそうに、壁に背をつけて玄関ロビーの天井を見た。

「…でも、アルの言うとおり、何の連絡もないって言うのは、少しおかしいわね。」

「だろ? やっぱ、そう思うだろ!?」

NERVの技術系職員の服を着た厳つい黒人男性は、同意してくれた女性に向かって歩き寄った。

カーチャ・ウィリアムズもアル・ジャックロウと同じく茶色の技官服に身を包んでいる。


……要人警護に於いて目立たない、というのは重要なことだ。


しかし、カーチャはどこから見ても優秀な技術スタッフに見えるが、相方である黒人アルは、

 少し無理があるかもしれない。 なぜなら、技術系のスタッフにしては体格が良すぎるからだ。

「静かすぎるのよ。 アル、私達の任務対象はどういった人物だったかしら?」

カーチャは、まるで教師のような口調でアルに答えを求めた。

「え〜 ユイ・碇…性別、女性。 38歳。 極秘機動兵器であるエヴァンゲリオン研究開発の第一人者。

 NERVの技術開発部顧問とアメリカ第2支部で行われる最重要開発計画の責任者…どうだ?」

「その通りね。 間違いなく、重要度で言えばトップクラスのVIP。」

カーチャは腕を組んで思慮深い顔になった。

その時だった。 

”ピリリリ…ピリリリ…”

アルの携帯電話が鳴った。

「…はい、技術開発部、アル・ジャックロウです。」

『ナタリー・マクヴィです。 おはようございます。』

「ああ、おはよう。 こんな朝早くからどうしたの?」

『支部長から、ドクター碇の到着時間が変更になった事を伝えるように、と言われましたので…』

「変更? そりゃ知らなかった。 …で、何時になったんだ?」

『支部長に確認した処、ドクター碇は予定を変更し、ラスベガスに寄って来るそうです。

 到着日時は追って連絡するそうです。』


……これは、タッカーが支部内に周知させた”嘘”である。


「は? 日時って……何泊かベガスで遊んでからここに来るって事か?」

『…みたいですね。』

「なんだよ、せっかく気合入れて起きたのに…」

『予定は未定、という事で……取り敢えず、連絡がくるまで自由待機です。 よろしくお願いします。』

「ああ、分かった。 連絡ありがとさん。」

”ピ!”

電話で喋っていた彼を見ていたカーチャが、どうしたの? と聞いた。

「アル?」

「ああ、マクヴィ秘書官からだ。 ドクター碇は、途中下車してベガスで羽を伸ばすってさ。

 俺らはいつコッチへ来るか分からない彼女が到着するまで、自由待機してろってさ。」

いいねぇ、オレも遊びてぇよ…と肩を竦めた黒人男性を見たカーチャは、眉根を寄せた。

「…アル、おかしいと思わない?」

「あん? 何がだ?」

「突然すぎるわ。」

「そりゃ、そうかもしれないが……VIPによくある、単なる気まぐれってヤツじゃないのか?」

「私たち、ここに着任してから、ドクター碇の行動を予測する為に彼女の人物評価をしたわよね?」

「ああ。」

アルは腕を組んで頷いた。

「アル、彼女の性格は非常に合理的だったわ。 無駄が嫌いというか…そう、違う言い方をすると、

 目的を達する道程が最短距離になるように、用意、準備をする能力が非常に高いって人物よね?」

「…そうだな。 ん〜 そんな人物が”ワザワザ”気まぐれを起こすってこたぁ、考えづらいか。」

「ええ。」

何かあったのかもしれないわね…とカーチャは思った。

「アル、管制塔へ行きましょう?」

「え? 待機していろって命令が出ているぜ?」

「”自由”待機でしょ?」

「なるほど、確かにそうだな。」

アルはカーチャの意図を理解すると、イタズラをする少年のように”ニヤッ”と笑った。



………砂漠。



「ねぇ、しんちゃん。」

白いブラウスにGパン姿のユイは、シンジの後ろを歩いていた。

この砂漠を歩いて2時間が経とうとしている。

「なに、母さん?」

声を掛けられた白銀の少年は、振り返ることも、歩みを止めることもなく答えた。

「…ちょっと、母さん、喉が渇いたちゃったわ。」

「だろうね。 …アルコールの分解は、水分を大量に消費するから。」

そう言うと、彼は背中のザックから透明のペットボトルを取り出して、母に投げ渡した。

「ありがとう♪ さっすが我が息子!」

「ちょっとずつだよ。 2本しかないんだから。」

ユイは笑顔でキャップをあけた。

「分かったわよ。」

”ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ…”


……分かっていなかった。


「ぷはぁ…あ〜美味しかった。 はい、しんちゃん。」

母がペットボトルの蓋を閉めて、それを息子に投げ返す。

水は、たったの5分の1しか残っていない。

(……う〜ん。 これじゃ2本っていう以前の問題だね。)

「はぁ、まったく。」

シンジはため息をついて、受け取ったペットボトルの蓋を再び開けると、ボトルの側面に手を当てた。

その少年の手が僅かに光り輝く。

”スゥー”

すると、ボトルの中の透明な水面が”ゆっくり”とせり上がってくる。

目の前で突然始まった”タネ”のない手品に、ユイの目は大きく見開いた。

「すごい! 水が増えている! どうやって…まさか、空気中の水分を?」

「さすが、母さん。 正解だよ。」

8割くらいまで水が溜まると、シンジは蓋を閉めてザックに戻した。

「さ、行こう。」

「ところで、さ。 …しんちゃん…」

歩き始めた少年の後姿に向かって、母が遠慮がちに声を掛ける。

「なに?」

シンジが再び振り向くと、なにか言い辛そうな顔の母がいた。

「あ、あのね。 その…」

「?」

「シンジ、できれば少しの間、出来るだけ遠くにいて欲しいっていうか。 その…」

ユイの顔は紅かった。

その様子を見ていたシンジは、”ぽん”と手を打った。

「ああ…もしかして、トイレ?」

「そ、そうなのよ! もう、結構限界って言うか…」


……ユイの紅かった顔が、今度は青白く変化していく。


「ちょっと、いい?」

シンジは母のお願いと逆に動いた。 つまり、彼女の側にやってきた。

「ちょ、ちょっと! やだ! 本当に、その、辛いの!」

「判っているよ。」

判っていないじゃない、とユイの目が息子に訴える。

そんな母親の事情を無視したシンジは、彼女のへその下に手を当てた。

「いやん、なによ?」

ユイは、身をよじって彼の手から逃れようと動いた。

ゲンドウが見れば、あらぬ勘違いをして錯乱するかもしれないが、決してシンジにいやらしい気持ちはない。

「動かないでよ、ちょっとの辛抱だから。」

息子はユイが動かないように、腰に左手を当てて、右手を腹部に当てた。

「い、いや…」

ユイが羞恥に顔を真っ赤にさせる。 しかし、次の瞬間、彼女の顔は驚きに変わった。

シンジの右手が薄く輝くと、なんと……アレだけ激しく主張していた尿意がキレイに無くなったのだ。

「さ、もう平気でしょ?」

「え、ええ。 しんちゃん、今のって?」

「単純に僕の力で消しただけ。 さ、時間が惜しいから、足を進めよう。 ほら。」

息子が左手を差し伸べる。

ユイは、嬉しそうに右手を伸ばして、愛する息子と手を繋いだ。

「ちょ、そう言うワケじゃなかったんだけれど…」

「いいじゃない。 ここには、私としんちゃんしかいないんだもの。 さ、歩きましょ♪」

シンジは、ユイに引っ張られるように砂漠を歩き始めた。



………管制塔。



「ログデータの抽出完了。 アル、そっちはどう?」

「こっちも、当直の職員から大体の話は聞いたぜ。」

「じゃ、失礼させてもらいましょう。」

「そうだな。 ご協力を感謝します。 じゃ、お邪魔しました。」

管制官に協力してもらった黒人の男は、”ニカッ”と笑って女性と部屋を出て行った。

二人の管制官は、お互い見やり”コクッ”と頷くと、内線電話を手にした。

「こちら管制塔。 タッカー支部長はいますか?」

『はい、お待ち下さい。』

秘書官が取り次いでくれると、男の声が聞こえた。

『…タッカーだ。 何かあったのかね?』

「すみません。 一応報告をしておこうと思って電話をしたのですが…」

『構わんよ。 前置きはいいから、何があったのかね?』

「技術系職員の制服を着た男女に、今朝の騒動の事を聞かれまして。」

タッカーの指示により、管制塔とその関係者は一連の事件に関して緘口令を敷かれていた。

『…で?』

「はい。 教えられない、と言ったのですが、男に拳銃で脅されまして…」

『教えたと?』

「申し訳ありません。」

『いや、しょうがあるまい。 ところで、その強引な二人組は誰だったのかね?』

「はい、私は見たことがない人物でした。 男は黒人で技術系というのが信じられない位、

 引き締まった太い腕で。 それと拳銃の扱いもかなり手馴れているようで、まるで腕の一部のようでした。

 女性のほうは、赤みがかった髪で肩くらいの長さ。 かなりの美人でした。

 彼らは、この管制塔に入れるセキュリティカードを所持していました。

 かなりの高レベル職員と思われます。」

タッカーは、管制官の報告した人物に直ぐ思い当たった。

(数日前に着任したあの二人か。 こんな事なら護衛対象について、別の情報を与えておけば良かったな。)


……少し渋い表情になった支部長は、管制官に労いの言葉を掛けて、電話を切った。


タッカーは、席を立って、大きめの窓から下を覗いた。 ここ支部長室は、8階にある。

下に見える人や車の動きを見るとなしに見て、男は考えにふけった。

(まさか、救出に向かう…なんて事はないよな? 今のうちに釘を刺しておこう。)

タッカーは、机の上のボタンを押した。

”カチッ…ピピ、ピピ”

『…お待たせしました、支部長。』

机のスピーカーから女性の声がした。

「ナタリー、アル・ジャックロウ一尉とカーチャ・ウィリアムズ一尉に、ここに来るように伝えてくれ。」

『はい、了解しました。』

タッカーは、柔らかそうな黒い革で覆われた大きいイスに再び腰を落とした。



………深夜2時、NERV本部。



広大な部屋に男が一人、イスに座っている。

時が止まってしまったかのように、物音一つしない、静かな空間。

「…ふぅ。」

ゲンドウは、焦れていた。

彼の目の前に、電話機が置いてある。

彼は、手を組み、肘を着いた姿勢で固まっているかのように動かない。

夫は、現地に着いたら直ぐに彼女から連絡をしてもらう約束をしていたのだ。


……しかし、電話は鳴らない。


ゲンドウは、受話器に手を伸ばして、暫く逡巡してまた手を組み直した。

彼の脳裏に、私から電話をしますからね! と強めに言っていたユイの顔が浮かぶ。

ユイの言い付けを守らず、勝手に電話をしたら、怒って口を利いてくれなくなるかもしれない。

そんな弱気な考えが彼の頭によぎる。 その負のイメージに、男は力なく顔を下に俯けた。

「……ユイ、電話はまだか? まさか…」

なにかあったのか…と、再び受話器に手が伸びる。

この男の行動は、明け方までずっとループしていた。



………部屋。



彼らにそれぞれ与えられた部屋は、2DKと一人で暮らすには十分な広さを確保されたモノだった。

今、男の部屋に上がった女性は、彼の机の上のパソコンのキーを叩いていた。

「ほい、コーヒー。」

アルが机の上に湯気立つコーヒーカップを置いた。

「ありがとう、アル。」

それを受け取って、カーチャは休憩をとろうと、イスを回転させた。

机のパソコンを覗いた男は、女性の顔を見て言った。

「じゃ、やっぱり時刻は…ほぼ一致していたってワケだ。」

「そうね。 アルが聞き込みをしてくれた管制官の話じゃ、

 システムの障害が出て、復旧するまでの10分の間にジャンボが消失したことになるわね。」

「システムの方は?」

「うん、復旧マニュアルと照合しておかしそうな動きをした部分を抽出したけれど、

 特定には至らなかったわ。 でも、人為的って事だけはハッキリしたわね。」

「ってこたぁ、ドクター碇は、テロの標的になったっていうことか?」

「…アル、さっきの管制官に話を聞いた時に、拳銃を出したでしょ?」

「う…だ、それは、あいつらが結構強情で…」

「という事は、緘口令が敷かれているのよ。 この件に関して。」

アルを見るカーチャの瞳が”キラリ”と輝く。

”プルルル、プルルル、プルルル…”

「電話か…こりゃまた、ナイスなタイミングだな。」

黒人男性は、肩を竦めた。

「そうね、多分、この件に関して…かしら。」

アルは、コーヒーを飲み干して受話器を上げる。

「…はい、もしもし。」

カーチャは、アルから空になったコーヒーカップを受け取って台所へ向かった。



………支部長室。



青いカーペットを敷いた部屋から、紅茶色の髪をボブカットにした女性の声が聞こえる。

その女性は、かなり不満があるのか、彼女の声色からは、イラ立ちを感じる。

「…捜索するな、とは、どういう事でしょうか?」

「今、説明をしたと思うが?」

女性に答えたのは、この部屋の主であるタッカーだった。

「上からの指示、だけでは分かりません。」

「ふむ。 君たち軍人は、無条件に上の指示に従うのが仕事ではないのかね?」

「オレたちを現地調達の雑兵扱いすんのかよ……」

最強部隊の一員であったプライドを傷つけられたアルが、掴みかかろうと一歩前に出たが、

 カーチャが、ソレよりも素早く彼の前に手を伸ばして制止させた。

「もちろんそうですが……それは、明確な根拠があって、ですわ。」

「これは、命令だ。 黙って従ってもらおう。」

「現在出されている、”先ほど”の待機命令ですか?」

「そうだ。」

「…了解しました。」

「お、おい、カーチャ。」

了承を告げた女性に、アルが驚く。

「アル、行きましょ。」

彼に向けたカーチャの顔は、”にこやか”な笑顔だった。

(こういう顔ん時は、何かあるな…)

長い付き合いだからこそ彼女が怒っているのが分かる。 こういう時に逆らってはダメだ。

「了解。 タッカー支部長、大変失礼しました。 では、退室します。」

タッカーは、部屋を出て行く二人を見て、座っていたイスの背もたれに体重を預けた。

「…ふぅ。 分かってくれて良かったよ。」



………夜、砂漠。



トイレ騒動から5時間後、ユイの足は止まってしまった。

慣れぬ砂地での徒歩という労働に、彼女の足が悲鳴を上げたのだ。

その後、彼女は息子に背負われて砂漠を移動することになった。

ユイは、息子の歩く単調な揺れと今までの疲労により、だんだん意識が朦朧としてくる。 

寝ているのか、起きているのか、よく分からない状態がどれ位続いたのだろうか。

シンジは、変わらぬ歩調で一回も休まず歩き続けていた。

再び、ユイの瞳が開いた時、どれくらいの時間が経ったのだろうか、辺りは既に暗くなっていた。

「ん? 起きた? 母さん。」

「あ、シンジ…」

ユイは”ぼー”とした顔で辺りを見渡した。

歩き始めた時から、何も変化していないような景色。 


……違うのは、もう太陽が沈んでしまったことくらいだろうか?


「しんちゃん、まさか…あなた、ずっと歩いていたの?」

「うん、そうだよ。 余り速度を上げられなかったから、進めたのは30kmくらいかな。」

まさか、もう半分近く進んでいるなんて、と母は驚いたが、それよりも彼女は、息子の体が心配になった。

「ちょっと、降ろして。」

「ん、分かった。」

シンジは、足を止めてユイを降ろしてあげた。

「今日は、ここまで。 しんちゃん、休んで頂戴。」

「僕は平気だよ? 疲れていないし。」

「どこの世界に一度の休憩もなしに、人を背負って砂漠を70km歩ける人間がいるのよ? 

 それに、私たち、監視されているんでしょ?」

ユイは、息子を休ませる為に強い口調で言った。

「だから、今日はここまで。 いいわね?」

「ふぅ。 そうだね。 分かった。 今日はここで休もう。」

腰を下ろした息子は、ザックの中から固形燃料を取り出した。



………総司令官執務室。



広大な部屋。

”ピピ…”

特殊端末に新着メールが1件と表示された。

「む?」

《…ゲンドウさん、電話が出来なくてごめんなさいね。》

そのメールは、男が待ち焦がれていた女性からだった。

(…ユイ、何かあったのか?)

ゲンドウは食い入るように画面を見詰めた。

《詳しい事は後で電話しますけれど、私とシンジは無事です。 …あなた、また後でね。》

しかし、男の期待とは裏腹に、その文面は非常に短いモノだった。

ゲンドウは、しばらくその文面を見詰めて、ゆっくりと瞳を閉じた。

(私と、シンジは無事? と言うことは、やはり何かったのだな?)

ゲンドウは、机にある受話器を手に取った。

「私だ。 第2支部長を呼べ。」

『……お待たせしました。 お繋ぎ致します。』

女性オペレーターの声で、回線が繋がった。

『…タッカーです。 予算委員会以来ですな…』

「碇ユイとサードはどうした?」

『ご存知ありませんか? お二人は、まだ第2支部に到着されておりません。』

「…何があったのだ?」

(聞かれれば、教えてよい…だったな。)

タッカーは一息ついてから、遥か彼方の特殊な地下空間にいる日本人に答えた。

『ふぅ。 どうやら、事故に遭われたようです。』

「事故だと!?」

(…ほぉ、珍しい。)

タッカーは、初めてこの男の感情の込もった声を聞いた。

『ええ。 当事者の家族であり、

 この組織の最高責任者である…あなたへの報告義務は特例により解除されております。 

 これが何を意味するのか、お分かりになりますね?』

ゲンドウのサングラスの奥の目が細まった。

(…特例だと? 人類補完委員会、いや…ゼーレか?)

理解したゲンドウの口調がいつものように不遜なものに変わった。

「…タッカー第2支部長、碇ユイを頼む。 以上だ。」

『はい、了解しました。』

その返事を聞いたゲンドウは、静かに受話器を置いた。



………翌日、ジオフロント。



レイは、初号機起動実験の後、本部に泊り込んだ。

かなり遅くなってしまったから、無理をして家に帰る必要もない、と考えてマユミに電話をしたのだ。

翌朝、目覚めた彼女は、第壱中の制服を着てジオフロントを散歩していた。

先の使徒戦に於いて破壊されたジオフロントは、

 整備部のジェットアローンによって、ほぼ完全に修復されていた。

レイが何気なく足を止めて地底湖を見ていると、後ろから声を掛けられた。

「あら、ファーストじゃない。」

蒼銀の少女が振り向くと、紅茶色の髪を揺らすアスカが立っていた。

「…なに?」

「アンタ、初号機の起動実験、失敗したんですってね?」

アスカの顔に、薄い笑いが浮かんでいる。

「…ええ。」

レイは無表情に答えた。

「こんな所でなにやっているのよ?」

「昨日、NERV本部に泊まったから。」

「学校に行く時間よ、これからアンタも行くんでしょ?」

「…いいえ。」

「は?」

「行かないわ。」

「なんでよ?」

「…碇君がいないもの。」

レイはアスカを見ていた瞳を、青い地底湖へ戻して答えた。

「ああ、特命任務ってヤツ? なにやってんだか知らないけれど、ココにいないのよねぇ、アイツ。」

アスカは歩いてレイの隣に立った。

「……ま。 そろそろ行かないと、遅刻するわよ? 行かない何て言っておきながら、

 アンタが手に持ってんの、学校のカバンでしょ?」

レイは自分の手を見た。 確かにそこには、茶色い学校のカバンがある。

(…無意識に持っていたのね。 これは習性?)

蒼銀の少女は、少し首を捻ったが、隣の少女にムリヤリ背中を押された。

「ほら、早く歩けっての!」

「あなたに強制される覚えはないわ。」

「私だけ学校に行くのは納得出来ないわ。 だから、あんたも学校に行くのよ!」

レイの脳裏に、なるべく学校には行こうね…と言っていたシンジの顔がよぎる。

「…判ったわ。 だから、押さないで。」

こうして、レイはアスカと地上に向かって歩き出した。



………夜空。



砂漠の空は、満天の星に輝いていた。 月明かりもあり、かなり明るい。

シンジは、長時間燃焼し続けている小さな炎を見ていた。

ユイは、息子の横に座り、暖を取るために彼にもたれかかるようしていた。

二人は、エマージェンシーキットに入っていた一枚の防寒用アルミフィルムで身体を包むようにしている。

「ねぇ、シンジ。」

母は、まるで恋人に向けるような穏やかな表情をシンジに向けた。

「なに?」

彼女は、小さな炎の光に反射する息子の顔に見惚れてしまった。

(…シンジ……我が子ながら、かっこいいわ。)

ユイは”ジッ”とシンジの顔を見ながら疑問を口にした。

「………どうして、ゼーレは突然、私たちを襲ったのかしら?」

シンジは、母に顔を向けて答えた。

「う〜ん。 たぶん、計画実行者への不審と、彼と裏で繋がっている加持リョウジの仕事のせい、かな。」

「ゼーレの計画実行者……ゲンドウさん?」

母は、シンジの視線から逃げるように、目の前の小さな炎へ視線を動かした。

白銀の少年は、夜空の星へ真紅の瞳を動かして言葉を続ける。

「そう。 父さんが加持リョウジに、第一艦隊に隠されているアダムを見つけて来いって指示を出したんだ。

 その指示通り、加持リョウジはアダムを見つけ、父さんに横流しした。

 でも、その後始末がお粗末だったのさ。

 アダムを隠していた魚雷を、そのまま放置しちゃ、誰かが盗んだって言っているようなものだよ?

 その空になった魚雷を回収したゼーレが、一連の事情を知る者へ疑いの目を向けた………」

ユイは息子の言葉を聞きながら、目の前の炎を見るとなしに見ていた。

「だからって、何で私たちを…」

「簡単な事だよ。 僕たちは彼らのシナリオにいないからね。」

「え? いない?」

意外な言葉に、ユイはシンジを見た。

「そうだよ。 発見されなかった適格者、コアに眠っているはずの母親。 ゼーレの計画にはないだろ?」


……風もない砂漠の夜は、非常に静かだった。


「…でも。」

「まぁ、普通に考えれば、利用価値は高いと思うよ? そのシナリオに拘らなければ。 

 でも、彼らは、自分達で立てた計画が旨くいくと思っているからね。 不安要素はない方がいいのさ。」

「そう。 ………そうかもしれないわね。」

シンジは、しばらく炎を見てから母に視線を動かした。

「うん。 だから、碇ゲンドウへの警告を兼ねて、僕らを消そうとしたんじゃないかな。 

 ゼーレにとって、僕は不確定要素だから。

 碇ユイという人物もそうだよ。 初号機からのサルベージはイレギュラーな事態だからね。

 初号機が僕以外の人では動かせないっていう事実をゼーレは知らないから………

 だから、もしかすると……この際、集めてあるパイロット候補からフォースチルドレンでも選出して、

 初号機のコアに新たな魂を入れるつもりだったんじゃないかな。」

シンジは、再び空に輝く満天の星に視線を向けて静かに語った。

(そうよね。 コアに私がいなくなれば、ゼーレは誰でもいい、と考えるかもしれないわね。)

「……ありがとう、シンジ。 ぐすっ…ぅ…ごめんなさいね…」

「え? ぁ、母さん…」

ユイは、命を狙われるリスクを感じさせずに、快く自分をサルベージしてくれた息子に、

 ただ、泣いて縋ることしか出来なかった。



………市立第壱中学校。



アスカと共に登校して来たレイは、転校してきた時のように、拒絶の雰囲気を纏っていた。

話しかけよう、そういう気にさせない。

「おはよう、アスカ。 ねぇ…綾波さん、何かあったの?」

頬杖をついて窓の外を眺めている蒼銀の少女を見ながら、ヒカリが聞いた。

「ああ、アイツ。 …多分、シンジがいないからじゃない?」

「え? 碇君がいないって?」

クラスにいる生徒は何気にこの会話を聞いていた。

「詳しくは知らないけれど、別の仕事で今この街にいないって聞いているわ。」

「そうなんだ。 綾波さん、淋しいのね…」

「ハッ。 大げさなのよ。」

アスカは、バカバカしい…と大げさに肩を竦めた。

その横に立つヒカリは、レイの状況を自分に置き換えて想像してみる。

(もし、鈴原が突然どこかに行っちゃったら……)

お下げの少女は、レイがどれだけシンジの事を想っているのか…何となく感じ取ることが出来た。

「アスカも好きな人が出来れば、判るわよ。」

「そんなもんかしらね〜 ん? …って、ヒカリ、好きな人いるの?」

このクラスでは、公認のカップルであるから久しく聞かれなかった質問に、自然とヒカリの顔が紅くなる。

「い、いるわよ。」

「へぇ〜 誰よ、ダレ?」

イスに座っていたアスカが、”ガタン”と立ち上がって隣に立っている少女に”ズイッ”と顔を近づけた。

その勢いに一歩引いたヒカリが、”もごもご”としてから、やっと口を開いた時、チャイムが鳴った。

「だ、だれって…」

”キーンコーンカーンコーン”

「あ! 席に戻らなくちゃ!」

お下げの学級委員長は、”パタパタ”と小走りに自分の席に戻っていった。



………放課後。



レイにとって詰まらない土曜日の学校は、午前中だけで終わった。

カバンに荷物を入れて席を立った時、彼女に声を掛けてくる人物がいた。

「ちょっと、ファースト。」

「…なに?」

視線だけを動かすと、紅茶色の髪の少女が立っていた。

「アンタ、これからどうすんのよ?」

「帰る。」

言葉少なく答えた蒼銀の少女は、再びカバンに荷物を入れ始める。

「用がないなら、ちょっと付き合いなさいよ。」

「いや。」

「NERVに付き合えって言ってんのよ!」

レイは、少し不思議そうな目をアスカに向けた。

「特に用は無いわ。」

「格闘技の訓練に付き合って欲しいのよ。 本部の教官じゃ、相手にならなくてね。」

これは、アスカの嘘だった。 彼女は、昨晩ファーストチルドレンが初号機の起動実験を失敗したことで、

 シンジやレイの実力が、ウワサで聞くほど大したモノではないのでは? と思ったのだった。

やはり、自分がNO.1でなくては。 それに…ちょうど、あの男がいないのだ。 

この澄ました女をコテンパンに伸して、どちらが上か”ハッキリ”と分からせてやろう、と考えたのだ。

レイは、少しの間、アスカの顔を見て”コクリ”と返事をした。

「…いいわ。」

「よし。 じゃ、NERVに行くわよ!」

教室を出たアスカとレイは、中学校の近くのバス停に向かった。



………NERV本部。



「この稟議書について、二、三質問がある。」

「はい。」

副司令官の執務室に、赤いジャケットの女性が呼ばれていた。

イスに座っている男は、冬月コウゾウ。 ロマンスグレーの髪はいつも通りオールバックに整えられている。

その仕事用の大きな机の前に、直立不動の姿勢で立っているのは、葛城ミサトだった。

「現在、セカンドチルドレンは、ジオフロントのFブロック…要人用住居エリアに住んでいる。」

冬月は、金属製の机に設置されている自分専用のパソコンを操作しながら話を進めた。

「はい。」

「強制的に…つまり、命令でキミと住居を共にする、これのメリットは何かね?」

ミサトは、副司令官の言い様に目を大きくした。

「強制的って……はい、確かに命令です。 副司令は、セカンドのケアを考えろ、と仰いました。」

「その通りだ。」

「彼女は、まだ子供です。 その多感な成長期である彼女には、

 人類の危機を救う戦いの最前線に立つパイロットとしての重責が課せられています。

 彼女の負担を軽減することも、我々大人の務め…と考えました。」

「彼女の生活のサポートをする。 要約すると、そう言う事かね?」

「はい。」

「作戦課長とEVAパイロット。 NERVの重要人物が一箇所に集まることになるな。

 ……コレについてキミは、どう考えている?」

「はい。 保安部の負担は減る、と考えます。 

 現在、私の住むマンションのセキュリティレベルは問題ないレベルだと判断しています。」

冬月は、この案が上手くいくのか、事前に赤木博士に頼み、MAGIに判断させていた。

「この案に対するMAGIの支持は57%だった。」

「え…」

その数字は、ミサトの予想は遥かに下回る支持率だった。

「司令部は、君の提案に一応の許可を出すが…最終決定は、セカンドチルドレンの意思に委ねる。」

コウゾウの言葉に、ミサトは敬礼して答えた

「ハッ。 了解しました。」



………道場。



「さ、始めるわよ。」

動き易いトレーニングウェア…所謂、ジャージに着替えた二人の少女が、NERVの訓練施設を訪れていた。

「ええ。」

NERVの訓練施設は、本部施設内に数多く用意されている。

その施設の中でも、畳を敷かれたこの部屋は、主に柔道などの訓練に使われていた。

一歩前に出て構えたアスカは、赤いジャージに髪を一本の三つ編みに結わえている。

その動きに合せて、同じように一歩足を出した蒼銀の少女は、青いジャージを着ていた。

お互いの手には、拳を傷めないように、格闘用のグローブが着用されていた。

アスカが腰を落とし、しなやかに動いて間合いを取り始める。

レイは両手を構えて、静かに相手の動きを見ていた。



………発令所。



「センパイ、宜しいですか?」

「どうしたの、マヤ?」

右側のオペレーター席に座っているショートカットの女性が、コーヒーを飲んでいる上司に声を掛けた。

「コレを見てください。」

「あら…」

マヤの指差したモニターには、格闘技訓練に使用する道場が映っていた。

「どうしたんだい、マヤちゃん?」

その隣に座っていた日向も、手を休めて彼女の目の前のモニターを覗き込んだ。

「チルドレン同士の格闘訓練……ですか?」

マヤが画面を見て少し眉を寄せた。

リツコは興味深い目を画面に向けて答えた。

「そうみたいね。」

青葉シゲルもその様子を見ようと、自分の端末を操作した。

「お、始まるみたいだな。」



………道場。



「…訓練、何をするの?」

レイが静かに問うた。

「格闘訓練って言ったでしょ!」

アスカは構えながら、時計回りに移動する。

「ルールは?」

「急所禁止、寝技はなしの立ち技のみって感じでどうよ?」

「構わないわ。」

レイが、その言葉を言い終えた瞬間、相手であるアスカが一気に間合いを詰めた。

”ダッ!”

そして、蒼いジャージの懐に飛び込むと、左のフックを蒼銀の少女の顔面に放った。

”ドスッ!”

「ぐぇ!」

しかし、苦しそうな声を出したのは、アスカだった。

「…寸止め。」

レイは、アスカの左フックを避けて、カウンター気味に掌底を彼女の腹に当てていた。

「ちょ、何が”寸止め”よ!! 当たっているわよ!! 痛いじゃない!」

数歩下がって、ダメージを受けたお腹に手を当てたアスカの猛抗議に、レイは静かに答えた。

「…ある意味で。」

蒼銀の少女が言った言葉は嘘ではない。 彼女が本気で打ち込んだら相手は重傷の上、気絶しているだろう。

「…訓練だもの。 続き。」

腹に手を当てている赤いジャージの少女に向けて、レイが滑るような足捌きで、音もなく間合いを詰める。 

慌てたように構えるアスカは、握る拳に力を込めた。

そして、アスカの固く握られていた拳がレイの顔に向けて放たれる。

”ヒュ!”

しかし、ソレは空を切る。



………発令所。



「こりゃ、レベルが違いすぎるな。」

なんとも言えない表情で感想を言うシゲルに、マコトが同意する。

「ああ、アスカちゃんもスゴイ動きなんだけれど、レイちゃん…強すぎるな。」

発令所の上級職員は、この道場の状況を静かに見ていた。

「さすが、”元”国連最強部隊の副隊長、だな。」

マヤが青葉シゲルを見て心配そうな顔になる。

「…でも、アスカちゃん、怪我しないかしら?」

「それは大丈夫だと思うわ。 レイちゃんは、一回もアスカの顔に向けて攻撃はしていないでしょう?

 つまり、かなり手加減をしている、という事だと思うわ。」

マヤの斜め後ろに立っている金髪の女性が、コーヒーを一飲みして言葉を続ける。

「ま。 これ以上見てもしょうがないわ。 さ、仕事…続けましょう。」

「あ、はい。 そうですね。 何かあれば連絡が入るでしょうし。」

マヤは、モニターを切り替えて、先ほど行っていた仕事の続きを始めた。



………道場。


「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」

訓練と称されたセカンドチルドレンによるファーストチルドレンへの実力診断は、

 開始から1時間が経っていた。

畳の上に力なく倒れ込んで苦しそうに肺に酸素を補給しているのは、紅茶色の髪の少女だ。

「…はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…」

格闘訓練で、コテンパンに伸されたのは、当然アスカの方だった。 レイは最強部隊の副隊長なのだ。

「…もう、やめる?」

アスカが瞳を上げると、自分を覗き込むように立っている蒼い髪が見えた。

「はぁ、はぁ…アンタ、なんで汗一つかいてないのよ?」

レイは、手に持っていたミネラルウォーターの入ったペットボトルに口をつけた。

”…こくっ、こくっ”

「…無駄な動き、してないから。」

「そういう問題じゃなくて……もう、いいわよ。 今日はもうお終い! …はぁ〜もぅ、くたくた。」

アスカは”ぐったり”と畳に大の字になった。

(あ〜 結局、一回もかすりもしなかったなんて…くやしいを通り越して、いっそ、清々するわ…)

息が整ってくると、赤いジャージの少女は、ダルそうに立ち上がった。

「アンタ、特殊部隊にいたって聞いたけれど、ソレ本当?」

「…ええ。」

レイは、畳の上に座った。

「何で?」

質問の意味が分からなかったのか、蒼銀の少女は、小首を傾げた。

アスカは壁際に座って、自分の荷物の中から、紅茶の入ったペットボトルを取り出した。

「何でNERVから軍隊に行ったのかって聞いてんのよ!」

レイは少し逡巡して答えた。

(本当の事は言えないわ。)

「…碇司令の命令。」

「ふ〜ん。」

アスカは、詰まらなそうな顔で紅茶を飲んだ。

「アンタよりアイツの方が強いの?」


……レイは、立ち上がって荷物を手に持った。


「…碇君に勝てたこと、一度もないわ。」

(うげ、何よソレ。)

アスカの顔が引きつる。

「…さようなら。」

蒼銀の少女は、アスカを残して道場を出た。



………ネバダ。



アメリカ第2支部で、突然と自由待機となってしまった二人は、整備棟へ向かって歩いていた。

昨日…支部長から、決して捜索するな、と言われてしまったが、

 そのまま黙っているほど、この二人はバカではない。

タッカーの支部長室を辞した後、アルとカーチャは部屋に戻り、これからどうするかを検討していた。

まず、ドクター碇に何があったのか? 

管制塔のシステム障害やロストした機影から、飛行機は墜落した可能性が高いと二人は判断した。

では、ユイ・碇は死亡したのか?

可能性は低い、とカーチャは考えた。 なぜなら、彼女は超が付くVIPであり、

 事故やテロに対しては、十分な対策と対応が計られているのが当然だからだ。

では、自分達と釣り合いの取れるほどの護衛…その人物は誰か、という事を話していた。

「オレは自惚れて言うわけじゃないが、トライフォースの隊員二人を護衛につけるんだ。

 同レベルっていうのは、かなり厳しい注文だと思うぜ?」

アルは、イスの背もたれに寄りかかってカーチャを見た。

「そうよね。 でも、彼女が出発した日本には私たちより腕の立つ人物が最低でも二人いるわ。」

「まさか…隊長や、副隊長だっていうのか?」

「ええ、どちらか一人でしょうけれど、可能性は高いんじゃないかしら?」

「……仮に、隊長だとしたら…」

「間違いなく、ドクター碇は無事よ。 って、ドクター碇…碇ユイってもしかしたら、隊長の母親かしら?」

今まで想像もしていなかった事に、カーチャは青い瞳を大きくした。

「おお、そうかもな! 隊長の名前も碇、だもんなぁ。」

アルも手を”ポンッ”と打ってカーチャに相槌を打った。

「アル、気象データをダウンロードして頂戴。」

「了解。 隊長を迎えに行くんだな?」

アルはパソコンに向かいながら”ニヤッ”と笑った。

「ふふっ。 表向きには、私とアナタは明日、休暇を取ってドライブを楽しむって感じにしましょう。」

「ベガスまでか?」

「いいえ。 目的地は特に設定しないわ。 ドライブよ。 ただのね。」

カーチャは別の端末で、休暇の申請を作成し始めた。


……そして、今。 


マクヴィ秘書官に教えてもらった整備棟へ二人は向かっていた。

彼女に、車をレンタルしたい…と聞いたら、整備部の車を使っていい、と許可を貰ったのだ。

”ガチャ”

「失礼します。」

二人は整備棟の事務室に入って行った。



………砂漠。



シンジとユイは、ひたすら歩いていた。

自然と会話は少なく……というよりも、ユイに会話をする余力はなかった。

既に太陽は天高くあり、砂漠の地平線は陽炎に揺れている。

「はぁ…はぁ…はぁ…」

「…大丈夫? 母さん。」

「え、ええ。 何とかね。」

ユイはシンジから渡された、ペットボトルを呷った。

「今日なのよね?」

「うん。 そうだよ。」

「大丈夫かしら…」

「綾波がいるから、大丈夫。 後で、彼女と相談してみるよ。」

シンジは涼しげな笑顔を母親に向けた。


 
………砂地。



”グォォォン…ヴォォォォォ……”


陸軍御用達の巨大な四輪駆動車が砂煙を上げて走っている。

道なき道を突き進むグレーの自動車、ハンヴィーの横には、大きな白い《 UN 》の文字があった。

「しっかし普通の乗用車を用意された時には、どうしようかと思ったぜ。」

左の運転席に座る黒人が、右の助手席に座る女性に顔を向けた。

その女性は、周辺地図を見ていた目を男の方へ動かして同意した。

「そうね。 でも、普通の人なら、ドライブに使う車は道路の上を走る、と思うのは当然のことじゃない?」

「ハハハッ。 確かに。」

”…ゴゥ!”

ゴツいタイヤが、大量の砂を蹴り飛ばす。

「この車にしてくれ、って言った時のあの男は、物凄く不思議そうな顔をしていたもんな。」

アルは、整備棟の職員が車の鍵を貸してくれた時の事を思い出した。

「ふふっ。 そうね。 休暇に使う車じゃないかもね。」

カーチャは笑いながら答えた。

「なぁ、こっちの方角で間違ってないよな?」

アルが指差した方角を見て、カーチャはナビの画面と地図を比較して確認する。

「ええ、合っているわ。 昨日の気象データを基に予測したポイントから、

 隊長が真っ直ぐ第2支部を目指しているなら、絶対に会えるわよ。」

彼女は、そう言って自信に満ちた目を前にやった。

しかし、そのフロントガラスの先には、まだ変わらぬ砂の地平線しか見えなかった。



………砂漠。



シンジとユイは、木陰で休憩していた。

もしこの大木を第3新東京市で見かけたならば、かなりみすぼらしい枯れ木として見過ごしていたであろう。

しかし、ユイの瞳には、涼しげな木陰を作ってくれているこの木は、何者にも勝る立派な大木に見えた。

「…はぁ。 太陽の光がないだけで、だいぶ楽な気がするわ。」

「そうだね。」

「ねぇ、シンジ。 さっきの話なんだけれど……あと、どれくらいなの?」

母は心配そうな表情でシンジを見る。

「う〜ん、細かい時間は分からないよ。 今日っていうのも”前史の記録”だから。 

 もしかしたらズレが生まれているかもしれない。」

シンジは枯れ木にもたれながら答えた。

「…そう。 でも…今、日本に向かっても間に合わないのよね。」

「うん。 まぁ、しょうがないよ。」

『マスター、車がこちらに向かってきています。』

シンジは、地面に置いたザックから波動で話しかけられた。

「…車?」

「え?」

ユイは、息子の独り言のような言葉に反応した。

『はい、四輪駆動車、ハンヴィーがこちらに参ります。 あと、30分の距離です。』

「こんな砂漠に軍用車か。 民間人ではないね。」

シンジは、ドーラの報告に自分達の目的地である国連施設からの車だと考えた。

「しんちゃん?」

「母さん、敵か味方か分からないけれど、NERVから迎えがココに来るみたいだよ?」

「しんちゃんは、敵だと思う? それとも味方だと思う?」

「多分、敵じゃないよ。 車が来るまで、ここで休んでいよう。」

「ええ、分かったわ。」



………30分後。



”ドゥッ…ヴァァァァアアア…”

この車は、相変わらず起伏に富んだ地形を一直線に進んでいた。

「アル、停まって!」

「おう、あの木の陰だな!」

黒人男性がブレーキペダルを踏み込む。

”ザァァァアア…”

”ガチャ!”と車のドアを開けて、カーチャが外に飛び出した。

アルもエンジンを停止させると、女性に続いて車を飛び降りた。

彼らが向かう50m先の木陰から、一人の男性の姿が見えた。

「隊長!!」

その男の姿を認めたカーチャが叫んで、走った。

「隊長!」

アルもカーチャに続いた。

二人が見た男は、一歩、一歩と足を進める。

「やぁ、久しぶりだね。」

太陽の下に出てきた男性の髪が白銀に輝いていた。

嬉しそうな顔で、アルとカーチャはシンジの許へ駆け寄った。

「やっぱり!」


……アルは破顔一笑する。


「良かった! 隊長!」

そして、カーチャが嬉しさの余り抱きついた。 普段冷静な彼女には、とても珍しい感情の表現だった。

これは、飛行機からの脱出や砂漠の横断など、自分でシミュレートした状況が非常に厳しいモノだったから、

 シンジの無事な姿を見て、感極まった…という処だろう。

”ぎゅ!”と抱き付かれたシンジは、身動きが出来ないのか、しばらく固まっていたが、

 ゆっくりと彼女の両肩に手を乗せた。

「心配掛けちゃったね。 でも、キミ達が迎えに来てくれて嬉しいよ。」

「本当に、本当に無事で良かったです、隊長…」

「カーチャが、色々考えてくれたんです。 理由は分かりませんが、捜索は禁止されていましたから。」

カーチャの横に立ったアルが説明をする。

「そうか、やっぱり。」

「シンジ、この人たちは?」

シンジの後ろの木陰から日本人の歳若い女性が出てくる。

「あ、母さん、紹介するよ。」

その言葉に、自分たちだけではないと気が付いた女性は、顔を紅くしたまま背筋を伸ばして敬礼した。

「失礼しました。 初めまして、カーチャ・ウィリアムズです。」

体格の良い男も敬礼した。

「初めまして、アル・ジャックロウです。」

「初めまして、碇・ユイです。」

ユイは、”ペコリ”とお辞儀して二人に挨拶を返した。



………車内。



「隊長、もう間もなく着きます。」

アルの言葉に、シンジは車の先に視線をやった。

車の先にコンクリートの高い塀に囲まれた広大な施設が見えてくる。

その中心にある細長いビルが一際大きく、全ての周りを見渡しているかのようだった。

自動車の後部座席に座っている白銀の少年が、前に座る二人に声を掛けた。

「ありがとう、助かったよ。 アル、カーチャ。」

入口の警備兵がセンサーで車をチェックする。

「こうやって、爆発物がないか、毎回チェックするみたいです。」

カーチャが振り向いて説明する横で、アルが警備兵に後ろの二人の説明をしている。

「だから、支部長へ連絡したNERVの職員だよ! ID?」

運転席の男が後ろを向いた。

「隊長、IDカード持っていますか?」

「ごめん、荷物は持ってこられるような状況じゃなかったんだ。」

「あ、そりゃそうか。」

シンジが答えると、再びアルは窓の横に立つ警備兵とやり取りし始めた。

「支部長へ連絡するから待ってろって…」

そう言うと、彼は技術系職員の茶色い制服の胸ポケットから、支給品の黒い携帯電話を取り出した。

「…もしもし、アル・ジャックロウです。 マクヴィ秘書官、すみませんが支部長をお願いできますか?」

しばらく沈黙の時間が過ぎると、アルが説明を始める。

「すみません、タッカー支部長。 ドライブをしていたら、偶然ドクター碇に会いまして。

 彼女を第2支部へ連れてきたのですが、IDカードを忘れてしまったようで。 ええ。

 正門で止められて入れないのです。 …はい。 分かりました、代わります。」

アルは、警備兵に携帯を渡した。

「…ハッ。 了解しました。」

責任者の指示によって、ようやくシンジ達はアメリカ第2支部の敷地に入ることが出来た。



………支部長室。



青い絨毯が敷かれている部屋に通された4人は、この部屋の主を待つ時間、応接用のソファーに座っていた。

”ガチャ”と扉が開くと、ブロンドの髪を七三に分けた男と、

 金髪で背の高い細身の男性、眼鏡を掛けたスーツ姿の女性が入って来た。

シンジ、ユイ、アル、カーチャはそれぞれ腰を上げた。

「初めまして、第2支部長のタッカーです。 この度は大変な旅路だったようですな、ドクター碇。」

これが、握手を求めてきた鼻の大きな男の第一声だった。

「ええ。 大変…貴重な体験をしましたわ。」

朗らかな笑顔で答えた女性は、少し腹の出た男と握手を交わした。

「キミが、サードチルドレンの碇シンジ君かね?」

「はい。 初めまして、カール・タッカー支部長。 これから母がお世話になります。」

シンジもタッカーと握手を交わした。

「初めまして、ドクター碇。 私は、エドワード・スミスです。 

 S2機関研究の助手を勤めさせて頂きます。」

背の高い、細身の男性がユイに握手を求める。

彼の頭の金髪は、カーチャと同じようなおかっぱであった。

「あ、初めまして。 碇ユイです。」

「初めまして、ドクター碇。 私はナタリー・マクヴィです。 支部長の秘書を務めています。」

「はい、よろしく。」

ユイは続けて、ブロンドの髪を結い上げている”パリッ”としたスーツ姿のメガネの女性と握手をする。

「さ、座って。 …少し話をしよう。」

タッカーはお茶を出すように指示を出すと、自分のイスに腰を掛けた。

シンジ達も先ほど座っていたソファーに腰掛ける。

「まずは、ドクター碇。 今回の件に関してですが………」

この第2支部長の話を要約すれば、ハッキリとは言わなかったが、

 上部組織からの通達で救助することが出来なかったことについての謝罪であった。

これから”ここ”を生活の場にし、また仕事の場とする世界的な天才、碇ユイに対する彼なりの配慮だった。

大人たちのやり取りの中、シンジのザックの中からドーラが波動を出した。

『マスター、イスラフェルが目覚めました。』

シンジは窓に目をやって意識を遥か彼方にいる少女に向けた。

『…了解。 綾波…聞こえる?』





駿河湾水際防衛作戦−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………NERV本部。



リツコは、パソコンのモニターを見ていた。

(後は、胸部の特殊装甲が出来上がれば改修は完了ね。)

そこに表示されているのは、LCLに浸かっている青い機体だった。

金髪の女性は、右手で机の脇に置いてあった白いコーヒーカップを取り口につける。

現在、技術開発部と整備部が行っている零号機の修理と改修作業も最終段階であった。

リツコがいるのは、技術開発部の会議室だった。 この部屋は、先ほどまで会議が行われていた。

これは週一で実施されている、整備部と技術開発部の定例的な意見交換会である。

”…カタカタカタ…”

金髪の女性の指がキーボードの上で踊るように動くと、MAGIに保存してあったデータが送られてくる。

”ピ!”

そのデータは、第六使徒の解析データだった。

リツコがその画面を見ていると、後ろに人の気配を感じた。

「…少し痩せたかな…」

男の声と同時に、いきなり自分の首に腕を回された。 

リツコは腕から逃れるように反射的に仰け反ると、白衣のポケットからペンを取り出して男の腕に当てた。

”カチッ…バチッバチッ!”

「ぬぐぉ!」

男の腕が突然の刺すような痛みから逃れるように離れる。 

”不愉快な”腕の拘束がなくなったリツコは、イスを回転させて男を見た。

「…相変わらずね、加持君。」

予想どおりの”だらしない格好”の男を見たリツコの瞳は、だいぶ冷たい。

「いてて。 …それなんだい? りっちゃん?」

「ペン型のスタンガンよ。 痴漢よけに作ってみたの。 ここNERV本部は女性職員が多いから。」

加持リョウジはペンの当たった部分を擦っている。

「…それに、先ほどの言葉は、立派なセクハラよ? 迂闊な発言は、身を滅ぼす種になるわ。」

いつの間にか入って来たミサトが、プラスチック製のファイルを振りかぶって加持の頭を勢いよく叩いた。

”スゥ…パコーン!”

「何やってんのよ! アンタは!」

「ぁいて! …葛城か。 …何も叩く事はないだろ?」

赤いジャケットの女性は、男の抗議の視線を無視した。

「アンタ、弐号機の引渡しが済んだんだから、さっさとドイツに帰りなさいよ!?」

「あれ? 聞いていないのか? 辞令が出てね…ここに居続けだよ。」

「げぇ〜」

ミサトがイヤそうな顔になった時だった。

リツコのパソコンに緊急を告げるアラームが表示された。

”ビー! ビー! ビー!”

同時にミサトの携帯も鳴る。

”ピリリリ…ピリリリ…”

「もしもし? 何ですって? 敵襲!! 直ぐ行くわ!!」



………第一発令所。



『警戒中の巡洋艦、”はるな”より入電……我、紀伊半島沖にて巨大な潜行物体を発見、データを送る。』

日向マコトが、宙に浮かぶようにあるホログラムディスプレーに表示されたデータを即座に解析する。

「受信データを照合!」

偶々発令所にいた副司令官、冬月がメインオペレーターのいるフロアからメインモニターを見詰めていた。

「…波長パターン、青! 使徒と確認!」

マコトの操作で、巨大スクリーンに敵性体の解析結果が表示された。

その報告を受けた冬月が、発令所に轟くような大きな声を上げる。

「総員、第一種戦闘配置!」

『了解。 総員、第一種戦闘配置!!』


……その30分後、ミサトが立てた作戦に対する準備は、滞る事なく終了した。


アスカは既に弐号機にエントリーを完了しており、赤い巨人は現在、空の上だった。

エヴァンゲリオン専用長距離輸送システムである、巨大全翼機が目指しているのは、

 第3新東京市より南東に位置する駿河湾であった。

陸路には、EVAのサポートを行う作業車が電車のように長い列を作っていた。

その中の一台、大型移動指揮車に乗り込んだ女性がマイクを握る。

「…先の戦闘によって、第3新東京市の迎撃システムは大きなダメージを受け、現在までの復旧率は26%。

 実戦における稼働率は、ゼロと言っていいわ。 従って今回は、上陸直前の目標を水際で一気に叩く!

 弐号機は目標に対し、パレットライフルによる牽制の後、近接戦闘でいくわよ! いい? アスカ?」

『了解!』

ミサトの目の前の画面には、赤いプラグスーツを着た少女が映っている。

彼女の表情は、自信に満ちていた。



………第一発令所。



”プシュ!”

蒼銀の少女がメインオペレーター席のフロアに現れた。

そこには、忙しくキーを叩く3人と、白衣を着た金髪の女性がいた。

「…遅れました。」

レイは、リツコの横に立った。

「作戦は、まだ始まっていないわ。」

「状況は?」

仕事モードの蒼銀の少女は、言葉少なく発令所の巨大3Dモニターに視線をやった。

彼女の問いに答えたのは、ショートカットのオペレーター、伊吹マヤだった。

「はい…現在、迎撃ポイントである駿河湾に向けてエヴァンゲリオン弐号機を空輸しています。

 また、現地で指揮を執る為、葛城作戦課長が大型移動指揮車で移動中です。

 合せて、EVA弐号機のサポートをする為に、鈴原課長を中心とした整備班が出ています。」

「現地で指揮を?」

なせ? と、レイは横に立つリツコを見た。

「ええ、ミサトが言うには、現場で指揮を執る方が良いってね。」

金髪の女性は、”やれやれ”といった呆れた表情だった。

「どちらにしても、MAGIのサポートを受けるんですから、現地にいてもしょうがないと思いますけど…」

そう言ったマヤが振り向いてリツコを見る。 その隣に立つ少女がマヤの意見に賛同した。

「…戦闘の邪魔になる可能性がある分、ここで指揮を執った方がいい。」

「そうよね。 現地に行く必要性はないわよね…」

リツコは、メインスクリーンに映る赤いジャケットの女性を見た。

その画面に映るミサトの瞳は、”ランラン”と輝いていた。



………カーゴ。



エントリープラグに映るのは、のどかな田園地帯。 山の緑色が太陽の光を反射して眩しかった。

”ぎゅっ”

(ん?)

アスカは、インテリアの操縦桿を固く握っている自分の手を見た。

(緊張…しているって言うの? 私が?)

彼女は”初陣”という事を意識しないようにしていたが、自分が無意識に固くなっていることに気が付いた。

アスカは、操縦桿から手を離して、”それ”を誤魔化すように軽口をたたき始めた。

「やーっと、日本でのデビュー戦かぁ。 エースの私と戦うなんて、今日の使徒は運がないわねぇ。」

”ピピ!”

『目標地点に到達しました。 ドッキングアウトのカウントダウンを開始します。』

「了解。」

アスカが応えると、エントリープラグに”10”という数字が表示されて、それが0に向かって動き出す。

『…4、3、2、1…EVA弐号機、ドッキングアウト。』

”ガシュ!”

ガイドレールの4本のロックボルトが解除されると、赤い巨人が地上に向けて投下された。

”ヒューーーーーー”



………地上。



その頃、地上に展開していた鈴原課長率いる整備班は、電源プラグ車を移動させていた。

「課長! 輸送機からEVAが切り離されました。」

「よし、全員、衝撃に備えるんや! EVAが降ってくるで!! 歯ぁ食い縛っとけ!!」


”ーーーゥゥウウウ………ガシィィィィンン!!”


弐号機の着地の衝撃が、地震のように大地を振るわせる。

”ピピー! ピピー! ピピー!”

ホイッスルの合図で、電源プラグ車が勢いよくバックする。

「電源を投入しておけ! よし!! プラグをEVAに繋げ!」

整備部の主任が素早く指示を出す。

”…ガシッ!”

外部電源に切り替わると、弐号機はゆっくりとした動作で立ち上がった。

「パレットライフル、ソニックグレイブのコンテナを解放しろ!」

巨大コンテナが左右に割れるように展開すると、巨大な兵器が姿を現す。

ソレを見たアスカは弐号機の左手に細身の薙刀を持ち、右手にパレットライフルを持った。

そして、白い砂浜を踏み締めて、遠くの水平線を見た。

エントリープラグに、MC−01と表示された通信ウィンドウが開く。

”ピュイン!”

『大丈夫? アスカ?』

「ハンッ! 当ったり前でしょ!?」

視線を水平線に向けたまま返事をしたアスカは、無意識に唇を舐めた。



………発令所。



多くの職員と数多の機器がフル稼働している、喧騒に包まれた第一発令所。

その最上段に用意されている席は、空席だった。

ゲンドウは、どこかに出ているのだろうか。 しかし、その横の定位置には通常通り副司令官が立っていた。

「…副司令。」

蒼銀の少女は、振り向き上を向いた。

「なにかね?」

冬月は、腰に手をやったまま少し視線を下に向けて返事をした。

「EVA独立中隊として、上申します。」

「うむ。」

「国連軍へN2爆雷を搭載した爆撃機の出撃を要請してください。」

「なぜかね?」

「はい。 最悪の事態を想定しました。」

隣に立っているリツコが、その言葉に少女の顔を見た。

「綾波三佐?」

「EVA弐号機パイロットは三尉とは言え、実戦経験がない新兵と同じです。 

 また、我々の敵である使徒は、どのような能力を持っているのか、現段階では分かっていません。

 N2で殲滅できるとは思いませんが、用意をしておく事は、決して無駄ではないと思います。」

冬月は目を細めた。

(…ふむ。 正論だな。 メンツに拘り人類が滅んでしまっては本末転倒か…)

「分かった。 許可しよう。 日向二尉、国連軍へ連絡をしてくれ。」

「ハッ! 了解しました。」



………駿河湾臨海部。



”…ドォォォン!!”

凪いだように静かな青い海に、巨大な水柱が立ち上がった。

日本一深い湾である駿河湾の海底から、人類の敵が現れた。

「ふん。 ようやく、お出でになったわね…」

EVA弐号機は、両手でパレットライフルを構える。

白い砂浜に立つ赤い巨人の左には、巨大な薙刀が突き立てられていた。

エントリープラグ02に、水平線をぶち割って現れた使徒が表示される。

巻き上げられた海水が、まるで雨のように降り落ちていた。


……第七の使徒、イスラフェルの襲来である。


弐号機より若干大きい使徒は、ずんぐりむっくりとした体型で、

 首のない身体の肩から足と同じような太さの腕が生えており、その先には鋭そうな鉤爪が3本ある。

胸の仮面は、今までの白一色だった使徒とは違って陰陽を表す対極図のようであった。

(あれがコアね。 弱点をさらすなんて、間抜けもいい処よ。)

アスカは、ターゲットマークを小さく絞って使徒の黒い身体の腹部にある赤い球にロックさせる。

いまだ射程距離外である。 アスカは歩みの遅い使徒にじれったい思いを感じていた。

「あ〜もぅ!! さっさとヤラレに来なさいよ!」

『落ち着いて、アスカ! 冷静に!』

リアルタイムに状況を見ている指揮官が、最善と思われるアドバイスを入れる。

「うっさいわよ!」

しかし、少女の反応はつれなかった。

『あんですって!?』

”ピピン!”

エントリープラグの赤かったターゲットマークが射程距離内を示すグリーンに変わった。

「よし!! いっけぇ!!!」

”カチッ”

アスカが操縦桿のトリガーを引くと、銃口からタングステン合金の弾が放たれる。


”ズドドドドドドドドド!!!!”


全ての弾は、まるで一本の矢のように正確にコアに着弾する。

”カチ、カチ…”

(何よ!! チッ! もう弾切れか…)

トリガーの感覚が変わり一瞬だけ操縦桿を見たアスカは、直ぐに視線を敵に向ける。

イスラフェルは、突然の銃撃に驚いたのか、動きを止めていた。

「え? やったの?」

『アスカ、まだよ!! 油断しないで!』

「わ、分かってるわよ!!」

弐号機は、弾の尽きたライフルを砂浜に捨てると、突き立てていたソニックグレイブを手に取る。

『使徒、侵攻を再開!!』

エントリープラグに聞こえたオペレーターの声のとおり、人類の敵は前進を開始した。

巨大な質量が迫ってくると、白い砂浜に津波のように大きな波が押し寄せてくる。

”ザァァア…ザァァア…”

「…ダメージを受けた様子はナシか。」

セカンドチルドレンは、敵の様子を見て操縦桿を握り直すと、決意を込めて一言小さく呟いた。

「アスカ、行くわよ。」

弐号機は、沖合の敵に向けて薙刀を構えると、一瞬腰を沈めてから弾けるように走り出した。



………移動指揮車。



戦術モニターに敵と走り出したEVAが表示されている。

カメラが映し出す戦況と、MAGIで補正された戦術マップを見るミサトの眼は厳しいモノがあった。

作戦担当として、次手を出さねばならなかった。

しかし、未だ敵の情報はないに等しい。

そんな指揮車に本部から通信が入った。

”ピピ”

「日向です。 国連軍の爆撃機は、あと600秒で現着。」

(…N2か。 ってこの位置じゃ、使うにしても近すぎるわ。)

横目でスピーカーを見たミサトは、マイクを手にした。

「了解。 日向君、国連軍機へ待機するように通達して頂戴。」

『はい、了解しました。』

「続けて、整備班へ…こちら指揮車の葛城です。 

 直ちに現場を離れてください。 距離は、最低でも3km。 以上、通信終わり。」

『整備班、了解。』

駿河湾臨海部に展開していた整備車両が、移動準備を始める。

「指揮車も後退、急いで!」

ミサトが戦術モニターを見ると、飛び上がった弐号機が廃ビルに着地する処だった。



………発令所。



発令所のメインスクリーンである、3Dモニターに駿河湾の戦況が映っている。

赤い特殊装甲を纏った巨人が、廃ビルを足場に身軽にジャンプを繰り返していた。

その滑らかな操縦を見ても、発令所のスタッフは前史のように驚きはしなかった。

ここには、それ以上の操縦をしたパイロットがいるのだから。

しかし、リツコはつぶやくようにアスカを評価した。

「初の実戦で、ここまで動けるなんて…さすが、というべきかしら?」

レイは、正面のモニターの弐号機の動きを観察しながら答えた。

「彼女は、何か…焦っているように見えます。 恐怖の裏返しでしょうか?」

「そうかも知れないわね。 自分が負ければ、人類が滅ぶ。 …中々体験できるプレッシャーじゃないわ。」



………ネバダ。



「…第七の使徒だと!?」

使徒襲来の一報を受けた第2支部長は、秘書官であるナタリーを呼び出した。

タッカーは、彼女にチルドレンであるシンジを日本へ送るために最上の手段を用意させた。

この元空軍基地に、一機のSSTOを手配したのだ。

「シンジ君、今から日本へ戻っても使徒戦には間に合わないかも知れない…

 だが、我々NERVは出来る事があればソレを全力でしなければならない。

 ここに着たばかりで直ぐに追い出すようですまないが……」

支部長室のタッカーの目の前には、白銀の少年が立っていた。

母の住居になる部屋を見た後、第2支部の様々な研究施設を見学していた時、

 ナタリーに支部長室に来てくれ、と呼び出されたのだ。

「いいえ、当然だと思います。 使徒が現れたのであれば、ソレが最優先されます。」

流暢な英語で返事した少年は、母の部屋に案内されたときに用意された服に着替えていた。

着ていた服は、砂漠を歩いて”ボロボロ”の状態だったのだ。

取り敢えず、と係員に用意されたのは司令官と同じ服。 

黒いズボンに黒い長袖。 首周りを留めるための三角形の金属プレートは金縁に緑色だった。


……つまり、父である碇ゲンドウと同じ服装である。


「あの、質問してもいいでしょうか?」

「なんだい?」

「この服って、どこにでもあるんですか?」

「各支部には、本部と同様に、各種の制服は全て用意されている。」

「なんで、この服なんですか?」

「キミは、ミスター碇のご子息だからね。 それに…」

金髪七三の男は、楽しそう目を少年に向けて彼の問いに答えた。

果たして、あの一種異様とも思える威圧的な雰囲気が出るのは、服のせいなのか、着る人のせいなのか…。

いい機会だから確かめたかったのだよ、とタッカーは言った。

「で、どうです? 変わりましたか?」

シンジは、支部を訪れたゲンドウを想像して、やや苦笑しながら少し腹の出た支部長に聞いた。

「ハハハハ!」

タッカーは愉快そうに腹を揺すった。

「…そうだね。 やっぱりデザインのせいではないようだ。 …おっと失言だった。 

 今のは聞かなかったことにしておいてくれ。 ミスター碇は私の上司だからね。」

第2支部長は、目尻に溜まった涙をティッシュで拭きながら言った。

黒い服を着た白銀の少年は、その様子を見て問う。

「…支部には、使徒の情報はリアルタイムで報告されているのですか?」

「いや、少しのタイムラグはあるさ。 最初の使徒戦が行われた時なんて、報告が来たのは3日後だった。」

…まぁ、始めて尽くしじゃ、しょうがないがね、とタッカーは言いながら、席を立った。

そして、彼が窓の外に目をやると、どうやら注文の品が到着したようだ。

「SSTOが着いたようだ。 整備と補給が終われば直ぐに出発だ。 頑張ってくれ。」

「ハッ、ありがとうございます。」

「ああ。 ドクター碇の護衛任務、ご苦労だった。 サードチルドレンの日本へ帰還を命ず。」

「はい。 …では、これより日本へ戻ります。」

その頃、日本の湾岸部では、異形の巨人…イスラフェルと赤い巨人との戦闘が開始されていた。



………駿河湾。



”ガキィィィィイインン!!!”

赤の巨人の渾身の一振りが、敵の爪で弾かれた。

『いいかげんに、ヤラレなさいよ!!』

発令所のスピーカーからセカンドチルドレンの怒声が響く。

一進一退の格闘戦が始まってから、1時間が経とうとしていた。

イスラフェルは、弐号機の苛烈な攻撃に対して、素早く反応して戦っていた。

”ガキィン! ゴキィィン!!”

使徒の鉤爪が、挟み込むように迫ってくるが、弐号機は素早く薙刀を動かして弾き返した。

そして、アスカはEVAを後退させて距離をとると、仕切り直しよ…とソニック・グレイブを再び構えた。

”ブォォオン! ヴォン!!”

ソニックグレイブを、”クルクル”と振り回して相手を威嚇する。

この兵器は、プログレッシブナイフと同じ超振動機能により、

 相手の分子間結合を解いてしまうという方法で素晴らしい切れ味を持つ薙刀であった。

”ヴォン! …ガキン!”


……そして、相手のスキをついて、振り向きざまに一気に横に払う。


”ズシャァァァア!!”

ATフィールドを中和された使徒は、腹の部分から横に真っ二つになってしまった。

”グラリ…”と上半身がゆっくりと後ろに倒れていく。

「やった!!」

赤いプラグスーツの少女は、満面の笑顔で歓声を上げた。

『アスカ! ナイスよ!』

「当ったり前よ!」

アスカは胸を反らせてミサトを見たが、その隣に新たな通信ウィンドウが開いた。

”ピュイン!”

『…弐号機パイロット、直ぐにコアに攻撃して。』

エントリープラグに抑揚のない声が聞こえた。

「は? 何でよ?」

アスカが通信ウィンドウに映ったレイに視線を向けた時だった。

使徒の切断面が波打つように動くと、切られた上半身を求めるように肉が動き出した。

「ちょ、ちょっと何よ、これぇ!?」

初めて見る使徒の超常の能力、その復元能力に、アスカは呆然とした表情で戦いの手を止めてしまった。

僅かな時間で、海中に沈んだ上半身がビデオの巻き戻しを見るかのようにくっ付いてしまった。

「そんな、うそでしょ!!」

戦場で、一瞬のスキを見せたのは、エヴァンゲリオン弐号機だった。

イスラフェルは右腕を引くと、素早く突き出した。 

黒く鋭い鉤爪が弐号機に迫る。 我に返ったアスカは、慌てて弐号機を動かしたが、少し遅かった。

”ガシュ!”

弐号機は、その攻撃で吹き飛ばされてしまう。

”ドォォン!”

移動指揮車の女性オペレーターが状況の報告を上げた。

『弐号機、肩部装甲中破!』

「くぅ!!」

その衝撃と痛覚にアスカの顔が歪む。

『大丈夫!? アスカ!!』

立ち上がろうと、顔を上げる弐号機に第七使徒が迫る。

まるで見下ろすように映る陰陽の仮面が不気味だった。

「まだまだ!!」

赤い巨人は素早く立ち上がり、ソニック・グレイブを構える。

マヤはパイロットの状態を示すモニターを見た。

「弐号機パイロットのシンクロ率、5.8ポイント下がりました。 現在、69.5%です。」

リツコは、ショートカットのオペレーターの見る画面に視線を向けた。

「集中力が落ちているのね。」

「戦闘開始から、既に1時間以上経っていますから。」

発令所で戦いを見ているレイは、いつの間にか席に戻った総司令官に顔を向けた。

「…碇司令。」

「なんだ?」

ゲンドウは、手を組んだまま少女に視線を落とした。

「EVA独立中隊に、作戦課直属のEVA弐号機に対する指揮権を認めてください。」

「…なぜだ?」

「葛城作戦課長はEVA弐号機に対して、当初の作戦以外の指揮をしていません。

 このままでは、弐号機パイロットの負担が増えるだけだと思います。」

その言葉を聞いた総司令官は、大型作戦指揮車にいる赤いジャケットの女性を呼んだ。

「…葛城一尉。」

『はい! 何でしょうか?』
 
「次手となる作戦、その指揮はどうなっている?」

モニターに映っている現地指揮官は、ゲンドウの鋭い視線に目を逸らしてしまった。

そして、一瞬の空白の時間が経つと、ミサトが答えた。

『当初の作戦どおり、弐号機は使徒と近接戦闘を行っています。 現在、状況は決して悪く有りません。

 このまま作戦の推移を見て、指揮を執りたいと思います。』

「次手、と聞いたのだ。」

『そ、それは…』


……ミサトに次手はない。


「…作戦状況によっては、EVA独立中隊の綾波三佐が指揮を引き継ぐ。」

最高司令官の言葉を上手く理解出来ないのか、ミサトは間の抜けた言葉を返した。

『は? ファーストチルドレンが、ですか?』

「そうだ。」

『しかし、それは…』

「決定事項だ。 判断は綾波三佐がする。」

”ピ!”

一方的な通信は、ミサトに反論の余地を与える事はなく終わった。

そんなやり取りは、最前線で戦っているアスカには伝わっていなかった。


……いや、そんな余裕はないようだ。


格闘、という戦い方に慣れてきた使徒の攻撃が、だんだん弐号機にかするように当たってきたのだ。

「クッ!! こいつ!!」

エントリープラグに映る使徒を睨む少女は、徐々に後退していた。

気が付けば、だいぶ砂浜に近付いていた。

「ミサト!! 何かないの!? 如何にかしなさいよ!!」

アスカは、MC−01の通信ウィンドウに向かって怒鳴った。

『臨海部には、支援できるような兵器はないわ。 アスカ、危ない!!』

ミサトの頭脳には、上空で待機している国連軍機の事はすでに消えていた。

使徒の左の鉤爪が、横に払うように弐号機に迫ってくる。

”ブンッ!”

アスカは、素早く弐号機を横に回転させてソレを避けた。

『現時刻を以って、EVA独立中隊は、作戦課直属のエヴァンゲリオンに対して指揮を執ります。』

エントリープラグに抑揚のない少女の声が聞こえた。

「は?」

アスカは何のことだろう、と少し混乱したが、次に聞こえたのは、MC−01の怒鳴るような声だった。

『な、何言ってんのよ!!! ちょ、…ちょっと、待ちなさい、レイ!』

移動指揮車の中を写すモニターの画面いっぱいに映ったのは、慌てるミサトだった。

『発令所より、EVA弐号機へ。 使徒を沖へ誘導、もしくは移動させなさい。』

「何言っているのよ、ファースト!!」

アスカは通信ウィンドウを睨んだが、そこに見えたのは、こちらの事を無視して言葉を続ける少女だった。

『…これは、命令。』

『アスカ、取り敢えず、レイの言うとおりに使徒を沖合に戻して!!』

ミサトは、レイの命令を聞くようにセカンドチルドレンへ通信を行ったが、

 そのマイクを握る手は悔しさと理不尽な怒りで震えていた。

「簡単に言わないでよね!!」

”ブン! ブン! ブン!”

アスカは敵の攻撃をかいくぐりながら叫んだ。

「って、調子に乗るな!!」

”ドカンッ!!”

そして赤い巨人の放ったキックが、イスラフェルの横っ腹にクリティカルヒットする。

その渾身の一撃に第七使徒は弾かれたように吹き飛んで、キレイな放物線を描くとそのまま海中へ落ちた。

”ヒュゥゥ……ドバッシャァァン!”

「いける!!」


……アスカの青い瞳が”キラリ”と輝いた。


敵である巨人は、海中から上手く立ち上がれないのか、”もたもた”としていた。

好機である。

このチャンスを逃すほど、セカンドチルドレンは愚かではなかった。

『EVA弐号機はそこで待機。』

発令所からそんな声が聞こえたが、アスカは無視した。

「見てなさい! ファースト!! コレがエースパイロットの力ってモンよ!!!」

再び沖合に立ち上がった使徒は、敵を見失ったのか…固まったように動かなかった。

廃ビルを足場に飛び上がった赤い巨人は、前史と同様に力いっぱい使徒を切り裂く。

”ズシャァァァァアア!!!”


……縦に真っ二つに。


これで、シンジがレイに頼んだ作戦は、パーになった。

中隊の隊長が少女にお願いしたのは、先にN2で爆撃し、

 自己修復のために動きを止めた使徒のコアを攻撃し殲滅する、という作戦だった。

使徒に勝利した弐号機は、”クルリ”と振り向いて、腰に手をやった。

『ふっふ〜ん、どうよ? ファースト?』

発令所の蒼銀の少女は、再び通信のスイッチを入れた。

「エヴァンゲリオン弐号機は、現戦闘域から直ちに離脱。」

『ナァ〜イス! アスカ!』

呑気なミサトの声が、レイの声を邪魔するように被ってしまう。

『え? 何よ!?』

アスカの声が引き金になったかのように、赤い巨人の背後の肉が蠢き始めた。

発令所の巨大3Dモニターを見るNERV職員全ての目が驚きに大きくなる。

『…まだ戦闘は終わっていないわ。』

(は? 何バカな事を言っているのよ?)

エントリープラグの少女は、発令所からの通信に首を捻って、何となく後ろを振り向いた。

アスカの瞳に映ったのは、黒い表皮の中のピンク色の肉。


……ソレが震えるように蠢いていた。


「え?」

アスカが”ぼけっ”とその様子を見ていると、再び発令所から声が聞こえた。

『弐号機、離脱して。』

しかし、弐号機が動くよりも早く敵が動き出した。

”ずるんっ!”という音がしたかのような動き。 皮が捲れて新しく出てきたのは、先ほどと同じ使徒。

少しだけ小さいが、数が増えていた。

『ぬぅあんてインチキ!!』

大型移動指揮車に映っている女性が、2つに分離した使徒を見て反射的に通信機を握りつぶしていた。

レイはため息をついて、上空に待機している爆撃機にN2爆雷の投下準備の指示を出していた。





闇夜の戦い………−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………第24会議室。



『本日、午前10時28分16秒、第七使徒襲来。』

学校の講堂のように席が階段状に用意されている部屋。 その照明が落とされた部屋にマヤの声が聞こえる。

”カシャ”と音がするたびに正面のスクリーンに映る映像が切り替わっていく。

『同30分、エヴァンゲリオン弐号機、交戦開始。』

”カシャ” 赤い巨人が使徒に向けてライフルを発砲する。

『パレットライフルによる牽制の後、近接戦闘を行うため、接敵機動開始。』

”カシャ” 弐号機が廃ビルを足場にジャンプしていた。

『以後、11時31分23秒まで、戦況に変化なし。』

”カシャ” 使徒を真横に分断した弐号機が立っていた。

『同38秒、弐号機の攻撃により、目標が一時活動停止。』

『やった!』

マヤのナレーションの後に、録音されていたアスカの声がこの部屋に響く。

その少女は、現在顔を下に向けて、この映像を一切見ていなかった。

『同56秒、使徒、活動を再開。』

”カシャ” 使徒の下半身に上半身がくっ付いた。

『ちょ、ちょっと何よ、これぇ!?』

『同32分2秒、目標の攻撃で弐号機の左肩部装甲損壊、中破。』

”カシャ” 吹き飛んだ赤い装甲が海面に落ちる。

『11時34分12秒、弐号機の攻撃により第七使徒、二体に分離。』

”カシャ” オレンジ色と白色の使徒がエヴァンゲリオン弐号機へ襲い掛かる。

『分離した目標、甲及び乙の波状攻撃を受けた弐号機は、駿河湾の沖合2kmの海上にて活動停止。』

”カシャ” 岩場に頭部を打った弐号機。 パイロットはこれで気絶した。

『同36分、N2爆雷により目標を攻撃。』

”カシャ” 地図が表示され、爆雷の爆心地が丸くえぐれている様子が映る。

『構成物質の28%の焼却に成功。』

自分の知らない部分になって、アスカは顔を上げて初めて映像を見た。

「やったの?」

「…足止めに過ぎん。 再度侵攻は時間の問題だ。」

少女に答えた副司令官の声は、イラ立ちを感じさせるモノだった。

「ま、建て直しの時間が稼げただけでも、儲けモノっすよ。」

アスカの後ろに座っている加持リョウジが声を上げる。

軽くシャワーを浴びて着替えたアスカの肩に、白いバスタオルが掛けられている。 

「セカンドチルドレン…」

威圧的な男の声は、モチロンこの組織のトップが発したモノだった。

「は、はい!!」

アスカは、反射的に立ち上がりながら振り向いて、最上段に座るサングラスの男を見た。

「なぜ、指示に従わなかった?」

「え、そ、それは…」

ファーストチルドレンが、自分より階級が上とは納得出来ない少女は、下を向いて目を落ち着きなく動かす。

「今…作戦に従事できるエヴァンゲリオンは、キミの弐号機だけだ。 それは理解しているな?」

「は、はい。」

「つまり、君の行動が人類の存続に多大な影響を及ぼすことは分かっていたハズだ。」

アスカは下唇を噛む。

「その事を、よく考えたまえ。」

”カチッ…フィィイン”

ゲンドウは、そう言うと机のスイッチを押して、リフターで会議室から階下へ移動して行った。

その男がいた場所の横にいるロマンスグレーの副司令官が口を開く。

「…惣流・アスカ・ラングレー。 君の仕事は何だか分かるか?」

その質問に、少女は少し逡巡して答えた。

「…エヴぁの操縦。」

「違う。 使徒に勝つことだ。 そして、使徒に対抗できるEVAの操縦は手段であり、目的ではない。」

海中に沈んだエヴァンゲリオンをJ.A.が持ち上げている写真が映る。

その情けない様子を見て、冬月は大げさなため息をつく。

「…恥をかかせおって。 二度とこのような事のないように、特務機関の一員としての自覚を持ちたまえ。」

ロマンスグレーの男は、総司令官と同様に、スイッチを操作した。

”カチッ…フィィイン”

トップの二人が退室したことで、事実上このブリーフィングは終了した。

そして終了の合図のように、暗かった部屋の蛍光灯が点灯した。

「あれ? ミサトは?」

このアスカの質問に、加持はおどけて答えた。

「後片付け。 責任者は責任を取る為にいるからな。」



………執務室。



机の上には、書類の山。 いや、山脈。 そう形容したくなるような量が載っている。

ミサトは、ゆっくりと視線を左から右へずらすように動かした。

「関係各省からの抗議文と被害報告書。 広報部からの苦情もあるわよ。」

「ふぅ…」

ミサトはため息をつく。

「ちゃんと、目を通しておいてね。」

リツコは、”がっくり”と肩を落としている女性に言った。

「読まなくても分かってるわよ。 喧嘩をするならココでやれって言うんでしょ。」

「ご明察。」

「言われなくたって、上でやれるんならやっているわよ。 使徒は必ず私が倒すわ。」

イスに座ったミサトは、ゲンドウのように手を組んだ。

「副司令はカンカンよ? 今度恥かかせたら左遷ね。 間違いなく。」

リツコは、大量の書類に被さるようにして彼女を見る。

イスの背もたれに体重を預けたミサトは、顔を上げて金髪の友人を見た。

「不幸中の幸いと言うか…碇司令が怒っていなかったのは助かったけれどね。」

「作戦を引き継いだ独立中隊と、快く協力してくれた国連軍のお陰ね。

 貴方だけの指揮だったら、間違いなくクビ……コレを見ることなくね。」

ミサトの顔が何かを期待するかのように明るい表情になった。

「んで、私の首が繋がるアイデア、持ってきてくれたんでしょ?」

リツコは怪訝な表情になって友人を見た。

「何を言っているの? ソレを考えるのは貴方の仕事でしょ?」

「へ?」

ミサトは、親友のつれない言葉に、目を大きくした。

「私だって暇じゃないの。 弐号機の修理をしなくちゃいけないんだから。 

 MAGIにより予測された使徒の再侵攻までの時間は少ないわ。 

 作戦課の責任者として、仕事を全うして頂戴。」

そう言うと、リツコはミサトの執務室を後にした。

「しょんなぁぁ…」

ミサトの情けない声が、書類に埋もれる部屋に力なく響いた。



………空。



シンジは、SSTOの柔らかなシートに身を沈めていた。

すでにネバダを出発して2時間。

先ほど、第七使徒に対する作戦とその結果を愛しい蒼銀の少女から教えて貰った。

そのレイから聞いた余り前史と変わらぬ状況に、少年はため息をつく思いだった。

(旨くいかないものだねぇ。 やっぱり、アスカは…アスカって事なのかな。 

 …いや、弐号機がダメージを負った分、前史より状況は悪いのかな?)

窓に見える星空を見るとなしに見て、シンジは考えていた。

白銀の少年は、出来る事ならば彼女には平穏な人生を送って欲しいと思っていたのだ。

これは前史、大人達の犠牲になった彼女に対するシンジの配慮だった。


……例え、それが彼女の思いを無視したものでも。 



………再び、執務室。



「えぇぇーーー!!」

アスカは思わず叫んでしまった。

彼女は、ブリーフィングの後、更衣室で着替えを終えて帰ろうとした時に、ミサトから呼び出されたのだ。

その上官の部屋に入ると、もう一人、白衣に金髪の女性がソファーに座っていた。

彼女は、使徒のデータを持ってくるついでに、副司令に渡された書類を持ってきたのだ。

アスカの目の前の机に肘付く赤いジャケットの女性、ミサトはナゼか”にんまり”と笑っていた。

「コレは決定事項だから。 遅れて届いたドイツの荷物はすでに送ってあるわ。」

「そ、そんなぁ…」

少女は、紅茶色の髪を落として”がっくり”と頭を垂れる。


……前に提出した稟議書が正式に認められ、ミサトの元に返って来たのだ。


「宿舎の荷物もまとめて送るように手配しといたから♪」

「そう言う問題じゃなくてぇ…」

しかし、命令ならばしょうがない。 少女は、ここで”職”を失うワケにはいかないからだ。

(くっ。 仕方ない。 何か問題があればそれを上に報告すれば何とかなるか。

 ドイツからの荷物も、今の宿舎じゃ……どっちにしたって収まらないし。)


……聡明な少女の頭脳が、打算という計算を素晴らしい速度で行い、結果をはじき出す。


アスカは”渋々”と了解を告げた。

「うぅぅ…分かったわよ。 取り敢えず、これで地下の暮らしはお終いってワケね。」

「そういうこと♪ 手配した業者さんの都合で、あなたの部屋の片付けは、明日になるわ。」

「…じゃ、帰ったら私物の整理しなくちゃ…」

紅茶色の髪の少女は、憂鬱そうな表情だった。

「明日は歓迎会しないとね♪」

ミサトは人懐っこそうな笑顔になった。

「何言っているのよ…そんなのいらないわよ。 まだ使徒と戦っている最中じゃない。」

当然の意見を言った少女に、大人の女性の笑顔は消えた。

「ぐ…」

「無様ね。」

作戦課の内部の事だと判断して傍観者に徹していた金髪の女性、リツコがさすがに呆れて言った。

「じゃ、じゃ〜この話はこれでお終い。 こっからが本題よ。」

ミサトが真剣な表情を作り、アスカにその顔を向けた。

「第七使徒と戦った、あなたの意見を聞かせて頂戴。」

技術部トップをオブザーバーにした作戦立案会議の始まりである。

しかし、そんなものは翌日帰ってくる一人の少年によって、全て無駄に終わるのだった。



………翌日、空。



SSTOとは人類の用意できる乗り物としては、最速の乗り物であった。

第七使徒、コードネーム”イスラフェル”を発見した巡洋艦”はるな”の一報から20時間後、

 時差を差し引くとアメリカを出発してから3時間後、白銀の少年は日本に辿り着こうとしていた。

遥か下に見えてくる日本列島。 その中央部分に近い第3新東京市の方角に向かって高度を下げる。

”ポンッ”

シートベルト着用のサインが灯る。

シンジのためにフライトする飛行機は着陸の態勢に入っていった。


”……キィィィィイイン…キュ! キュ!”


彼が降り立ったのは、一般の空港ではなく、国連軍の空軍基地であった。

「ただいま。」

「お帰りなさい。」

そして、少年の前に立つ蒼銀の少女は、第3新東京市からVTOL機で彼を迎えに来たのだ。

「お疲れ様、シンジ君。」

付き添いでやって来たリツコもレイの横に立っていた。

「遅れちゃって、すみませんでした。」

申し訳なさそうな表情の少年に、金髪の女性はかぶりを振った。

「いいえ。 あなたやユイさんが無事で何よりだったわ。」

「行きましょう、碇君。」

レイが少年の左手を握った。

「うん、そうだね。」

3人はそのまま揃って垂直離陸型の航空機へ乗り込んでいった。



………発令所。



ミサトは、突然と出撃準備を開始した第7ケージの様子を見て叫んでいた。

「ちょっと、なにやってんのよ?」

「EVA独立中隊が出撃するんだそうです。」

メガネの部下、日向マコトが振り向いて赤いジャケットの女性に答えた。

「あ、シンジ君が帰ってきました。」

マヤが嬉しそうな表情でコンソールを叩くと、

 メインスクリーンにVTOL機がジオフロントに着陸しようとしている様子が映し出された。

それを見たミサトは、再び部下に聞いた。

「日向君、独立中隊の作戦プランを見せて。」

「はい、ちょっと待って下さい。」

マコトが自分のホログラムディスプレーに検索をかけて目的の物を探し出す。

「お待たせしました、葛城さん。」

「ん、どれどれ?」

「どうやら、MAGIで予測された再侵攻を待たずに、攻撃を仕掛けるようですね…」

この考えは、もちろんミサトも考えたのだが、彼女はこのプランを破棄していた。

なぜなら、実際に戦ったアスカの報告やMAGIのデータから、

 この使徒は、同時に同じ部位を攻撃しなくてはダメージを与えられない、という結果が出たからだ。

現在、自己修復に時間が掛かっているのは、N2爆雷で2体同時に焼かれたからだ。

ミサトが立案した作戦は、前史と同様のユニゾンであった。

もちろん、シンジと共闘となることをアスカに納得させるのは、かなりの努力が必要であったが。

ミサトは、彼らが出したプランを確認して、安堵の表情になった。

(どんな作戦かと思ったら…ふふふ。 それは無駄ってもんよ。 偶には痛い目に遭うといいわ。)

腕を組んでスクリーンに目をやった赤いジャケットの女性の目は、薄っすらと笑っていた。



………コンフォート17。



「よくこんな鍵のない部屋に住めるわね…信じらんない。」

ドイツの家にはなかったスライド式の扉。 初めて見た”フスマ”を開け閉めしてみた少女の第一声だった。

「惣流さん、荷物はどこに置けばいいですか?」

引越し業者のリーダーが、汗を拭きながら声をかける。

アスカの部屋の荷物の片付けは、予想外に大仕事だった。 

そして、同時進行で行われていた引越し先であるこの部屋の片付けは、先ほどようやく終了した。

これから、少女の荷物の搬入が開始されるところであった。

だから、昼に予定していた引越しは大幅に遅れてしまい、現在の時間は18時であった。

(…リビング横の大きな部屋はミサトの部屋みたいだし。 こっちの二部屋を使わせてもらうわ。)

アスカは、リビングに立って少し考えると、引越し業者に答えた。

「ああ、こっちの部屋と、そっちの部屋に入れておいて。 残りはリビングでいいわ。」

「分かりました。 おーい、荷物の運び込みをはじめるぞ!!」



………更衣室。



アスカが地上のマンションへの引越し作業を開始している頃、シンジは更衣室で着替えを行っていた。

”ピピ”

「はい?」

白銀の少年は、赤いプラスチック製のベンチに座って、自分の手の平を見ていた視線を音の方へ向けた。

『…碇君、いい?』

インターフォンから聞こえた声は、蒼銀の少女のモノだった。

「あ、うん。 もう着替え終わっているからいいよ。」

”プシュ”

金属製の扉が横にスライドすると、白いワンピースを着た少女が更衣室に入って来た。

「…私も、一緒に。」

レイは、シンジの座っているベンチの直ぐ隣に腰を掛けた。

「零号機は、まだ使えないでしょ?」

シンジは、自分に真っ直ぐに向けられた彼女の深紅の瞳を見た。

少女は、彼と結ばれた視線を一旦切って、少し逡巡すると再び彼の真紅の瞳を見詰めた。

「…初号機で。」

シンジは首を横に振った。

「僕だけで大丈夫だよ、綾波。」

”ふるふる”

レイはかぶりを振って、白銀の少年の手を握った。

「…碇君と離れるのは、もういや。」

「……レイ…」

彼は、彼女を”そっ”と抱き締めた。

「僕もキミと離れるのはヤダよ。」

「…碇君。」

シンジの胸に抱いた彼女の髪から”ふわり”と心地良い香りがする。

レイは瞳を閉じたまま、彼に再び聞いた。

「いい?」

シンジは”コクッ”と小さく頷いて答えた。

「…うん。 一緒に行こう。」

「ありがとう。」 

蒼銀の少女は、うれしそうに微笑んだ。



………コンフォート17。



手馴れた引越し業者によって積み上げられた段ボール箱の山。

「御利用、ありがとうございました。」

帽子を取って、ペコッと頭を下げるのは、この引越しを指揮していたリーダーだった。

「どうも、ご苦労様でした。」

「御代は頂いておりますので。」

「あ、そうなんですか。」

「はい。 それでは失礼します。」

「ご苦労様でした。」

アスカは再び礼を言った。

そしてリビングに戻ると、彼女は大きなため息をついた。

「ふぅ…引越しって何でこんなに疲れるんだろう?」

アスカの青い瞳に、白い段ボール箱の山が映る。

誰もいない部屋で、思わず一人ごちる。

「取り敢えず、自分の部屋から片付けよう。」

少女は、トボトボとした非常にやる気のない足取りで部屋に入っていった。

このマンションの電話機が鳴ったのはそんな時だった。


”ピリリリ…ピリリリ…”


「…ったく、ダレよ? はい、もしもし? え? これから?」

そのマンションの一室に鳴った電話は、地下深いジオフロントにいるミサトからだった。

アスカは、自分の荷物と格闘していたが、それを放り出してNERVに行くことになってしまった。



………駿河湾。



イスラフェルは、二体のまま自己修復を継続している。

照明も月明かりもない深遠な暗闇の中、星の瞬きが静かに小さく輝いている。

寄せては返す波の音しか聞こえぬ静かな浜辺に、自動車のヘッドライトが白い砂浜を照らした。

「電源の準備に掛かれ!」

整備部の主任の声が暗闇に轟く。

”ピピー! ピピー!”

エヴァンゲリオンの電源プラグを搭載した車両が誘導される。

「主任、EVAが発進しました。」

「よし、急げ! 5分もしないで来るぞ!」


……主任の言った言葉どおり、その5分後、星の輝く黒い天空から巨人の影が降りてくる。


弐号機と違いATフィールドを利用した初号機の着地は音も衝撃もなかった。

『…EVA初号機から整備班へ。 電源プラグの接続準備を。』

主任のインカムに蒼銀の少女の声が聞こえた。

「了解!」

整備班は電源の確保と同時に、今回の使徒戦で使用する兵器の準備も開始した。

「マゴロク・E・ソードのコンテナを解放!」

その準備作業は、リアルタイムでNERV本部の発令所に映し出されていた。

「リツコ、EVA中隊の作戦って、EVA一体による近接戦闘ってこと?」

「そのようね。」

メインオペレーターのフロアからミサトとリツコがモニターを見ていた。

(仲のいいリツコも知らないって事は、やっぱ、本当にそれ以上の手は考えていないのかしら。)

「意外とちゃちねぇ…」

そんな言葉が、ミサトの口から思わず出てしまった。

しかし、白衣の女性は友人の見解に異を唱えた。

「そうかしら? 修復中の動けない使徒に対して、攻撃を仕掛ける。 非常に合理的だと思うけれど?」

「それって、アスカが頑張った功績を横取りするってことじゃ……」

リツコは、冷めた視線を赤いジャケットの女性に向けた。

「あなた、なにを考えているの? 使徒の殲滅は人類から託された私たちNERVの仕事でしょ?

 個人的な英雄願望を持ち出す状況じゃないわよ。」



………臨海部。



紫の巨人がゆっくりとした動作で大小2本の剣を箱から取り出す。

”ヴォン! ヴォン!”

初号機は、得物の状態を確かめるように、2回ほど振り回すと肩のウェポンラックに長い剣を固定した。

『…整備班、後退。 ご苦労様でした。』

整備部の主任が、独立中隊に向かって敬礼して答えた。

「了解。 ご武運を!」

シンジは、特殊作業車がこちらの命令どおり列を形成して動く様子を見ていた。

そして、振り向いて蒼銀の少女を見る。

「綾波、引き続き、通信をお願いするよ。」

「了解。」

コクッと頷いた少女は、通信回線を発令所に繋いだ。

「…エヴァンゲリオン独立中隊、綾波より発令所へ。 これより作戦行動開始。」

『発令所、了解。』

”ザァァァア……ザァァァア……”

星明りに薄っすらと紫の装甲を反射させた初号機は、沖合に向けて足を踏み出した。



………発令所。



”プシュ!”

「どう言うことよ!?」

これが喧騒に包まれる第一発令所に入って来た少女の第一声だった。

「アスカ。」

ミサトが振り向いて、紅茶色の長い髪を振って走ってくる少女を見た。

「初号機って、あいつ帰って来たの?」

「ええ、シンジ君はさっきアメリカから帰って来たわ。」

「作戦は、私とサードの”ユニゾン”による同時攻撃って言ったじゃない!?」

「ま、お手並み拝見しましょう。 ダメでも、今整備している弐号機があるんですもの。」

ミサトは、アスカにそう言いながら、視線を正面に戻した。

そして、横に立つ少女に声を掛ける。

「だから、アスカ。」

少女は正面のモニターを見て答えた。

「なによ?」

「出撃準備、しておきなさい。」

「了解!」

”コクッ”と頷いたアスカは、更衣室へ向かって走り出した。



………沖合。



”ザバァ…ザパァア…”

「黒い水面って不気味だね。」

「今日は、月がないから。」

白銀の少年の呟きに蒼銀の少女は静かに答えた。

エントリープラグ01に映るのは、黒い海面。 底が窺い知れないのは、なんとも不気味であった。

そして、沖合に進むに連れて見えたきた2つの小山。 それは、修復中のイスラフェルだった。

シンジは、二つの小山に向けていた真紅の瞳を静かに閉じて、ゆっくりとした口調で{言 霊}を唱えた。



「{我と対峙するアダムの子よ。永きに渡る戦いの鎖を解いてあげよう。

 我に勝てれば自由を。負ければ、白き月に還る事は叶わない。}」



その言葉に反応したかのように、二つの巨大な影が動き出す。

”ぐぅっぐぐぐ…”

マヤの声がエントリープラグに響く。

『目標甲及び乙、活動を再開!!』

「綾波、行くよ!」

「はいっ。」

初号機は小太刀を構えて、海を跳ぶように走りだした。



………第5ケージ。


一人の少女が烈火の如く怒っていた。

「どうしてよ!!」

「せやから、無理っちゅーとるんです!!」

アンビリカルブリッジに響き渡る少女の大きな怒声は、

 オレンジ色のツナギを着て腕を捲くっているスポーツ刈りの中年男性に向けられていた。

彼は、エヴァンゲリオン整備担当である整備一課長鈴原ヒデユキであった。

「お嬢さんの気持ちも分かる。 せやけど、無理なモンは無理や。 諦めてや…」

ブリッジから見える赤い巨人の左肩のパーツは、換装のため外されていた。

「どんなに急いでも換装作業は後、4時間はかかる。 その後、素体の調整作業もあるんや。」

「じゃーあのままでいいわよ!」

紅茶色の少女は、”ビシッ”と愛機の顔に向けて指をさした。

ヒデユキは大きくかぶりを振って”やれやれ”と腰に手をやると、大きく息を吐いた。

「はぁー。 セカンドチルドレンは、大変優秀な人と聞きました。 それは間違いないんやろ?」

急な話題転換に、アスカは少し”キョトン”としたが、胸を張って答えた。

「あ…当ったり前じゃない!」

「聡明でいて機微に秀でとる、とも聞いておりますんや。」

「え、ええ。 全くその通りよ。」

アスカはいきなり手放しで褒められ始めて、少しくすぐったい気がした。

「その選ばれしエリートさんに聞きます。 わしらに教えておくんなはれ。」

アスカは、少し聞き取りづらい日本語に、眉根を寄せた。

「その前に”おくんなはれ”ってなによ?」

整備部の親方は”にやっ”と笑った。

「ああ、すんまへん。 こりゃ方言ですわ。 …さて、どうやって駿河湾へ進撃しましょ?」

「え、そ、それは、昨日みたいに、飛行機で……」

「EVA専用長距離輸送機の事ですな。 あれは、両肩と、腰のプラグで固定しますんで無理ですわ。」

少女は、”アッ”と気がついた。

「じゃ、じゃあ陸路で…」

「電源ケーブルが足りまへん。 用意するにも時間が掛かりますわ。」

「ハッ…なっさけないわねぇ!! どうするのよ!」

アスカは”プイッ”と顔を横にした。

しかし、大人の男性は、真面目な表情で少女に言った。

「この戦いに、負けは認められまへん。」

「分かっているわよ!」

「初号機が負けた後、人類を護るためにここで待機されることが、お嬢さんの仕事やと思いますよ?」

「あ…」

アスカは言葉を失った。 どこかで、勝ち負けをゲームのような感覚で考えている自分に気がついたのだ。

紅茶色の少女の表情の変化で、ヒデユキは彼女が”本当に理解した”と感じた。

「さ、ここの作業は、わしらに任せて、体力を温存しておくんなはれ。」

ヒデユキに言われて、アスカは第5ケージを追い出されてしまった。



………駿河湾。



イスラフェルは、近付いてくる敵を察知すると、修復を止めて活動を再開させた。

人類の敵が最初に行ったのは、二体に分離していた”力”を一つに纏めることだった。

『目標、再び一体に!』

”ぶくぶくぶくぶく…”

第七使徒は、脈動を繰り返しながら二つの肉を一つに混ぜ合せていった。

その様子をシンジは静かに見守る事はなかった。

「ふんっ!」

疾走する勢いのまま初号機が小太刀を横一文字に斬りつけた。

”シュゴゥ!!”

凄まじいスピードに、太刀筋の空気が引き裂かれる。

イスラフェルは、突然現れた巨人の攻撃を仰け反って避けた。

『そんな!!』

科学者である姉、赤木リツコの驚愕に満ちた声が聞こえる。

それは脊椎動物ではあり得ない角度。

背と足がくっ付くような勢いのまま、イスラフェルは逆立ちになり、巨人に向けて足蹴りを繰り出した。

”ビュン!”

初号機は、その蹴り足を避けつつ小太刀を突き刺した。

”ブシュ!”

第七使徒は、素早く後退して距離をとる。

右すねから使徒独特の青い血が海に流れる。 が、直ぐにその傷口は塞がってしまった。

予想外の動きにシンジは、少し目を大きくした。

『いい動きするね。』

『弐号機に鍛えられたから。』

『…これも彼らの進化の一部って事?』

『これは、人と使徒の生存競争だもの。』

『…ダメージも無さそうだね。』

『そうね。』

エントリープラグの映像を使徒にフォーカスして見ていたシンジは、思わず呟いてしまった。

「なんで、今までゆっくり治癒していたのかな?」

う〜ん…と、首を捻る少年。

「…焦る必要がないから、かも?」

レイも自信なさ気に、小首を傾げてしまった。


……確かに、今の一瞬の攻防では、第七使徒イスラフェルに深刻なダメージは無さそうであった。


『目標、侵攻を再開 !距離600!』

マヤの声の後、イスラフェルの仮面が光った。


”ピカッ!”


いきなり放たれた光は、周囲の黒い海上を明るく照らした。


”ズドォォォオオン!!”


一瞬にして蒸発した海水が爆発したように弾けた。 その巨大な水柱の更に上で光の十字架が浮かび上がる。

初号機は、その水柱の中を突き抜けて突進した。

『前は分離していない時は、光線なかったのにね…』

『…碇君、右から来るわ!』

イスラフェルも光線を放った後、直ぐに場所を移動していたらしい。


……随分と戦い慣れた使徒だった。


ゴムで覆われたような太い腕が右から迫る。 使徒の左手の鉤爪がエントリープラグに大きく映った。


”ガキィィイイン!!”


使徒が放った攻撃のタイミングは完璧だった。 

彼の予定どおり突進してきた初号機の虚を衝いて、一瞬の”スキ”を作ったのだ。

しかし、その攻撃が紫の巨人に触れる事はなかった。

『あれって、ATフィールド!?』


……発令所に戻ってきたアスカが驚きに声を大きく上げた。


赤いプラグスーツの少女が見たのは、初号機の右肩付近を護るように浮かび上がっている六角形の波紋。

未だ自分が到達できぬ高みにあの二人がいることを、”まざまざ”と見せ付けられたようであった。

その紅い壁に驚いたのか、イスラフェルは一瞬だけ動きを止めた。

シンジは、初号機を動かし小太刀をコアに向けて突き立てた。

”ガキィィィ! スゥ…”

一瞬だけ光球に当たった感触の後は、いきなり何もなくなってしまった。

エントリープラグに映る使徒が、一瞬にして二体に分裂してしまった。

『まただ!! 目標、再び甲、乙に分裂!』

マコトの声が叫びに変わる。

「クッ!」

初号機も、仕切り直しと距離をとる。

リツコが測定値とMAGIが解析したデータを比較して通信した。

『碇二佐、二体に分裂した使徒のパワーは2倍になったわけではないわ。』

シンジは、通信ウィンドウに映った白衣の女性に目をやった。

「つまり、攻撃力は下がるけれど、生存率が上がる…そういう作戦だと?」

『そうね。 生き残るための進化…そう考えられるわ。』

「前回の戦闘で得られたデータを、こちらに送ってください。」

『その必要はないわ。 あの状態の使徒はATフィールドによって相互補完を行っていると考えられるの。』

「つまり、甲乙に同時に、同じ部位に攻撃をしないと、ダメージを受けない…」

リツコは、前史を知っているシンジがなぜ”ユニゾン”ではなく、今戦っているのか判りかねていた。

『ええ、MAGIはそう判断しているし、私もデータから方法はわからないけれど、そうだと考えるわ。』

技術開発部のトップは、少し間をおいて、白銀の少年に問うた。

『碇二佐、なにか作戦があるんじゃなくて?』

エントリープラグに響いた姉の問いに、シンジは瞳を閉じた。

レイも一緒に戦う、と言ったが詳しい作戦は聞いていなかった。

だから、空色の髪の彼女も波動で問うた。

『碇君?』

『ゼーレの老人達に、僕の”力”をちょっぴり見せようと思うんだ。』

『…そう。』

『まぁ、利用価値を上げようと思ってね。 父さんはまだ反旗を翻す気はないみたいだし…』

『碇君の好きにすればいいと思うわ。』

『ありがとう、綾波。』

イスラフェルは、初号機を挟み込もうと円を描くように散開した。

シンジは、ゆっくりと真紅に輝く瞳を開けると、リツコが映る通信ウィンドウを見て口を開いた。

「ATフィールドの可能性。 これが今作戦の全て。」

『え?』

金髪の女性の声を無視した初号機は、右手に持っていた小太刀を海中に突き立てた。

そして、紫の巨人は両手をそれぞれの使徒に向ける。


”キュゥン…ドンッ!!”


何かが圧縮するような音の後に、鼓膜を破るような破裂音。

イスラフェル甲・乙は同時に吹き飛んだ。

『なに!? マヤ、初号機のデータを漏らさず記録しなさい!』

『あ、は、はい!! 了解です!』


”グィィ……グォォオン! グォォオン! グォン! グォン! グォン!”


吹き飛んで海中に沈んだイスラフェルは、何かに引っ張られて直ぐに出てきた。

第七使徒は、見えない”鎖”で繋がれてしまったかのように、

 初号機が腕を振ると、それに操られる人形のように空中で振り回されている。


……”ぶんぶん”と加速がついてくると、イスラフェルは凄まじいスピードで円を描いていく。


「それっ!!」

シンジの掛け声とともに、初号機は徐に腕を合わせた。


”シュン! シュン! シュン! シュ…ゴォォォオオオン!!!”


甲と乙は向かい合わせで”ぴったり”とくっ付いていた。 かなりの勢いで。

”ピキッ!”

お互いにぶつかってしまった赤いコアに小さな亀裂が入った。

(これも二点同時荷重攻撃…かな?)

エントリープラグの少年は、使徒の様子を見てそんな事を考えていた。

これに慌てたのは、イスラフェルである。

第七使徒は慌てて一体に戻ろうとするが、そうは問屋が卸さない。

(無駄だよ、イスラフェル。)

シンジの目元がイタズラっぽそうに”クスリ”と笑った。



『…なぁんで一体に戻んないのよ!?』

発令所のミサトが騒ぎ立てる。

その横に立つアスカは、どこか呆然とした表情でメインモニターを見ていた。

自分があれだけ戦っても勝てなかった相手が、初号機に好きなようにあしらわれている。

(ATフィールド…その可能性か。)

シンジの言葉が脳裏によぎると、アスカは知らずに拳を強く握っていた。

使徒は、甲・乙ともに片足、片腕、片胴の半身ずつであったが、コアと仮面が一つになる事はなかった。

『マヤ?』

『はい、計測データから初号機のATフィールドが目標甲・乙の間に展開されています。』

金髪の上司は、驚きと喜び、そして興奮を隠せない。

『なるほど、これもATフィールドの可能性の一部ってワケなのね…』

そう言った白衣の女性の目が”キラリ”と輝いていた。 

新しい発見を目の前にした科学者のような顔をしているリツコ。

彼女の頭は、すでに新しい実験メニューを雪ダルマ式に作成しているのだろうか。

その瞳は目の前の戦いを映していないようだった。



”ギギギギギ…ギギギギギ…”

エントリープラグに映る使徒は、見えないモノに”キツクキツク”縛り付けられて身動き一つ出来なかった。

初号機は”止め”を刺すために、獲物である使徒に”ゆっくり”とした足取りで近付いていった。

イスラフェルは、最後の足掻きとそれぞれの仮面を光らした。

”キュゥゥ…ピカッ!!”

しかし、無情にもその相手である紫の魔人は、

 左手にATフィールドを纏わせて、その渾身の一撃をいとも簡単に虚空へ弾き飛ばしてしまった。


……第七使徒に、初号機に抗える手段は何も残っていなかった。


『さて、母さんへお土産だ。』

『?』

レイの不思議そうな波動が少年に向けられる。

『ほら、母さんの仕事に必要でしょ? コアのサンプル…』

”コクリ”と少女は頷いた。

『そうね。』

初号機は、ゆっくりとした足取りで諦めてしまったように動きを止めている使徒の目の前に立った。

そして、徐に紫の両手を二つのコアに突き刺した。

”ガキィン!! ガギギギギギ……”

エヴァンゲリオンが、その”圧倒的な力”でコアを握りつぶしていく。

”パキパキパキ……パキン!”

硬いモノが脆く割れるような音を響かせて亀裂が球を穿つと、赤いコアは完全に破壊されてしまった。

その瞬間、黒板に爪を立てたような不快な叫び声を上げて、イスラフェルは爆発した。


”キィィィィ!!…ドッゴォォォォォォォォォンンン!!!””


その火柱は、巨大な十字を切って闇夜を照らした。



ホワイトアウトしたモニターを呆気に取られて見ていたマコトが、慌ててコンソールを操作した。

『は、波長パターン青の消滅を確認!』

『EVA初号機、損傷ありません!! 無事です!!』

マコトの報告とマヤの喜ぶ声がエントリープラグに聞こえる。

「お疲れ様、綾波。 肩のガード、ありがとう。」

「いいえ。 当然の事をしただけ。」

”ふるふる”とかぶりを振る少女は、

 シートのロックを解除して、前部席のシンジの許へLCLの中、身体を泳がせた。

白銀の少年の首に、たおやかな腕が絡みつく。

”プッ……”


……通信ウィンドウの映像と音声信号を切ったのは、気を利かせたドーラだった。


「お疲れ様、碇君。」

レイは、スッと瞳を閉じると、桜色の唇をシンジの唇に重ねた。

”ちゅ”


……そのせいで、一時、技術部と整備部は初号機の故障かと騒いだりもしたが、それはご愛嬌だ。


しばらくの間の後、初号機と発令所の通信が復帰する。

そのウィンドウには、心配そうな顔の姉が映っていた。

『どうしたの? なにかあったの?』

「あ…え、えっと、なんでもありませんよ、赤木博士。」

リツコは、通信画面に”二人”が映っていることで”ピクリ”と眉が動いてしまった。

(シンジ君の顔、少し赤いわね。 はぁ、どうせ…キスでもしていたんでしょうね…)

金髪の女性は、肩の力を抜くと気を取り直して、連絡事項を事務的に伝えた。

『…そう。 今、整備班が回収に向かっているから、しばらくはそのまま待機していて頂戴。』

「了解。 今回の使徒は、コアが原形を保っています。 サンプルに丁度いいでしょうから、

 一緒に回収してくださいね。」

初号機は、海に落とさぬように砕けたコアを二つ持っていた。

『伝えておくわ。 それと、戻ってきたら、今回の作戦について質問したいんだけれど、いいわよね?』

リツコの輝く瞳に、シンジは冷や汗をかいた。

「ははは…お、お手柔らかに。」



戦後処理班である、保安部も駿河湾へ続々と到着してくる。

”ドドドド…”

サーチライトを点けた一隻の船が、エンジン音を響かせて駿河湾の沖合に進んできた。

初号機は、NERVの用意したその船に慎重な動作で手に持っていた欠けたコアを載せる。

”ピピ!”

全ての仕事をやり終えたエントリープラグに通信が入った。

”ピュイン!”

通信ウィンドウが開くと、にこやかな中年の男が現れた。

『碇二佐、やりましたな!』

「あ、鈴原課長。」

『お疲れでしょうが、戦闘データをこちらに送ってください。』

「了解。」

シンジはパネルを操作する。

初号機の素体が受けたダメージや、疲労度などの各種ログデータは、

 先の”定例会議”で使徒戦後、速やかに整備部に送ることになったのだ。

「ところで、鈴原さん。」

『なんでっか? シンジ君?』

仕事モードから普通の少年の顔に戻ったシンジは、ふとした疑問を口にした。

「あの、質問なんですけれど、EVAはどうやって第3新東京市まで戻るんですか?」

スポーツ刈りの男は、”ニヤッ”と笑った。

『初号機に横付けしている整備部の船の、その後部にある白い布が見えまっか?』

「あ、はい。」

『電源ケーブルをパージして、腰に巻いておくんなはれ。』

白銀の少年は、指示の通りEVAを操縦する。

”バシュッ! ごそごそ…ごそごそ…”

「はい、出来ましたよ? って、これ……なに?」

『ほな、いきまっせ! あ、ポチッとな!』


”バシュゥゥウウ!!”


紫の巨人の腰に、まるで巨大なドーナツのように膨らむ白い布。

「…こ、これって。」

シンジは、初号機が映し出すモノを見て目を大きくした。

「浮き輪?」

レイもどこか”きょとん”とした表情だった。

『シンジ君、レイちゃん。 このまま、船で曳航しますんで、その間ごゆっくりとお休みください。』

「え?」


……整備一課長は、ジオフロントへ繋がる秘密の水路を利用しようというのだ。


『ああ、電源については、こちらで生命維持モードに変更しますわ! ほな!!』

”ピュイン!”

整備第一課長、鈴原ヒデユキは楽しそうな表情と、登場してきた勢いのまま通信を切ってしまった。

”バシュゥゥン……”

そして、通信が切れたのを合図に、リモートで生命維持モードに強制的に変更されてしまった。

「そ、そんなぁ…」

(…いったい何時間かかるんだよぉ…)

シンジは、どこか疲れた表情で”がっくり”と頭を垂れたが、隣にいる少女は嬉しそうだった。


……白銀の少年は、”ふわり”とした感覚に突如襲われる。


「…え? 綾波?」

蒼銀の少女のATフィールドが、少年に掛かる重力をコントロールする。

シンジが振り返ると、レイも同じようにLCLに浮かんでいた。

そして。

「碇君は、長旅で疲れているわ。」

白いプラグスーツの少女は、蒼い髪を揺らして近付いてくる。

「へ?」

「そして、使徒との戦闘で、より疲労した。」

レイはシンジの頬を両手で優しく包み込んだ。

「はぁ。」

「…だから。」

蒼銀の少女は、シンジの頭を寝やすいように腿の上に乗せた。

「あ…」

(綾波、膝枕…してくれるの?)

シンジは、レイの顔を見た。

そこには、当然のように柔らかい慈愛に満ちた微笑みを浮かべている少女がいる。


……液体にたゆたう感覚と、愛しい少女の温かな波動。


「お疲れ様、碇君。」

シンジは、この二人だけの空間で瞳を閉じると、眠りの世界へゆっくりと意識を沈めていくのだった。








第三章 第十八話 「沖縄、そして。」










To be continued...


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