ようこそ、最終使徒戦争へ。

第三章

第十八話 沖縄、そして。

 〜 前編 〜

presented by SHOW2様


デート。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………第3新東京市。



第七使徒戦の後、シンジの家では一つの騒動があった。

それは、自宅である白い洋館のマスターベッドルームに戻って、一息入れていた時のことだった。

アンティーク調の電話機が突然と鳴り響く。

”リリリン、リリリン……リリリン、リリリン”

偶々電話機の近くにいたシンジが受話器を手に取った。

”チャ…”

「はい、もしもし?」

『ぁ…お兄ちゃん…』

「あれ、リリス?」

その電話は、ジオフロントにいるリリスからだった。

『今から、そっちに行ってもいい?』

「ん、別に構わないけれど、どうしたの?」

『お願いがあるの…』

シンジは首を傾げながら返事をした。

「お願い? …取り敢えず、こっちにお出でよ。」

『うん、分かった。』


「ッ! …ぅうっ…」

少し苦しそうな表情で下腹部を押さえたレイは、シンジに気付かれぬように”そっ”と部屋を出ていった。


”…チン”

「綾波、これからリリスが来るって…あれ?」

受話器を置いて振り向いたシンジは、誰もいない部屋を見て不思議そうな顔になったが、直ぐに幼女が来た。

「おにーちゃーん!!」

”ててて…ぼすっ!”

「ど、どうしたの、リリス?」

突然現れ、自分に飛びつくように抱きついてきた小さな女の子に、白銀の少年は目を大きくして驚いた。

「あのね、お願いがあるの…」

シンジは、リリスを落ち着かせるように、ゆっくりとした手付きで彼女の頭を撫ぜながら優しく言った。

「いいよ、言ってごらん。」

その言葉に、怖ず怖ずと顔を上げた女の子は、上目遣いで懇願するような紅い瞳を少年に向ける。

「…私ね、また本に入りたいの…」

「へ?」

一体、何のこと? シンジはリリスの言った言葉の意味を咀嚼することが出来なかった。

「あのね、ユイかあさまはアメリカに行っちゃったし、黒き月のマンションにはペンペンしかいないの。」

「うん、そうだね。」

「だから、お兄ちゃんの本に好きな時に出入りできるようにして欲しいの。」

「あ、なるほど…」

その言葉を聞いたシンジは、ようやく彼女の要求の意味を理解した。 

幼女は、望みどおり”実体”を得たが、想像していたよりも甘えられないし自由では無くなったと。

だから、このお願いなのだ。

シンジが電話に出る際にテーブルに置いた”蒼い本”は、使徒を封印する為に必ず彼かレイが持っている。


……たぶん普段は本の中に住んで、好きな時に外へ出させろ……幼女の要求はこう言うことだろう。


小さな女の子の顔を見て、しばらく考えていた少年は、頷いて答えた。

「うん、いいよ。 でも、ちょっと待ってね。 その前にイスラフェルを入れちゃうから。」

シンジは机に置いていた蒼い本を手に取り、ズボンのポケットから小さな玉を取り出す。

そして、徐に本を開いてコアを縮小したような赤いビー玉を羊皮紙に触れさせた。

僅かに羊皮紙が光ると、イスラフェルの玉は”すぅー”と融けるように本の中に消えていく。

”ぱたん”と本を閉じたシンジは、リリスの方へ向き直った。

「あ…この前造った戸籍はどうしよう?」

少年の問い掛けに、幼女は済まなそうに顔を下に向けた。

「せっかく造ってもらったけれど、ごめんなさい。 …私いらない。」

「うん、そっか。 じゃ、いつもは本の中にいるってことだね?」

白銀の少年は、やっぱりね…と頷きながら彼女に確認を取る。

「…うん。 私はお兄ちゃんの近くにいたいの…」

リリスは、顔を下に向けたまま、”ちらっ”と瞳をシンジに向けて言った。

白銀の少年は、そんな小さな女の子に”にこり”と笑顔を向けて了承を告げる。

「分かった。 ドーラ? 悪いけれど、リリスに関するデータとMAGIの中にあるログを消してくれる?」

”ピピッ”

机の上のPDAが、その声に反応して起動すると、画面に女性が現れた。

『了解しました、マスター。 直ぐに処理します。』

キャラメル色の髪の女性は丁寧に頭を下げると、主人の命令を実行する為に消えた。

「さて、リリス。 ちょっといいかい?」

シンジは、小さな女の子の前に立つと、彼女の目の高さに合せるように自分の膝をカーペットにつけた。

そして、右手の人差し指を幼女の額に”そっ”と当てた。

「目を閉じて。」

「うん。」

幼女は言われたとおり、素直に瞳を閉じた。


”…カッ! ピィィィン……”


シンジの指先が一瞬だけ輝くと、そこを中心に空気を振るわせる波紋が起きた。

その波紋は、黄金色に輝き”ゆっくり”と部屋に広がっていくと、霞むように消えてしまった。

「OK。 でも一応、条件をつけたよ。」

この予想外の言葉に、リリスは驚いて弾けるように瞳を開いた。

「え!? 条件?」

目の前にあるシンジの表情は、柔らかい笑顔のままだった。

「うん、本へ戻るのはリリスの自由。 でも本から出る時は、僕の許可が必要…ってね。」

久しぶりに間近に見た白銀の少年の笑顔に、リリスは自然と頬を染める。

「ぅ…うん。 分かった。 じゃ…じゃ、戻るね。」

小さな女の子が、紅くなってしまった顔を誤魔化すかのように”戻る”と言った瞬間、彼女の体は消えた。

『ありゃ、もう本に”入った”んだ…』

”紅い本”から幼女の波動が出た。

「ふふっ。 リリスが本に戻るという意思を持てば、直ぐに戻るようにしたからね。

 それと、君が入った状態だと、前のように”紅”、出ていれば”蒼”に革のカバーは変色するよ。」

『へぇ…』
 
そんな波動を出す紅い本に視線を向けたシンジは、ページを無作為に開いた。

そこには、左と言わず右のページにも自由に動いているリリスがいた。

両ページの羊皮紙に描かれているのは見事な花畑。 

その極彩色に溢れる世界で、小さな女の子は”くるくる”と踊っていた。

『…いつか、お兄ちゃんもこの本の世界に遊びに来てね。』

ご機嫌そうな幼女の可愛らしい提案に、シンジは笑って答えた。

「ふふっ。 もちろん、いいよ。 いつか遊びに行くよ。 約束する。」


……この物語で語られるのかは不明だが、何気ないこの約束は、かなりの冒険になるのであった。


「じゃ、綾波の所へ行こう。」

シンジは”紅い本”を手に、階下に感じる彼女の許へ向かった。



シンジとリリスが、そんなやり取りをしている頃、山岸マユミとレイは1階のリビングルームにいた。

「おめでとうございます、レイ様。」

「ありがとう、マユミさん。 でも、突然だったから…とても驚いたわ。」

蒼銀の少女は、柔らかいソファーに座って一息ついた。

「…大丈夫ですか?」

「ええ、今は平気。」

「では、レイ様。 落ち着いていらっしゃるのなら、食堂に参りましょう。 夕食の時間ですわ。」

筆頭メイドは蒼銀の少女を気遣うように彼女の手を引き、リビングを後にした。



シンジが食堂に入ると、ちょうどマユミがレイの座るイスを引いて、彼女を座らせている処だった。

「綾波、何かあったの?」

心配そうな顔をした彼の質問に、マユミとレイは自然と目を合せて嬉しそうな喜びの笑顔になった。

「?」

それを見たシンジは首を捻ったが、二人とも微笑んでいるので悪いことではないだろう、とイスを引く。

そんな少年がイスに座って待っていると、普段の夕食とは違い、白米ではなくお赤飯が出てきたのだった。

「シンジ様、今日はお赤飯の日でございます。 

 炊いたのではとても間に合いませんでしたので、料亭から特別に配達していただきました。」

「?」

マユミの解説を聞いたシンジは、益々不思議そうな顔になった。

(? …お赤飯? 何で? しかもワザワザ配達してもらうなんて……)

そして、彼はしばらくの時間を消費したが、”ソレ”が何を意味するのか、ようやく理解した。

「あ!」

少年が顔を上げたのと同じタイミングで、カズコとナナがメインとなる料理を運んできた。

二人のメイドは、白いクロスの上に4つの大皿を置くと、蒼銀の少女に笑顔を向ける。

「「おめでとうございます、レイ様。」」

シンジを見詰めていたレイは、その言葉に少し頬を染めて二人に答えた。

「…ありがとう。」

厨房から食堂に入って来た3人のメイド、アキもユウもシホも心から少女の成長を祝福した。

「「「おめでとうございます、レイ様。」」」

「みんな、ありがとう。」

嬉しそうに返事をするレイを見ていたシンジは、何となく喋るタイミングを外してしまった。

「あ、う…」

白銀の少年は、この家にいる唯一の男性として、ドコとなく居場所がないような思いを感じてしまった。

「さ、夕食の支度が整いました。 シンジ様…」

マユミに促された白銀の少年は、再起動したようにぎこちなく動き出す。

「…あ、ああ。 えと、綾波、おめでとう。 そ、それでは…い、頂きます。」

「ありがとう、碇君。 頂きます。」

レイは蒼銀に輝く髪を柔らかく揺らして返事をすると、漆塗りの箸を手にした。



………その数日後。



第3新東京市の上空は、いつもと変わらず今日も澄み渡った青空である。

爽快な気分にさせるような優しい風が舞う日曜日の昼、リツコは第3新東京市の中心に近い歓楽街にいた。


……これは、彼女にとって珍しいことではないだろうか?


なぜなら、この多忙な女性は普段、ジオフロントという特殊な地下空間に居を構え、

 生活の場としている、と思われてしまうほど地上にいる時間が少ないからだ。

その彼女が、場所を移動することもなく一箇所に留まって、しかも静かに佇んでいた。

リツコは、この街に用意された交通機関の一つであるリニアトレインの駅の改札が見える場所にいる。

彼女は、新調した薄水色のスーツを着ていた。 少し短めのスカートからすらりとした脚が見える。

誰かと待ち合わせをしているのだろうか? 彼女は、何度も腕時計を見ては時間を気にしていた。

その女性を注意深く観察し、彼女に気付かれないように、物陰に潜んでいる影が三つあった。

「…ちょ、アスカ…押さないでよ。」

「だって、よく見えないんだもん。 あんた身体デカイんだから、ちょっとくらい我慢しなさいよ…」

「…セカンド、碇君から離れて。」

身体を小さく屈めて、ビルの陰から顔を”そっ”と覗かせているのは、白銀の少年。

彼は、動きやすそうなGパンと黒いシャツを着ていた。

その彼の後ろから身を乗り出し、覗き込むようにしているのは、紅茶色の髪の少女。

彼女は、肩の出たブルーのシャツにホワイトのハーフパンツ。

二人の後ろに立っているのは、

 襟の高い白いワイシャツにタータンチェックのミニスカートを履いた空色の髪の少女だった。


……なぜ、彼らはこんな事をしているのか?


その理由と彼らの本日の行動は、昨日の実験終了後、休憩室で休んでいた時から始まったのだった。



〜 リフレッシュルーム 〜



………NERV本部の自販機コーナー。



「これにしよっと。」

”ピピッ…ガコッ”

ランプの点いたボタンを押すと、自動販売機から缶ジュースが勢いよく落ちてきた。

自販機の透明なプラスチックの蓋を開けて、自分の選んだジュースを取り出したのは、アスカだ。

”プシュ!”

彼女がプルトップを引くと、オレンジジュースの甘ったるい香りが鼻を通り抜けていく。

「はぁー、もーくたくた。」

アスカは、プラグスーツの上に真っ赤なポンチョを羽織っていた。

これは、シンジ達が着ているモノを見て、技術部におねだりして用意してもらったモノだった。

背中には、白いNERVのロゴマークとその中に《 2nd Children 》という赤文字があった。

「お疲れ様、アスカ。」

シンジも藍色のポンチョを羽織っていた。

「なんで、こう毎日毎日実験ばっかなのかしらねぇ…」

紅茶色の髪の少女は、辟易とした表情だった。

「未知のテクノロジーだからじゃないかな…EVA関連は。」

「それは、分かるけどさー」

前回の使徒戦から確実に実験のメニューが増えたね、と少年は少女に答えながら、パイプイスに腰掛けた。

…ホントよ。 自由な時間が全くないじゃない…と言ったアスカは、少年の様子を見るとなしに見ていた。

その時だった。 今の時間は18時。 NERVの職員としては、まだ帰宅するには十分に早い時間である。


……廊下の先を、リツコが横切って行ったのだ。


彼女の服装は、普通の私服。 勤務中、いつも羽織っているお馴染みの白衣姿ではなかった。

それを見たアスカとシンジは、何となく、お互いに視線を合せた。

あんた、見た? うん、見た。 リツコ、帰るのかしら? そうじゃないかな…

そんなやり取りが無言で行われていると、このリフレッシュルームにレイとマヤがやって来た。

「お待たせ、碇君。」

白いポンチョを着た少女は、当然のようにシンジの横に”ぴとっ”とくっ付いて座った。

「ごめんなさい、待たせちゃったわね。 シンジ君、アスカちゃん、先ほどの実験のデータが纏まったわ。

 時間が勿体ないから、ここでブリーフィングしちゃうわね。」

マヤは、”ばさっ”とバインダーをテーブルに置いてイスに座った。

「ちょっといい? マヤ。 その前に、ひとつ聞きたい事があるんだけど?」

アスカが”ガタン…”と立ち上がってマヤに視線を向けた。

「どうしたの? アスカちゃん?」

ショートカットの女性は、腰に手を当てているアスカを見て首を傾げた。

「…って、その前に、アスカちゃんはやめてって言ってるでしょ!」

「あら、いいじゃない。 アスカちゃんで。 可愛らしいと思うし。」

マヤは、ニコニコして答えた。

「…はぁ。」

何度言っても呼び方を変えないマヤを見たアスカは、ため息とともに最近覚えたことわざを思い出した。

(え〜と、こう言うのを”のれんに釘”って言うんだっけ?) 


……それは、暖簾(のれん)に腕押し、糠(ぬか)に釘だ。 


気を取り直した少女は、再びマヤに顔を向けた。

「あのさぁ、普通…実験の講評をするのは、責任者の仕事でしょ? そのリツコはどうしたのよ?」

「ああ、センパイなら…確か、今日は用があるって…」

アスカは、マヤの言葉に眉根を寄せた。

「は? 用? どんな?」

「なんでも、注文していた服が出来上がったから、それを取りに行くって…」

マヤは、アスカの質問に答えながら、どうしてそんな事聞くのかしら…と不思議そうな顔であった。

「ふ〜ん。」

なぁーんだ、詰らないの…とアスカは再びイスに腰を下ろした。



ここまでは、アスカもシンジも特に気にしていなかったのだが、この講評が終わり、第壱中の制服に着替え、

 帰宅しようとした時に廊下で偶然会ったミサトからの情報で、再びリツコの話題が持ち上がったのだ。



「あら…3人とも、お疲れ様。 アスカ、悪いんだけれど、まだ仕事があるの。 先に帰ってて。」

「あっそ、了解。 何だかんだ言って、今日の晩御飯の当番……逃げるつもりでしょ?」

「う…ごみん。」

シンジは、ジト目でミサトを見ているアスカのこの言葉に驚いた。

「ねぇ…アスカ、葛城さんの料理って食べたことあるの?」

「それが、まだ一度もないのよねぇ。 うまく逃げられちゃってさー 今日こそ、って思ってたんだけど。」

ま、こんな感じじゃ、当分無理そーねー、とアスカは横目でミサトの顔をワザとらしく見ながら言った。

(…運がいいんだね、アスカ。)

少年は、遥か遠い過去に食べたカレーを思い出して少し顔を青くした。

旗色の悪くなってきた赤いジャケットの女性は、話題を変えようと口を開いた。

「…それにしても、こんな忙しい時にリツコは明日休暇取っちゃってさー」

こっちは仕事なのに、いいご身分よねぇ…というミサトの声はアスカの耳に届いていなかった。

「ちょっと!! リツコ、明日の日曜ってオフなの?」

”ピンッ!”と何かに気がついたアスカが、ミサトに食いついた。


……余談だが、NERVの職員は国際”公務員”ではあるが、交代勤務制で休日は土日とは決まっていない。


「そ、そうよ。 どうしたのよ? アスカ…」

赤いジャケットを着た女性は、少女の勢いに驚いて思わず仰け反ってしまった。

「ふ〜ん……シンジ、帰るわよ!」

”くるっ”と振り向いたアスカの青い瞳は、キラリと力強く輝いていた。

「は?」

「いいから、早く!」

アスカは、”ぐいっ”と少年の持つカバンを引っ張った。

「え!? あ、ちょっと…」 

その勢いに、シンジはアスカに追従するように連れて行かれてしまう。

「…ダメ。 碇君を引っ張らないで。」

レイも当然のようにシンジの後を追いかける。

”ドタドタ”とあっと言う間に走り去ったチルドレンを見やったミサトは、きょとんとして呟いた。

「…何なのよ、いったい…」



”ウィィィィン……”

ジオフロントから地上に向かう長大なエスカレーター。 チルドレンの3人はそれに乗っていた。

「…シンジ、明日、暇よね?」

先頭に立っている少女が振り向いて少年に問い掛ける。

「なんで?」

3段上にいるアスカを見たシンジは、彼女の話の内容を理解できなかった。

「見に行くのよ!」

ヘンな提案をしている紅茶色の少女に、訝しげな視線を送っているのは、シンジの横にいるレイだった。

「…何を?」

蒼銀の少女の質問に、アスカは”ビシッ”と彼女に指差して答えた。

「決まってるでしょ! リツコよ、リツコ!」

「?」

白銀の少年は、真紅の瞳を”ぱちくり”とさせた。

「…あんたバカァ?」

アスカは、まったく反応が鈍い少年に、もう! 信じられない…と紅茶色の長い髪を振り乱す。

そんな少女を見たシンジは、手を”ぽんっ”と打った。

「あ! ああ、そうか、そう言う事か。 明日ね…でも、それって………よくないよ?」

やっと理解を示した少年は、アスカの提案に渋い顔になった。

「碇君?」

話が見えないわ、とレイは少年の服を”くいくいっ”と引っ張った。

「あ、ごめんね、綾波。 ね…」

ここでシンジは、”姉さん”と言えば、アスカがなんで? と聞いてくるだろうと思って言い直した。

「…リツコさんは明日、たぶん誰かとデートをするじゃないかと思うんだ。 

 アスカは、それを見に行こうって言っているのさ。」

「…何か、意味あるの?」

冷静な意見の蒼銀の少女に、アスカは”ちっちっち”と右手の人差し指を横に振った。

「あのリツコよ! リツコ! 相手が気になるじゃない!」

「相手? 相手……そうね。」

意外なことに、レイは興味を示した。

「あ、綾波?」

「碇君…」

蒼銀の少女は透明感のあるルビー色の瞳を白銀の少年に向けた。


”じー”


シンジは、折れた。

「…う、わ、分かったよ。 …でも何時、何処にいるのかなんて…分からないよ?」

「ハンッ…アンタ、権限持っているでしょ?」

何言っているのよ、とアスカはジト目だった。

「え?」

「諜報部とか保安部、動かせるんでしょ? 二佐なんだから…」

アスカは、不機嫌そうに”ふんっ…”と顔を横に向けて言った。

「そんな… そんなくだらない事に命令なんて出せないよ…」

「じゃー、一番えらい司令に聞いてみなさいよ!」

紅茶色の髪の少女は、”ビシッ!”と少年の顔に指をさす。

「と、父さんに? それこそ不可能だよ…」


……シンジの眉は見事な八の字になった。



「ハッなによ! やりもしないで、最初から諦めるなんてサイテー」

アスカが吐き捨てるように言うが、そんな言葉は聞き捨てならないと、レイが口を挟んだ。

「碇君は、最高。 最低なんてあり得ない。」

「はいはい、分かったわよ、ファースト。」

しかし、蒼銀の少女の抗議はスルーされてしまった。

「シンジ、いいから電話しなさい!!」 

アスカはエスカレーターを下りると、仁王立ちになった。

その様子に、シンジは”渋々”と携帯電話を手にした。

「…はぁ、まったく。」


”ピッピッピ………ピリリリ…ピリリリ…ピリリリ…ガチャ!”


『…私だ。』

渋い中年男性の声がシンジの携帯電話から聞こえる。

「…父さん。」

『シンジか…どうした?』

「諜報部を使いたいんだけれど…」

『…なに? どう言うことだ? 何かあったのか?』

シンジは、小声で”事”の次第を説明した。

そして、この組織のトップの判断は…

『許可する。 赤木博士はNERVの機密に関わる重要人物、テクノクラートなのだ。

 彼女に接触する人間を調査するのは当然のことだ。』

「その人物に、スパイの嫌疑を掛けるってことだね。」

『…それだけではない。 誘拐や殺害などの可能性も考えねばならないだろう。

 取り敢えず、彼女の家に諜報部員、保安部員をつける。 報告はシンジに上げるようにしておく。

 この件に関しての一切の指揮は、お前に任せる。 以上だ。』


……アスカの興味本位の提案は、予想以上に大事になってしまった。


そして、時間を戻して現在。 10月11日の日曜日は、お日柄もよく絶好のデート日和だった。

「…あ、あの人かな? 来たみたいよ!」

アスカの囁くような声。 

この場所は、リツコの立っている位置より100m以上離れているのだから、普通に喋ってもいいのに。

シンジは、そんな事を考えながら、視線を駅の改札に向けた。

電車を降りた人々の長い列から一人抜け出て小走りに走る男が、リツコに近付いていくのが見える。

そのヒトは、背が高く、顔立ちは優しいが、凛とした意思が秘められていそうな目をしていた。

深緑のポロシャツに青いGパン姿の彼は、土井マサル。 戦自研の所長であった。

”ザッ!”

『監視対象、コード”シグマ”と思われる男性を確認。 …保護対象、コード”ゴールド”に接近。』

『了解、監視を強化せよ。 …狙撃班、ターゲット”シグマ”を補足し待機継続。』

『狙撃班、了解。』

沈黙していた諜報部と保安部の無線が飛び交う。

(ゴールドって……このコードネーム、やっぱり姉さんの髪の色で決まったのかな?)

シンジが無線を聞いていると、後ろから唐突に声を掛けられた。

「…へぇ。 あれが、りっちゃんの相手か。」

「加持センパイ!」

アスカが少年よりも早く振り向くと、レイの後ろに加持リョウジが立っていた。

「え? あ、加持一尉…」

「やっ! シンジ君。」

右手を挙げて挨拶した男の姿は、いつもの通りだらしない格好だった。

「加持さんも仕事ですか?」

「ああ、そうだ。 シンジ君が今作戦の責任者なんだろ?」

「作戦、と言う程のものではないと思いますけど。 赤木博士を護ればいいんですから。」

「油断大敵…ってな。 ま、そんな事、君に言う必要はないか。」

加持は、おしゃべりを止めてシンジの横に立つと、無精髭の生えている顎に右手をやって唸った。

「ふーむ。」

(…はて、どこかで見覚えのある男だな。)

ヨレたワイシャツの男は、男の唇の動きを漏らさずに見ようと少し目を細めた。

「読唇術ですか?」

「ん? ああ。 シンジ君も出来るんだろ?」

「ええ。」

そんな観察者達のことなど知らない二人は、少しギクシャクした挨拶を交わしていた。

「あ、赤木博士、どうもお久しぶりです。」

「ええ。 お元気そうですわね。 土井一佐。」

「オフですから、一佐なんてつけないで結構ですよ?」

「あら……では、私にも博士はいりませんわ。」

彼女の言葉に、男は苦笑した。

「あ! そうですね、すみません。」

「ふふふっ。」

失敗したな、と頭を掻く男を見たリツコは、自然な柔らかい笑みがこぼれた。

「じゃ、行きましょうか?」

「ええ、そうですわね。」


……二人はお互いに笑いながら、賑やかな雑踏の中に足を進めて行った。


「…楽しそうですね。」

シンジは屈めていた身体を伸ばして、隣の加持を見た。

「ああ、そうだな。 あんなに楽しそうに笑うりっちゃんを見たのは初めてかもしれないな…」

リツコを見る加持と会話しているシンジは、まるで同じ歳の男性のように、とても大人っぽい感じがする。

それを見て、自分だけ取り残されてしまったように感じるアスカは、大きな声を出した。

「ほら、行っちゃうわよ、シンジ!」

「はいはい…」

振り返ったシンジは、アスカよりもレイを見た。

蒼銀の少女は、楽しそうにデートする姉の後姿を静かに見ていた。

(…綾波、詰まらなそうだな。 なにかフォローしなくちゃ…)

「それじゃ、シンジ君、オレは別方向からりっちゃんたちを見ているからな。」

「えぇー 加持センパイも一緒に行きましょーよ?」

先頭に立っていたアスカの頬が膨れる。

それを見たリョウジは、ウインクして答えた。

「ハハッ…この人数じゃ目立ち過ぎるな。 アスカ、こういうのは目立たないようにするのが一番なんだ。」

「そりゃそうよねぇ。 見付かったら、まぁ〜た実験が増えそうだモンねぇ…」

そう呟いたアスカの青い瞳が”キラリ”と光った。

「…じゃ、私、加持さんと行くわ!」

紅茶色の髪の少女は、だらしなく伸びた髪を一本に纏めている男の腕に絡み付いた。

「了解。 セカンドは加持一尉と別行動。 碇君、目標を見失うわ。 行きましょ。」

二人きりになれる、と素早く判断したレイは、シンジの手を握ってさっさと歩き出した。

「あ、うん。」

シンジは喜びの波動を出す少女に手を引かれてアスカたちと別れた。



………1時間後。



現在、彼女のお願いを聞いたシンジは映画館のシートに座っていた。

(綾波に言われるがまま入っちゃったけれど……これって、ただのデートになっているんじゃ?)

シンジは、左隣のシートに座り、静かにスクリーンを見詰めている愛しい少女の横顔を見た。

映写機の光が、美しい白磁器のような彼女の顔を照らし出している。

『お願い、待って!!』

音響を完璧に計算された映画館に、若い女性の声が響く。 彼女の視線の先にいた男性の足が止まった。

スクリーンに上映されているのは、甘くほろ苦いラブロマンスの映画。

主演女優の一途な想いが主演男優に届くのか……レイは真剣な表情で見入っている。

もちろん、本日のメインであるリツコたちのデートに関しては、

 サングラスの大人たちによる監視が至極真面目に続行されている。

シンジの耳にある小さなイヤホンから絶え間なく報告が上がっているので、彼女達の行動は筒抜けだった。

『”ザッ!” ゴールド、シグマとS−3ブロックの喫茶店へ侵入。』

『”ザッ!” 了解。 監視班をBからAに変更。 狙撃班、射角を得るために移動を開始。』

(S−3の喫茶店か…あそこの紅茶、美味しいんだよね。 …よし、後で行こう。)

そんな事をボンヤリと考えているシンジも、すっかりデートを楽しんでいる少年であった。

そして、ふと視線を正面のスクリーンに戻した彼は、なんとなく別行動を取っている二人を思い出した。

(そう言えば、アスカたちはどうしたんだろう?)

アスカと加持の行動は、30分前から一切報告がなくなっていた。



………路上。



「ふん♪ ふん♪ らっきー 加持さんとデートだ!」

能天気でご機嫌な少女の声が路上に聞こえる。

こちらの二人も、監視対象の二人を尾行していないようだった。

なぜなら。

リツコと男性のデートを興味しんしんで見ていたアスカは、別行動開始から30分で飽きてしまったのだ。

大人のデートを学ぶチャンスだと思っていたのに。

(あれじゃ、ガキと一緒だわ…)

アスカは”ウブ”な二人を思い出して、大きなため息をついた。

それほど、彼女達のデートは初々しいもので、見ているこっちの方が歯がゆくなるようなものであった。

「さ、ここよ! 加持さん!」

「で、デパートか… アスカ、何があるんだ?」

「いーから、いーから!」

紅茶色の髪の少女は、ハイテンションのまま高級ブランドがひしめく巨大百貨店の中へ入っていった。



………映画館。



『”ザッ”目標は喫茶店を出ました。』

ラブロマンスは、正にクライマックス。

しかし、シンジは映画には一瞥もくれず、愛する彼女の横顔を飽きる事なく静かに見詰めていた。

”ツゥ…”

透明な雫が、彼女の頬に一本の線を描く。

スクリーンには、離れ離れになっていた男女がお互いの存在を確かめるように、確りと抱き合っていた。

どうやら、主役である女性の想いが男性へ届いたようだ。

レイは、瞬きせず静かに見入っていた。

そして、エンドロールになると、蒼銀の少女は右に座るシンジに顔を向けた。

「…よかった。」

満足気なレイの表情を見たシンジが彼女に声を掛ける。

「…彼女の想いが叶ってよかったね。」

蒼銀の少女は、”コクッ”と頷いた。

「…うん。」

「綾波、ほら…これ使って。」

白銀の少年からハンカチを受け取った少女は、自分の頬に残っている雫を拭った。



………デパート。



「あ、アスカ…な、何だ? ここ水着コーナーじゃないか…」

どこか呆然とした表情の男。 

彼の目の前には、様々な水着がディスプレーされている。 …が、それらはすべて女性用の水着であった。 

そこに連れられてきた加持は、大きなため息をついた。

「じゃーん!! ねぇねぇ♪ これなんか、どう? 加持さん!」

売り場の奥から出てきたアスカは、赤と白のストライプのビキニを手にしていた。

「…いやはや中学生には、ちと早すぎるんじゃないかな?」

「加持さん、遅れてるぅー 今時こんくらい当ったり前よぉ?」

アスカの小馬鹿にしたような顔を見た加持は、やれやれと肩を竦めた。

しかし彼は、使徒との戦いの間に訪れる僅かな日常の時間を楽しんでいるアスカを見て、自然と目を細めた。

(…楽しめる時に、楽しんだ方がいい。 アスカ、頑張れよ…)


……男の脳裏に、遠い過去に失った妹が思い浮かぶ。


大人独特の複雑な深い色合いの瞳で”ジッ”と見詰められた少女は、不思議そうな顔になった。

「どうしたの? 加持さん? ぼぉーとしちゃって…」

「ん、ああ…なんでもないさ。 それよりもそれに決めるのか?」

「え? う〜ん、もうちょっと見てみるわ。」

形の良い眉を寄せて少し悩んだアスカは、そう言うと楽しそうに奥に消えて行った。



………喫茶店。



シンジとレイは、先ほどリツコたちが立ち寄った喫茶店に向かっていた。

交通量の多い交差点を渡り、曲がり角を過ぎた時、白銀の少年の瞳に意外な人物が映った。

ジャージを着た少年が店に入って行ったのだ。

「ん…トウジ?」

『”ザッ”目標は、B−7ブロックへ移動中。 予想ポイントは百貨店と思われる。』

『”ザッ”了解。 監視班、FからHは先行して待機。 B、C班、監視継続。』

(姉さん達はデパートに行ったのか…)

シンジが無線を聞いていると、レイが彼の顔を見上げて聞いた。

「碇君…鈴原君がいたの?」

「え? あ、うん。 喫茶店に入っていくのが見えたんだよ。 何だろ? トウジが喫茶店なんて…」

似合わないよね、と少し眉根を寄せて不思議がるシンジ。

彼の真紅の瞳を見たレイは、彼の手を握って言う。

「…たぶん、洞木さんがいるのだと思う。」

行きましょう? とレイは少年を促した。

「そうだね、入れば分かることか。」

少女の手を握り返したシンジは、喫茶店の入口に立つと木で造られた明るい色合いのドアを開けた。


”カラーン、カラーン…”


扉に付けられた鐘の軽やかな音が、新しい客の来店を告げる。

「いらっしゃいませ。 お二人様でしょうか?」

カウンターにいた歳若い女性店員が、にこやかな笑顔でシンジ達を迎えた。

「ええ、そうです。」

「…こちらの席へどうぞ。」

案内に従って、白銀の少年と蒼銀の少女が席に向かうと、そこにいたのは……

(…やっぱりトウジだ。)

一番奥の席に、黒いジャージの少年とお下げの少女が座っていた。

ジャージの少年は、こちらに背を向けているが、お下げの少女はこちらを向いている。

蒼銀の少女を見たヒカリが、少し目を大きくした。

「…それでね、私言ったのよ。 ……あ、綾波さん?」

今までの会話から全く関係のない単語を聞いたトウジが、間抜けた声を出した。

「ふ〜ん…そうなんか。 って、…綾波ってなんや?」

彼はそのまま顔を上げたが、見えたのは少し顔を紅くした少女だった。

そして、その固まったように動かないお下げの少女の視線をなぞるように、ジャージの少年は振り向く。

「あ…せ、センセ…」

トウジの目が大きくなる。

デートの現場を見られてしまった初々しいカップルは、仲良く揃って固まった。

「や、トウジ、洞木さん。」

「…こんにちわ。」

そんな二人を見ても普段と変わらぬ挨拶をしたシンジとレイは、彼らよりも一つ手前の窓際の席に座った。

「すみません、ストレートティとケーキセットをお願いします。

 セットのケーキは、イチゴのショート。 飲み物はミルクティで。」

「はい、畏まりました。」

白銀の少年は、当然のようにメニューを見ないでウエイトレスに注文した。


……前に来た時に、レイはここのショートケーキをとても気に入っていたのだ。


それ以来、シンジはココに来るたびに注文しているのである。

その様子を見たヒカリは、気の利くシンジを少し羨ましそうに見てしまった。

(さすが碇君ね。 綾波さんのエスコート…完璧だわ。

 …ふぅ。 鈴原にあそこまで望むのは、いけないことなのかしら…)

黙り込んでしまったお下げの少女を見たトウジは、彼女の顔の前で”ひらひら”と手を振ってみた。

「お〜い、どないしたんや、イインチョ?」

ヒカリは”ハッ”と我に返る。

「な、なんでもないわよ。」

「なんや…食いすぎで腹でも…」

「違うわよ!!」

(はぁ。 どうしていつもこうなのかしら?)

トウジが、ヒカリの悩みに気付くことは、たぶんないだろう。



………デパート。



水着コーナーでの買い物を終えた紅茶色の髪の少女は、屋上に向かうエレベーターを待つ列の先頭にいた。

”チンッ”

エレベーターのドアが開くと、その箱の中に薄水色のスーツを着こなしている女性が立っていた。

「あら、アスカ…と加持君?」

その女性は、リツコだった。

「げっ! リツコ!!」

監視する側とされる側、二人は”ばったり”と出会ってしまった。


……二人の女性は、お互いを見て驚きに目を大きくしていた。


金髪の女性にしてみれば、全くの偶然の出会い。

しかし、一方の少女にとって見れば、

 リツコと男性のデートを勝手に覗き見ていたという後ろめたさから、かなり動揺して固まってしまった。

「アスカ、取り敢えず乗ろう。 後ろがつかえているぞ…」

「え、あ、そ、そうね。」

加持の言葉で再起動した少女は、ぎこちない愛想笑いを浮かべながらエレベーターに乗り込んだ。



………路上。



シンジとレイは、喫茶店での一時を過ごすと、ヒカリたちと一緒に繁華街を歩いていた。

これは、ヒカリの希望であった。

レイに気遣う優しさに溢れるシンジを見れば、彼氏であるトウジも変わるかも知れない。

別にどこが悪いと言うわけではないのだが、もう少しガサツな部分がなくなってくれれば。

それに、自分達のデートは、食に始まり食に終わるものばかりだった。

だから、大人っぽい二人のデートを見れば、ジャージの少年も何かに気付くかも知れない。

(鈴原…私はもう少しロマンティックなデートがしたいのよ。)


……お下げの少女の淡い期待と願いで実現したグループデートだった。


「あの、碇君。」

だから、お下げの少女は、大人びた同級生である白銀の少年のデートプランを知りたかった。

「なに、洞木さん?」

「どこに行くのかしら?」

「この先にあるデパートだよ。」

これは、無線の情報から決定した行き先であった。

保安部員が上げた情報によると、アスカと加持は何とリツコたちと鉢合わせになってしまったと言うのだ。

(まったく、加持さんて…何考えているんだろう?)

シンジの脳裏に、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる加持が出てきた。

少年はその男に呆れながら、少しだけ足早に巨大百貨店へと向かうのだった。



………第3新東京市、B−7ブロックのデパート。



その屋上。 大きな白い円卓…もちろんプラスチック製の安い代物であるが、そこに2人は座っていた。

それぞれの相方である男性は、彼女達の飲みモノや軽食の買出しに出ている。

(…さっきから、どうしたのかしら?)

金髪の女性は、アスカの普段と違う様子を不思議そうに見ていた。

そのリツコの観察するような視線を感じるアスカは、彼女の方へ顔を向けることができなかった。

(…ダメよ、アスカ。 リツコの視線を気にしちゃダメ。 それに目が合ったら…全部バレそう…)

「お待たせしました。 赤木さん。」

「あ、すみません。 ありがとうございます。」

リツコは、差し出されたアイスコーヒーを受け取り、”ニコリ”とした笑みをマサルに向ける。

「ほら、アスカ。」

加持も自分のホットコーヒーと彼女のジュースをテーブルに置いた。

「あ、ありがとう、加持さん。」

「あの、初めまして。 土井マサルです。 よろしく。」

加持よりも若干背の高い男性は、テーブルの反対側に座る男とアスカに向かってペコリと頭を下げた。

「ああ…初めまして。 オレは加持リョウジ。 で、こっちが…」

だらしない姿の男は、元々緩く絞められていたネクタイを更に緩めながら挨拶をした。

「あ、えっと…初めまして。 惣流・アスカ・ラングレーです。」

男の言葉に続けてアスカは座ったまま、小さく会釈して挨拶を返した。



………同時刻、同じデパートの4階。



「わぁ、キレイ。」

「…そうね。」

ヒカリとレイは、装飾品を取り扱うジュエリーショップにいた。

トウジとシンジは、店の外…エントランスにある木製のベンチに座っていた。

「なぁ、センセ…」

ジャージの少年は、自分の横の少し”ぼー”とした様子の白銀の少年に声を掛けた。


……実際には、保安部員と諜報部員の報告を聞いていたのだが、シンジはトウジの方へ目をやって答えた。


「ん? どうしたの?」

「なんで……おなごっちゅーのは、ああいうの好きなんでっしゃろ?」

喫茶店のピザとスパゲティを腹に納めて満足してしまったトウジは、眠そうに目を”トロン”としていた。

「さぁねぇ…どうしてなんだろうねぇ。」

無線の報告を聞いて、屋上の方は取り敢えず大丈夫だろう、と判断したシンジは、

 デパートの煌びやかな天井の照明を見ながら、気のない返事をした。

「センセにも分からんことがあるんやなぁ…」

「そうだね…」

とても、まったりとした時間であった。




………屋上。



よく冷やされたコーヒーを一口飲んだリツコは、正面に座る二人を少し観察するような目で見て口を開いた。

「加持君は、どうしてアスカと?」

加持は、頭の後ろで手を組んでから、その質問に答えた。

「まだこの街に不慣れなお姫様にエスコートを頼まれてね。」

「私とデートできて嬉しかったでしょー? 加持さん?」

勝気そうな少女の顔を見た加持は、ニヤリと男くさい笑みで答えた。

「ま…そうだな。」

「なによぉ…その気のない返事はぁ…」

リツコは、ジュースを飲んで膨れている少女の隣のイスに置かれたデパートの紙袋に目をやった。

「そう。 …で、何を買ったの?」

リツコの視線に、アスカはイスから紙袋を持ち上げて見せた。

「ああ…これ? ふっふ〜ん。 今年出たばっかりの水着よ! み・ず・ぎ!」

自分に相応しいデザインの水着。 それを着た姿を想像しているのだろうか?

リツコに答えたアスカは、一瞬でとても楽しそうな顔になった。

「水着?」

しかし、その答えを聞いた金髪の女性は、考えるように眉根を寄せて少し目を細めた。

「NERVの水着なら…支給でいくらでもあるでしょうに…」

世界トップレベルの機能性を誇るのが……と呟くリツコを見たマサルがアスカを見ながら言った。

「やっぱり、女の子は流行っていうのに敏感なんですよ、赤木さん。」

「そうね、そういうモノなのかしらね。」

マサルを見たリツコは、機能性よりもデザインを優先するのが一般的な女性ですものね…と続けた。

「いえいえ、デザインと機能性の融合…赤木さんの今日の服、とてもいいと思います。」

望外の言葉に、リツコの頬が僅かに染まる。

「あ、そ、そうかしら。」

加持は、口ごもる金髪の同級生を見て、コリャ珍しいモノが見られたな…と思った。




………エントランス。



「トウジ、そろそろ店に戻ろうよ?」

「は? センセ、終わりそうでっか?」

うつらうつらと夢の国にいたトウジが、シンジの声で現世に呼び戻される。

「たぶん…大体は見終わったんじゃないかな。」

「そうでっか。 ほな、行きましょ。」

シンジとトウジは、立ち上がって少し身体を伸ばすと、彼女たちがいる店内に戻って行った。

ヒカリは、イヤリングのコーナーにいて、手に持っているモノを”じっ”と見ている。

「トウジ、洞木さん、アレが気に入ったみたいだよ?」

「は?」

「洞木さんに見付からないように、こっそり買ってプレゼントしなよ? すごく喜ぶと思うよ。」

「へ? 今日なんぞありましたっけ? イインチョの誕生日やないし…何か祝い事でもあったんでっか?」

不思議そうな顔になるジャージの少年。

「そう言うのとは関係なく、だよ。」

ニコリと笑ったシンジを見たトウジは、落ち着きなく所在なさ気に目を動かした。

「せ、せやけど…」

「…何も理由がなくて照れ臭いって言うのなら、いつものお弁当のお礼だって言えばいいんじゃない?」

ジャージの少年の脳内には、プレゼントを貰って満面の笑みに輝くヒカリがいた。

トウジは握ったり開いたりしていた右手を強く握りこむ。

「わ、ワシ…買います!」



………屋上。



「…ほう、そうなんだ。」

加持がコーヒーを飲みながら、隣のアスカに相槌を打つ。

「ウフッ…せっかくの修学旅行だもん。 ぱぁーと気分を解放しなくちゃ!」

言葉どおり”ぱぁー”と、両手を挙げて笑う少女の紅茶色の長い髪が踊るように風に揺れた。

「…で、修学旅行、どこ?」

だらしなく伸びた髪を一本に纏めた男は、コーヒーカップをテーブルに置いた。

「お・き・な・わ! 2日目のコースにはね、スクーバダイビングも入っているの!」

アスカは、どこまでも続く白い砂浜と煌く太陽に青い海を想像して、”うっとり”とした表情になっている。

「スクーバねぇ……そう言えば、もう3年も潜っていないな…」

加持は、過去の記憶を辿るように目を上げると、青一色のキャンバスに浮かんでいる白い雲を見た。

少女は、ジュースを一飲みして喉を潤す。

「…ねぇ、加持さんは修学旅行、どこ行ったの?」

「ん? ああ…オレ達、そんなのなかったんだ。」

アスカはテーブルに肘をつき、両手で頬を包むようにして聞いた。

「…どうして?」

「セカンドインパクトがあったからな。」

和やかな雰囲気を穿つ男の言葉に、リツコもマサルもどこか遠い目になった。

大人たちの表情は、それぞれが抱えるもの、体験した事を思い出しているようなモノであった。


……マサルは顔を上げて、飲みきったコップをトレイに置く。


「赤木さん、そろそろ行きましょう?」

「…ええ、そうですわね。」

リツコはマサルに返事すると、目の前の男を見た。

「加持くん?」

「なんだい? りっちゃん?」

「アスカをよろしく頼むわね。」

男は仮面を貼り付けたような、いつもの笑い顔で答えた。

「はははっ…了解。」

「それでは、失礼します。」

マサルは、小さく頭を下げてリツコと共にエレベーターホールに向かって行った。

(あれが…戦自研の所長か。)

加持は男の背を見ながら、ぬるくなったコーヒーを口に含んだ。



………エントランス、4F。



蒼銀の少女は、店内に入って来たシンジを見つけた。

「碇君…」

レイは、少年の横に立って彼の真紅の瞳を見る。

「綾波…何か気に入ったの、あった?」

”ふるふる”

少年の問いに、レイは首を小さく横に振った。

「これ以上のモノ…ないもの。」

少女は、首に掛けていたプラチナのチェーンを引いて蒼い指輪を胸から取り出した。

「ありがとう。 そう言ってくれると嬉しいよ。 そうだ、綾波、洞木さんを呼んで来てくれないかな…」

『…トウジのためにね。』

波動を出した白銀の少年の真紅の瞳の奥を見詰めたレイは、一瞬だけ考えるように小首を傾げた。

「鈴原君? …判ったわ。」

『洞木さんへのプレゼント…そう言うことね。』

レイはトウジを横目で見ると、”コクリ”と頷き踵を返してヒカリのいるイヤリングのコーナーに向かった。

ジャージの少年は、拳を握りこんでいた。

「トウジ、反対側から行きなよ。 ココにいると、洞木さん来ちゃうよ?」

「あ…せ、せやな。」

トウジは、油の切れたロボットのような足取りでイヤリングコーナーに向かって行った。

シンジがガラスケースの宝石を見ていると、レイがヒカリを連れてきた。

「なに? 碇君?」

「あ、洞木さん、悪いんだけれど綾波に似合うアンクレットを一緒に探してくれないかな。」

シンジが指差しているのは、足首に付けるキラリと輝くお洒落なアクセサリー。

お下げの少女は、ガラスケースを覗き込んで驚いた。

「い、碇君! ちょっと、スゴイ値段じゃない…」

シンジが見ているのは、全て本物の宝石をあしらった物である。 価格は石の質に応じて高い。

(…私に、似合う? アンクレット……プレゼント?)

レイは、予想外の展開に少し”ぽー”とした様子で佇んでいた。

「あの、すみません。 コレを見せてもらえますか?」

白銀の少年に声を掛けられた店員は、訝しげな視線を向けた。


……どう見てもこんな若い男に購入できる代物ではない、と。


「は、はい。」

女性の店員は手馴れた手付きでケースから取り出して、白銀の少年の前に置いた。

シンジはそれを手に取ると、振り向いて蒼銀の少女に見せた。

「綾波、コレなんてどうかな?」

声を掛けられた蒼銀の少女は、一瞬反応が出来ず目をパチクリとさせてしまった。

「…え?」

少年の手の中で輝いているのは、プラチナと金がきめ細かく編みこまれた細いチェーンと一滴の涙。

その雫は、ダウンライトや蛍光灯などの人工の光の中でも自然と変わらぬように一際強く輝くダイヤだった。

シンジはそのままレイの足元にヒザ付くと、”すっ”と彼女の左足首に当てて見た。

「これ、どうかな? 洞木さん?」

「え?」


……一連の行動を”ぼー”と見ていたのは、何もヒカリだけではない。


どこかボンヤリと見ていた女性店員も、少年の言葉に金縛りを解かれたように瞬きを繰り返していた。

「あ、えっと………うん。 綾波さんにとってもよく似合っていると思うわ。」

清楚で襟の高い白いシャツと赤い布地のタータンチェックのミニスカート。

彼女のたおやかなラインを描く白磁器のように白い脚。

ワンポイントの花をあしらったパンプスと”キュッ”と引き締まった足首。

そして、そこに輝くアンクレット。

(…魅力的すぎるわ。)

蒼銀の少女をゆっくりと上から下に見た女性店員。

年寄りから若者まで様々な客を見てきたベテランの彼女でさえ、褒める事すら忘れて見惚れてしまっていた。

「綾波…これ、どうかな?」

切り取った一枚の絵のように動かぬ蒼銀の美少女。 レイは顔を真っ赤に染めてシンジに深紅の瞳をやった。

「…あ、え…」

数瞬、瞳を泳がせた彼女は少年の瞳に促されるように、再び自分の足首にあるアクセサリーに目を向けた。

(これ……とても、綺麗…)

「…う〜ん。」

シンジは、レイの”うっとり”とした表情とプラスの波動を感じ取ると、

 もう一度、確認するようにアクセサリーに目をやってから立ち上がった。

「…よし決めた。 コレ下さい。」

「は、はい。 えっと、お支払いは現金でしょうか、カードでしょうか?」

シンジは複雑に光を反射しているアンクレットを店員に戻すと、Gパンのポケットから財布を取り出した。

「カードにします。 支払いは1回で。」

少年が店員にカードを見せる。 そのカードを見た女性の顔色が一瞬にして変わった。

「ッ! はい! 畏まりました!」

特殊な黒色のカードを見た彼女は、この少年がとんでもないVIPだということを知った。

その頃、同じように支払いをしていた少年は、可愛らしいリボンに包まれた袋を受け取っていた。

「お待たせいたしました。 こちらになります。」

可愛いラッピングを施した袋を渡す女性店員のにこやかな笑顔。

ジャージの少年の瞳に、初めて買った女性物のアクセサリーが映る。

「ど、どうもです…」

「ありがとうございました。」

トウジは照れ臭くて、普通に接客する女性店員の顔すらマトモに見ることが出来なかった。

その少年の反対側。

歳若くてもVIPには、VIPの扱いがある。 ヒカリが気付けば、責任者である女性店長が現れていた。

「お嬢様、こちらは今お付けになりますか?」

「…はい。」

レイは、少し化粧の濃い中年女性に答えた。

その女性は、手馴れた手付きで蒼銀の少女の左足首に、シンジが買ったアンクレットをつける。

「まぁ、まるでお嬢様の為に造られたかのよう…。 とてもよくお似合いですわ。」

両手を合せて褒める中年女性。 少しゴマすりが強いようにも見えるが、確かにソレは事実だった。

「あ、付けて貰ったんだ。 とてもよく似合っているよ、綾波。」

支払いを終えたシンジが、レイを見てニコリと笑う。

「…ありがとう、碇君。」

蒼銀の少女の満面の笑顔。 眩しい輝きすら感じるその表情を見て、ヒカリは少し視線を落とした。

(…いいなぁ。 綾波さん、とっても嬉しそう。)

「なにしとんのや? イインチョ?」

「わっ!!」

突然の声に、ヒカリの肩が”ビクッ”と跳ね上がった。

「な、なんや!?」

「と、突然後ろから声かけないでよ。 び、びっくりしちゃったじゃない!」

ジャージの少年の後ろポケットが少し膨らんでいる。

(ちゃんと買ったんだね、トウジ。)

シンジはそれを見ると、お下げの少女に怒られている少年に声を掛けた。

「あ、トウジ、ごめん。 僕らちょっと用事があるから、ここで別れよう。」

「へ? そうなんでっか?」

「あ、ごめんなさい。 私たち、やっぱりお邪魔だったかしら…」

ヒカリは、少し申し訳無さそうな顔になった。

「ううん。 違うよ、洞木さん。 僕ら、これからNERVに行くんだ。」

これから仕事、と言った少年を見た同級生は同情的な顔になった。

「…せやったんですか。 ホンマ、休みなしやのぉ。」

「本当。 …大変ね。」

そんな二人を見た少年は、笑ったまま別れを告げる。

「…じゃ、また学校で。」

ヒカリは、ある事を思い出して、背を向けて歩き出したシンジに声を掛けた。

「あ! そうだ。 月曜日は修学旅行の班決めがあるから、出来れば休まないでね。」

足を止めて振り返った白銀の少年の顔は、不思議そうな表情だった。

「何で?」

「碇君と綾波さんが欠席だと、二人を巡って戦争が起こるからよ。」

「はははっ…そんな事はないと思うよ。」

シンジは笑い飛ばしたが、そんな少年を見たヒカリはため息をついた。

(はぁぁ…。 自分がどれだけ人気があるのか、自覚がないのね…)

「トウジ、洞木さん、またね。」

「…鈴原君、洞木さん、また明日。」

シンジ達は、エントランスのエスカレーターで階下へ降りて行った。

「本当にお似合いのカップルねぇ。」

二人の後姿を目で追っていたお下げの少女は、小さく呟いた。

いつの間にか隣に立っていたジャージの少年も、珍しく真面目な口調で言った。

「せやな。 ほんまにお似合いや。 ちゅうよりも他の人間じゃ、あの二人には役不足じゃ。」

「そうね。 碇君の隣に綾波さんじゃないヒトが立っている……なんて想像出来ないわ。」

「…せや。 なんちゅうか、あの二人は特別なんや。 どっか、わしらとは違うように思う。」

ヒカリは、トウジの方へ耳を傾けた。

「違う?」

「う〜ん、どう言ったらええか分からんけど…まるで、どっか違う世界から来たみたいじゃ。」

「何よ、それ?」

またバカな事を言って…とヒカリはトウジの顔を見たが、その彼は非常に真面目な表情だった。

「あ〜…なんちゅーか、あの二人は、あの二人だけの世界がある、そんな気がするんじゃ。」

「二人だけの世界?」

「少女漫画の世界ちゃうで?」

「茶化さないで、そんなの分かっているわよ。 それに、鈴原が何を言いたいのか……何となく分かるわ。」

トウジが隣のヒカリ見ると、彼女は何となく嬉しそうな顔であった。

言いたいことがあって、それを上手く表現できなくてもちゃんと相手に伝わる。

全部は無理でも、少し相手の心が分かる。 こういう事が幸せなのかも知れない。

ヒカリは、今のやり取りでそう思った。

(私の隣に立っているのが、鈴原でよかった…)

「どないしたんや?」

トウジは、黙り込んでしまった彼女の顔を覗きこんだ。

「なんでもないわよ。 さ、鈴原、私たちも行きましょ?」

お下げの少女は、柔らかい笑顔を彼に向けた。

「せやな。 あ〜、イインチョ…帰りがけ、公園でも寄って行こか?」

「え? うん、別にいいわよ。」

ヒカリは返事をしながら、少し顔を紅くしたトウジを不思議そうに見た。



………リニアトレインの駅。



「今日はお付き合いしてくださって、本当にありがとうございました。」

背の高い男性は、とても満足気な表情を女性に向けた。

「こちらこそ。 久しぶりに、とても楽しい時間でしたわ。」

その顔を見た金髪の女性も、柔らかい笑みを男に向けた。

「また、会って頂けますか?」

マサルは、相手の瞳を見詰めた。

リツコは、男の真剣な目を見て、少し申し訳なさそうな顔になった。

「ええ、もちろんですわ。 でも…」

「でも?」

「私は特殊な事情で、この街から大きく外れることが出来ませんので…」

「もちろん、それは理解しています。 ですから、また私がこちらに来ますよ。」

「申し訳ありません。」

リツコは、マサルに頭を下げた。

「いえいえ。 止めて下さい。 赤木さん、頭を上げてください。」

男は、慌てたように手を振って言った。

「それに、好意を寄せる女性に逢いに行くのは、ドキドキしてとても刺激的ですし。」

…何を言っているのだろうか? 自分の口から出た言葉に、マサルは顔を赤くしてしまった。

そんな男性を見たリツコは、思わず笑ってしまった。

「ふふふっ。 そう想われるのは、悪い気がしませんわ。」

「すみません。 また、メールします。 今日はありがとうございました。」

マサルは何か誤魔化すかのように、駅の中へ走って行ってしまった。

「また、今度。」

リツコは小さく呟いた。

男の背を見詰める彼女の瞳は、柔らかく笑っていた。



………その後方。



『コード”シグマ”駅へ侵入。 碇二佐、監視は目標が第3新東京市を離れるまで続行しますか?』

シンジは、右耳につけている目立たないイヤホンの小さなスイッチを入れた。

「いいえ。 これまでの情報からシグマの危険性はないと判断します。 今作戦はこれで終了とします。 

 皆さんのご尽力により、赤木リツコ博士は無事に帰宅できるでしょう。 本当に、ご苦労様でした。」

白銀の少年の判断と労いの言葉に、諜報部の責任者が答えた。

『ハッ了解。 現時刻を以って監視体制を解除。 狙撃班へ達す。 ルートB32より速やかに帰還せよ。』

『狙撃班、了解。』

白銀の少年は、多数の人間の気配が周囲から素早く離れていくのを感じた。

そして、そのままマイクのスイッチを切ったシンジは、もう片方の手で携帯電話を取り出した。


……作戦責任者として、上に最終報告をするのだ。


「ドーラ、特殊回線で父さんに繋げて。」

『畏まりました、マスター。』

地上とジオフロントの回線は、MAGIにすら感知されずに繋がる。

『…終わったか。 ご苦労だったな、シンジ。』

総司令官…碇ゲンドウの第一声は、全てシナリオどおり、という口調だった。

そのニュアンスを感じたシンジは、思わずこめかみを押さえる。

「あの男の人のこと…知っていたんだね? 父さん?」

シンジの声色は、父に対する呆れが少し混じっていた。

(今日一日で一体、何人の人間が動いたと思っているのさ……)


……いつの時代も、コスト縮減は全ての社会的組織の命題である。


『フッ…』

真面目な息子に答えたのは、してやったり、という父の笑い。

シンジの脳裏で、机に肘つくサングラスの父が、口の端を上げて”ニヤリ”と笑っていた。

その父に対して、少年は力なく疑問を投げる。

「…なら、どうして?」

『…最近のチルドレンは実験・訓練に忙しい。 自由な時間も少なかっただろう。 何よりも、シンジ…』

言い掛けたまま、妙な”間”を作る父。 しかたがない、とシンジは会話を続けるように先を促した。

「…何さ?」

総司令官執務室の薄暗い照明の中、ゲンドウのサングラスが怪しく輝いた。

『フッ…楽しかっただろう?』

父の手の平で遊ばれていた感が否めない。

「うっ…」

その上、MAGIに監視させていたのか…とシンジの肩が力なく落ちる。

「でも、何時から?」

リツコ姉さんとあの男性のことに気付いていたのか、とシンジは父に問うた。

『土井マサル…彼が第3新東京市に来た、ヤシマ作戦の時だ。 赤木博士との交流は、その時からだ。』

「はぁ〜…そうだったんだ。」


……少し退屈していたレイは、触れ合いを求めて白銀の少年の背中から彼の腹部に腕を回して抱きついた。


(…碇君。)

”きゅ…”

「…う。」

『フッ…相変わらず、仲がいいな。』

これは、現在もリアルタイムでここを見ているのが分かる父の発言である。

シンジはため息をついた。

「ドーラ…お願い。」

『イエス、マスター。』

『まて、シンジ…』

”ブツッ…ツー、ツー、ツー”

電話とカメラの回線が強制的に切れた。



………公園。



緑溢れる公園の入口から涼しげな噴水が見える。 

ジャージの少年とお下げの少女は、肩が触れるか触れないか位の距離で並んで歩いていた。

未だ、手も握れない…これが、今の彼と彼女の距離だった。

陽は少し傾き始めているが、まだまだ眩しいくらいの光を放っている。


ミーン、ミンミンミンミンミン、ジー

ジーワ、ジーワ、ジーワ…


常夏の国になってしまった日本。 虫の音も耳に纏わりつくように五月蠅かった。

「取り敢えず、ベンチに座りましょうよ。」

「あ、ああ。 せやな。 ワシ、喉渇いたから、ジュース買ってくるわ。 イインチョは何がいい?」

「そうね、冷たい緑茶がいいわ。」

「了解や。」

黒いジャージの少年は、ベンチから少し離れた自販機に向かって歩いて行った。

(あ、冷たい…きもちいい。)

ヒカリは噴水に手を伸ばして、その透明な液体に触れた。

「おまっとさん。」

「あ、ありがとう、鈴原。」

トウジは、ヒカリによく冷えた缶を渡すと、彼女の横に座った。

(お!! いかん!!)

座った瞬間、少年は後ろポケットに入れていたモノを思い出して、突然立ち上がった。

「ど、どうしたの?」

彼の突然の動きに、ヒカリは目を大きくした。

「な、何でもあらへん。」

(ホッ…無事みたいやな…)

「本当にどうしたの? 鈴原?」

お下げの少女は、眉根を寄せると首を捻ってトウジの顔を見た。

そのヒカリの真っ直ぐな瞳を見た少年は、落ち着きなく右手を動かし始める。

後ろのポケットの方へ動かしては、元に戻す。 それを何度も繰り返した。

「あ、せ、せや…」

突然、何かに気が付いたような顔になったトウジは、どもりながら右手を後ろのポケットに突っ込んだ。

「これ、イインチョにプレゼントや…」

「え?」

黒いジャージの少年の右手に、可愛らしいリボンが付いている小さな袋があった。

ヒカリはどこかボケッとした表情で、それを黒い瞳に映していた。


ミーン、ミンミンミンミンミン、ジー

ジーワ、ジーワ、ジーワ…


(うそ…)

先ほどのレイを羨ましがっていた自分。 

だから、なんとなく自分の望みが、願望が、こんな幻を見せているのだろう……

…と、考えてしまうほど彼女の黒い瞳に映っている映像は頼りなく、また現実感がなかった。

「受け取ってくれんのか?」

「え?」

トウジの困惑した声でヒカリの意識が、この常夏の現実の世界に連れ戻された。


……お下げの少女は、とてもゆっくりとした動きで少年の右手の袋を受け取ると、小さく口を動かした。


「…ありがとう。」

その言葉に、トウジは自然と血が集まってきた自分の顔を彼女に見られないように、

 そっぽを向いて言い訳のような言葉を言う。

「気にせんと…えと…そ、そや…い、いつもの弁当のお礼や…」

「ううん。 本当に、ありがとう。」

意外と言うか、この思いがけない事態に、ヒカリの声は少し涙声だった。

「開けてもいい?」

「あ、ああ。 かまへんけど…」

彼女は、”シュルリ…”とリボンを解いて、小さな袋を開ける。 

そして、その中を覗いたヒカリは、驚きで目を大きくした。

(これって! さっきのお店で見ていたイヤリング。 今度、自分で来てお小遣いで買おうか悩んでいた…)

彼女の瞳に映っているのは、シルバーのイヤリングだった。

銀色の小さな花の中心に、アメジストが煌いている。


……これは、2月生まれである彼女の誕生石である。


ヒカリは怖ず怖ずと袋からアクセサリーを取り出した。

トウジは、固唾を呑んでお下げの少女の動きを見守っていた。

(たぶん、イインチョが見てたヤツ…やと思うんやけど…違うヤツやったらどないしよ…)

「鈴原…」

「な、なんや?」

ジャージの少年は、顔を下に向けたままの少女の低い声色に”ビクッ”とした。

(やっぱ、違うヤツやったんか…同じようなヤツ、ぎょうさんあったし…)

「これ、本当に欲しかったの。 ありがとう。 大事にするわ。」

イヤリングを両手で包み、大事そうに胸に当てて顔を上げたヒカリは、トウジが想像した以上の笑顔だった。





沖縄へ。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………コンフォート17。



それぞれが満足のいく日曜日であった、その夜。


「…えぇぇぇええええ!!!!!」


その一日を締めくくる夜に、少女の絶叫のような大声が静かなマンションに響き渡る。

机に手をついて身を乗り出したアスカは、理不尽な事態に憤りを隠せなかった。

その理不尽な事態を宣告したのは、目の前で缶ビールを口に銜えている女性である。

ミサトは両耳を覆っていた手をゆっくりと離した。

「何ですって!? …修学旅行に行っちゃダメ!?」

「そ。」

アスカの鋭く睨むような視線にも、ミサトは涼しい顔のままであった。

この少女は、自分の部屋で修学旅行の為に選んだ水着を仕舞っていた時、

 帰宅して着替え終わったミサトに声を掛けられたので、何よ、とリビングに顔を出したのだ。

そうしたら、彼女から突然、修学旅行は許可出来ない、と言われたのだ。

少女は、口に銜えていた缶ビールを手に戻した女性に問うた。

「どうして!?」

”ぐびっぐびっぐび……タンッ!”

ミサトは、飲み干した缶ビールをテーブルに置くと、同居人である少女の顔に目を向けた。

「どうしてって、…戦闘待機だもの。」

あっけらかんとした顔。 当然でしょ? というその態度に、アスカは烈火の如く怒りをあらわにした。

「そんなの聞いてないわよ!」

「今、言ったわ。」

少女の肩が、噴火前の火山のように小さく”プルプル”と震える。

「…誰が決めたのよ?」

「作戦担当の私が決めたのよ。」

少女の言葉に、間髪を入れずに答える作戦課長。

アスカは次に言う言葉を見つけているのだろうか? 静かにタンクトップ姿のミサトを睨んでいた。

「気持ちは分かるんだけど、こればっかりは仕方ないわ。

 あなたが修学旅行に行っている間に、使徒の攻撃があるかも知れないでしょ?」 


……決壊寸前のダムのように、紅茶色の髪の少女の肩が大きく”ワナワナ”と震えた。


「…いつもいつも待機、待機、待機、待機!! いつ来るか分かんない敵に守ることばっかし!

 たまには敵の居場所を突き止めてコッチから攻めにいったらどうなのよ!!」

怒れる少女アスカの言葉に、大人の女性ミサトは苦笑する。

「それが出来れば、やっているわよ。」

何を言っても、どうしようもない現実。

確かに使徒はやって来る。 それを殲滅させることができるのは、EVAだけで……自分はそのパイロット。


「あーーーー!!! もぉーーーーーー!!! いぃ〜〜〜〜、だっ!!!」


言いたい事を言い切ると、アスカは”どすどす”と足音を大きく響かせて部屋に戻ってしまった。



………翌、月曜日。



登校時間。 

太陽が眩しい青い空の下、第3新東京市立第壱中学校に向かう生徒達が歩道橋を歩いている。

「グーテンモルゲン、アスカ。」

少女が後ろに振り向くと、戦場で戦う同僚であり、また同級生である白銀の少年と蒼銀の少女がいた。

「おはよ…シンジ、ファースト…」

「? 元気ないね、どうしたの?」

シンジはレイと手を繋いだまま歩きながら、不思議そうにアスカを見た。

「あんた達、楽しみじゃなかったの?」

紅茶色の髪の少女は、”じっとり”とした目でシンジの顔を見た。

「は?」

「は? じゃないわよ!! 修学旅行よ!! しゅ、う、が、く、旅行!!」

アスカは、一々反応の鈍い少年に、思わず声が大きくなる。

「楽しみだよ? ねぇ、綾波?」

「ええ、沖縄は約束の地。 私達にとって、一番大事な思い出を作るの。」

「う…そ、そうだね、約束したモンね…」

”ぽっ”

「ええ。」

頬を紅くして照れているレイ。 そんな彼女を見て、シンジも顔が熱くなってくる。


……二人が交わした約束とは? 一番大事な思い出とは? その約束の内容は、後々判明するだろう。


そんなワケ分からない二人を見たアスカは、

 どうしようもない事実、と昨夜、自分が受け入れた現実を言い放った。

「何言っているのよ! チルドレンは戦闘待機!! だから、修学旅行は行けないでしょーが!!」

アスカは”ツカツカ”とシンジに詰め寄った。

(やっぱり、前と変わらないんだね。 葛城ミサトは…)

チルドレンのケアを考えるのなら、絶好のガス抜きになるだろう友達との旅行。

特権を持つNERVなら、どうにでも対応できるであろう。

あの女には、そういう努力をする気持ちは残念ながらないようだ。

(…所詮、セカンドチルドレンは自分の復讐を遂げる為の道具か…)

白銀の少年は、そんな事を思いながら表情を変えずに答えた。

「戦闘待機? 僕らにそんな命令は出ていないよ?」

「え!?」

予想外の答えを述べたシンジ。 彼を見ていたアスカの青い瞳が大きくなる。

彼女が、渋々納得した理由を根底から覆されてしまった。

(うそ…)

”カキンッ”と固まった少女を放置したシンジとレイは、歩道橋のエスカレーターに乗った。

「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ!」

そして、アスカは学校へ向かう道中で、どうしてシンジ達に命令が出ていないのか、それを知った。



………2−A。



教室のトビラが乱暴に開かれる。

”ガラガラガラ”

「納得いかないわ!!」

憤慨している少女の声は大きい。

その大きな声に驚いたクラスメートは、びっくりした顔のままアスカを見ていた。

「おはよ、アスカ。 朝からどうしたの?」

「どーもこーもないわよ!! 聞いてよ、ヒカリ!」

”ダンッ!”と机にカバンを置いた少女は、”ドカッ”とイスに座った。

そして彼女が口を開こうとした瞬間だった。

「…アスカ? それ以上は、守秘義務の違反に抵触するよ?」

いつもとは違う、感情を伴わない透き通った硬質な声。

ガラスのような声に、アスカが反射的に顔を向けると、真紅の瞳と視線がぶつかった。

「…う、分かっているわよ!!」

アスカの前の席に座ったシンジの”力”ある声は、彼女の頭を冷静にさせるには十分だった。

(作戦課は、シンジとファーストに命令権がないなんて…だから、命令できる私だけ行けないって言うの…)

アスカは、憮然とした表情で自分の机の木目を睨んだ。

そんな少女を、ヒカリは少し心配そうな顔で見ていた。



………昼休み。



”キーン、コーン、カーン、コーン…”

時間は進み、昼休みの時間を告げるチャイムが鳴る。

(午後から班分けか……さて、アスカはどうするんだろう?)

シンジは、朝以来黙々と授業を受けていた少女に目を向けようとしたが、横から声が掛かった。

「碇君。」

その声は、鈴を転がすような心地良い声。 彼女の声を聞くだけで気持ちが満たされるようだ。

もちろん、その声の持ち主は彼が愛する蒼銀の少女だった。

「…お弁当。」

シンジが目をやると、すでにレイはカバンを持って立っていた。

「うん、じゃ、今日は校庭の樹の木陰で食べよう?」

蒼銀の少女は、”コクッ”と頷いた。

「うん。」

そして、シンジとレイが仲良く教室を出て行く姿を、青い瞳が追っていた。



………ベンチ。



少女は、校庭を見渡せる場所にある木製のベンチに座ると、カバンの中から小さなバスケットを取り出した。

「今日は、サンドイッチなの。」

レイは、プラスチックの蓋を開けて包みを解くと、今朝作ったサンドイッチを彼に見せる。

薄切りのタマネギに高級ハム、ピクルスを挟んだもの、ヒレカツや固ゆでタマゴをみじん切りにしたもの、

 カリカリに焼かれたベーコンと新鮮なレタスなど様々な食材がパンに挟み込まれている。

「…うわぁ、おいしそうだね。」

少年が受け取ろうと手を伸ばすと、少女は一切れ取ってそのまま彼の口元に手を伸ばした。

「…あ〜ん、して。」

レイを見たシンジは、嬉しそうに口を少し大きく開けた。

「うん。 あー…」

彼の穏やかで嬉しそうな表情。 それを見た蒼銀の少女も嬉しそうに微笑むと、彼の口にパンを入れる。

「…はい。」

少年は瞳を閉じて、彼女の愛情が込められたサンドイッチを味わう。

「……う〜ん、うまい。」

「よかった。」

レイは、幸せそうな笑みを更に深める。


……愛しい彼のために毎日作るお弁当。


このおいしい、という一言を言って貰いたいが為に、

 日々研究し、磨きに磨いている蒼銀の少女の料理の腕前は、すでに一流のプロ並であった。

レイはカバンから小さな水筒を取り出して、コップにお茶を注いだ。

「はい、お茶。」

「ありがとう。」


……世界中の誰よりも甘い空間を作り出す二人の世界に、突然の侵入者が現れた。


「…シンジ。」

少年が声のほうを見ると、囁くような優しい風に紅茶色の髪をなびかせた少女が木の影に立っていた。

購買部の白いビニール袋を手にした、セカンドチルドレン……惣流・アスカ・ラングレー嬢であった。

名前を呼ばれた少年は、愛する少女の手ずからのパンを味わいながら口を動かした。

「ふぁすか…どほぉしたの?」

「食べながら喋るんじゃないの、行儀悪いわよ…って、そんなんじゃなくて…」

「碇君、くち…」

レイはハンカチを手にすると、甲斐甲斐しく彼の口からはみ出たソースを拭き取ってあげた。

「ん…ありがとう。 綾波もほら、食べて。」

シンジはバスケットの中から、タマゴサンドを手にした。

「…うん。」

白銀の少年は、少女の口元にそっとサンドイッチを持っていく。

再び二人の世界に突入しそうな少年を、アスカが呼び止める。

「ちょっと、シンジ!」

「あ、ゴメン。 何? アスカ?」

少し邪魔された、という顔のシンジは、何しにきたんだろう…と紅茶色の髪の少女を見た。

(背に腹はかえられないわ…アスカ、沖縄の為よ!!)


……意を決した彼女は、突如、頭を深々と下げて”パンッ”と手を合せた。


「お願い!! 私…どーしても修学旅行に行きたいの!」

プライドの高いセカンドチルドレンの意外な行動。

シンジは、”きょとん”とした表情で、矜持を捨てたアスカを見た。

『…へぇ、随分変わったねぇ…』

彼の波動を感じたレイは、”ジッ”とアスカを見て答えた。

『…私たちが、違うから。 それに前史の彼女ではないわ。 今の彼女が彼女。 変わったのではないわ。』

『そうだね。 環境が変われば、人間はどうにでも変わることが出来る。 そういうことだね。』

シンジは、まだ頭を下げたままの少女に申し訳無さそうに答えた。

「ゴメン、僕にお願いしても…」

アスカは、少年の何も出来ないよ、という言葉を遮るように、顔を上げた。

「うそ! シンジは、作戦課に命令できるでしょ?」

「う…」

よく知っているね…とシンジは少し驚いた。

「ふっふ〜ん。 NERVの規約を読んだのよ。」

アスカは、得意気にスカートのポケットから小さな冊子を取り出した。


……それは、NERVの職員に配られる特務機関の規約をポケットサイズに印刷した物だった。


確かに、追記されたEVA独立中隊の部分を読めば、

 戦術作戦部、技術開発部ともに中隊に対しては、一切の命令権はなく、ただ要請ができるのみである。

逆に、EVA独立中隊は、必要に応じて命令権を持つことが認められている。

レイは、サンドイッチを彼の口元に運ぶと、アスカに視線を向けた。

「…授業中に?」

紅茶色の髪を右手で掻き揚げた少女は、”キッ”とレイを睨んだ。

「そうよ! 悪い? 難しい漢字が多くて読むのに時間が掛かったのよ!

 それに、アンタだってロクに授業受けてないじゃない!」


……彼女のノートパソコンの画面は、いつも料理のサイトなどが表示されている。


蒼銀の少女は、アスカの視線を受け流した。

「…必要、ないもの。」

シンジは、お茶を一飲みして疑問を口にした。

(だから、午前中は静かだったのか。 …でも…)

「…なんで、そこまでして?」

白銀の少年を見たアスカは、視線を足元に落とすと、小さな声で答えた。

「私の育ったドイツは常冬の国でね。 水泳ってさ、訓練とかで室内のプールは何度もあるんだけれど…」

彼女の話を纏めると、まず、学校のプリントを読んで海とスクーバに興味を持った。

そして、NERVにあったビデオなどの映像から、その素晴らしい海中の光景に心を奪われ、

 ぜひ、自分の目で直接見てみたくなったと。


……だから、彼女は海で泳ぐ事をかなり楽しみにしていたらしい。


(小さい頃から、チルドレンとしての訓練だけだった人生か。 アスカも被害者なんだよね…)

シンジは、少し遠い目でアスカを見た。

「…そっか。 取り敢えず、アスカもお昼にしなよ? 休み時間なくなっちゃうよ?」

「あ、そうね。」

アスカは、腕時計で時間を見ると、シンジ達の横に座って購買部のパンを袋から取り出して食べ始めた。

「だから、シンジ、何とか出来ないかしら?」

レイは、ヒレカツサンドを手にした。

「…はい、碇君。」

「…あ、ありがとう。 はむっ…じゃ、綾波にも…あ〜ん。」

少年は、彼女の口元にタマゴサンドを運ぶ。

レイは、少し頬を染めて応える。

「あ…ん。」

”ごそごそ”と袋から紅茶のペットボトルを取り出したアスカが、横目で睨んだ。

「ちょっと、人の話、聞いてる!?」

「…え、うん。 聞いているよ。」

とっても気の抜けた返事だった。

「じゃ、何とかしなさいよね!」

「…なぜ、碇君がセカンドの為に?」

レイは少し冷たい視線を彼女に投げた。

「私も行きたいの! 認めたくはないけれど、シンジが二佐なのは事実だわ。

 ミサトやリツコを説得できるのは、そう、この最悪な状況を打破できるのは、シンジだけなのよ!!」


……なんとも勝手な理屈だったが、彼女の言った事は正しい。


「う〜ん。」

シンジは、眉根を寄せた。

(確かに、アスカだけ待機じゃ可哀想かな…どうせ、サンダルフォン戦になっちゃうだろうけれど…)

「分かった。 いいよ。」

白銀の少年は、コクッと頷いた。

「ホント?」

アスカは喜びに破顔一笑した。

「でも、条件がある。」

「なによ?」

「第3新東京市を離れるんだから、もし使徒が発見されて帰還命令が出たなら、無条件に即時戻ること。」

シンジは真面目な表情で言った。

「何かと思えば…ハンッ! そんなのアンタらだって、一緒でしょ?」

「そうだけど、確認だよ。 いいね?」

「モチロンよ!!」

アスカは”グッ”と力強く握った右手の親指を立てて元気に応える。

それを見ながらシンジは、携帯電話を取り出してダイヤルした。


……数秒の呼び出し音が終わると、電話は男性オペレーターと繋がる。


『…はい、NERV本部です。』

「こちら、EVA独立中隊の碇シンジです。 …副司令に繋いでいただけますか?」

『はい、しばらくお待ち下さい。』

しばらくの間が過ぎると、初老の男性が電話に出た。

『やぁ、シンジ君。 君から電話を貰うなんて、珍しい事もあるものだ。 何かあったのかね?』

「冬月先生、EVA独立中隊として、上申…いえ、お願いがあります。」

『…ほぉ。 何かね? 権利、権限を使いたがらない君が、願いとは。 これは本当に珍しい事だね。』

「すみません、先生。」

『何、構わんよ。 で?』

「戦術作戦部、作戦課直属のチルドレンに対するお願いです。」

少年の言葉に、冬月の目が少し細まった。

『セカンドチルドレン?』

「はい。 彼女に下されている市内での戦闘待機命令を一時解除して欲しいのです。」

冬月は、自分の端末を操作して、作戦課の現行命令の一覧を表示させた。

『…ふむ。 作戦課長である葛城君から出ている命令だね?』

「はい。」

『理由を聞こうか。』

「はい、我々チルドレンは、最近特に過密になった実験スケジュール等で、

 精神的・肉体的疲労が重なっています。 特にセカンドチルドレンは来日以来、

 慣れぬ異国の地での暮らしなどから精神的疲労、ストレスが増大傾向にあると感じていました。」

冬月は、優秀な学生を相手にする教授のような顔になる。

「…ふむ。 つまり、君たち同様、修学旅行に参加させろ、と?」

(相変わらず、優しい心を持っているのだな。 いくら戦場に出ようとも、ヒトの本質は変わらないのか…)

副司令官は、執務室の天井に目をやった。

『はい。 良いリフレッシュになると思います。』

(…意地悪かもしれんが、確認は必要だな。)

冬月は、次の質問に、この優秀な生徒がどう答えるのか、楽しげな顔になった。

「…しかし、我々の最大の目的である使徒の殲滅…これに勝るモノはないのだよ?

 やはり、最低でもチルドレン一人くらいの待機は必要ではないかね?」

通話先のシンジが冬月にアンサーを返す。

『EVA独立中隊は、2泊3日の修学旅行の期間、NERV及び国連軍にスクランブル体制を要請します。』

「なに? スクランブル?」

『はい、セカンドが第3新東京市に待機していようが、修学旅行に参加していようが、

 要請があれば我々も沖縄から直ぐにココに戻ってこなければならないのは変わり有りません。』

「…それは、そうだな。」

『そして、沖縄でのガードの体制も、第3新東京市と同レベルでなくてはならないと考えます。』

「もちろんだ。 司令部はその件に関して、既にプランの選定及び決定を終えている。」


……シンジは、どうなるのだろう、と不安そうな顔のアスカを見ながら冬月との会話を続けた。


「はい、その計画書は先日確認しました。 必要十分以上の対応、ありがとうございます。」

『なに、当然のことだよ。 続けたまえ。』

「NERVからの帰還要請、命令が出た場合、待機している保安部のヘリで国連軍基地へ直行し、

 スクランブル体制で待機している戦闘機に乗り、第3新東京市へ戻ります。

 つまり、我々チルドレンは、戦闘機に乗れば30分以内に第3新東京市へ戻れると考えます。」

『…シンジ君、君が言いたい事は、第3新東京市で待機していても、沖縄で待機していても、変わらんと?』

「いいえ、沖縄での待機は、国連軍へのスクランブル要請、

 第3新東京市のような設備のない街でのガード……かなりコストが掛かると思います。」


……コスト、少年のその言葉に、冬月は笑いを禁じえなかった。


「クッハハハッ…経費にまで気を使ってもらってすまないね、シンジ君。」

『当然ですよ、冬月先生。』

「なるほど、君の考えはよく分かった。 確かに、世界に3人しかいないパイロットだ。

 彼女を軍隊のように厳しい環境に耐え抜いた君達のような特殊な子供と同じと考えてはイカンな。

 セカンドチルドレンのケアを考えれば、当然の帰結かも知れん。」

少年の声に、副司令に対する期待がこもる。

『…では?』

「うむ。 許可しよう。 それと、シンジ君…」

『はい?』

「先ほどの、スクランブル体勢の要請は受けよう。 必要だからね。 

 司令部が決定したガードのプランと擦り合わせしたスクランブル体勢の計画書を今日中に提出したまえ。」

『ハッ。 了解しました。』

「…では、頼むよ。」

『ありがとうございます、冬月先生。』


……電話を切った冬月は、電話先の少年が笑顔で礼を言ったのを感じると、やれやれ、と受話器を置いた。


(…セカンドのケアとは。 葛城君の監督日誌には精神的疲労など認められないと書かれていたな…)

副司令は、少し乱れたロマンスグレーの髪を左手で整えながら、机の端末に向き合うと、マウスを操作した。

端末の画面に、ミサトが今まで提出したセカンドチルドレンの監督日誌の一覧が表示される。

冬月は、その中から適当にピックアップして内容を確認した。

(よく見れば、ランダムではあるが、似たり寄ったりな内容だな。)

男は、少し眉間にしわを寄せると、再び電話機に手を伸ばした。


”プルルル、プルルル…”


「はい、第一発令所、伊吹です。」

『…伊吹君か。 私だ。』

「あ、副司令、お疲れ様です。」

『スマンが、葛城一尉を私の部屋まで呼んでくれたまえ。』

最上段のオペレーター席で電話を受けたマヤが、端末を操作して彼女の居場所を素早く特定する。

(え〜と…葛城一尉は、と。 あ、携帯の信号をキャッチ。 食堂ね。)

「はい、了解しました。 葛城一尉を副司令の執務室へ伺うように伝えます。」

『うむ。 よろしく頼むよ。』

ショートカットのオペレーターは、キーを素早く叩いて食堂の女性に回線を繋げる。


”ピリリリ、ピリリリ…”


「…あ、葛城一尉、今大丈夫ですか?」

『ほっほまっへ…』

マヤのインカムに、”ゴクッ”と何かを嚥下する音が聞こえた。

「…お食事中にスミマセン。」

ショートカットのオペレーターは、申し訳無さそうな顔になった。

『んふぅ〜大丈夫よ。 どったの? マヤちゃん?』

ジャンケンで”おごり”という福を享受していたミサトは、携帯電話を首に挟んで口を動かす。

テーブルの対面には、少しションボリした加持が座っていた。

「トホホ。 昨日はアスカの水着、今日は葛城の昼飯か……給料日まで長いなぁ。」


……男の背中は普段よりも小さく見える。 それは、哀愁というオーラが漂っているからかも知れない。


「…ええ? 副司令が?」

赤いジャケットの女性は、あからさまに嫌そうな顔になった。

『はい、執務室に来るように、と言っていました。』

「はぁ…了解。 なんだろ? もしかして、何かあった?」

『いえ、特には何も。 使徒の反応も通報もありません。』

「そう。 分かったわ。 取り敢えず、行くしかないか。 マヤちゃん、連絡ありがと。」

ミサトはそう言って携帯を切った。

「なんだぁ? 葛城、呼び出しか?」

加持は、まるで悪友が先生に呼び出された不幸を喜んでいるような顔で彼女に声を掛けた。

「うっさい!」

ミサトは、カツ丼の残りをバクバク食べ始めた。

(なんだか、子供っぽくなったな、葛城…)

加持は、その様子を見ながらコーヒーを啜った。



………2−A。



”ガラガラガラ!!”

昼休みのチャイムが鳴り終わった教室。 二つある内の一つ、黒板側のドアが勢いよく開いた。

「さぁ、みんな! ホームルームを始めるわよ!!」

「アスカ?」

ヒカリが見たのは、ヤル気満々の少女。

その後ろから、シンジとレイも教室に入って来た。

「どうしたの? アスカ…」

ヒカリは、先ほどまでどこか暗い表情だった少女に、昼休みの間に一体何があったのか、少年に問うた。

「実は、やっとNERVから正式に修学旅行参加の許可が下りてね。」

シンジは自分の席に座りながら、お下げの少女に答えた。

「え? そうだったの? アスカ、結構張り切っていたから、当然行けるものだと思っていたわ…」

ヒカリは、少し驚いてしまった。 なぜなら、アスカは修学旅行の実行委員に立候補していたからだ。


”カッカッカッカッカ!!”


実行委員である紅茶色の髪の少女が、教壇に立って黒板にチョークを走らせた。

《 修学旅行の班決め! 》

シンプルだが、分かり易い議題である。

教室にいた生徒達も、この議題を見ると自然と真剣な眼差しになる。


……たかが2泊3日、されど2泊3日の修学旅行。


この班決めで、修学旅行が楽しいものになるのか、ならないのか、殆ど決まってしまう。

せっかく修学旅行に行くからには、誰でも仲の良い友達と一緒に楽しい思い出を作りたいだろう。

また、この旅行を絶好のチャンスと考えている生徒も沢山いる。

意中の人と一緒の班になり、少しでも距離を縮める事が出来たら……

 彼らの真剣な表情とその目がそれを語っていた。

大半の男子生徒は、蒼銀の少女や紅茶色の髪の少女と同じ班になりたいと考えているし、

 同じように、大半の女子生徒は、白銀の少年と行動を共にしたいと思っている。

アスカは、クルッと振り向くと、

 教室にいる生徒の反応を確認するように、部屋の端から端までゆっくりと見渡した。

「ついに今週末になった修学旅行! その第一歩となる班決めをこれからするから、みんな、いいわね!?」


……生徒に任された午後の時間。 その教室の空気が一気に熱くなる。


「じゃ、相田。」

アスカは、教室の後ろの方に青い瞳を向けてメガネの少年を呼び寄せた。

「ああ、用意できてるよ。」

呼ばれた少年は、いつも持っているカメラの代わりに、四角い箱を二つ持って教壇に向かった。

紅茶色の髪の少女は、それを受け取ると、勢いよく教卓に置いた。

「じゃーん!! さ、これを使って、恨みっこナシのくじ引きをするわよ!!」


「「「うぉぉぉぉおお!!」」」

「「「きゃぁぁああ!!!」」」


男子生徒達の気合の叫び声と女子の歓声のような声が交じり合い、教室は興奮の”るつぼ”と化している。

「ちょっと、みんな、他の学年は授業しているんだから、もう少し静かにして!!!」

学級委員長の大声が教室の鎮静化を図る。 しかし、お下げの少女を無視して、更に騒ごうとする男子たち。


……が、彼らは、騒げなかった。


ヒカリの言葉に続けて、このクラスの中心に近い人物が席を立ち上がったからだ。

「ごめん、みんな。 もう少し、静かにして欲しいんだけど。」

数名の男子生徒を制したのは、彼らを”ジッ”と見るシンジだった。

「「「「ご、ごめんなさい。」」」」

騒ぎを焚き付けていた男子は、

 普段と全く雰囲気の違う少年を見て、まるで冷水を被ったかのように大人しくなってしまった。

白銀の少年は、教室が静かになったのを確認すると席に座り、再び物凄い速さでタイピングし始めた。

”カタカタカタカタ……”

シンジは、教室中の視線を無視して、一心不乱にキーを叩き続ける。

その様子に、思わずケンスケが問うた。

「な、なぁ、碇…なにしているんだ?」

シンジは、画面から視線を動かさずに答えた。

「僕らNERVの3人が、修学旅行に行くために必要な書類を作成しているんだ。」

「そ、そりゃ…大変そうだな。」

「僕の分のくじは、綾波に引いてもらうから。」

そう言うと、少年は黙々と計画書の作成作業に没頭していった。


「お、おっほん!!」


片目をつぶったアスカの咳払いで、教室の注目は再び教壇の方へ集中する。

「え〜と、取り敢えずシンジは放っておいて、話を進めるわよ。」

少女は白いチョークを持って、再び黒板に向き合うと大きく《 1 2 3 4 》と書いた。

「班は全部で4つ。 だから各班は、6人ってことね。 この二つ箱の中に、

 それぞれ1から4までの数字が書いてある玉がそれぞれ3つずつ入っているわ。

 で、こっちの右が男子用の箱、左は女子。 これを出席番号順に引いてもらうわ。」


……その結果。 


班ごとに机を寄せ合って集まった教室のクラスメート達。

お約束ではあるが、第1班は、シンジ、レイ、アスカ、ケンスケ、ヒカリ、トウジ…となった。

これは、言うまでもなく、シンジのインチキであった。

(…ま、いつものメンバーのほうが楽しそうだしね。)

計画書を作り終えた白銀の少年は、席に着きながら、心の中で小さく舌を出した。

クラスの生徒たちは、そんな第1班をかなり羨ましそうに見ていた。

「じゃ、残りの時間は、班ごとに、2日目のコースの選択と自由課題を決めて頂戴。」

アスカの仕切りで、再び教室は騒がしさを取り戻す。

同じ班になれないのならば、せめてコースは同じにしたい。 いったい彼らは、どのコースにするのか?

自然とみんなの耳が第1班に集中する。

その2日目のコースは、全部で3種類。

Aコースは、ケラマ諸島へ船で移動し、スクーバダイビングを体験するコース。

セカンドインパクトの影響を少なからず受けてはいるが、そこには変わらずの神秘の青い世界が待っている。

Bコースは、沖縄本島で復元された首里城や大規模な水族館などの名所を巡るコース。

これは、沖縄独特の貴重な文化に触れる、またとないチャンスになるだろう。

Cコースは、沖縄本島の湾岸部の海洋生物の研究と海水浴。

このコースの最大の魅力は、モーターボートで引っ張り上げるパラセーリングが入っていることだろうか。

「センセ、コースはどれにしましょ?」

ジャージの少年の問いに、教室が水を打ったかのように静かになった。

その様子を見て、白銀の少年はシャーペンを持つと、紙に文字を書きながら答えた。

「トウジ、コースの相談は、面倒臭いけれど筆話にしよう。」

「「「「えぇぇぇえ!!!」」」」

シンジの言葉に、教室中から悲鳴が上がった。



………エレベーター。



”チンッ”

ホールでエレベーターを待っていた男は、開いたドアに足を踏み出した。

「ありゃ、葛城。 その様子だと、こってり絞られたのか?」

だらしない格好の男が、四角い箱の隅で壁に凭れ掛っている女性に声を掛けた。

「……。」

ミサトは、答える気力もないのか、顔を上げる事なく静かに項垂れていた。

「こりゃ、重傷かな?」

加持は、地上階のボタンを押して、ドアを閉めた。

「うっさい…」

”ガクン、グォォォォ…”と上に昇る感覚の中、ミサトの脳裏に冬月の言葉が蘇ってくる。

セカンドチルドレンに対するケアが十分ではないのではないか?

彼女は、世界に3人しか発見されていないパイロットだと認識しているのか?

監督日誌…もう少し詳しく書けないのか?

などなど…ミサトは副司令官から”ねちねち”と1時間以上のお小言を受けていた。

「やっぱ、あの年頃の子って、難しいわよね…」

「なんだよ、泣き事か?」

リョウジはミサトを横目で見た。

「…だって。」

「でも、その分の手当…貰っているんだろ?」

「そりゃ、そうだけど。」

”チンッ”

箱が停止すると自動的に扉が開く。 加持とミサトは、自然とその扉の先を見た。

そこに立っていたのは、司令官用の黒い服を着た大男だった。

((ゲッ!!))

ミサトと加持の心は、見事にユニゾンした。

サングラスの男は、ゆっくりと足を進めて、真ん中に立つとドア側に体を向けた。


”ガクン、グォォォォ…”


”カチン、カチン…”とフロアの表示が変わる音だけが箱の中に響く。

「「「………。」」」

無言の空間。 何か気不味い空間。 ミサトと加持は沈黙に耐えかねて、お互いに目線を合した。

「(アンタ、何か言いなさいよ…)」

「(何だよ? 何かって…)」

「(何って、何でもよ…)」

そんなアイコンタクトを取っていると、総司令官の口が動いた。

「葛城君。」

(…へ?)

ミサトは、少し目をパチクリして答えた。

「あ、はい。 何でしょう、司令。」

「…今週末からチルドレンが沖縄に行く事は知っているな?」

ゲンドウは、少し首を捻って横目でミサトを見る。

サングラスの奥からの鋭い視線に、赤いジャケットの女性は背筋を伸ばして答えた。

「はいっ!」

「君は、加持一尉と共に沖縄に行き、チルドレンの護衛の指揮を任せる。 いいな?」

ミサトは、突飛な命令には慣れていたが、これは彼女の想定外だった。

「え…は、はい! 了解しました。」

ミサトは何とか返答すると、同じく意外そうな表情の男を横目で見た。

「加持一尉も、いいな?」

「あ、はい。 了解しました、碇司令。」

加持は、いつもの笑顔を作ると、上官を観察するような目で見ながら答えた。



………第3新東京国際空港。



そして、金曜日になった。

「…こちら、チャーリー1。 管制センター、聞こえますか?」

『こちら第三新東京国際空港管制センター。 通信感度、良。』


……第3新東京国際空港に向けて接近する機影が2つあった。


飛行機は、昇り始めた太陽を背に雲の上を滑るように飛行している。

「飛行プランXS−R43に則り、チャーリー1及び2は着陸許可を求める。」

『…了解した。 着陸を許可する。 着陸用滑走路は01B−4Lを使用せよ。 ナビデータを送信する。』

「了解。」

”ピュイン! ピピ!””

空港からのデータを受信すると、ヘルメットのバイザーにナビゲーションが表示される。

先頭を飛ぶ戦闘機、F−15がゆっくりと速度を落とす。

そのパイロットは、無線機のスイッチを入れて後続の戦闘機へ回線を開く。

「チャーリー2は、チャーリー1の着陸完了まで上空にて待機。」

『チャーリー2、了解。』


”シュゴゥゥォォオオオ!!!!”


一般の人間では、航空祭などでしかお目にかかれない戦闘機が、一般向けの滑走路に下りてくる。

その特別な様子を、興奮した様子でカメラに収めている少年がいた。

「うぉぉーー!! すっげーーー!!!」

メガネの少年、相田ケンスケだった。


……現在の時刻は、午前6時30分。


第壱中学校の修学旅行生の集合時間は、8時30分。

ケンスケは、シンジ達が乗る戦闘機をビデオに撮るために”わざわざ”2時間前に空港に来ていたのだ。

シンジ達チルドレンは、司令部が決定した護衛プランにより、戦闘機にて沖縄に向かうことになっていた。


”キュキュッ!!!”


機体から展開したランディングギアが地面に接触すると、その摩擦により一瞬だけ白い煙が上がる。

先行して無事に着陸したF−15ストライクイーグルを操縦しているのは、サードチルドレンであり、

 かつて国連軍の特殊部隊トライフォースの隊長を務めていた少年、碇シンジである。

シンジは、そのまま滑走路を進み、みんなが乗り込む旅客機の横に戦闘機を移動させる。

『予定時刻どおり、無事に着いたね。』

『ええ。』

少年と少女が波動で会話をしていると、上空で待機していた戦闘機が同じように下りてきた。

コールサイン、チャーリー2を操縦しているのは、国連空軍のベテランパイロットだ。

セカンドチルドレンが座る予定の後部座席は、現在空席である。 

アスカは、みんなと同じように空港で集合する、と言ってきたのだ。

彼女に言わせると、なるべく普通の修学旅行を……という事らしい。

シンジが、戦闘機を駐機させてジェットエンジンを停止させると、待機していた保安部員が集まってくる。

”ウィィィン…”

涙滴型のキャノピーが持ち上って開くと、サングラスの男は搭乗用のハシゴを掛けた。

「碇二佐、お疲れ様です。」

「ご苦労様です。」

白銀の少年は、ヘルメットを脱ぐと戦闘機から下りた。

「いいよ、綾波。」

ヘルメットを脱いで待っていたレイは、その声を合図に戦闘機から飛び降りる。


……もちろん、腕を広げて待っている白銀の少年の胸目掛けて。


ケンスケのビデオに、少女を見事にキャッチする少年が記録された。

「まったく、相変わらずね。 あの二人は…」

呆れたような声がメガネの少年の後ろから聞こえた。

ビデオを構えたまま振り向くと、紅茶色の髪を一本の三つ編みにした少女が立っていた。

「お。 おはよう、惣流。 随分、早いんだな。」

「当ったり前でしょー 私、実行委員なんだから。 って、撮るの止めなさいよ。」

”ズビシッ”と少女は、ケンスケの頭にチョップを食らわした。

「ぐえっ…いってぇー」

少女は、実行委員だからと言ったが、実際には、興奮して早起きしてしまったのが本当だ。

「おはよう、アスカ。」

同じように、集合場所に早々と登場したのは、お下げの学級委員長だった。

「あ、おはよう、ヒカリ。 早いのねぇ。」

「何だか眠れなくて。 早く着ちゃったわ。」

楽しそうに笑うヒカリ。 責任感強い彼女は、何があっても対応できるように、余裕を持って行動している。

「…あれ? どうしたの、そのイヤリング? 可愛いわね。」

アスカは、年頃の少女特有の目ざとさで、お下げの少女の耳に光るアクセサリーに気がついた。

ヒカリは、顔を少し紅く染めて嬉しそうに答えた。

「そ、そう? これ、可愛い? ふふふ…先生に聞いたら、多少の事は目を瞑るって言われたから…」

「ふ〜ん。 まさか、それジャージからのプレゼント?」

「え!? あ、え、と。 …うん。」

「へー あのバカにそんな甲斐性があったなんて…」

意外だわ…とアスカは、本気で驚いていた。

「おはよう、アスカ。」

「…おはよう。」

紅茶色の少女が振り向くと、国連軍のフライトジャケットを着ている少年と少女がいた。

「おはよう、シンジ、ファースト。」

「うぉぉ…本物だぁ…」

ケンスケは、軍服姿のシンジとレイをビデオに納める。

「アスカ、着替えないの?」

紅茶色の髪の少女が着ているのは、中学校の制服。 それを見たシンジが不思議そうに聞いた。

「え?」

なんで? とアスカがシンジを見た。

「いや、そんな服装だと、緊急時に困ると思うよ?」

「そうなの?」

「多分、保安部の人がアスカの分を持っていると思うから、早く着替えた方がいいよ。」

シンジはジャケットを脱ぎながら答えた。

「加持さんは?」

アスカが警備責任者を探して、周りを見渡した。

「…加持一尉と葛城一尉は先行して現地に入っているわ。」

レイは、シンジの脱いだフライトジャケットを受け取りながら答えた。

「なぁ、碇。」

ケンスケのメガネが”キラーン”と光っている。

「なに? ケンスケ?」

「そのフライトジャケット、貸してくれないか? そしてその姿のオレを写真に撮ってくれ!!」

ミリタリーマニアのケンスケ。 彼は、興奮した顔をシンジに近づけた。

「…それはダメ。」

レイは、シンジの脱いだジャケットを両手で守るように持って、身体をひねり見えないように隠した。

「そ、そんなぁ…」

メガネの少年が”ガックリ”と項垂れる。 シンジは、ジャケットを抱く蒼銀の少女に聞いた。

「あ、綾波は暑くないの?」

「私は平気。」

「僕、飲みモノを買ってくるよ。」

「待って。 私も行くわ。」

仲良く手を繋いだカップルは、自販機コーナーに歩いて行った。

「そこっ!! いつまでもウジウジしてないの!」

”スパンッ!”とアスカが、”どよん”としたケンスケの頭を叩く。

「いてっ!」

痛みに顔を歪めたメガネの少年を見たヒカリがアスカに提案する。

「と、取り敢えず、荷物を一箇所に纏めておきましょ?」

「あ、そーね。」

アスカはケンスケを見る事なく頷いた。


……そして、集合時間に近付くと、生徒達がロビーに集まり始める。


「じゃ、アスカ、沖縄新空港でね。」

戦闘機乗りの装備を装着した紅茶色の髪の少女に、お下げの少女が一時の別れを告げる。

「う、うん。 分かったわヒカリ。」

返事をした紅茶色の少女は、辛そうに顔を歪めた。

「アスカ、大丈夫?」

「お、重い…」

白銀の少年は、足を踏ん張って立っているアスカを見た。

「装備重量は、パラシュートを含めて30kgはあるからね。」

アスカとは対照的に、涼しい顔のシンジとレイはすでに準備を終えていた。


「はーい!! 集合!!」


第3新東京市立第壱中学校の2年生は、引率の先生に従い、搭乗ゲートの前に集合する。

チルドレンの三人は、その列から外れた横に立っていた。

シンジ達の乗る戦闘機は、旅客機の後にテイクオフするので、こうして見送る形となったようである。

”ピンポーン”

『…お知らせいたします。 

 第3新東京発沖縄行き、NJAL432便をご利用のお客様は、搭乗の準備が整いました。』

女性のアナウンスが放送された。

「ヒカリ、アンタの彼がはしゃぎ過ぎないように、ちゃんと見張っているのよ。」

実行委員であるアスカが、ハメを外すだろうジャージの少年を軽く睨みながら言った。

「ぅ…わ、分かっているわよ。」

”アンタの彼”という言葉に少し頬を染めたヒカリは、

 トウジの方へ視線を落ち着きなく動かしながら、”コクッ…コクッ”と頷きを返した。




”ポンッ”

『…本日は、新日本航空をご利用いただきまして真にありがとうございます。』

中学生達が乗り込んだ旅客機にアナウンスが放送される。

搭乗口に近い場所に立つフライトアテンダントがマイクを持って立っていた。

黒い髪を結い上げた彼女は、にこやかな笑顔で本日の接客を開始する。

彼女の視界に映るのは、いつものビジネスマンではなく、元気一杯の子供達であった。

『ご搭乗機は、NJAL432便、第3新東京発沖縄新空港行きでございます。

 本日の機長はキャプテン多田、パーサーは田中でございます。』

「わー! 見て見て! あれってシンジ君だよ!」

女子が左側の窓際で騒いでいる。

「どこどこ? うおっ…すっげー!! 碇って本当に軍人なんだぁ!」

彼らの窓から、戦闘機に乗り込むチルドレンたちが見えた。

「うぉぉお!! 綾波さぁーん!!」


……気圧密度を確保する旅客機の機体の中からでは、どんな大声も外には通じない。


『皆様には、快適なフライトをお楽しみ頂く為に、二、三の注意事項をお願い申し上げます。』

ベテランアテンダントは、プロである。

客がどんなに騒ごうが、彼女の表情はにこやかな笑顔のままだった。

『…最後に、万が一の緊急事態には、我々スタッフの指示に従い、落ち着いた行動をお願い申し上げます。』

「…あっ! アスカさーん!!」

男子の歓声が、業務をこなす女性の声に被さってしまう。

『……。』

流石の彼女も、こめかみに青筋が薄っすらと現れる。

アテンダントは、引きつったような笑顔になると、徐にマイクをスピーカーにくっ付けた。

『キィーーーーン!!』


……中学生たちは、突然の大きな音にビックリして反射的に耳を塞ぐ。


学校の生徒達は、自然とマイクを持つ女性に注目した。

ハウリングと言う荒業を披露した女性は、再び”にこやかな”笑顔になった。

『…大変失礼致しました。 ご搭乗機はまもなく離陸いたします。 お座席のベルトはお締めでしょうか。

 今一度ご確認下さい。』


……離陸の時間が近付いていく。


”…シュゥゥ…キュィィイイン……”


両翼の巨大ジェットエンジンが少しずつ高鳴り、

 アルミニウムとコンポジットを交互に挟み込んだ特殊構造で造られた巨体がゆっくりと動き出す。

『…機長に代わりまして、ご搭乗機の飛行予定をお知らせいたします。』

彼女の横のスクリーンに、日本地図が表示される。

『この飛行機は、第3新東京国際空港を定刻どおり離陸後、高度1万メートルまで上昇いたします。』

「ほえー 1万メーター? ドンだけ高いんじゃ…すごいのぉ。 なぁ、ケンスケ?」

窓際を確保したメガネの少年に、ジャージの少年が相槌を求める。

「碇達の乗ったF−15って戦闘機なら、その三倍、3万メートルまで上がれるぜ。」

カメラのファインダーから顔を離したケンスケは、眼鏡を”くいっ”と持ち上げて答えた。

「はぁー…それもすごいのぉ…」

想像も出来ない数字に、トウジの返事は適当なモノだった。

『…そして、沖縄新空港まで、約2時間10分のフライトを予定しております。』

”ポーン…”

座席の天井部にあるシートベルト着用のサインが表示される。

機体は既に離陸用の滑走路にあった。


”シュゴォォォォォオオ!!!”


離陸許可を得た旅客機。 その4機のジェットエンジンが全開となる。

普段の生活では、まず経験することのない巨大な音と、シートに押し付けられるような圧力。

中学生達は、急加速し”ぐいっ”と斜めになる外の光景に自然と黙り込み、固唾を呑んで見守った。


”キィィィィィン…”


旅客機が、予定通り青い空へと飛び立つ。

シンジは機体をチェックしながら、その様子を見ていた。

「それでは、碇二佐、お気をつけて。」

サングラスの男が、敬礼して昇降用のハシゴを取り去る。

ヘルメットを被った少年は、男が安全距離まで離れるのを見ると左手の親指を”グッ”と立てて彼に応えた。

彼の後ろに座った少女が、無線のスイッチを入れる。

「こちら国連軍、チャーリー1。 フライトコントロールへ滑走路の一時占有使用許可を求めます。」

『こちらフライトコントロール。 チャーリー1へ…滑走路は、03C−1Lを使用してください。』

「了解。 これより、滑走路へ移動を開始します。」

『フライトコントロール、了解。』

そのやり取りを聞いていた少年は、ブレーキを解除してスロットルを少し開けた。

”シュィィィン…”

空気を吸い込み、圧縮して推力を得るジェットエンジン。

吐き出される大量の高熱で、後方の景色が陽炎のように揺らめく。

『”ザッ” こちらチャーリー2。 チャーリー1に続きタクシング開始。』

『チャーリー1、了解。』

30m後方から、もう一機の戦闘機が追従し始める。

『フライトコントロールより、チャーリー1へ。 風は、北北西、2m。 上空の気象データに変化なし。』

『チャーリー1、了解。』

シンジは、飛行計画書を確認して、GPSの座標ポイントを入力した。

(え−と、先行した旅客機と約1時間ランデブーして、その後、僕たちが先に沖縄新空港へ飛ぶ…)

『…ねぇ、綾波。 修学旅行中は、天気いいみたいだね。』

シンジは、滑走路の右側に機体を停止させると、後ろの少女を見た。

レイは、少年を見て波動で答える。

『ええ、今朝の天気予報もそう言っていたわ。』


”ピピッ!”


『こちら、チャーリー2、離陸準備完了。』

白銀の少年と蒼銀の少女の戦闘機の左斜め後ろに、F−15ストライクイーグルが停止した。

シンジは、酸素用のマスクを取り付けると、ヘルメットのスモークバイザーを下ろした。

少年が後ろを向くと、蒼銀の少女が”準備完了”と右手の親指を立てて彼にサインを送る。

シンジは、”コクッ”と頷いて正面を見ると、徐にスロットルレバーを動かした。


……ほぼ同じタイミングで二機の戦闘機が、一気に咆哮を上げる。


『チャーリー1、テイクオフ。』

シンジがブレーキを解除する。

『チャーリー2、テイクオフ。』

国連軍パイロットが、同じようにブレーキを解除した。


”ゴゥゥゥォォオオオオ…………”


空気を切り裂きながら、灰色の戦闘機が大空に向かって飛び上がる。

シートに座った身体を押し付ける強烈な”G”がアスカの肺を圧迫する。

呼吸するのも困難な加速。 紅茶色の少女は、歯を食い縛った。

(ぐっ……LCLで保護されていない分、エヴぁよりキツイかも…)

アスカは、先行するシンジ達の戦闘機を見失わないように、必死に目を開け続ける。

ベテランパイロットが、戦闘機と言う特殊な乗り物を初めて体験している少女に声を掛けた。

『お嬢ちゃん、大丈夫かい?』

「え? …ハッこんくらい、平気よ!」

少女はデフォルトのように強がって見せた。

『…そうかい、そりゃ結構。 あと1分足らずだ。 辛抱してくれよ。』

(…げ、後1分?)

アスカの形の良い眉が歪んだ。



ランディングギアを収納し、高度を確保したシンジは、ゆっくりと操縦桿を右へ傾ける。

戦闘機は、その操作に素早く反応して、機体を右に傾けながら上昇を続ける。

南に機首を向けて、傾きを修整し機体を安定させる。


……そのまま白い雲を突き抜けると、そこは全て青の世界だった。


見渡す限りの青い空と、眩しい太陽。 シンジたちの眼下に広がる雲が大きな山脈のように見えた。

ヘッドマウントディスプレーの高度計が30000フィートを表示すると、遥か先に旅客機が見え始める。

レーダーで確認した蒼銀の少女が、無線機のスイッチを入れた。

「…こちら、国連軍機、チャーリー1。 NJAL432便、応答せよ。」

『こちらNJAL432便、キャプテンの多田です。 通信感度、良。』

「…予定通り、2機の戦闘機は432便の右方につきます。 航空機接近警報を解除してください。」

『了解。』

機長が了承を告げると、シンジはスロットルをコントロールして、旅客機の右に並んだ。

国連軍機と旅客機は、このまま1時間ほどランデブー飛行を続ける予定であった。

「うぉぉお!!」

”ぼんやり”と空を見ていたケンスケの鼻息が荒くなった。

「見ろよ! トウジ、碇だ!」

その大きな声で、中学生達は一気に右の窓際に押し寄せる。

「すっげー! 見ろよ! 本物の戦闘機だ!!」

「碇くーん!!」

「きゃーー!! 手を振ってくれたー!!」

『みんな、元気だね…』

旅客機に向かって手を振ったシンジは、”力を”使って窓際に集まっている中学生を見る。

『…そうね。』

彼と波動で会話するレイも深紅の瞳を旅客機に向けて、騒いで怒られている生徒達を見た。

『ははは、トウジ、また洞木さんに怒られているよ。』

『多分、あれもあの二人のコミュニケーションの一部。』

シンジは、パイロットモードをオートに切り替えて、操縦桿から手を離した。

そして、フライトヘルメットのバイザーを開けて、呼吸用のマスクを取る。

「ふぅ。 やっぱりマスクって煩わしいね。」

レイも彼に倣うようにマスクを取って、バイザーを開けた。

「ええ。 そう思うわ。 それに…」

「それに?」

「私たちに、これは不要な物。」

「まぁ、そうだね。 でも、それを言ったら、こんな飛行機もいらないんだけれどね。」

シンジは操縦桿を”コンコン”と軽く叩きながら言った。



………旅客機。



戦闘機が横に並んで飛んでいると、まるで、この飛行機にとんでもないVIPが乗っているように見える。

ケンスケは、”ぼんやり”と灰色の戦闘機を眺めながらそんなことを想像した。

(俺が世界でただ一人のエヴァパイロットで…)

ジャージの少年は、アテンダントからジュースを受け取っていた。

(碇は俺のガードで…)

「おい、ケンスケ、ジュースがきたで。」

(綾波さんは…)

「ケンスケ!」

”ハッ!”と眼鏡の少年の目が大きくなった。

「な、なんだよ、トウジ。」

「なんだよ、じゃないわい。 何べん呼んでも返事もせんと。 ほれ、お前のジュースじゃ。」

「あ、ああ。 すまない。」

妄想に耽っていたケンスケは、少し気不味そうにジュースを受け取った。

そして、程よく冷やされたコーラを一口飲んだ眼鏡の少年は、窓の外の戦闘機に再び目をやった。

旅客機の巨大な翼の先に、先ほどと全く同じ距離と場所に飛んでいる国連軍の戦闘機。

まるで、青という色を背景にした、一枚の写真のようだった。


……その変らぬ風景に変化が訪れた。


戦闘機のパイロットが再びマスクを付け、スモークのバイザーを下ろすと、スロットルを開けた。

するとF−15は、停止した場所から発進したかのように、素早く加速していく。

「あー、碇君…行っちゃった。」

女子の残念そうな声がキャビンに木霊した。



………沖縄新空港。



”ガチャ”

黄色のスポーツカーの運転席側のドアが開くと、”スラリ”とした女性の脚が出てくる。

「やーっと着いたわ。」

”バタムッ!”

ドアを閉めてサングラスを外した女性は、太陽が眩しい青い空を見上げた。

「おぇぇ…」

助手席側のドアが開くと、男が”フラフラ”と力なく出てきた。

相方の情けない姿を見た女性は、小馬鹿にしたような目を相手に向ける。

「何しているのよ。 だらしないわね。」

「葛城、お前の運転…少し乱暴過ぎないか?」

「あに言ってるのよ。

 移動に掛る時間を短くするってことは、エンジンの掛っている時間を短くするってこと。

 地球にやさしい、エコ運転じゃないの。」

ミサトは、得意げに持論を展開する。

「スピードを出せば、それだけ多くのエネルギーを消費しているってことじゃないのか?」

加持は、黄色い車のドアを閉めると、その屋根に凭れかかるように身体を預けた。

「そんなことないわよ。 それよりも…」

普段と違う装いのミサト。 OLのような薄緑色のスーツを着ている。


……この二人は、先に現地入りしてチルドレンたちの行動範囲に危険がないか、チェックをしていたのだ。


彼女は、加持に世界の重要人物である少年たちの到着時刻を確認した。

「ああ、シンジ君たちは、クラスメートたちより先行して降りてくるはずだ。

 ええっと…」

沖縄の気温は、第3新東京市よりも高い。

いくら湿度が低いとはいえ、加持の服装はいつもと変わらずなので、随分と暑苦しく見える。

男は、黒いズボンの後ろのポケットをあさると、汗で”しっとり”と変形した紙を取り出した。

その紙を見たミサトは、あからさまに顔をしかめた。

「汚いわね〜」

「しょうがないだろ、暑いんだから。」

「私みたいな服にすればいいでしょうに。」

「仕事だからな。 え〜と…」

加持は、額の汗を拭いながら腕時計で時間を確認する。

「葛城、チルドレンたちは、あと15分もしないで到着しちまうぞ。

 早いところ、滑走路で待機している保安部のやつらと合流しよう。」

「ええ、そうね。」

二人は、足早にターミナルビルへ向かっていった。



………戦闘機。



速度を落とし高度を下げると、海が青く煌めいているのがより”はっきり”と見えた。

さらに高度を下げると、太陽の光を反射する海に、大小さまざまな島が見えてくる。

白銀の少年は、その中でもひときわ大きな島に向けて操縦桿を動かす。

『…綾波、沖縄だよ。』

蒼銀の美少女の深紅の瞳に、セカンドインパクトの後、娯楽の島へと復興した沖縄本島が映った。








第三章 第十八話 「沖縄、そして。」 〜 後 編 〜 へ










To be continued...


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