ようこそ、最終使徒戦争へ。

第三章

第十八話 沖縄、そして。

 〜 後編 〜

presented by SHOW2様


探求者。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………アメリカ、ネバダ州。



シンジたちが沖縄へと旅立った日から数日前に、この物語の時間は遡る。


”ゴゥゥゥォォォオ……”


グレーの輸送機が、巨大なフラップを展開させて着陸の態勢をとった。 

高度が徐々に下がると、内部から出てきた無骨なランディングギアの巨大な影が滑走路に描かれる。

ジェットエンジンの排気炎で揺らめく上空に、護衛の為の戦闘機が5機、矢形の編隊を組んで飛んでいた。


……NERV第2支部、この元アメリカ空軍基地に”ある”重要物資が届いたのは薄曇りの早朝だった。


”プシュ”

センサーが反応すると、金属製の扉が素早くスライドする。

(やれやれ、相変わらずロックをしていないとは…)

その動作音を聞いた人物は、セキュリティの甘さに少し肩を落とした。

この部屋の主は、人が良すぎる…彼女の”人となり”を、彼はそう感じていた。

真面目な表情の男が、一歩その部屋に足を踏み入れて、

 ファイルに落としたままだった目を、この部屋の主がいるだろう方向へと動かす。

「失礼します、碇博士。」

S2機関研究開発の責任者である女性は、この男の声で振り返った。

「あら、エド、おはよう。 相変わらず早いわね。 今日はどうしたの?」

(…神経質、と評すればいいのかしら。)

これが、アメリカで得た助手に対するユイの感想であった。

些細な事でも詳細に教えてくれるこの男に感謝したのは、最初の日と次の日くらいのモノだった。

数日もすれば、彼女ですら、ああ、またか…と思ってしまうくらいの説明好きというか報告マニアであった。

金髪のオカッパ頭の細身の男性は、手にしていたファイルを女性に渡した。

「極秘裏に輸送された使徒のコアのサンプルが、ようやく日本から届きました。」

ショートカットにシャギーを入れた白衣の女性は、待ちに待った報告に勢いよくイスから立ち上がった。

「そう! やっと着いたのね。 それで、どこに?」

「第2実験棟の地下6階です。」

「そう、直ぐ行くわ。」

碇ユイ博士は、自身の端末をロックすると手渡されたファイルを持って足早に部屋を出た。



………第一分析室。



”ゆらゆらゆら…”

キーボードのキーを叩く動きに合せて、ブラウンの前髪が揺れる。

(う〜ん。 だいぶ髪伸びたな…)

端末の画面に映っているのは未知の巨大生物兵器と、未知のテクノロジーでこの世に創造された巨人。

(アブソリュート・テラー・フィールド、か…)

”カタカタカタカタ…ゆらゆらゆら…”

「あー!! もぉー!!」

”ビクッ!”

突然の大きな声に、同じ部屋で仕事をしていた男性が驚いて顔を上げた。

「ど、どうした? 霧島一尉?」

「土井所長、お願いがあります!」

少し背の伸びた少女は、所長席に向かって”ずんずん”と歩を進めた。

「い、言ってみたまえ…」

前髪をいじりながら近付いてきた彼女の勢いの良さに、男はどんな大事があったのかと目を大きくした。

「…所長、美容室に行ってもいいですか!?」

”ずるっ”

彼女の言葉に、男の肘が机から落ちた。

「し、仕事中だぞ。」

「前髪が気になって仕事になりません!」

「あのな、髪が伸びたくらいガマンしろよ。 ……あ? 髪が伸びた? かみ………髪の毛?」

マサルは、非常に疲れた表情でマナを見ていたが、何かに引っ掛かったのか、しきりに瞬きを繰り返した。

突然と動きを止めてしまった男に、少女は前髪をいじっていた手を止めた。

「? どうしたんですか? 土井所長?」

マナが覗き込むように男の顔を見ると、彼は突然と端末を叩き始めた。

(違和感は確かにあったが、まさかな…)

”カタタタタタタ…”

「やっぱり、これは…」

(彼は…いや、彼らは……私たちと違うのか?…)

ひとしきりキーを叩き終わると、マサルは目を細めて画面を注視した。

「あの、どうしたんですか?」

「マナ、君の記憶に”問い”を投げ掛けたいんだが、いいかな?」

顔を上げたマサルは、真剣な表情でマナの瞳を見た。

「私の記憶ですか?」

「そうだ。 確か、キミは国連軍の特殊部隊に所属していたね?」

上司の言葉に、マナの目が少し細くなる。

「…答えづらい質問ですね。 こう見えても、私には守秘義務があるんですよ?」

「じゃ、すまないが答えられる範囲で答えて欲しい。」

「分かりました。 えっと、特殊部隊トライフォースに所属していました。」

彼女の言葉を頷いて聞いた男は、確認するような口調で話を続けた。

「…そのトライフォースは、常時班編成を組み、チームとして運営されていた。」

「はい、3班編成で、私は第1班でした。」

「第1班は、隊長である碇シンジ君と副隊長である綾波レイさん…そして、霧島マナの三人という事だね?」

「そのとおりです。」

マサルは、マナを見ていた瞳を目の前の画面に向けて、しばらく考えてから質問した。

「君の記憶で、碇シンジ君が髪を切ったとか……またはそれに準じた話題があったかな?」

「髪を切った? それに準じた?」

茶色の髪の少女は、小首を傾げた。

「…例えば、爪を切り過ぎたとか…日常によくあるようなささいな話題だよ。 そう言うの、あったかい?」

マナは、自然と右の人差し指を桜色の唇に当てて、形の良い眉を寄せた。

「う〜ん。」

その様子を見たマサルは、再びキーを叩いた。

”カタカタカタ…”

彼の端末に紫の巨人と二体に分離した使徒が表示される。

「…エヴァンゲリオン。

 この兵器の操縦方法は、操縦者の思考をダイレクトに反映させていると私は考えている。

 …いわゆる脳波コントロールだね。」


……突然の話題転換。


「? はい、そうだと思います。

 過去の戦闘データで記録されたEVAの反応速度などから、基本的な部分については私もそう考えます。」

マナは不思議そうな顔でマサルを見た。

「普通、兵士を教練し、育て上げるには多大な時間とコスト、それに労力が必要となる。 そうだろ?」

「? はい…」

一体何が言いたいのだろうか? マナは益々不思議そうな顔になった。

「脳波コントロールは、操縦者のメンタルが非常に重要だ。

 反応速度に優れるメリットと、恐怖・怒りなど感情の揺らぎがノイズのようになるデメリットがある。」

マナは”コクッ”と頷いた。

「…ですね。 でも感情を抑制するフィルターをハード、ソフトで構築するのは不可能に近い、と思います。


……戦自研もトライデントの操縦方法として、脳波コントロールを研究しているのだ。


「だから、機械ではなく、ヒト。 ……兵士として教育し、育てなければパイロットには成れない。」

「ええ。」

「では、なぜエヴァンゲリオンを操縦するパイロットは、世界でたった3人しか登録されていないのか?」


……大量のパイロットは、それだけで力になる。 兵器が用意できても、誰も扱えなければ戦力にならない。


「誰でもいいわけじゃないから……あ! もしかして、なにかしらの条件が必要?」

茶色の髪の少女の瞳が大きくなった。

「そう…そう考えるのが自然だ。 だから、私はそのパイロットについても少し調査をしているんだ。」

戦自研の所長であるマサルは、使徒との戦争が開始された当初よりパイロットの調査を行っていた。

最初に彼らを見た時は、かなり衝撃的な思いを感じたものだ。

何て神秘的な二人なんだろう、と。

背の高い少年は、白銀の髪。 白すぎる肌。 そして燃えるような紅い瞳。

もう一人の少女も同じだった。

見たこともない蒼銀の髪。 白磁器のように白い肌。 少年と同じように深く透きとおる紅い瞳。

これだけ特徴的な身体をしていながら、不思議と周りの人間と変わらないように見える。

これは、不思議なことだった。 大抵の人間であれば、不快感や恐れを抱くような目で彼らを見るだろう。

そうしない、いや、出来ないのは、たぶん彼らが完璧な造形をしているからだろう。

…美しすぎるのだ。 不自然なほど。 それと、説明は出来ないが何かオーラのようなモノを感じる。

雰囲気…というのは曖昧だが、そういう空気を持っているのかもしれない。

「調査するまでもないよな。 変わっている、と思うだろ? もしも…それが条件だったら?」

マサルは、画面を見ていた視線を机の上に置いてあったコーヒーカップに移した。


……PCの駆動する小さな音しか聞こえない、静かな時間がこの部屋を支配する。


この沈黙を破ったのは、彼が何を言いたいのかを察した少女だった。

「土井さん、それで……言いたい事はなんですか?」

マサルはそんな少女の強めの口調に、怒らせちゃったな、と感じて少し頭を下げてから彼女を見た。

「…うん、ごめんな。 で、どうだい?」

「え? う〜ん…」

マナは上司の謝罪をしても変わらぬ質問に、己の記憶を辿った。

「たぶん…」

「やっぱりか。 ないのだろ?」

「え? どうして分かるんですか?」

「碇シンジ君の写真を見比べてみると、全く髪が伸びていないようなんだ。」

マサルの端末に、第3新東京市で記録されたシンジの写真が数多く表示されている。

マナは過去の記憶を辿っているように、目を閉じた。

「でも、初めて会った時よりも背はすごく伸びているし、そんな事…」

「何年間、一緒の部隊にいたんだっけ?」

「3年間ですけど…」

「その中で、彼は病気した? 下痢とか、発熱とか…」

「え、うーん…」

「彼、アルビノみたいだけれど、肌が弱いハズだよね? 紫外線に対してクリームを塗るとか、していた?」

「うー」


……マサルがあれこれと言うが、マナに引っ掛かる記憶は一つもない。


マナは大事なヒトを侮辱された、と自然と睨むようにマサルを見た。

「何が言いたいんですか? まさか、隊長たちがヒトじゃないなんて…」

「いやいや、そんな事は思っていないさ。 彼はヒトだ。 それは断言するよ。 

 でも、普通の人間だ、と言われても僕は首を縦に振る事は出来ない。」

「は?」

ヒトと断言して人間とは思えないって、どう言うこと? とマナは小首を傾げた。

「ヒトって言ったんだ。 人間ではなく。」

「分類学、生物学的な枠組み……つまりホモサピエンスは”ヒト”じゃないって所長は言うんですか?」

「うん。 僕は、同一視しないよ。」

マサルは、小さくかぶりを振って言葉を続けた。

「少し横道に逸れてしまうけれど、人間とヒトについて考えてみようか。

 霧島一尉、僕はね……ヒトの在り様は”心”だと思っている。」

マサルは机に置いてあったコーヒーカップを手にすると、一口飲んで話を続けた。

男を見ていた少女が、相槌を打つように口を動かした。

「…ココロですか?」

「ヒトとしての良識や道徳心をもっていない人間なんて、乱暴な言い方をすれば動物だ。

 話を戻すけれど、碇シンジ君や綾波レイさんを普通の人間とはとても思えない。」

マサルは、マナの瞳を見て言葉を続けた。

「…もし仮に、シンジ君が”人間”の枠に当て嵌まらなくても、僕は彼を素晴らしいヒトなのだろうと思う。

 そうでなくては、最長任期を更新している国連軍総司令官があれほど気に入るわけがないからね…

 実際に彼を知っている、マナはどうだい?」

”ぱちくり”と瞬きした少女は、土井マサルの言葉に”彼”を思い出していた。

想像したこともない問い掛け。 彼がもし人間ではない存在だったら?

「え、あ…」

一度も疑ったことのない大好きなヒトを疑う余りの気持ち悪さに、マナの膝が小さく震え始める。

「彼は、たぶん人類の味方だと思う。」


……伊達にこの若さでこの地位にいるワケではない。 彼はリツコに負けず劣らず優秀な人間であった。


そのマサルは、PCの画面を見ながら話を続ける。

「だが、”人類”が彼を受け入れられるのか、…善意のあるヒトが世界の大部分を占めてくれるのか…

 この人間の社会と言う仕組みが彼を受け入れられるのか、僕には判らない。」


……特別な人間は、歴史的にも現実的にもそのほとんどが抹殺、排除される。


違うモノを本能的に恐れる、そういう排他的な部分が人間には必ずあるのだ。

「EVAパイロットのデータが一切非公開なのも…NERVが特務機関なのも、

 全ては”種”という言葉が当て嵌まるのかも知れないな。」

マサルは自分の推察を少し言いづらそうな表情で語る。

マナは、彼の話を聞いて涙を溜めた。

「わ、私は、隊長を…シンジ君を信じています。 シンジ君が、も、もし人間でなくても。」

言い切ると、彼女の頬に”キラリ”と雫が一滴こぼれた。

「ごめん、マナ。 僕が悪かった。 上手く言えないけれど、彼は間違いなく味方だ。」

マサルはイスから立ち上がった。

「でも、世間はそう見ないかも知れない。」

「でも、使徒と戦っているんですよ?」

マナは、マサルの顔を睨んだ。 大人である彼は、彼女に優しそうな瞳を向けて、ハンカチを渡した。

「じゃ、使徒が現れなくなったら?」

「え?」

「彼は世界最強の兵器を扱えるパイロットであり、世界最強の特殊部隊のトップを務めた最強の兵士だ。

 特務機関NERVは使徒に対する為に設立された組織。 その役目を終えれば、解体されるはずだ。

 じゃ、その後…彼はどう扱われるのだろう?」

「え?」

「最強の兵器の機密を知るパイロットだ。 世界中のあらゆる組織が彼らを狙うだろう。

 NERVの保護がなくなったら…」

マサルの言葉が耳に入ると、少女の脳裏に実験動物のように扱われるシンジがよぎった。

全身を拘束されている彼の白い腕に、見たこともない色の液体が詰まった注射器が近付いていく。

(そんな! …やめてっ!)

自分がどんなに叫んでも、薄く笑う大人たちは止まってくれない。

マナの瞳の奥に映される、目を覆いたくなるような光景。

少女の顔が”さー”と青ざめていく。

そして、彼女はそれを振り払うかのように、かぶりを振った。

「…どうして? どうして、そんな意地悪な事を言うんですか!?」

少女は肩を震わせて、拳を硬く硬く握った。

「シンジ君は、一生懸命戦ってくれているんですよ! それを…」

「やっぱりそうか…」

「え?」

何? とマナが顔を上げると、変わらぬ柔らかい表情のマサルと目があった。

「マナ、君は碇シンジ君のことが好きなんだね。」

「え!?」

”ぼんっ”と音が出たような勢いで、純情な少女の顔が紅くなる。

先ほどまでは青だったのに、今は赤。 まるで信号機だね、とマサルは笑った。

「はははっ……余計なお世話かも知れないが、彼についてのデータが必要かもしれない。」

「え?」

「君の好きな少年は……彼は、人類の敵ではない、という事の裏付けができる資料、データ。」

マサルは、再びイスに座ると、端末を叩いた。

「それに、不思議なのは、先日着任した新しいチルドレンだ。」

「?」

「実は先日、偶然にも直接会ったんだけれど…彼女は、二人と違ってアルビノではない。」

ごく普通の少女だよね、とマサルはマナに視線を向けた。

日本の諜報機関から上がってきた報告書を見ているマナが答える。

「そうですね。 セカンドチルドレンと呼ばれている彼女はクォーターですが、アルビノでは有りません。」

「そこら辺もキーポイントになるのかな…」

「どういうことですか?」

「いや、でも……やはり……う〜ん……」

マナを無視するように、マサルは腕を組んで”ブツブツ”と小さく口を動かした。

「やはり、これしかないかな。」

男は何か決心したように、少女を見た。

「マナ、キミを戦自研、第一分析室付き特殊分析官の任を解除する。」

「へ?」

脈絡のない話に、瞳を大きくした少女。 そんな彼女を無視して、男の手が机の上の電話機に伸びた。



………地下6階。



”バチンッバチチッ…”

電気が投入されると、天井に設置されている照明設備が一斉に点灯した。

一定の温度に保たれているこの部屋で、人の吐く息は白かった。

「これが、コア…」

”コッコッコッコッ…”

白衣の女性が歩くと、パンプスの足音が一般的な体育館よりも広い空間に木霊する。

”…コッ。”

歩みを止めた女性の目の前に、大きな紅い物体が、砕かれた岩石のように積み上げられて置かれていた。

それらは水銀灯や蛍光灯の光を受けて、まるで紅い水晶のように煌いていた。

「サンプルA−7C。 先日の第七使徒…コードネーム”イスラフェル”のコアと呼称される部位です。」

エドワード・スミスが、ダークブラウンの髪の女性の後ろから解説を始めた。

ユイは白衣のポケットから、手術に使用するような薄いゴムで作られた手袋を取り出した。

「エド、五番目の使徒は覚えています?」

「…ラミエルですか?」

「ええ。 あの使徒の戦闘記録は非常に興味深いモノがあったわ。」

「…非生物的だと?」

「生物の定義を考え直さなくてはいけないかも知れないわね。」

この女性は、今まで出現した全ての使徒の解析データを検証し、独自に研究を進めていた。

「固体から液体へ…それを可能にする物質。 アレだけのエネルギーを生み出す仕組み。 興味深いわ。」

ユイは、新しい玩具を与えられた子供のように、瞳を輝かせてコアを見た。

”コンコン…”

「あら、やっぱり固いのねぇ。」

ドアをノックするように叩いて、”マジマジ”と紅い結晶を見る妙齢の美女。

その後ろで、助手である副支部長エドが道具を手にする。

「博士、さっそくサンプルを採取しますか?」

「そうね。 でも、その前にどの程度の硬度なのか…測定してみましょう。」

「モース硬度で9、コランダムと同程度でした。」

用意されていたかのような答えに、ユイは少し驚いた顔で振り向いた。

「あら、もう測っていたの?」

「日本の技術開発部長である赤木博士のレポートによるデータです。」

「…流石りっちゃん、仕事が速いわね。」

「ダイヤモンドカッターとレーザーカッター、どちらを使用しますか?」

「取り敢えず、ダイヤモンドカッターでやってみましょう。」

笑顔で腕捲りをする女性。 …ユイは、まるで夏休みの工作のノリであった。



………首相官邸。



内閣官房長官に用意された執務室。

”プルルル…チャ”

「私だ。 …おや、これは珍しいな。 キミから電話を貰うとはね。」

背広の男は、予想もしていなかった電話の相手に、口の端を上げて笑った。

「現在研究中のNERVの決戦兵器。 この調査にお願いがあります。」

「…ふむ。 聞かせてもらおう。」

「はい、パイロットに関するデータが圧倒的に不足しているのです。」

「…パイロット?」

「トライデント開発の最大のネックである操縦系システムは、

 先に報告したとおり、操縦者の意図を補正するソフト開発がカギになります。」

「その報告書は見たよ。 まるで漫画の世界のような方法だったな。」


……考えを読み取る装置。 これが完成すれば、あらゆるジャンルで圧倒的な利益を獲得できるだろう。

 
「そうですね。 しかし、そのシステム開発を、特務機関NERVは成功している可能性が高いのです。」

「…なんだと?」

「エヴァンゲリオンの操縦方法に、脳波コントロールが利用されている可能性が非常に高いのです。」

才気溢れる若い男性の言葉に、官房長官の目が細くなる。

「ふむ… それで?」

「はい。 我が研究所に所属している霧島一尉を第3新東京市へ派遣する許可を頂きたいのです。」

「国連から出向している娘…だったか?」

「はい。 NERVのパイロットと同じ歳ですので、潜入調査が行えます。」

「面白そうだな。 よし、分かった。 許可しよう。 ……ただし、条件がある。」

「条件…ですか?」

「いくら優秀とは言え子供が調べられることには限界があるだろう。

 だから、キミも彼女と一緒にNERVへ出向し、あの組織が持つ様々な技術を得るのだ。

 我が国の為にね。 …どうだね?」

「秘匿性の高いあの特務機関が、生粋の戦略自衛隊の人間を受け入れてくれるとは、とても思えませんが?」

「先達て締結した協力協定…あれは向こうから言い出したことだ。 無下に反対もできんだろう?」

官房長官は、口の端を上げた。

「それは、そうでしょうが…」

「当面の間の所長代行は、キミが人選したまえ。 先方には、首相から話をしていただく。」

「了解しました。」



………第3新東京市、郊外の電話ボックス。



”ピピッ”

男は、暗号メールの指示どおり指定された電話ボックスに入った。

そして、記憶した電話番号をプッシュした後、さらに24桁の特殊コードを入力する。

(これを使うのは久しぶりだな。 何かあったのか?)

”プルルルル…プルルルル…”

男は、受話器を耳に当てながら、相手が出るのを静かに待った。

”ガチャ”

「私です、加持リョウジです。」

『…加持一尉、君に仕事が出来た。』

「お久しぶりですね、課長。 仕事が出来たって……今もまさに仕事中なんですがね。」

『…まあ、そう言うな。 これは内務省の上からの指示だ。』

「ほう。 政府…ですか?」

『君が気にするのは、仕事のほうだ。』

「ハハッ…確かにそうですね。」

男は、ネクタイを緩めながら笑った。



………ジオフロント



”プシュ”

「あ、お疲れ様です、センパイ。」

「サンプルA−7Cは、無事に第2支部へ届いたようね。」

「はい、先ほど連絡が来ました。」

マヤがオペレーター席から立ち上がった。

「センパイ、ちょっと宜しいですか?」

彼女はそう言いながら、コーヒーメーカーからカップに黒い液体を注いでいる金髪の女性の近くに歩き寄る。

マヤは、バインダーで口元を隠すと、キョロキョロと目を動かして周りに聞かれないように警戒した。

リツコはそんな後輩を、どうしたの? と見ていた。

「センパイ、先ほど本部の下位端末で不正が行われたようです。」

「なんですって? MAGIのデータを不正操作されたっていうの?」

「はい。」

「どのデータ? レベルは?」

「これを見てください。」

そう言うと、マヤは自分の席に座って端末を操作した。

「レベル5、AAC級の情報で、コピーされた情報はコード707です。」

「ナナマルナナ? …シンジ君の学校?」

「はい。 チルドレンを含む2年A組の生徒の情報がコピーされました。」

リツコは、マヤの操作する端末の前に立つと、彼女の表示した画面を覗き込んだ。


”ピンポンパンポン♪”

『技術開発部長、赤木リツコ博士、赤木リツコ博士。 …至急総司令官執務室にお越し下さい。』


あら、とスピーカーの方へ顔を上げたリツコは、視線を横に動かしてマヤに指示を出した。

「その端末にログインしたIDを特定して頂戴。 私は、取り敢えず司令に報告しておくわ。」

「はい、分かりました。」

呼び出しを受けた白衣の女性は、足早に発令所を出て行った。



………総司令官執務室。



『…以上が、政府から特務機関NERVに対する技術協力要請だ。』

要請…とは言葉だけである。 実際には拒否権のない命令に近い。

フッ…先日の借りを返せ、と言ったところか。

そう思ったゲンドウは、赤い受話器を耳にしながら目を細めた。

「了解しました。 が、こちらにも受け入れの準備が必要です。 …少しの猶予を頂きたい。」

『分かった。 では、後は必要な事項を直接調整してくれたまえ。』

その言葉を最後に、通話は一方的に切れた。

”…ガチャ”

サングラスの男は、第二新東京市にある首相の執務室とのホットラインである赤い電話機を机に置いた。

”…プシュ”

「失礼します。 司令、お呼びでしょうか?」

白い手袋をはめた手を組んで肘を付いた男は、サングラスの奥の瞳を白衣の女性に向けた。

「赤木博士、日本国政府が技術協力をしろと言ってきた。」

リツコは、男の言葉を確認するように繰り返した。

「技術協力?」

「ああ。 研究員をこちらに派遣したいそうだ。」

ゲンドウは、詰まらなそうな口調で説明した。

「派遣?」

「派遣されるのは、戦自研のスタッフだ。 詳細なデータは後で来るだろう。」

「戦自研ですか?」

戦自研…と言う言葉に、リツコの瞳が少し大きくなった。

静かに観察していたゲンドウは、予想以上の反応をした彼女に思わず聞いてしまった。

「嬉しいかね?」

(嬉しい?)

その単語が耳から脳に伝わると、ある男の顔が脳裏に浮かんで、冷静だった女性の顔は真っ赤に染まった。

「…なっ!」


……不器用なサングラスの男は、こういう会話になってしまった事を少し悔やんだ。


自分では上手くフォロー出来ないのが、よく分かっているからだ。

(…冬月先生、後を頼みます。)

しかし、相方である初老の男性は生憎と、この部屋にいない。

「…すまん。 細かい所は、総務部と詰めてくれ。」

男は、組んだ手に顔を隠して、事務的に謝罪して話を進めた。

その様子を見たリツコは、冷静になると一息大きく息を吐いた。

「ふぅ。 司令、ご存知だったのですか?」

「プライバシーを侵害した事は謝罪する。 しかし、キミはこの組織の重要人物なのだ。」

確かに…リツコの冷静な頭脳は、ゲンドウが何を言っているのか正確に理解した。

自分が何気なく触れているモノが、どれだけの利潤を、金を生む技術なのか…

人は、EVAのみに生きるにあらず…

色々な人がいて、色々な組織が存在する。 不注意だったのは、自分だったのだ。

「こちらも、すみませんでした。 報告するべきでした。」

「いや、構わん。 キミがシンジを裏切る事が無いのはよく分かっている。」

そう言い切ってくれた最高責任者に、リツコは頭を小さく下げた。

「ありがとうございます。 では早速、戦自研のスタッフの受け入れ準備をします。」

「ああ、この件は伊吹二尉に任せるようにしてくれ。 キミはEVA関連の研究に専念して欲しい。」

「マヤに…分かりました。 彼女にも、そろそろ一つの仕事を任せてもいい頃だと思っていましたから。」

「私からは、以上だ。」

「司令、こちらからも報告があります。」

「なんだ?」

「はい、コード707のデータが内部端末の不正使用により、外部へ流出した可能性があります。」

ゲンドウは、視線で続きを促した。

「…目的は、シンジ君たちチルドレンのデータだと推測されます。」

「ふん。 大した情報ではない。」

「犯人の特定及び処置はいかがしますか?」

「流出したデータを確認するだけでいい。 内部ならば、犯人は大体分かるからな。」

上司の言葉に、リツコは、だらしなく伸びた髪を一本に纏めている男が思い浮かんだ。

「…そうですわね。 分かりました。 では、失礼します。」



………技術開発部長執務室。



”プシュ!”

「お待たせしました、センパイ。」

ショートカットの女性が部屋に入って来ると、リツコはイスを回転させて彼女を見た。

「あの、話って何ですか?」

「取り敢えず、そこに座って頂戴。」

「あ、はい。」

リツコの指し示したソファーに、マヤは”ちょこん”と座った。

金髪の女性は数枚の紙を手にすると、彼女の目の前に座った。

「これを見て欲しいの。」

マヤは、手渡された書類に目を落とす。

「これって…」

「戦略自衛隊技術研究所の職員。 あの第5使徒戦において技術協力をしてくれた人たちよ。」

リツコの説明に、ショートカットの女性は不思議な顔のままだった。

「で、あなたにこのリストの人たちの受け入れ準備をして欲しいの。 具体的には庶務的なことが多いから、

 総務部と調整して頂戴。 時間は余りないから、1週間以内を目処に。 以上よ。」

「そ、そんな。」

リツコの瞳に映った後輩は、大量のレポートを要求された学生のような表情だった。

「そんな顔しないで。 あなたも色々な仕事を覚える時期になった、という事よ。」

「う〜 私、まだそんなんじゃないですよ…」

「これは、碇司令の命令でもあるのよ。」

マヤにとって、これは決定打だった。

「…ぅ、分かりました。」

ションボリとした表情のマヤ。 しかし、彼女は自身が尊敬する上司の期待を裏切るような真似はしない。

このショートカットの女性は、リツコの指示どおり1週間もかけずに対内外の折衝を完了するのであった。





思い出。………−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………沖縄新空港。



もう直ぐ2機の戦闘機が、この駐機スペースにやって来る。

その連絡が入ると、ここで待機していた保安部員たちの緊張の糸が一気に張り詰める。

これから2泊3日の日程で行われる修学旅行の間、3人の特別な子供を護り切るのが、彼らの任務だった。

”バタンッ!”

「「ッ!!」」

”…チャッ!!!”

大きな音を立てて開いた扉に驚いたサングラスの男たちが、躊躇いなく一斉に凶器を向ける。

「ちょ! ちょっと、あんた達……その銃を降ろしなさい。 まったく、今からそんなに殺気立たないの。」

その扉から出てきたのは、薄緑色のスーツを着た女性と、ヨレヨレのシャツを着た男性だった。

「動くな!!!」

扉を囲むように、男たちが忍び足で動く。

その一人が、扉の前に立つ男女に手を伸ばした。

「NERVのIDカードを見せてください。」

「…へいへい。 葛城、持っているんだろ?」

だらしない格好の男は、ズボンの後ろポケットに手を伸ばした。

「ゆっくりだ! ゆっくりと手を動かせ!」

(こりゃ、見事なまでにマニュアルな対応だね…)

人を小馬鹿にしたような顔になった加持は、ゆっくりと財布からカードを取り出した。

「持っているわよ! …はい、これでどう?」

ミサトも彼に倣って、ハンドバックの中からカードを出した。

受け取ったサングラスの男は、機械のスリットにカードを通した。

「では、静脈認証を行いますので、手をここにかざしてください。」

「はいはい。」

ミサトと加持は、それぞれ手を差し出した。

”ピピッ”

「…加持一尉、葛城一尉を確認。 よし、降ろせ…」

彼女らの身分を確認した保安部員達は、肩に入った緊張を解いて警戒しながら拳銃をホルスターにしまった。

「はぁ…で、チルドレンたちは?」

疲れた表情のミサトが周りを見ると、右手側に2機の戦闘機が見えて、ちょうど停止する処だった。

空港の作業員が手馴れた様子で、定位置に着いた戦闘機に木製のタイヤ止めを挟み込んだ。

”…シュゥゥンン………”

ジェットエンジンがシークエンス通り停止すると、

 保安部員達は、戦闘機の周りを囲むように移動し、鋭い目を光らせて周囲を警戒する。

加持の耳に装着された黒いイヤホンから、空港に散らばっているスタッフの様々な報告が入ってくる。

「…了解。 あ〜…葛城。 取り敢えず、この沖縄新空港は大丈夫そうだぞ。」

ニヤけた表情の男を見たミサトは、キッと彼を睨んだ。

「そう。 アンタね、分かっているとは思うけれど、この仕事に失敗は許されないのよ。」

「ああ…もちろん、分かっているさ。」

「なら、もう少しシャンとした顔しなさいよ!」

「…あれ、知らなかったのか? これがオレの仕事用の顔さ。」

「まったく。」

若干呆れたミサトが前を向くと、戦闘機のキャノピーが開き始めていた。

「ほら、シンジ君たちが降りて来るわよ。」

「そうだな。」

加持は、ミサトに促されて戦闘機の方へ足を向けた。



………旅客機。



シンジ達に遅れること30分。

沖縄の青い空に、大型の航空機の機影が小さく見え始めた。

「あ、あれかな? 来たみたいだね。」

第壱中の制服に着替えたサードチルドレンは、空港のカフェテリアから透きとおるような空を見ていた。

「碇君、はい…」

”コトッ”

テーブルによく冷えたアイスコーヒーを置いたのは、空色の髪の少女だ。

”ガタッ”

「あー、暑苦しかった。」

重苦しい装備から解放された紅茶色の髪の少女は、自分のオレンジジュースを置くと、イスに座った。

「もう少し、ゆっくりシャワーを浴びたかったわぁ。」

「あら、浴びる時間があっただけ良かったじゃない。」

アスカの横に座ったミサトが、パタパタと手を扇ぎながら少女を横目で見て言う。

「まーねー そりゃそうなんだけどさー」

「…葛城。 アイスコーヒー、持って来たぜ。」

「あ、サンキュー、加持君。」

青い空を見ていたレイは、アイスコーヒーのカップを手にしているシンジを見た。

「…碇君?」

シンジは、右手に持ったカップのストローを左手で弄った。

「修学旅行かぁ…」

彼を見ている少女は、少年の横顔を柔らかい瞳で見詰めた。

「…碇君、どうしたの?」

「…ん。」

言葉に出来ない思いがあるのか、それとも”前史”を思い出しているのか…シンジの瞳はどこか遠かった。

そんな彼を見たレイは、彼の左肩に”ことっ”と頭を乗せた。

『…綾波…』

『…いいの。 何も言わなくても。』

彼の存在感を確かめるように、少女は”すりすり”とかぶりを振った。

彼女の柔らかく揺れる蒼銀の髪を見たシンジは、左頬を埋めるように彼女に寄せた。

『僕…ここにいていいのかな?』


……白銀の少年の脳裏には、サンダルフォンがよぎっていた。


『…碇君のままに。 私にとって碇君以外には、なんの価値も無いわ。』

『僕はね…』

そう波動で言ったまま黙ってしまったシンジを、どうしたの? とレイが見た。

『綾波…僕はね、アスカにも…幸せになって欲しいと思っているんだ。』

『…碇君は、彼女の望む世界を創るの?』

『いや、そうじゃないけれど。』

シンジは、横目でミサトと加持とじゃれ合っているアスカを見た。

『人生には辛いことがある。 それは生きていく上では当たり前のことなんだ。

 でもね、前の世界では、彼女もキミも僕も…普通に生きていく以上の辛さを強いられたんだ。

 だから、出来れば……アスカにもEVAだけじゃなくて、この世界で幸せを掴んで欲しいと思うんだ。』

レイは、遠い青い空に向けた少年の真紅の瞳を見詰めていた。

『…碇君…』

「ほら、シンジ! ファースト! ヒカリ達の飛行機が着いたんだから、さっさとロビーに行くわよ!」

「え? あ、そうか。 よし、行こう、綾波。」

「ええ。」

アスカに促されたシンジとレイは、加持とミサト、そして保安部員を連れて到着ゲートに向かって行った。



………市内。



現在、荷物を受け取った生徒達は、観光バスに乗り込んでいた。

これから市内を観光して、一日目でお世話になるホテルに向かうのだ。

シンジの横には、お約束と言ってもいいだろう……綾波レイ嬢が座っている。

窓際のシートに座っている彼女は、彼からポッキーを受け取ると嬉しそうに口に運んだ。

『これより、市内の観光になります。 お手元のパンフレットをご覧下さぁ〜い♪』

バスガイドが促すと、生徒達は自分たちで作った手作りのパンフレットを取り出す。

「…結局、2日目のコースはみんなスクーバを選んだんだね。」

シンジが見たパンフレットには、初日に復元された首里城と巨大水族館、2日目は、ケラマ諸島へ行き、

 最終日である3日目は沖縄本島へ戻って海水浴とパラセーリングとなっていた。

本日の昼食は、首里城の見学後、

 その自然公園と一体となった緑溢れるキャンプ村でのバーベキューと記載されていた。

(…結局、みんなは一緒ってことか。)

窓から見える景色を”ジッ”と見詰めているレイを見ると、シンジは自然と笑みがこぼれた。

(…綾波も楽しそうだね。 ぅ…約束か…)


……先日、彼女と交わした”約束”を思い出すと、シンジの顔は急に紅くなってしまった。


「あら? 碇君、大丈夫? なんだか顔が赤いみたいだけれど?」

通路を挟んで反対側に座っている学級委員長が、白銀の少年に声を掛ける。

「え!? あ、だ、大丈夫だよ。 うん、なんでもない。」

「碇君…」

レイは、少年の顔を見詰めた。

「え? な、なに?」

「久しぶりね、二人での旅行。」

(2人っきりじゃないけれどね…って言うか、学校行事だし。)

そんな事を思っていると、少年の右腕に少女の細い腕が絡みつく。

”ぴとっ”とくっ付いた彼女の柔らかな髪から、”ふわっ”と甘い香りが少年の鼻を擽った。

「あ、綾波…」

「…楽しみね。」

レイは、バスの車窓から見える太陽の光が眩しく降り注ぐ景色を見て”うっとり”とシンジに寄りかかった。

『…レイ。』

シンジは、そのまま彼女の右肩を抱き寄せて、彼女の空色の髪に顔を埋めた。

『ん、ぁ…』

レイはシンジを感じると、深紅の瞳を閉じて彼の体温を感じた。



………その50m、前方。



黄色いスポーツカーを運転している女性は、バックミラーで観光バスを見て呟いた。

「修学旅行、かぁ…」

女性の呟きに、無線機のイヤホンを付けた男が返事をする。

「世の中、平和になったもんだな…」

ミサトは黄色から赤に変わった信号を見て、軽くブレーキを踏んだ。

「そうね。 で、どう? 首里城の警備は?」

「一応、今のところ不審物なし、不審人物もなし…だな。」

加持は、横断する歩行者を横目で見ながら答えた。

「加持君、今日のスケジュールに変更は?」

「それもないな。 これから首里城に行って昼食、その後…水族館だな。」

信号が青に変わると、黄色いスポーツカーはゆっくりと発進した。

「水族館の後のホテル…計画どおりよね?」

「ああ、チルドレンたちが使う最上階のフロアは貸し切ってある。」

第3新東京市立第壱中学校の生徒たちを乗せた観光バスの前には、

 保安部の黒塗りの車が2台と警護の指揮を執るミサトの黄色いスポーツカーが走っている。

そして同じように、バスの後ろには黒塗りの車が3台連なって走っていた。

また、普通の観光バスに見えるこのハイデッカータイプのバスも、

 防弾ガラスや対テロ用の装備を奢られた特殊車両だった。


……街中を走る物々しいその様は、まるで、どこかの国賓の護衛のようであった。


中学2年生たちが、バスの中で”わいわい”とお喋りに興じていると、

 バスは交差点を曲がり、1時間ほどで首里城のある公園へとたどり着いた。



………第一分析室。



少女が、画面を見ていた顔を上げた。

「所長、NERVからメールが届きました。 私たちの受け入れに対する調整事項のようです。」

「ご苦労、霧島一尉。 そのファイルを私に転送してくれ。」

茶色の髪の少女は、上司の指示どおり必要な情報を転送した。

「でも、よく受け入れてくれましたね?」

「戦自の人間を、か?」

「はい。」

「第五使徒戦時の貸しを返した、と言うところだろう。」

マサルは、自分の手を頭の後ろで組んで答えた。

「政府が、ポジトロンライフルの技術の見返りを求めた、という事ですか?」

マサルは、転送されたデータをチェックする。

「…そうなるね。 お、マナの転入手続きも終わったみたいだね。」

「はい。 私、来週から中学校に通うんですね。」

「嬉しいだろ?」

マサルは、ニヤッと笑った。

「ぅ、嬉しいですよ… そりゃ、もちろん。」

マナは、顔を少し紅くしながら答えた。

「指定の制服や教科書は、後で送ってくれるみたいだね。」

「はい。 私達の住居は、第3新東京市の住居ブロックのマンションに纏められているみたいですね。」

「その方が、向こうも管理しやすいんだろう。 NERV本部までは、近くも遠くもない場所だし。」

マサルは、地図を見ながら少女に答えた。

「はあ…」

「どうした? ため息なんて?」

「なんだか複雑だな、と思って。」

「ん?」

なにが? と男は目で聞いた。

「だって、私、国連の人間なんですよ? 出向している”こっち”の立場で国連組織に行くって…」

「そうだな。 ま、国連の人間でも、

 あの特務機関に出入りできるわけじゃないんだから、余り深く考えなくてもいいと思うぞ?」

「それは、そうですけど…」

何処となく詰まらなそうな顔の少女。 そんな彼女を見た男は、やれやれ、と肩を竦めた。

「なんだ? どうせNERVに行くなら、碇シンジ君と同じ立場になりたいって顔だな。」

「えっ!?」

自分の考えが全て読まれている。 …マナは驚いてマサルを見た。

「私たちとしても…ぜひ、それをお願いしたいところではあるな。」

「え?」

「僕たち戦自研が求めているテクノロジーだからだよ。 脳波コントロールは。

 マナが、もし、チルドレンとしての実験や訓練に参加できるようになれば、

 それだけ貴重なデータが得られるかも知れないからね。」

目をキラリと光らせた男を見たマナは、少し眉根を寄せた。

「あの…所長は、土井さんは、前にプロジェクトTには反対だ、と言っていましたよね?」

「ああ、今も変わらないよ。 トライデントの開発には反対だった。」

男の言葉は、過去形だった。

「だった?」

マナは、訝しげな表情を男に向けた。

「うん。僕は、どう使われるか不安だった。 でも…」

「でも?」

「エヴァンゲリオンの研究を進めていくと、あの兵器に勝るものはないと思ったんだ。」

マサルは、イスから立ち上がると、部屋の窓から外を眺めた。

「トライデントに装備される通常兵器では、エヴァに勝つことは出来ないだろう。 でもね…」

窓から振り向いた男は、茶色い髪の少女を見た。

「トライデント開発で得られたテクノロジーは、平和利用に転じる事が出来るモノが多いんだ。

 だったら、政府の期待どおり開発を進めてもいい、と思ったのさ。」



………自然公園。



緑溢れる大きな公園。 同じ”緑色”でも、自分たちの住む箱根とは随分と密度が違うように思える。

そして、南国独特の色鮮やかで大きな花に囲まれるような、その中心部に一際鮮烈な赤色があった。

それは、悠久の時代を感じさせる建造物、首里城であった。

駐車場に停まったバスを降りた生徒たちは、それぞれのグループごとに纏まって歩いていた。

「見て見て、ヒカリ!」

先頭を歩くアスカに呼ばれたお下げの幼女は、彼女の指差す方向にある赤い門を見た。

「わぁ! あれが守礼門なのね…」

奥行きはないが、二重の赤い屋根と赤い柱で構成されている門は、旅情という風情があった。

ヒカリは、手に持っているパンフレットの写真と全く同じ情景に感嘆の声を上げる。

その横を歩いている黒いジャージの少年は、ヒカリの反対側を歩いているケンスケを見た。

「なぁ、自分、ずっとビデオ撮っとるつもりなんか?」

「ん? ああ、ある程度はね。」

ファインダーを覗いたまま答えたメガネの少年に、トウジは少しため息をした。

「はぁ。 自分の目ぇで直接見た方がええんとちゃうか?」

「ハハハッ…ちゃんと見るさ。 あとでね。」

そう言いながら、ケンスケは身体をターンさせてビデオを後ろに向けた。

現在、第1班は、修学旅行生の先頭を歩いている。 

後ろ向きに器用に歩くメガネの少年は、自分の後ろに続く生徒達の様子も撮ろう、とカメラを向けた。

光を反射して煌びやかに輝く緑の中を歩いているシンジとレイが、ケンスケのファインダーに入る。

(おおっ! 綾波さんが撮れている! 碇と一緒だと、不思議と撮れるんだよな…)

メガネの少年は、そのまま公園全体をカメラに収めていく。

レイは足を止めて、守礼門の赤い柱に触れた。

「…これが、琉球の時代の建造物なのね。」

「セカンドインパクト以前にも壊れた事があったんだって。

 何度も何度も壊れて…でも、その度に元通りにするって、すごいね。」

蒼銀の少女の横に立つシンジが、赤い門を繁々と見て答えた。

「碇君、行きましょう。」

「うん、そうだね。」

2人は、自然と手を繋いで、みんなの後に続いた。

生徒たちが全員集まると、体育を担当する若い男性教師が、声を上げた。

「注目! これより、首里城公園を班ごとに見学します! 集合は、ここに11時45分とします!」

修学旅行生たちは、その後、この公園の一角に用意されているキャンプ村でバーベキューの予定であった。

「さ、みんな、いくわよ!」

先生の説明が一通り終わると、アスカがしおりを手に歩き出す。

第1班は、首里城見学のメインとも言える首里城正殿に向かっていった。



………第2支部。



ユイは、地下のケージにいた。

その広大な空間に、建造途中のエヴァンゲリオンがあった。

(…プロダクションモデル、エヴァンゲリオン4号機。)

彼女のダークブラウンの髪が、送排風機によって循環する空気に揺れていた。

白衣の女性は、バインダーに挟み込んだ資料に目を落とす。

(基本スペックは、弐号機、3号機と同じアダムベースの素体。)

あの黒いエヴァEVAと同じ装甲が用意されているが、その色はシルバーだった。

(そして……S2機関搭載実験で、この支部ごと消滅…か。)

前史を知るユイは、この第2支部を消滅させる事は出来ない、と考えていた。

(…そうだわ。 詳しい経緯をドーラさんに聞いてみましょう。)

「…ここでしたか、碇博士。」

「探しましたよ。」

ユイが振り向くと、自分専属の護衛であるアルとカーチャがやって来た。

「あら、あなた達…」

技術部の制服姿のカップルを見たユイは、少し困った顔になる。

「いつも一緒にいてくれなくても平気よ、私。」

「ダメです。 これは自分達の仕事ですから。」

黒人男性は、自分の護衛対象者の顔を見て首を横に振った。

「そうですよ。 国連軍総司令官と特務機関NERVの総司令官の命令なんですから…」

カーチャは、諭すようにダークブラウンのショートカットの女性に言う。

「そう… あ、そうだ。 あなた達も後で私の部屋に来て頂戴な。」

「今日もマクヴィ秘書官のお茶会ですか?」

黒人男性の問いにユイは朗らかに笑って答えた。

「ええ、そうよ。」

カーチャは頷きを返した。

「分かりました、博士。 後で伺いますわ。」

ユイとアル、カーチャは、本部と同じ機構を備えるアンビリカルブリッジを後にした。

そして、S2機関開発責任者である女性は、自室に戻るとPCを立ち上げた。

《 ドーラさん、少し聞きたい事があるのだけれど…時間、あるかしら? 》

”ピピッ”

今回は、メールではなく、暗号チャットを利用した。

送信すると、直ぐに返事が来る。 さすがね、とユイは思った。

《 お久しぶりです、ユイ様。 何でございましょうか? 》

《 前史で…この支部は消滅した、と聞いたわ。 》

《 はい、そうでございます。 ユイ様が籍を置くこの第2支部は、全て消滅しました。 》

《 詳しく教えてくれないかしら。 》

《 畏まりました。 》

そして、ユイは知った。


……6000人が失われた第2支部消滅事件。


それは、ゼーレという組織の陰謀によって起こされた事件であった。

S2機関の完成は、組織にとって絶対クリアしなくてはならない、最重要項目だった。

しかし、彼らの期待とは裏腹に、ドイツで修復し、

 アメリカ第2支部で研究されていたシャムシエルのコアの研究は遅々といて進まなかった。

コア、と呼称される敵性体の部位は、葛城博士の提唱したS2機関である、と目されていたのだ。

そして、彼らは本部に、”搭載”実験と報告させて、

 あるチルドレンを使ったS2機関の起動実験を強行させたのだった。

本部にも極秘とされたこのパイロットのデータは、もちろんゲンドウやリツコにも知らされていなかった。

ユイは、ドーラに見せてもらった情報を食い入るように見た。

(…まさか、そんなことを…)

《 ユイ様、人が来ますので、また後で時間を下さい。 》

その文を読み終わったタイミングで、インターフォンが鳴った。

”ピピピッ!”

ユイは、インターフォンの応答ボタンを押した。

「はい?」

その瞬間、PCの画面は、通常の画面へと切り替わった。

(ありがとう、ドーラさん…)

キャラメル色の髪の女性に感謝しつつ、ユイはインターフォンの画面を見た。

その小さな画面に、支部長の秘書を務めるナタリーが映っていた。

『…お忙しいところ、すみません。 今、大丈夫ですか?』

「あら、もうそんな時間? 今開けるわね、ちょっと待ってて。」

”プシュ”

エアの作動する音と共に金属製のドアが横にスライドする。

現在の時間は、15時を少し過ぎたところだ。

ユイは、第2支部の配属となってから色々と自分に世話を焼いてくれた、

 ナタリー・マクヴィと午後のお茶をよく一緒にするようになっていた。

「今、紅茶を用意するから、そっちのソファーで待っていて頂戴ね。」

白衣の女性が席を立って、給湯の方へ消えていく。

ブロンドの髪を結い上げた女性は、テーブルにお菓子の入ったバスケットを置いてソファーに座った。

「おまたせ。 今日は、暑くなりそうだったからアイスティーよ。」

白衣の女性は、冷蔵庫で良く冷やしていた紅茶を用意した。

「今日のお菓子は、私が焼いたクッキーです。」

「あら、おいしそうね。」

ナタリーは、自分よりも10歳年上なのに、10歳年下に見える女性に羨ましげな視線を投げる。

(ほんと、若々しいな…)

「はい、どうそ。 ? どうしたの? 私の顔、何か付いているかしら?」

氷を入れたグラスに紅茶を注いで、女性の目の前に置いたユイは、彼女の視線に不思議そうな顔になった。

「あ、いえ、なんでもないです。」

メガネの彼女は、グラスを手にすると、良く冷えたストレートティを飲んだ。

「あ、美味しい。」

「ウフフ。 でしょ。 ベガスのストアで見つけた茶葉を使ってみたの。」

”ピピピッ!”

「あら、来たみたいね。」

扉が開くと、茶色い技術系職員の制服を着たアルとカーチャが入って来た。

「お邪魔します、碇博士。」

「失礼します。」

男性と女性は、それぞれ挨拶をすると、それぞれ手にしていたモノをテーブルに置いた。

「これは、オリエンタルだと思いまして…」

そう言ってアルが袋から取り出したのは、唐辛子が全面に付着したせんべいだった。

「すみません。 …そんなの博士は食べないって言ったんですけれど…」

そう言って彼氏のお土産を横にどかしたカーチャは、自分のお土産を広げた。

「温泉まんじゅうっていうのが、ベガスの日本食のお店で売っていたので、試しにって買ってみたんです。」

それぞれのお土産を見たユイは、目元を嬉しそうして、にこやかに笑った。

「あらあら…ご丁寧に。 じゃ、さっそく皆で食べてみましょう。」

こうして、和やかなお茶会が今日も始まった。



………昼食。



用意されていた瑞々しい野菜やタップリと用意された肉は、

 成長盛りの中学生の胃袋に、あっという間に消えていくことになった。


”ジュゥワ…”


炭火の上に敷かれた網の上で焼かれる肉。 その肉汁が落ちると、さらに食欲を刺激する煙が立ち昇る。

「よし、と。 はい、トウジ! 焼けたよー」

第1班で、網焼きを担当しているのは、白銀の少年。

頼まれてもいないのに、一人前以上のバーベキューを堪能しているのは、黒いジャージの少年だった。

「うほぉ〜 これまた美味そうやなぁ!」

肉汁を逃がさないように表面だけをこんがり焼かれたのは、沖縄産の黒毛和牛の柔らかなサーロインである。

紙皿に載せられた湯気立つ分厚い肉の塊を見た少年は、黒い瞳を輝かせてそれを受け取った。

「碇君、これ…」

「え?」

シンジは、タマネギやピーマン、アグー豚の肉を刺した串を回転させながら、隣に立つ少女を見た。

レイは、彼の口元にストローをさしたアイスコーヒーを差し出す。

「…はい。」

「あ…ありがとう、綾波。」

白銀の少年は、近づけられたストローをそのまま口に含み、ゴクリと喉に詰めたいコーヒーを通した。

空色の髪の少女は、タオルで彼の額に吹き出ている汗を拭ってやった。

シンジは空色の、レイは白色の布地に美しいハイビスカスが咲いている鮮やかなバンダナを頭に巻いている。

「はい、コッチも出来たわよ!」

隣の鉄板でヤキソバを作っているのは、アスカとヒカリだった。

ケンスケは、相変わらずデジカメとビデオを回している。

「こらっ相田! さっさとテーブルに運びなさいよ!」

「うぉっと! りょうかい!」

さっさと従わないと、紅茶色の髪の少女の手に持つ金属のコテが飛んできそうだ。

「ったく、働けっつーの!」

「まぁ、まぁ…アスカ、落ち着いて。 こっちのソーセージも、もう大丈夫よ。」

「OK、ヒカリ。 お皿に盛りましょー」

手際の良い料理人が揃っている第1班は、他の班よりも随分早く昼食が出来つつあった。

白銀の少年は、レイの切り揃えた肉を受け取ると、次々に網に並べていった。

「トウジ、皿を用意して。」

シンジの提案によって、昼食は焼き場の近くに置いたテーブルによる立食である。

「お、了解や。」

出来上がりつつある串焼きを見た黒ジャージの少年は、大き目の紙皿を用意する。

「はい、これ、綾波さんと碇君の分。」

お下げの少女は、焼き場の担当をしてくれている2人にヤキソバを盛った皿を持ってきた。

「ありがとう、洞木さん。 さぁ、食べよう。」

「どれどれ♪」

アスカの手が伸びて、食べ頃になった霜降りの肉を口に運んだ。

「…ん、うわっ! なによ、これぇ!」

「あれ? 不味かった?」


……おや? シンジの問い掛けも耳に入っていないのか?


アスカは、時間が止まってしまったかのように動かない。

しかし…次の瞬間、紅茶色の髪の少女は驚いた表情のまま、黄金色に焼けた肉を取ると再び口に運んだ。

「この肉、めちゃくちゃ…美味しい。」

「この塩と黒胡椒の加減が絶妙なのよ。 とろけるように柔らかい肉の甘みと旨みがぎゅっと詰まってて…」

お下げの少女が、あまりの美味さにうっとりとしていた。

カメラを構えながら肉を口にしたケンスケも、口の中に広がる肉の味に目を大きくする。

「これは…たかが焼肉、されど焼肉っていうのかな。」

単純な調理法こそ、その人の腕の差が出るもんだな…とメガネの少年が大きく頷いて、

 また新たな肉を求めるように皿に箸を伸ばした。


……その頃、少し離れた場所で売店の弁当を広げている男女は、ため息をついていた。


「いいなぁ…」

葛城ミサトの目の前には、少し冷めた焼肉弁当。 そして、その横には烏龍茶のペットボトルがあった。

「小耳に挟んだ話だと、今回の修学旅行は、あるスポンサーがついているって話だぜ。」

彼女の目の前に座っている加持は、タバコを胸に深く吸ってゆっくりと吐き出した。

「…スポンサー?」

ミサトは、その煙から自分の弁当を守るようにずらしながら、男の話を聞いた。

「ああ、じゃなきゃ…あんな豪勢な食材が修学旅行に来た中学生に出てくるハズないだろ?」

だらしなく伸びた髪を一本に纏めた男は、保安部員達の位置をチェックしながら答える。

「スポンサーって、まさかNERV?」

「はははっ… 残念、はずれ。 NERVはご覧のとおりチルドレンの警護しかしてない。」

「じゃ、どこよ?」

「聞いた事はあるだろう? 碇グループさ。」

「碇グループって、あらゆるジャンルをリードしている日本が世界に誇る企業体じゃない。 どうして?」

薄緑色のスカートから生えた足を組み直した女性は、烏龍茶を一口、飲んだ。

「シンジ君がいるからだろ…」

「え?」

加持の言葉に、ミサトの瞳が大きくなる。

「あれ? 知らなかったのか? シンジ君は、碇グループの元締めたる碇財閥のトップなんだぜ?」

「うぞ…」

ミサトの箸から、ご飯がポロリと落ちた。


……そんな女性を見ていた加持は、昼食を楽しむ第1班に目を動かした。


「むぉっ! こっちのヤキソバも美味い! いけるでぇ!」

”がつがつ”と口を動かしているトウジは、当たり前のように2杯目をお代わりしていた。

「当ったり前でしょ! 誰が作ったと思ってんのよ!」

アスカは”ふっふ〜ん”と得意気な顔で、割り箸をトウジに”ビシッ”と向ける。

胸を反らせている少女を横目で見たレイは、口を拭きながら言った。

「…味付けは、洞木さん。」

「せやせや、自分はコテでかき回しとっただけやろが…」

「うっさい、ファースト! ジャージ!」

「はい、アスカ。」

事態の鎮静化を図ったのは、焼きたての串を差し出したシンジだった。

「う…」

香ばしい匂いが、アスカの鼻をくすぐる。

「…早く取ってよ。 まだ肉焼かなくちゃいけないんだから。」

「わ、分かったわよ!」

少年から乱暴に串を受け取ると、アスカは芳醇な香りを出すアグー豚に”ガブッ”と食らいついた。

「はい、碇君。」

レイはヤキソバの皿を手に、そこから割り箸で取った一口分をシンジに運ぶ。

「あ、ありがとう、綾波。」

白銀の少年は、当然のように”パクリ”と食べる。 レイは、そのままの箸でヤキソバを食べた。

「ヒューヒュー! ラブラブやなぁ、センセ!」

黒ジャージの少年がはやし立てるが、そんな事でこの少年は動揺しない。

「…トウジも洞木さんにしてもらえば?」

「「なっ!?」」


……同時に声を出した二人は、同時に顔を真っ赤に染めた。


「わっかりやすー」

「ほんと…」

アスカとケンスケは、固まっているお下げの少女とジャージの少年を見ると、呆れたような声を上げた。



………研究室。



お茶会も終わり一人になると、ユイは再びパソコンを使っていた。

彼女の瞳に映るのは、前史の4号機の爆発、第2支部消滅という事件の原因となったS2機関の実験だった。

ドーラのレポートによれば、その実験の本当の内容は、前回の本部には届けられなかったようだ。

その詳細な内容を紐解いていくと、秘密のベールに包まれていた実験とは、

 マルドゥックではなく、ゼーレが直接送り込んだチルドレンによるぶっつけ本番の起動実験であった。


……彼女、そう、記録されていないチルドレンは少女だった。


渚カヲルの魂を持つ少女。 アダムより創られしロストナンバーのチルドレン。

前回は、彼女の”失敗”がもたらしたデータにより、S2機関の開発、実用が可能になったのだ。

(なんてこと…)

自我レベルの低かった彼女は、この世の光すら見る事なく”パーツ”として消えていったのだ。

ユイは、自然と涙が溢れてきた。

(非道い…)

彼女には、名前が無かった。

彼女、というパーソナルも殆ど無かった。


……でも。 でも、彼女には、たしかに”魂”があった。


《 ドーラさん、今…この娘は? 》

《 申し訳ありません。 上手い言葉を選ぶ事が出来ず、ユイ様が不快になられるかも知れませんが… 》

そんな前置きで、キャラメル色の髪を一本の三つ編みに結い上げた女性は、文章を続けた。

《 ”幸い”なことに今回、アダムベースの人造使徒の開発は前史に比べるべくも無いくらい、

 進んでおりません。 ですから、彼らは一層、ユイ様のご尽力に期待しているのでしょう。 》

(今回、彼女はいないのね。 ……よかった。)

気丈なユイが、はらはらと涙するほど、彼女の扱いは非道かった。

《 …ドーラさん? ゼーレが喉から手が出るほど欲しいS2に関しては、私頼み、という事なのね? 》

《 はい、現状では、そうでございます。 》

白衣の女性は、涙で濡れた顔をハンカチで拭うと、再びキーを叩いた。

《 シンジは、どう考えているのかしら? 》

《 マスターは、ユイ様のS2の研究開発に関しては、ご自由に、と仰っておりました。 》

《 自由に? 》

《 実用化できても、できなくても、どちらでも構わない。

 母さんの安全を考えると、完成した方がいいのかもしれないね… これが、マスターのお言葉です。 》

その文面を見たユイは、ふと浮かんだ疑問をドーラに投げ掛けた。

《 あの子は……シンジは、この娘の事を? 》

《 マスターは、ユイ様と同じように涙を流されました。 紅い海でリリスの知識を得ている時に。 

 マスターの意を汲み……ゲンドウ様には、搭載実験の結果しか教えておりません。 ただ、消滅、と。 》

《 そう、私はどうするべきなのかしら? 》

《 申し訳ありません。 ユイ様の質問に対する答えを、私は持ち合わせてございません。 》

《 それも、シンジの意志? 》

《 はい。 》

《 わかったわ。 ありがとう。 》

(…シンジ、私はS2機関を造るわ。 こんな事にならないように、完璧に…)

ユイの瞳に強い光が宿った。



………バス。



首里城公園から自動車で約2時間という場所にあるのは、国際公園と巨大水族館である。

特別に用意された大型バスはその目的地まで、あと15分、という路上を順調に走っていた。

その車内にいる中学生たちは非常に静かであった。

しかも、その大半は、瞳を閉じていた。 そう、おなか一杯に食べた後、自然に発生する欲求……睡眠。


……トウジやケンスケ、シンジでさえ昼寝をしている。


レイは、静かに眠るシンジの右肩に頭を預けて、

 自分の両手で包むように握る彼の右手を、愛おしそうに眺めていた。

「…ん。」

シンジの瞼が震えると、彼はゆっくりと瞳を開いた。

「ぁ、寝ちゃったんだ…」

「もう直ぐ、着くわ。」

レイは、彼にお茶の入ったペットボトルを手渡した。

「ありがとう。」

「疲れているの?」

蒼銀の少女が気遣わしげな視線を白銀の少年に向ける。

「まさか…」

白銀の少年は、小さくかぶりを振る。

『綾波の波動が気持ちよくて。 その心地良い温かさに包まれていたら、ついつい寝ちゃったんだよ。』

”ジッ”と自分を見詰める彼の瞳に、レイはくすぐったそうに少しはにかむと”ふぃっ”と外に顔を向けた。

『…そう。』

シンジは、彼女と同じようにバスの窓から外を眺めると、

 セカンドインパクトの後も変わらず栽培されているサトウキビ畑が目に映った。

『…今度は僕の番だね。』

白銀の少年は、彼女の手を握り返して心地良い涼風のような波動で彼女を包み込んだ。

『…あ。』

”カチッ”

『はぁい! 皆さん、着きましたよぉ! ここが国際公園と沖縄自慢の水族館です!』

子供達の眠気を覚まそうと、

 テンションを上げたバスガイドがマイクを手にしたのは、こういうタイミングだった。

その放送を耳に入れた蒼銀の少女は、彼との時間が終わってしまった事に少し不満気な表情になる。

『…綾波。』

そんな彼女に、シンジは、優しく空色の髪をすくように撫ぜた。

『碇君…』

その感触に、レイの表情が再び柔らかいものになる。

そして、スケジュールを厳守するバスはゆっくりと左へ旋回し、駐車場に入って行った。



………水族館。



生徒たちが見た公園は、そこかしこに水が溢れていた。

バーベキューで盛り上がった先ほどの自然公園は、色鮮やかな花を主役と目立たせる為に、

 多くの緑が植栽されていたが、この公園でその役目を担っているのは、水だった。

緻密に計算されている水路や噴水が、熱い空気を涼やかに冷やしてくれている。

それを見た第3新東京市立第壱中学校の生徒たちは、我知らずに歓声を上げていた。

「うわぁー」

第1班と言わず2−A組を纏めるお下げの少女は、美しい公園を見ると目を見開いた。

「見て見て、ヒカリ!」

石畳を歩くアスカが興奮した様子で、先を指さしていた。

「わ、すごい!」

ブワッと透明な水が押し出されると、まるで一本の太い柱のように立ち上がった。

その一番大きな噴水を囲むように、4つの噴水が間欠的に水を噴き上げている。

そして、その奥に見える大きな建物が、メインとなる水族館だった。

シンジ達は、白いタイルが陽光に輝く建物に向かって歩いていく。

薄暗く調光された館内に入ると、大きな水槽に入った色鮮やかな熱帯魚が修学旅行生を出迎えてくれた。

「わぁ、これは…」

シンジも思わず真紅の目を開いた。

「…とても綺麗。」

レイは、群れて泳ぐ黄色い小さな魚をジッと見ている。

「はぁー、涼しいー」

ウチワのように手をパタパタとしながら入って来たアスカが、目の前のカップルに声を掛けた。

「ほら、そんなトコに突っ立ってないで早く中に入りなさいよ。 …邪魔よ、あんた達。」

「あ、ごめん。 中へ行こう、綾波。」

少女はコクッと頷いて彼の後に続いた。



………浅間山地震観測研究所。



火口に設置されたクレーンを見上げた男は、明日実施される調査に思いを馳せた。

(ようやく、ここまでこれたんだな。)

彼が、地震観測研究所の主任研究員となってから早10年の月日が立っていた。

その若かりし頃から、彼は火山の中を直接的に調査したいと上層部に訴えていたのだが、

 許可が下りる事は無かった。

彼の要求した特殊無人観測機が非常に高価だったのが主たる理由である。

しかし、彼は諦めなかった。

なぜなら、火山の活動を正確に観測できれば、地震活動の予測に役立つことは明白だったからだ。

そんな彼に、突然スポンサーが付いたのは、2年前のことだった。

(碇グループか…)

男は、火口の横に造られた特設ステージに目を動かした。

そこには、大きな”イカリ”が横たわっていた。

不恰好なカタチであるが、それはマグマの高温、高圧に耐える為に特殊金属を纏ったセンサーの塊である。

この機械は、彼の不断の努力の成果であり、

 またスポンサーからの予算の中で、コツコツと組み上げていった苦心の作であった。

「主任、ちょっと宜しいですか?」

「どうした?」

「センサーの精度のチェックが終わりました。 これがその報告書です。」

「そうか。」

(これで、ほぼ全ての準備が終わったな…)

男は、部下から書類を受け取りながら研究所に戻って行った。



………暗闇。



『人類を導く為のシナリオ。 その完遂に向けた道のりは遠く険しい。』

何処までも続くような深遠の闇。 

その空間に、どの方向からかも特定出来ないような機械の声が突然と響いた。

『ああ…それに対して我々に残された時間は余りにも少ない。』

再び聞こえたのは男性の声であったが、思わしくない状況のためか…どこか疲労の色が混じった声だった。

『しかし、我々の計画は…ほぼ順調に推移していると言える。』

そう答えたのは、別の人物の凛とした声だった。

『…順調? 我々の計画は、実際のところ12%も遅延し始めているではないか?』

どこが? と苛立たしげに答えたのは、更に別の年老いたような男性だった。


”…ブォゥン!”


『…我々には、抜本的な解決策が必要だ。』

《SEELE01》と赤い文字が暗闇に浮かぶと、それで許可されたかのように他のモノリスも出現した。

『…資金を集めねばならん。 それも莫大な…』

『それはもちろんだ。 だが、どうやって?』

『裏死海文書によれば、次の使徒の襲来は近い。』

『コードネーム、サンダルフォンか…』

『A−17はどうだ?』

『使徒の捕獲を目的として作成した作戦コードか。 …その実行条件として、現資産の凍結も含まれる。』

『ふむ。 合法的な資産の徴発が行える。 まさに我々にとっておあつらえ向きではないか?』

『それだけではない。 碇 玄…経済界におけるヤツとの勢力図をひっくり返すことも可能だ。』

『…賛成だ。』

『しかし…碇が提案するとは思えんぞ?』

『ふん。 碇の提案など必要は無い。』

『左様。 …我々が決定を下すのだ。 絶対のね…』

『ふむ。 ゼーレとしての、命か。』

『ああ。』

12枚のモノリスは、自分達の企みを共有すると満足気な雰囲気になった。

『…では、そのシナリオを採択しよう。』

”ブォゥン!”

01が消えると、全てが闇に戻った。



………水族館。



レイは、この水族館で一番大きな”青”の目の前に佇んでいた。

(…殆どの時間、これを見ていたな。)

シンジは腕時計を見て、集合時間を少しだけ気にした。

蒼銀の少女の隣に立つ白銀の少年は、煌く青色と回遊する巨大な魚群を飽きずに見る彼女を横目で見た。

(…ま、僕も飽きていないけれどね。)

シンジは、少し苦笑しながら真紅の瞳を正面に戻して、素直にそう思った。

この青色は、水槽というよりも、まるで海の一部を切り取り、そのまま運んで来たかのような大きさだった。

巨大なサメやマンタ、海ガメなどが底面に設えられた白いサンゴ礁の上を気持ち良さそうに泳いでいる。

シンジが、薄暗い照明に浮かぶ彼女の顔の方を向きながら声を掛けた。

「明日、スクーバをすれば…もしかしたら、こういう光景に出会えるかも知れないね。」

「碇君…」

レイは、彼の言葉に囁くように小さな声で応えた。

「なに?」

「私…明日はスクーバ、したくない…」

意外な言葉に、シンジは身体ごと彼女に向いた。

「…どうして? 綾波は泳ぐの、好きだと思ったけれど?」

少年は、少女より高い背を少し屈めて、彼女の顔を覗くように小首を傾げて見た。

レイもシンジの顔を見て、少し逡巡するような口調で答えた。

「ええ…泳ぐのは好き。」

「じゃあ?」

少女は、少し深紅の瞳を伏せると、自分の持つハンカチを見ながら答えた。

「…でも、スクーバは、泳ぐのとは違う…と思うわ。」

シンジは、彼女の言葉を頭の中に入れると、少し眉根にシワを寄せた。

(軍隊の教練で何度も潜ったけれど…泳ぐのとは違うって? …あ、もしかして…)

「え〜と、綾波、それって…ボンベをつけたり、水中メガネをするからってこと?」

「……上手く言えないけれど、ウェットスーツで触れても、水中メガネ越しに海中を覗いても、

 この水族館と同じような気がするわ。」

(…なるほど。 確かに、”じか”に触れたり、見たりってワケじゃないかも知れないけれど…)

シンジは、レイの言わんとする事が何となく理解できた。

「でも、それでも…水族館よりは”近い”んじゃないかな?」

「そうかも知れない。」

そう答えたレイを見るシンジは、やはりどこか寂しそうな…詰まらなそうな雰囲気を、波動を感じた。

(そうか、こういう光景は、訓練の時には見られなかったし、”遊び”で潜るって機会は無かったし…)

「じゃ、ちょっと先生に相談してみようよ?」

「相談?」

「うん、素潜りでもいいかって、さ。」

「素潜り?」

「うん、どうかな?」

レイは、シンジを見ていた顔を再び青いスクリーンのような水槽に戻した。

「それでは、修学旅行の意義に反すると思う。」

「それは、初めてスクーバを体験することについて、ならね。

 でも、僕らは国連軍のダイブマスターライセンスを持っているから、免除されてもいいと思うよ?」

トライフォース時代に授与された免状を思い出したレイは、彼に聞いた。

「そうなの?」

「ま、後で先生に相談してみるよ。」

「分かったわ。」

そう答えたレイは、桜色の小さな腕時計を見た。

「…時間よ、行きましょ。」

「そうだね。」

2人は頷きあって、出口に向かって歩いた。



………ホテル。



大型バスを降りて宿泊するホテルを”見上げた”生徒たちは、思わず歓声を上げていた。

「うぉー、すっげー」

メガネの少年、ケンスケのファインダーに映るのは、45階建ての豪奢なリゾートホテル。

暖かな色合いのライトに照らされたその白亜の巨塔は、

 まるで夕暮れのオレンジ色の空と、まだブルーを残したままの海に浮かんでいるように建っていた。

「すごいわね。」

「そうだな。 オレもこんな高級ホテル、利用した事なんてないよ。」

2人の大人は、生徒たちが”ぞろぞろ”と降りる大型バスの横につけた車から顔を上げて巨塔を見ていた。

”シュボ!”

加持は、胸ポケットからライターを取り出すと、タバコに火をつけた。

「はぁー。 こりゃ役得だな、葛城?」

「私達の部屋、ちゃんと別々に二つとってあるんでしょうね?」

「あれ? なにを今更…そんな必要、俺たちにあるのか?」

シッポのような髪の男は、イタズラっぽい視線を女性に投げつけた。

「ちょ、ふざけないでよ!」

「ハハハッ…冗談だよ。 俺らはチルドレンの下、2フロアを占有させてもらっている。

 だから、好きな部屋で休めばいいさ。」

加持の言うとおり、43〜45階の3フロアはNERVと持ち主である碇グループによって独占されている。

だから、最上階に用意されたスイートルームは、チルドレンの安全の為に貸し切られていた。

「ほら、タバコなんて吸ってないで! 行っちゃったわよ!」

「大丈夫だよ、保安部と諜報部が先行しているんだ。 指揮官である俺らが慌てることもないだろ?」

「あ、それもそっか。」

ミサトが肩の力を抜いた頃、トウジは、スポーツバック片手に戸惑っていた。

自分の目に映るロビーの豪華さと煌びやかな照明に、現実感がついてこられなかったようだ。

「どうしたの、トウジ?」

「ハッ…せ、センセ…」

シンジの声で我に返ったトウジは、荷物を握り直して言った。

「な、なんでもないですわ。」

そう言うと、集合場所だと先生が立っている方に向かって力強く歩き始めた。

「碇様、お荷物をお預かりいたします。」

シンジが振り向くと、ホテルの最上級コンシェルジュが立っていた。

そして、その横にも同じような落ち着いた色調のスーツを着た男が立っていた。

「惣流様、お荷物をお預かりいたします。」

「え?」

突然のことに、紅茶色の髪の少女は少し戸惑ったが、シンジが説明した。

「アスカ、僕らチルドレンは、みんなと同じ部屋には泊まれないよ。」

「そうなの?」

「セキュリティの問題があるからね。」

「その通りでございます。」

客の会話にごく自然に割り込むこの男は、相当なベテランなのだろう。

シンジの応対をしている初老の男は、客の視線を受けると恭しく頭を下げた。

「碇様、ようこそ当ホテルへ。 明日の出発まで担当させて頂きます、谷口と申します。」

そして、と男は横を向いて言葉を続けた。

「こちらが、藤堂です。 藤堂には、惣流様の担当をさせて頂きます。」

「藤堂でございます。 精一杯務めさせて頂きますので、宜しくお願い致します。」

藤堂と名乗った男は、深々と中学生である少女に頭を下げた。

この世界で貴重なチルドレンに対する十分な待遇は、アスカの矜持を擽った。

「ふ〜ん、そう。 ま、期待しているわ。」

アスカのブルーの瞳の奥が、”キラリ”と満足気に輝いた。

「ご夕食は、部屋でお摂りになりますか?」

谷口は、手をスッと歩く先へ促すように動かしながら聞いた。

「いえ、みんなと一緒に摂ります。 アスカもそれでいいよね?」

「え? あ、うん。 それでいいわ。」

「畏まりました。 それでは、こちらへ。」

アスカは、カートを押すホテルマンに連れられてVIP専用のエレベーターへと向かった。


……その頃、トウジやヒカリ、ケンスケなどの一般の生徒達は、

 先生の説明と注意が終わるとそれぞれ手に荷物を持ち、各自の部屋へと向かっていた。


第3新東京市立第壱中学校の修学旅行生には、10階と11階に部屋を用意されていた。

トウジは、10階に着いたエレベーターを降りて、

 クリーム色の絨毯が敷き詰められているフロアを進みながら割り当てられた部屋を探していた。

「え〜と、1017…1017は、何処や?」

「おーい。 トウジ、こっちみたいだぜ?」

ケンスケはフロアの案内図を見て確認した。

「おう。」

黒いジャージの少年は、スポーツバックを担ぎ直してメガネの少年の許へと歩いた。


”チンッ”


「…はぁー」

この建物に入って何度目のため息だろうか…

ミサトは43階に着いたエレベーターを降りて、

 足首まで埋まりそうな絨毯が敷き詰められている廊下を見て感嘆の息を漏らした。

「このフロアと上のフロアは保安部と諜報部、そしてオレたちしかいない。」

彼女に続いてエレベーターを降りた男性は、カードキーをくるくると弄びながら言った。

「シンジ君たちは、7時の夕食をみんなと摂るらしいな…」

ミサトは、自分の腕時計に目をやった。

「…まだ、1時間あるわね。」

加持は、ホテルのパンフレットに目をやった。

「へぇ、ホテルの大浴場も、部屋の風呂も全部、温泉か。」

「…じゃ、子供たちは温泉に入ってからご飯って感じね。」

ところで、とミサトは加持を見た。

「このホテルの警備体制がこっちの計画どおりなのか、確認しなきゃね。」

「ホテルの従業員のチェックはOKだ。 諜報部が既に終わらせている。」

「他の宿泊客は?」

「ホテル側で、エレベーターの設定を変更してもらった。 キーがなけりゃ、42階までしか上がれない。

 非常口と階段は、保安部が固めているよ。」

「私は、いっこ上の4412号室を使うわ。 加持君は、この43階の部屋を使ってね。」

ミサトは、ホテル側から渡されたカードキーを加持に見せた。

「へいへい。 じゃ、オレは4302号室にいるから。 何かあったら、携帯を鳴らしてくれ。」

加持は少し詰まらなそうに肩を竦めて答えた。



………45階。



「こちらでございます。」

紅茶色の長髪を揺らして部屋に入った少女は、目に映る部屋に、ため息しか出なかった。

(はぁー、すごい…)

見事な調度品と広々とした室内空間。 計算され尽くした照明は、暖かい雰囲気を醸し出していた。

「へぇー なかなかじゃない。」

チルドレンたる自分に相応しい部屋と認めたアスカは、ポケットから財布を取り出した。

「はい、これ。」

少女を見たホテルマンは、失礼にならないように深々と頭を下げた。

「申し訳ございません。 チップは受け取らないように言われておりますので……

 惣流様のお心遣いだけ頂きます。」

「え? あ、そう… あの、シンジ達は?」

アスカは、差し出した手を所在無さげにしながら、別のエレベーターに乗った同僚を思い出した。

「はい、碇様は、このフロアの上のペントハウスでございます。」

「え? ここが最上階じゃないの?」

「お客様がご利用になられるのは、ここが最上階でございます。 上は、プライベート用でございます。」

それでは、とホテルマンが部屋の説明を開始しようとしたが、客であるアスカがそれを制した。

「あ〜、ゴメンなさい。 部屋の説明なんてしなくていいわ。 見れば分かるし。

 ところで、加持セン…NERVの人たちはどこ?」

「はい、このフロアの下、43階と44階になります。

 エレベーターはこの部屋のキーがなければ43階以上には停まりませんので、ご注意くださいませ。」

「そ、分かったわ。 ありがとう。」

「いいえ…それでは、失礼致します。」

ホテルマンは、恭しく頭を下げて部屋を辞した。

「はぁー、汗でベタベタ…気持ち悪い。」

一人になると、アスカは部屋のロックを確認して、汗を流そうと中学校の制服を脱いだ。


……その頃、シンジとレイは、ホテルの屋上に造られたペントハウスにいた。


荷物を置いて、ベットルームに足を入れると、

 その部屋は、出入口として使うドア以外、360度全てがガラス張りのオーシャンビューであった。

「…綺麗。」

柔らかく暖かな色合いの照明に照らし出された部屋には、キングサイズのベッドが一つ。

余計なものは何もなかった。

レイの言葉に、シンジが目を外に向けると、太陽が落ちようとしている海は紅く燃えたような色合いだった。

「海も綺麗だけれど、空のグラデーションも綺麗だね。」

「…ええ。」

蒼銀の少女は、瞳を空に向けて、煌き始めた星空を見た。

「シャワーを浴びて、着替えたら…夕食だね。」

「そうね。 …碇君、先に浴びて。」

「? うん、分かった。」

シンジは、少し不思議そうな顔で寝室を出てリビングに戻っていった。

レイは、シンジの背中を見ていたが、彼が部屋を出ると少し顔を俯けた。

適度な温度に管理されている部屋。 ここにいる彼女の顔が赤いのは、夕日だけの所為ではないようだ。

(…やっと、なのね。)

レイの胸の鼓動は、いつもと違い不規則に高鳴っているようだった。

彼女は右手で、ネックレスの先にある彼から貰った蒼い指輪をぎゅっと握った。

(私…)

”シャ…”

蒼銀の少女は、何か物思いに耽った顔で、ゆっくりと部屋のカーテンを閉めた。

”…ぼすっ”

彼女がベッドに身体を投げると、クッションが柔らかく軋んだ。

レイは指輪を指先で弄った。

(今夜…)


……蒼銀の少女は、胸に深く息を吸いながら深紅の瞳を瞑った。


”こんこん”

「…綾波?」

しばらく待っても期待した返事はなかった。

「…? あれ?」

彼女の波動は、確かにベッドルームから感じる。 そんな白銀の少年は、今度は少し強めにドアを叩いた。

”こんこんっ”

「…綾波? どうしたの? 入るよ?」

”カチャ”

シンジがドアを開けると、レイは制服のままベッドにいた。

「…ねぇ、どうしたの?」

レイは自分を呼ぶ声に気付いて、深紅の瞳を開けると、

 シャワーを浴び終えた彼が、白いトレーニングウェア、いわゆるジャージという姿で立っていた。

(ぁ…碇君だ。)

瞳を開けた彼女は、どこか”ぽー”とした様子だった。 シンジは、レイの顔を覗き込んだ。

「…綾波?」

「ぇ? ぁ…」

間近に見る彼の真紅の瞳は、とても澄み切っていて、

 自分が耽っていた”こと”も簡単に見透かしてしまいそうだった。

そう感じた蒼銀の少女は、彼に顔を見られないように怖ず怖ずと立ち上がって、

「な、なんでもない。 私もシャワーを浴びてくるわ。」

 と言って、そそくさとリビングに消えていってしまった。

「…どうしたんだろう?」

一人部屋に残された少年は、きょとんとした不思議そうな顔だった。

{あ、そうだ。」

『ドーラ?』

『はい、マスター。』

シンジは手持ちのリュックからPDAを取り出した。

『この部屋のセキュリティは、どうなっているの?』

『…はい、ガラスは特殊防弾処理が施されています。 盗聴、盗撮等の機材はありません。』

『そっか。』

PDAと会話をしていると、リュックから紅い本が出てきた。

『ねぇ、お兄ちゃん、出してよー』

『あ、いいよ。』

シンジが本を手にして開くと、羊皮紙の中から小さな女の子が飛び出してきた。

「おっと!」

お約束のように、リリスはシンジの胸にひしっと抱き着いた。

「リリス、悪いけれど、夕食は一緒に出来ないよ? みんなと摂るって言っちゃったから。」

「えー。 ヤダヤダヤダー」

小さな女の子は、蒼い髪をぶんぶんと振りながら盛大に不服の声をあげた。

「ごめんね。」

シンジは少し困った顔のまま、片手に幼女を抱いたままPDAを手にすると、寝室を出た。

『マスター、浅間山の調査は明日予定どおり実施されるようです。』

白銀の少年は、リビングのソファーに座り、リリスを膝の上に乗せて答えた。

「そっか。 じゃ、修学旅行は明日で終わりだね。」

シンジは真面目な表情になると、部屋の天井に目を上げた。

「ねぇ、お兄ちゃん…」

「なに? リリス?」

「たぶんね、ゼーレはお金がないから…」

「ああ、A−17のこと? たぶん今回は、向こうがそうしろって命令してくるんじゃないかな?」

「それで、いいの?」

小さな女の子は、気遣わしげな表情でシンジを見た。

「前にも言ったけれど、僕は極力介入しないよ。 父さんが決めればいい。 母さんもね。

 それぞれが、色々な事を知っているのだから。

 それに、僕が何かをするとしたら、それは全て綾波のためだけだよ…」

白銀の少年は、今では夜景になってしまった外に目をやった。

『マスター、では、ゼーレに資金が流れてもいいと?』

『いい、とは流石に言わないよ。 だから、ドーラ、君にお願いがあるんだけど。』

『はい、何なりと。』

『おじいちゃんに、明日の事を教えてあげてよ。 碇グループに損失がでないようにね。』

『畏まりました。』

”カチャ”

開いたドアを見ると、シャワーを浴び終えた蒼銀の少女がリビングに入って来た。

彼女はシンジと同じ、白いトレーニングウェアを羽織っていた。

「お待たせ、いか…リリス?」

レイは彼の膝の上に小さな女の子がいるのを認めて、少し目を大きくした。

「ここには、僕らしかいないんだから、大丈夫だよ。 リリス、ちょっといいかい?」

そう言って、シンジはリリスを横に置くと、レイと自分が飲むモノを求めて冷蔵庫へ歩いた。

「綾波は何を飲む?」

「…甘いモノがいいわ。」

「え〜と、そうだな…りんごジュースがあるけれど…」

シンジが少女を見ると、彼女はコクンと頷いた。

「はいはぁ〜い! 私、オレンジジュースがいい!」

リリスは両手を挙げてアピールしている。

「え? オレンジジュース? …オレンジ、オレンジ、…ん、あぁ、あった。」

シンジは、透明なグラスに氷を入れてジュースを注いだ。

「はい、綾波。 リリスのもテーブルに持って行ってね?」

レイはシンジからグラスを受け取り、ソファーの前にあるテーブルに置いた。

「はい、リリス。」

「ありがとう、レイちゃん。」

小さな女の子は嬉しそうにグラスを受け取った。



その頃、1017号室では、一人の少年が、暑そうにウチワを扇いでいた。

”ガチャ”

「おう、ケンスケ。」

扉を開けて入って来たメガネの少年を見たトウジは、座布団に座って足を伸ばしたままの格好で声を掛けた。

「ふぅ、あっついなぁー」

「でかい温泉じゃったのぉ…」

「ああ、眺めもいいし、温泉もいい。 後は料理だな。」

トウジは、ケンスケの言葉に、部屋の時計に目をやった。

「後10分や。 そろそろ行こか?」

「ああ、そうだな。」

浴衣姿の2人は、部屋を出て7階のレストランに向かっていった。



シンジは、リリスを戻した紅い本を手に、レイと45階へ降りていった。

時間は7時10分前だった。

ホテルの廊下を歩き、エレベーターホールに向かうと、ちょうどアスカが部屋から出てきた。

「あら、シンジとファースト。」

「あ、アスカ、浴衣に着替えたんだ…」

シンジが見た紅茶色の髪の少女は、白い布地に蒼い花を咲かせた浴衣に着替えていた。

「ふっふ〜ん、そうよ。 どぉ? こういうのって、オリエンタルでいーじゃない。」

アスカは普段と違い、肩の力が抜けていて、年相応の少女のように笑っていた。

その彼女は、白銀の少年と同じ姿の蒼銀の少女に目をやった。

「ん? ファーストは浴衣に着替えなかったの?」

「ええ。」

レイは、コクッと頷いた。

「なんでよ?」

「修学旅行だから。」

「え?」

怪訝な顔になるアスカに、シンジが説明した。

「アスカ、たぶん洞木さんたちも浴衣には着替えていないと思うよ。」

「は? なんでよ?」

せっかく旅情に浸れるのに、なんて勿体ない…アスカの表情は、そう言っていた。

「何でって…トウジたちがいるだろ?」

「え? …あ!」

アスカは、胸元を押さえた。

自分がとても無防備な格好をしている、と少女は年頃の男の子のいやらしい視線を思い出して、気付いた。

これは、普段接しているシンジが、一度もそういう目でアスカを見ていないのが原因かも知れない。

「そうね! ちょっと待ってなさいよ、アンタたち!」

紅茶色の髪の少女は、慌てて部屋に戻っていった。


……そして、しばらく待つと、クリーム色の短パンと赤いトレーニングシャツを羽織ったアスカが出てきた。


そして、いつものとおり彼女は先頭を切った。

「で、何階だっけ?」

「僕たちが利用するレストランは、7階だよ。」

専用エレベーターに乗り込むと、アスカが7のボタンを押す。

NERVのエレベーターと違い、このホテルの機械は、音もなくチルドレンたちを階下へと運んでいった。

シンジ達が7階のレストランに着いたのは、ちょうど時計の針が7時を回ったところだった。

2−A組の第1班の席は、団体客用にセッティングされたテーブルとイスの集団のちょうど真ん中であった。

アスカの目に映った女子生徒たちは、やはり誰もオリエンタルな装いをしていなかった。

(…ほんと、誰も着ていないわ。 よかったぁ…)

逆に男子は、ホテルが用意した浴衣を着ている生徒が大半であった。

紅茶色の髪の少女は、余計なサービスをしないで済んだことに、そっと心の中でだけシンジに感謝をした。

「アスカ、こっちよ。」

その声にアスカが目をやると、ヒカリが手を振っていた。

「センセ、こっちや。」

「おおっ! 綾波さんのジャージ姿!」

パシャッ! と脊髄反射的にシャッターを切るメガネの少年は、

 この旅行の記念になるだろう写真の撮影に余念がない。

アスカが席に着くと、先生の合図によって夕食会が始まった。

沖縄特産の食材を使用したフレンチのコース料理が、ウェイターの手によって次々と運び込まれる。

どうやらこの食事会で、生徒たちにテーブルマナーを学ばせるのが、学校側の狙いらしい。

シンジやレイ、アスカは慣れた手つきで食事を楽しんだが、トウジはやや苦戦を強いられていた。

「料理なんて、箸があれば十分や!」


……これが、トウジがこの食事会で学んだことらしい。


紅茶色の髪の少女は、目の前に座るシンジとレイを見ていた。

シェフ自慢の料理を静かに口に運ぶ少年の手さばきは、優雅ささえ感じてしまうような柔和な動きだった。

(…ホント、コイツってば、なんでも手慣れているわね。)

第一印象から、どこか大人びたヤツ…と思っていたが、改めてみると本当に大人の男性であった。

日本では馴染みが薄いだろうが、欧州であれば、立派な紳士と認められそうな少年。

同じ視界に映る黒い短髪の少年を見てしまったから、余計そう感じてしまうのかも知れない。

(ん?)

そんな事を思っていたアスカの青い瞳に、白いテーブルクロスの上に置かれた紅い本が映った。

(あれって…アイツがいつも持っている本?)

シンジが、教室であの本を読んでいる事は、過去何度も見たことがあった。

普段は気にもしなかったが、ここは沖縄で、修学旅行中だ。

なぜ、こんな場所に持ってきているのか?

小説の類だと思っていたが、実は全然違うものじゃないのか?

アスカの中に、落ち着き払ったこの男の動揺する顔が見てみたい、というイタズラ心が顔を覗かせていた。

(もしかしたら、少女チックな詩集とか… 恥ずかしい日記とか… よし、チャンスは、次ね…)

現在、目の前に座っている白銀の少年は、時おり隣の蒼銀の少女と楽しそうに会話をしている。

それを見たアスカの瞳が、獲物を狙う猛禽類のように鋭くなった。


……もちろん、シンジがそんな少女に気が付かないワケはなく。


『リリス、たぶん次のデザートの時だ。 よろしくね。』

『…了解。 大丈夫よ。』

ウエイターが銀の盆を手に現れる。

「失礼します、デザートでございます。」

「あ、はい。」

シンジがウエイターの邪魔にならぬように、テーブルから少し身をずらした時だった。

(よし、今!)

「ちょっと、それ見せて♪」

アスカは、パシッと猫じゃらしにアタックする子猫のように素早く腕を伸ばして引っ込める。

その少女の手には、紅い本が納まっていた。

「ちょっと、アスカ?」

ヒカリが驚いた顔で紅茶色の髪の少女を見る。

「アンタ、いっつもなに読んでいるのよ?」

アスカはそう言いながら、適当に本を開いた。

人の本を取り上げるなんて、と普通であれば学級委員長である少女が咎めのセリフを言いそうであるが、

 実はヒカリも普段シンジが何を読んでいるのか、興味があったので黙ったままチラリと覗き込んでいた。

そして、開かれた本に書かれていたのは……

「何よ、これぇ?」

数式と見慣れた文字を見たアスカは、盛大に詰まらなそうな顔になった。

「な、なんて書いてあるの? アスカ?」

隣のヒカリは、何が書いてあるのかサッパリ分からない、という顔だった。

そんな親友の為に、アスカはパラパラと本を捲りながら解説をしてあげた。

「え? んーあー、これはドイツ語で、物理と熱力学かな…線膨張、体膨張…ハンッ! つまんないの…」

アスカは、頬杖をついて紅い本をパタンと閉じた。

「ちょっと、アスカ、返してよ。」

シンジは少し困った顔で手を伸ばした。

「アンタ、何で旅行にこんな本持ってきているのよ?」

はいはい、とアスカは奪い取った本をポイッと白銀の少年に返してあげた。

「復習さ、忘れないようにね。 アスカだって大学で習っただろ?」

「熱膨張なんて、幼稚なこと…久しぶりに思い出したわー」

そう言ったアスカは、目の前に置かれたアイスクリームにスプーンを刺して掬い取ると、徐に口に運んだ。



………約束。



7階から一旦部屋に戻り、シンジはトウジ達の部屋に遊びにいった。

レイもヒカリに部屋に来て欲しい、と言われていたので、11階の部屋にいた。

修学旅行という普段とは違うシチュエーションで、子供達は興奮しきりの今日一日について話していた。

就寝時間の10時までトウジ達の部屋にいたシンジが部屋に戻ると、既に蒼銀の少女は部屋に戻っていた。

「お帰りなさい。」

レイは、ソファーに座っていた。

「ただいま…って、綾波は早かったんだね。 疲れちゃったの?」

蒼銀の少女は、小さくかぶりを振った。

「…碇君、もう、寝ましょ?」

「うん、分かった。 でも、ちょっと汗かいちゃったから、僕、もう一度シャワーを浴びてくるよ。」

「そう。」

シャワーを浴びたシンジが戻ると、レイはいつものとおり、シャツのままベッドに入っていた。

シンジがゆっくりと大きなベッドに入ると、レイが何時ものように抱きついてくる。

(うん?)

”ふにゅ…”

彼は、愛しいレイの感触がいつもと違うことに気が付いた。

(いつもより、柔らかいな…って、下着付けてないの!?)

レイは、柔らかな双丘をシンジの腕に押し付けるようにする。

”むにゅ”

「あ、綾波?」

「…約束、だもの。」

シンジは、少女の僅かに上気したような顔と、潤み切った深紅の瞳を見た。

(…そっか。 …約束したんだもんね。)

”ごくり…”

白銀の少年はひとつ喉を鳴らすと、先日彼女と交わした約束を思い出した。


………そして。 この夜、2人に余計な言葉は要らなかった。


覚悟を決めたシンジは、彼女に覆い被さるように身体を動かすと、ゆっくりと右手で彼女の唇に触れた。

「ぁ…碇君。」

潤んだレイの深紅の視線を受けたまま、シンジは何も言わずに彼女の唇を塞いだ。

「…ん。」

彼女の唇を堪能した彼は、そのまま”そっ”と優しく彼女の体に触れていく。

「…ぁん、お願い、明かりを消して…」

「…あ、うん。」

”かちっ”

少年によって、この部屋に夜の帳が下ろされると、満月の蒼い光が閉めたカーテンの隙間から射し込んだ。

切り取られたかのような暗闇に浮かぶ、彼女の柔らかでたおやかな肢体。 

時々漏れるように聞こえる愛しい少女の切なそうな啼き声や、くぐもった声がシンジの脳を熱くさせてゆく。

そして、彼は有りっ丈の愛しさと、自分に応えてくれた感謝の気持ちを込めて、彼女の耳にそっと囁いた。

「レイ、ずっと愛しているよ。」



”……いかりくんと、ひとつになりたい……”



これは、昔も今も変わらぬ私の願い。

”前”の私が願った願いと、同じ言葉だけれど、違う。 同じ言葉でも、今の私の願いとは違う。

何も知らなかった私は、心も体も全てを一つにしたかった。 彼と一つになれればよかった。

自分の存在が、一粒のカケラでも彼の中にあればよかった。

無に還りたいと望んでいた私のとても愚かな願い。 そんな願いが叶っても、私も彼も幸せになれないのに。

…でも。 今は違う。 それぞれが別の個として、身も心も重ね合い、一つになる。


……私の願いは今、叶った。


碇君は、私にいつも以上に長いキスをすると、ゆっくりと体に触れてきた。

碇君のタッチは彼の性格そのもののように、柔らかくてとても優しかった。

緊張して硬かった私の身体を気遣い、

 あせらないように、ゆっくりと時間を掛けてくれているような感じがして、とても嬉しかった。

…私は、私の反応を確かめるような彼の視線を時おり感じる度に、勝手に体中が熱くなったような気がする。

トロトロに蕩けきって…もう、何も考えられないくらいに頭が真っ白になった時、

 碇君は私にそっと「レイ、ずっと愛しているよ。」と囁くと、私の初めてを貰ってくれた。


……私は碇シンジという幸せを逃さぬように、無我夢中で彼の背に回した腕に力を込めて抱き付いた。


そして、私は彼に包まれる満ち足りた感覚のまま、知らず意識を手放していた。





海辺−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………第一発令所。



MAGIメルキオール、MAGIバルタザール、MAGIカスパー。

NERVが誇るスーパーコンピューターMAGIシステム。

発令所の中段にいるMAGI専属オペレーターたちが、忙しく端末を叩いている。

その上段にいるメインオペレーター3人組は、今、休憩時間だろうか…それぞれ自由な時間を過ごしていた。

マヤは、リツコから借りた本を真剣な表情で読んでいる。

中央にいる作戦課のオペレーター日向マコトは、

 週刊の漫画雑誌を読み、我慢出来ないのか肩を揺らして笑っていた。

その隣にいる青葉は、学生の頃からの趣味であるギターのイメージトレーニング中だ。

”コポコポコポコポ…”

仕事の手を休めた白衣の女性が、ボタンを押して抽出されたコーヒーをマグカップに注ぐ。

「…修学旅行、か。」

リツコは黒い液体を見て、無意識に呟いた。

その後ろで、コーヒー待ちをしていた冬月が、彼女の独り言に付き合った。

「…君たち、いわゆるセカンドインパクト世代には、残念ながら…そんな余裕は許されなかったな。」

「あ、副司令。 すみません、どうぞ。」

リツコは、初老の男性がその手にカップを持っているのを見ると、済まなそうに横にどいた。

「ああ、すまないね。」

冬月コウゾウは、コーヒーメーカーにカップをセットして、ボタンを押した。

”コポコポコポ…”

「それで、現在の状況は??」

「現在のチルドレンたちに、問題は有りません。 危惧されたテロ、誘拐なども今のところありません。」

リツコは、衛星回線を使った映像を出した。

「…ほぉ。 これが再建された沖縄か。」

セカンドインパクトで消失した歴史的文化遺産を再建した娯楽の島。 それが今の沖縄だった。

どんなに世界が貧困に陥っても、富裕層は存在する。 これは資本主義、その競争原理の結果だ。

日本に住んでいると当たり前に感じる生活も、現在の世界各地から見れば、異常なほど裕福に映るだろう。

「…で、葛城一尉と加持一尉は?」

コウゾウは、湯気立つコーヒーの香りを楽しむかのようにカップを鼻先に持ち上げた。

「マヤ?」

リツコの声に、マヤは本を片付けて素早くコンソールを叩いた。

「あ、はい。 定時連絡によりますと、警護体制に問題はないそうです。」

「…ふむ、そうか。」

副司令官は、その報告と、メインモニター映る沖縄を見ながらコーヒーを一口飲み込んだ。



………船内。



朝5時に起床し、船に乗り込んだ第壱中学校の修学旅行生を迎えてくれたのは、イルカの群れだった。

沖合を40分ほど航行している時、船内中に船長の興奮した声が流れたのだ。

『皆さん、右手をご覧下さい! イルカの群れが泳いでいますよ!』

その目覚ましのような大きな声に、眠たげにしていた子供たちは、一気に目を覚ました。


「「「「うぉー!!」」」」

「「「「うわぁー!!」」」」


高速で移動するこの大型の船に苦もなく付いて来るイルカたちは、時おり大きな体躯を空に躍らせて見せた。

ケンスケは興奮した様子で、ビデオカメラを回していた。

「こりゃ、すごい!」

トウジもヒカリも目を大きくして、朝日に輝く海のショーに見惚れていた。

「すごいね。」

「ええ、そうね。」

ベンチシートに座るシンジに、レイは身体を預けるように座っていた。

「さっき、先生に相談したらさ、僕たちは好きにしてくれていいって。」

「そう、分かったわ。」

レイは彼に頷いて答えながら、気だるげにゆっくりと瞳を閉じた。



………モーターボート。



葛城ミサトは、右前方300mに見える大型船と距離を保ちながら無線機を操作した。

「加持君、どう?」

彼女の声に上空にいる男は、眼下に広がる海を目視で確認しながら、ヘリのスイッチを入れた。

『…有視界に接近する船舶、漂流物はないな。 こっちのレーダーに航空機はなし。

 それから、葛城…もう少し船から距離をとった方がいいぞ?』

「了解。」

ミサトは取り舵を切りながら、スロットルを開けて大きくうねる波を切って進んだ。

このモーターボートは、国連軍から借用した特殊工作艇である。

短距離レーダーも備えていれば、対空ロケットなどの物騒な代物も装備されている。

ミサトの服装も昨日までのOLのようなスーツではなく、借用した国連海軍の軍服と帽子、という姿だった。

『アルファ1より、NERV1へ。』

軍用無線機に、無骨な中年男性の声が届いた。

「こちら、NERV1、どうぞ?」

ミサトが、右手で無線機の感度を調整しながら答えた。

”ゴゴゴゴゴゴゴ………”

超巨大物体が浅い水中を移動すると、ほんの少しだけ海面が盛り上がりを見せる。

ケラマ諸島と沖縄本島の中間点に潜航しているのは、NERVの依頼を受けた国連海軍の潜水艦だった。

『…現在、ソナーに反応はない。

 この海域には、我が艦以外の水中航行物体はイルカの群れ以外は、認められない。』

「了解しました。 引き続き、監視をお願いします。」

『アルファ1、了解した。』



………ケラマ。



沖縄本島から南西およそ30Kmに位置するケラマ諸島。

セカンドインパクト前は、大小20あまりの有人島、無人島から形成されていたが、

 現在は、その半分ほどが海中に沈んでいた。

大型船が接岸し、

 先生の引率に従った生徒たちが向かったのは、今日一日お世話になるダイビングショップであった。


「「「宜しくお願いします!」」」


元気の良い中学生たちの声に笑顔で答えたのは、白髪で日に焼けた顔をほころばせた老人だった。

「めんそーれ、元気な子供たち。 こちらこそ、宜しくお願いします。」

そして、スタッフが紹介されて、それぞれの班に2人ずつ配置された。

「これから着替えてもらって、あちらに集合してもらいます。

 ウェットスーツは事前に用意して有りますが、サイズが合わない場合は、スタッフまで知らせて下さい。」

一番に更衣室に入った紅茶色の髪の少女は、自分の荷物を置くとロッカーを開けた。

「よ、っと。 結構きついのね。」

「アスカ、手伝ってあげるわ。」

加持に買ってもらったビキニの水着の上から、

 黒地に赤のラインが入ったウェットスーツを着る少女は、背中のチャックをヒカリに閉めてもらった。

「ありがと、ヒカリ。 ん? ファースト、着替えないの?」

「…私、スクーバしないから。」

レイはそう言うと、自分のカバンから黒いワンピースの水着を取り出した。

「ふ〜ん。」

アスカは横目で、白い肌を露にしたレイを見ながら着替え終わると、髪を梳かして一本の三つ編みに纏めた。

「じゃ、ファーストは、今日一日いったい何をしているのよ?」

「…泳いでいるわ。」

レイが着たワンピースを見たヒカリは、少し驚いた。

「綾波さん、それ、結構なハイレグじゃ…」

「ええ、でもこれをつけるから。」

蒼銀の少女は、再びカバンに手を入れると、セミロングのパレオを取り出して腰に巻いた。

鮮やかな青色の布地に白い花の腰巻きを見たヒカリは、なぜか安心したような顔になった。

(中学生で、あれはまずいわよ。 もし、鈴原が見たら…)

そして、改めて綾波レイという少女を”まじまじ”と見たヒカリは、

 自分と比べるまでもないスタイルを見て、我知らずにゴクッと唾を飲み込んだ。

(出るところはかなり大きいし、ウエストは中身が入っているのかってくらい細い…

 あー本当に同じ歳なんて信じられない。 こんなの見たら……)

鼻の下を伸ばす彼氏を想像して、ヒカリは思わず両手を顔に当てて、いやんいやんと大きくがぶりを振った。

(不潔ッ…不潔よ! ダメよ! 鈴原ぁ!)

「ちょ、ちょっと…ヒカリ? ヒカリ! 大丈夫!?」

「ハッ!」

アスカの声で我に返ったヒカリは、慌てた様子でキョロキョロと周りを見た。

「大丈夫? ヒカリ?」

「な、なんでもないわ。」

「ヒカリ、みんな待っているわよ、早く外に行きましょ?」

「ええ、そうね。」

委員長であるお下げの少女が更衣室を見ると、いつの間にか、アスカと自分だけであった。

ヒカリが外に出ると、トウジもケンスケもそれぞれウェットスーツに着替えており、

 すでにインストラクターから機材の説明を受けていた。

「遅かったのぉ。 なんぞ、あったんかいな?」

どうしても先ほどの想像から抜けられなかったのか、ヒカリは無意識に聞いてしまった。

「…あ、綾波さんは?」

「綾波? おお、それなら、センセと2人で素潜りするそうや。 ほれ…」

トウジが指を向けた方を見ると、蒼銀の少女は水着の上にホワイトのパーカーを羽織っていた。

(…ホッ。)

「それよりも、イインチョ。 …はよ、自分の使う機材を選ばんと…」

「あ、そ、そうね。」

短パンの水着に着替えたシンジは、脚にフィンをつけながら隣に座るレイを見た。

『綾波、ちゃんとATフィールドを張ってね。』

シンジは、水圧や紫外線から身体を護るように、と彼女に波動で呼びかけた。

『ええ。 碇君に捧げたこの身体を傷つけるような真似はしないわ。』

少し頬を染めて答える彼女。

「な!!」

その予想外の答えに、今朝を思い出したシンジの顔は、まるで火が吹いたように真っ赤になった。


……今朝は珍しく、シンジよりレイの方が先に起きていたのだ。


「ぅ…あ、おはよう、綾波。」

「おはよう…あなた。」

”ニコッ”

”ドキッ!”

蒼銀の少女は、満面の笑みを浮かべると、そのまま起きたての彼の唇に優しくキスをした。

「…あ。」

シンジが呆気に取られていると、レイはバスタオルで身体を隠すように立ち上がった。

「シャワー、浴びてくるわ。」

「あ、うん。」

白銀の少年は、愛しい少女がバスルームに消えていくのを目で追うことしか出来なかった。



”ドルゥン!! ドドドドド…”

ボンヤリと手を止めていたシンジの耳に、エンジンがけたたましく目覚めた音が聞こえた。

「お〜い、センセぇ!! 行ってくるで!!」

白銀の少年が声の方を見ると、2隻の船にトウジたち修学旅行生が乗り込んでいた。

生徒たちの大半は、スクーバ初心者ということもあって、午前中は海に慣れることから始めるようだ。

船で出ると言っても沖合ではなく、この陽光に輝く白い砂浜から少しだけ出た所だった。

別行動になる自分たちに、教師が一人付き添う予定であったが、シンジは大丈夫だと付き添いを断った。

付き添う先生にとってもスクーバは楽しみだったらしく、

 この優秀な成績を誇る生徒の申し出に、二つ返事で快諾をしたのだ。

今、その先生も生徒の引率で、一緒に出発してしまったらしい。 

この白い砂浜には、シンジとレイ以外、ダイビングショップのスタッフしかいなかった。

「今日は一日、いい天気みたいだね。」

「そうね。」

2人だけの海中散歩というシチュエーションに、レイはご機嫌のようである。

普段どおり言葉少なく答える少女であるが、

 彼女から喜色満面の波動が漏れ出ているのを感じたシンジは、穏やかな潮風に髪をなびかせて微笑んだ。

「じゃ、僕らも行こうよ?」

「ええ。」


……さて、護衛指揮をしているミサトは、現在どうしているのだろうか?


彼女は、海風が休む事なく吹き続ける小高い丘の上に立っていた。

ミサトは海辺を覗いていた双眼鏡を下げて、後ろを振り返った。

彼女の視線の先に、仮設テントと灰色のヘリコプターが映る。

仮設テント、と言ったが、保安部の用意したソレは軍御用達のモノではなく、

 まるで運動会や町内会の祭りで出てきそうな、白い布製の屋根と鉄パイプで出来た、ちゃちな物だった。

お約束のような長方形の折りたたみテーブルを展開させ、その上に無線機などが置かれていた。

「なんで、あーんなちゃちぃの持って来たのよ…」

「軽いからさ。 荷物は出来るだけ軽い方がいい。 長期に渡る任務でもなし…ってな。」

彼女の独り言に答えたのは、タバコを吸っている男。

「それは分かるけど…」

「それに、狭い島だ。 なるべく目立たない方がいい。」

「ま、そりゃそうね。 …てか、もう結構目立っていると思うけどね。」

普段静かな島に、突如として現れたサングラスにアロハシャツな男たち。

それを見た島の住民は、一体何なのだろう、と戸惑いの顔になっている。

黒服を脱いだって目立つわよ、とミサトは呆れた顔でテントのパイプイスにドカッと座り込んだ。



………発令所。



”ピピピ!”

「ん、何だ?」

目薬を注していたマコトが、メガネを掛けてコンソールを操作した。

モニターに映ったのは、外部からの通知だった。

”カタカタ”とキーを操作しながら、作戦課のオペレーターは少し眉根を寄せた。

(…浅間山地震観測研究所?)

「赤木博士、宜しいですか?」

「どうしたの? 日向君?」

「浅間山の地震観測研究所から通報が入りました。 なんでも火山内のマグマに巨大な影を見付けたと…」

その報告に、リツコはメガネの男性に指示を出した。

「影? 直ぐにデータを送るように連絡をして頂戴。」

「了解!」

和やかだった発令所の空気が”ピリッ”と引き締まる。

「マヤ、MAGIの定期診断のスケジュールを調整して、解析準備をしておきなさい。」

「はい。 分かりました。」

リツコはテキパキと動き出した後輩を眺めながら、前史を思い出していた。

(…次なる天使の降臨ってワケね。)



………青の世界。



レイは、まるで空気のように透明な海にいた。

遥か天空から降り注ぐ太陽が、時おり光のカーテンのように揺らぐ。

遠くは青く澄み、白い砂とカラフルなさんご礁には、数多の色鮮やかな魚が泳いでいた。

透明なフィンを足につけた蒼銀の少女が緩やかに水を蹴ると、滑らかに水中を進んでいく。

その直ぐ後ろにいる少年は、踊るように泳ぐ彼女に見惚れていた。

(なんだか、本当の人魚みたいだ。)

そんな事を思っていると、彼女から波動がきた。

『碇君、あっち。』

レイの指差す方を見ると、左前方200m位の海中に人影が見えた。

(あ、みんな…)

シンジは、少女に合図を送った。

『取り敢えず、息継ぎをしようよ。』

レイは、コクッと頷くと海上へ向かって足を蹴った。



………テント。



”ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ…”

緊急を告げるコールが鳴り響いたのは、9時25分だった。

「あら?」

ウチワをパタパタ扇いでいたミサトは、胸の内ポケットから支給品の黒い携帯電話を手にした。

「…はい、もしもし?」

『おはようございます、葛城さん。』

「あら、どうしたの? 日向君。」

『はい、本日9時15分、浅間山地震観測研究所より、

 浅間山の火口内で正体不明の巨大物体を発見、と通報がありました。

 これにより、発令所に第四種警戒態勢が発令されました。  

 先ほど司令部より作戦課に、詳細な調査命令が下達されました。』

暑さでだらけていたミサトの顔がキュッと引き締まった。

(…巨大物体…まさか…)

「使徒、ってこと?」

『ええ、それをハッキリさせる為の調査です。』

「分かったわ。 その調査は、私が直接指揮を執ります。 日向君、第3の空港で待機してて。」

『はい、了解しました。』

”ピッ!”

電話を切ったミサトは、イスから立ち上がって青い空に顔を上げた。





火山にて−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………機内。



”ババババババッ!!”


空気を切り裂く爆音が青空に轟く。

パリッとした軍服に身を包んでいる髪の長い女性は、軍用ヘリに乗り込み青い空の中にいた。

(正体不明の巨大物体…使徒…)

先ほどの電話の内容を思い出していたミサトが、

 ふと窓に目をやると青い空と形を変えぬ白い雲、そして陽光を反射して煌く青い海が見えた。

(見せ掛けの平和。 使徒の影に怯える人類、か。 …サードインパクトは、私が必ず防いでみせるわ。)


……灰色のヘリは、最高速度を維持したまま沖縄本島へ飛んでいた。


彼女は、緊急の呼び出しを受けたので、

 チルドレンの護衛任務の相方、加持リョウジに後を一任してタンデムローターのヘリに乗り込んだのだ。

そして、彼女は国連沖縄方面軍基地で待機している一番早足の戦闘機に乗り込み、

 一路、第3新東京国際空港へ向かう予定であった。

その第3新東京国際空港では、NERVから垂直に離着陸が出来る航空機、

 いわゆるVTOL機が待機しており、自分の部下である日向マコトが待機している手筈になっていた。



………船上。



1本目のスクーバから船に上がった生徒たちは、

 とても楽しそうな顔で、それぞれが今初めて体験した海中を話題に盛り上がっていた。

それは普段、自分は大人、と一線を引いている紅茶色の髪の少女も例外ではなかった。

「すごく綺麗だったわね! ヒカリ!」

ボンベを背中から降ろしながら隣の少女に声を掛けるアスカは、無邪気な笑顔だった。

「ええ、ホント。 信じられないくらい綺麗だったわ。」

最後に上がってきたお下げの少女は、ボンベを降ろしながら答えた。

アスカは、ポタポタと海水を滴らせている髪を白いタオルで押さえて、水気を取った。

ヒカリも海水を拭う為に、自分の髪を結っている紐を解いた。

普段見ることがない少女の姿を見たトウジは、思わず彼女を見詰めてしまった。

(ほぉ…髪、おろすと雰囲気がだいぶ違うもんじゃのぉ…)

「ん? おい、トウジ…どうしたんだ?」

メガネの少年は、2回目から許された水中カメラを調整していた手を止めた。

「へ? ああ、なんでもあらへん。」

ケンスケがメガネを掛けると、そのレンズが”キラリ”と光った。

「どーせ…委員長も髪形が違うと、雰囲気が違うなあ…とか思ってたんだろ?」

「な、なんや、そら?」

図星すぎる突っ込みに、トウジは思いっきり動揺してしまった。



………洋上。



レイとシンジは身体を仰向けに寝かせて、洋上にプカプカと浮かんでいた。

中学生達を乗せた船は、すでに豆粒よりも小さく、ダイビングショップの島も見えない。

青い海にたゆたう感覚に身を任せて、どれほどの時間が経ったのだろうか?

レイは、手を繋いでいる彼を見た。

『碇君。』

シンジは、目を閉じたまま彼女に意識を向けた。

『ん…どうしたの?』

『…今、何時?』

彼は腕時計を見て、彼女を見た。

「…11時10分。 そろそろ島の方へ戻ろうか?」

「そうね。」

蒼銀の少女は、彼の手を引いて透明な海中へと誘った。



………NERV本部。



『浅間山のデータは、可及的速やかにバルタザールからメルキオールへ転送してください。』

暗い空間に、発令所の女性オペレーターの声が流れる。

”…カシャ、カシャ、カシャ…”

新たに電送されてきたデータが、会議室の床に造られたカーペットスクリーンに投影される。

「ふむ、これでは良く分からんな…」

副司令官は、腰に手をやった姿勢のまま、足元で切り替わっていく写真を見て呟いた。

青葉シゲルは、バインダーの書類を見て発言した。

「しかし、浅間山地震観測研究所の報告のとおり、この影は気になります。」

「もちろん、無視は出来ん。」

副司令官の隣に立っている技術開発部長は、後輩である部下に聞いた。

「…MAGIの判断は?」

「はい、ヒフティ・ヒフティです。」

伊吹二尉の答えに、冬月は自分の横に立つ長身の男に再び質問をした。

「…現地へは?」

シゲルは、会議室の時計に目をやって答えた。

「はい、すでに葛城一尉が到着して調査を行っています。」

現地に到着したミサトから調査を開始する、という連絡を受けて1時間が経とうとしていた。



………浅間山。



観測機のセンサーから絶えず様々なデータが送られてくる。

しかし、それを映すモニターは、火口へ潜航を開始してから今まで、何の変化も示さなかった。

(先日”影”を発見したっていう深度600を超えても何も変化なしか…)

国連海軍の軍服の上に着慣れた赤いジャケットを羽織った女性は、厳しい表情でモニターを見ていた。

画面に表示された深度計が680を超えると、研究員が悲鳴を上げた。

「…ッ! もう限界です!」

ミサトは取り乱した男を静かに見て、一切表情を変えずに調査を続行させた。

「いえ、あと500お願いします。」

(お願い、ではなく…命令だろ。)

この部屋の責任者である主任研究員は、ため息を吐いた。

先日の調査では、先ほどの深度に影があったのだ。

報告義務があったとは言え、律儀にしてしまった事を研究所の主任は後悔していた。

「クッ…了解。 降ろせ。」

「しゅ、主任…」

「いいから、続行だ。」

「…は、はい。」

主任の許可で、観測機を遠隔で操作しているオペレーターは、再びスティックを下げた。

静かな緊張感に支配される観測室。 モニターの深度計が再び進み始めた。

日向マコトは、自分の座るイスの後ろに立った女性の静かな息遣いを背中に感じた。

(えっ!?)

さすがに振り返ることは出来なかったが、

 恋慕に似た憧れを持つ上司が密着するような距離にいると意識すると、自然と動悸が激しくなった。

彼は、それを誤魔化すように研究所の端末に差し込んだ、コピー不可とされているトップシークレット、

 MAGIの解析パターンのデータを書き込んだメモリーディスクに目をやった。

(まだ発見できないのか…)

マコトが腕時計に目をやると、すでに観測を開始して1時間が経とうとしていた。

その時だった。


”…ピキンッ”


観測機内部のモニター用マイクに、まるでガラスにヒビが入ったような音が拾われた。

”ピー!!”

女性オペレーターが異常を示した警報のスイッチを止めて報告した。

『深度1200、耐圧隔壁に亀裂発生。』

「葛城さん!」

この報告に、流石の主任も思わずNERVの指揮官と名乗った歳若い女性に怒鳴ってしまった。

「壊れたらウチで弁償します、あと、200。」

(本当かよ? …くっ!)

主任は苦虫を噛みつぶしたような表情で、オペレーターに目で続行を促した。

そして、5分が経った時だった。


”コーン……コーン……コーン……ピーッ!!”


(…ん!?)

静かに画面を注視していたマコトが、素早くキーを叩き始めた。

”カタカタカタカタッ!”

「モニターに反応。」

その報告に、ミサトは思わず彼の左肩を掴んだ。

「解析開始!」

「はいっ!」

上司の命令に反射的に応えた彼は、技術開発部が事前に用意してくれた解析プログラムを実行させた。

今まで観測機のデータを表示していた画面が、瞬時に切り替わる。

解析プログラムが実行中と表示され、残りの処理を示すバーが0から100%に向かって伸びていく。

センサーに反応した物体が解析映像として徐々に映り始めた。

事前にシミュレートした以上に時間が掛かっている、とメガネの部下マコトの目が厳しくなった。

それと同時に、この観測室のスピーカーからイヤな音が流れる。

”グググ…パキッ!”

『…耐圧隔壁、25%損傷!』

”…ギギギギィ、バキョ…メキメキメキメキッ…グシャ!! ドォォン!!”

爆発音と同時に、けたたましい警報音が狭い部屋を支配した。


”ビィィィイ!!!”


『…観測機、圧壊。 爆発しました。』

ミサトは、マコトの肩に置いていた手に力を込めた。

「…解析は?」

「ギリギリで間に合いましたね…」

そう言った日向は、少し周りに目をやって声のボリュームを絞って小声で答えた。

「…パターン青です。」

彼は、観測機が最後に映した画像をメモリーに保存すると、機密漏洩を防ぐ為に素早くデータを消去した。


……記録された画像は、まるで、黒いタマゴのような殻の中に、人間の胎児のような姿であった。


「間違いない、使徒だわ…」

それを目に焼き付けるように見ていたミサトは、クルッと体ごと振り向くと、部屋を見渡して言った。

「…これより、当研究所は完全閉鎖! …NERVの管轄下となります!

 一切の入室を禁じた上、過去6時間以内の事象は全て、部外秘とします!」

彼女の宣言のとおり、マコトが操作すると、NERVのプログラムにより全ての端末がロックされた。

”ピーッ!”という音に主任が画面に目をやると、全てが”極秘・Top Secret”となっていた。

ミサトは、その様子を横目で見ながら観測室から廊下に出た。

”ピッ、ピッ、ピッ…”

『…はい、NERV本部です。』

ミサトの耳に当てた携帯電話から落ち着いた女性の声が聞こえた。

「作戦課長の葛城ミサトです。 発令所に繋いで頂戴。」

『お待ち下さい。』

オペレーターが発令所へ回線を繋ぐと、シゲルが電話に出た。

『こちら第一発令所、青葉です。』

「葛城です。 浅間山で使徒を発見したわ。」

『気を付けてください、これは通常回線です。』

「分かっているわ。 さっさと守秘回線に切り替えて!」



………特別審議室。



時計の針は、ミサトの一報から15分ほど進んでいた。

暗闇の部屋の中、ゲンドウは手を組んでイスに座っていた。

『浅間山のデータはこちらでも確認した。 発見された物体は、使徒に間違いあるまい。

 …が、どうやら、これまでとは違うようだな。』

人類補完委員会のメンバーは、

 事前に示し合わせていたことを確認するようにそれぞれの目を合わせると、サングラスの男を見た。

『…左様。 今までの使徒とは違って第3新東京市に向かう様子がない。』

『赤城博士の推察によれば、一種のサナギのような状態だということらしいが?』

「はい。 特務機関NERVは、完成体ではない動かぬ使徒に対して、N2兵器で殲滅する予定です。」

静かな口調で答えたゲンドウを正面で見ていたバイザーの老人の口が動く。

『碇、この使徒は捕獲するのだ。』

「…捕獲?」

流石のゲンドウも眉根を寄せる。

「お待ちください、キール議長。 いつ成体になるかも判らない使徒を捕獲すると言われるのですか?」

『ふっ。 …生きた使徒のサンプル。 その重要性、価値は理解しているハズだ。』

『左様。 我らの計画に必要と判断されたのだよ。』

『そのとおり。 もしも成体になったとしても、今までの使徒と同じように殲滅すれば良いだけのこと。』

『作戦コード、A−17の発令を人類補完委員会の名において命じる。』

(A−17? その作戦には、現資産の凍結及び徴収が含まれていたな…

 量産型EVAの開発を進めるための、資金集めが目的と言った処か。

 …老人達の動きが活発になってきたな。)

『以上だ。 碇、失敗は許さんぞ。』

”…ボゥゥ…”

キールの言葉と共に、ホログラムが消え去った。

「失敗か…その時は、人類そのものが消えてしまうよ。」

ゲンドウの横、ホログラムカメラの範囲外に立っていた冬月が、ため息雑じりの声を出した。

「本当にいいんだな?」

副司令官は、イスに座って手を組んだままのサングラスの男を横目で見ながら、確認した。

「…ふん、どうにしろ、使徒は殲滅する。」

「何?」

「…彼らの目的は別にある。 問題ない。」

”ガタッ”

ゲンドウはイスから立ち上がると、冬月を伴って審議室から出た。

彼は、そのまま自分の執務室へ入ると、赤色の電話機に手を伸ばした。



そして、NERVの総司令官と国連のトップ組織である人類補完委員会からの連絡を受けた日本国の首相が、

 A−17の決定を受けてプレス発表したのは、12時25分のことだった。



その頃、アスカは島に戻り、磯料理に舌鼓を打っていた。

「おいしーわぁ…」

隣に座るお下げの少女も、刺身を口にして応えた。

「鮮度がいいのよ。 あ、これも美味しい。」

「…アスカ、ちょっといいか?」

大人の男性の声が、紅茶色の髪の少女の背から聞こえた。

「あ、加持センパイっ! …? どうしたんですか?」

「楽しい時間にすまないが、仕事だ。」

その言葉に、アスカの青い瞳が大きくなった。

「えっ!?」

「詳しい話はここでは出来ない。 シンジ君、レイちゃんも、いいかい?」

「もちろんです。」

「…はい。」

クラスメートは、慌ただしく出て行った三人を見ていた。

加持とチルドレンの3人は、白い大きな文字で”UN”と印されたヘリに乗り込んだ。

「…で、今度の敵は? もう攻めてきているの?」

ヘリのローターの回転があがり、飛び上がると、アスカは真剣な表情で加持に聞いた。

「ん、ああ、群馬県と長野県の間にある浅間山という火山の中で使徒が発見されたそうだ。

 それに対し、我々特務機関NERVは作戦の準備中だ。」

加持は、窓の外を見ながら答えた。

「…現在の状況は?」

シンジの横に座っているレイが聞くと、加持がヘリの中に視線を戻して答える。

「今回は、いつもとちと様子が違っていてね。 …まだ動いていないそうだ。」

”答え”を知っているシンジは、アスカのために質問した。

「動いていない? どういう事なんですか?」

「すまない、シンジ君。 俺のところには、詳しい情報が入ってきていないんだ。

 …速やかにチルドレン全員を第3の空港まで移動させろ、が本部からの命令でね。」

「そうですか。 ところで、僕らの荷物は?」

「ああ。 それなら、既にホテルから基地へ運ぶように手配してあるよ。」

「分かりました。 ありがとうございます。」

シンジは加持の答えを聞くと、静かに瞳を瞑った。

レイは、彼に寄り添うように座っている。

先ほどまで、初体験尽くしで顔をほころばせていたアスカも、今は実戦に向けて静かに外を見ていた。

ヘリの爆音が五月蠅いはずなのに、妙な静けさがこの空間を覆っていた。

加持は、水着の上にパーカーを羽織ったままのチルドレンたちを見て、ワザと明るい声で言った。

「ま、取り敢えず…国連軍の基地で着替えるのが最初の仕事になるだろう、な。」



………本部。



第一発令所では、現在の最高責任者であるリツコが、様々な指示を出していた。

「マヤ、本部から浅間山までの高速道路を含む全ルートをNERVの権限で封鎖しなさい。

 あと、EVA用の電源車、指揮車を用意して。 空輸できるものは、全て空輸して頂戴。」

「はい!」

通話を切ったシゲルが振り返る。

「赤木博士、エヴァンゲリオン弐号機をD型装備へ換装するように整備部へ通達しました。

 換装作業完了まで、45分だそうです。」

金髪の女性は、3Dモニターを見ながら長髪のオペレーターに応えた。

「45分? 確か報告書だと、90分って書いてあったと思ったけれど。

 …実戦じゃないと本気が出ないって言うことかしら… 困ったものね。」

整備部の親方である鈴原課長の顔を思い浮かべたリツコは苦笑して、言葉を続けた。

「…まぁ、悪い知らせではないわね。 …では続けて、EVAの輸送準備の連絡をお願いするわ。」

「はい、了解しました。」

シゲルが再び受話器を上げると、交代するように伊吹マヤが報告する。

「センパイ、チルドレンが国連沖縄方面軍の基地に到着したようです。」

リツコの厳しかった瞳に、少しの笑みがこぼれた。

「そう。 マヤ、碇二佐と連絡を取りたいわ。 彼を呼び出して。」

「はい、お待ち下さい。」

ショートカットのオペレーターが素早くキーを叩く。



………更衣室。



国連軍の基地に降り立ったシンジ達は、戦闘機パイロットが使う待機用の簡易更衣室にいた。

時間が勿体ないので、ざっと海水を流すだけで済ませなければならない。

シンジが、バスタオルで髪を拭いていると、ドアをノックする音が聞こえた。

”こんこんっ”

「シンジ君、いいかい?」

「…加持さん? どうぞ。」

金属の無骨なドアから入って来た男の手に、黒い携帯が握られていた。

「NERV本部から、碇二佐へ…緊急のコールだ。」

「すみません。」

加持は、電話機を白銀の少年に渡すと、更衣室から出て行った。

「もしもし?」

『…こちら、NERV本部技術開発部長の赤木です。』

姉の声は、仕事モードの少し固い口調であった。

『碇二佐、今作戦に於いて、EVA独立中隊は第3新東京市で待機をお願いしたいの。』

「赤木博士、…確か、発見された使徒は浅間山ですよね? 僕たちは現地へ出動しなくていいんですか?」

『ええ。 今回の使徒は浅間山の火口内、深度1350で発見されたわ。

 だから、EVAを火口内に入れる必要があるの。

 そして、その局地戦用のD型装備は、プロダクションモデル用に設計されていて、

 試作機、実験機である零号機、初号機に装備する事は出来ないわ。』


……前史を知っているリツコが、なぜサンダルフォンに対する新しい対応をしていないのか?


これは、先日シンジと相談した結果、EVAに拘る少女へ手柄を立てさせようと決めたからだった。

また、それによりシンジやレイが目立ちすぎるのを防げる、という目論見もあった。

そして、この会話は、作戦の策定、決定が飽くまでも大人たちが行っている、

 という事を上位組織に印象付ける為に、ワザとMAGIの中に通信ログを残しているのだ。

「…具体的な作戦は決まったのですか?」

『今回は、使徒の捕獲を最優先事項と決定されたわ。』

(やはり、そうなるのか。)

シンジは、リツコの言葉を聞きながら鉄骨がむき出しの更衣室の天井に目をやった。

『取り敢えず、EVA中隊は本部で待機。

 作戦課所属のセカンドチルドレンは、本部でEVAに搭乗し、そのまま現地へ移動してもらうわ。』

「分かりました。」

シンジは、通話を切ると国連軍に用意してもらった軍服に身を包んだ。



………浅間山麓。



精密測定機器類のケーブルが縦横無尽に走っている。

リツコは、それを避けながら歩いていた。

「マヤ、最新の状況を教えて頂戴。」

彼女の斜め後ろを歩いているショートカットの女性は、ヒョイヒョイとケーブルを避けながら答えた。

「はい、現在、セカンドチルドレンがNERV本部の短距離滑走路に向けてVTOL機で移動中です。

 スタンバイしているEVA弐号機に乗り込み次第、長距離輸送機でこちらに向かってくる予定です。

 また、クレーンの基礎になる地盤強化の作業進捗率は85%。 作戦に遅延は認められません。」

「そう、順調ね。」

リツコはNERVの仮設テントに入っていく。

「アスカちゃん、弐号機を見たら驚くでしょうね。」

マヤもそれに続いて足を進めた。

金髪の女性は、ぶーぶー文句を言っている紅茶色の髪の少女を想像すると苦笑して後輩に答えた。

「ま、しょうがないわよ。」

リツコが、テントの中央の席に陣取っている女性に目をやると、

 メガネの部下が記録した使徒のデータを改めてチェックしているようだった。

「…ミサト、ちょっといいかしら?」

「なによ? リツコ…」

振り返った女性は、仕事を邪魔された、という顔である。

「あなた、地震観測研究所の観測機、弁償するって言ったんですって?」

「へ? あ、ああ…言ったかも…」

「どこのお金で?」

「NERVに決まっているじゃない、なぁーに言ってんのよ?」

「そんなお金、在るワケないでしょ?」

「へ?」

ミサトの目が大きくなる。

「副司令と相談して無理やりお金を回すようにしたけれど…」

「なら、万事おっけーじゃない。」

お気楽な赤いジャケットの女性を見たリツコは、疲れたようにパイプイスに座った。

「はあ…アナタ、もし使徒じゃなかったら個人で死ぬまで返済するかも知れなかったのよ?」

「へ?」

「NERVは対使徒に関しての組織ですもの。 当然でしょ?」

ミサトの額に”たらり”と冷や汗が流れた。



………カーゴ。



「いやぁぁああ!! …ちょ、な、なによ、これぇぇええ!!!」

これは、彼女が自慢の弐号機を見て発した第一声だった。

「なにって、たぶん弐号機だね。」

アスカが”キッ”と後ろを振り向くと、空軍のジャケットを着た白銀の同僚がいた。

「そういう事を言っているんじゃないわよ!」

シンジは、隣に立つレイと目を合わせて少し肩を竦めた。

真っ赤に染められたポンチョを羽織っている紅茶色の髪の少女は、

 巨大全翼機とワイヤーで繋がれているEVAを見上げた。

うつ伏せの状態で巨大な台車の上に乗せられているEVAは、潜水夫を連想させるような出で立ちであった。

潜水夫と見紛うそれは、特殊金属で造られたホワイトのD型装備。

耐圧耐熱耐核の白い防護服を着用した弐号機は、まるで出来の悪いヌイグルミのようであった。

「こ、これが私の弐号機… かっこわるー…」

D型装備の資料を見ていたシンジは、子供みたいに文句を言っているアスカをたしなめた。

「アスカ、生身でマグマの中に入りたいの?」

シンクロして、そのまま高熱に融けた溶岩の中に入る…

それを想像したアスカは、若干、青くなった。

「うっ…そ、そう言う訳じゃないけど、もう少しスマートに造れないのかしら?」

”ガシュン!”

整備部の職員が操作すると、白い金属製の分厚い蓋が開いて、お馴染みのエントリープラグが飛び出した。

「出撃準備完了です。 惣流三尉、搭乗してください。」

「…はいはい、分かったわよ。」

男性スタッフに応えたアスカは、エントリープラグへハシゴを使って昇った。

シンジは、その様子を見ながら、レイに波動で呼びかけた。

『…そう言えばさ、』

『なに?』

『前回の時、アスカがもっとごねたじゃない。』

『…ええ。』

『その時、綾波が弐号機に乗るって言ったのは、どうして?』

レイは、シンジと同じようにアスカを見ながら答えた。

『その方が早いと思って。』

『…早い?』

『ええ。 …あの時の私は、使徒殲滅が最優先事項と考えていたわ。

 そして、搭乗拒否する彼女が良く分からなかった。 でも…』

『…でも?』

『彼女が、なぜか私に敵意のような視線を向けるのは分かっていたから、私が乗ると言えば、たぶん…』

『なるほどね。』

シンジがレイの話に頷いていると、エントリープラグが弐号機の中へ消えていった。

「さ、僕らは本部で待機していよう。」

「そうね。」

EVA独立中隊の2人は、ジオフロントへ続く地下通路に向かって歩いた。


”ピピッ!”


エントリープラグにLCLが満たされると、通信が入って来た。

『惣流三尉、これより離陸を開始します。』

「了解。」

アスカは、素早くコンソールを操作して、自分の機体である弐号機の状態をチェックする。

電荷されたLCLに浮かび上がるように画面が表示され、D型装備の諸元が表示された。

『ワイヤーによる輸送ですので、離陸時のショックが通常と違います、注意してください。』

「了解、大丈夫よ。 さっさと行きましょう。」

紅茶色の髪の少女がそう言うと、さっそく台車がタキシングを始めた巨大全翼機に引っ張られた。

そして、6発のロケットブースターを点火した全翼機は、青空に向けて飛び立って行った。




………浅間山。



「センパイ、弐号機は後20で到着の予定です。」

テントに入って来たマヤは、白衣の女性に報告した。

「そう、クレーンの設置状況はどう?」

リツコは、コーヒーカップを机に置いて、部下に目をやった。

「はい、1%の遅れが出ていますが、許容範囲内です。」

マヤは上司の机にファイルを置いた。

「それと、これが最新の火山の観測データです。

 研究所の主任さんによれば、火山活動に変化はないそうです。」

部下からファイルを受け取り、それに目をやったリツコは、内容を素早くチェックする。

「…噴火、何て事態になったら、私たちは全滅するわね。」

「そ、そうですね。」

マヤは、リツコに言われて自分のいる場所がどれほど危険かを現実的に認識した。

『葛城一尉、NERV本部より通信が入っています。』

テントの柱に括り付けられたスピーカーがその大きな音量にブルブルと震えた。

「もう少し、しっかり付けないとアレ落っこちちゃうんじゃない?」

それを見たミサトは、横目で金髪の女性に言った。

「いいから、早く出なさいよ。」

「はいはい。 …もしもし?」

リツコは、受話器を上げた女性に向けていた瞳を再びファイルに戻す。


……が、ミサトが大きな声を出したので、何事かと再び視線を戻した。


「何ですって!? …そう、ええ、分かったわ。」

”チンッ”

「どうしたの?」

「…国連空軍の爆撃機を準備させたって。」

リツコに答えたミサトの言葉に不吉なモノを感じたマヤは、思わず手を上げた。

「あ、あの、どういう事でしょうか?」

通話内容を理解したリツコは、静かに言った。

「つまり、作戦が失敗した場合の備えってワケね?」

ミサトは、パイプイスに座って、頭の後ろで手を組んだ。

「…ええ、そういう事らしいわ。」

2人の女性の顔を交互に見たマヤは、小声で上司に助けを求めた。

「センパイ?」

「つまり、私たちのいるこの一帯をN2兵器で爆撃する。 …そう言うことよ、マヤ。」

「…そ、そんな。」

ショートカットの女性は、顔を真っ青にさせた。

「ま、仕方ないわよね。」

「そうね。」

しかし、ミサトもリツコも一切取り乱す事なく、自分の仕事を続けていた。

あっけらかんとしている二人を見て、マヤは自分に覚悟が足りない、という事を薄っすらと感じた。



………NERV本部。



レベル15にあるチルドレン専用の控室にシンジとレイはいた。

『アスカが作戦を開始したら、僕らも行動開始だよ。』

『ええ、分かっているわ。』

レイは、紙コップにお茶を注いでシンジの前に置いた。

「アスカだけで殲滅できるかな?」

「分からないわ。 でも…」

レイは彼の横に座って、手にしたお茶の水面を見た。

『私たちがいるのだから、何があっても大丈夫だと思う。』

『…ま、それはそうだね。 でも、飽くまでも弐号機で殲滅させないとね。』

『ええ、そうね。』

レイを見たシンジは、お茶を一口飲んだ。



………浅間山麓。



『EVA弐号機、到着しました。』

NERVが、作戦用に陣取っている仮設テント群の屋外スピーカーから放送が流れた。

14式大型移動指揮車の指揮官であるミサトは、その報告にモニターに目をやった。

「弐号機はその場で待機。 データの打ち込みとクレーンの準備を急いで。」

「了解!」

マコトはコンソールを操作しながら受話器に手を伸ばした。

天に穿かれたように裂けた巨大な岩場に弐号機は立っていた。

整備班の手により、ライフラインケーブルを兼ねた冷却用の特殊パイプが5本、背中に取り付けられていた。

その巨大ヌイグルミのようなEVAの横には、超巨大クレーンが設置されている。

EVAを人間サイズに換算しても、この緑色のクレーンは規格外に大きかった。

アスカは、足元で陽炎のように動く半液状のマグマを見た。

『架橋基部、固定終了。』

『…冷却液循環系の試運転を開始。』

エントリープラグに作戦準備状況が逐次流れる。

「…あれ、加持さんは?」

セカンドチルドレンが発した何気ない一言に敏感に反応したのは、ミサトだった。


”ピュイン!”


通信ウィンドウが開くと、天井のハンドルを握った姿勢の女性が映った。

『あのバカは来ないわよ、仕事無いモノ。』

そう一方的に言うと、ウィンドウは直ぐに閉じてしまった。

それを見たアスカは、詰まらなそうな表情で肩を竦めた。

「ちぇー、せっかく加持さんにカッコいいところ、見てもらおうと思ったのに。」

『あら? アスカ、あなた耐熱仕様用のプラグスーツの説明を受けていないの?』

「え?」

リツコが、モニターで確認したアスカのプラグスーツの状態は普段と何も変わっていなかった。

「まあ、いいわ。 アスカ、右手首のスイッチを押して。」

『…? あ、これね。』

”カチッ”

その瞬間、特殊発泡素材が膨張を開始する。

『ぅ、わぁ! いやぁああ!! …な、なによ、これぇ!』

インテリアが膨張したプラグスーツに圧迫され、アスカは身動きが取れない状態になった。

それを見ていたリツコは、変わらぬ口調で言う。

「EVAの操縦には、支障がないはずよ。 熱対策だから、作戦の間はガマンしなさい。」

『そ、そんなぁ…』

ガックリとした少女の声が、弱弱しくスピーカーを震わせた。



………箱根。



午後の日差しが照りつける、箱根のロープウェイは通常営業中であった。 

駐車場に白いバンを停めた加持リョウジは、小銭入れをポケットから取り出した。

「…え〜と、大人は600円か。 意外と高いねぇ。」

切符を買い駅の中に入ると、平日だからなのか、それとも時間帯によるのか、構内に人の気配はなかった。

腕時計を見ると、約束の時間のロープウェイは、あと30秒ほどで出発するようだ。

だらしなく伸びた顎ヒゲを右手で撫ぜると、男は目の前に停まっているロープウェイに足を進めた。

車内に入り、一瞬、周りに目をやると、前方右側に妙齢の女性が立っていた。

後姿なので良く分からないが、見たところ、30後半から40前半くらいだろうか。

品の良い落ち着いた服装で、上品な色合いのハンカチで首筋の汗を拭っていた。


”プルルルルルル…”


ベルが鳴ると、ゆっくりとドアが閉まった。

『発車します、ご注意下さい。

 この度は箱根ロープウェイを御利用いただきまして、真にありがとうございます。』

加持は、自動運転されている車内放送のボリュームを絞ると、後ろの席に座った。

男が周りの景色を見ると、小鳥のさえずりが僅かに聞こえるような、のどかな風景が広がっていた。

「…A−17の発令ね。」

突然の声は、加持の少し前の席からだった。

先ほどの女性が、変わらぬ後姿ではあるが、いつの間にかシートに座っていたのだ。

「それには、現資産の凍結も含まれているわ。」

加持は、外を見たまま口を開いた。 

「お困りの方も、さぞ、多いでしょうな…」

「なぜ、止めなかったの?」

「止めるも何も、決定は正式なものです。 それに理由がない。」

「…でも、NERVの失敗は世界の破滅を意味するのよ?」


……A−17、サードインパクトに直結しそうな使徒の捕獲など、想像も出来ないくらいに危険だ。


「…彼らは、そんなに傲慢では有りませんよ。」

女性は、静かに答えた加持の言葉で、捕獲作戦は殲滅作戦である、と理解した。

「では、目的は…」

加持は頬杖を付いたまま顔を動かして女性を見た。

「NERVというより、その上部、”非”国連組織の資金集め、と言ったところですかね。」

内務省のエージェントである女性は、噛み締めるような口調で口から言葉を出した。

「ゼーレ、…なんて傲慢な。」

「世界経済を犠牲にしてでも、必要だった。 そう考えると何か新しい計画が発動されたのかも知れない。」

加持は天井を見ながら呟いた。

それを聞いていた女性の口調が、突然と変わった。

「…内務省は、人類補完計画の全容把握に全力を以って当たっている。」

その声は、諜報部第2課の先輩に当たる男の声だった。

加持は、静かに答えた。

「…ええ、私もその一部です。」

(相変わらず、化けるのが上手いな…)

リョウジは、女性を観察するような目で見ていた。

「加持、君の言うように計画が進んだのか、それとも新たな計画が作られたのか…

 どうやら早急に調べなくてはいけないようだ。」

”ガタンッ”

周りで後ろに流れていた風景が止まった。

定刻どおり、ロープウェイが駅に着いたようだ。

”プシュゥ”

ドアが開くと、女性は”スクッ”と静かに立ち上がって降りていった。



………火口の切れ目。



整備部のスタッフに言われたようにスイッチを押して、冷却液循環系のシステムを起動させる。

本体を支えるケーブルを兼ねる冷却パイプはそれぞれ胴体、両腕、両足に接続されてオールグリーンだった。

少女は、腿部にある熱交換用のジェネレーターの動作状態を何度も確認する。

自分の命に関わる部分だけに、アスカの眼は真剣そのものだった。

その少女の青い瞳に、3機の航空機が空高く飛んでいるのが映った。

「ん…何? あれ?」

呟くような言葉に答えたのは、外の仮設機材の調整を行っている技術開発部長だった。

『UNの空軍が空中待機しているのよ。』

アスカが視線をやると、自動的に8倍のズームになって仮設テントの下にいるリツコとマヤが表示された。

『…この作戦が終わるまでね。』

上司の言葉に続けたショートカットの女性は、どこか言い辛そうな雰囲気だった。

「手伝ってくれるの?」

アスカは明るい調子でリツコに聞いた。

『いえ、後始末よ。』

白衣の女性は、マヤに次のページにするように目で促した。

ショートカットの部下が資料のページを捲り、上司に見せながら続ける。

『…私たちが失敗した時のね。』

「どう言うこと?」

リツコは手を休めずに答えた。

『使徒をN2爆雷で熱処理するのよ、私たちごとね。』

「ひっどい!! 誰がそんな命令…」

少女の言葉を遮ったのは、指揮車でこのやり取りを聞いていたミサトだった。

『…非道い? 私たちはそういう覚悟で、この任務に当たっているのよ。 アスカはどうなの?』

突き付けられた質問。 人類を護るEVAパイロットを矜持とする少女は胸を張った。

「そ、そんなの、当ったり前じゃん!!」

『…そ。 なら外部のことなんて気にしてないで、作戦に集中して。』

「ハンッ! 分かったわよ!」


……指揮車両に戻ったリツコから、準備完了の報告が入る。


ミサトは、各モニターに映っている様々な情報を一度確認し直して、マイクを手にした。

「うしっ! 使徒、捕獲作戦開始!」

「了解、作戦開始!」

マコトが現場作業班へGOの指示を出す。

「進路確保用レーザー、打ち込め!」

『了解!』

超大型クレーンの操縦者が応え、スイッチを押すとレーザー発振機がスライドするようにジブ上を移動する。

そして、技術開発部が各データを基に算出したポイントで停止すると、青い稲妻を落とした。

”バシュッ!! …ドゥン!”

『レーザー作業終了!!』

『進路確保!』

浅間山の火口に報告が轟く。

”ガガガガガガガ、ガチャン!”

『D型装備、異常なし!』

続けて、D型装備の弐号機が、レーザー発振機と同じようにスライドして運ばれてきた。

『弐号機発進位置!』

EVA弐号機の手には、使徒捕獲用の装備があった。

『…了解。 アスカ、準備はどう?』

作戦指揮車から、ミサトが最終確認を取る。

「いつでもどうぞ。」

アスカは、不敵な笑みを浮かべていた。

その様子をモニターで見たミサトは、腕を組んだ。

「発進!!」

その命令に、クレーンから冷却と命綱を兼ねた5本の特殊パイプがゆっくりと動き始めた。

弐号機は、吊り下げられたまま、灼熱の溶岩に向けて降りていく。


……マグマなどテレビで見るくらいが精々だろう。 その中に入らなくてはならないとは…


眼下の光景に、アスカは思わず形の良い眉を寄せた。

「うわぁ〜 あっつそー」

指揮車のマヤが報告をあげる。

「弐号機、溶岩内に入ります。」

”ドォォォォウン…”

その言葉どおり、弐号機はドロドロの溶岩の中へと消えていった。



………本部。



シンジとレイは、中学校の制服に着替えていた。

『作戦が始まったみたいだね。』

白銀の少年は、ポケットからPDAを取り出す。

『ドーラ、MAGIにダミーデータを流しておいて。 僕らがここにずっと居たっていう風に。』

『畏まりました、マスター。』

彼は、PDAと紅い本をポケットに入れると、蒼銀の少女を見た。

『じゃ、行こうか、綾波?』

『ええ。』

シンジは、優しくレイの右手を握ると、徐に消えた。



………マグマ。



マグマの中に入って10秒が経つと、エントリープラグのLCL循環速度が速くなってきた。

アスカが計器に目をやると、浮かび上がるウィンドウには、外部温度980度と表示されていた。

少女は、通信用スイッチを入れた。

「…現在、深度170。 進行速度20。 各部問題なし。

 視界はゼロ、何も分かんないわ… CTモニターに切り替えます。」

”シュゥゥン…”

「これでも透明度120か…」

”…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…”

レーダーの作動する定期的な音だけがエントリープラグを満たす。

指揮車では、ソナーの情報を表示する画面の前に座ったマヤが状況を報告していた。

「深度400……450……500……550……600……650……」

何も変化のないまま、マヤの声だけが聞こえる。

クレーンは用意されているパイプを一定速度で吐き出し続けていた。

深度が深くなってくると、高圧で装甲がきしみだす。


”グググ……グッグッグゥ……”


インテリアに座る少女の頭に直接、巨大な質量が擦れ合う音が入ってくる。

”ゴクッ”

アスカは、知らず生唾を飲み込んだ。

『…900……950……1000……1020……』


……頭の片隅に聞こえるマヤの声が遠くて、どこか現実的ではなかった。


エントリープラグに映る景色は、最初から全く変化せず、相変わらずの灼熱の粘液だけであった。

『……安全深度オーバー!!』


”グッググッ…ゴォゴゴッ!!”


女性オペレーターの声に合せるように、大きな音が響く。

(クゥッ!)

アスカは、反射的に操縦桿を強く握った。



指揮車のミサトは、腕を組んでモニターを睨むように見ていた。

リツコは、操縦者である少女のバイタルデータを確認している。

(心拍数が上がったわね。 …シンクロ率は下がっていない。)

「…深度1300、目標予測地点です。」

指揮車のモニターは、変わらずの映像であった。

ミサトは通信用マイクのスイッチを押した。

「アスカ、何か見える?」

マグマの中にいる少女は、装備された測定機器を操作して周りの状況を確認したが、特に変化はなかった。

『…反応なし、いないわ。』

その報告に、リツコも各データを確認して、左に立っているミサトに言った。

「思ったより対流が速いようね。」

メガネのオペレーターが浅間山地震研究所のデータと比較した。

「目標の移動速度に誤差が生じています。」

ミサトは、モニターを見ながら命令する。

「再計算、急いで。 作戦続行、再度沈降よろしく。」

「え!?}

マコトは驚きの表情をミサトに向ける。

既に、D型装備の安全設計深度は超えているのだ。

対流しているならば、しばらく待機させてもいいのでは? と思ったが、ミサトの意志は固かった。

「急ぎなさい!」

「りょ、了解!」

マコトは、慌ててモニターに向き直るとキーを叩き始めた。



”ゴゴゴゴッ…ギギギギッ!!”


(…だいぶ賑やかになってきたわね。)

アスカは、高温で”ぼぉー”としそうになる頭を横に振った。

『…深度1350……深度1400……』

その時だった。


”パキンッ!!”


何かが破裂したような音がエントリープラグに聞こえた。

地上にいるオペレーターが鋭い声を出す。

『第2循環パイプに亀裂発生!』

アスカは歯を食い縛り、一人しか居ないという孤独を振り払うように、EVAの操縦に意識を集中させた。



「深度1480、限界深度オーバー!!」

報告するマヤは、表情を出さないように、努めて冷静な顔を装った。

ミサトは、周りの様子に一瞥もくれず続行を決定する。

「目標とまだ接触していないわ。 続けて。」



『アスカ、どう?』

逃げられないこの極限の状況で、どう? とは…アスカは、可笑しくなって笑いそうになった。

彼女は、少し気分が軽くなったような気がして、軽口で答えた。

「まだ、もちそう。 さっさと終わらせて、シャワー浴びたい。」

『近くにいい温泉があるわ。 終わったら行きましょ。 もう少し頑張って。』

(…温泉か。 そう言えば、日本の温泉って行ったことなかったっけ。)

アスカが”ボケッ”としている間も、沈降は進んでいる。

”バシンッ!!”

その音に、少女の意識が一瞬で現実に戻る。

”ハッ!”

『限界深度、プラス120!』


……前史では、ここでプログレッシブナイフを喪失したが、今回は何事も起こらない。


『限界深度、プラス200!』

「葛城さん、もうこれ以上は!!」

マコトが堪らずイスを回転させて上司を見る。

「今度は、人が乗っているんですよ!?」

「この作戦の責任者は私です。 続けてください。」

マコトが更に口を動かそうとした時、この指揮車に紅茶色の髪の少女の声が聞こえた。

『ミサトの言うとおりよ、大丈夫…まだいけるわ!』

その言葉に、メガネの部下はスピーカーに目をやり、再びモニターに向き直った。


……エヴァンゲリオン弐号機の下方に反応が出たのは、そんな時だった。


『深度1780、目標予測修正地点です。』

マヤの声に、アスカが周りを注視すると、前斜め下に黒い歪みのようなモノが見えた。

”…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…”

「いた…」

少女は、歪む影を睨んだ。


……そのデータは、指揮車にもダイレクトに送られている。


「目標を映像で確認。」

マコトが報告を上げると、作戦課長の瞳がピントを合せるように”キュッ”と細くなった。

「捕獲準備!」

ミサトの声に、アスカがインテリアのスイッチを押すと、弐号機が握っていた捕獲用の電磁柵が展開する。

”ガシュン!”


……柵のレールが横に拡がり、黒い影との距離がゆっくりと近付く、その時だった。


弐号機の斜め上方、ちょうどEVAの背中を正面とする場所が、少し輝いた。

”シュゥゥ…”

その光は、小さなシャボン玉のように丸くなると薄い膜のように変化した。

その中に、小さな人影が映る。

火山の中に現れたのは、中学校の制服姿のシンジとレイだった。

『ちょうどいいタイミングみたいだね。』

『…碇君、これは?』

レイは、自分達を護るように包む透明な膜に触れた。

『ATフィールドは感知されるかも知れないからね。

 これは僕の力で創った圧力、熱量とかを遮断する光の膜だよ。』

『…温かい。 碇君と同じような感じがする。』

『そ、そう? あ、見て、綾波、もう直ぐサンダルフォンをキャッチしそうだよ。』

シンジが指差す方向を見ると、

 黒いタマゴのような殻と弐号機が一直線上になり、ゆっくりとお互いが近付いていく。

まさか、自分を見詰める視線があるとは知らないエントリープラグの少女は、目の前の作業に集中していた。

エントリープラグに、リツコの声が流れる。

『お互いに対流で流されているから、接触のチャンスは一度しかないわよ。』

「分かっている、任せて!」

作戦課のオペレーターがカウントを取った。

『目標との接触まで、あと30!』

アスカの目の前に、モザイクが掛かったような黒い楕円形の物体が近付いてくる。

「相対速度、2.2。 …軸線に乗ったわ!」

横幅は、EVAの5倍以上、高さはEVAと同じくらいの巨大なタマゴは、もう目の前だった。

(…4、3、2、1、今!!)

心の中でタイミングを計っていたアスカが、操縦桿のスイッチを押した。

電磁柵が瞬時に反応し、長方形の六面体を作り出す。

”ゴゥン! ヴォォォォ…”

エントリープラグに”CAPTURE”の文字が、アスカに捕獲作業完了を告げた。

(ふぅ…)

少女は安堵の息と共に報告する。

『電磁柵展開、問題なし。 目標、捕獲しました。』

第14式大型移動指揮車のメンバーは、その報告に、肩に入った力を一斉に抜いた。

「「「ふぅーーー」」」

「ナイスッ! アスカ。」

ミサトは、作戦の成功に顔の緊張を緩めた。

『…はぁ。 捕獲作業終了、これより浮上します。』

EVA弐号機からの信号を受けたクレーンが、冷却用のパイプを逆回転させて巻き上げを始める。

”ググググッ!”

ライフラインケーブルが動き始めると、弐号機は電磁柵を展開したままゆっくりと浮上する。

エントリープラグの少女は、電磁柵の中に囚われた黒い塊を観察するように見ていた。

”ピピッ!”

『アスカちゃん、大丈夫?』

通信ウィンドウを見ると、ショートカットの童顔女性が心配そうな顔で覗き込んでいる。

作戦行動中という現在の状況では、少し不謹慎な通信だったが、

 指揮車の誰もが、彼女が少女を真剣に心配していると知っているので、咎める者はいなかった。

そして、それは通信の相手である少女も、伊吹マヤという女性は、チルドレンとしての自分よりも、

 単純に惣流・アスカ・ラングレーという少女を心配しているのだ、という事を知っていた。

だから、アスカは、ワザとらしいフランクな調子で答えてあげた。

『当ったり前よー 案ずるより産むが易しってね。 やっぱ、楽勝じゃん♪』

指揮車に、少女の明るい声が流れる。 その声に、マヤはホッと胸を撫で下ろした。

『それにしても、マヤ?』


……中学生に呼び捨てにされるのはどうかと思うが、呼ばれた本人は余り気にしていなかった。


「なに、アスカちゃん?」

『これ、プラグスーツと言うよりサウナスーツよ。 もっとマシなの造りなさいよねぇ?』

「うぅ、ごめんなさい。」

謝る後輩の後ろに立っている上司は、黒い眉を少し”ピクピク”と動かしていた。

(…アスカの実験のメニュー、追加ね。)

技術部のトップがそんな事を考えているとは知らない少女は、呑気に言葉を続けていた。

『…ハァ〜 早いトコ、温泉に入りたい…』

リツコは、チルドレンのバイタルモニターに目をやった。

「…緊張が、一遍に解けたみたいね…」

ミサトは、横目で見ると小さな声で応えた。

「…そう?」

「アナタも今日の作戦、怖かったんでしょう?」

「ま、ね。 下手に手を出せば、アレの二の舞ですものね。」

「そうね。 セカンドインパクト……2度とゴメンだわ。」



………マグマ。



シンジたちは、弐号機と同じスピードで上に移動しながら、第八使徒の様子を静かに見ていた。

『…ん?』

そして誰よりも、どんな機械よりも早く異変に気が付いた白銀の少年は、右手を黒いタマゴに向けた。

そして、神気を纏った言葉、{言 霊}を唱えた。



「{我と対峙するアダムの子よ。永きに渡る戦いの鎖を解いてあげよう。

 我に勝てれば自由を。負ければ、白き月に還る事は叶わない。}」



次の瞬間、地上の指揮車とマグマ内のエントリープラグに、同時に警報が鳴り響いた。


”ビィィィィイ!!!!”


アスカは、突然と操縦桿が震えるのに驚いた。

電磁柵が暴れている!? 違う!! タマゴが震えているのだ!


”ガクガクガクッ!!”


少女は、操縦桿から手を離さないように懸命に力を込めた。

「…クッ!! なによこれぇ!!!」

弐号機から悲鳴が上がる。

リツコがモニターの変化に驚きの声を上げた。

『…不味いわ! 羽化を始めたのよ!』

センサーが表示しているタマゴの質量が増えていく。

白衣の女性は、驚きを顔に張り付かせた。

『計算より早すぎるわ!』


操縦桿は、まるで意思を持ったように暴れた。

「くぅ!! 動くんじゃないわよ!!」

アスカが操縦桿に怒鳴ったのとほぼ同時に、巨大な”何か”の咆哮がプラグに響いた。


『グゥゥゥオオオオオオ!!!!!』


その声で、その振動でエントリープラグの画像がぶれたような気がした。

アスカが操縦桿に向けていた視線を正面に戻すと、電磁柵のオレンジ色の薄い壁の中で、何かが暴れていた。

『キャッチャーは?』

『とても保ちません!』

紅茶色の髪の少女の瞳に映ったのは、EVAよりも大きな腕。 それが手を広げて伸びていた。



シンジは、腕を組んで静かにそれを見ていた。

(さて、アスカはどうするんだろ?)

白銀の少年の横に立つ蒼銀の少女が呟いた。

『…壊れるわ。』

レイの波動のとおり、電磁柵は膨らんだ使徒に破壊された。



”ガバァァァアン!!”

戒めから解き放たれた人類の敵、使徒は暴れるように巨体を揺らしていた。

ミサトがマイクに怒鳴った。

『捕獲中止!! キャッチャーを破棄!!』

アスカは、インテリアのスイッチを殴りつけるような勢いで叩いた。

”ガチャン!! バシュ!”

瞬間的に、EVAの手に固定されていた電磁柵が解放される。

『作戦変更、使徒殲滅を最優先!! 弐号機は撤収作業をしつつ戦闘準備!!』

「待ってました!!」

アスカは、壊れた電磁柵と共に沈降する使徒を睨みながら、感覚的に渇いた唇を舌で舐めた。

マグマの中は、相変わらず擦りガラス越しに見るようなボンヤリした映像であったが、

 自分の弐号機に向けて敵意を持って向かってくる物体は、妙にハッキリ見えた気がした。

アスカは、落ち着きを取り戻した操縦桿を軽く握り、意識を左足に向ける。

弐号機は、操縦者の意思どおり、左手にプログレッシブナイフを装備した。


”ピィーーー”


「正面!!」

その黒い影は、まるで海を泳ぐ魚のようにマグマの中を突き進んできた。

予想以上の機動性に驚いたアスカは、瞬時に応戦出来ないと判断した。

「バラスト放出!!」

弐号機の腰に巻かれていた錘がパージされ、上方への移動速度が速まった。

”…ズゥゥウウ!!”

今まさに弐号機の居た場所に、使徒が突っ込んでくる。

1秒でも遅ければアウト、というギリギリのタイミングだった。

「クッ…速い!!」

アスカは後方へ移動したサンダルフォンを目で追ったが、マグマの中に霞むように消えて行ってしまった。

”ピィーーー”

レーダーが、ソナーが目標をロストしたという報告がアスカの耳に届いた。

「不味いわね、見失うなんて。

 …おまけに視界は悪い、やたらと熱い、スーツがベッタリしていて気持ち悪い……もぅ最低ね。」

”ピィーーー”

再び使徒接近の警報音がなる。

「クッ!」

アスカは素早く周囲を見る。

『使徒、急速接近!!』

弐号機はナイフを右手に持ち直して構えると、敵とのタイミングを計った。

サンダルフォンは、2本の腕を伸ばして白い潜水夫に襲い掛かる。

アスカは、迫り来る巨大な手にナイフを突きつけた。

”ガキィィン!!”

金属音とマグマの中でさえ確認できる火花がエントリープラグに映った。

その刹那だった。

”ガシィ!”

もう片方の手が、弐号機の左足に絡み付いた。

「ぐぅ!! しまった!!」

アスカが自分の脚を握られる感覚に、顔を歪めると使徒は人類の想像を超える行動を取った。

”ガバァア!!”


……マグマの中で巨大な口を拡げて、弐号機の頭部に喰らい付いたのだ。



科学者であるリツコは、驚きに目を見開いた。

「まさか、この状況下で口を開くなんて!!」

マヤも数瞬の間、呆然とした様子だった。

「…信じられない構造ですね。」



弐号機専属操縦者である少女は、ダメージのフィードバックによる苦痛に耐えるように歯を食い縛った。

使徒の腕は力強く、プログレッシブナイフを引くことも押すことも出来ない。

そして、左脚を握る敵の手は、無慈悲な機械のように”どんどん”力を増していった。

(私の足が潰される!!)

蒸し風呂のような筒の中にいるアスカの額に、ジットリとした脂汗が吹き出てきた。

EVAの左腕では、敵に何も出来ない。 そして、彼女の耳に、骨が砕けるような音が聞こえた。


”ギギギギッ…グゥ…ブシャッ!!!”


『左脚、損傷!!』

痛み、というハンマーで頭をがんがん叩かれているような感覚。 しかし、アスカはそれでも冷静だった。

「対熱処置!!」

高圧下では、破損して強度が弱くなった部分を切り離さなければ、損傷は瞬時に全体に拡大するのだ。

アスカの声と同時に、エヴァンゲリオン弐号機の左脚が爆薬によってパージされた。



シンジは、腕を組んで戦況を見ていた。

『…大丈夫かな? アスカ。』

レイは、戦闘の様子を見ていた深紅の瞳を彼に向けた。

『…パージより神経接続の切断が早かった。 気絶はしていないと思う。』

『そうだね。 …ま、苦労した方が、勝利の喜びも大きくなるだろうから、もう少し様子を見ていよう。』

『そうね。』


……シンジたちは、ギリギリまで今回の戦闘に加わる気はないようだ。


”ジンジン”と頭に響く痛みを振り払ったアスカは、気合いを込めた。

「こんちくしょーー!!!」

そして、有らん限りの力を込めて、右手のナイフを振り上げ敵に突き刺した。

プログレッシブナイフの超振動は、この極限下に於いて故障しているのか、機能していなかった。

それでも、ATフィールドを中和しているのだ。

アスカは、敵の肉体に損害を与える自信があった。

角度、スピードも申し分ない。 これが人間であったなら、即、致命傷になっただろう。

しかし…

”ドゥゥン!!”

(クッ!)

火花を散らす敵の装甲は、異常に硬かった。 アスカは、敵意を剥き出して、何度も突き刺す。

”…ドゥゥン!! …ドゥゥン!! …ドゥゥン!!”

リツコは、データを見てかぶりを振った。

「…高温、高圧…これだけの極限状態に耐えているのよ。 プログナイフじゃダメだわ。」

マコトが、睨むようにリツコを見た。

「では、どうすれば!?」


……では、どうすれば? 作戦課のオペレーターの質問に答えたのは、アスカの閃きだった。


「そうだ! 熱膨張!!」

そう口が動いた彼女の脳裏に、先日見た紅い本があった。

アスカの行動は迅速だった。

右手のプログレッシブナイフで左腕の冷却パイプを切り裂いた。

冷却液が気化し、爆発的な化学反応で、溶岩が固形化する。

弐号機は構わず、サンダルフォンの巨体に向けて腕を突き刺した。

(…いける!!)

そう思ったのは、アスカだけではなく、地上にいるリツコも同じだった。

前史と同じ事をしようとしている。 それが分かっただけで、勝利が見えてきたのだ。


……しかし、全ては思い通りにはいかないようだ。


目標である使徒は、突如として弐号機から離脱した。

弾かれたような素早さで溶岩を蹴り、瞬く間に泳ぎ消え去ってしまった。


”…ペコンッ!!”


冷却という恩恵を失った左腕の装甲が歪む。

その瞬間、アスカの左腕は、マグマの中だった。


「…ぎゃぁぁぁあ!!!!」


腕が熱で蒸発していく凄まじい痛覚に、流石の彼女も気を失ってしまった。

これに慌てたのは、地上で指揮を執っていた大人たちだった。

「弐号機、左腕の温度急上昇、対熱処置!! 神経接続をカット! アスカちゃん!」

マヤは、素早く左腕をパージし神経接続を切ったが、それは少女が気を失った後だった。

「マヤ、生命維持システム起動! 電気ショック!」

「っ! センパイ!」

「早くなさい! 彼女の生存率を少しでも上げるのよ!」

「は、はい!」

スーツの生命維持装置を利用して電流を流し、

 覚醒を促すようにショックを与えたが、セカンドチルドレンの意識が戻る事はなかった。

なぜなら、アスカのプラグスーツは、電流を流していなかったからだ。


(アスカには、このまま寝ていてもらう方が、僕らにとって都合がいいからね。 ゴメンね、姉さん。)

シンジが瞳を閉じて力を使うと、自分達を包む光の膜に指揮車の内部が映りだした。


ショートカットのオペレーターが、絶望的な表情で叫んだ。

「ダメです! パイロットの意識、戻りません!」

「しかし、弐号機のATフィールドは健在!」

マコトは、戦況モニターを見て報告した。

その言葉どおり、幸いと言おうか、パイロットの生存本能により、

 ATフィールドは展開されたままだったので、弐号機の損傷が拡大する事はなかった。

「クッ!」

ミサトは厳しい表情でモニターを睨んだ。

「…ここまでね。 現時刻を以って作戦指揮権を国連軍に移譲します。」

赤いジャケットの女性が”ガックリ”と顔を伏せると、濃紺の長い髪が力なく垂れた。


……指揮車に、沈鬱な空気が流れる。


”ピィィーーー!”


突然、大きなブザーが鳴った。 

第14式大型移動指揮車の計器に、異常が発生したのだ。

皆伏せていた顔を上げて、慌ててモニターを見る。

「EVA弐号機、再起動!」

マヤの叫び声に、国連軍に連絡しようとしていたマコトは手を止めた。

ミサトが鋭く言った。

「パイロットは?」

マヤが一心不乱に操作してあらゆるデータを更新しようとする。

「エントリープラグのデータ、ブラックアウト! 全て欠損しています! 状況確認、不可!」

リツコは、目の前のモニターを見た。

「どうなっているの?」

赤いジャケットの女性は、最悪の事態を想像した。

「まさか、暴走!?」

マヤが、キーを叩きながら答えた。

「いえ、シンクロ値だけ確認できました! シンクロ率87.1%!」

金髪の女性は、マヤのモニターを覗き込んだ。

「暴走ではないの?」

「分かりません!」

ショートカットのオペレーターは、答えを求めるような顔でリツコを見た。

「兎に角、使徒の攻撃にさらされてしまう現状況下で、弐号機を火山内に留めて置く事は出来ないわ。

 このまま、地上への引き上げを継続する事を作戦課へ提言します。」

ミサトは何の手立てもない現状に、苦虫を噛み締めるかのような顔で答えた。

「そうね。 日向君、作戦指揮権の移譲は中止、現状を維持とします。」



マグマの中の弐号機は、半身を失ったに等しい状態だった。

左脚は、パイロットの判断で対熱処置を施して切り離され、左腕は冷却液のパイプを切断して失っていた。

5本のライフラインケーブルに吊るされた状態の弐号機の右腕が”ピクッ”と小さく動いたのは、

 セカンドチルドレンが気絶して、20秒も経っていない時のことだった。

”グッ、ググゥ…”

シンジとレイを覆う光の膜に、再び変化が訪れる。

指揮車の内部を映していた正面が震えると、

 外の風景に浮かび上がるように見慣れたエントリープラグの内面が映り出した。

ガックリとこうべを垂れて気を失っている少女が見える。

インテリアの操縦桿が、静かに前に動き出す。

シンジが、自身の力で弐号機を遠隔制御しているのだ。

左斜め後方からサンダルフォンが静かに、素早く近付いて来る。

『碇君?』

『…アスカには、これからの使徒戦を夢の中で体験してもらうよ。』

そう言った白銀の少年は、浮かび上がるように見える映像の中の操縦桿を両手で掴んだ。

弐号機は、シンクロを飛び越えて全てを操られる人形のように、身軽にシンジの要求に応えた。

自分のエサだと認識しているのだろうか、第八使徒は口を大きく開けながら突き進んできた。


”ゴゴゴゥゥ………!!”


使徒は、弐号機の頭部を潰そうと勢い良く左腕を伸ばした。

まさに敵の手が頭部を捉えようとした刹那、今まで動く気配すらなかったEVAが突然と身を回転させた。

”グルン!”

使徒の攻撃をかわしながら、その伸ばされた腕にプログレッシブナイフを突き刺した。

先ほどまで、一切効かなかった攻撃である。 相手である使徒も、経験から全く気にもしていなかった。


……だか。


現在の操縦者は、最高位の存在である。


(ATフィールドをナイフの刃に集中!)

”ブシュ!”

まるでカミソリが紙を撫でたような軽い感触のまま、鈍い光を放つナイフは敵の内部に潜り込んでいく。

サンダルフォンは、初めて感じた痛覚に驚き、伸ばした腕を引っ込めたが、

 それは、そのまま弐号機のナイフによって二股に切り裂かれてしまった。


”キシャァァアア!!!”


身をのたうち回らせた使徒は、再びマグマの中へ消え去った。

”ピィーーーーー”


(くっ…逃がしたか。)

シンジは、リアルタイムで変化する戦況を確認した。

突然動いた弐号機を窺うように、その周辺を斜め上下に回遊する使徒。

敵の片腕は、先ほどの攻撃で潰したのか、再生はしていないようだった。

『碇君、地上まであと650よ。』

『残された時間は、結構短いね。』

サンダルフォンは、弐号機を吊り下げているパイプに目をつけた。

マグマを蹴り、スピードを乗せて5本のライフラインケーブルに襲い掛かる。

口を大きく開いて、弐号機のケーブルに喰らいついた。

”ガァァアン!!”

ムリヤリ引っ張られる力に、EVAが大きく揺らいだ。

『う〜ん、どうしよう…』

冷却パイプは、シンジのATフィールドでコーティングされているので、食い破られる心配はない。

心配はないのだが、そのパイプの先にぶら下がっている弐号機には、使徒を殲滅する手立てはない。

『碇君、もう時間がないわ。』

蒼銀の少女は、彼の半袖の裾を柔らかく握った。

『口に銜えているパイプのATフィールドを解除しよう。』

白銀の少年の決断の直後、サンダルフォンの口の奥にあったパイプの1本が引き裂かれた。

”ブシュゥァアアア!!”

一気に気化する冷却液。 サンダルフォンは堪らずケーブルから離れて行った。



『ライフラインケーブル、断線! 3番系統の配管が破裂しました。』

リツコは、スピーカーを睨んだ。

この指揮車では、弐号機をこのまま吊り上げていいのか……大人たちが真剣に検討していた。

定速で巻き上げられるパイプ。 残された時間は非常に短い。

弐号機が地上に戻れば、ほぼ間違いなく使徒も現れるだろう。

初号機を空輸するか? 改修を終えた零号機を本部の直援にするのか?

人類が生き残るには、どうすればいいのか…

 非常に重たい責任がプレッシャーとなってリツコ達の肩を押し潰す。

「…本部で待機しているEVA独立中隊の2人には、エントリープラグで待機してもらいましょう。」

ミサトが、モニターを睨みながら呟いた。

女性オペレーターが報告する。

「深度、450。 弐号機、健在。 使徒が再びレンジ外へ移動。 ロストしました。」



赤いプラグスーツに身を包んでいる少女は、緩慢な感覚に違和感を覚えた。

自分は、作戦遂行中だったはず。

エヴぁにシンクロし、極限状態の環境に一人。 自分は成功すると信じる一方、背中に感じる失敗への恐怖。

バックアップのない単機での出撃。 プレッシャーを意識の外に追いやって臨んだ作戦。

そして、捕獲の成功。 安堵した瞬間に、変化した戦況。 自分に敵意を向ける敵……応戦しなければ!

アスカは、そこで目を覚ました。 飽くまでも彼女の感覚ではあったが、彼女はハッキリと覚醒した。
 
(…クッ!!)

夢の中で目覚めた彼女が”見た”のは、巨大なヒラメのような身体で突っ込んでくる影だった。

彼女は、握っていたナイフを”無意識のまま”敵の伸ばした腕に突き刺した。

敵は、苦悶の声を上げて逃げていく。

(ハッ! さっさとヤラレに来なさいよ!)


……そして、冷却パイプに喰らい付く使徒。 


(手が届かないじゃない! さっさとこっちに来なさいよ!)

アスカは頭上の敵を睨みつける。

すると、パイプが破損したのだろうか…冷却液が漏れ出ると、使徒は慌てて離脱して行った。

(やっぱり、熱膨張を利用すれば、楽勝じゃん♪)

アスカが、エントリープラグに浮かび上がる画面を確認すると、敵が食い破ったパイプは3番だった。

(左腕の冷却なんて必要ないわ!)

”ピィーーー”

電子音と共に、左斜め前方より近付いてくる黒い影が見える。

紅茶色の髪の少女は、右脚のパイプに向けてプログレッシブナイフを突き立てた。

そして、タイミングを計って右脚を敵の口の中に蹴り入れた。



『…今だ!!』

シンジは、弐号機の右脚を敵の口に突っ込んだ。

アスカが夢心地で体験している使徒との戦闘は、最終局面を迎えていた。

『ドーラ、4番系統に冷却液の圧力を集中!!』

『イエス、マスター!』

”ガシャン!”

4番以外の冷却バルブが全閉になると、サンダルフォンの口に漏れていた冷却液が爆発的に増える。

使徒の体内で爆発的に増えるガス。 サンダルフォンは一瞬、動きを止めた。

真紅の瞳が輝くと、プログナイフをコーティングしていたATフィールドが日本刀のように伸びる。



(これで、終わりよ!)

自分がATフィールドを自在に操っていることに、不思議はなかった。

アスカは、自分が夢を見ている…と何となく感じていた。

なぜなら、エヴぁは今まで感じた事がないくらい、身軽に動いていたし、

 なにせ…これだけの損傷を受けながらフィードバックによる痛みを感じていない。

無様に膨れ上がった敵に振り上げた刃で切りつける。

”ザシュゥッ!!”

硬さなどの抵抗を感じる事もなく、ATフィールドの刃は敵の中に潜り込んでいく。

まるでトウフのようだ、とアスカは勝ち誇った瞳でそれを見ていた。


”キシャァアア!!”


サンダルフォンは、シンジのATフィールドで真っ二つに切り裂かれると、活動を停止した。

ATフィールドを失った瞬間、使徒の巨大な体躯はマグマで焼かれ炭化し、

 ボロボロになりながら溶岩の中に融けるように消えていった。


”べコンッ!”


冷却を失った胴体部分が大きくへこんだ。

『ドーラ、冷却液のバルブを解放、弐号機にこれ以上の損傷を与えないようにしてくれる?』

『はい、直ちに。』

ドーラによって各系統のバルブが全開状態に戻される。



地上の指揮車では、さきほどから混乱の極みに陥っていた。

「ぱ、パターン青の消滅を確認!!」

メガネのオペレーターが驚きと喜びを混ぜたような表情で叫んだ。

「再び冷却系のバルブが動作! 全てのバルブが全開になりました!」

マヤは、自分のモニターに表示させていた冷却系の監視画面を見てリツコに報告した。

作戦課長であるミサトは、大声でパイロットに呼びかけていた。

「アスカ! アスカ! 応答しなさい!」



『ふう。 サンダルフォンのコアの回収も出来たし、弐号機は損傷が甚大だけれどアスカは無事だ。』

シンジは、光の膜に映っているアスカに手を向けて、彼女の覚醒を促した。

『さ、本部へ戻ろう。』

レイは、小さく頷いた。

『ええ、そうね。』

”…シュン”


……シンジ達を覆っていた光の膜は、一瞬で消えた。


「……ぅ、、、うん?」

自分を呼ぶ声が聞こえる。 どこか遠くで、誰かが私を呼んでいる。

セカンドチルドレンが目覚めたのは、白銀の少年と蒼銀の少女がマグマから消えた時だった。

『…アスカ! アスカ! 応答しなさい!』

同居人である女性の声だ。 何を慌てているんだろう?

アスカは、自分の周りに目をやると、急速に頭脳が回転し始めた。

「…使徒は!?」

『ッ! アスカ! 気が付いたのね?』

ミサトの声に喜色が混じった。

紅茶色の髪の少女は、エントリープラグの表示するデータを確認した。

深度210? 200? 地上まであと僅かの深度だ…

敵は? 少女が計器類に目をやり、もう一度、無意識に口から言葉が漏れた。

「…使徒は?」

『パターン青は消滅したわ。 アスカ、どうやって殲滅したの?』

「え?」

『…原因不明だけれど、弐号機からのデータが受信できなかったのよ。』

アスカは、ミサトの声に耳を傾けた。

『最後に確認できたのは、アスカが失神した処までで、あとは不明なの。』

紅茶色の髪の少女は、自分がボンヤリと体験した事を思い出した。

(じゃ、あれって…私が無意識に戦っていたって事なの?)

夢のような体験は、実際の体験だったのだろうか? 自分が無意識に弐号機を操縦して使徒をやっつけた?

『…アスカ?』

作戦課長とは違う冷静な声は、リツコのモノだった。

「たぶん、無意識に戦っていたのかも。 夢みたいな感じで戦っていたのは、”覚えている”わ。」

アスカがそう答えると、ちょうど弐号機がマグマの中から、地上へ引き上げられた。


……第14式大型移動指揮車の大人たちは、弐号機の状態を見て絶句した。


潜水夫のような…ヌイグルミのような…マグマへダイブする前に抱いた印象は、なかった。

D型装備の弐号機は、左脚、左腕を失っていた。

右脚の冷却用ジェネレーターは大きく歪み、それが機能していなかったという事は、見ただけで理解できた。

プログレッシブナイフを握っている右腕も、敵の攻撃による爪跡が禍々しく残っている。

そして、胴体部分の胸から腹に掛けて大きく描かれていた”D”の文字が大きくへこんで歪んでいた。

頭部の特殊耐熱ガラスで造られた覗き窓もヒビが入っていて、弐号機の顔は確認出来ない。


……まさに、極限状態でのギリギリの戦闘だったのだ。


大人たちは、誰しもが生唾を”ゴクッ”を飲み込んでそれを見ていた。


”ガガガガガ…”


出撃の時とは逆に、超大型クレーンのジブをスライドして地上の待機場所へ運ばれる弐号機。

整備班は、弐号機をうつ伏せに吊り上げて、用意していた巨大な台車に安置させた。

『…ミサト?』

「え? 何? アスカ?」

弐号機の回収作業を黙って見ていたミサトは、虚を衝かれた顔で答えた。

『何じゃないわよ! なにじゃ!! …温泉よ! 温泉! 直ぐに行くわよ!』

少女の元気の良い声は、その少女を単身戦場へ送り込んだ大人たちに日常の雰囲気を取り戻させた。

ミサトは、いつもの調子で答える。

「わーってるわよ。 約束ですもの。 シャワーを浴びて着替えたら行きましょ。」

通信を切った女性は、リツコに手を合わせた。

「いいわよ。 後始末は、私たちでやっておくから。 アスカのケア、してあげて頂戴。」

リツコは、金髪の髪を掻き揚げながらミサトに言った。

「ごみん! 助かるわ! 日向君、作戦終了の報告を本部へ。

 ……んで、それが終わったら、ここらでちょっちいい温泉のある宿を予約して。」

「はい、分かりました。」

マコトは、戦闘中とは違う笑顔でコンソールのキーを叩いた。

「マヤ、アスカを迎えに行って。 その後、弐号機の損傷状態を整備部と一緒に確認して頂戴。」

「分かりました。」

後輩は明るく返事をすると、イスから立ち上がって移動指揮車から出て行った。

リツコは、ショートカットの女性が座っていたイスに腰掛けると、端末を操作した。

”カタカタカタ…”

(データをMAGIに送信して、後で解析しないと。 一体マグマの中で何があったのかしら?)



チルドレン専用の控室に連絡が入った。

「…はい、了解しました。 ご苦労様です。」

”…カチャ”

レイが内線電話を切った。

「碇君、待機命令が解除されたわ。」

「了解。 じゃ、家に帰ろっか?」

「ええ。」

シンジは、先ほどサンダルフォンを封印した紅い本をカバンにしまうと、

 修学旅行に使っていた自分とレイの荷物を手に取った。

レイは、自動ドアを先に開けてシンジを待つと、彼と共にこの部屋を出て行った。



………宿。



アスカとミサトは、浅間山から自動車で移動して温泉宿に向かっていた。

ハンドルを握っている女性は、横目で少女を窺うように見た。

中学校の制服に着替えた少女は、やはり疲れているのだろう、少し遠い瞳を山中に向けていた。

すでに陽は低く、緑豊かなこの風景を赤々と染めている。

走り始めて、40分。 峠を3つ越えた先に、温泉街が見えはじめた。

その中心より、少し離れた場所に予約した旅館はあった。

夕日と影になる黒い山々を背景に、まるで1枚の絵のような風景。

アスカの青い瞳に映った旅館は、純和風の造りで、なんともいえない風情のある趣を醸し出していた。

「へー、結構、いい宿じゃない♪」

まるで旅行会社のパンフレットに出てきそうな雰囲気に、アスカは破顔一笑した。

「でしょ♪」

当然、と答えたミサトは、心の中でここを選んだメガネの部下に感謝していた。



………ジオフロント。



箱根のロープウェイから帰って来た加持リョウジは、周りを注意深く見回した。

(よし、誰もいないな。)

地下ではあるが、日中は太陽の光がまぶしいくらい溢れている空間。

日本の勤務になってから、この男はある秘密の行動を取るようになっていた。

だらしなく伸びた髪を一本に纏めた男は、ゆっくりと、慎重に移動を開始する。

(よし、待ってろよ〜)

ジオフロントの森林地帯の一角。 普通の職員では訪れることもない場所。

加持リョウジは、うっそうと生い茂る樹木を掻き分けて足を進める。

整備された道路から入り、しばらく歩くとようやく目的地に着いた。


……しかし、目に飛び込んできた光景に、加持は目を大きくして動きを止めてしまった。


”ガシャン! …とぽ…とぽ…とぽ…”

そして、手の力が抜けてしまい、水が満タンに入っていたジョウロを落としてしまった。

「…な、なんじゃこりゃ〜!!」

彼は、余りにも予想外の光景に、今までの隠密行動が無駄になるような大声を上げてしまった。

せっかく荒れていた土地をキレイに耕したのに。

ようやく種が芽吹いたのに。

彼が甲斐甲斐しく面倒を見ていた植物達。

昨日までは美しいまでに緑を輝かせていた蔓も葉も、今では獣に襲われた後のように散り散りに乱れていた。

それは、男がこの空間の気候を調べ上げて選定したスイカたちの成れの果てだった。

加持は、自分の瞳が映す情報をどう処理して良いのか分からなくなってしまい、ただ、途方に暮れた。

”がさがさがさっ…”

その時だった。 男の耳に、”何か”が動く音が前方の茂みのほうから聞こえた。

自分以外の存在を認識した加持の頭脳が再起動する。

(クッ…きさまか〜!!)

男は、右手に持っていたスコップを構えると、猟師の如く気配を消して足を踏み出した。

茂みの奥から聞こえる音は、こちらに気付いていないのか、相変わらずであった。

”がさがさがさ…”

獲物を狙う加持の瞳が”ギラリ”と輝く。

(あと5m………4m………3m……………2m…………1m…そこだっ!)

「ふんっ!!」

腰の入ったゴルフスイング。

”ばこーん!!!”


”クェェェエ!!!”


スコップからフィードバックされた確かな手応えに、加持は心の中でガッツポーズを決めた。

(…イエス!!)

”……ばたんっ!”

そして、加持は、仕留めた獲物を確認した。

「な、なんだぁ?」

彼は足元で伸びている動物を見て、目を”ぱちくり”としてしまった。

「ペ……ペンギン?」

加持は、手を伸ばして動物を掴み持ち上げた。

(ペン2? ペンペン……どっかで聞いたな……)

男は、ペンギンの胸のプレートを繁々と見て、自分の記憶をサーチした。

「あ! 葛城が飼っているって自慢していたヤツか!」

遥かな昔…私、ペンペンって言うペンギン飼ってんのよ〜、と自慢していた女性が脳裏に浮かんだ。


……実際は、誰もいなくなってしまったマンションから、空腹に耐えかね脱走してきただけのペンペン。


ユイがアメリカに行き、リリスがいなくなった後、

 野生の勘のままにこの地下空間を彷徨い、偶々ココにいたのだ。

しかし、野生の勘も何もこの世に生を受けた時から飼育されていたペンペンに、

 自然の食物など捕食できるわけもなく……

実際の処、加持の畑を荒らしたのは、森に暮らす小動物たちであった。

(…確か、葛城は温泉宿に泊まるって言っていたな…)

加持の瞳が、仄暗い復讐の色に輝く。

「よし、お前さんを飼い主の許に送ってやる。」

(せいぜい、宿から追い出されるんだな、葛城。)


……随分とセコイ復讐である。


加持は、ペンギンを抱きかかえて、近くに放置されていた段ボール箱に詰め込んだ。

そして、そのまま総務部へ行き、NERVの特急便を手配した。

「これは、今作戦の後処理に必要なものなんだ。 葛城一尉の所まで、2時間で頼む。」

「はい。 畏まりました。 加持一尉。」

男の真剣な表情と説明に、総務部の男性職員は最短で現場に到着するように端末を操作した。

まさか、特殊監査部の士官が腹いせにペンギンを宿に送りつける、など想像も出来ないだろう。

こうして、ペンペンは冤罪のまま温泉街の旅館へと輸送されるのだった。



………通学路。



朝日に輝く第3新東京市。

シンジとレイは、学校に向って歩いていた。

彼らの目の前には、いつものとおり紅茶色の長い髪が揺れていた。

「まーったく、大変だったわよ〜」

「マグマの中か。 すごいよね。 …で、どんなだったの?」

シンジの質問に、アスカは得意気な表情で説明を始めた。

「…ま、この私だからこそ、無事に生還できたってワケ。 あんたらじゃ死んでたかもね。」

「ははっ…そうかもね。」

白銀の少年は、前を歩く少女に隠れて苦笑した。

「で、その後、ミサトと温泉に行ったんだけれど、これがさー」


……NERVから特急便で運ばれた箱を開けると、大型のペンギンが興奮して飛び出してきたらしい。


結局、旅館に迷惑をかけて、追い出されてしまったようだ。

「…温泉に入った後だったから、まだマシだったけどねぇ。」

宿に着いた直後だったら、移動しただけになってしまうところだった。

まったく…もう、大変だったわよ…

 と楽しそうに喋るアスカの話を聞きながら、シンジ達は学校の正門をくぐった。



………2−A。



老教師が入って来ると、平和な日常の一日が始まる。

「起立!」

少し日に焼けたヒカリの元気の良い声が、教室の隅々まで届く。

「みなさん、おはようございます。 修学旅行は、大変有意義なものになったと思います。

 実行委員をしてくれた友達に感謝いたしましょう。 さて、ホームルームの前に、お知らせがあります。」

そう言うと、老教師は入口のドアに声を掛けた。

「…どうぞ、入ってらっしゃい。」

そして、シンジは開いたドアを見た。

一人の少女が、教壇の横に立つ。


「霧島マナです! よろしくね!」


ニッコリと人当たりの良さそうな笑顔で、茶色の髪の少女が挨拶した。








第三章 第十九話 「静止した闇の中で。」へ










To be continued...


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