ようこそ、最終使徒戦争へ。

第三章

第十九話 静止した暗闇の中で。

presented by SHOW2様


少女の家。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………駅。



物語の主人公たちが沖縄へ向けて出発した頃、一人の少女が駅のプラットフォームに降り立っていた。

彼女にとって、電車を乗り継ぐこと約3時間の旅路であった。 

”…プシュー”

まるで女の子が駅に降り立つのを待っていたかのように、

 彼女が電車から離れると直ぐに車両のドアが閉じて、車輪がゆっくりと回りだす。

「あ〜 やっと着いたぁ…」


”ミーンミンミンミン、ジィーー ミーンミンミンミンミン、ジーー”


人気のない駅のプラットホームに、蝉の声だけが大きかった。

ボストンバックを手にしている少女は、

 そんな駅のホームを見渡して出口の案内を確認すると、そこへ歩いていく。

彼女は、階段の降り口で足を止めて顔を上げると、眼前の街並みに少し目をやった。

(あれが第3新東京市か…)

改札を出た女の子は、待ち合わせの場所を書いたメモをバックから取り出した。

(えーと、西口を出てロータリーの左側のコンビニ…)

彼女が、キョロキョロと周りを見ると、その動きに合わせて茶色の髪が”サラサラ”と太陽の光に輝く。

(まだ、少し早いわね。)

少女は腕時計を見ると、ゆったりとした足取りでコンビニに向かった。



………ジオフロント。



特殊ケージのアンビリカルブリッジにいる整備部の主任が、腕を組んで顔を上げた。

元来、ケージとは究極の汎用人型決戦兵器である超巨大物体、

 人造人間エヴァンゲリオンを固定、拘束するために用意された設備である。

その設備に、今、異形の巨人が固定されようとしていた。

クリーム色の機体は、首のないヒトガタで、蛇腹構造の腕が下半身の膝部まで伸びている。

何も知らない人間から見れば、随分とバランスが悪く不格好な姿に映るだろう。

しかし、はるか高い照明設備に照らされたその姿は、使い込まれた道具の独特の空気と輝きを持っていた。

この巨人は、エヴァを実質的に保守・維持管理する整備部の人間に重宝の上に重宝されている機体である。

オレンジ色のツナギ姿の男が、バインダーを手に報告に来た。

「先輩、J.A.の固定作業が終了しました。」

「そうか。 御苦労さん。」

主任は、書類を受け取ると、そのまま用紙を数枚捲る。

「よし、作業前の状況に変化はないな。」

「はい、特にありません。」



………路上。



片側一車線で構成されているこの通りは、動かぬ車の長い列が出来ていた。

第3新東京市の交通システムは、スーパーコンピューターMAGIシステムで運用されている。

リアルタイムに変化する交通量を反映した最新鋭の予測プログラムやアルゴリズムを利用しているため、

 非常事態でなければ、この街で交通渋滞が起こることは非常に稀なことだった。

その珍しい事態に巻き込まれている乗用車の青年は、少しイライラしているのだろうか…

 ハンドルを握る彼の指は、少し早いビートを刻むように”トントン”と小刻みに動いていた。

自動車の時計を見れば、この車の列に並んで15分ほど経っている。

その間、彼の車が進んだ距離は、タイヤがわずかに2回転したくらいのものだった。

(余裕を持って出たんだけれど、その余裕はなくなっちゃったな。 …仕方がない、電話しよう。)

青年は、耳につけたイヤホンのスイッチを押した。

『…ピピッ』

彼は、携帯電話の反応を確認するとダイヤルしたい相手の名を呼んだ。

「コール…霧島、マナ。」

『ピピッ、プー、プー、プー…トゥルルル、トゥルルル…』



………ケージ。



『これより、リアクターの停止作業を開始します。』

マイクのスイッチを入れた女性スタッフの声が、ケージのスピーカーを震わせた。

作業状況を見る管制室には、多数のスタッフが忙しなく動いている。

「では、作業準備状況の最終確認をします。」

部下の報告を聞きながら、整備部の主任は隣に立つ整備部整備一課長の鈴原を見た。

「この点検の期間、大幅に電気代が増えるでしょうね、課長。」

「せやな。 まぁ…せやかて、J.A.がNERVに来る前に戻るだけや。

 EVAが増えた分は最初から予算化されておるからの。 ま、経理のヤツ等が泣くんは変わらんか…」

短髪の中年男性が言ったとおり、シンジがNERVに寄贈したJ.A.は、

 メンテナンス以外の平時、ジオフロントの常用発電機として利用されていた。

その電力量は、現在のジオフロントに必要な電力の半分を賄えるほどであった。

そして、今回の保守点検は、J.A.を完全に停止させての大掛かりなメンテナンス作業であった。

「準備完了を確認。 …主任、よろしいですか?」

オペレーターを務める部下が、画面を見ていた顔を上げて主任に確認する。

「ああ、始めてくれ。」

「了解。 最終停止作業、リストナンバー217番をスタート。」

鈴原は、自分の作成した作業手順どおりステップが進んでいく様を見る主任の横顔をちらりと見た。

自分から見れば、まだまだ若いと感じているこの男も、いつの間にか中堅どころとなっていた。


……短髪で角刈りの親方は、少し遠い目で彼と初めて会った過去を思い出した。


理系の大学を出て就職したばかりの彼は、道具の使い方すら知らない”ド素人”だった。

(…見当違いなことをしよっては、よぅ怒鳴り飛ばしたもんや。)

それが、実際の作業を現場で学び、気が付けば色々な仕事を任せられるようになっていた。

当時、係長であった鈴原ヒデユキは、その努力と実力を認めて、主任に昇格させるように上に報告したのだ。

その彼が、今回のJ.A.定期点検の責任者として作業に当たっている。

鈴原からすれば、手塩に掛けて育てた男の晴れ舞台を見るような心境だった。

「…では、課長。 私はJ.A.の様子を見にアンビリカルブリッジの方へ行ってきます。」

「ん、ああ、分かった。」

管制室を出ていく主任に、鈴原は言葉少なく答えた。



………コンビニ。



「お会計、345円になります。」

少女は、小銭入れから硬貨を取り出した。

「はい、500円お預かりします。 こちら155円のお釣りとレシートです。」

女の子は、コンビニの男性店員からお釣りを貰うと、買った商品の入った袋を受け取った。

「ありがとうございましたー」

彼女は外に出ると、さっそく袋の中からペットボトルを取り出してキャップを開けた。

「ゴクッ…ゴクッ…プハァ!」

”ピリリリ…ピリリリ…ピリリリ…”

「ん…」

少女は、ポケットの中で震え出した携帯電話を手にした。

「はい、もしもし?」

『…おはよう、マナ。』

「土井さん、もうお昼です、お早うはないんじゃないですか? それにもう待ち合わせの時間ですよ?」

『すまない、渋滞にハマっちゃってね。』

マサルの言葉に重なるように、マナの携帯から救急車のサイレンの音と救急隊員の怒鳴り声が聞こえた。


”ウゥゥーー!! 救急車が対向車線を走ります!! 救急車が対向車線を走ります!!”


『…どうやら交通事故か、急病人かな? …どちらにしても今は動けないから、

 しばらく喫茶店かどこかで時間をつぶしておいてくれ、な?』

「えー」

女の子の眉は見事な”ハの字”になった。

『あのなぁ、別に”そこ”で待っててくれてもいいんだぞ?』

アスファルトに陽炎が揺らぐほどのよい天気。 少女が待つここには、日除けになる樹木すらない。

「…う、分かりました。 喫茶店のお代は、もちろん土井さんの奢りですね?」

『ははっ…ああ、分かってるよ。 でも、あんまり高いもん頼むなよ。』

「分かってますよ♪ じゃ、ロータリーの近くの喫茶店で待ってますから。」

『了解。 じゃあ、切るぞ。』

マナは、携帯を仕舞うと、ハンカチを取り出し顔の汗を拭って歩き出した。

少女が降りたこの街は、少し高台に位置している。 少し開けた場所から第3新東京市の中心部が見渡せた。

(ここは普通の郊外都市って感じだけれど、中心の方は結構大きなビルが建ってるんだ。)

彼女は歩きながら、今日から住むこの対使徒迎撃要塞都市である第3新東京市を繁々と見詰めた。

(そう言えば、土井さんは準備があるからって先にここに来てたけれど…何の準備が必要だったんだろう?)

マナはそんなことを思いながら、コンビニの反対側にあった喫茶店のドアノブに手をかけた。

”からん、からん…”

ドアにつけられた鐘が揺れると、若い女性店員が明るい声で迎えてくれた。

「いらっしゃいませー」

茶色の髪の少女は案内された窓際の席に腰掛けると、ストレートティを注文して上司の到着を待った。



………発令所。



「センパイ、予定どおりJ.A.のリアクターが停止に入りました。」

内線電話を切ったマヤが、斜め後ろに立っている金髪の女性に報告した。

いつもの白衣を羽織っているリツコは、正面のモニターを見ながら報告された整備部の予定を思い出す。

「今日から1週間だったかしら、整備部が提出したスケジュールは…」

「はい、そうです。 今回の分解整備作業は1週間休まず行われる予定になっています。」

ショートカットの女性オペレーターは、キーを叩いてファイルを確認した。

「その間、弐号機の修復作業は、私たち技術開発部が引き続き行います。

 また、進捗及び作業状況は昨日までに実務レベルで引き継ぎを終了しています。」

「そう。」

コーヒーを一口飲んだリツコは、マヤの開いたファイルに目をやった。

その画面には、サンダルフォン戦でズタボロになってしまったエヴァンゲリオン弐号機が表示されていた。

「素体の予備パーツも、これでなくなってしまうわね。 再生産を急がせなきゃいけないわ。」

「はい、現在、アメリカ支部よりパーツを輸送する手続きを行っています。」

マヤの報告を聞きながら、リツコは手にしていたコーヒーを再び飲んだ。

「ふぅ。 …これで、参号機と四号機のロールアウトは、だいぶ遅れてしまうわね。」

「…そうですね。 でも、未だ新しいパイロットが選出されていない予備機なんですから、

 本部の運営が優先されるのは仕方がないと思います。」

彼女らしい実にまっすぐな意見だ、とリツコは少し口元が緩んだ。

「ふふっ…ま、とかく大人の社会では、そう簡単にはいかないものなのよ、マヤ。」

金髪の女性が言ったとおり、弐号機の損傷状態は当初想定されていた以上のもので、

 修復に使用される生体部品は、ドイツから本部に輸送されていたストックを使い果たすほどであった。

その為、これからの使徒戦を考慮し、

 損傷しやすい部位、例えば手足などのパーツをアメリカ支部から最優先で輸送する事と決定された。

その本部に送るためのパーツは、完成間近の参号機、四号機を解体する、という少々乱暴な方法であった。

しかし、これは仕方のないことだった。

エヴァの建造、運営は莫大なコストを必要とするし、

 その中でも特に生体部品の生産は、時間も金も掛かるのである。

コーヒーカップを置いたリツコは、静かに、しかし大きな溜息を吐いた。



………喫茶店。



マサルが喫茶店に入ってきたのは、彼女が注文したストレートティを飲み干し、

 お昼のランチセットを平らげてデザートも食し、さらに追加のケーキを注文しようとした時だった。

マナが喫茶店に入ってから、すでに40分近く経っている。

「だいぶ待たせたね。 すまなかった、マナ。」

青色のポロシャツの青年は、少女の目の前のイスを引いて座りながら謝った。

「あ、ご馳走さまです、土井さん。」

メニューを手にしたまま”ペコリ”と頭を下げたマナは、そのまま店員に注文した。

「あのぉ〜すみませぇん! ココアミルクレープを追加で!」

カウンターにいる女性店員の”はい、お待ちください”という返事を聞きながら、マサルは伝票を手にした。

「げっ! なんだぁ!? 結構食べたな… って、これ一番高いランチセットじゃないか…」

喫茶店の入り口の甲板に書かれていたランチセットのメニュー。

その中でも特に目立つように書かれていたのが、マナが頼んだランチセットだった。

「あはははっ おいしかったですよ。 あ、土井さん、お昼まだですよね? それ、お勧めです。」

マナは、しれっとした顔でマサルに言った。

「…はぁー」

少女に何かを言おうとした青年は、諦めたように大きな溜息を吐いた。

「お待たせいたしました。 ココアミルクレープです。」

「すみません、この娘(こ)と同じランチセットを。」

「はい、畏まりました。」

どうせ払うなら、と覚悟を決めたのか…マサルはケーキを運んできた女性店員に、

 マナが食べた特上のステーキランチセットを頼んだ。

「…で、土井さん…」

少女が再び口を開いたのは、一切れのケーキを胃に納めてからだった。

「事前の準備って何ですか?」

「向こうさんに呼ばれてね。」

「向こうさんって、NERVですか?」

「ああ、そうだよ。」

「ふ〜ん…」

「どうした?」

「いえ、私だけ何もしなくていいのかなって、ちょっと思っただけです。」

マナの言うとおり、今回戦自研からNERVに出向する他のメンバーは色々な準備に忙しそうにしていた。

「いいんだよ。」

マサルがそう答えた時、女性店員がジュージューと音を出すステーキプレートを運んできた。

「お待たせいたしました。 ステーキランチセットです。」

マナは、マサルが食べ始めると、

 少し温くなったデザートセットのコーヒーを静かに飲んで、窓の景色をぼんやりと眺めた。



「じゃ、いくか。」

ランチを完食したマサルは、

 紙ナプキンで口元を拭うと、食後のコーヒーを飲み干し伝票を手に立ちあがった。

「あ、待ってくださいよぉ…」

窓の外をボケっと見ていた少女は、慌ててボストンバックを手にして彼の後ろを追うように立った。

クーラーの効いていた喫茶店から外へ出ると、相変わらず蒸し蒸しとした暑さが身体を包み込む。

マサルは、乗用車を停めたコインパーキングの清算をすると、ドアのロックを解除した。

そして、助手席に座ったマナがシートベルトを掛けたのを確認すると、車のブレーキを解除する。

マサルは、車道を走りだすと車の窓を全開にした。

乗用車のスピードが上がると、大量の空気が車内に入ってくる。

その吹き抜ける風で少女の髪が激しく踊った。

自然の風とは違うが、それでも涼をもたらす空気の流れに、マナは気持ち良さそうに目を細めていた。



………マンション。



「うわ〜 大きなマンションですねぇ♪」

「そうだな。」

NERVが用意してくれたマンションのエントランスを見たマナは、予想以上の豪華さに目を大きくした。

マサルは、奥のエレベーターの上ボタンを押して振り返る。

「ほら、行くぞ、マナ?」

「あ、はい。」

土井マサルは、少女が乗り込むと15階のボタンを押した。

「私の部屋、15階なんですか?」

「そうだよ。」

静かに昇っていく箱の中、茶色の髪の少女は、エレベーターのガラスから外を眺めていた。

しばらくすると、”チンッ”と目的のフロアに到着したことを知らせるベルが鳴った。

降りて廊下を進む男の後ろについて歩くと、突き当りで彼が止まる。

そして、カギであるIDカードを取り出すと、おもむろにドアのロックを解除した。

”カチャ”

「ま、カードがなくても設定した指紋を認証すればロックは解除できるんだけどね。」

「指紋認証は、偽造されやすいから使わないってことですか?」

「このカードは、NERVから支給されたもので、かなり凝ったシロモノだから偽造は難しいってことさ。」

さ、入って、と男に促された茶色い髪の少女は、玄関で靴を脱いで部屋に入った。

「うわぁ、広いですね〜」

マナは、ソファーにボストンバックを投げると、ご機嫌そうにリビングを見て回った。

「どうだい? 気に入ったかい?」

「はい♪ とっても♪」

「そりゃよかった。 じゃ、君の部屋は、奥の右だから。」

「は? …ぇ?」

男の言葉が、よく理解できなかったのか、彼に振り向いたマナの動きが止まった。

「ああ、安心してくれ。 マナの部屋はちゃんと鍵がかけられるから。」

笑顔で言うマサル。 その意味を理解したマナの目が、カッと大きくなった。

「え? って、ここは…私の部屋ですよね?」

マナの声は、確認するように噛み砕いた口調だった。

「ああ、そうだよ。 ここは君の家で、君の部屋はそっちの奥だよ。」

変わらぬ笑顔のマサルは、リビングから続く廊下を指差した。

「え? じゃ、誰かと一緒ってことですか?」

「ああ、僕と一緒だよ。」

「え、…ええぇぇぇえ!!」

マナの絶叫がリビングに響き渡る。

耳を押さえたマサルは、目をこれでもかと大きくしている少女に言った。

「あ、当り前だろう。 今の僕は、親御さんの許可をいただいて、マナの保護者として登録されているんだ。

 で、その手続きとか、中学校への編入の準備とかをしていたんだから。」

まったく、何を言っているんだ…という顔の男を見たマナは、盛大に肩を落とした。

「土井さんが、保護者ですか?」

「さっきからそう言っているだろう?」

「そんなぁ。」

「否か?」

「だって、土井さん、男じゃないですか…」

「そうだよ。」

マナは、胸を隠すように腕を組んだ。

「こんなうら若き美少女と一つ屋根の下。 その穢れなき少女の肢体に忍び寄る溜めに溜めた男の欲望…」

目を閉じて、その腕で自分を抱きしめるようにくねらせる彼女を見たマサルは、たらりと汗をかいた。

「お、おい…」

少女の怪しげなダンスを止めようと、

 彼は手を差し出すように伸ばしたが、彼女は自分の世界にトリップしたままで気付くことはなかった。

「ああ、若い男の毒牙が〜静かにぃ静かに忍び寄るぅ〜」

ため息のマサルは、手近にあった紙を丸めて、茶色の頭を軽く叩いた。

”ぱこっ”

「あいてっ」

「いい加減にしろ、まったく。」

男は、呆れた顔で言葉を続けた。

「マナ、中学校の制服と教材は君の部屋に用意されている。 不足がないかチェックしてくれ。」

「はぁ…」

「ん?」

「はいはぁーい。」

返事はふざけているが、彼女の顔は真面目に戻っている。 それを見て、マサルはスケジュールを通達した。

「それで…えーと、学校は来週からだ。」

「月曜日からですね? 了解しました。」

マナは、笑顔と敬礼を男に返して、自分の部屋へ入って行った。



……そして、今。



「…どうぞ、入ってらっしゃい。」

第3新東京市立第壱中学校に、晴天だと主張する太陽の光が眩しいほど降り注いでいる。

静かに口を開いた2−A組の担任である老教師も、先の修学旅行で少し日に焼け、肌が浅黒かった。

その教師が、黒板側のドアを見て口を開いた言葉が、先ほどの”どうぞ、入ってらっしゃい”だった。

(え? 転校生?)

シンジは、真紅の瞳をクラスの生徒が注目するドアに向けた。

何も聞かされていない白銀の少年の表情は、少し訝しげであった。

なぜならば、この2年A組は特別であり、簡単に編入することは出来ないクラスだったからだ。

表向きには、首都として遷都が決定された街だから、当然、この地へ引っ越してくる人も沢山いるだろう。

しかし、だからと言って、この教室へ転入することは通常では不可能と言える。

それは、ゼーレとNERVのトップが操る組織、マルドゥック機関が管理しているからだ。

その組織は、優秀な諜報機関が調べても、

 数多くのダミー会社を利用して巧妙に隠されており、実態を完全に把握することは困難を極めるだろう。

怪しげな裏社会の臭いがする組織に管理されているとは、

 ごく一部の人間しか知らない事ではあるが、その特別なクラスに転入生が現れた。

そして、カバンに仕舞っていたPDAと紅い皮の本から情報が齎されたのは、ほぼ同時だった。

『マスター、霧島様です。』

『おにいちゃん、マナちゃんだよ。』

(霧島、マナ? 戦自から?)

久しぶりの名前に過去を思い出しながらドアを見ていると、それは前史と同じように勢い良く開け放たれた。

”ガラッ!”

少年の記憶と瞳にダブる、第壱中学の制服姿の少女。 

彼女の髪の毛はブラウンで、少し大きめの瞳はお茶目な性格を表すように悪戯っぽく笑っている。

彼女は、教室中の視線を浴びながら老教師の立つ教壇の横に歩いた。

そして、胸にスゥと一つ息を吸い込んで、その空気を言葉にして吐き出す。

「霧島マナです!」

その勢いのままお辞儀をして茶色の頭を持ち上げると、ニッコリと人当たりの良さそうな笑顔を振りまいた。

「…よろしくね♪」


「「「「おおーー!!」」」


その笑顔にクラスの男子が歓声を上げる。

何かを探すように教室の端から端まで動いていたマナの瞳が、白銀の少年を捉えた。

「…あ♪ たいちょー!」

ぶんぶんと元気よく手を振って挨拶をしている少女に、シンジは”タラリ”と冷や汗をかいた。

(ちょ、ま、マナ…隊長はまずいでしょ…)

「えー、霧島さん。 あなたの席は、あそこになります。」

教室中の視線が白銀の少年に集まる中、老教師が指差したのは、メガネの少年の横だった。

「あ、はい。 了解です、先生。」

ビシッと敬礼したマナは、

 これから過ごす学校生活への期待と興奮で、普通の女の子と軍隊口調が混ぜこぜになっていた。

そんな彼女を見たシンジは、軽く溜息をついてドーラに一つの頼み事をした。

『ドーラ、姉さんに問い合わせをして。 霧島マナについて…どうして彼女が転入してきたのかを。』

そして、その波動を感じながら、レイは透明感のある深紅の瞳を静かにマナに向けていた。



………リニアトレイン。



一方、その頃。

霧島マナの上官である土井マサルと戦自研から出向してきた大人たちは、リニアトレインに乗っていた。

「所長、大丈夫ですかね、彼女。」

隣に座っている部下が、少し心配そうな顔で聞いてきた。

「うん? 大丈夫? …それは仕事の成果に対してか? それとも、学生生活に対してか?」

「う〜ん…どちらかと言えば、学生生活のほうですかね〜」

今回選抜された出向メンバーは、マサルを含めてマナに近しい者たちばかりだった。

だから、彼女が幼い頃から国連軍に所属し、特殊な環境で育ってきた事を知っている。

大人が求める知識、技能に関しては、間違いなく超一流だろう。

今朝、中学校へ登校するマナを見送った彼らは、彼女の嬉しそうな顔を思い出した。

「同年代の子供に接するのは、何年ぶりなんだっけ?」

「確か、マナが国連のプログラムに参加したのは、彼女が小学校三年生の時でしたよね…」

「小学校以来か…」

マサルがそう呟いた時、終点の駅に近づいたリニアトレインが減速を始めた。



………2−A。



隣に転校生が座った。

それを相田ケンスケは、顔を正面に固定したまま視界の端で感じていた。

彼は転校生を見て、彼女の笑顔が網膜に焼き付いたかのように脳裏で何度も再生を繰り返していた。

『…霧島マナです! よろしくね♪』

(かわいい…)

「? …あの、よろしくね?」

隣から、脳内で再生していた転校生の”本当の声”が聞こえると、ケンスケはギクッと顔を動かした。

「あ、え、えと…」

慌てた様子で反応した眼鏡の少年に、マナはニコリと笑顔になった。

「霧島、マナだよ。 えっと?」

「…! あ、お、俺は、相田ケンスケ…」

「相田君って言うんだ。 よろしくね♪」

「あ、ああ。」

ケンスケは、どこか惚けた様子で、彼女を見ていた。


……1時間目が終わると、霧島マナの席には女の子を中心に生徒たちの輪が出来ていた。


最初に声を掛けたのは、お下げの少女だった、

「初めまして、霧島さん。 私、洞木ヒカリ。 このクラスの学級委員をしているの、よろしくね。」

「あ、初めまして、洞木さん。 霧島マナです。 よろしくね♪」

「ねぇねぇ、霧島さん。 霧島さんって、碇くんと知り合いなの?」

女子の輪からみんなの関心事が質問される。

「そーそー …最初に言ってた、”たいちょー”って、何?」

「へ? え!? あ! …え、と…」

マナは、この質問で自分の失言に初めて気が付いた。

(あちゃー。 私、”隊長”って呼んじゃったんだ。 どうしよう…)

「…マナは、前に住んでいた街で小学校からの友達でね。

 僕は、彼女に小さい頃から隊長って呼ばれていたんだ。」

フォローしてくれた懐かしい少年の声に、少し困っていた茶色い髪の少女の顔が、嬉しそうに変化する。

そして、彼女は声の方に向って勢い良く立ち上がった。 

「お久しぶり、シンジ君!!」

「ええ、そうね。 マナ。」

しかし、その動きを制したのは少年ではなく、鈴が転がるような澄んだ少女の声。

「…あぅ。」

聞き覚えのある声に、動きを止められたマナは大きめの瞳をゆっくりと動かす。

「久しぶりね、マナ。」

その声の主は、シンジの横に立っていた蒼銀の少女だった。

「…ぁ、綾波さん。 お、お久しぶり。」

マナに一歩近づいたシンジは、かつて部下であった少女に笑顔を向けた。

「久しぶりだね。 元気だった? マナ?」

「あ、はい! 元気でした!」

行き成り姿勢を正してへんな敬語を使った少女に、ボケっと見ていたクラスメートが小さく笑いだした。

「あ…」

「これから、よろしくね?」

少し赤くなったマナは、少年から差し出された手を嬉しそうに握り返した。

「モチロンだよ♪」

シンジと仲良さそうに握手をする少女を羨ましそうに見る視線の中に、

 それよりも熱の入った目を向けている少年がいた。

(碇と知り合い? ってことは…)

ケンスケの眼鏡がキラリと光った。

「あ! …あのさ、碇?」

「ん、どうしたの? ケンスケ?」

ガタッと立ち上がった茶色のくせっ毛の少年は、右手の中指でメガネを掛け直した。

「き、霧島さんにさ…俺らで、昼休みにでも学校の案内をしてあげようぜ?」

「うん、そうだね。」

シンジは、それもそうだ、と首を縦に動かしながら返事をする。

「え!? 案内してくれるの? ありがとう!」

マナは、人懐っこそうな笑顔をケンスケに向けた。

(う、かわいい…)

メガネの少年は、努めて平静を装って軽くかぶりを振った。

「いやいや、碇は俺の友達だし、霧島さんは碇の知り合いみたいだし…そんなの当然だよ。 な、碇?」

「うん。 …じゃ、昼休み、ご飯を食べたら、学校の施設を案内するよ。」

シンジの声を聞きながら席に座ったケンスケは、

 内心の緊張をクラスメートに悟られなかったことに安堵した。

手には、じっとりと汗をかいている。

(ふぅ。 緊張した…)

ケンスケは、ノートパソコンに目をやり、耳と意識を茶色の髪の少女を囲む集団に向けた。



………ゲート。



「ようこそ、特務機関NERVへ。」

金髪の女性は、ジオフロントに続くゲートの前で彼らを待っていた。

「お世話になります。 土井マサル一佐です。」

集団の先頭の男が敬礼すると、後ろに続いていた男たちも一斉に敬礼する。

「えっと、失礼します。 これからIDカードを配ります。 本部内では、これを常時携帯してください。」

金髪の女性の横にいたショートカットの女性、伊吹マヤが一人一人にそれぞれのカードを手渡していく。

配り終えるまで待っていたリツコが最低限の説明をする。

「NERV本部の移動、設備の利用は、基本的にそのIDカードがなければ出来ません。

 そして、そのカードで許可されたレベル以上の施設には、立ち入る事は許されません。

 また施設、機器の使用履歴は当然記録されているとご理解ください。」

マヤが戻ってくると、リツコはゲートに身体を向ける。

「では、案内しますわ。」

白衣の女性がスリットにカードを通すと、金属製のゲートが上下に分割しながら開く。

マサルたちは、今渡されたカードを使い、ジオフロントへと移動を始めた。



………昼休み。



ここしばらく続いている晴天の中でも、今日は特に日差しが強い。

そんなギラギラと輝く太陽が照りつける屋上に当然ながらと言えばいいのか、人影はなかった。

誰だって蒸し返るような、そんな場所で昼を摂るよりは教室の方がいいと思うだろうが、

 実際に来てみれば、屋上は優しく吹き続ける涼やかな風のお陰で意外と心地良い空間であった。

それを知る生徒が屋上に現れる。

「相変わらず、僕ら以外はだれもいないね。」

少年は、いつも通りの場所に無造作に座り込んだ。

その隣に座った少女は、カバンから大き目のお弁当箱を取り出して彼に箸を渡す。

「…碇君、食べましょう。」

「ありがとう、綾波。」

「おお、相変わらず美味そうやなぁ。」

「そう? ふふっ…ありがと。」

彼氏であるジャージ姿の少年の言葉に、少し雀斑の残るお下げの少女の頬が紅くなった。

現在、ここにいるメンバーは、シンジ、レイ、ヒカリ、トウジだけである。

ケンスケは、弁当を持参してこなかったマナに購買部を案内している。

そして、寝坊したのか…今日は珍しく昼食を持参してこなかったアスカも、その後ろに付いて行った。

シンジは、自分のカバンに入れていた水筒を取り出すと、保冷されている紅茶をカップに注いだ。

「はい、綾波。」

「ありがとう。 …こくんっ はい…」

少女は、カップを受け取ると一口飲んで、彼に返した。

白銀の少年は、そのまま残っていた冷たい紅茶を飲み干した。

とても自然な流れの間接キス。

目の前でそれ見た鈴原・洞木カップルは、ごく日常のことなのでこれ位では騒がなくなっていた。

以前のヒカリであれば、不潔! と非難したかもしれないが、今の彼女の瞳には一種の憧れの色さえあった。

(あんな自然に…いいなぁ。)

箸を止めた彼女を見たトウジは、んっ? と少し急いだように口の中のモノを嚥下した。

「ごくんっ 何や? どうしたんや?」

「え!? う、ううん。 何でもないわ。」

そう言うと、ヒカリはプラスチックのカップに冷たいほうじ茶を注いで、彼に手渡した。

「…はい、鈴原。」

「お、すまんの、イインチョ。」

”ガチャ!”

金属製の扉が開くと、茶色い髪の少女たちが戻ってくる。

「みんなっ♪ おっ待たせぇ!」

元気なマナの声に振り向いて応えたのは、背中を見せているトウジだった。

「おう! 先に食っとるで!」

「…ぁん。」

シンジは、ちょうどレイからおかずを貰った処だった。

甲斐甲斐しく世話をしている彼女のピンク色のフォークは、現在、彼の口の中であった。

「うわあぁ!!」

それに驚いたのは、一人の少女。 他のメンツは、いたって気にしていない。

「いたっ! ちょっと、そんなトコで急に立ち止まらないでよ!」

急停止したマナの背中にぶつかってしまったアスカは、迷惑千万といった顔でヒカリの横に腰を下した。

「知らないなら言っておくけどね、アンタ…アイツ等のこと、あんくらいで驚いてたら身が持たないわよ!」

レイは特に気にせず、彼の口からフォークを優しく引き抜いて、自分の食べる卵焼きに手を動かした。

「き、霧島さん。 取り敢えず座ろうよ。」

マナは、横から聞こえてきたケンスケの声で、固まっていた意識が動き出す。

「あ、え、あ、う、うん。」

彼女は、メガネの少年に促されるまま、シンジの近くに座った。

「ほぉ言えば…霧島は、センセの知合いやっちゅうてたな… 前の街ってどんなとこなんや?」

食べながら喋るという少し行儀が悪い少年の何気ない質問は、本人が驚くほどの注目を浴びることになる。

気付いていないのか? 知らないのか? という視線に戸惑うトウジ。

「な、なんや?」

ジャージの問いに答えたのはシンジだった。

「トウジ、前に太平洋で国連海軍の空母に乗った時のこと、覚えてない?」

「へ…ああ、センセが海の怪獣をやっつけた時のことでっか?」

「うん、その時に詳しく話さなかったけれど、僕はこの街に来る前は、国連軍に所属していたんだ。」

「あー、そう言えばセンセと綾波は軍人さんのような格好しとったような…」

ジャージの少年は眉にしわを寄せて、少し前のことを思い出した。

「そして、その時に一緒に戦ってくれていた仲間だったのが、綾波とマナだよ。」

トウジは、シンジの話に自然と箸を止めて黙って聞いている。

「軍隊、という特殊な環境で生活していたけれど…マナは間違いなく僕の仲間であり友人なんだよ。」

(うう…友人…)

シンジはあまり意識していないが、マナは彼の口から友という言葉が出てくる度に顔を下に向けていった。

「そ、そうなんでっか…」

改めてシンジが自分と同じ歳だとは信じられないトウジであったが、

 この話を自分以外の誰も驚いていないのにふと気が付いた。

「み、みんな、驚かんのか?」

「あたしは知ってたわよ。」

ハンッ、詰らない話…という顔のまま、先ほど買ってきたパンを口に頬張るアスカ。

「…私は、前に碇君のお見舞いに行った時に聞いたの。 てっきり鈴原は知っていると思っていたけれど…」

学級委員長はどこか気遣うような表情になると、少し迷っていた箸を自信作であるキンピラごぼうに向けた。

「俺は、碇と一緒に軍事演習をしたことがあるんだぜ!」

いいだろう、へへへ…と無邪気に笑う少年のメガネが怪しく輝いている。

「そ、そうなんか。」

「ごめん。 トウジには詳しく話す切っ掛けがなくてね。 余り大きな声で言うことじゃないし…」

白銀の少年の言葉は、最後まで言えなかった。

「いや、センセ…ワシは別に気にしていまへん。 センセには、センセの都合があるんでっしゃろ…」

トウジは、ヒカリお手製のお弁当に残っているおにぎりに手を伸ばしながらマナを見た。

「ほな、霧島は今も国連軍なんか?」

(う…)

その言葉に、マナはパンを包むビニール袋を開ける手が少し強張った。

「あ、え、と。」

彼女が口澱むのを見たシンジが、少女の代わりに答えた。

「トウジ、マナは今、国連から戦略自衛隊に出向しているんだ。」

その単語に、ケンスケは純粋な興味を持った。

「戦略自衛隊? …へぇ、戦自か。 …でも、戦自に出向したのに、何でまた第3新東京市に?」

「え、そ、それは…」

白銀の少年は、マナが答える前に口を動かした。

「戦自、と言ってもマナが所属するのは技術研究所なんだ。

 で、今回、その戦自の研究者たちをNERVに招集したんだよ。」

「なんで戦自を?」

ケンスケはネットなどの情報で、戦自とNERVは仲が良くないと認識している。

「それだけ、あの怪獣が脅威だって判断したんじゃないかな。」

シンジの話に、ケンスケは神妙な顔になった。

「もはや形振り構っていられないって事か…」

実際には、NERVが戦自を招集したのではないが、こう説明しておけばケンスケも納得するだろう。

そう考えたシンジの読みは当たり、メガネの少年はそれ以上何も聞くことはなかった。

マナは、一々説明してくれた白銀の少年に感謝した。

自分が説明すれば、まだまだ質問攻めになっていたかもしれない。

茶色い髪の少女はそんな事を思いながら、先ほど購買部で購入したカレーパンを口に頬張った。



………NERV本部、第3会議室。



最大で50人ほどが利用できる少し広めの会議室。

リツコを筆頭としたNERVの技術開発部の人間と、先ほど着任したマサルたちが椅子に座っている。

この部屋で、事前に取り交わしたいくつかの約束事の最終確認が行われるようだ。

金髪の女性が、全ての資料が配られたのを確認して口を開く。

「それでは、配布した資料を基に説明と確認を行います。」

その言葉に、事務局を務めているマヤが資料を手に説明を始めた。

「はい、まず、戦略自衛隊の職員の扱いについてですが、事前にお話ししたように、

 NERV本部に属する期間、戦略自衛隊の方々の階級は凍結とさせていただきます。

 これは、対使徒戦の戦闘中などに想定される命令系統の混乱を回避させるための処置です。」

マサルが書面の文を確認して頷くのを見たショートカットの女性は、そのまま言葉を続けた。

「…えっと、ですので、あなた方の身分は国連組織の技官として統一させていただきます。」

「はい、了解しています。」

戦自の代表者である男は、小さく首を縦に動かして了承を告げる。

その後、細かい内容を含めたこの説明会は、3時間ほどの時間を必要とした。





静寂を破る鐘。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………郊外。



一滴の滴が、加持リョウジの頬を静かに垂れる。

「…本気ですか?」

だらしない姿のこの男の発した言葉には、珍しくも戸惑いの色があった。

耳に入ってきたオーダー、この命令の意味が分からない。

(これも人類補完計画の一部ということなのか?)

『加持リョウジ…』

「…はい。」

『我々に必要なのは、忠実に任務をこなすエージェントだ。』

通話の相手は、自分の戸惑いや解説を期待した問いかけにも反応してくれなかった。

しかも、やけに耳に残るこの老人の有無を言わせぬ声は、暗に自分の裏切りを示唆している。

そして、2度目のお目こぼし、寛大なる慈悲はない…というニュアンスも十分に理解できた。

(使えないと判断されれば、俺の命はないか…)

「…分かりました。 すべては仰せのままに。」

『では、以上だ。』

”ブッ!”

秘匿回線を使用した通話。 一方的に切られた携帯電話を見るリョウジの瞳の色は、どんよりと暗かった。

(この件は、碇司令に知らせることは出来ないな。 …下手な妨害を受ければ、俺の命がない…)

「…ふう。」

男は先ほどの指示を思い出すと、力なく青い空を見上げた。



………男のため息から3日後の放課後。



転入から3日経ったマナは、

 シンジたちのグループに入った、と第3新東京市立第壱中学校の2年生たちに認識されていた。

本人たちに自覚はないが、この学校で一番目立つグループである。

茶色の髪の少女は、手早く帰り支度を済ませると、軽いステップを踏むように目的地に接近した。

「ねぇねぇ、シンジ君♪」

本日の授業は午前中で終わりである。 

数冊の教科書をカバンに仕舞っていたシンジが顔を上げると、ニコリと微笑んでいる少女が立っていた。

「ん、なに?」

「私、引っ越してきたばかりだからこの街のこと、良く分からなの…」

机の前に立っているカバンを後ろ手に持った茶色の髪の少女の言葉は、甘えるような声色だ。

「…だから、いろいろ案内してくれると、助かるな〜」

少し俯いて上目遣いの彼女の瞳。

普通の男子であれば、胸がときめくだろうその愛らしい仕草も、特に白銀の少年は気が付かない。

「あ、そっか。 うん、別にいいけれど…」

その遣り取りを見ていた黒いジャージの少年の瞳がキラリと輝いた。

「お、ちゅーことは! …センセ、今日は珍しくNERVに行かないんか?」

「え? あ、うん、今日はね。」

「ほう! せやったら、霧島の案内はワシらと街で遊びながら、ちゅうのはどないでっしゃろ?」

トウジの提案に、間を置かずケンスケが飛びついてくる。

「そうだよ、碇。 ちょうどいいじゃないか。 最近、俺らと遊んでないんだし…」

シンジは立ち上がって、隣の席を見た。

「よし、じゃ、マナの案内はみんなで遊びながらってことにしようか、綾波?」

「ええ、分かったわ。」

トウジを見ていたヒカリは、少し慌てたように話に加わった。

「あ、綾波さん、私も付いて行っていいかしら?」

「…ええ、もちろん構わないわ。」

「あ! ね、アスカも行きましょうよ?」

お下げの少女は振り返って、カバンを手にした紅茶色の髪の少女に声をかける。

その誘いに、動きを止めたアスカは少し逡巡してから返事をした。

「う〜ん、ま…今日は特に予定ないから、別にいいけど。」

「よし、決まりだな。 じゃ、さっそく行こうぜ!」

ケンスケを先頭に、シンジとレイは教室を出た。



………昼下がり。



”ガコッ!”

青葉シゲルが、自販機から缶コーヒーを取り出して顔を上げると、歩道に小さな子供たちが遊んでいた。

「まってよー!」

「やーだよー」

鬼ごっこだろうか…じゃれ合いながら元気に駆けっていく。

その子たちを見るロンゲの青年は、平和な日常の光景に思わず目元を緩めた。

(これだよ… やっぱ、平和が一番だな。)

”プシュッ!”

そう思いながら開けた缶コーヒーに口を付けると、自動ドアが開いた。

”…ウィィン”

「まったく、クリーニング代も馬鹿にならないわ。」

金髪の女性の愚痴に、ショートカットの女性が相槌を打つ。

「早く直るといいですね、クリーニングルーム…」

マヤは、抱くように持っている大きな紙袋の中、自分の洗濯物を見ると小さくため息をついた。

NERV本部に用意されているクリーニングルームは、先週から排水系のトラブルで使用が禁止されていた。

コインランドリーから出てきた二人を見て、シゲルが言う。

「しかし、珍しいですよね… 俺ら全員が遅番だなんて…」

リツコが、シゲルの言葉に少し困ったような表情になった。

「そうね…」

少し眉根を寄せた上司に、部下であるマヤが大きく頷いた。

「珍しいって言うより、初めてじゃないですか? 私もシフト表を見て少し驚いちゃいました。」

「あなた達メインのオペが三人とも遅番だなんて、

 勤務シフトを組むソフトの見直しが必要かも知れないわね。」

リツコはそう言いながら、リニアトレインの駅に向かって歩き始めた。



………NERV本部。



「…あっ、今日だったっけ…」

ふと思い出した事に、ミサトは自身の執務室で書類整理をしていた顔を上げた。

そして、胸ポケットの携帯を手にすると、おもむろにダイヤルする。

『…はい、日向です。』

電話先の男性は、作戦課長である女性の期待どおりワンコールも待たせず電話に出てくれた。

「あ、ごめん、日向君。 今、電話大丈夫?」

『お疲れ様です、葛城さん。 ええ、大丈夫ですよ。』

「あのさ、悪いんだけど、お願いがあるのぉ… 頼まれてくれる?」

『はい、別にいいですけど…何でしょうか?』

「実は、クリーニングに出している制服、今日出来上がってるの。 んでね…」

有能な部下は、上司の願いを察すると、彼女の言葉を先んじて答えた。

『分かりました。 引き取りに行けばいいんですね? で、どこのクリーニング店ですか?』

「へへ…ありがと、助かったわ♪ 場所はね…」

必要な事を伝え終わったミサトは、上機嫌に電話を切った。



………路上。



電話を仕舞ったマコトは、小さくため息をついた。 彼の目の前には、NERV本部へ通じるゲートがある。

生真面目な彼は勤務時間のかなり前であるが、すでにNERV本部前にいたのだ。

(今から、中心街までか…急がないと、遅刻するかもしれないな。)

腕時計に目をやった眼鏡の男性の耳に、バスの発車を知らせるブザーが聞こえた。

”ビー!”

「あ、待って下さい! 乗りまーす!!」

彼は、出発時間になってエンジンをかけたバスに向かって慌てて走っていった。



………プラットホーム。



”プァァアン!!”

注意を促す警笛と共に、リニアトレインが駅に滑るように入ってきた。

静かに停車し、自動扉がスライドして開くと金髪の女性を先頭にマヤとシゲルが車内に足を進める。

「あら、副司令…お早うございます。」

その言葉と共に、リツコは初老の男性の横のシートに腰を沈めた。

「「あ、お早うございます!」」

オペレーターの二人は元気に挨拶をしたが、それは若干緊張した声色だった。

「ああ…おはよう。 と、言っても…もう昼に近いがね。」

コウゾウはニヒルな笑みと共に挨拶を返すと、手にしていた新聞に視線を戻した。

リニアトレインが出発すると、リツコは車窓に目をやりながら声をかける。

「珍しいですわね、リニアトレインを利用されるなんて…」

その問いかけに、紙面をめくりながら初老の男性は詰まらなそうな表情で答えた。

「碇の代わりに、上の街だよ。」

「…ああ、今日は評議会の定例でしたね。」

金髪の女性の言葉に、コウゾウは少し肩をすくめた。

「くだらん仕事だ。 碇め、昔から雑務はみんな私に押しつけおって…」

リツコは、昔からの二人を知っているので、少しだけ苦笑して話題をずらす。

「…そう言えば、市議選が近いですわよね、上は。」

「ふん、市議会は形骸に過ぎんよ。 ここの市政は事実上、MAGIがやっとるのだからな。」

「ふふっ、ええ、そうですわね。」

笑を零した誇らしげな金髪の女性の言葉は、地下へと進む列車の騒音に掻き消された。

「そう言えば、零号機の実験だったかな、そっちは?」

「ええ、今日はEVA弐号機の補修作業を一時中断して、1300より第二次稼働延長試験を行いますわ。」

「そうか、朗報を期待しておるよ。」



………繁華街。



「へぇ〜 ここって賑やかだね!」

大きな通りの両側には、衣食住を満たす多種多様な店が連なっている。

そして、何よりも人で溢れていた。 

あらゆる物資が流れ込んでいる、という事の証明のような人間社会の熱気。

人通りが途切れることのない、その様を見た転入生の感嘆の言葉に、メガネの男の子が得意気な顔になる。

「そうだろ。 ここはこの街でも一番賑やかな場所なんだ!」

「へぇ〜 すごぉ〜い!」

マナの瞳には、高級そうなブティックや煌びやかな装飾品を取り扱うショップが映っている。

「それに、ここの地下街もかなり規模がでかいんだぜ!」

マナが、ケンスケの指さす方を見ると、地下に繋がる入口が見えた。

メガネをかけ直しながら少年は、みんなの先頭に立って元気な声を上げる。

「今日は、地下街のゲーセンにしようぜ!」

「そやな! あそこが一番デカイしのぉ!」

トウジはケンスケと意気揚々と地下街へと向かっていく。

シンジとレイはお互いを見て、小さく頷き合うと先に行ってしまった男の子達の後に続いた。

「あ、ったく…勝手に決めて… いーの? アンタは?」

転校生を案内する、という目的を忘れてしまったケンスケとトウジに呆れながら、アスカはマナに聞いた。

「え? あ、うん。 私、こっちは初めてだし。」

白銀の少年を悪戯っぽい瞳で追っていた少女は、適当に相槌を打って彼らを追いかけた。

「待ってよー シンジくーん!」

ヒカリもアスカを促した。

「みんな行っちゃうわよ? 私たちも行きましょうよ、アスカ。」

「分かったわよ。」

紅茶色の髪の少女は、小さく肩をすくめてお下げの少女の後に続いた。

集団の最後なってしまった彼女が階段を降りると、案内板の前でシンジがマナにこの場所の説明をしていた。

「…ここは、第5管区の4ブロック。 知っていると思うけれど…

 第3新東京市は非常事態になると、大きなブロック毎に隔壁が下りるようになっているから、

 その時は、アナウンスを良く聞いて近くのシェルターに移動するんだよ。」

「非常事態…使徒が現れたら…だね?」

「そうだよ。」

使徒、という単語にアスカの青い瞳が大きくなる。

「ちょ、ちょっとアンタ、何でそんなこと知っているのよ!」

「声が大きいわ。」

「あ…」

レイの咎めるような視線に、アスカは思わず口に手をやった。

「シト?」

「洞木さん、この街を襲ってくる怪獣のことをNERVではそう呼んでいるんだよ。

 でも、そう呼ばれていることは、内緒だからね?」

白銀の少年が片目を閉じて口に人差し指を当て、お下げの少女に言う。

「あ、ええ。 分かったわ。」

シンジを見たヒカリは、コクコクと小さく頷いて答えた。

「おーい、センセ、こっちや。」

しばらく経ってもやって来ない友人たちに痺れを切らせたトウジが、

 ショップの並ぶ通りの真ん中で大きく手を振っている。

「恥ずかしいから大きな声、出さないでよ…もう!」

行き交う大人たちの視線が男の子に向けられると、

 彼女であるヒカリは、少し頬を染めて足早に彼の許へ向かった。

「さ、入ろうぜ!」

メガネの少年が入口の前に立つ。

そして、自動ドアが開くと中から騒音に近い賑やかな音があふれ出た。

少し薄暗い照明とフロアを埋め尽くす大小のゲーム機。

目を輝かせたトウジとケンスケは、後ろに付いてくる友人のことなど忘れてしまったかのように、

 サッサと店内の奥の方へ行ってしまった。

シンジは、ぐるっとフロアを見渡す。

(う〜ん…)

前と違う、という感覚を覚える。 前とは、かつての世界の”自分” …本当の子供だった自分。

(あの頃の僕は、トウジやケンスケのようにワクワクしたんだけどな…)

「センセ、まずはこれやりましょ!」

騒音のような音に負けない、ジャージの少年の声。

トウジとケンスケが座っていたのは、人気のネットワーク型の対戦ゲームだった。

最大40人までが同時に参加でき、基本的には格闘ゲームと謳いながらも単純な対戦のみならず、

 用意された広大なフィールドを自由に行動できるというものである。

「ああ、それやんの?」

シンジの後ろからアスカが覗き込んだ。

「あれ、アスカ知っているの?」

「何度かやったことあるわ。 素手でも武器を見つけて戦ってもいいってルールで、結構、奥深いのよ。」

「へぇ〜」

ここには、8人分のシートが用意されている。

「ほら、碇、早く座れよ。」

「あ、うん。」

プレイヤー1に座っているメガネの少年の声に、シンジは3番目のシートに腰をおろした。

「ほら、ヒカリもやるのよ。」

アスカは7番目に座りながら、8番目のシートを叩いてお下げの少女を誘っている。

「え、でも、私、やったことないし…」

「だいじょーぶよ、あたしが教えてあげるから。 一緒にあいつらをボコボコにしてやるのよ!」

にぱっと笑う紅茶色の髪の少女。 そんな彼女の笑顔に、ヒカリはおずおずと腰をおろした。

4番目に座った蒼銀の少女は、隣の彼をちらっと見た。

『碇君…コレ、やったことあるの?』

『ううん。 このゲームは僕も初めてだから、よく分からないけれど…ま、取り敢えずやってみようよ。』

そんな彼の波動に、レイは手元に張られている宣伝ステッカーを見た。

『…このゲームは広大なヴァーチャル空間を舞台にした生き残りをかけた戦いです。

 あらゆる行動が可能となった本当の闘いをお楽しみください…』

蒼銀の少女の抑揚のない、というか、棒読みの波動に続いて、カバンの中のPDAが起動した。

『あの、マスター、よろしければ…』

『うん? あっ! ドーラ、手伝いはいいよ。』

『はい、畏まりました。』

マナは、レイの横の5番目のシートに座った。

さっと操作方法を読み、ボタンとスティックの位置、コマンドを確認していく。

ケンスケがプリペイド式のカードを機械に読み取らせると、それぞれの端末の画面が切り替わった。


《 プレイヤー募集中! 残り20秒… 》


シンジとレイは、非接触型の読み取り機に自分のクレジットカードをかざした。

そして、スタートボタンを押す。

キャラクター選択画面に切り替わると、シンジは標準的な格闘家を選び、レイはその女性キャラを選んだ。

マナは軽量級の女性キャラを選び、アスカは攻撃重視型、ヒカリはアスカと同じキャラの色違いだった。

簡易的にキャラクターメイキングも出来るので、それぞれが選んだキャラクターはプレイヤーに似ていた。

シンジのキャラクターは、白い髪であったし、レイは空色、アスカもヒカリもそれぞれに似ている。

しかし、メガネの少年とジャージの少年は実際とはだいぶ違っていて、

 キャラクターの上にプレイヤーナンバーがなければ判別がつかなかった。

(s、h、i、n、j、i…と。)

プレイヤーの名前を入力すると、画面は黒一色に塗り替えられた。

それは、どこかの宇宙空間のようであり、

 しばらくすると小さな惑星が浮かびあがって、モニターは名もない大陸に急速にズームインされていく。

それぞれのスタート位置は、ある程度離されており、いきなり対面して戦うことはないようだ。

(…え〜と、一番近いのは…)

シンジはスティックを前に倒してキャラクターを進める。

円形のレーダーのようなものはあるが、詳細な位置は表示されていない。

自分以外の光点を目標に、プレイヤーNO.3”Shinji”は住宅街の街角を慎重に進んだ。

NO.4”Rei”は、Shinjiと合流しようと街中を走っていた。

このゲームでは最終的な勝者は一人であるが、その過程で協力等の戦術は自由である。

NO.8のプレイヤー”Hikari”は、オロオロしながら雑木林を歩いていた。

アスカは任せろ、と言ったが、肝心の彼女は近くにいなかった。

良く分からないまま、取り敢えずスティックを動かしているのが、お下げの少女の現状だった。

NO.1のシートで目を輝かせているメガネの少年は、レーダーを見て素早く作戦を立てた。

(結構離れているな… オレの位置から一番近い隠し倉庫に行こう。)

隣に座るトウジは、早速誰かと戦闘状態になったらしい。 そんな雄叫びが右隣から上がった。

「うぉぉおお! あかん!」

NO.2”Touji”は、曲がり角から現れた軍用ジープに轢かれそうになっていた。

「くっ! 卑怯やで! 惣流!」

ジープには、NO.7”Asuka”の表示。

紅茶色の髪の少女の興奮した声が上がる。

「うっさい! 勝てばいいのよ! 勝てば!」

Toujiは、素早くジャンプを繰り返し、ジグザクに自分を狙う自動車をかわした。

そして、コマンドを入力しパワーをチャージすると、猛るように近づいてくる車に向かって拳を放った。

スタート直後に補給のきかないパワーを使うのは少し癪だったが、

 Asukaにラッシュをかけ、そのままKO出来ればいい。

そう考えたジャージの少年は、攻撃が命中して吹き飛ぶジープに向けて連続的にコマンドを入力した。

「往生せいや!」

これでパワーは半分になってしまうが、構わずToujiは再び拳を爆発させた。

しかし、ジャージの少年のキャラクターよりも相手の反応の方が僅かに早かった。

「甘いわよ!」

自動車というアイテムを捨て去り、Asukaは抜けるような青い空にその体を躍らせた。

その直後、ジープは黒い格闘技のキャラクターに完全に破壊される。

「くそっ!」

舌打ちするトウジを横目に、シンジは偶然見付けた武器庫にいた。

その中を物色していると、NO.4のキャラクター”Rei”が近づいてきた。

Reiは逡巡なく一番破壊力の大きいロケットランチャーを装備して、そのまま武器庫を後にした。

(…慌てている?)

シンジがレーダーに目をやると、自分と先程のレイの他に光点が3つあった。

(いつの間にか、こんなに接近されていたんだ…)

Shinjiは、行動速度に影響のない軽量なコンバットナイフを装備して部屋を出ると、

 Reiがロケットランチャーを構えて撃つところだった。

「碇君は、私が護る。」

そんな声が隣から聞こえると、シンジの口元に少しの笑みが零れる。

視点を移動させると、どうやら、マナ、ケンスケとヒカリが相手のようだ。

アスカとトウジの戦闘は、まだ少し離れた場所で継続している。

シンジは素早くコマンドを入力させて、パワーを使用した。

「僕も綾波を護るよ。」

ロケットランチャーを装備したReiは、行動速度が著しく低下している。

彼女が場所を移動する時間を稼ごうと、Shinjiの拳からエネルギーの散弾が発射された。

ケンスケは、相手の死角に素早く移動し、シンジの攻撃を避ける。

マナは、自分のキャラクターをガードさせて、素早く追撃しようと耐えた。

広範囲に飛んできたエネルギー弾に反応出来なかったヒカリは、

 マナと違いライフを半分失ってしまった。

ゲーム開始から無傷なのは、Kensuke、Shinji、Reiだけで、

 Asuka、Toujiはライフの4割を減じた今でも、まだお互いに削り合っている。

マナは、2割減ってしまったライフゲージを見ながらコマンドを入力した。

Shinjiは、特攻を仕掛けてきた茶色い女性の拳をその身体に受けていた。

「悪いわね、シンジ君!」

「まだまださ!」

シンジも彼女のコンボの隙をついて、迎撃を始める。

「あ、逃げんなや!」

「ばっかじゃない! これは戦略的撤退って言うのよ!」

不覚にも必殺技を食らってしまったAsukaは、Toujiの横を走り去った。

その時、ケンスケは、武器庫で入手したライフルを構えていた。

そのスコープには、ロケットランチャーを構えたキャラが映っている。

(いただき!)

ReiがManaに向けてロケット弾を発射した瞬間、空色の髪のキャラの体が吹き飛ぶ。

「くっ!」

せっかく手に入れた強力な武器は消え去り、ライフゲージの3割が失われた。

先ほどダメージを受けたHikariは逃げるように走っていると、黒格闘技のキャラクターが現れた。

それは、Asukaを追跡していたToujiだった。

「おっ! イインチョか!?」

「え、え!? や! こないで!」

戸惑うお下げの少女は、ボタンを適当に叩きまくった。

しかし、彼女の稚拙な攻撃は、このゲームをやりなれている男の子に届く事はなかった。

「すまんのぅ、イインチョ!」

コマンドを連続で入れたToujiの攻撃がHikariのライフを喪失させていく。

《 Game Over! 》

NO.8の画面に現れた文字に、ヒカリは、はぁ…と息を漏らした。

「ごめん、アスカ、負けちゃったわ。」

アスカはマナに襲いかかっていた。

「OK!! 任せときなさい! ヒカリの仇はとるわ!」

回し蹴りが軽量級のキャラを吹き飛ばす。 Shinjiは既にこの場にはいなかった。

Reiと一緒にKensukeを追っているのだ。

その標的となっているメガネの少年も素早く場を動き、次の一手を考えていた。

(残り時間、30秒か…このまま逃げ切れば一位だな。)

迷彩服を着たコマンドー。 ケンスケの操るキャラクターは、街中にあっては目立つキャラクターである。

レーダーを見れば、自分を追ってくる2つの光点が表示されている。

(碇と綾波さんか…ゲームと現実が違う事を教えてやる!)

不敵に笑う茶色いくせっ毛の少年。

ヴァーチャルな強さを嬉々として自慢するのはどうかと思うが、

 それはともかく彼のメガネはキラリと光り輝いていた。



………おみせ。



「うわぁ! これ美味しい…」

この街に住み始めたばかりの少女の反応に、この街の先輩である紅茶色の髪の少女は自慢げな顔になった。

「ふっふ〜ん…でしょー 私もここのケーキ、結構好きなのよね〜」

そう言いながら、アスカは自分の注文したモンブランを早速口にした。

その隣に座るお下げの少女は、

 イチゴのショートケーキにフォークを入れた手を止めて、目の前に座っている蒼銀の少女に声をかけた。

「ねぇ、綾波さん…食べないの?」

レイはヒカリの声に、窓の外に向けていた深紅の瞳をケーキに戻した。

「いいえ、頂くわ。」

隣の少女がフォークを手にするのを見たマナが小さくごちた。

「…シンジ君たち、まだ終わらないのかな?」

「ハッ! ジャージがさっさと諦めれば、す〜ぐに終わるんじゃないのぉ?」

アスカはバカバカしい、という顔でブラウンの髪の少女に答えた。


……彼女の言葉どおり、ジャージの少年は悔しそうな顔だった。


先ほどの戦果を報告させていただくと、ケンスケの前に、ShinjiをかばったReiが破れ、

 また、ShinjiもKensukeにあと一歩及ばなかった。

ManaはAsukaを打ち破ったものの、その後、強襲を仕掛けてきたToujiに敗れた。

ライフ、得点が同じであれば、ゲームの勝敗はエクストラステージで決められる。

珍しくもシンジやレイではなく注目されているのは、メガネとジャージの二人の少年だった。

このゲームをやり込んでいるトウジにしてみても、初めてのエクストラステージ。

彼女の視線を感じる彼は、ジャージの腕をまくった。

(何としてでも、勝つ! そや! ここで勝たな漢やないで!!)

過去…ケンスケの勝てたのは数回しかなくても彼女の見詰める手前、彼の鼻息は荒かった。

「…ふぅ〜 悪いな、トウジ。」

しかし、勝利はジャージの少年には与えられず、メガネを左手の中指で直している少年の画面に輝く。

「相田君って、ゲーム巧いんだね。」

マナは、迷いのない手捌きと効率的な戦法で勝利した男の子に感心した。

しかし、それで納得しなかったのは、ジャージの少年だった。

そして、ゲームを変えて行われたリベンジ。

その結果も、少女たちがゲームセンターから喫茶店に移った後も変わるものではなかった。


……彼の瞳には、GAME OVERと表示された画面が映っている。


「…ねぇ、まだやるの? トウジ?」

後ろから遠慮がちに声が掛かる。

「すんません、センセ。」

ジャージの少年は、後ろに立っているシンジに謝ると、対戦相手に向って怒鳴った。

「ケンスケ、もう一回じゃ!」

「やれやれ…いいのか、トウジ?」

ケンスケは、もったいぶったように肩をすくめた。

「何がや?」

トウジは怪訝な表情のまま、隣に座っているくせっ毛の少年を睨むように見た。

「なにって………彼女を放っておいてさぁ〜」

「そんなもん関係あらへん! お前に勝つまで、ワシはやめへんぞ!」

頭に血が昇っている…

それを見て小さく溜息をついたシンジは、ゲームセンターの向かい側のケーキ屋に目をやった。

『ごめんね、綾波。 もう少し時間かかるみたいだよ。』

『………そう。』

とても残念そうな波動を出した蒼銀の少女は、再びガラス窓から見える向かい側の少年に瞳を向けた。

彼女の瞳に映った少年が、申し訳なさそうな顔で小さく手を振ってくれた。

それを見たレイも、ごく自然に小さく手を振り返した。

「あ、シンジ君が手を振ってる!」

目ざとくそれを見付けたマナが大きく手を振る。

その様子を見ていたアスカは、頬杖をついた。

「ねぇ、アンタ、シンジのこと…どう思っているの?」

「え?」

「霧島マナは、碇シンジのことをどう思っているのかって聞いているのよ?」

(ま、これだけ分かり易い態度だけれど…話のネタくらいにはなるでしょ…)

紅茶色の髪の少女がビシッと指したフォークは、まるでマイクのようにまっすぐマナの顔を捉えている。

「わ、私は、シンジ君のこと、好きだよ。」

ほーやっぱねーという顔のアスカ。

レイは、隣のマナの顔をジッと見詰めている。

「へぇー、シンジには綾波レイっていう奥さんがいるのに?」

からかうような声と表情。 そんな少女の言葉に、マナの瞳が極限に大きく見開かれた。

「お、奥さん!?」

「そーよ。 ほら、ファースト、アンタもボーとしていないで、ご自慢の指輪でも見せてあげたら?」

「あ、綾波さん…奥さんってホント?」

紅茶色の少女は、茶色の髪の少女のうろたえぶりが可笑しいのか、彼女の瞳は面白そうに笑っている。

レイは、別に隠すことではない、と静かにネックレスに通した蒼色の指輪を胸から取り出した。

「…マナ、私は碇君と婚約したわ。」

「え、ええぇぇぇ…」

(せっかく挽回しようと思っていたのに、もうそんなところまで進展していただなんて…)

驚きの後に来る真っ暗な感覚に、マナはがっくりとしてしまった。

ヒカリは、どうしようとただ顔をオロオロとさせている。

「ちょ、ちょっと…」

お下げの少女の声は、レイの言葉で続けられなかった。

「…あなたは碇君のこと、昔と変わらずに想っているのね。」

静かなレイの言葉が耳に入ると、マナはぎこちなく視線を動かした。

「綾波さん…」

蒼銀の少女の瞳は、まっすぐに茶色の髪の少女に向けられている。

(ま、負けられない!)

ガタッと立ち上がった少女は、自身の胸に手を当てて宣言する。

「そ、そうよ! 私は碇シンジ君のことが好き…この気持ちは昔から少しも変わっていないわ!」

レイの視線に負けないように、マナもまっすぐに彼女の深紅の瞳を見つめ返した。

どうしよう、とヒカリは隣のアスカに視線を向ける。

「お〜 これは見事な修羅場だわ!」

しかし彼女は、

 ミサトが録画している昼ドラのようなドロドロした場面に、ただ面白そうな顔で状況を見守っている。

ぶつかり合う視線を先に切ったのは、レイの方だった。

「…そう。」

言葉少なく答えた彼女は、少し冷めた紅茶に映る自分の顔を見た。

「そう…ってファースト、いいの?」

「いい? 何が?」

「何って、アンタの王子様をこの女は奪ってやるって言っているのよ?」

「ちょ、ちょっとアスカ!?」

余りの言い方に、ヒカリが口をはさむ。

「う、奪うって…」

アスカの身も蓋もない言い方と周りのお客の視線に、マナも頬を赤くさせて席に座ってしまった。

「マナの心は、マナのモノ。 その想いも彼女の自由。 でも…」

そう言葉を切ったレイに、アスカは興味深そうに相槌を打つ。

「でも?」

「…結果については別の問題。」

お下げの少女は、目の前の同級生の言葉をじっと聞いていた。

(心が広い…ちがう、そう言うんじゃないような気がする。)

言葉ではなく、お互いの心を深く感じられる波動。 その感覚は、普通の人間にはわからないだろう。

「へぇ〜 すごい自信ね〜」

半ば呆れるような声は、頬杖をついているアスカだった。

「…自信じゃないわ。 ただ、私は碇君を信じているだけ。」

ヒカリとマナは、静かに紅茶を飲んでいるレイを羨ましそうに見詰めるだけだった。

「…こちらです。」

ウェイトレスが向かいの席に客を案内する。

「どうもどうも。 いや〜 お待たせ。」

メガネの少年が清々しい顔で現れたのはそんな時だった。

ジャージの少年が悔しそうな顔のまま、彼女たちの向かいのボックス席にドカッと座った。

「どうしたの? みんな?」

話題の男の子が現れると、自然と女子の視線が集まった。

そんな自分に集まる女子の視線に、シンジは不思議そうな顔になる。

マナと視線が合うと、彼女は顔を赤くして俯いてしまった。

「センセ、何にします?」

「あ、うん、アイスカフェラテにするよ。」

白銀の少年は通路側に座りながら答えた。



………第4実験場。



”ビィィ!! ビィィ!! ビィィ!!”

響き渡る警報音。 実験責任者は、素早く指示を飛ばした。

「実験中断、回路を切って!」

”バシュゥゥゥゥ…”

煌々とした照明に照らされた青い巨人が、暗闇に包まれる。

『…回路切り替え!』

『電力回復します!』

そして、数瞬の後、再び電源が投入された。

”ドシュゥゥウ!”

管制室のホログラムモニターに、実験結果が表示される。

その文字列を見る金髪の女性の表情は、厳しかった。

「問題は、やはりここね…」

「はい、変換効率が理論値より0.008低いのが気になります。」

男性スタッフが計測画面から顔をあげて、判断を仰ぐ。

「ギリギリの計測誤差の範囲内ですが…どうしますか?」

リツコは実験成功へのアプローチを変えた。

「もう一度同じ設定で、相互変換を0.01だけ下げてやってみましょう。」

「了解!」

マヤの声と同時にスタッフが再び動き出す。

「…では、再起動実験、始めるわよ。」

リツコは、静かに佇む巨人を見た。



………セントラルドグマ、レベル25。



”チンッ”

凝り固まった肩を揉みながらエレベーターを待っていた女性は、ドアがスライドすると身体を中へ進めた。

苦手な書類仕事をやっつけた赤いジャケットの女性は、

 休息を取るために自販機コーナーのある上層に向かおうと目的のボタンを押す。

肩と首をストレッチするように捻ると”ゴキッ!”という脳に響く音が、

 自分の疲労の度合いを教えてくれるようだった。

(はぁ〜 疲れた…)

その時、誰もいなかったはずのフロアに足早に駆ける靴音と聞き知った男の声が耳に入った。

「お〜い!! ちょいと待ってくれぇ!」

(ん? …加持くん? はぁ…悪いけれど、今アンタを相手する気力はないわ。 だから…)

ミサトは小さく肩を落とすと、表情を変えずに”閉”のボタンを強く押した。

まさにドアが閉まりきると思われた瞬間、男の大きな手が手刀のように箱の中に突き出された。

ギリギリの、まるで計ったかのようなタイミング。

「ちっ!」

あからさまにイヤそうな顔になるミサト。

エレベーターの安全装置により、彼女の願いも空しくドアはスライドして男を迎えてしまう。

「はぁー はぁー いや〜 走った! 走った!」

リョウジは大きく息を吸い、呼吸を整えながら熱のこもった上半身を冷まそうと上着を煽った。

そして、ちらりとミサトの様子を見る。

「こんちまた、ご機嫌斜めだね〜」

「アンタの顔見たからよ。 って、加持くんどっから来たのよ?」

「どっからって、廊下しかないだろ…」

「う〜ん、人の気配はなかったと思ったけれど…」

「ははっ…平和ボケでもして勘が鈍っているんじゃないのか?」

「そうかしら…」

怪しげなモノを見るような視線のミサトに、加持はいつものように愛想笑いのような笑顔のままだった。

(葛城、悪いが、お前といたっていう記録がないと後で怪しまれるからな…)

エレベーターに乗る映像は、MAGIに記録されている。

男は自分を保身するため、そのアリバイ作りのために、作戦課長の執務室のあるフロアにいたのだ。

そして、男はチラッと自分の腕時計に目をやった。

(…葛城が不機嫌だったのは、俺にとっちゃ幸いだったな。)

赤いジャケットの女性は、男から距離を取るように操作パネルの目の前から動こうとしない。

(…あと、20秒…)

エレベーターは、まだ目的のフロアに辿り着かない。

一層一層の高さが尋常ではないNERVの階層は、通常の建造物のスケールは当てはまらない。

箱は定期的な音に包まれて上昇を続けていた。



〜 総司令官執務室 〜



その頃、サングラスの大男は、自分の執務室で先日届けられた書類に目を落としていた。

男の白い手袋がゆっくりと電話機に伸びる。

短縮に登録してあるボタンを押すと、髭面の男は相手の声を静かに待った。


”プルルルル…プルルルル…”


『…はい、もしもし?』

『お待たせしました、アイスカフェラテでございます。』

受話器から息子の声が聞こえる。 そのバックから女性店員の声も聞こえた。

どうやら、学校はもう終わっているようだな…と思いながらゲンドウは話し始めた。

「…シンジ、授業参観の件だが…」

『授業参観? ああ、ごめん。 学校からもらったプリント、父さんに渡してなかったね。

 ん? …でも、どうして知っているの?』

「問題ない。 気を利かせた山岸マユミ君から先日連絡が来て、私の判断で郵送してもらった。」

『あ、そうなんだ。』



〜 エレベーター 〜



(あ〜 しっかし何でこう…このエレベーターは時間がかかるんだろう…)

ミサトが、ぼんやりと回転し続けているフロアインフォメーションパネルを見ている、その後ろ。

加持リョウジは、ポケットに忍ばせているリモコンのスイッチを押した。

”ガクンッ”

「あら?」

突如、揺れて停止するエレベーター。

ミサトが目をパチクリとさせた次の瞬間、箱の中の色が非常灯の赤に染まった。



〜 闇 〜



『…時間だ。』

『ふむ、今回の作戦で”黒き月”…その深部であるドグマ内部の詳細な情報が手に入るだろう。』

『…碇が裏切った際の保険となる情報だな。』

『それだけではない。 これはヤツにとって警告となるだろう。』

『その通りだ。 …裏切り者に慈悲はないということは、あの者も理解しているだろう。』

『ああ。 それにしても、東洋人が我々を出し抜けると思っているのか? …愚かなヤツだ。』

『いずれにせよ、我々の目指す進化の道…残された最後の希望となるシナリオは、完遂させねばならん。』

『ああ…全ては、ゼーレのシナリオ通りに…』



〜 喫茶店 〜



ケンスケとトウジは、先ほどのゲームの話を楽しそうにしている。

シンジはそれを見ながら電話の声を聞いていた。

『…予定されている日は、ちょうどスケジュールが空いているのだ。』

「うん。」

『シンジ、私としてはぜひ…』 


………じ、じじじじ プッ………


「あれ? 父さん?」

まるでラジオのチューニングが乱れたかのような音が耳に入ると、回線が途絶えてしまう。

カバンのPDAが起動したのは、その直後だった。

『マスター、ジオフロントの電源設備に異常発生です。』

「きゃっ!!」

「何? どうしたの?」

ドーラの波動と、ヒカリの悲鳴、アスカが席を立ったのは同時だった。

”ブツッ”と、この喫茶店は闇に包まれた。

(…停電? あっ!)

『碇君、これは…』

『うん、そうだね。 取り敢えずみんなを落ち着かせよう!』

白銀の少年は、立ち上がって同級生を落ち着かせようと声と波動を出した。

「みんな、落ち着いて。 停電みたいだけれど、別に椅子が壊れたわけじゃないだろ?」

不思議と通る声に、パニックを起こし掛けていた女性店員も落ち着きを取り戻した。

今まで当然と輝いていた眩しいくらいの光量に慣れていた目のせいで、

 暗闇になってしまったかと思ったが、落ち着いて見れば、ちゃんと周りが見られる。

薄暗いことに変わりないが、非常用のダウンライトが所々点いていた。

そして次の瞬間、沈黙に包まれていた地下街に避難警報を知らせる鐘が鳴り響く。


”ウゥゥゥゥゥゥゥゥ…”





静止した闇の中で。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………海中。




大陸棚とは、陸地から延びる海底としては比較的水深が浅い部分である。

比較的浅い、と言っても200m以上の水深も含まれるため、

 陸地から200海里も離れればそこは光の届かぬ闇が支配する世界だ。


……時が止まったかのように静かな海底世界に、まるで太陽光を反射するように輝くルビーが一つあった。


薄い光しか届かないこの深い海中でそれほどまでに強く輝く赤い光は、

 実際のところ外光を反射したものではなく、その内側からにじみ出るようにそれ自体が光を放っていた。

 

”ドクンッ!”


静寂に包まれた海底に、大きな鼓動音が響く。

深海の闇の中に浮かぶその”赤”は、周りの世界を闇から赤色に染め上げた。


……そして、”赤”の中からほどなく人類の敵が形作られていく。


海中を進む鋼鉄の艦は、海底潮流の変化に翻弄されていた。

『状況知らせ!』

潜水艦の艦橋、その発令所からのオーダーはソナーマンの鼓膜を破るほどの大声だった。

「ソナーより発令所、方位2−5−5、距離500、深度180付近に巨大物体が出現!」

『巨大物体!? ロシアのタイフーン級原潜か?』

「いえ、比較になりません! その周囲に移動する物体出現! 数4! な、なんだ!?」

ソナーマンは、巨大な物体の周囲を囲むように変化する磁気の流れを見て当惑した。

『アクティブソナーを使用せよ! 情報の確度を上げろ! 転針2−7−0、速力、微速前進。』

艦長の命令に、マリナーは素早く応える。

「アイアイ・サー!」


”…コォォォォォォゥゥゥーーーン………”


モニターに測定結果が表示されるが、齎された情報はやはり先ほどと同じであった。

巨大物体を中心に4か所、中心の”それ”よりもだいぶ小さいが、

 それでも通常の生物とは比較にならないくらいの大きさの物体がいる。

それに音を解析しているが、機械のような音が一切聞こえない。

こんな音を出す潜航物体は、聞いたことがない。

ソナーマンが必死にデータを検索しても、この最新鋭潜水艦のデータベースに引っかかる音紋はなかった。

『報告はどうした!?』

「目標をシグマ1と呼称! シグマ1に該当するデータなし! 艦長、もしかするとこれは…」

ブリッジでマイクを握る男は、部下の戸惑いの色を含んだ報告を聞いて顔に刻まれている皺を深くした。

(…まさか、太平洋第一艦隊を襲ったあの化け物か?)

現在位置は、日本の太平洋側…あり得ない話ではない。

男は、艦の位置を示す海図を見ると、

 国連軍本部から哨戒任務に当たる空軍、海軍に下達されている極秘指令を思い出す。

(上からは交戦せずに速やかに報告せよ、だったな…)

『シグマ1が移動を開始! 方位3−3−1! 周りの4つもシグマ1と同様に…いや、これは?』

歯切れの悪い報告に副官がソナーマンを怒鳴りつける。

「どうした? 明確に発言せよ!」

『…ハッ! 周りの4つの物体は、シグマ1と繋がっているようです!』

ソナーマンの大きな声で、責任者の意識が過去の記憶からブリッジに戻る。

(くっ! やはり化けモノなのか!)

「副長! 目標の予想侵攻ルートを示せ!」

副官は、各部署からのデータを海図に落とし込み、素早く線を引いた。

「ハッ! シグマ1が直線的に侵攻した場合の予想ポイントは、旧熱海方面になります!」

艦長は、その先にある都市を思い出し、衛星通信の回線を開くように指示を出す。

「総合警戒管制室へ回線を繋げろ!」

「ハッ!」



………地下街。



”ピンポンパンポーン♪”


『…第5管区、4ブロックをご利用の皆様にお伝えします。 現在、第3新東京市は…』

地下街のスピーカーから女性のアナウンスが流れたのと、ドーラが報告したのは…ほぼ同時だった。

『…失礼します。 マスター、第九の使徒マトリエルが目覚めました。』

『ドーラ、停電の被害状況は? J.A.があるのに、ここまで停電するの?』

『はい、マスター。 残念ながらJ.A.は現在、定期メンテナンス中でございます。

 しかし、最低限のライフラインにつきましては、非常用発電機にて賄っておりますので、

 現時点で都市部に大きな混乱はないようです。』

『…そっか。 よし、綾波、取り敢えずNERV本部へ行こう!』

『分かったわ。』

シンジとレイが立ち上がると、ケンスケが不安そうな声を出した。

「い、碇、これってどういうことなんだ?」

蒼銀の少女に向けられていた白銀の少年の真紅の瞳が、メガネの少年に向けられる。

「え? たぶん停電だね。」

「いや、そんなことは分かっているけど、全然直らないじゃないか!?」

「うん、そうだね。」


『…繰り返しお伝えします。 現在、第3新東京市は全域で停電となっております。

 この事態により、緊急宣言L−11が適用となりました。

 住民の皆様には、冷静な対応をお願いすると共に、地下シェルターへの避難を直ちに行って頂きます。』


白銀の少年は、メガネの少年を落ち着かせようと肩に手を置いた。

「…だってさ。 僕らはNERV本部に行かなくちゃいけないから、ちゃんとシェルターに行くんだよ?」

ケンスケは、”昔のこと”を言われたと感じると、忘れていないよと大きく頷いた。

「ああ、分かっているさ。 馬鹿なことはしないよ。 じゃ、みんな、さっさとシェルターに行こうぜ。」

レイは、静かにシンジの横に立った。

『…第九の使徒、来たのね。』

『…うん、マトリエルの襲来だね。』

シンジは背後にいるレイを見て、その手をやさしく包むと、同僚である紅茶色の髪の少女に声を掛けた。

「アスカ、ぼうっとしていないで行くよ?」

「へ?」

レイの深紅の瞳に、座ったままのきょとんとした少女が映る。

「…あなたにも緊急時のマニュアルは配られているはず。」

「え? あ!」

慌てて通学用のカバンを探るアスカ。 マナは、それよりも早くカバンから先日渡されたモノを取り出した。

そして彼女は、忙しなくページを捲って目的のページを見付ける。

「あ、ここだ。 う〜んと、あ、やっぱり私もだ。 …シンジ君、私も行くよ!」

「え、そうなの?」

「うん、緊急事態のマニュアルにはそう書いてあるもん!」

茶色の髪の少女は、そう言うとカバンを手にして立ちあがった。

「分かった。 じゃ、トウジ、ケンスケ、洞木さん、僕たちはNERV本部へ行くから。」

ウェイトレス姿の女性が客に声をかけ始めた。

「お客様! すみませんが、放送のとおり避難をお願いしまーす!」

店内に響く女性店員の声を合図にして、黒いジャージの少年が立ち上がる。

「よっしゃ! ケンスケ、イインチョ、ワシらは地下のシェルターへ移動じゃ。」

「そうね、分かったわ。」



………エレベーター。



「おっかしーわねぇ… ぜーんぜん復旧しないわ。」

非常用の赤い照明に照らされているミサトは、外部通信用のボタンを何度も押しながらぼやいた。

「ここの電源は?」

リョウジは、ズボンのポケットに手を突っこんだまま尋ねる。

「ここの電源は、正副予備の3系統受電よ。 それが同時に落ちるなんて考えられないわ…

 っていうか、電源だけじゃないわ。 このエレベーター、停電でシステムがおかしくなったのかも…」

「ほう…どうしてそう思うんだ?」

「あのねぇ、加持くん… エレベーターってのは、地震や停電した場合、

 安全措置として機械的に一番近い階層に降りて、扉が開くようになっているもんなのよ。 それに…」

ミサトの難しそうな表情に、加持は続きを促す。

「それに?」

「う〜ん、よくよく思い出すと、エレベーターが停まってから停電したと思うのよ。」

「…え? そうだったか?」

男は心中の焦りを誤魔化すように少しおどけた顔になった。

「ははっ また、赤木が実験でも失敗したんじゃないのか?」

「何でもいいけど、取り敢えずここから出なきゃ話にならないわ。 協力してもらうわよ、加持くん。」



………実験管制室。



その頃、管制室は沈黙に包まれていた。

つい先ほどまで、けたたましいほどの計装機器、OA、さまざまな人の会話に溢れていた空間だったのに。

技術開発部の責任者としてこの実験を遂行していた女性の指先は、白いエンターキーの上で停止している。

電源は落ちているが、管制室の情報端末は無停電電源装置のお陰で起動したままだ。

そのモニターに反射しているスタッフの顔とその視線が、自分に突き刺さるように向けられている。

しん、と静まり返った管制室に、金髪の女性の戸惑った声が弱々しく響いた。

「わ、私じゃないわよ…」

そんな中で、変わらず仕事をしているのは、ショートカットの女性であった。

「センパイ、予備電源に切り替わりません! これは…」

「何ですって!?」

リツコは、異常事態を報告したマヤの端末の情報を覗き込んだ。

「マヤ、発令所に行くわよ!」

「はい! センパイ、零号機はどうしますか?」

「不測の事態に備えて、ケージに戻すわ。 整備部の鈴原課長に連絡して頂戴。」

「了解しました。」

マヤはコンソールを叩いて、連絡を入れる。

「あなた達は、零号機の搬送を整備部と協力して!」

「分かりました! おい、必要電力を確保しろ!」

オレンジ色のツナギを着た男性スタッフの命令が管制室に響く。



………発令所。



「ダメです、予備回線に繋がりません!」

青葉シゲルは上段にいる副司令官に報告をした。

「バカな! 生き残っている回線は?」

珍しくも声を荒げた冬月に答えたのは、MAGI専属の女性オペレーターだった。

「はい、全部で12.8%、非常用発電機による電源の他は、2567番からの旧回線だけです。」

その報告に、副司令官は即座に命令を下す。

「生き残っている電源をMAGIとセントラルドグマ、ターミナルドグマの維持に回せ!」

「負荷制限によりジオフロント、第3新東京市にかなりの支障が生じますが?」

「かまわん! 最優先だ!」

「はい!」

シゲルが素早くコマンドを叩く様子を見ながら、コウゾウは責任者であるゲンドウにダイヤルした。



………地上。



「お待たせいたしました。 こちらがお預かりしたものです。」

店員の笑顔と共に、はい、と手渡された荷物を受け取った眼鏡の男性はお辞儀をして体を出入り口に向けた。

「ありがとうございました〜」

”ウィィン…”

自動ドアを出たマコトは、腕時計を見た。

(急がないと間に合わないな…)

上司の荷物を胸に抱え、メガネの青年は大通りの歩道を歩く。

その横を市議会選挙での勝利を目指す、選挙カーが通り過ぎて行った。

『皆様に愛される政治を目指す、正義と真実、そしてクリーンな………』


……その時だった。


”キキィィィイイ!!!”

「うわぁ!」

マコトの目の前に車が突っ込んでくる。

メタリックレッドの乗用車がガードレールにぶち当たり、回転して停車した。

「な、なんだぁ?」

驚いて周りを確認すると、交差点に車が殺到している。

まるで、すべてが青信号になってしまったかのような状態だった。

メガネを直しながら信号機を見ると、一瞬ブランクだった信号機は全て赤色に点灯した。



………地下道。



シンジたちが店を出ると、その通路に普段は決して姿を見せない保安部の厳つい男たちが立っていた。

薄暗い照明の中でもサングラスを外さない一種異様な集団を見たヒカリは、一歩後ろに下がってしまう。

「碇二佐、綾波三佐、非常事態宣言が発令されました。 …既定のとおり、こちらを携帯してください。」

男は一歩近づいて、アタッシェケースを開いた。

その中には、シンジとレイが特務部隊時代から愛用しているハンドガンと実包が収納されていた。

「分かりました。」

白銀の少年が、蒼銀の少女に拳銃を手渡すのを見ていたアスカが腰に手をあてた。

「ちょっとアンタ、私のは?」

「惣流・アスカ・ラングレー三尉に火器の携帯許可は下りておりません。」

「なによ、それ!? 何で用意してないのよ?」

シンジとレイは、アスカを横目に拳銃の安全装置を確認してからカバンに仕舞った。

「霧島技官、我々と御同行願えますか?」

セカンドチルドレンの猛抗議を流した男は、マナにそう言うと部下に指示を出した。

「お前とお前は、碇二佐の学友をシェルターへ誘導しろ。 他は、このままNERV本部へ行くぞ。」

「「「はい!」」」

自分を置いて、そのまま歩き始めたNERVの集団に、アスカは慌てたように走った。

そして、シンジの横に来ると手を出した。

「どうしたの? アスカ?」

「さっきの、渡しなさいよ。」

「?」

「銃よ、銃!」

「ダメだよ。」

アスカの感覚では、それを持たされないのは、自分だけ子供扱いされているようだと感じたのかもしれない。

「なんでよ!」

「必要ないだろ?」

「碇二佐、ルート13、第3ブロックのゲートを使用しますが、よろしいですか?」

シンジの横に付いている黒服の男がアスカとの会話に割り込んできた。

「ええ、ここからだとそれが一番早いルートでしょう。」

「なによ、もう!」

同意した少年は、カバンの中の紅い本に呼び掛けられる。

『お兄ちゃん、ジオフロントの警備員さんが…』

「え?」

「碇二佐、どうしました?」

「あ、いえ。」

『どうしたの? リリス?』

『警備員さんの波動が消えたの。 それだけじゃないわ。

 初めての波動がジオフロントにいる。 数は16。 もしかして…』

幼女の言葉に、シンジは意識を地下に向ける。

『これは…そうだね、侵入者だ。』

地下街を走る黒服の集団は、商店街の関係者用の扉を抜けて行った。



………箱。



あれから、加持とミサトはエレベーターに取り残されてしまったかのように放置されていた。

なぜなら機械管制室からの呼び出しや救援などが未だ何もないのだ。

どうにかしよう、と先ほど言った女性に男が問うた。

「それで、どうするんだ、葛城?」

ミサトは天井を見上げた。

「確か、点検用のハッチがあるはずよね…」

「パネルを外すにも、工具がないぞ?」

加持リョウジは腰に手を当てて、少し肩を竦めた。

「非常事態なんだから壊すわよ。 そんくらいは大丈夫でしょ。」

赤いジャケットの内側から拳銃を取り出す女性。

「おいおい、まさか撃つわけじゃないよな…」

「そんな事するわけないでしょ。 こーするのよ。」

何バカなことを…と呆れたような視線を男に向けたミサトは、グロッグ17の中から弾を抜き取った。

そして銃身を握ると、まるでハンマーのようにパネルを打ち叩いた。

”ガッ!”

その一撃でパネルが歪むが、ミサトが期待したよりは変形度合いは小さかった。

「このっ、このっ!」

”ガンッ! ガツッ!”

「おいおい、そんなことしたって、外れないと思うぞ?」

静かな空間に響く音。 それを聞いているのは、この呑気な二人だけではなかった。


”ガコ…”


黒い手袋、その手に持ったバールで金属製のドアを無理やりこじ開ける。

”ガンッ…”

この狭い空間の下から響き伝わってくる打突音。 

どうやら、深く深く侵入するために選定した目的のエレベーターには、先客がいたようだ。

「扉の固定、終了しました。」

「よし、二名はワイヤーを伝い、エレベーター直近で待機。 制御は取れたのか?」

その言葉に、パソコンのキーを叩いていた部下が答えた。

「はい。 現在、このエレベーターの制御ソフトをMAGIから切り離しました。

 もうひとつ、報告があります。」

「どうした?」

「このエレベーターには、工作の跡があります。」

隊長の顔が渋くなる。

「どういうことだ?」

「詳細は不明ですが、もしかすると我々以外にも潜入者がいるのかも知れません。」

「いずれにせよ我々の作戦に変更は認められない。 箱の中の奴らは不幸だろうが、利用させてもらおう。」


”ガン、ガンッ!”


「ふぅ、意外と頑丈ね…」

ミサトの手が止まると、それを待っていたかのように箱が動き出した。

ガクンッと揺れると上に動き出した。

「あら? やっと直ったのかしら?」

明るい表情になった女性とは反対に、加持の顔色は悪くなった。

(おかしい…オレは停電を復帰させない限り動かないようにしたはずだ。 それに…)

男は、停電を示す赤いライトが点いたままの天井を見上げた。

「もうすぐ上の階に着くわね。」

「ああ…」

そして、箱はミサトの期待どおり停止したが、今度は扉が開かない。

「あら!? 今度は扉が故障?」

赤いジャケットの女性は、扉をこじ開けようと腕を捲くった。

「葛城、ちょっと落ち着けって…」

「加持くんも手伝いなさいよ!」

「そうじゃなくて、まだ上の階に着いてないんだ。 開かなくて当然だろ?」



黒い特殊潜入服に身を包んだ男の足元に、停止させたエレベーターの天井があった。

調音機のような機械に耳を預けていた部下が報告する。

「中にいるのは、男と女。 会話から男の名は”カジ”、女は”カツラギ”と思われます。」

端末を操作している別の男が、素早くキーを叩く。

「データベースを照合。

 高確率で中央作戦本部所属 葛城ミサト一尉、特殊監査部所属 加持リョウジ一尉と思われます。」

「隊長、彼らのIDカードを利用することを上申します。」

「そうだな。 小細工をする手間が減るな…」

そう言うと、男は提案した副隊長に目で実行するように合図する。



そんな外のことなど知らないミサトは、イライラをぶつけるように操作パネルに拳を入れていた。

「まったく、何なのよ!」

ガンッと叩かれたエレベーターが再び動く。

いや、動くというよりは、揺れたという表現が当てはまるような感じだ。

ミサトは、すっと加持の顔を見た。

男は、相変わらずにやけた表情だったが、その視線は、まるで天井を透かして見ているようだった。

そして、男は赤いジャケットの女性に、手で合図を送る。

ミサトは、先ほどホルスターに仕舞ったグロッグ17を再び手にすると、セイフティを外した。

リョウジも右手に拳銃を用意したが、それが火を吹くことはなかった。


……人の声が聞こえたのだ。


『お待たせしました、隊長。 エレベーター内の映像を出します。』

無線機を通したような、男とも女とも判断のつかない英語が聞こえた。

”ガンッ!”

天井を何かで叩いた音に続いて、先ほどとは違う野太い男の声。

『…聞こえていると思うが、武装を解除せよ。 諸君らの生命の与奪権はこちらにある。』

渋い声だね…と加持は、乾いた唇を舌で一回舐めた。

「おたくらは?」

返事は、乱暴だった。 

”ガクンッ!”

突如、エレベーターが揺すられるように落下し、すぐに停まる。

(いつでも、”これ”を落とせるってわけか。

 そして、このエレベーターはセントラルドグマへと通じている…)

リョウジは、自分への指令がこの部隊を潜入させるための布石だったことを理解した。

「葛城、武器を捨てよう。」

「でもっ」

「おいおい、分が悪いぞ?」

「くっ 分かったわよ…」

彼女は手にしている武器のマガジンを抜き、薬室に残っている弾丸をコッキングして取り出した。

加持は、先日見付けたセントラルドグマの会議室に偽装されたエレベーターを思い出した。

(…あれは、セントラルドグマからある特殊操作をすればジオフロントの奥底、

 ヘブンズドアへと通じるターミナルドグマまで貫通している。)



………通路。



「センパイ、電源、復旧しませんね…」

非常灯しかない薄闇の廊下に若干緊張したような、か細い年若い女性の声が空気を震わせた。

「停電から7分も経っているのに…一体どうなっているのかしら?」

白衣の女性は後輩を伴って発令所に向かっていた。

(整備中のJ.A.はまだ使用できないし…タイミング悪いわね。

 これも”前”と同じ加持くんのせいかしら…)

リツコは発令所へ向かう足を速めた。



………ゲート。



「すみません。 ここから僕は別行動を取ります。」

金属製のゲートの前で、サードチルドレンはそう言った。

「よろしいのですか? 碇二佐…」

保安部にEVA独立中隊長を止める権限はない。

「保安部と諜報部を完全武装させて下さい。 侵入者がいるかもしれません。」

「今回の停電は人為的な可能性があると?」

「常に最悪の事態を想定して備えるに越したことはありません。」

「アンタ、一人で何すんのよ?」

「ん、ちょっとね。」

「碇君…」

心配そうな蒼銀の少女に、白銀の少年は真紅の瞳を向ける。

『ゼーレの特殊部隊を片付けてくるよ。』

『待って。 私も行くわ。』

『…綾波、マトリエルの方をお願いするよ。 僕もすぐに行くから…ね?』

レイはシンジのお願いに俯いてしまった。

彼女としては、彼と一緒に居たいのだ。 …でも、彼の願いを叶えることも重要だった。

数瞬の間、小さく揺れ動いた深紅の瞳がシンジに向けられた。

「分かったわ。」

「うん、よろしくね。」

「な〜にがよろしくね、よ。 何やってんのよ! 本部に急ぐんでしょ!」

マナがアスカの前に出る。

「シンジ君、私も手伝うよ?」

付き合いの浅いアスカと違い、マナはシンジとレイが別行動をする時、必ず何かが”ある”と知っている。

だから、彼女は好意を寄せる彼のために少しでも役に立ちたい、と名乗りを上げた。

シンジは、そんなマナを見て首を小さく横に振った。

「いや、マナはこのままNERV本部にいる君の上官の所へ行くんだ。 そこで指示を仰いで。」

「…分かった。」

そう答えた茶色い髪の少女は、少しだけ詰まらなそうな口調だった。



………発令所。



「やはり、電源は落ちたというより落とされた、と考えるべきだな。」

最高責任者が発令所に現れたのは、停電発生から5分ほど経ってからだった。

ゲンドウは、総司令官のシートに腰を掛けると何時ものように手を組んで肘付いた。

「原因はどうであれ、こんな時に使徒が現れたら大変だぞ?」

非常用の照明では暗すぎだな、とコウゾウは総務に頼んで届けてもらったロウソクに火を灯した。

「冬月、なぜLEDライトにしない?」

「ふっ 味があるだろう…味が。 こういう趣を大切にせんとな。」

「…先生、火報が反応しますよ?」

「そこまで敏感でもあるまい。」

冬月は、ゲンドウの机の周りにロウソクを立てた。



………総合警戒管制室。



人類の脅威を発見したという潜水艦からの通信で、

 この総合警戒管制室の警戒レベルは、国連軍最高のデフコン1と決定されていた。

セカンドインパクト前の世界で言えば、核をも辞さない戦争状態である。

松代の第二新東京市にある国連本部、国連軍総司令官グリフィールド・ワーグナーより下達された命令は、

 哨戒機による情報収集と警戒であった。

『哨戒機P−3C”オライオン”から入電、”我、目標をレーダーにて補足”』

通信士の報告と同時に、管制室の巨大モニターに敵の情報が更新されていく。

「…間違いなく使徒だろう。」

将官の目に数多の情報が映る。

「ふん、どうせ…またヤツの目的地は第3新東京市だろうな…」

発見された場所と現在地、そして経過時間からすると、どうやら敵の侵攻速度はそれほど速くはないようだ。

『索敵レーダーにも反応!』

将官が気になっているのは敵の侵攻目的である、あの街から何の音沙汰もないことであった。

「第3新東京市はどうした?」

「反応なし! 沈黙を守っています! 通信回線が繋がりません!」

責任者は、いつもならこちらが確認するよりも先に連絡をしてくるのに…と頭の片隅にイヤミを零した。

「一体、NERVの連中は何をやっとるんだ?」

指揮座の中央に座っている白髪の将官が呟くと、その横にいる角刈りの男が肩をすくめた。

「さあな。 特務機関NERVに干渉は出来ん。 我々に出来る事は何もないさ。」

「いずれにせよ、規定どおり連絡を取らなければ話にならん。」



………NERV本部。



「ダメです、77号線も繋がりません!」

発令所の上段にいる男性オペレーターが、報告を上げる。

「まったく、タラップなんて前時代的な飾りだと思っていたけれど、実際に使うことになるなんてね。」

「備えあれば憂いなし、ですね。」

孤軍奮闘していたシゲルは、下側から聞こえた声に、報告していた顔を振り向けた。

「マヤちゃん、赤木博士!」

「御苦労さまです、青葉一尉。 それで、状況は?」

白衣の女性は、ハンカチで汗をぬぐいながら訊いた。

「はい。 現在、停電範囲の確認と受電設備の調査を行っています。」

「保安部より入電、ファーストチルドレン、セカンドチルドレン、霧島技官がジオフロントに入りました。」

女性オペレーターの報告に、ゲンドウは手を組んだまま問う。

「サードはどうした?」

「はい、確認します。」

マヤは走るように自分の席に座って、端末を操作した。

「碇二佐は別行動をとると言って、保護している保安部員と別れたそうです。」

「別行動? 何かあったのかしら?」

リツコはい訝しげな表情になる。

「すみません。 現在、電力の負荷制限を実施しているため、

 監視カメラ及びセキュリティシステムは25%しか稼働していません。

 …ですので、碇二佐をトレースするには限度があり、詳細は不明です。」

「サード以外のチルドレンを本部発令所で待機させろ。」

ゲンドウはそう命ずると、受話器を上げた。

「直接確認を取るのか?」

「ああ。」

コウゾウが横目で見た男の表情は、サングラスがロウソクに反射して窺い知ることは出来なかった。



………ルート7。



レイと別れてから5分、シンジは音もなく走り続けていた。

曲がり角を通り過ぎると、薄闇の廊下にルート7に通じるゲートが現れた。

「ドーラ、侵入者の居場所は特定できる?」

『申し訳ありません、彼らの足跡は巧妙に消されています。』

本部機能のほとんどが死んでいるからしょうがないね…白銀の少年はそう呟くと、紅い本から波動がきた。

『お兄ちゃん、侵入者たちの目的は何だろう?』

「え? 目的?」

『…リリス、本部構造の把握では?』

PDAの音声は、何を当然なことを…という口調だった。

『それって、何のために?』

「そうか、父さんへの警告…NERVの対人設備、セキュリティの調査…」

シンジは、その先に訪れる”過去”を思い出した。

「…A−801か…」

あの時は、戦自の戦闘員が本部を縦横無尽に蹂躙し尽くした。 今回、その可能性は低いだろうが…

「世界は、変わらないのかな…」

呟いた少年は、そうごちると足を止めてしまった。

『マスター…』

『お兄ちゃん…』

真紅の瞳を自分の足元にやった少年は、少し逡巡した。

「…彼らを始末すれば、ゼーレと父さんの溝は深まるね…」

”ピリリリ…ピリリリ…”

『…シンジ、私だ。』

「父さん?」

『なぜだ?』

相変わらず言葉少ない父親。 どうして、蒼銀の少女と別に行動しているのか? と言うことだろう。

「侵入者が16人ほどいるんだ。 どうしようか?」

『…シンジ、お前の行動が、”すべて”を決めているわけではない。 好きにしろ。』

ぶっきらぼうな父の言葉は、息子の気持ちを少しだけ楽にさせた。

(何をしても…どんな結果になっても、ちゃんとフォローしてやるって言ってくれればいいのに…)

白銀の少年は、小さく笑ってしまった。

「分かった。 確認したいんだけど、いい?」

『なんだ?』

「いつ、”彼ら”と袂を別つの?」

ゲンドウは、周りに聞こえぬよう小さな声で答えた。

『日本政府、国連軍、戦略自衛隊と足並みを揃える必要がある。 表立ったことはまだ出来ん。』

「まだ、なんだね…」

『すまん。』

「いいんだ。 時の流れは前と違うんだし。 焦る必要もないけれど…」

『なんだ?』

「余り変化が大きいと、どうなるか分からないからね…」

『ああ、そうだな。 それで…どうするんだ?』

「うん。 終わったら、連絡するよ。」

『そうか。 ならば”掃除”は任せておけ。』

シンジは、携帯電話を仕舞うと、ゆっくりとゲートの手動操作ハンドルに手を伸ばした。



………ルート13。



レイは保安部員の先導によってジオフロントに入っていた。

「ちょっと、ファースト。」

「なに?」

振り向かず、足の歩みも変えずの蒼銀の少女に、アスカは構わず言葉を続けた。

「あんた、アイツが何をしに行ったのか、知ってんの?」

「ええ。」

「何しに行ったのよ?」

レイは、一瞬ためらったが、嘘は言わなかった。

「…侵入者の排除。」

「え?」

この会話を後ろで聞いていたマナは、やっぱり…という顔だった。

「侵入者って、どういうことよ?」

アスカに答えたのは、戦自から出向してきた茶色い髪の少女だった。

「この停電は人為的に起こされたもの……そういう事よ。」

「排除って…アイツ、人殺しに行ったって言うの?」

「…ええ、そうね。」

「ちょ、ちょっと、綾波さん…」

この言い方は余りにもストレートだ。 あのシンジが嬉々として人を殺すわけがない。

彼がもし…そういう行為に及んだら、たぶんそれは誰かを護るためとか複合的な理由が絶対にある。

そんな言い方、誤解を与えるよ…というマナの抗議の声に、レイは足を止めて彼女を見た。

「マナ、どんな理由があっても…事実は変わらないわ。」

「そ、それはそうだけれど…」

アスカは二人の遣り取りに目を細める。

「アンタもアイツも人を殺した事があるっての?」

その呟くような声に、レイとマナは紅茶色の髪の少女を見た。

少し震えているような彼女の青い瞳を見ながら、レイはためらう事なく答えた。

「ええ、そうよ。 数え切れないくらい殺したわ。」

彼女の言葉は、過去サードインパクトによって滅ぼした人々をも含ませていた。


……それを知るのは、二人だけ。


そんな複雑な色を見せる深紅の瞳と青い瞳がぶつかる。 何も知らないアスカは、ひとつ唾を飲み込んだ。

「すみませんが、綾波三佐、本部へ。」

先ほどまで無線機で通信していたサングラスの男が、痺れを切らせたように少女たちを促した。

「…了解。」

レイとマナが走り出すと、保安部員たちも動き出す。

「惣流三尉、我々も急ぎましょう。」

専属の護衛が声をかけると、少女はビクリと肩を小さく震わせた。

「わ、分かっているわよ!」

母親の自殺以来、”死”という言葉に敏感になっているアスカは、

 蒼銀の少女の後ろ姿を眼で追いながら答えた。



………ルート7。



ドーラに教えて貰ったとおり、エレベーターの大多数は、その運用を停止していた。

潜入者たちの目的地は、セントラルドグマよりもさらに深部にあるようだ。

『マスター、侵入者に葛城ミサト、加持リョウジが捕まりました。』

「IDカードを使用不可にして。」

『畏まりました。』

”チンッ”

シンジたちがいる場所は、北側のエレベーターを利用している侵入者の反対側、南ブロックである。

基本的に、北と南で対象になるように造られているNERV本部の設備。

「さあ、行こう。」

白銀の少年は、セントラルドグマへ向かうために、口を開けたエレベーターに足を踏み入れた。



………セントラルドグマ。



”カシュ! …ビー!”

エラーを示す赤い表示が現れると、男は舌打ちをした。

「ちっ…なぜIDカードが使用できない?」

「隊長、男のカードも使用できません。」

隣のドアのロックを解除しようとした部下の報告を聞くと、男は女の写真が貼られたカードを投げ捨てた。

箱の中にいた男と女は、後ろ手に縛られており、目は隠され、口にはロープが巻かれていた。

隊長である責任者は、男に近付くと乱暴にロープを解いた。

”グイッ!”

「ぐっ…」

「答えろ。 なぜ、貴様らのカードが使えんのだ?」

「それだけNERVのセキュリティがいいんだろ。」

にやり、と笑う男。 その顔を見て、怒りを抑えながらもう一度質問をする。

「このフロアから下へ降りるには、どの設備を使えばいいのだ?」

「ここまで鮮やかに侵入したんだ。 モチロン知っているんだろ?」

この男は……。  …隊長は穏やかな表情のまま静かに拳を握った。

”ゴッ!”

「ブハッ…」

リョウジは顔に受けた衝撃で、蹲ってしまう。

「んー!! んー!!」

「なんだ、女?」

赤いジャケットの女が騒ぐと、男は口のテープを剥がした。

「ぷはぁ! ちょ、ちょっと加持くん、大丈夫?」

視覚を奪われているミサトも今耳に入ってきた鈍い音から、十中八九、彼が男に殴られたと理解した。

「最初に言っただろう。 君らの命は、私が握っていると。 あまり舐めた答えをすると、後悔するぞ?」

「…ぐうぅ…ッ!」

加持は無理やり起こされた。

「待って! …中央ブロックよ。」

「くっ! 葛城…」

「ほう…ミスカツラギ、中央ブロックとは?」

「北と南を繋ぐ回廊の中心。 そこからなら下へ行けるはずよ…」



………上空。



雲ひとつない抜けるような青空を一機の航空機が飛んでいる。

機体には、国連軍所属を意味する『UN』の白い文字。

将官のアイデアにより、緊急で離陸したのは、低速に強いレシプロ機であった。

出力の小さいエンジンとプロペラを利用して青空を駆ける、この飛行機の速度は遅い。

緊急時であってもこの機体が選定されたのには、理由があった。


……使徒襲来。 


この事実をNERVと第3新東京市に住む住民に知らせなければならなかったからだ。

ジェット機を使用すれば速いが広報が出来ないし、ヘリでは移動時間がかかるのだ。

パイロットが、急ごしらえで用意された放送テープを再生させる。

両翼に備えられた大型スピーカーから、女性のアナウンスが流れ始めると、

 レシプロ機は、ビルの生い茂る都市部に向けて、ギリギリまで高度を下げていった。



それを地上で見ていたのは、NERVのメインオペレーターである日向マコトだった。

「ん、何だ?」


『…只今、正体不明の物体がこの地域に向け移動中です。

 住民の皆様は、速やかに指定のシェルターへ避難して下さい。』


「やばい! 急いで本部に知らせなきゃ! あ〜 でもどうやって…」

マコトが周りを見ると、一台の車が向かって来た。


『…こういった非常事態にも動じない、高橋、高橋覗をよろしくお願いいたします。』


「あぁ! ラッキー!」

目を輝かせたメガネの男は、車道に身を躍らせた。



………中央ブロック。



「女の言うとおり、地下に通じる階段があります。」

「どうしますか? エレベーターのワイヤーを利用した方が早いと思われますが…」

「そうだな。 階段では時間が足りん。 我々はエレベーターシャフトのワイヤーを利用する。」

「では、この男と女はどうしますか?」

「ふん。 舐めくさった男は、ここでサヨナラだ。 人質は一人で事足りる。」

「ハッ!」

(ゲッ…)

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

死刑宣告されてしまった、だらしない恰好の男は慌てた。

自分の人生、こんなところで終わらせるワケにはいかない。 求める真実にも辿り着けていない。

「加持くん!」

ミサトが、加持がいるであろう方向へ身を乗り出した。

「おい…五月蠅いからもう一度、女の口を塞いどけ!」

大柄な部下が、雑に女の口にテープを張り付ける。

「む、むぐっ」

「さて、ミスター…カジと言ったか。 最後に一つ、役に立ってもらおう。」

隊長である男は、加持リョウジの周りに対人センサーを8基用意させた。

「これは私からのプレゼントだ。 受け取りたまえ。」

後ろ手に縛られている不自由な手に、ひんやりと冷たい金属の塊を握らされた。

「おっと、気を付けたまえ。 それは振動に非常に敏感でね。 決して揺らさないことだ。」

「…これは何だ?」

「君の周りのセンサーが反応すれば、その塊は爆発する。 また、君自身が動けば同じように爆発する。」

加持の耳元で男が言葉を続けた。

「君の命と引き換えに、我々は接近する敵を知ることができる。 まぁ…せいぜいその姿勢を保て、カジ。」

加持の手にあるのは、高性能爆薬。 周りに見えないように設置されたのは温度による対人センサー。

「準備が整いました!」

「では、行くぞ。」

そして男たちは、ミサトを連れて次々とシャフトへと消えていく。

置き捨てられた加持は、動けなかった。



………発令所。



ロウソクが灯る最上段。 そこに立つ副司令官は、状況を確認しながら言った。

「このジオフロントは、外部から隔離されても自給自足できるコロニーとして造られている。

 その全ての電源が落とされるという状況は、理論上あり得ない。」

数メートル下の白衣の女性が、コウゾウを見た。

「誰かが、故意にやったということですね。」

サングラスの男は、手を組んだまま言う。

「おそらく…その目的は、ここの調査だな。」

金髪の女性は、サングラスの男を見ながら対策を考える。

「復旧ルートから本部の構造を推測するわけですか。」

冬月は、腰に手をやった。

「何処の手の者かは分からんが、癪な奴らだ。」

「MAGIにダミープログラムを走らせます。 全体の把握は困難になると思いますから。」

リツコの提言に、ゲンドウが了承を告げる。

「…頼む。」

「はい。」

「本部初の被害が使徒ではなく…同じ人間にやられたものとは、やり切れんな。」

冬月コウゾウの呆れたような口調に、ゲンドウは無表情に返した。

「しょせん…人間の敵は、人間だよ。」



………地上。



”ブロロロロ!!”

『…当管区内における非常事態宣言発令に伴い、緊急車両が通りますって、あの…』

屋根に巨大なスピーカーを据え付けた白いワンボックスカーが、猛スピードで走り抜ける。

「行き止まりですよ!!」

女性の瞳に、車止めで封鎖されたトンネルが見える。

「あそこで止めてくれ!!」

メガネの男は、NERVの入口を指差す。

「あいよ!」

運転手の操る自動車は、ゲートにぶつかるような勢いだ。

「い、いやぁぁああ!!」

ウグイス嬢の悲鳴が車内に響く。

ドライバーは思いっ切りハンドルを切って、底が抜けるような勢いでブレーキペダルを踏みつけた。

”キキキィィィィイイ!!”

転倒するかのように傾いた自動車が水平を取り戻すと、勢いよく助手席側のドアが開け放たれる。

「助かりました!」

「なんの! 高橋覗に清き一票をよろしく!」

にやりと笑ったドライバーの声に手を振って応えたマコトは、ゲートを管理する守衛所へ走った。

「電話を貸してくれ! 緊急事態だ!」

「おっおい! お前は誰だ!」

突如、走り込んできた男に、警備員は反射的に伸縮式の警棒をジャキンと伸ばした。

普段のにこやかなマコトならすぐに気付いたかもしれない、それほど今の彼の表情は鬼気迫るものがあった。

「中央作戦本部、戦術作戦課所属、日向マコト二尉だ! ほらっIDカード!」

「ま、まずチェックします! こちらに手をかざしてください。」

「そんなのいいから、電話を貸してくれ!!」

慌てている男は、守衛所の電話機を引っ手繰る。

こうして、使徒襲来の一報が発令所へ齎された。



………レベル15。



アスカとレイが霧島マナと別れたのは、つい先ほどだった。

このフロアに戦自研からの出向職員の執務室は用意されていたのだ。

そして、発令所へと向かう廊下で、緊急を知らせるアラートが鳴り響いた。

”ビー! ビー! ビー!”

『使徒接近! 使徒接近! 第一種戦闘態勢!』

「なんですって!」

「…急ぎましょ。」

敵襲の一報を聞いた二人の少女は、動きを止めてしまっている歩道を走った。

普段であれば、立っているだけで小走りくらいの速度で移動できるこの通路も、動力がなければただの床だ。

そして、発令所へ通じる廊下に隔壁が下りていた。

「綾波三佐、外部と通じている発令所へのルートは、このように全ての隔壁が下りているようです。」

「…時間が惜しいわ。 近道しましょう。」

そんなのがあるなら、早く言いなさいよ…とアスカの青い瞳が大きくなった。

「で、その近道って?」

「ダクトを破壊して、その中を進むわ。」

「了解、進路を確保します。」

EVA独立中隊の少女の言葉に、保安部員は素早く従う。

それを横目に見た紅茶色の髪の少女は小さく呟いた。

「ファーストって目的のためなら手段を選ばないタイプってヤツ?」



………中央ブロック。



薄闇の通路を音もなく移動する影がある。

ジオフロントの南側から移動して、間もなく中央ブロックに到達しようとしているのは碇シンジ二佐だった。

彼の右手には、国連軍の特殊部隊、トライフォース時代から愛用している自動拳銃FN5−7があった。

この拳銃は、200mの距離からクラス3の防弾チョッキを撃ち抜けるライフル弾を20発装てんできる、

 非常に攻撃力の高い代物である。

(電源設備や上層階の調査のお陰で、一般職員の被害者がいなかったのは不幸中の幸いだったな。)

今のところ、侵入者による被害者はジオフロント内の警備室だけであった。

『おにいちゃん、あそこ!』

『マスター、感温センサーが8基起動しています。』

紅い本とPDAの波動で、シンジは足を止めた。

『…加持一尉?』

300m先の薄闇に、小さな影が見える。 ゆっくりと近付くと男が後ろ手に縛られ、正座していた。

白銀の少年は、20mほどの距離から小さな声で男を呼んだ。

「加持一尉、生きていますか?」

もちろん生きているのは分かるが、男は不自然なほど身動きをしていない。

「…シンジ君か。 すまない、俺に近付かないでくれ。」

加持リョウジは俯いたまま、シンジよりも小さな声で応えた。

「人が近付くと、その温度により起動する爆薬があるんですね。」

少年の言葉に、特殊監査部の男は緊張した口調で答える。

「…ああ、それと振動にも敏感らしい。」

「なるほど。 侵入者はどこへ?」

「この先のエレベーターシャフトを通って、ターミナルドグマへ向かった。 葛城が人質になっている。」

「…取り敢えず、爆弾を処理しますよ。」

加持は驚いた。 少し離れた前方から聞こえていた少年の声が、突如、自分の後ろから聞こえたのだ。

いや、その声は、自分の背中から聞こえたといって良い距離だ。

そして、加持の手から金属の感触がなくなったのは、その直後だった。

ひょい、と雑に取り上げられたのだ。

「お、おい!」

余りの無神経さに、男の声はつい大きくなってしまった。

「落ち着いてください。 爆薬の信管は動作しませんよ。」

シンジは、左手に持った爆薬を地面に置いた。

『ありがとう、ドーラ。』

『お安いご用です、マスター。』


……センサーを無効にし、爆薬の起爆機構を無効化したのは、PDAのドーラだった。


加持を縛るロープを解いてやり、そのまま彼を立たせた。

「大丈夫ですか?」

目隠しを取って縛られた痕の残る手を摩りながら、加持は礼を述べる。

「あ、ああ。 ありがとう。 助かったよ。」

「加持一尉、NERV本部の停電工作は彼らの仕業ですかね?」

(ギクッ!)

シンジの呟きとも取れない小さな疑問に、男は努めて冷静に答えた。

「…ああ、たぶん…そうなるだろうな。」

「これだけの時間を使っても復旧出来ないなんて…」

加持は少年の方へ視線を動かしたが、シンジの顔は薄暗くよく見えなかった。

「電源設備等の情報を流した…つまり、内通者がいると?」

「…ええ、そうなるでしょうね。」

「ふむ…それについては、オレの方でも調べてみるよ。」

「それよりも、今は彼らの目的を知るのと、侵攻を止めるのが最優先ですね。」

「止める? 一体、どうやって?」

「僕が行きます。 出来れば捕獲したいんですけれど。」

「う〜ん、大人しく捕まるとも思えないな。」

「取り敢えず、加持一尉は、他の職員が来ないように、ここで待機してもらえませんか?」

「よし、分かった。」

加持と別れたシンジは、開いているエレベーターシャフトを覗き込んだ。



………ダクト。



保安部員を先頭に、レイ、アスカは狭い空間を進んでいた。

「いくら近いからって…カッコ悪すぎだわー はぁー かっこわるーい…」

このダクトスペースで行動するには、四つん這いにならないといけない。

まだ小柄な少女たちは問題なかったが、大柄な保安部員たちはキツそうだ。

「ねぇ、ファースト…」

「なに?」

「アンタは、アイツが人を殺しても… その、何とも思わないの?」

その無遠慮な言葉に、さすがのレイも動きを止めた。

「思うわ…」

「じゃ、アンタはアイツを止めようとは思わないの?」

「思わない。」

「え…だって、今、思うって言ったじゃない!?」

「碇君が決断したことを、私は止めようとは思わないわ。

 でも…出来るなら、私が代わってあげて…碇君の負担を減らしたい。 碇君は、とても優しいから…」

先頭の男が、その身体を右に押し込めると、彼女たちはその後に続く。



………シャフト。



このエレベーターは、セントラルドグマからターミナルドグマ上層部を繋ぐ設備である。

距離にしておよそ700mの空間を移動している潜入者たちは、ちょうどその中ほどを通過していた。

彼らは、ディセンダーと呼ばれる機械を使い、エレベーターのワイヤーを一定速度で降下している。

シュゥーという音しか聞こえない暗闇の空間。

それを”見た”シンジは、まるでプールに飛び込むようにその身を宙に躍らせた。

ヒュゥッ…と空気を切り裂き、バランスを取りながら降下すると、男たちが見える。

(葛城ミサトは、一番下の男が担いでいるな…)

と、言うことは、上の人間から片付ける事は出来ない…

(しょうがない、人質の救出を最初にするか…)

少年は、落下しながら最初の行動を決めた。

目の前のワイヤーは、空間の中心に4本等間隔で一直線に並んでいた。

周りの壁は四隅の柱と補強の鉄骨が剥き出しになっている。


……男たちにとって僅かではあったが、この静かな時間は突然と終わりを告げた。


”ヒュゴッ!!”

何かが落下してきたのだ。

”ゴキィ…”

「ぐぇっ!」

男の喉にシンジの拳がめり込んでいた。 呼吸を強制停止させられた男は、苦悶の表情で白目をむく。

そして、だらりと力が抜けると、彼は肩に載せていた”荷物”を落としてしまった。

赤いジャケットの女性が闇の底に呑まれていく。

(あっ!)

ATフィールドで空間に立っているシンジは、ミサトを追って再びその身を落とした。



葛城ミサトにとって暗闇とは、苦痛と恐怖以外の何物でもなかった。

経験という”殻”を強くすることで、子供の頃よりは良くなっているが、それでも苦手であった。

眼隠しと猿轡。 体は縛られて動けない。 視覚を奪われていると、体中の神経が敏感になってくる。

先ほどから、下に降りる感覚が続いていた。 聞こえるのは、滑車が回るような音だけ。

そんな時間がどれだけ過ぎただろうか? そう思っていると突然、男の体が揺れて、ずるり、と転がる感覚。

(ちょ、う、うそでしょ!)

次の瞬間、彼女を支えるものは何もなかった。

(いやぁぁぁぁあああ!!!!)

恐怖の余り彼女はプツリと意識を手放してしまった。



侵入者たちは、ナイトビジョンスコープを装着している。

その視界を”白い塊”が落下していった、と認識した瞬間、仲間の一人が倒された。

”ダララララッ!”

男たちは、装備されている自動小銃のトリガーを引いたが、その白は再び下に落下して消えていく。

「落ちていったぞ!?」

「やったのか?」

「…あの白いのは、何だったんだ?」

先行していた部下が、仲間の状態を確認した。

「隊長! 人質を抱えていたナンバー5がやられました。」

「…人質は?」

「はい、落してしまったようです。」

「くそっ! 先ほどのは、一体何だったのだ?」

「確認できていません! 人のようでしたが、なにせ一瞬でしたので…」

責任者は、部下に命令を下す。

「よし、爆薬の信管を遅延3秒に設定して投げ落とせ。」

「ハッ! 了解!」

「散開! 散開せよ! 各員は爆風から逃れるよう、直ちに構造体へ身を隠せ!」

「早くしろ! ワイヤーを外せ! 急げ!」

そして、拳ほどの大きさの爆薬はシンジの後を追うように落とされた。


……侵入者が反射的に銃を発砲する。


”ダララララッ!”

その時、この暗闇では”白”と呼ばれた物体、碇シンジはミサトへ右手を伸ばしていた。

”バジュッ!”

不運にも伸ばした右腕に一発の銃弾がめり込むと、

 それはそのまま筋組織を焼き、破壊しながら骨を砕いていった。

「ぐあっ!!」

『あ! おにいちゃん!』

『マスター!』

『…い、碇君!?』

白銀の少年の顔が歪むと、それぞれの波動が少年に向けられる。

遥か上層部にいる大切な少女からの心配げな波動を感じると、

 シンジは無傷の左腕を伸ばし、大人の女性を掴んで波動を返した。

『…大丈夫。 すぐにそっちに戻るから。』

シンジが自分の右腕を見ると、破壊された二の腕が一瞬で治癒される。

そして、ATフィールドでコーティングした右手でワイヤーを掴んで加速していた身体を止めた。


”ヒューー”


その横を、”何か”が下に落ちていく。

(なんだ?)

白銀の少年がそれを見ると、最下層で待機しているエレベーターの天井部に当たった。

”ゴァァアン…”

「あれは…まずいっ!」

何が落とされたのかを知ったシンジは、

 ミサトを横の鉄骨に投げ込むと、彼女に覆い被さるようにその狭い空間に飛び込んだ。

次の瞬間、空気の衝撃波と爆炎が生まれた。


”カッ! …ズドォォォン!!”


それは全ての空気を飲み込みながら、爆破で生じた超高圧力の捌け口を求めて上昇していく。

”…シュゴォォォオオ!!!”

ATフィールドを張るシンジのすぐ横を赤々と染め上げながら、超高熱の炎が通過していった。

「くぅ!」

白銀の少年は、その業火の光に目を細めた。

再び闇が空間を支配すると、シンジはオートマチック拳銃を構えて上にいる敵の排除を始める。

(左下! その上…)

”ガァン! ガァン!”

暫くすると黒い塊が二つ、破壊されたエレベーターに向かって落ちていった。

”ダララララ!! ダララララ!! ダララララ!!”

お返しとばかりに敵から放たれた銃弾が周りの鉄骨に当たって兆弾すると、その摩擦で火花が散った。

それはあらゆる方向へ飛び、四方の壁を削り取っては次々に闇へと消えていく。

(右! 上! 中央!)

”ガァン! ガァン! ガァン!”

死角になる場所に身を隠していた男たちは、

 肩や腕を吹き飛ばされると、爆熱で変形したエレベーターへと次々と落ちていった。

侵入者たちは下からの攻撃に応戦していたが、その手応えの無さに焦りを感じ始める。

銃弾を雨とばかりに叩き込んでも、

 まるで見えない壁が彼らを護っているかのように、一向に敵の手が止まることがなかったからだ。

実際、シンジは自分の銃口以外にATフィールドを張って敵の牙を遠ざけていた。


……この部隊からしてみれば、得体の知れない相手だった。


突然と現われて、仲間を次々に死へと誘っていく… まさに慈悲なき死神のようである。

「隊長!」

「くそっ! なんなんだ!? 敵の数は?」

「分かりません!」

「ぐわぁ!」

戦場の時間は、止まることを知らない。 会話をしている側から次々に仲間がやられていく。

選び抜かれたエリート兵である部下たちは、恐怖と混乱を感じる中でも攻撃の手を休めることはなかった。

(…あと、4人!)

シンジは素早く狙いをつけて、躊躇なく引き金を引く。

(…3人!)

被害者から見れば、これは一方的な虐殺だった。

”ガァン!”

この銃声が響けば、一人の生命活動が永久に停止する。

責任者であり、今作戦の指揮者である侵入部隊の隊長は、薄闇の先の敵を観察していた。

(なんなのだ?)

今戦闘で幾度となく繰り返した言葉。

それほど不可解な…ナイトビジョンスコープに映る銃弾を弾き返す光景。

(”あれ”は何だ?)

信じられん、と周りを見れば自分と副隊長しかいない。


……持ち込んだ武装を惜しげもなく投入した戦闘は、間もなく終わりを告げるだろう。


そう感じた彼の眉間に、仲間と同じように一発の銃弾が突き抜けていった。

「ぐはぁあ!」

敗北を知らなかった男が吹き飛んで闇に消える。

「ひぃぃぃ!」

初めて聞く男の声に、小柄な影が悲鳴を上げた。 侵入部隊の最後の生き残り、副隊長は武器を捨てた。


……これは戦闘と呼ぶべきであろうか? 相手すら認識できないうちに、仲間は絶えてしまった。


「まて! まてまてまて! 投降する! ほらっ! 私は手を挙げているぞ!」

この異常事態に、己のプライドなどに拘る気は毛頭なかった。

最早、形振り構っていられない状況である、とこの男はそれほどまでの恐怖を魂に感じていた。

その言葉、身振り、波動を見た白銀の少年は、ゆっくりと拳銃を下ろした。

男のナイトビジョンスコープにその様子が見られる。

銃を構えていた男が、人質であった女の方に顔を向けたのだ。

(…今だ!)

恐怖を感じる対象は、排除しなければならない。 そういう排他的な戦闘訓練の成果と行動だった。

男は下に向けて自分の温存していた爆薬を投げつけようと、その身を躍らす。

その刹那、シンジの銃口が火を噴いた。

”ガァン!”

ぐらり、と男が崩れると彼の手から爆薬が零れ落ちてしまう。

”ヒュゥゥ…”

(さっきのよりデカイ!?)

白銀の少年は、再び葛城ミサトの上に覆い被さった。


”…ドガァァァアン!!!”


圧力も熱量も先ほどとはケタ違いの爆発が起きる。

エレベーターも、その上に降り注いだ侵入者たちの身体も跡形もなく消し去る暴力だった。

”ヒュッヒュッヒュッヒュッ”

ムチが空気を切り裂くような音にシンジがそれを見ると、

 エレベーター用のワイヤーもこの衝撃で千切れ飛んでしまったようだ。

バランスをとるためにワイヤーに繋がれていた金属製の塊、バランスウェイトが遥か遠くから落ちてくる。

白銀の少年は、赤いジャケットの女性を抱えると、上に巻き上げられていくワイヤーを掴んだ。



〜 セントラルドグマ 〜



加持リョウジは、体中に走る痛みに顔をしかめていた。

(…ぐぅ!)

彼は、エレベーターの扉から噴出した二度目の爆風に吹き飛ばされたようだ。

(ぐ、ぐぐ…シ、シンジ君は大丈夫なのか? 葛城は?)

黒煙を吐き続ける扉を見ながら、ヨロヨロと立ち上がる。

「いててて…」

「加持一尉、彼女をお願いします。」

黒煙の中から現れたのは、糸の切れた操り人形のように”だらり”とした女性を抱えているシンジだった。

「葛城! シンジ君! …無事だったか。」

「ええ。 彼女は気を失っているだけです。 彼らを捕える事は出来ませんでしたが…」

「…そうか。 取り敢えず、無事でなによりだ。」

加持は白銀の少年から女性を受け取ると、気を失っている彼女の縄を解いた。

「では、僕はケージに行きます。」

「…ああ、分かった。」



………第7ケージ。



シンジがミサトを救出する10分ほど前。

ちょうど彼がセントラルドグマへ到達した時刻に、

 レイはプラグスーツに着替え、紫の巨人が待機している第7ケージに到着していた。

ダクトを進んで発令所に到達した少女たちに、最高責任者碇ゲンドウが下した命令は、

 ファーストチルドレンは使徒迎撃のため直ちに出撃準備を、セカンドチルドレンは発令所で待機せよ、

  というものだった。

通常時であれば出撃前のケージにはいない人物、赤木リツコ技術開発部長の声がケージに響いている。

「電源を切り替えながら出撃準備をします! 手順は配布したとおり、回路を切り替える準備をしなさい!」

「了解! 停止信号プラグ排出!」

蒼銀の少女は、白いマントのようなポンチョを翻して、

 自分を妹のように大事にしてくれている女性に歩き寄った。

「EVA独立中隊、綾波三佐、到着しました。」

その声に、厳しい目でリストを睨んでいた金髪の女性の目元が、ほんの少しだけ緩んだ。

「御苦労さま、綾波三佐。 で、碇二佐は? あなたたちは初号機での出撃でいいのかしら?」

「…隊長は遅れますので、私が零号機で先行し、迎撃行動を行います。」

「そう、分かったわ。 では、第3ケージに急ぎましょう。」

金髪の女性がマイクのスイッチを押す。

『初号機の出撃準備を中止、零号機の出撃を最優先とします!』

マイクを置いたリツコは、整備部を伴ってケージを後にした。



………第一発令所。



「早期警戒レーダー復帰しました!」

この伊吹マヤの声と、惣流・アスカ・ラングレー三尉が発令所に到着したのは、ほぼ同時だった。

「使徒は!?」

素早くキーを叩く日向マコトがそれに答えた。

「現在、旧熱海方面より巨大物体の侵攻を望遠カメラにて確認!」

「メインモニターに出します!」

青葉シゲルが操作すると、発令所にどよめきが起きる。

「おお!」

巨大な黒い柱が動いていた。 それは、海中から現れた使徒の一部。

そして、海原をかき分けるように出てきたのは、半球状の本体。

黒球の上半分を切り取ったかのような身体だった。

その部分から昆虫のような長大な脚部が4本、天空に向かって延び上がっており、

 全長の半分ほどの長さでコンバスのように折れ曲がって大地に突き刺さっている。

また本体部分には眼状の模様が複数あったが、それは第四使徒シャムシエルのような単純な円状斑ではなく、

 古代エジプト人が残した壁画に登場する人物のように切れ長で、より一層生物的ではなかった。

「…電源設備はどうした?」

モニターを睨んでいるゲンドウの言葉に答えたのは、ロンゲの青年だった。

「はい、整備部からは、点検調査結果がまだ纏め切れていないとの事ですが…」

「構わん。 それで?」

「はい。 まず受電設備の主要遮断器が破壊されているようです。 短期の復旧は難しいとのことです。」

「むう…今回の戦闘には間に合わんか…」

コウゾウの言葉は小さく、また溜め息交じりであった。



………第3ケージ。



”00”とペイントされたエントリープラグが、青い巨人の脊髄に注入される。

プロトタイプであった零号機は、先の第五使徒戦役での損壊を機に改修を進められていた。

カラーリングは試作を意味する警告色のイエローからサードチルドレンのプラグスーツのような深い青へ…

 また、その身を包む特殊装甲は、制式機である二号機と同様の物に変更されていた。

「大型バッテリーを接続しろ! 急げ!」

整備部の主任の声が、一際大きくケージに木霊する。

喧騒に包まれるケージ。 その天井部にある管制室で、白衣の女性が作業の進捗をモニターしていた。

”ピピッ!”

通信を知らせるランプが点灯すると、リツコは流れるような動作で操作端末のキーを押す。

そのディスプレーに映ったのは、起動準備をしている蒼銀の少女だった。

『…赤木博士。 第一発令所に現在の状況を確認したところ、作戦の立案にはまだ時間がかかるようです。

 私は、隊長が戦場へ到着するまでの時間を稼ぎたいと思います。』

リツコは、MAGIのデータを確認して返事をする。

「…使徒は旧熱海方面より進行中。 とはいえ、こちらに到達するまでに少し時間がかかりそうね。」

レイも同じデータを確認している。 先制攻撃を仕掛け、敵の進行速度を落とせれば…

『はい。 できれば第3新東京市の外郭部で迎撃したいと考えます。

 現状況で、使用可能な武装はありますか?』

金髪の女性は、別のモニターに都市部の状況を表示させる。

「第3新東京市の兵装ビルシステムは、停電のために稼働せず。 またその復旧の目処も立っていないわ。

 エヴァの装備の中で使用可能な武器の一覧を送るから、迎撃に必要なものを選んでくれるかしら?」

『…了解。』

リツコは通話を切ると、マイクのスイッチを押した。

「零号機の起動シーケンス開始、シンクロスタート。」

管制室とケージに金髪の女性の声が伝わる。



………第一発令所。



腕を組んで、第壱中学校の制服の袖を握り巨大3Dモニターを睨む青い瞳があった。

巨大画面に映る第3新東京市は夏の青空の下、非常にのどかなものだった。

なぜなら、都市部は停電し、戦闘形態への移行も行っていないから。

しかし、これからの戦闘で脅かされる住民の安全は、

 停電時のアナウンスにより地下シェルターへ避難することで確保されている。

人気のない街並みは、まるで時間が止まってしまったかのような雰囲気だった。

その街並みを映している巨大モニターの右上には、

 別の枠でレーダーと地形図を組み合わせた敵の侵攻図が描かれていた。

それは、人類の脅威が着実に近づいてきている様子をリアルタイムで更新している。


……発令所に、第3ケージにいるリツコから報告が上がった。


『零号機の起動完了。 出撃準備が整いました。』

手を組んだまま、ゲンドウは静かに命令を下す。

「では…零号機、出撃。 地上に至る障害物は実力で排除しろ。」

レイが通信装置のスイッチを押す。

『…了解。 零号機、出ます。』

蒼銀の少女の静かな声に、アスカが顔を上げた。

「…私も出るわっ!!」

その声に驚いたマヤは振り向いて、仁王立ちの少女を見た。

「アスカちゃん、弐号機の修理は完了していないの。 無理よ!」

ショートカットの女性の言葉に、アスカは自信に満ちた顔のままだった。

「そんなの左腕が付いていないだけじゃない!」

「いいえ、換装した左脚だって取り敢えず接続しただけで、調整もしていない状態なのよ?」

「ハッ! 私を誰だと思っているの?」

「いいだろう。 弐号機の出撃を認める。」

マヤは、この野太い声に驚いた。

「司令!?」

「構わん。 弐号機にバッテリーとパレットライフルを装備させ、出撃だ。」

冬月は、腰を屈めると男の耳元で確認をする。

「…シンジ君はまだ出られんのか?」

侵入者とその排除に向かったサードチルドレンの事は、まだ責任者であるこの二人しか知らない事実だった。

「ああ、まだシンジからの連絡はない。 時間稼ぎくらいにはなるだろう。」

”ピピッ!”

その時、司令官用の机に埋め込まれているモニターに新着メールが届いた。

「どうした、碇?」

「…シンジの仕事が終わったそうだ。」

「そうか。 では、諜報部へ掃除の連絡をするか…」

「いや、掃除は不要らしい。」

「ふむ…」

ゲンドウは、メインオペレーターである女性に厳しい口調で続けた。

「何をしている? 時間がない。 すぐに赤木博士に連絡しろ。 …セカンドチルドレン、出撃だ。」

「りょ、了解!」

「了解!!」

マヤが第3ケージにいる上司へ連絡するのと、アスカがパイロット専用更衣室へ走り出したのは同時だった。



………第4ケージ。



整備部と金髪の女性がアンビリカルブリッジにいた。

先ほど零号機を出撃させた彼女らは、修理中の弐号機の最終調整を行っていた。

「赤木博士、冷却用LCLの排出が完了しました!」

報告したオレンジ色のツナギの男性に、白衣の女性が次の指示を出す。

「では、次にウェイトバランスの調整をします!」

別班の作業チームが、武装コンテナを用意する。

「電源をこっちに寄こしてくれ!」

「待ってくれ! エヴァ本体の調整が先だ!」

ケージは、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。



〜 坑道 〜



”ガシィン! ガシィン! ガシィン!”

超巨大質量が移動すると、まるで地震のような衝撃が周囲に生まれる。

普通の強度計算により建造された建物なら、すぐに崩壊するであろうこの衝撃にもここが壊れることはない。

特務機関NERVの機械用ダクト。 通常ならばジオフロントと地上の空気を入れ替えるためのスペース。

通気用の金網が蜂の巣状に設えられた隔壁が300m間隔でそびえ立つ。

青色の巨人は、それを破壊しながら移動している。

そして、四つん這いの姿勢で窮屈そうに進む零号機の手には、金属で編み込まれたワイヤーが握られていた。

特殊金属が編み込まれた縄の先にあるのは、巨大な台車に載せられたコンテナである。

坑道を進む零号機が目指すのは、第3新東京市の郊外に位置する迎撃ポイント。

エントリープラグの蒼銀の少女は、零号機を操りながら前史を思い出していた。

(パレットライフルで殲滅された唯一の使徒。 たぶん防御力はない。 遠距離からの狙撃でいけるはず…)

少女のエントリープラグに、地上へ至る坑道の出口が見え始めた。



〜 南ブロック 〜



シンジは、階段部で足を止めていた。

なぜケージに向かっていないのか? と言われると、彼は侵入部隊が残したトラップを解除していたのだ。

その多くは、加持リョウジが持たされていたモノ同様、

 電子的なものだったのでドーラにより瞬時に無力化できたが、

  中にはドアを引けば手榴弾のピンが抜ける…というようなアナログなものもあった。

「よし、これで全部だね。」

立ち上がったシンジは、階段を駆け上がりケージを目指した。



〜 第4ケージ 〜



「大型バッテリーを接続して! パレットライフルを用意!」

金髪の女性の声がケージに轟く。

プラグスーツに着替えたアスカは、アンビリカルブリッジ上部の搭乗ポイントへ走った。

そのままインテリアを組み込んだ白い筒へ乗り込むと、ワイヤーが巻き取られてゆっくりと持ち上がる。

『フライホイール接続完了!』

『起動用ディーゼル回せ!』

『補助電源、準備よし!』

『了解。 LCL、電荷。』

アスカは、操縦桿を握った。

「いくわよっ シンクロ、スタート!」

”バシュゥゥウン!”

周りが七色に輝き、第4ケージがエントリープラグに表示される。

”ピュイン!”

通信ウィンドウが開くと技術開発部長がいた。

『…惣流三尉、聞こえて?』

「ええ、聞こえているわよ、リツコ。」

『先行した零号機は、第3新東京市の郊外、南西部へ移動したわ。 …あなたはどうするの?』

「どうするって… そんなの作戦考えるミサトの仕事でしょ!? ミサトはどうしたのよ?」

『葛城一尉は、NERV本部いるみたいだけれど…まだ発令所に来ていないわ。』

「ハッ! 何やってんのよ!」

憤慨する少女をスルーして、リツコは現状を伝える。

『取り敢えず、使徒は旧熱海方面より第3新東京市の南部を目指しているわ。』

白衣の女性が送信してくれたデータがモニターに浮かび上がる。

「ファーストは南西に移動してどうすんのよ?」

『側面から狙撃による迎撃をする、と言ってポジトロンスナイパーライフルの試作品を持って行ったわ。』

アスカは、モニターを睨んでいた瞳を閉じて答えを出した。

「…そう。 じゃ、あたしは正面から行くわ。」

『…では、アンビリカルブリッジを手動で移動させて…出撃、よろしくね。』

「了解!」

作業員が退避し出撃準備が整うと、赤の巨人が動き出す。

『2番から36番までの油圧ロックを解除。』

『圧力ゼロを確認!』

『状況、フリー!』

その巨大な腕で各種の拘束具を除去していく。

進路を確保したアスカは、零号機の通った坑道とは違うルートへ向けて巨体を機動させた。





静止した街の中で。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






………地上。




レイの乗る青の巨人は、緑あふれる山腹でうつ伏せの状態をとりポジトロンライフルを構えていた。

ファーストチルドレンである少女は、MAGIの測定データを表示させると、生命維持モードに変更する。

エヴァは電力がなければ動かないのだから、限られたそれを効率的に運用することは非常に重要である。

蒼銀の少女がモニターに目をやると、第九の使徒は相変わらず一定の速度で移動しているようだ。

(活動限界まで25分。 …ゲインを調整すれば、もう少し延びるわね。)

”ピピッ!”

通信ウィンドウに発令所のオペレーターが映った。

『発令所より零号機へ。』

レイは、ショートカットの女性を見た。

「…零号機、綾波です。」

『弐号機が出撃しました。 出現予定ポイントは、第8管区の5ブロック、零号機より東側です。』

その報告に、少女はミサトが使徒迎撃の作戦を立案したと思った。

「…作戦は?」

『使徒が射程距離に達し次第、零号機は狙撃を開始。 弐号機は使徒の様子を窺いつつ迎撃を開始。』

これは作戦立案責任者である葛城一尉が不在の為、日向マコトが考案し司令部に認められた作戦だった。

『基本行動は以上ですが、敵の能力が不明なため臨機応変に願います。

 また、弐号機の状態は完全でないため、零号機は弐号機の援護もお願いします。』

「…零号機、了解。」

マヤの言葉を聞いたレイは、シンジへ波動を送った。

『碇君?』

『…どうしたの、綾波?』

『セカンド…アスカが出撃したわ。』

『うん、今、姉さんから聞いたよ。 僕も急いで地上に上がるから。』

『たぶん…予備バッテリーを持ってきたほうがいいと思う。』

『…ん? ああ、アスカの分だね?』

『ええ。 弐号機は左腕がないから…』

『稼働時間は短い、か…』



〜 第7ケージ 〜



「どうしたの? 碇二佐?」

アンビリカルブリッジで現状の説明をしていたリツコは、どこかぼけっとしたシンジを心配げな顔で見た。

「弐号機って修理、終わってないんですよね?」

「ええ。 右腕は取り敢えず接続しただけ。 左腕の接合、その他にも必要な調整も終了していないわね。」

「じゃあ弐号機の活動時間は、初号機の半分になりますね?」

「単純にそうなるわね。」

「バッテリーの予備を一つ持っていきます。 アスカに渡せば、それだけ活動時間が延長されるでしょう。」

「そうね、お願いできるかしら。」

シンジは、リツコに濃紺色のポンチョを預けた。

「…気を付けてね。 初号機が発進したら、私も発令所に戻るわ。」

「じゃあ、行ってきます。」

エントリープラグに向かって走り出した弟の背中を見ていたリツコは、整備部に向けて指示を出す。

「初号機に予備バッテリーを! エントリー開始!」


……シンジがインテリアにプラグスーツを接続した頃、アスカは地上に向けてエヴァを移動させていた。


いつも以上に感じる違和感。 弐号機の動きが重いと感じる。

紅茶色の髪の少女は、

 同僚の二人が余りシンクロテストをしていないことを理由に自分もサボリ気味だったことを少し悔やんだ。

(くっ重いわね。 それに感覚に遅れも感じる…)

それでも操縦者の意志に則り、ほふく前進を繰り返す赤い巨人。

人間であれば広大な空間でも、エヴァンゲリオンのサイズになると非常に窮屈になる。

”…ガシィン! …ガシィン! …ガシィン!”

エントリープラグに映る右手には、

 特殊タングステン合金の弾がフルセットされたパレットライフルが握られていた。

「どりゃっ!」

アスカの掛け声と共にハニカム状の隔壁が歪む。

「このっ!」

弐号機は、再びパレットライフルのストックを隔壁に叩き込んだ。

”ガコォオン!!”

2度目の衝撃で、異物混入を防ぐ目的で設置されていた隔壁が吹き飛ぶ。

「あと何枚あるのよ…まったく。」

セカンドチルドレンは、ブツブツ文句を言いながら赤の巨人を地上へ機動させた。



………地上。



「来たわ…」

NERV本部から送られている映像に、敵の一部である脚が映った。

第九の使徒は、第3新東京市の丘を越えてくる。 その動きに、こちらに気付いた様子はなかった。

レイは、エヴァンゲリオンの制御モードを通常に切り換えて、迎撃行動に移った。

青の巨人は、うつ伏せの体制のままポジトロンスナイパーライフルを起動させる。

エントリープラグに赤色のターゲットマークが表示され、少女はそれを敵に定めた。


(もう少し…)

現れた使徒は、巨大なクモを連想させる姿だった。 

敵は、悠然とした動きで移動を続けている。

”ピピン!”

目標をロックしているマークが有効射程を示すグリーンになった。

蒼銀の少女は、躊躇なく操縦桿のトリガーを引き絞る。

”バシュウ!”

第五使徒戦で使用したライフルを携帯型へ改造した結果、

 比較にならないくらいに出力が小さくなりはしたが、それでもこの武器の破壊力は凄まじい。

放たれた光弾が、黒色の敵へ軌跡を歪めながらも正確に向かっていく。

”ブンッ”

敵意を察知したのか、それとも超高速で接近する光弾に気が付いたのか、使徒は自身の体躯を持ち上げた。

曲げられていた4本の脚がまるで傘のように拡がると、先ほどまで本体があった地面が爆ぜた。


”ドカァァアン!!”


零号機による初撃、その爆発が地面を抉り取る。

(避けられた!? 次射まであと5秒の冷却が必要…)

レイは、砲身の冷却を示す数字を見て、再び敵に目を向けたが…いなかった。

「?」

青の巨人が顔を上げると、マトリエルは空にいた。

「…飛んでいる?」

蒼銀の少女は、思わず見たままを呟いてしまった。

爆風で飛んでいた第九の使徒は、緩やかな放物線を描いて第3新東京市の丘陵地帯に着地した。



〜 第8管区 〜



第5ブロックは、ジオフロントの維持に必要な巨大機械設備群が占める工業地域である。

エヴァンゲリオンという巨大物体を想定している第3新東京市は、どこの道路も幅が非常に広かったが、

 その中でも特にこのブロックの道路幅は広かった。

片側5車線の道路が碁盤のように交差しているここは、換気設備用のビルが建ち並んでいる。

その一つに、爆発のような衝撃が走る。

”ガァアン!”

道路を震わせる程の振動。 換気設備用ビルの天井から人の腕が伸び上がる。

”ドガァン!”

二度目の衝撃にビルが崩れると、その中からエヴァンゲリオン弐号機が出現した。


……”02”と記された白い筒に、まぶしい夏の太陽が差し込む。


そう感じてしまうのは、エントリープラグが透明であるかのように全周囲を映し出すシステムだからだろう。

アスカは、MAGIのデータを確認して敵の方向に目をやった。

”ガキィン!”

その瞬間、まるで金属の壁に何かを打ち付けたような音が耳に入る。

これはマトリエルが零号機の2度目の攻撃を紅い壁で弾いた音だった。

「ATフィールド!」

6角形に形作られた盾が消えると、使徒は侵攻を再開した。

一歩、一歩と脚を進める敵は、西の零号機のではなく正面の弐号機の方へ向かってくる。

(…ゴクッ)

操縦桿を握る手に力が入る。

まだ敵との距離が遠いと判断したアスカは、ビルの陰に弐号機を移動させる。

(活動限界まであと7分か。 …焦ってはダメよ、アスカ…)

紅茶色の髪の少女は、危険を承知で弐号機のコントロールを最小消費電力となる生命維持モードへ変更した。



〜 第7ケージ 〜



手動操作による出撃準備は滞ることなく終わったと確認したリツコは、マイクの手元スイッチを押した。

「初号機、発進!」

『了解!』

管制室のモニターにサードチルドレンが映っている。

先行した2体のエヴァンゲリオンと同様に、初号機も各拘束を手動で解除しなければならない。

『状況、フリー!』

整備部の報告が入ると彼の操る紫の巨人が、アンビリカルブリッジを掴んで動かし始める。

そして、シンジは用意して貰った予備バッテリーを手にすると射出ゲートに移動した。

彼は、第3新東京市の中心部を出撃ポイントとして選定していた。

電源を切り替えながら隔壁を開放するので、通常のように間断なく一瞬で進路は確保されない。

ある程度解放されたのを確認した白銀の少年は、紫の巨人をジャンプさせて射出ゲートに入って行った。



………山腹。



(あと4発…)

レイは、移動するかここで引き続き狙撃をするか決断を迫られていた。

敵である使徒は、ゼロエリアに向け移動を再開した。

先ほど地上に出た弐号機は、敵を待ち構えているのか…特に攻撃を仕掛けるような行動は起こしていない。

(残り時間…20分。)

活動限界時間を見やった蒼銀の少女は、正直なところ現在の戦況に落胆していた。

今回の敵は、前史でも一番印象にないくらい弱かった。

威力を減じたとはいえ、あの第五使徒を屠ったライフルであれば、自分だけで殲滅できると思ったのに。

愛する彼の負担を減らせると密かに意気込んでいた自分の目論見は、呆気なく覆されてしまった。

(碇君が地上に出るまで、あと5分。 弐号機の活動限界まであと7分。)

レイは、MAGIのデータを見て作戦を練る。

(マトリエルが弐号機の射程に入るのに、あと3分40秒…)

蒼銀の少女は、あの勝気な少女へ通信を繋いだ。



………薄暗いエントリープラグ。



この筒には、第一発令所と同じ第3新東京市のマップと敵の侵攻図しか表示されていない。

敵を表す赤い三角形のマークがゆっくりと、しかし確実に自機に近付いてきている…

赤色のプラグスーツを着る少女は、操縦桿を握ったまま静かにそれを見ていた。

”ピピッ!”

静かな緊張に満たされたこの空間に、小さな通信ウィンドウが開く。

青い瞳がそれを見ると、ファーストチルドレンがいた。

『…こちらエヴァンゲリオン独立中隊、零号機。』

「なによ、ファースト?」

『敵への先制攻撃の結果、今までの使徒同様のATフィールドを確認したわ。』

「…見たわよ。」

『現在、使徒はゼロエリアに向かって侵攻中。』

「いちいち説明してくれなくても、そんなもんこっちでも確認しているわよ! …で?」

『…同時に複数のフィールドを張った使徒は、今までいない。』

頭の回転が速いアスカは、レイが何を言いたいのか理解した。

「私とアンタで、同時に仕掛けるっての?」

『…ええ、そうよ。 攻撃のタイミングは任せるわ。』

「ちなみに…アンタのは、あと何発撃てんのよ?」

『試作ポジトロンスナイパーライフルの残弾は4発。 射撃間隔は10秒必要よ。』

侵攻図を見たアスカは、変わらず一直線に向かってくる敵を確認した。

「…ハッ 上等! やってやろーじゃん!」

『零号機、射角を得るために移動開始。 弐号機、ゲインの調整を忘れないで。』


通信ウィンドウが閉じると、アスカは片膝を付いていた弐号機を再起動させる。

「コマンド、シンクロスタート。」

”バシュゥゥ…”

記号として使徒を確認していたアスカは実際に接近してきた敵を見て、その巨大さに瞳を大きくした。

「でかい!」

立ち上がった弐号機は、反射的に右腕を構える。

少女は、敵にターゲットサイトを絞り込んで、サークル状のマーカーをマトリエルの本体にロックした。

カウンターの数値が減少し、相対距離が縮まっていくのを知らせる。

(あと、1500…)

敵の動静を見逃さないように瞳に力を込めたアスカは、感覚的に乾いた唇を無意識に舐めた。



〜 ルート54 〜



その頃、シンジはルート54と記された射出用リニアレールの縦穴を登っていた。

(ふぅ…いつもなら一瞬で地上に上がれるのに…)

四肢を伸ばし地上に向けて進む初号機は、スライドして開いた装甲板の分岐点を斜め左に進む。

”ガキィ! …ギリギリ、ギギギ…”

(…ん?)

引っ張られる感覚に、少年が下を確認するとワイヤーに繋がれているバッテリーが引っ掛かっていた。

初号機は、ビデオテープを巻き戻すように動いて、分岐点に戻るとワイヤーを引っ張る。


……NERV首脳陣の期待する主人公機の戦線登場は、残念ながらまだ少し先のようである。


地上では、クロスファイヤを狙う迎撃作戦が実行されようとしていた。

レイの操縦する青の巨人は数百メーターの移動を終えており、赤の巨人と黒い使徒を見てとれる場所にいた。

片膝を地面に付いて、ライフルを構える。

残りのエネルギーは4発分。 零号機の活動時間は、残り17分である。

ファーストチルドレンは、スイッチを押して弐号機へ通信した。

「零号機より弐号機へ。 こちらの準備は完了。 …カウント、任せるわ。」

『…じゃあ、いくわよ。 カウントスタート、5…4…3…』

青の巨人がスコープを覗くと、赤の巨人のパレットライフルが正面から迫る敵を捉えているのが見られる。

そして、アスカの気合を込めた言葉がレイに届く。


『2…1、Gehen!』


このタイミングを合わせて、青の巨人の構える巨大砲、ポジトロンスナイパーライフルが火を吹いた。

片腕の赤いEVAが構えるパレットライフルから特殊タングステン合金が吐き出される。

マトリエルは、近距離かつ初速に優れる正面からの攻撃に拒絶の壁を展開させた。

NERV本部の第一発令所で見守っている大人たちにも、

 最前線で戦っているチルドレンたちにも、これは予想の範疇である。


……では、同時に放たれた零号機の攻撃はどうだろうか?


先ほどファーストチルドレンが言ったように、同時に複数のATフィールドを展開した使徒はいない。

皆が注目する中、マトリエルの側面に光弾が届く。

第九の使徒は、昆虫のような脚を軸にして振り子のように本体を躍らせると、

 薄く柔らかいフィルムのようにATフィールドを曲げた。

”ガギンッ!”

(ッ!)

トリガーを引いたまま状況の推移を見守っていたレイは、少し瞳を大きくして驚いた。

それは今までの緩慢な動きが嘘のような素早い動作だった。

そして、無情にも赤と青の巨人の同時攻撃は防がれてしまった。

望遠カメラで捉えている戦闘の様子に、リツコは目を細める。

「やはり、ATフィールドは複数の展開が出来ない…と考えていいのかしら?」

「センパイ、弐号機の活動限界まで、あと3分です!」

マヤの報告に、金髪の女性はマイクを握った。

「アスカ、バッテリーの残量に注意して!」

『分かってるわよ!』

紅茶色の少女が通信ウィンドウを見た、一瞬だった。

アスカが再び正面に青い瞳を向けると、マトリエルが消えていた。

「アイツは!?」

『…上よ。』

蒼銀の少女の声にアスカは反射的に反応する。

弐号機が見上げると、少し低くなった太陽を背に黒い影があった。

それは、4本の脚を広げて飛び上がった第九の使徒だった。

球体を半分に切った形の本体下側に、一際大きな目がある。

「上等!」

どんどん近付いてくる使徒を睨んだアスカは素早く狙いを定めると、躊躇なくトリガーを引き絞った。

「え!?」

”カチッ! カチカチ…”

次の瞬間、チルドレンたちをサポートするオペレーターの一人、マヤの声がエントリープラグに響いた。

『パレットライフル、動作不良です!』

『なんですって!?』

リツコの声と重なるように、ショートカットの女性の声が続く。

『ストック内部に変形あり! 電磁器、温度異常高! 冷却パイプが損傷しているようです!』

(ストック? あ!)

アスカは故障してしまったパレットライフルを見た。

EVAを地上に出す際、進路上にある邪魔な隔壁を排除するのにパレットライフルで叩き壊して進んだのだ。

”ピュイン!”

『弐号機、正面から来るわ。 …避けて。』

その声にアスカの青い瞳が動く。

「あ!」

視界に拡がる黒。

マトリエルの脚が弐号機に向けて振り落とされる。

それは巨大な黒い”杭”のようだった。

赤い巨人は慌てたように横っ跳びに飛んだ。

”ズゴンッ!”

その刹那、強強度のアスファルトに敵の攻撃が突き刺さった。

弐号機と第九の使徒の間を割るように、ポジトロンスナイパーライフルの光弾が着弾する。


……この間髪を入れずの青い巨人の援護を見た日向マコトが素早く指示を出した。


『弐号機、現戦闘域から一時退却、北側へ移動して初号機からバッテリーを受け取ってくれ!』

アスカは、マップを確認して走り出すと通信ウィンドウに向かって怒鳴った。

「ちょっと! コレもう使えないの!?」

『電磁器が冷えれば使える可能性はあるけれど、撃てるのかどうかの保証は出来ないわ。』

紅茶色の髪の少女は、機械設備のビル群を走り抜けながらリツコの声を聞いていた。

(停電じゃ、武装ビルも使えないし…撃てるかどうか分からないけどコレを持っているっきゃないのね…)

「分かったわ! コレ、冷えれば使えるかもしれないのね! それっ!」

”ダンッ!”

赤の巨人は脚を大きく蹴って、ナビの指示に従って第3新東京市の中心へとその身を躍らせるように飛んだ。


”ドカァン!”


紫色のシューズが射出口のシャッターを破壊する。

ビルが瓦解すると、もうもうと立ち昇った粉塵の中にヒトガタのシルエットがあった。

シンジが周囲に目をやると、南から赤の巨人がハードル走のようにビルを飛び越え駆けてくるのが見られた。

『シンジッ!』

小さな通信ウィンドウに、割と必死そうな紅茶色の髪の少女が映る。

その後ろからマトリエルが猛然と追走していた。

「アスカ、受け取って!」

”ブンッ!”

白銀の少年は、手にしていたバッテリーを槍投げのように投擲した。

アスカは、一直線に向かってくる長方形を確認してタイミングを計る。

中心部を目指し駆ける赤いEVA。 バッテリーに伸ばした右手からパレットライフルが捨てられてしまう。


”ピュイン!”


『ちょっとシンジ!』

再び小さなウィンドウが開くと、アスカだった。

「どうしたの?」

投げた瞬間から、シンジはそのまま走って敵であるマトリエルに向かっていた。

『…アンタばかぁ!?』

「は、え?」

『どーやって片腕でバッテリー付け替えるのよ?』

「あ…」

その言葉に、白銀の少年が真紅の眼をやると、二つのビルを足場に立つ弐号機が憤慨していた。

『おまけに、ライフルも捨てちゃったじゃない!』

使徒が変わらず弐号機に向かっているのを見た初号機は、交差点で急ターンすると赤の巨人に向かっていく。

「取り敢えず、アスカ…避けて!」

左肩に付けられていたコンテナをガバッと開放し、シンジはパレットライフルをマトリエルに向けた。

そして、紫の巨人は瞬時に狙いを定めると走りながら引き金を絞る。


”ズドドドドドドッ!!”


再び紅い壁が出現すると、全てのタングステン合金は虚空へと弾かれてしまった。

それを見て紫の巨人は足を止めた。

『…隊長、単純な砲撃戦は通用しないわ。』

『そうみたいだね、綾波。』

レイの波動に、マトリエルの様子を見ていたシンジは真紅の瞳をつぶると言葉に{言 霊}を込める。



「{我と対峙するアダムの子よ。 永きに渡る戦いの鎖を解いてあげよう。

 我に勝てれば自由を。 負ければ、白き月に還る事は叶わない。}」



これに第九の使徒は、今まで何があっても一直線に進んでいた進路を初めて曲げた。

シンジを”見た”のである。

”ズドォン! ズドォォン!”

4本の脚を止めていた超重量物体が移動すると、地震のような振動が発生する。

『ん? なんだ? 前と違う?』

街を破壊しながら移動するその違和感に、白銀の少年は思わず波動を漏らす。

『…どうしたの? 碇君?』

『あ、うん…前ってあんな移動方法じゃ無かったよね?』

『…そうね。 あれほどの破壊と振動を伴う移動ではなかったわ。』

シンジとレイは、アスカが扉を蹴り開けた”前”を思い出した。


……前は生身で直近にいても平気だったのだが、今の”あれ”では立っていることも困難だろう。


シンジは敵を観察した。

『僕らを敵と認識し、攻撃行動に移った。 つまり前は僕らに気付かない内にやられちゃったって事かな?』

『そうかも知れない…』

彼らが呑気に波動での遣り取りをしている間にも、マトリエルは移動を続けている。

「アスカ、発令所からサポートしてもらって自分でバッテリーを付け替えて!」

通信を切った初号機は、マトリエルを誘導するように中心部から郊外へ向けて機動した。


……発令所のマヤは、リツコと共に弐号機のコントロールをサポートするようにMAGIを操っていた。


『これでいいわけ?』

使徒が離れて行くと、紅茶色の少女は落ち着いてリツコの指示に従うことが出来た。

「そのまま腰を落として。 右腕は固定したままよ。」

予備バッテリーをビルに立て掛けた赤い巨人は、肩部のロックを解除する。

”バシュ!”

ロックボルトが飛び出ると、大型電池はスライドして地面に落ちた。

本体内部の電力は、残り30秒。 効率的に動かなければ、弐号機はここで戦線から外れてしまう。

「アスカ、軸線が外れたわ。 腕を少し前に。」

『そんなこと言ったって、見えないんだもん…』

「いいわよ、アスカ…はい、そこでストップ。 マヤ、ボルトを固定して。」

上司の指示通り、ショートカットのオペレーターは素早くキーを叩く。

ガシュン、という音と共にエントリープラグの活動限界時間が、8分と表示される。

「なによ、これ!! フルチャージしてないじゃない!」

この問いに、リツコが答えた。

『非常用発電機をフルに使用しても、それが限界だったの。 アスカ、悪いけれど巧く使ってちょうだい。』

ここで、うだうだして時間を無駄にするわけにはいかない、と少女は頭の中を戦闘へ切り替えた。

「分かったわよ。 …で、状況はどーなってんのよ!?」

『初号機は第3新東京市中心部から南部へ移動しているわ。 使徒はその後方600mで追走中よ。』

アスカが見ると、確かに南に向けて使徒の脚部が遠のいて行くのが見られた。


……紫の巨人がビルを飛び越すと、その突風で建造物のガラスが割れる。


「綾波、僕がATフィールドを中和する!」

少年の言葉に、レイは小さく頷く。

『…了解、零号機、射角を得るために西へ移動を開始します。』

初号機は、弐号機から十分に離れた場所で使徒と対峙した。

『マスター、マトリエルとの相対距離、450です。』

ドーラの波動に戦術マップを見ると、零号機は南部から西へ素早く移動をしている。

残り時間は、約12分。

シンジはパレットライフルを構えたが、拒絶の壁を無効にしなければ意味がないと直ぐにそれを捨てた。

01のエントリープラグにマヤの声が響く。

『…初号機、左肩のウェポンラック展開! プログレッシブナイフを装備!』

紫の巨人が敵に刃を向けると、マトリエルは少し離れた場所で止まった。

「行くぞっ!」

間合いを計るように敵を見据えたシンジは、操縦桿を握る手に力を込めて初号機を全速で駆る。

半球状の敵、マトリエルは前方より接近する巨人に対して、本体の底部を披露した。

そこには、一際巨大な古代エジプト人が壁画に残したような切れ長の瞳があった。

その巨大な目が少し潤むと、オレンジ色の液体が蛇口の壊れた水道のように噴出する。


”…ブッシャァァァァア!”


初号機は咄嗟に急停止して、

 ATフィールドを自身の周りに張ったがその周囲は融解液にどんどん腐食されていく。

もうもうと蒸気のような白い煙が上がり、周りの視界が奪われてしまった。

ドーナツ状と言えばいいのか初号機の周辺が溶かされてしまうと、ぐらりと巨人はバランスを失ってしまう。

「うわっ!」

シンジが立っていたのは、第3新東京市に数多く用意されている巨大機材運搬用のエレベーターの上だった。

支えを失った紫の巨人はそのまま200m下へ落ちてしまった。

『碇君っ!』

ライフルを構えていたレイは、居ても立っても居られず煙に覆われてしまった初号機へ向けて走り出す。

自分の力を使ってしまえば、一瞬で終わる使徒戦。 少女はそう思って走るのに邪魔なライフルを捨てた。

マトリエルは、走り出した青い巨人を無視して初号機が落ちた立坑の直上へ移動する。

そして、再び溶解液を吐き出した。


……アスカは、ビルの陰に隠れながら敵を窺いつつ接敵機動を繰り返していた。


「リツコ、あれは何よ!?」

『周りの設備が腐食している… どうやら、あれは強力な溶解液と思われるわ。』

「シンジは?」

戦況を問う紅茶色の髪の少女に、発令所のマヤが答える。

『碇二佐は大丈夫。 立坑の底でATフィールドを張って敵の攻撃を防いでいるわ。』

溶解液が無効だと判断したマトリエルは、身動きが取れぬであろう敵に巨大な脚を突き刺した。

”ズドンッ!”

「くっ!」

”ガキィン!”

ATフィールドを突き破ろうと穿たれた黒い脚は、その質量だけでメガトン級の破壊力を秘めていた。

シンジの乗る初号機は、両手をかざし紅色に輝くフィールドの強度を上げる。

第九の使徒は、黒い鉄槌と化した自身の脚をゆっくりと引き上げた。

敵のATフィールドが強くなったのを感じると、先ほどよりも加速をつけて打ち付ける。


”ズドンッ! ズドンッ!”


「ぐぅ!」

初号機のかざす手が巨大地震のような振動に震える。

郊外から街を目指し疾走する青い巨人は、マトリエルの攻撃を見て更に加速した。

『碇君、すぐに行くわ!』

『綾波、僕がフィールドを中和したらパレットライフルで攻撃して!』

『このまま”力”を使えば…』

『ダメだ。 今回は侵入者がいた。 だから、ゼーレが監視している可能性が高いと思うんだ。』

少年の言葉に、ドーラが応える。

『その通りです、マスター。 監視衛星がこちらを見ています。』

少女は少し眉を寄せた。

『では…あまり不自然な行動をとらないほうがいい?』

『…うん。 ゼーレの老人たちにとって、君はリリスベースの人工使徒だと思われているはずなんだ。

 アダムベースがうまくいってないなら…君の”力”を見ちゃうと強制的に徴用するかも…』

『でも…それは適格者だと思われている碇君も一緒…』

『そうだね。 …だから、今はまだ”力”は使わないほうがいいと思う。』

シンジは、波動から通常の通信へ切り替えた。

「初号機より零号機。 …綾波、地上のパレットライフルで攻撃を。

 僕は、このまま敵のATフィールドを中和してみる!」

”ピュイン!”

『…零号機、了解。』

通信ウィンドウには、少し憂いの色を含んだ深紅の瞳が白銀の少年を見つめていた。



〜 発令所 〜



「戦況は!?」

赤いジャケットの女性が第一発令所に駆け込むと、白衣の女性が半眼で睨んだ。

「あなた、今まで何をしていたの?」

「大変だったのよ! 侵入者がいてね、加持君と私が捕まっちゃって…」

これでリツコは、シンジが遅れた理由を理解した。

「で、碇二佐に救出してもらった?」

「…加持の話じゃ、そうみたいね。」

「話じゃ…って、あなた停電のショックで気を失っていたの?」

「それよりも戦況は!?」

ミサトは都合の悪い話をバッサリと切った。

好意を寄せる上司の登場に、メガネのオペレーターが素早く報告を上げる。

「はい、現在、3機のEVAによる迎撃を行っています。 敵性体の分析は完全ではありませんが、

 敵の特殊能力は溶解液を吐き出す、ということは判明しています。 どうします、葛城さん?」


……ミサトは、戦術マップを睨むように見た。


初号機は地表部のエレベーター用立坑の下部。

零号機は西側から敵に向かって走っている。

弐号機はゆっくりと使徒に近付くように動いている。

「日向君、アスカは何であんなにゆっくり移動しているの?」

「はい、弐号機が携帯しているパレットライフルは冷却系の不良により電磁器に不具合が出ています。

 温度が下がるタイミングに合わせたものと思われます。」

「そう。 エヴァ独立中隊の二人は?」

「先ほどの通信によりますと、碇二佐が敵のATフィールドを中和し、

 零号機は初号機のパレットライフルを回収、攻撃するものと思われます。」

ミサトはマイクを握った。

『…アスカ、聞こえる?』

その声を無視して、レイは青の巨人を駆った。

商業ビル群をブロックごと一っ跳びする零号機は、マトリエルを通り過ぎると初号機の落とし物を掴んだ。

『碇君!!』

普段物静かな蒼銀の少女の大きな声が、01のエントリープラグに届くとシンジは操縦桿を強く握りしめた。

「それっ!」

『初号機のATフィールド、出力増大! 位相空間を侵食していきます!』

マヤの報告のとおり、互いの壁を薄く削ぐように、白銀の少年のATフィールドが敵に影響を与える。

通常、敵のATフィールドを完全に中和する、ということは自分のATフィールドも失うということだ。

初号機のかざす手の上には、先ほどマトリエルが零した大量の溶解液があった。

『敵ATフィールド消失!』

青葉シゲルの声がエントリープラグに届くと、大量のオレンジ色の液体が初号機に降り注いだ。


……1万2千枚の特殊装甲が表面から腐食し始める。


”ジュゥゥ……”

「くっ!」

シンジは身を焼かれるような痛みに瞳を閉じて耐えた。

レイは、素早くパレットライフルと零号機を同調させてトリガーを引き絞る。


”ズドドドドドドッ!”


マトリエルの脚に弾丸が吸い込まれると、その黒い柱は突然オレンジ色の風船のように膨らんで爆ぜた。

”パァァン!”

そして、街に溶解液が雨のように降り注ぐ。

零号機は、それを被らぬようにATフィールドを張りながら、敵への攻撃を続行した。

赤い巨人は、敵の後ろ側へ接近を終えようとしていた。

先ほどのミサトの言葉は、結局あの二人と協力して使徒を殲滅しろ、というものだった。

少女が、モニターを見るとパレットライフルのアラートは消えている。

(いけるっ!!)

アスカは、敵に狙いを定めると引き金を引いた。

「いっけぇ!」

タングステン合金が暴れる敵の脚部に命中する。

ファーストチルドレンとセカンドチルドレンの攻撃により、使徒は4本あった脚を全て失ってしまった。


……そして、そのままシンジのいる穴に本体が落ちていく。


青の巨人は敵本体に向けてさらに発砲するが、敵のコアにダメージを与えることができない。

それを見て、シンジはレイに波動を送った。

『…綾波、僕が直接攻撃してみるよ。』

白銀の少年は、自身のATフィールドの出力をさらに上げた。

観測モニターの数値の変化にマヤの瞳が大きくなる。

『初号機のATフィールド、理論値を越えています!』

(もっと! もっとだ!)

そして、ムサラキの装甲が紅く光り輝く!

腐食して変形を始めていた外殻が、時間を戻すように復元される。

シンジは、タイミングを合わせて落下してくる巨大な眼に向けてプログレッシブナイフを突き刺した。

”ドシュゥゥ!!”

そして、風船を膨らますように刃からATフィールドを放出させた。

「いっけぇぇえ!」


”……パァアン!!”


第九の使徒、マトリエルは為す術なく爆ぜた。

そう思えるほどのオレンジの液体の爆発だった。


……しかし、敵はまだ生きていた。


先ほど爆発したように噴き出た溶解液がこの空間をさらに下へと穿ち、地下への道を開かれると、

 マトリエルは溶解液を出しながら鍋のような本体の形をずるぅと柔らかく変形させて穴に侵攻していく。

「…プログレッシブナイフじゃコアまで届かないね。 綾波、僕が攻撃している隙に狙撃してくれ!」

シンジは地上にいる少女に向かってそう言うと、マトリエルが侵攻していった穴へ飛び込んで行った。


……このマトリエルが溶かした穴は決して大きくない。


飛び込んだ初号機がその面積の5分の1を占めている。

初号機が敵へ接近すると、敵から黒い脚が再生され始めた。

それが紫の巨人へ向けられると、初号機とマトリエルの脚がこの空間のほとんどを埋め尽くしてしまった。


……地上の青いEVAは、闇の穴を覗き込んだ。


使徒の脚が動くと僅かに見える変形した本体。 レイにはその隙間を縫うようなスナイピングが求められる。

パレットライフルは、連射性に優れている反面、反動が大きく精密射撃に不向きな銃器だ。

既に、愛する少年は飛び込んでしまった。

少女に、選択の余地はなかった。

ATフィールドを纏って暴れ踊る黒い柱。

その隙間に挟まるように立ち回る初号機がATフィールドを中和しようと動いている。

(…ごくっ)

針の穴を通すような繊細さと僅かなタイミングしか許されない狙撃に、レイは喉を一回鳴らした。

その穴の中は、人類の敵と愛する少年がめまぐるしく動き回っている。

『…レイ様、溶解液が第16層に到達しました。』

ドーラが状況の報告を上げる。

時間はない。 少女は、立坑の淵に青いエヴァを寝かせると、パレットライフルを構えた。

レイは、身体中に張り巡らされている神経を一本に縒り合せるように、極限の集中状態になる。

”ドガァァアン!!!”

『ぐぁっ!!』

紫の巨人が、その3倍以上の太い柱に薙ぎ払われて立坑の壁面に叩き付けられる。

エントリープラグの少女は、その声に思わず”ビクッ”と肩を震わせた。

(碇君っ!!)

彼女は、軽く頭を振って集中を取り戻す。

(…ダメ。 時間がない。)

少女の深紅の瞳の色が濃くなる。

(………今!)

”すっ”とごく自然な動作で右手の人差し指が動く。

”ダララララッ!!”

放たれた銃弾は地下深く移動する敵性体の中心を射抜く。


「ギュァアァアアア!!」


次の瞬間、青紫色の体液を撒き散らしながら、暴れる第九使徒がエントリープラグに映る。

少女が見ると、コアにダメージを与えたようだが、傷が浅かったのか…敵はまだ健在だった。

(…もう一度…)

さらに追撃しようと、レイはマトリエルに狙いをつけるが、トリガーを引くことは出来なかった。

(碇君!)

彼女の瞳に、使徒の脚部と格闘する初号機が映ったのだ。

零号機のエントリープラグに白銀の少年の声が響く。

『綾波っ!! 跳弾は気にしなくていいから!! 撃って!! 早く!! 撃って!!』

「…了解。」

言葉少なく答えた少女はライフルを構え直した。

使徒の本体上部に狙いをつけていたレイのスコープに、突然大きな瞳が現れた。

”ギョロッ!”

その大きな瞳が単眼の人造人間を睨むように動くと、巨大な脚が立坑に食い込むように拡がった。


”ガギギギィィィィイ!!!”


まるで重量級の機関車が急停車する時のような音と火花が立坑に飛び散ると、マトリエルは更に力を込めた。

「え!? うわっ!」

突然の急停止に紫色の巨人は、バランスを崩して倒れてしまう。


……マトリエルは、コアにダメージを与えた零号機を第一殲滅目標と認識したようだ。


”グンッ!”

4本の脚を大きく動かし、地上へ向けて猛然と登り始めた。

初号機はバランスを失って倒れたまま、使徒に翻弄されるがまま立ち上がることが出来ない。

『…シンジ、避けなさい!』

「ちょっ!!」

シンジの返事を待たず、弐号機はトリガーを引いた。

”カチッ! カチ、カチ…”

「ちょっと!! もう! また壊れたの!!」

(ダメ…碇君に攻撃はさせない…)

レイは、”力”を使って弐号機のパレットライフルを無効にした。

『綾波!』

蒼銀の少女が、少年の声に弐号機を睨んでいた瞳を戻すと、紫の巨人が敵のATフィールドを中和していた。

青の巨人が再びライフルを構える。

そして、素早く攻撃を加えた。

”ズドドドドドッ!!”


……その一撃が正確に敵の中心を射抜く。


「ギュァァアアァァ……」


『パターン・青の消滅を確認!』

『使徒、殲滅!』

青葉と日向の声がエントリープラグに響く。

シンジは、手の平に小さな紅い玉が現れると、肩から力を抜いた。

(マトリエルのコアを回収。 …ふぅ、終わった。)

今まで暴走する機関車のように動いていた脚から力が失われる。

「え? うわっ!」

敵本体の上に立っていた紫の巨人は、活動を停止したマトリエルが泡のように消えると底へ落ちて行った。



”…ドォォオン!!”


……第17層の特殊装甲板に紫の巨人が降り立つ。


”……ガシィィン!!”


少年が音の方へ瞳を向けると、レイの零号機が着地していた。

どうやら彼女は、マトリエルが消えた瞬間、この穴に身を落としていたようだ。

『…碇君、大丈夫?』

「うん、大丈夫だよ。 心配してくれてありがとう、綾波。」

通信ウィンドウの蒼銀の少女を見ると、少年は愛情を込めた笑顔を送る。

その笑顔に、レイは知らず頬を薄く染めてしまう。

『…そう、よかった。』

そう言うと、少女もシンジへ澄んだ微笑みを送った。

青の巨人が、紫の巨人の手を取る。

『地上へ戻りましょう。』

「うん、そうだね。」

ロッククライミングのように地上を目指す紫と青のEVA。

お互いに手を取り、助け合いながら地上に戻ると、赤の巨人が活動を停止していた。

『弐号機は、生命維持モードになっているわ。』

『そうみたいだね。 …綾波、取り敢えずEVAを郊外へ運ぼう。』

(ゲインの調整が下手だね、アスカ…)

シンジはそんなこと思いつつ、レイと共に弐号機を郊外へと運んだ。

都市部を見ると、戦闘の傷跡が無残に残っている。

静寂に包まれている街を、静かにエヴァンゲリオンが移動していった。

北側の丘陵地帯に着くと、初号機と零号機は、担いでいた弐号機を射出口付近へ降ろした。

すでに太陽は沈みこみ、あたりは星空の光に満たされていた。


”バシュ!”


少年は、最後の電力を使って脊髄の装甲を動かし、エントリープラグを半分ほど出させる。

初号機に続いて、零号機も同じように片膝を付いてプラグを輩出した。

それを見たシンジは、エントリープラグの搭乗用ワイヤーを掴んで地上へ降りる。

「碇君、お疲れ様。」

「綾波も、ね。」

労いの言葉と微笑みをくれた彼女に、シンジはレイの肩に手を載せた。

「複電するまで、ここで待っていよう。」

「ええ。」

二人は、巨人の片隅に腰を下して眼下の街並みに瞳を向けた。

蒼銀の少女は、横に座る彼の肩に頭を預けた。

「ねぇ、綾波…」

「なに?」

「使徒は、前と違うのかな?」

「…同じはず。」

「だよね。」

「…なぜ?」

なぜ、そう思うのか? シンジは彼女の言葉を耳に入れると、真紅の瞳を閉じた。


……静寂の世界。 風が優しく草原を撫ぜていく。


レイは頭を起こしてシンジを見た。

「…どうしたの?」

シンジは体をずらして少女の横に寝転がると、星空を見上げた。

「ううん。 何でもないんだ。 ただ…」

「ただ?」

「今は君のそばで眠らせて…」

「ええ、構わないわ。 碇くん、頭をここに…」

レイは嬉しそうに微笑んで彼を膝枕すると、瞳をつぶった少年の髪をやさしく撫ぜる。

シンジは、そんな彼女の優しい心の波動に包まれながら、別のことを考えていた。

(使徒は…………本当に前と一緒なのかな…)








第三章 第二十話 「奇跡の価値は」へ










To be continued...


作者(SHOW2様)へのご意見、ご感想は、メール または 感想掲示板 まで