※ 当話はフィクションです。実際の団体、名称、個人の名前とは一切関係はありません。

 一年中が夏となった日本でも、早霞の時刻には早い午前3時。惣流アスカ・ラングレー様は、部屋の固定電話の前で受話器を持って畏まっていた。
 固定電話のコール音が鳴った時、赤い色のパジャマ姿のアスカ様は、今だ頭に血が回って居ないのか、目は開いているかいないか判らない半眼でベットを降り、電話に出ようとシーツをズルズルと引き摺りながら、夢遊病者の様に歩き出した。
 電話機は、ベットサイドには無く、ベットとは反対側の壁に作りつけられていた。勿論、子機も無い。
本来は子機は二台が常備されていたのだが、全てアスカ様の癇癪で壁の強度試験の試料となり、珠と砕け散ってしまっていた。
勿論、理由が理由なので、ネルフに代わりを出してくれとは言えないし、アスカ様自身も携帯電話を持っているので不要と考え、子機の為に自腹を切る気もなかった。
その為、子機は無く、今回の様な仕儀と相成ったのであった。
 アスカ様は、血が廻らない頭の所為か、
(寝不足はお肌の大敵なのに………コレもサードの嫌がらせねっ)
等と埒も無い事を考えながら、電話機へとフラフラと歩いていく。
室内が橙色の常夜灯だけで薄暗く、寝起きの為に髪はピンピンと立っておりザンバラ髪、目付きが半眼の所為もあって、その顔付きは結構怖い。やはり、頬を伝い口の端に掛かる一筋の髪の毛がポイントだろう。
 しかし、受話器から響いた第一声で、そんな体の状態は霧散霧消してしまった。
アスカちゃんっ! 聞いているのっ?!
受話器から女性の声が大怨霊音量で漏れてくる。いや、響いてくると言い直した方が適切かもしれない。
思わず、アスカ様は周りを見回してしまった。
自分が一人で居る事は理解しているのだが、思わず周りを見回す程に、受話器からの音量は大きかったのだ。
そして、一人である事を確認して、安堵の溜息を吐いた。
 アスカ様は、日本に来てからはジオフロントのネルフ本部に隣接している女子士官用独身寮の個室を自分の部屋として、或る意味優雅に一人で住んでいた。
部屋は、バストイレキッチン家具完備の2LDK。一人で住むには十分な広さであり、収納スペースも無駄に多い。私物の多いアスカ様の荷物も納まった位である。
最初は、地上の宿舎を希望したもののセキュリティ等の面から適当な物件が見当たらず。
葛城ミサトが上司との意思疎通が如何のこうのと言う今一訳の判らない理由から同居を申し出たものの、ミサトの部屋の酷さ良く知っている総務の職員が保安部対ミサト専従班を呼ぶ事でその件を回避。
地上の物件が見付かったら其方に引越しを行うと言う事で、如何にかアスカ様を納得させたと言う曰く因縁付きの部屋であった。
 受話器から流れ出してくる母親:惣流キョウコ・ツェッペリンの言葉にアスカ様は面食らうしかなかった。
『アスカちゃん………もう、ママは心配で、心配で、心配で、心配で、心配で、心配で、心配で、心配で、心配で………
 アスカちゃんが変な人と“交際している”というから………』
アスカ様は、その言葉に頬を引き攣らせてしまう。口元も引き攣っているかもしれない。
『お付き合いするなら、のーまるじゃなきゃ、駄目でしょっ!
 アスカちゃんが…アスカちゃんが……アスカちゃんが変態になっちゃった………』
「へっ…な、何を言っているのママ?」
最後の方は、小声の為に聞こえなかったアスカ様だが、前半のセリフだけでも十二分に母親が変な事を言っている事は判ってしまう。
「ママ、“交際している”って………誰の事よ?
少し険が篭った声で、アスカ様はそう聞き返すしかない。身に覚えが無い事なのだから。
今の所、アスカ様の意中の人である加持に、自分は子供扱いされていると言う自覚は、アスカ様にもある。
そして、第三者が自分と加持の関係を見れば、精々兄妹の関係としか見られていない事も、悲しいかなアスカ様には自覚があった。
だから、アスカ様は実績を残し、少しでもそう云う関係に見られない様にしようと、アスカ様本人が言うところの努力をしているのだ。
しかし、その努力なるものは周りに多大な迷惑を撒き散らす、自己中心的なモノでしかなかったのだが………
『アスカちゃんが“道ならぬ”関係にあるって………』
その返事に、アスカ様は絶句するしかなかった。
“未知ならぬぅ”? アタシは、ウチュー人かUMAと交際しているとでも?)
非常に頓珍漢な思考に落ち入ってしまうアスカ様。やはり、寝起きの頭には血が環っていないらしい。
『幾ら、“れでーすこみっく”に興味があるお年頃とはいえ、そんなコミックの世界に影響されるなんて………うっ、うっ、うっ…』
受話器の向うから、語尾にしゃくり上げる様な泣き声が聞こえてくる。
「ママ、何を言っているのっ?」
今だ、頭に血が環らないとは言え、その言葉尻に不穏当なモノを感じ、アスカ様も再度聞き返す。
『せめて………せめて……嗚呼、せめて…愛読するなら“じゅーん”な世界か“お耽美”な世界にしておきなさい』
いや、そっちの世界も腐女子を生成するだけで、ひっじょーに拙い世界だと思うのだが………(汗)。
会話が成り立たず、アスカ様の額には汗が浮かび、頭の中を“”マークが飛び回る。
「はぁ〜?」
アスカ様は気の抜けた返事を返すだけであった。
『アスカちゃんが、う、う、う…』
最後の言葉を言えず、思わずどもってしまうキョウコ。
?」
アスカ様の頭の周りを集会する疑問符は更に数を増した様だ。
う…し、う、し…うしと付き合っているなんて〜(うゎ〜ん)』
キョウコは、搾り出す様に言うと、最後は泣き出してしまった。
最近、色々な事情で頭がぶっ飛んでいるアスカ様の思考でも、ファールラインを55度は超えている言葉が受話器から流れてくるのを聞き、アスカ様の目は点になった。鼻水も少し垂れているかもしれない。
格ー子、格子、鉄格子のなーかのうしは、何時何時出やる?
 使徒戦ごーとに、うーしとさーるとメガネがすーべった。
 迷惑被るのだーれ?

空耳なのか、何故か珍妙な歌が聞こえてくる様にアスカ様には感じられる。
うし、うし、うし、我奇襲を行われたり
アスカ様の頭の中には、そんなセリフが浮かんでくる。
如何も、アスカ様の頭脳は言われた事を理解する事を拒んでいる様だ。
此れ、人は現実逃避と言う。
『こっちに居た頃に、牛に………あのー、そのー………手篭めに………されたなら……………なんで………なんで、ママに話をしてくれなかったのぉ〜(うゎ〜ん、うゎ〜ん)』
最後は、“わぁぁんわゎぁん”と泣く母の声にアスカ様は混乱する事、頻りであった。
受話器の向うの母の状態に思い至り、アスカ様も受話器を握り締めオロオロしてしまう。
何せ、身に覚えが無い事なのだ。
何? 何? なに? な・に? な〜に〜? 手篭め? てごめ? て・ご・め? 手篭めぇ?!
母の言葉が頭の中をリフレインし、思考は混乱して行く。
手篭め、手篭め、手篭の中の鳥は、何時何時出やる♪
 夜明の道で、う〜しとめがねがす〜べった♪

先程の歌と同じ旋律(歌詞別ヴァージョン)が頭の中をBGMの様に流れる。
アスカ様の頭の中は、魔女の大釜になろうとしていた。
 因みに、今は9月の半ばに入ろうかと言う頃。ドイツはサマータイムであり、通常−8時間の時差が、今は−7時間。
アスカ様の母キョウコが過ごしている時刻は、午後の8時頃である。
『(エッグッ、エッグッ)コッチに居た頃、既に関係を持っていたなんてぇ……
 アスカちゃん、不潔よぉ〜(エッグッ、エッグッ)』
「………」
しゃくり上げる様な涙声のキョウコの言葉に、今や無言のアスカ様。
先ほどのセリフと言い、キョウコのセリフにアスカ様の頭は付いていけない様だ。
それとも、心当たりも無い理不尽なセリフを連発されて、頭が理解する事を拒否しているのかもしれない。
『アスカちゃん………あんな………葛城ミサトになんかに………初めてを………散らされて(エッグッ、エッグッ)
 しかも、今でも関係があるなんてぇ………(エッグッ、エッグッ)
 しかも、同性で交際するなんて………不潔よぉぉぉぉ(うゎ〜ん)』
泣きながらポツリポツリと聞こえる母の言葉に、アスカは絶句してしまった。
「な、な、な、な、な、な、な、な、な、なんですとぉーーーーーーーーっ!
流石に、今の母親のセリフは、アスカ様も理解した様だ。
しかし、“何ですと”とは………お前さんは何処の生まれ育ちだ?
全世界………(エッグッ)
 の………(エッグッ)
 国連関連機関でぇ………(エッグッエッグッ)
 しかも、国連軍のかなり高い地位の人の話が元だって………(エッグッエッグッエッグッ)
 話題になっているのよぉ〜(うわぁ〜ん)』
更に号泣するキョウコ。
「………」
今のキョウコの一言に、何を言って良いのか判らないアスカ様。
脳内で浮かんだ言葉は…(ぜ、ぜ、ぜ、善光寺ぃ〜
それは絶対に違うと思うぞ。人民の血塗れた聖火のスタートを拒否したお寺とは違うだろう。
(ち、違った)
流石に自分の思考の間違いに気付き、深呼吸をスーハァ、スーハァ、スーハァと三回行う。仕切り直して、母親のセリフの理解に努める。
ぜんせかいぃぃぃぃぃ〜
この言葉を理解した時、アスカ様の髪の毛は寝癖を通り越して逆立っていた。
理由も無いゴシップが全世界を駆け巡っているのだ。それも自分が一方の主役として!
此れに代わる恐怖というものは、そうは無いかもしれない。
今だ真っ白に燃え尽きないだけ、アスカ様は流石かもしれない。尤も衝撃が大きすぎて、話の内容が理解出来ないだけかもしれないが。
 如何にか落ち着いたアスカ様は母親の言葉を組み立てなおしてみる。
(あたしが、ミサトの奴に襲われて散らされて、今でもミサトなんかと関係しているって………
 しかも、その風評が全世界に流れて………キィィィィィ
な、な、な、な、な、な、何ですってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!
アスカ様、完全覚醒の雄叫びであった。(しかし、一応性別が女性なのに、雄叫びとは此れ如何に?)
この瞬間にアスカ様の顔色は一気に朱色となった。勿論、羞恥の色ではない。お怒りの色である。
此処に赤鬼アスカ様が降臨したのだった。
そんな娘の状況などを無視するかの様に、受話器からはキョウコの声が流れてくる。
ね、ね、ねっ。最初はベットだったの?(ワクワク)
 それとも格闘訓練中のマットの上とか?(ワクワク)
 それともねぇ、それとも、訓練後のシャワー室とか(ワクワク)
 それも違うなら、クラシックに更衣室の中とか(ワクワクワク)
 ちょっと趣味に走って、水泳訓練でのプールなんてシチュエーションとしては
………』
先ほどまで号泣していたハズなのに、今や秘め事を聞き出す事に胸ときめかす様な声音でしゃべるキョウコのおばさん根性丸出しの声が受話器から流れてくるが、アスカ様は聞いちゃいなかった。
だ・れ・が、こーんな事を仕出かしてくれたのよぉ!!!
 勿論、このゴシップは、前回の戦訓検討会議でアスカ様とミサトの言い争いを見ていたシノとレイとの会話の断片を曲解した国連職員や高官達がルーマーと化しての内緒話と言うゴシップが元である。
アスカ様、頭が完全な覚醒を果たした瞬間である。



 

新世紀エヴァンゲリオン アストレイア

第八話 前編

presented by 伸様


 

 浅間山の一件から、数日を経た9月半ば。
 その日、アスカ様は朝から不機嫌であった。

 彼女は第8使徒戦において、とある理由からプラグ内のLCL濃度を上げられて昏倒。そのままセカンドチルドレン専用(鉄格子付き)の病室に収監される事になった。
意識が戻ってからアスカ様が活発に運動(暴れる)される事と言ったら、常識外な程であった。
まぁ、極論してしまえば「何で、偉そうに、サードが指揮を執るのよっ! エースのアタシが現場の指揮を執らないで如何するのぉっ!!」の二言に集約されるかもしれない。
鉄格子につかまってキーィキー、キーィキーと煩く、
ドアは叩く蹴る、
部屋の中をグルグルと回る、
バナナを投げ与えると皮を剥いて食べだす
等、
その行動は本能そのもの。
余りに騒ぎを大きくすると精神安定剤を投与するのだが、その為に医師一人、看護師が3人程軽傷を負っている。
最後の負傷者は、拘束衣をアスカに着せていても出た位だから、その運動(暴れ)具合が知れ様と言うものである。
一時期は、本気(と書いてマジと読む部類である)で、アスカにロボトミー手術をするか検討された位である。
 この態度がネルフ本部の風紀委員長こと、副司令冬月コウゾウの耳に入ったから、さーたいへん(笑)。
本来は一日程度の謹慎を兼ねての入院だったのが、三日間の収監となってしまったのであった。入院であれば処罰の対象ではないのだが、収監である。立派に処罰の対象となったのであった。
前回も、帰還後に独房に収監されていたので、毎回同じ様な事だと、ネルフ本部職員のアスカ様に対する気持ちが悪い方に傾くのを慮って病室へ収監したのであったのだが、結局は変わらなかったと言えるかもしれない。
尤も、もう手遅れと言うか、アスカ様自身の何度もの自爆で、そんな気遣いは意味が無いとも言えるのだが………。
 その病室から開放されて自室に戻った最初の夜が、母からの夜明け前の電話の黎明攻撃であった。
その内容は、アスカ様の心労を更に増やすモノであった。
真逆、この天災(此れは本当)美少女(多分)エースパイロット(自称)であるアスカ様が、あ・の・ミサトと肉体関係まである交際をしている等と言う風評が全世界を駆け巡っている等とは!
何たる悪評!
何たるゴシップ!!
しかも、その風評を母も耳にしてしまったのだ!!!
何処の魔女のバーサンの呪いだと言うのだ
アスカ様は頭を掻き毟りたい心境であった。
否、現実に掻き毟っており、何時もは丁寧に梳かされている髪がピンピンと枝毛が立っている様な態であった。

 そんな状態で、アスカ様はネルフ本部内の通路を歩きながら、朝食を摂る為に食堂へと向かっていた。
アスカ様は今でもジオフロント外の地上の部屋へ引越しをしたいのだが、それを急がない理由が此処にあったりする。
朝夕食ともにネルフの食堂で済ませる事が出来るからだ。
ネルフ本部の食堂は、大きいモノが一つ、中小のモノが三つあり、一つは隣接している職員宿舎からも近い所にある。
実はアスカ様、野外行軍演習でのレーション位しか食事を用意した事が無いのである。勿論、お湯の中に入れるか、お湯をパッケージに入れればOKのモノだ。
普通、アスカ様の年齢位の女の子だと、学校の授業や家庭で、少しはお菓子作りや料理をしたりするものなのだが、彼女の場合は訓練、勉強、訓練、勉強、また訓練と言った生活環境だった為に、そう云う事は一切行った事が無い。
しかも、母親のキョウコも他の家事は兎も角、料理については天災的に苦手としていた為に、何時も家政婦任せであった。
その為、娘に食事を作る手伝いをさせて云々と言ったシチュエーションも発生しなかったのだ。
どれ程、天災的かって? それは、別の世界のミ○マルユ○カ級と言えば、葛城ミサトに並ぶ業の者(誤字にあらず)だと理解できるだろう(激汗)。
惣流キョウコ・ツェッペリンとは、料理世界の負の超弩級艦なのだ。
因みに、旦那と離婚した主因が此れだったりする。何度も手料理で殺されかければ、離婚もするだろう。
アスカ様が、幼少期を無事に過ごせたのは、偏に家政婦のお陰であった。
だからアスカ様は、世間一般で言われる料理と言うモノは出来なかったりする
だから何よっ!”とは、アスカ様の弁である。まぁ、この辺は世間一般の料理が出来ない女性の受け答えと変わらず、アスカ様と言えど普遍的な受け答えしか出来なかったと言う所であろうか。

 アスカ様は食堂に向けて、ズンズンと通路を進んで行く。
ズンズンと言うより、ドシンドシンと言った擬音の方が今回は正しいかもしれない。
何時もなら丁寧に梳かされているアスカ様の朱金の髪も枝毛がピンピンと出ている様であり、やはり何時もなら丁寧にツインテールに結わえられているハズなのに無造作に結っている様で、左右で長さが異なる様だ。
そして、肩を怒らせ、剣呑な目付きでドシンドシンと通路を進んで行く。
その剣呑な目付きを湛える目の下には、薄っすらと隈が出来ていた。
全身から噴き出す不機嫌と言う瘴気を見て、行き交うネルフ職員は皆、道を譲って行く。
この時間帯、夜間当直や仕事で徹夜明けの職員達も食堂を利用している為、食堂へ向かう通路は、混雑とは言えなくても職員が行き交っている。
通路は左右で進行方向毎にレーン分けがされているのだが、そんな事アスカ様は知っちゃいないとばかりに、真ん中を歩く。

をいをい、またかいぃ?
道を譲った職員が一緒に歩いていた同僚に声を掛けた。
どうせ、何時もの事だろ。この間も“役立たず”どころか、前線の皆に心理的な迷惑を掛け捲っていたらしいし
声を掛けられた同僚もヤレヤレという雰囲気で返事をし、不機嫌なオーラを撒き散らしながら歩き去るアスカ様を見送っていた。
尤も返事はヤレヤレと言うには些か大き過ぎた声であったが。
やはり、他人に対して誹謗する際は、大きな声でなければならないのだろう。きっと、褒める時よりも
だが、大人気無いとも言える行為ではある。尤も、此れは、この二人だけがアスカ様に遺恨を持っているからではない。
ネルフ本部職員の大多数の意見であると言ってよかった。
最近では、最初の頃はあった“子供なのに、可愛そうに”“子供なのに偉い”等という感情ではなく、“可愛気の無い糞餓鬼”と言うのが大多数の女性職員を含めた感想なのだ。
尤も浅間山のアスカ様の行状が知れだすと“(別の意味の)可哀想な娘”と言った、痛い子供を見る方向に変わってきてはいる。
 この辺、祖父が施した帝王教育のお陰で、シノが下級職員になる程、相手に対して愛想を振り撒き礼を尽くす為に、対比されたアスカ様が可哀想と言うべきかもしれない。13・4歳の子供と考えれば、アスカ様の言動は、相当に歪ではあっても、ちょっと頭が良い事を鼻に掛けている子供の行動としては、十分に許容範囲であったからだ。

 何時もなら、その様な声に敏感に反応するアスカ様だが、今日は違った。
ズンズンと食堂へ進んで行く。
 アスカ様は、耳が敏い子供である。特に、自分に対する大人の評判を聞き逃す事はしない
それによって、より大人受けの良い言動を行う。それは、大人に囲まれ、常に評価されてきた所為でもあった。
経験則で、大人受けが良ければ、褒められ、苦労も減るからだ。
より良く生活する為の知恵とも言えるし、常に大人の顔色を窺っている狡すっからいと人は後ろ指を刺す類のものかもしれない行動ではある。
だから、通路で会った二人の言動については、何時ものアスカ様なら大いに気にする所である。
しかし、もっと大きな事に気を盗られている為に気付かない。
最近のアスカ様なら、こんな行為を取るネルフ本部の職員に対しては、一睨みやガルルゥと唸って威嚇位はするのだが、気付いていないのか、その様な事もせずに、ドシンドシンと通路を食堂方向に進んで行く。
 実はアスカ様は、食堂へ行進しながら、考え事をしていたのだ。
(何故? 如何して、アタシがあーんな奴(葛城ミサト)と関係を持っているなんて風評が流れるの?)
それは君の前回での戦訓検討会議での態度がイケナイのだ。
あそこで、葛城ミサトと低レベルな言い合いをしなければ、こう云う話は起こらなかったハズなのだから。
(それも全世界のネルフ関係や国連関係に………おかしいわよ)
悪い風評は千里の道を一気に走るモノ。
しかも、人の秘め事についてだ。こう云う話は、大多数の人間は見聞きしたがるモノなのだ。
良い例が、言論統制されていない国では例外なくあるイエローペーパー(ダブロイド紙とも言う。所謂、夕刊フ○とか、内外タ○ムスとか言う奴の事だ。東○ポ等の各種スポーツ紙も此れと同じになる)だろう。
戦訓検討会議等は、報告書と共に映像も国連等の関係機関に送られている。勿論、ネルフの各国支部にもだ。
更に、出席者はネルフ関係者だけでなく、国連関係者や国連軍関係者も居る。
アスカ様の狂態を映像で見せられれば、風評は現実味を帯びてくる
そう云う背景がある風評は流布され易く、風評を媒介する媒体が国連関係だけに、非常に広範囲になる危険性が高いと言えた。
この話でのネルフ本部の運営は非常識な程の秘密主義ではなく、常識に則ったモノなのだ。
(おかし過ぎるわ。ゴジップを広範囲に広める事が出来るなんて)
前述した様に、戦訓検討会議にはネルフ関係者だけでなく、国連関係者に国連軍関係者、更には日本政府や戦自の関係者も居たのだ。
 よくよく考えれば、この噂の元はシノの私語とも言える。シノの私語の断片を聞いた者達が、勝手に妄想して流布したモノだ。
尤も、シノは或る意味、目立つ存在であるから耳目が集るのも仕方がないのかもしれない。
国連軍中将勤務の航宙軍准将にして、内示が出た事から判る様に、近々国連軍大将勤務の航宙軍少将の辞令が下される人間である。
しかも少女。しかも、誰が見ても振り返る美少女である。
此れで耳目を集めない訳が無い。
更に、対使徒戦に於いては、常に第一線に立っているのだ。
戦訓検討会議という席上、彼女の一挙手一投足、一言一句は注目の的なのだ。
そんなシノが、レイと交わした私語が誤った伝わり方をしたとは言え元なのだから、確度の高い情報として扱われるのは、仕方が無い事だろう。
(そんなゴシップ、何が元になったのよぉ!?)
前述した様に、アスカ様の言動が大元と言えるだろう。
(考えるのよ、アスカ。ゴシップを広めて、誰が得をするのか)
確かに、誰が得をするかを考えるのは、犯罪捜査の鉄則かもしれない。
しかし、アスカ様を態々貶める様な人間は、ネルフ本部には居ない
何せ、今迄のアスカ様が参加した使徒戦は第六使徒戦より、全て戦闘詳報や報告書が国連や日本政府等の関係機関に上がっているのだ。
その中には、エヴァ各機の行動記録もあり、アスカ様のエキセントリックな行動は最大漏らさず記載されている。
勝手に自爆してくれるのだから、貶める様な行為は労力の無駄使いなのだ。
尤も、そんな事を本人に理解しろ、と言っても無理だろう。
シノを含め誰もが、自分自身の事は中々に気付かないモノなのだから。
(そんな広範囲にゴシップを広めるには、相当な権力が必要なハズよ)
それは誤解である。
根も葉もない風評を広める為には、金と力が必要になる。
しかし、今回のアスカ様の風評の元は、アスカ様の言動が元となった根も葉もあるモノなのだ。
しかも、誤解とは言え最初の発言者は、或る意味信用がある人物である。
更に風評の内容は、人が好きそうな話題なのだ。
これでは、広まらない方が可笑しいであろう。
(あー、あいつかぁ)
どうも、アスカ様。変な推理の末に、自分が今望む犯人を見つけ出した様である。
(サードめぇ。アイツの父親は此処の総司令だし、父親の権力を借りたのね)
アスカ様は、自分がこうであろうと望む人物を犯人と特定したのだ。
しかし、直感的ではなく、拙劣な思考の涯に辿り着くというのもアスカ様らしい。
しかし、拙劣な推理とは言え、シノは、この風評の原因を作った人物であるとも言える
或る意味、アスカ様の考えは正しいのかもしれない
だが、アスカ様は知らないし、知ろうともしないが、シノの社会での権力はゲンドウを遥かに凌ぐ。
今現在の公僕としての地位でも、シノは中将の最上位、ゲンドウは中将待遇の文官であり、位置的には中程でしかなった。
別にゲンドウの権力等借りる必要は無いのだ。
シノがその気なら、碇財団の権力を使って、アスカ様を物理的にも、社会的にも完全に抹殺する事も可能だろう。
それに、物理的に抹殺するなら、シノ個人の力で充分にお釣が来る事だろう。
(畜生、畜生、ちくしょう、ちくしょう、ち・く・し・ょ・う………)
又々、呪詛の言葉を胸の内に吐いてしまう。
このままだと、丑の刻参りに辿り着くのも、そう遠い未来ではないのかもしれない。
それとも、キリスト教から悪魔崇拝かブードゥー教への宗旨変えに行き着いてしまうのか。
そうなれば(黒い)魔女っ娘アスカ様の誕生だろうか?
(此れも、美し過ぎ、優秀過ぎる、アタシが悪いのね)
此れは、“れでーすこみっく”の影響よりも、古典的な“しょうじょまんぐぁ”の影響が大きいのではないだろうか?
もしかしたら、アスカ様の人生の最後は膀胱炎が原因になるのかもしれない。何せ、大昔の少女漫画のヒロインの死因では、白血病と共に多く使われた病気なのだ。
 色々な事を考えながら食堂に着いた時、その入り口でアスカ様は、とうとう鬱屈した思いが爆発し吼えたのだった。
サードの馬鹿野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!
 食堂に居た職員達は、吼えるアスカ様を一瞥すると、直に自分達の食事を摂るという行為に意識を戻した。
またかい(溜息)”という嘲笑を顔に浮かべながら。

 しかし、猿からゴリラになった様に吼えるアスカ様だが、そんな余裕を見せていて良いのだろうか?
今日は戦訓検討会議があるのだが………。

 

 


 

 

 今回の第八使徒戦。ネルフ本部としては不本意な出費を強いられる事となってしまっていた。
ミサトの無茶な指示で壊された火山観測所の観測機の弁償である。
学校の百葉箱に置く様なモノや校庭や校舎の屋上等に設置する様な簡単な機材を除いて、だいたい観測機材と言うモノは受注生産のワンオフモデルが多いのである。
量産品と異なり、それだけ高価なモノとなり易い。ましてや、世界初のマグマの中を潜る観測機材である。
笑えない話、部品までワンオフなモノが多かった為に、観測機1機のお値段はなんとF−22が2機程は余裕で買えてしまうのだ。
第七使徒戦の後始末(使徒戦で破壊してしまった公共施設等の保障等)の出費の関連で、やれ追加予算案作成だ、予算転用だと四苦八苦していた経理部門は、この不必要であったであろう出費に、色々な面で処理能力がパンクしてしまった。

 ネルフ本部の中で技術部長の部屋は異彩を放っている事で有名である。又、作戦部長の部屋も別の意味で異彩(と異臭)を放っている事で有名であった。
そして、現時点で経理部門のオフィスフロアは、そんな部屋を抜いてダントツで異彩を放っていた。いや、異界と言うべきなのかもしれない。
 正しく異界、いや冥界と言える光景が第七使徒戦以来、経理部門のオフィスには現出していたのだ。
目の下に黒々としたクマを作り、青白い顔をした者達が、ただ憮然とした顔で机上のディスプレイを睨み、キーボードを打ち続ける
女子職員が伝票を一生懸命数える。
いちまーい、にまーい、さんまーい、よんまーい………一枚足りないわ
そうして机の上の伝票を再度数えだす。「いちまーい、にまーい、さんまーい………」と。
あるカミに見捨てられた頭が涼しそうな中年の職員がぶつぶつと言いながら、目の前のシートを見て、検算の為だろうか、算盤の玉を弾く。
人捕って食いやしょか、算盤使って検算しやしょうか………
パチパチパチ、と玉が弾かれる音が聞こえてくる。
愛児の写真だろうか? 赤ん坊の写真を見ながら、すすり泣く若い男。
「お父さんはなぁ、でっかいオフィスに居るんだ。周り中、人だらけなんだ………い、つ………お前の顔を見る事が出来るか………お土産なんて………う、う、うっ、うっ」
そんな者など、居ないかの様に仕事を黙々とこなして行く周りの職員。
当たりましたか? 当たりましたか?………
周り中の同僚に聞く声が、何処からか聞こえてくる。因みに、此処は箱根であり、累ヶ淵ではない。
タを返せぇ、タを返せ〜〜〜
………何を返せと言うのだろうか?
置いてけぇ、おいてけぇ、おいてけ〜〜〜
自分が決裁すべき伝票を求める声も何処からか聞こえてくる。
恨みますぞ、伊右衛門ど〜の〜
因みに伊右衛門とはお茶の事ではない。
うけ、うけっ、ウケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ………
誰かが不可思議な声で鳴き出すと、周りも唱和し始める。
「「…「うけっ、うけっけケケケッケケケケケケケケケケケケケ………」…」」
彼等は何時、ちゃんと寝たのであろうか?
額に浮かぶ脂汗は、以前掻いたであろう汗の乾いた跡に浮かんでいる。
何時、帰宅したのかも定かでない者達が、そこには居たのだ。
このオフィスフロアには“経理の職員だ、オフィス勤務。月月火水木金金”の世界が広がっていたのだった。
国連軍顧問団に事務処理の部隊が付随していなかったら、過労死やらモラルハザードが待っていた事だろう。

 

 

第八使徒戦後の戦訓検討会議。

 今回もネルフ本部の第一大会議室で行われる事になり、会議場の設営はネルフ本部の総務部が担当する事となった。
そして、前回の第七使徒戦の戦訓検討会議と同じ様なレイアウトとなったのである。
つまり、アスカは被告席然とした席に、又、座る事になったのだ。

 因みに、今回の戦訓検討会議に葛城ミサトは出席していない。今だ、営倉の中の為だ。
今も営倉の独房内で書類仕事を続けている。午前と午後の時間毎のノルマを正確に果たさないと食事すら出されないから、それこそ必死で書類仕事に精を出している。
此処で味噌なのが、“正確に”と言う事だ。誤字脱字が無く、また正しい書式に則って、正しい内容の書類でなければ終わったとは見做されないのだ。
尤も、それが一般社会では普通なのだが………。
最初のうちこそ、今まで通りに騒いでいたが、食事が出てこない事が理解できれば、態度も変わる。
本来なら基本的な人権があーたらこーたらと五月蠅く言われるのだろうが、此処はネルフ本部の営倉の中だ。
そう云う五月蠅い連中は居ないし、此処の職員は一人を除いて葛城ミサトをホモ・サピエンスとは認めていない
その一人も葛城ミサトと連座した形で、今だ営倉の中に居る。
更に言ってしまえば、此処で葛城ミサトが衰弱死したとしても、一人を除いて、此処に居る人間は祝杯はあげても、悲しむ者は皆無だろう。
しかし、動物に芸を仕込むのと似ているのは何ともはや、なものである。

 混乱の極みにある事務部門の然るべき地位の人間も含めての戦訓検討会議は開始された。
 今回は、葛城ミサトが居ない所為で、被告席と言って良い場所には、アスカのみが座らされていた。
普通なら非常に居心地が悪いハズなのに、アスカはそんな事は気にもならない
ただ一点を見据えるのみである。そして、その視線の先には、碇シノが居た。
アスカの視線は、ただ一つの怨念のみ込められていた。“コロスっ!”と。
 今迄の戦訓検討会議と同じ様に、伊吹マヤの進行で会議は進んで行く。
『1400、作戦開始』
マヤのアナウンスと共に正面の空間干渉型スクリーンに、使徒戦の映像が映し出された。
『此れより、探査機を投下する』
画面からリー中佐の常の声が響いてくると、映像は浅間山の溶岩湖に探査機を投下するUCAV(Unmanned Combat Air Vehicle:無人戦闘用飛行体)の画像が映し出されていた。
その画像と共に流れる音声は、移動指揮車車内で記録されていた音声である。
次々と投下される探査機の画像の音声に、突如アスカのエキセントリックな声が流れてきた。再度、言うが音声は、当日の移動指揮車車内で記録されたモノである。
『アタシの実力を満天下に示す時なのよぉおぉぉぉおぉ!』
この音声を聞き、上段の席を占めるネルフ首脳陣は一斉に手で顔を覆ったり、額を押さえたりしてしまった。
 ゲンドウも何時ものポーズを忘れて顔を覆う。
セカンドチルドレン、余りに難波花月だな(ふっ)
笑いを堪えながら、最後は何時もの不気味笑いをするものの、笑いそうな顔を隠す為に顔を手で覆った為に、皆にはそれは判らなかった。
判らなかった事は皆には良かったかもしれない。その不気味笑いは何時もの何倍も不気味だったからだ。
 ユイも顔を覆ってしまう。
アスカちゃん、貴女………溜まっていたのね………
そう、アスカを憫れみながらも思考は別の事を考える。
でも、キョウコ。子供についても、圧倒的に私の勝ちね!!
思わずニンマリと笑みを浮かべるユイ。しかし、その顔は手に覆われて、皆には判らなかった。
しかし、その方が良かったかもしれない。そのニンマリ笑いは、余りにも邪悪度が強かったからだ。
 冬月は、額を押さえてしまう。
どこまで恥を掻かせるつもりだね? セカンドチルドレン
その肩はハッキリと判るほど、怒りに震えていた。
 そんな冬月を見て、シノは溜息を吐くと隣のリツコの耳に囁いた。
「冬月先生………今日も(堪忍袋の)緒が短いのかしら………」
リツコもチラッと冬月を見て、溜息を吐いてしまう。
「ええ、非常に短そうね」
そう云うと、シノの手にソッとある物を握らせた。
「耳栓………要るでしょ?」
シノは会議中と言う事もあり、リツコを一瞥すると前を向いて、コクリと頷いた。
 そんな首脳陣を他所に、他の参加者のアスカを見る目は前回と同じであった。
−餓鬼めっ−である。
しかし、そんな議場の雰囲気をアスカは読めない、感じられない。ただ一点、シノを睨むのみである。
アスカの心の中には、今はシノへの怨念しかない。そのドロドロとしたどす黒い怨念は、ただただアスカの意識をシノへと向ける。
元々、アスカは大人の顔色を読むのが、下手な方ではない。3、4歳の頃からチルドレンとしての訓練があったので、教官である大人の顔色を読む事が普通であったからだ。
顔色を読んで、その大人が怒る事をしなければ、大抵は誉められたからである。“アスカちゃんは、お利巧さんね”と。
その言葉がアスカの自尊心を擽り、また自尊心を尊大に育てた原因でもあった。
 その様な議場の雰囲気等は関係なく、会議は踊る。元い、会議は進む。
『1410、使徒が羽化し、浮上開始』
映像は溶岩湖を映し出しているが、流れる音声は車内の緊張感を伝えていた。
『観測機1号機ロスト! 使徒に破壊された模様です』
『観測機4号機、振動波を発信開始しました』
『観測機2号機ロスト。使徒、火口に向かって浮上してきます』
『観測機4号機と使徒の接触時間、早く確認してっ』
今、落ち着いた状態で聞いていると、リツコの声も上擦っているのが良く判る。
そんな中で常の玲瓏たる声が流れてくる。
『青葉二尉、使徒が4号機と接触するまでのタイムは?』
その声と対比するかの様に、ヒステリックな声が流れてくる。
『何でっ。アタシまだ潜ってもいないのよぉぉ』
映像が今だ使徒の影も形も見えていない溶岩湖の映像だけに、余計に音声が目立ってしまう。
 その音声が流れると、首脳陣を除いた参加者一同のアスカを見る目付きが凶悪且つ鋭くなる。
でも、アスカは気付けない。
今のアスカは遮眼帯を着けたサラブレットの様なモノだ。ただただ前方を睨むだけしか出来ない。
そして視線の先のシノを親の仇でもあるかの様に睨み付けるのみ、であった。
アスカを注視していた参加者一同は、その視線の先を見てとり、アスカを見る目付きは更に悪化して行く。
アスカにとっては、シノを睨みつけているのは十二分に理由のある事である。しかし、アスカ以外の参加者は、そんなアスカの理由など知らない。
今迄のアスカの言動を知っている人達にとって、アスカの行為は逆恨みとしか映らなかった。
 シノは会議室に皆が揃ってから、首筋にチリチリするものを感じていた。戦場で相手と相対している時に、良く感じるヤツである。
尤も、本当の殺気を知っているシノにとっては、殺気とも言えないモノではあるが。
シノは、そんな可愛げがあるとも言える邪気の元を探るべく、感覚を研ぎ澄ます。
そして、その邪気の元には赤鬼が居た
シノは、チラッと一瞥すると、溜息を吐いてしまった。
(遂に、畜生道に堕ちて、悪鬼羅刹にでも変じましたか………哀れな………はぁぁ)
そして、頭を小さく傾げ、腕を胸の前で組むと、頬に右手人差し指を当てた。
(ヒカリの訓練プログラムをスタートさせておいて………正解でしたかね)
 そんなシノの思いなど関係なく、映像は使徒が溶岩湖からを飛び出すシーンに近づいていた。
『惣流さんはフォワード、私とレイはバックアップになります』
映像からは、遅滞無く常の玲瓏な音声が流れてくる。その音声に対する返答と思しき音声はヒステリックな声音が映像から流れてきた。
『何、アンタが仕切ってんのよっ』
その音声が流れると、音声の主へ注がれる皆の視線は更に冷たくなる。
映像からは、青葉二尉のカウントを告げる音声が流れる中、そんな音声を消すかの様に、映像からはヒステリックな音声が流れてくる。
『だから、何でアンタが仕切っているかって、聞いてんのよっ!』
そして、皆の音声の主に対する目付きは悪化し、視線の温度は今以上に低下していく。
釦の掛け違いは、元に戻らない限り解決されないのだ。
 アスカに対する険悪度の上昇などを無視する様にマヤのアナウンスが事態の変化を告げた。
『1420、使徒、溶岩湖から浅間山頂に飛び出す』
扁平な物体が飛び出すシーンに、レイの呟きの音声が重なる。
『アノマリカリス?』
『冷却材、ナウっ!』
飛び出した使徒は、シノの命令と共に初号機から吹き付けられる冷却材に、殺虫剤をかけられた昆虫の様に地面に墜ちて、ジタバタともがく。
冷却材を掛けられる事により、使徒の体表から湧き上がる白煙は、山頂に吹き付ける風で吹き流されていく。
そして見えてくる使徒の体表には幾筋もの皹が走っていた。
シノの冷静な指示が幾つか出され、リツコやレイの返答がされると、零号機からビームの太い光条が5つ連続して使徒に突き刺さった。
更に止めを刺すかの様に、零号機から撃ち出された5条のビームが使徒に突き刺さる。
シノが使徒の反応を確認する声が流れると、青葉二尉の声が動かなくなった使徒を映した画面から流れ出した。
『パターンブルー、消滅を確認。使徒、殲滅しました』
その声に、会議参加者達からも安堵(?)の為か、ホッとして詰めていた息を吐き出すような声が聞こえてくる。
そして、吃驚箱の蓋が開いた。
『1427、使徒の下の岩盤が火口へ向かって崩落』
マヤのアナウンスと共に、画像は使徒が崩れる岩盤と共に、マグマを湛えた火口へ滑り落ちて行くシーンに変わった。
『あー、貴重な研究サンプルがぁ〜』
リツコの悲鳴が流れ、会議室の一同が笑った直後に、それは起こった。
マグマの面に使徒が接触すると爆発が起こったのだ。
『噴火?』
『『マスター(主様)』』
リツコと、シノの御付の二人:楓と紅葉の声が流れる中、ネルフ首脳陣やアスカを除いた会議参加者は一様に「おぉっ」と驚きの声を上げた。
そのざわめく会議室を鎮めるかの様に、シノの声が爆発シーンを映す画像から流れてくる。
『対ショックっ』
そして、シノにしては珍しい怒声が流れてきた。
『惣流さんっ! 爆風の衝撃に備えてっ!!』
それに被る様に流れるレイの呟きは、声音と共に余りにお間抜けだった。
『何で、立っているの?』
それは、事態を無視したかの様に立つエヴァ弐号機を表すのには、的確だったかもしれない。
その映像からのシノやレイの声を聞き、皆のアスカに対する目付きが更に悪化し、視線の温度も更に低下したのは言うまでも無かった。
 弐号機が無駄に立っていたお陰で、第八使徒戦後のエヴァの修理では、戦ってもいない弐号機が他のエヴァに比べて4割増し程、修理する箇所(主に、痛んだ装甲の交換)が多かったのだ。
装甲とてタダではない。修理する箇所が多ければ、整備を行う者達の負担も増える。
整備や経理関連の参加者を中心に、皆の目付きが悪化するのも無理も無いのかもしれない。

 映像が終わると、室内が明るくなった。
そして、マヤが会議を進めるべく、シノに話を振る。
『碇査察官、今回の使徒戦についての問題点を』
その言葉に、シノは溜息を吐くと、話し出した。
「一番の問題は、指揮統率の紊乱ですね」
シノは、そう切り出すと、先程から自分を睨みつけているアスカに向き直った。
「弐号機パイロット………」
シノは次を話すか否かで、一旦言葉を切る。アスカは「弐号機パイロット」の言葉に、シノを見る目の視線が更に極悪化する。
まるで視線で、シノを呪い殺さんとするかの様に。
シノは意を決した様に話し出した。
「貴女は何故、此方の指揮を無視します?」
そのシノの問いは、シノも予想しない言葉で返された。
 惣流アスカ・ラングレーは、シノをピシッと指差すと、大音声で宣った。
アンタ、卑怯よ!
「はぁ?」
アスカの大音声の糾弾に、シノは頭の中で疑問符を浮かべながら、気の抜けた様な返事を返した。
シノにしてみれば、薮から棒に訳が判らない事を言われている様なものだ。
シノの隣に座っていたレイも目を見開き、口をだらしなく開けて、如何にも唖然とした表情を浮かべている。
しかし、アスカにしてみれば、意味も有り訳も有っての暴発だった。尤も、その意味も訳も、自己中心的なモノ以外の何物でもなかったのだが………。
あんな風評を広めて、何様の積りよ!!
そんなシノの表情と返答に、アスカは更にヒートアップしていく。
その背後には、何やら黒いメラメラとした焔を纏っているかの様な忿怒の形相である。
アスカの怒気を受けても柳に風なシノは、その形相を見て別な事を考えていた。
(やはり、畜生道に堕ちて、悪鬼羅刹に変じましたか。赤鬼アスカの誕生ですかね?)
結構、失礼な事を考えていた様だ。
「ア、アタシが牛とで、で、で、出来ているなんて、風評を広げてぇっ!!!
アスカにしてはモジモジしながら話すも、最後は怒鳴り声になってしまう。
「惣流さん………何を言っているのですか? 風評とか………」
シノにしてみれば、身に覚えの無い事である。
この風評は、シノとレイの会話の断片を聞いた一部の国連の高官や日本政府関係者が妄想を膨らませたモノであったのだから、シノは預かり知らない事であった。
シノ自身は、アスカに変な風評が立っている事自体は知っていた。しかし、その風評の発信元が自分だと断定するアスカの言動に戸惑ってしまう。
自分のパパの権力を笠に着て、風評を広めてぇっ!!!!
最後は、怨念塗れのドス黒い焔を纏いながら、絶叫してしまうアスカ。感情をコントロールする事等、何処かに逝ってしまっている様だ。
 こんなアスカの言動を見た国連の高官や日本政府関係者は、ヒソヒソ話を始めた。
「シノ嬢も可愛そうに」
「そうですな、彼女が言い触らした訳でもありますまいに」
「もしかして、私達の話が発端ですかな?」
「真逆………私達の話位で世界中に風評は伝播しないでしょう」
しかし、事実は彼等が広めたも同じであった。海外とのTV会議、電話等で前回の戦訓検討会議についての顛末と、シノとレイの会話の断片を面白可笑しく脚色して、会議や連絡の話の合間の雑談として話したのが、今回のアスカの風評の原因なのだ。
尤も風評を広めた張本人達は、まったく責任感皆無の会話を続けていた。
「彼女が行動するなら、セカンドチルドレン等、社会的に抹殺されているでしょうに」
「そうそう。それに遺伝子提供者の六分儀ゲンドウ氏より、シノ嬢の方が地位も権力はありますしな」
「それはそうでしょう。もう直ぐ、国連軍大将。そして、碇の当代なのですから」
「セカンドチルドレン、頭が逝ってしまいましたかな」
「失敗続きですからなぁ」
「ネルフは、精神医療も進んでいると聞いていますが」
「セカンドチルドレン、引退ですかなぁ」
「先の使徒戦では完全なる抗命罪ですからなぁ。
 処刑も有り得るのではないですかな」
そんな事を囁かれている等、露知らず。アスカは一人、更にドス黒い怨念の焔を燃え上がらせ、シノに罵声を浴びせ続けていた。

 そんなシノに対する罵声に、プチッと切れた初老の男が一人。
この時、周りの人間は彼の(堪忍袋の)緒が切れる“ブチッ”と言う音を聞いたと、後に語っている。
惣流アスカ・ラングレー君
人間、本気で怒ると逆に声音は静かになるのかもしれない。底冷えがする低音ではあるが、静かな声がアスカに向かって放たれる。
 その声音を聞き、シノを含むネルフ首脳陣は“あちゃ〜”と言う顔になってしまった。
シノは額に手を当て、天を仰ぐ。しかし、見えるのは人工の光を発する照明器具のみ。此処から救い出してくれそうな、天からの光明も、蜘蛛の糸も見えなかった。
隣のリツコは、チラッとシノを一瞥した時、シノの口元が秘かだが、確かに引き攣るのを見て取っていた。
そのリツコも肩を落し、溜息を吐くこと頻りである。
ゲンドウはゲンドウポーズのまま顔を引き攣らせ、ユイは頭垂れた。
 ついでに他の参加者も、“地雷踏みやがって”とアスカを睨み付けると、もう疲れた様にがっくりと頭を下げ、そして肩を落としてしまった。
この時の参加者の心境は、“長くなるなぁ”である(笑)。
 しかし、事務部門の人間だけは違った様だ。
精神的にテンパっている事もあるのだろうが、皆がその冬月の様子をニヤリと悪魔の微笑を浮かべながら眺めていた。
俺達だけ、不幸になるのは可笑しいじゃないか。元凶は、俺達より不幸になるべきだっ。
と、言わんばかりの空恐ろしい微笑を浮かべながらアスカを見下ろす事務部門の人間。
ー 冬月副司令、思う存分、餓鬼を嬲って下さいっ! 宜しくお願いしますっ!! −
と、彼等は一様に思うのだった。
しかし、事務部門が疲労困憊でテンパる原因は、葛城ミサトと思うのだが………
だが、今迄のアスカの言動が厄して、事務部門の人間にはミサトとアスカは同類項という認識が出来上がっていた。
更には、事務部門の人間のテンパっている頭では、ミサトとアスカは同類項なので、ミサトのやった事はアスカがやった事という、或る意味、非常に恐ろしい図式まで出来上がっていたのである。
日頃の行いこそ人々は注視しており慎むべきものである、と言う事の良い例なのかもしれない。
使徒戦での実績がアスカにあれば、大目にも見て貰えたであろうが、彼女には其れこそが無かったのだ。
 その底冷えがする低音に、流石の天災(事実)美少女(多分)パイロットのアスカ様もシノを睨み弾劾するのを止めざるを得なかった。
そして、自然と出てくる冷や汗を額に浮かべながら、声のする方に“ギギギッ”とばかりに首を回した。
アスカの視線の先には、口元に微笑を浮かべる好好爺然とした冬月が立っていた。しかし、冬月の眼は笑っていなかった
「惣流アスカ・ラングレー君。君は組織秩序と言うモノを、ドイツでは如何習ったのだね?」
「………」
冬月の静かな、しかし底冷えがする声の質問に、アスカは答える事が出来ない。
冬月を一目見た時から、アスカは冬月の静かな怒気に飲まれてしまったからだ。
尤も、シノを含めたネルフ首脳陣も冬月から立ち上る怒りのオーラに飲まれてしまった様に動きを止めていたのだから、アスカ一人を未熟と攻めるのは酷であろう。
逆に、それ程までに今回の冬月の怒気は物凄いとも言えた。
「いや、言い方を変えよう。君は社会の在り様というモノを、母上から如何習ったのだね?」
「………」
また、アスカは答えられない。尤も、冬月の質問も抽象化過ぎたと言えるかもしれない。
「ふむ………答えられないかね?」
アスカにとって、冬月の眼は、アスカの事を“この劣等生め”と言っている様に感じざるを得なかった。
その様な眼こそ、アスカにとっては尤も恐れるモノである。
アスカには、自分に対する叱責は、母親が叱責されたのと同意義なのだから。
 この冬月とアスカの対峙を首脳陣は首を左右に軽く振ると、只々、頭を抱えるだけだった。
シノもその口である。額に人差し指をつけて頭垂れるのみである。
(ふ・ゆ・づ・き・せ・ん・せ〜、今日今限りでアスカを潰すつもりですか〜)
シノはそう思いながらも、何を言っても止まらないだろう冬月を前にして溜息を吐く事、頻りであった。
人々を平伏させ、天をも墜とす力を持っていても、世の中、ママならないモノはあるものなのだ。
(力って、何のかしらね? どんな力も無力な場面ってあるものなのよねぇ)
些か現実逃避気味ながら、シノはついそんな事を考えてしまっていた。
そして、シノはリツコから渡されていた耳栓を本来の目的に使うべく、耳に宛行った。
それは首脳陣も同じ事。
前回の戦訓検討会議でもそうだったが、お怒りモードの冬月を止める事は無理と言うモノだ。
冬月の体力切れを待つしかないのだ。
ゲンドウは、前を向きながら、傍らに座る妻に向かって囁いた。
「長いな」
「えぇ」
ユイもそう答えるしかなかった。
リツコは、傍らの頭垂れるシノの姿を見て、やはり溜息を吐くだけであった。
(無理よ、宇宙意思には逆らえないモノなのよ)
そう内心で自分とシノを慰めながら、また溜息を吐くのだった。
そして、リツコも白衣のポケットから耳栓を取り出すと、耳へ装着した。
 そんな外野の心配や諦観等、あうとおぶがんちゅー、な冬月コウゾウ。
一人、惣流アスカ・ラングレーと言う劣等生を前に講義を行って行く。
「そもそも、社会の………人間社会の在り様とは、階層なのだよ。悲しい事にね」
そう云うと冬月は、傍らの湯飲みを口に運び、喉を湿らせる。
その動作を見て、首脳陣を含め周りの会議参加者達は顔を蹙めた。
お説教−冬月曰く、講義−が長くなりそうだからだ。
「原始共産制であっても、物資を皆に集配する為には何らかの纏め役は居たのだよ。
 そうでなければ、物資を集め、それを共同体の皆に配ると言う事は出来ないのだ」
確かに、国とかの意識がハッキリとはしない時代であっても、長老とか何らかの合議体とかは必要であろう。共同体である限り、色々な意見を持つ人が居て、その意見を調整し纏めて行く機関は必要なのだ。
「古代、中世の国家は言うに及ばず、近代に入って政治形態が王権から民権に移っても、必要悪とは言え社会に階層構造が無くなった事は無いのだ」
しかし、ありがたーい冬月のお説教(冬月曰く、講義)もアスカには理解出来ない。
それは、そうだろう。シノを糾弾しようとした所に、突然“社会の在り様”等を講かれても、心の準備もママならず、如何受け止めろと言うのだ。
只々、目を白黒させるだけである。
 そして、事此処に至り初めて周りを見渡して見る。参加者の視線は、自分に集中している。
その視線は日本に来てから感じる、あの不快な冷たい視線のみである。
その視線はアスカの事を攻めたてる。“役立たず”、“要らない子”、“迷惑なのよ”と。
ドイツに居た頃、アスカは自分に集る視線に心地よいモノしか感じた事はなかった。その視線は、自分を賞賛するモノであり、自分を励ますモノでもあったからだ。
しかし、日本では違う。最初こそ、自分を励ましたりする視線はあったが、自分を賞賛する視線は一度としてなかった。
今では、全て不快で冷たい自分を貶む視線だけである。
今、アスカの心を占めるのは“なぜ?”だけである。
なぜ、自分は大事にされない?
なぜ、自分は貶められる?
なぜ、自分は認められない?
なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ…なぜ………
アスカの心の内を“何故”が吹き荒れる。
尤も、ほとんどの事については、アスカが原因であり、身から出た錆とも言える事ではあった。
此処で、素直に「誰かアタシに優しくしてよぉ」とでも泣き付けば、ネルフ本部の皆のアスカに対する看方も変わったかもしれない。
アスカの頭の隅では無意識に、その言葉を考えるのだが、それが意識に上る事は無い。だから、口の端に乗せられない。
それが言える様ならアスカ様ではない、とアスカ自身が思ってしまう所に、アスカの限界と破れない己の卵の殻があった。
 そんなアスカの内心等を無視するかの様に、参加者一同をウンザリとさせている冬月のお説教(講義だっbyコウゾウ)は続いている。
「かのウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフが地上に現出せしめ、ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリが方向付けをしたソビエトの共産主義体制でも同じだった。
 そして、毛沢東が作り出した中国共産党の体制もだ。
 いや、此方の方が尚悪いかもしれない。共産主義や社会主義を謳いながら、中世や近世さながらの一党による王朝を産みだし、見事なまでの共産党を核とする階層構造を産みだし、共産党員と言う名の貴族階級を産みだした。
 北鮮も労働党と名を変えているだけで、同じ事だ」
 シノやリツコは、耳栓のお陰で冬月が何を言っているか判らない(笑)。
只、周りの雰囲気を見ていると、如何も脱線気味の様である事は判る。
さて、如何するか? と、時刻を確認する為に腕時計を睨みながら考え込むシノだった。
「そして、階層構造とは上下関係であるとも言える。そして、軍事組織というのも見事なまでの階層構造なのだよ、惣流アスカ・ラングレー君」
どうやら冬月のお説教は、漸く本論に入った様だ(笑)。
「基本的に、良い階層社会とは。上位者は全般を見渡し、筋道を考えて下の者に指示を出す。そして、下の者は、その指示を実施する事によって、事態に対処していくものだ」
此処で言葉を一旦切ると、教師が劣等生を指導するかのように冬月はアスカを見下ろし、アスカに質問をした。
「指示を出された者が、その指示を無視して、己の恣意だけで動いたら如何なると思うかね?」
「………」
その冬月の問いに、アスカは答える事が出来ない。
もうアスカの頭の中は、所謂一つの真っ白という状態なのだ。
「その事態に対する対処は失敗する。上手く行く場合もあるかもしれないが、成功するよりも失敗する率の方が高いだろうな」
余程、上がミサトの様に無能で考えなしな指示を出していない限りは、部下が自己中心的な行動を採れば、その先には不幸な事態が待っている事が多いだろう。
組織の指揮者とは、組織全体に“こうアレ”という指示を出すものだ。
一人が勝手に動けば、その者の動きは、指揮者の指示で動こうとしてる他の者の動きの邪魔になる公算は高い。組織としての動きの阻害要因でしかないのだ。
「では、君の浅間山での行動は如何だったのかね?
 指揮官たるシノ君に対して抗命するだけで、何一つ動こうとしない」
そう云うと、冬月はアスカを睨み付けた。
「君は浅間山で、何をやったのかね? 何か功績を残したのかね?」
「………」
アスカは返答を行う事が出来ない。頭の中が真っ白ではあるのだが、少しは残っていた理性で、自分の浅間山での行動を省みてみる。
頭の中が真っ白、つまりパニックになっている状態でも自分を省みる事が出来るというのは、或る意味、アスカの非凡な所を示しているとも言える。
しかし、自分の行動を省みる事が出来るだけに、満足な返答は出来なかった。
それが判るだけに、アスカは俯いてしまう。
しかし、冬月の言葉はアスカへの追撃の手を緩めない。と言うか、大人気無いぞ、冬月コウゾウ。
「君は、浅間山では何もしなかった。 大声で騒いで、抗命していただけだ。
 こう云う行為を世間一般では、何と言うのかね?」
「………」
アスカの少しだけ残った理性は回答を出している。でも、その回答を己が声帯を震わせて音とする事は、アスカは恐くて出来なかった。
「役立たず、と言うのだよ。惣流アスカ・ラングレー君」
一番聞きたくない言葉に、アスカの顔色はどんどんと土気色に変化していく。そして、手先が震えだす。
そう云う弱味を他の人に見せたくないアスカは、震えを押さえる為に両手を握り締め、弱々しい表情を出さない為に口をキッと引き結ぶ。
しかし、他者から見れば、アスカの態度は反抗的と見えてしまう。
現に、首脳陣やシノ以外の会議に参加している者達は、その様にアスカを見ていた。
そんなアスカの態度等、目に入らないかの様に冬月は、尚も言い続ける。
「軍隊での抗命罪は、どれだけ重い罪か知っているかね?」
「………」
知らない事だから、アスカは黙るしかない。
と言うか、この会議に参加している者の中で、どれだけの人間が抗命罪の量刑をしっているだろうか?
帝国陸軍の陸軍刑法では、次の様に抗命罪を規定している。

上官の命令に反抗し此れに服従せざる者は以下の区分において処断す。
一.敵前なるときは死刑又は無期若しくは十年以上の禁固に処す
二.軍中又は戒厳地域なるときは一年以上七年以下の禁固に処す
三.その他の場合なるときは二年以下の禁固に処す

各国とも似たり寄ったりであり、死刑まで規定されている、相当に重い罪と曰える。
まぁ、命令不服従と言う事は、軍隊組織の崩壊に繋がるので当然かもしれない。
「君は使徒との戦いの最前線で抗命を行った。此れは前線抗命罪になる。
 つまりだ、惣流アスカ・ラングレー君。君は、死刑か無期懲役の罪を犯した事になるのだよ」
この冬月の言葉を聞いた後、アスカは意識を手放した。


 アスカが意識を手放そうとした時………
シノは、擬音で“サァー”と言う音でも聞こえてきそうなアスカの顔色の悪化を見て、慌てて耳栓を外した。
そして、傍らのリツコの肩を叩く。
リツコが耳栓を外すのももどかしく、シノはリツコの耳元に顔を寄せた。
「リツコ、救護班を」
シノは、そう云うと、傍らに座って暇そうにしていたレイを促した。
「レイ、下に行くわよ」
シノは、レイの返事も聞かずに席を立っていた。
「ちょ、ちょっと待って下さいっ。お姉さま」
レイも押取り刀でシノに続いて席を立ち、シノの後を追った。
シノが下に着くのと、冬月が「………死刑か無期懲役の罪を犯した事になるのだよ」と言う言葉が同時位であった。
シノがアスカの後ろに立ったとき、アスカは意識を手放し、シノが居る背後へスーッと倒れたのであった。
シノは、アスカの背を支えると、アスカの頬をペチペチと叩く。
リツコっ、救護班は?
今、呼んだわ!
そのシノとリツコの問答を契機に、会議室は騒然となった。
レイは、シノと共にアスカを支えると、シノを見る。
「お姉さま、セカンドは如何しちゃったんです?」
「急激な血圧低下でもしたのか………」
そう云うと、シノは冬月の方へ顔を向けて、ギロリと冬月を睨んだ。
しかし、冬月は傲然とアスカを見下ろすのみで、シノの目付き等気付かない。
その時、冬月は傍から見ると傲然と見えるが、実は軽い自失状態にあったりする。
シノは一瞬、冬月を睨むと、アスカの方へ頭を戻した。
「レイ、アスカを床に横たえるわよ」
シノの指示で、シノとレイは静かにアスカを床に横たえた。
シノは、足の方に回ると、アスカの足首を抱えて、軽く持ち上げる。
「レイ、アスカの脈を見て」
そして、背後にリツコの気配を感じると、リツコにも指示を出した。
「リツコ、何か足の下に入れる枕みたいなモノない?」
更に、ヒックス大佐達が来ると、其方に顔を向けた。
「お嬢、何か手伝う事はありますか?」
ヒックス大佐が言うのを待っていたかの様に、シノは指示を出した。
「ヒックス大佐、ドアを開け広げ、机等を片付けて、通路の確保。
 ストレッチャーが入り易い様にしてくれます?」
その指示にヒックス大佐は敬礼で答えると、後ろに控えていたマッケンジー、バーロウ、ドウビ達へ指示を出し始めた。

 戦訓検討会議は、被告とも言えるアスカが倒れた事により、急速に終熄に向かう事になった。
基本的に、浅間山での第八使徒戦は、作戦通りに進み、被害も最小限だったからだ。
目立ったトラブルも事前調査でのミサトが起こした事とアスカの抗命だけである。
尤も、ミサトが起こしたトラブルは、非常に高く付いたものではあったが。
そう云う事で、戦訓の検討段階はスンナリと進んだのだった。
 アスカが倒れた時、会議に参加していた者達の心情は様々であった。
しかし、バツが悪い思いを抱いた者が、ほとんど居なかったのは、日頃のアスカの言動をネルフ本部職員がどの様に見ているか判ると言えるかもしれない。
事務部門の人間は、心の中で倒れたアスカに唾を吐いた位だ。
−けっ、こんなもんで倒れやがって! 俺たちゃ、毎日が生き地獄だぜっ−
アスカが倒れた事を聞いた事務部門の人間の一致した意見であった。
 この戦訓検討会議の直ぐ後に、一つの風評が国連を通じて流れる事になる。
−惣流アスカ・ラングレー、御乱心! 抗命罪で処刑か?−
と言う風評である。
何と言うか………東○ポ?と言いたくなるお題目を持つ風評ではあった。この風評は、全世界を一日と掛からずに環る事になってしまった。
人の不幸は蜜の味、と言わんばかりの疾さである。
勿論、風評の発信元は、戦訓検討会議に出席していた国連の文官、及び日本政府の関係者である。

 この時代、未だセカンドインパクトからの復興は全世界レベルでは成し遂げられていない。無論、通信ネットワークも全世界的なモノは民間レベルでは完全には復旧していない。
 全世界的なネットワークと言うのは一朝一夕で出来たモノではない。それなりに年月を掛けて構築されてきたモノと言える。
 通信ネットワークを構成する有線回線でみると、セカンドインパクト直後は沿岸部の海底ケーブルを中心に破損が酷く、また沿岸部に企業が集中していた事もあり、かなりの公的・民間を含めての国際回線がパンクしていた。
 衛星回線についても、通信インフラ業者の基地局そのモノは内陸も多くあった為に、南極大陸の永久結氷が溶けた為の津波や海水面の上昇の被害は逃れられた。
しかし、基地局の機材を製造していたメーカーの工場は沿岸部に多く、補修部品の欠乏等で、次第に基地局を維持運営していくのが難しい状況に陥っていった。
通信衛星というモノは消耗品の様なモノであり、古くなれば交代の新しい衛星を打ち上げていく。
悪い事に、セカンドインパクトは地軸が動く程の影響を地球に与えた為に、地球の重力にも影響される衛星軌道にも影響が出ており、それなりの数の通信衛星が使用できなくなる事態を招いていた。
沿岸部の工業地帯の被害は、衛星や打ち上げ用ロケットの製造に大きな影を落し、交代の通信衛星が中々打ち上げられない事態を招いてしまっていた。
ロケットについては、被害を受けて居ない内陸部にあるサイロのICBM等を用いる事も検討され実施されもしたが、衛星打ち上げ用のロケットに改造する為には、やはり部品や資材が必要であり、結局薬局放送局、部品などの資材不足が尾を引いてしまった。
使用可能な通信衛星が減って行き、衛星通信の地上局の減少と能力減少が相俟って、衛星通信もセカンドインパクト前と比べると回線数等の能力は激減していたのだった。
 しかし、国連関係等の諸機関、及び国家等の公的機関が使用する通信インフラについては、援助等と密接に係わる為に復旧には優先的に資材が回されており、世界規模のネットワークを持っていると言って良かった。
尤も、援助と言う錦の御旗の為に通信関連等の資材が民間の復旧の需要を満たすまで回らず、民間の通信インフラの復旧が遅れている事を事実ではある。

 それが仇に成ったとも言える疾さで、アスカの新たな風評はネットワークが繋がっている場所に拡散した。つまり、世界中に拡散した事になる。
当然の如く、この風評をネタに惣流キョウコ・ツェッペリンがアスカに電話攻勢をかける事になる。







To be continued...
(2008.09.27 初版)


(Postscript)

 お久しぶりです。約2年ぶりとなります。

 第8話前中後編の前編となります。テキストベースでの話は書けているので、私生活で不都合が無ければ今週を含めて来週・再来週と投稿する事になると思います。
 この話、2007年初頭にはテキストベースでほぼ書き終わっていた話ですが、何処かのスットコドッコイが此処の掲示板に“かーつっ”とか書き込んでくれたお陰で、『コッチの都合も考えないで』ど言う事でHDDから全削除。
同年の夏場に再度書き出したのですが、やはり掲示板で『書かない奴が悪い』的な発言が増えたので作業停止。
今年の夏は入院するハメになったので、再度書き出したのが本話となります。
(この手のミサト的書き込みを見るとモチベーションが下がるのですよ。こっちの生活とかを考えない書き込みを見ているとね)

 愚痴は此処までにして。
 今回も話全体がテスキトベースで150KB超の為、50KBづつ位に分割する事にしました。
 第8話前編は、アスカ様オンステージです(笑)。
 ネットアイドル(ゴシップの女王)と化したアスカ様。その行動も破天荒!
 暴走爆走なアスカ様。アスカ様には安眠すら得られないモテモテぶり! と言った所でしょうか。
 冬月も壊れているし、この二人を絡ませると、自然と暴走してくれるのは何故なんでしょうねぇ(苦笑)。
 ついでに、アスカママことキョウコも登場。それなりに娘に対してはぶっ飛んでいると言うか、おばさんしています。
性格のモデルはTV版ミスマル・ユリカがそれなりの歳をとったと言う所でしょうか?やる事はやるけど、性格は破天荒と言う奴です。

 さて、次回中編はネルフ本部トップのヒソヒソ話が中心になります。

 

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