第六話 レイの退院、シンジの災難
presented by トシ様
晴れ渡った空に、心地良い微風が吹いている。
絶好の行楽日和であるこの日は、レイの退院当日であった。
レイの病室には恭也、シンジ、美由希の3人が迎えに来ており、今は美由希がレイの荷物を整理していた。
「兄さん、退院の手続きなんかは?」
「ああ、もう済ませておいた。後は荷物を持って病院を出るだけだな」
「そっか。美由希ちゃん、荷物のほうは?」
シンジがそう尋ねると、ちょうど荷物整理の終わった美由希が顔を上げた。
「これで終わりだよ。でもレイさん、荷物って本当にこれだけなの?」
「(コクコク)」
頷くレイに、美由希は小さく溜息を吐いた。
その手元には、小さなボストンバッグが一つ。
ちなみにこれは入院中に必要な荷物と、レイの部屋から持ってきた荷物の合計である。
はっきり言って少なすぎ。
「帰ったらレイの身の周りの物を買いに行かないとな」
「そうだね。レイ、何か欲しい物ある?」
「・・・よくわからない」
シンジの問いに、レイは困惑した表情で答えた。
今までの生活空間が無機質すぎたせいか、日用品の選び方などはよく分からないのが現状なのだ。
もっとも、入院中に3人が色々と教えたおかげで、昔のように部屋は睡眠が取れればそれで十分といった考えは払拭されているが。
「そっか。ま、ゆっくりと考えればいいよ。時間は十分にあるんだから」
そう言ってシンジは、ゆっくりとレイの頭を撫でた。
どうもレイはこうして撫でられるのが好きらしく、今も目を細めて気持ちよさそうにしている。
猫だったら喉をゴロゴロと鳴らしているに違いない。
そしてそんなレイの表情に、3人は緩みまくった、それこそ初孫を可愛がる祖父母のような顔をしている。
・・・やはりこの4人の中では、レイが(いろんな意味で)最強らしい。
その後なんとか正気に返った3人は、突如あっちの世界に旅立ってしまった自分達を不思議そうに眺めているレイの表情に再び旅立ちそうになるのを抑え、ようやく病院から出た。
ちなみに荷物の整理が終わってから病院を出るまでに掛かった時間はおよそ1時間半。
もう少し旅立っている時間が長ければ、こっちの世界に返ってくるのが難しくなっていたかもしれない。
「いや〜、もう少しで僕らが入院するところだったね」
「ああ、さすがに病院内で旅立っている人間が発見されるなんて洒落にならないからなぁ」
「「あっはっはっはっは」」
「って、恭ちゃんもシンジさんも笑い事じゃないですよ!」
まだ精神が旅立ち気味の不破兄弟に、美由希が勢いよくツッコミを入れた。
その手首のスナップは、ツッコミを入れるのに申し分ないものだったのだが、ここで何故か美沙斗譲りのうっかり属性が発現。
「あ゛・・・」
美由希は慌てて急制動をかけるが、時すでに遅し。
うっかり『徹』を込めちゃったツッコミが、うっかり急所である水月に突き刺さった。
結果。
「「ごはあっ!?」」
油断しまくっていた2人はその悪意も殺意もない一撃をモロに受け、その場に蹲ってしまった。
「・・・ごめん、ついうっかり」
「「な、なんでうっかりで『徹』を使うのさ」」
まったくもってその通り。
そりゃあ確かに美沙斗も、照れ隠しに静馬を突き飛ばす際に、うっかり『射抜』を使った事もあったらしいが。
一方、御神流については何も知らないレイはそんな3人を不思議そうに見ていたものの、
「(・・・美由希さんのツッコミには要注意)」
と、また新たな発見をしていたそうな。
ショートコント(?)も終わり、恭也とシンジもなんとか回復したので、4人はようやく家に帰るべく駐車場に向かおうとしていた。
だが、このまま何の障害も無く岐路に着くなど、このジオフロントでは有り得ない。
何故ならここには、ヤツが生息しているのだから。
曰く、ネルフ最大の恥部。
曰く、鋼鉄の、むしろチョバムプレート製の内臓を持つ魔人。
曰く、ビールだけで必要栄養素を賄えるUMA。
曰く、SSS級の猛毒『M・Curry』を開発した奇才。
曰く、裏死海文書にも記されていない、後一歩で使徒になり損ねた存在。
そう、ご存知、特務機関NERV作戦部長、葛城ミサト特務一尉である。
彼女は今日もレイとの友好を深めるべく、手土産(もちろんビール)片手に病院までやって来たのだ。
いつもの様に御剣の妨害を受けながらも病院に到着した彼女が見たのは、自分に逆らってばかりのくそ生意気な(ミサト主観)不破兄弟とその知り合いと思われる女の子。
そしてその3人に連れられている、自分に従順(と思ってる)な駒である筈のレイ。
こうなると、ご自慢の湾曲思考が普段の100倍近い速度でフル回転。
そして導き出された解答は・・・。
「レイを返しなさい、この人攫い!!」
やっぱり湾曲しまくったものでした。
一方、人攫い扱いされた御神さん家の従兄妹達はと言うと。
「さて、帰ったら盆栽の手入れでもするか」
「相変わらず好きだねぇ。美由希ちゃん、今日の夕飯は何にする?」
「そうですねぇ・・・。レイさん、何か嫌いな物ってあります?」
「・・・肉が嫌い」
「レイ、好き嫌いはいかんぞ。それに、何で肉が嫌いなんだ?」
「・・・血の味がするから」
「血の味?生やレバーでもない限り、血の味なんてしないとおもうけど」
「でも、前に司令に食べさせてもらったステーキは、血が滴ってた」
「・・・(汗)。レイ、今度あの髭に何か貰っても、絶対に食べちゃ駄目だからね」
「・・・?分かった」
と、夕飯について和気藹々(?)と談義中。
その頃、無視されたミサトは、この面白くない状況について脳内協議を開いていた。
レイが自分の話を聞かない→きっと不破兄弟が何かした→あの2人はよくレイの見舞いに来ていた→その間に洗脳を施した可能性大→そうなると、従順な手駒が無くなる→使徒への復讐が難しくなる→戦闘で結果が出せず、降格もしくは減給→えびちゅが飲めない!!
色々と突っ込み所が多いが、とりあえず協議を終えたミサト、再起動。
俯いていた顔を上げ、くわっという擬音が聞こえてきそうな勢いで目を見開くと、再び口を開いた。
「あんた達、私のえびちゅを返しなさい!!」
・・・沈黙・・・
「「「「はあ?」」」」
当然、4人は何の事か分からず聞き返した。
そりゃあ、誰だっていきなりビールを返せなんて言われればこんな反応をするさ。
だが、そんな常人の反応などミサトは聞いちゃいなかった。
「いいから、さっさとえびちゅを返せってのよ、この凶悪犯!!もしかして、あんた私を餓死させるつもりなの!?ふざけんじゃないわよ、この暗殺者が!!」
いや、あんたはビールが無いだけで餓死するのか?
「あんたこの私を、ネルフの至宝であるこの私を狙うなんて、頭いかれてるんじゃない!?いい、この私が死んだら、それこそ人類は滅亡するのよ!?そこんとこ分かってんでしょうね、このテロリスト!!」
葛城ミサト、言いたい放題。
一方、テロリスト扱いされた3人とレイの反応を見てみよう。
まずは恭也、シンジペア。
「兄さん、あんなのが幹部だなんて、あの髭は何考えてるんだろうね」
「どうせあの髭の事だから、何も考えてないんじゃないか?」
「そうか、そうだよねぇ。は〜、あの電柱爺さんも気苦労が絶えないだろうなぁ」
「そうだな。敬老の日に胃薬でもプレゼントしてやるか?」
「別にいいんじゃない?どうせ常備薬になってるだろうし」
「ふむ、それもそうか」
不破兄弟、言いたい放題。
しかし、随分と口が悪くなったなぁ、この2人。きっと今頃、夏織さんとユイさんが草葉の陰で泣きじゃくっているに違いない。
そして美由希、レイペア。
「レイさん、あれ、何です?」
「作戦部長の葛城ミサト一尉、だと思う。・・・多分、きっと、恐らくは」
「へ〜。あ、あんまり見ないほうがいいですよ、傷に障りますから」
「・・・そうなの?」
「ええ、そうです。あんなの見てたら、回復するのが遅くなっちゃいますよ。ほら、病は気からとも言いますし」
「(コクコク)」
美由希さん、あんたも結構言うことキツイですね。流石は士郎の姪、いや、美影の孫と言った所だろうか。
そしてその頃、初号機の内部では。
『うわ〜ん、シンジがぐれたぁ〜!シンジが、シンジが〜!!うう、こうなったら早くここから出て、士郎ちゃんにお仕置きしてやる〜!!』
同時刻、飛行機内では。
「(ぞくっ!)な、なんだこのプレッシャーは・・・。まるでババアに睨まれたみたいだ・・・」
やっぱり同時刻、静岡県某所。
「・・・誰だい、私をババア呼ばわりするなんて。ま、士郎しかいないと思うがね。・・・士郎、帰ってきたら覚悟しな(ニヤリ)」
恭也達が毒を吐き、士郎さんが悪寒に身を震わせている間にも、ミサトの被害者妄想は更にヒートアップ。
「そう、どうしても私を殺そうってのね!いいわ、だったらこっちも容赦無しよ!!」
そう叫ぶと、ミサトは懐から拳銃を取り出した。どうやら殺る気満々のようだ。
一方、銃を向けられたシンジ達は、まずレイを護るように位置を変えた。
その後3人とも重心を低くすると同時に、その手に飛針を持ち、いつでも投擲できる体勢に入っている。
だがそれを見たミサトは、銃相手にたかが針で何が出来る、と言う感じで、思いっきり馬鹿にした笑みを浮かべている。
「ふふふ、抵抗するのね!いいわ、思う存分抵抗して、自身の無力さをとくと味わいながら死になさい!!」
そう笑いながら言うミサトの顔には、2種類の笑みが貼りついている。
1つは、自身が絶対的に有利な立場にいるが故の、余裕の笑み。
そしてもう1つは、弱者をいたぶる事に快感を見出している、サディスティックな笑み。
その顔はとても描写出来る物ではないが、あえて言うなら、お年寄りが見たらそれだけで心臓発作を起こしかねないとでも言っておこう。
「さあ、小便は済んだ?神様にお祈りは?部屋の隅でガタガタ震えながら命乞いをする心の準備はO.K?」
そう言いながらゆっくりと近づくミサトの目は、明らかにヤバイ。
ギラギラと光を放っているのに、その目は腐った鯖のように生気が無い。
「あは、あはははは、さあ、審判の時間よ。あんた達は私の脳内裁判で即刻死刑確定、今この場で死刑よ!さあ、肉片を撒き散らせて、醜く喚いて、無様に命乞いを繰り返しながら死になさい!!」
その言葉と共にミサトは銃口をシンジ達に向け、引き金にそえた指に力を込める。
そして次の瞬間に響いたのは、銃声ではなく、
「・・・え?あ、ああああ、ぎゃああああああああ!!?」
葛城ミサトの悲鳴だった。
ミサトが銃口を向けた瞬間、美由希がレイを抱いたまま横に跳び、射線上から離れる。
それと同時に、まずシンジが『神速』を発動し、両手に持った飛針を全て投げつける。
シンジの手から離れた飛針は、『神速』によって増幅された筋力により凄まじい速度でミサトの手に向かい、その全てが突き刺さる。
狙ったのは、銃を握っている指の関節部。
インパクトの衝撃で銃を握る力が弱まった瞬間、『神速』を使い接近していた恭也が、一気に銃を蹴り落とした。
その衝撃でミサトの手首から骨が砕ける音が響いたが、恭也は気にした様子も無く『神速』を解き、鋼糸をミサトの指に絡ませた。
そしてそのまま、絡ませた特殊な鋼糸を小型の電動リールで一気に巻き戻した。
結果、その摩擦により、ミサトの右手の指は、あっけなく千切れ飛んだ。
「・・・え?」
間の抜けた声と共に右手を見れば、そこにあったのは、ありえない方向に折れ曲がった手首と、不規則に血を噴き出している指の付け根。
「あ、ああああ」
その光景を見た途端、気が狂いそうな激痛がミサトを襲い、
「ぎゃああああああああああああ!!?」
醜い、豚の様な悲鳴を上げた。
冷たい、それこそゴミを見るようなシンジ達の視線の先では、ミサトが右手を押さえながら転げ回っている。
今回恭也が用いたのは、鋼糸の中でも特殊なもの、主に『惨式鋼糸』と呼ばれているものだ。
本来、鋼糸は特殊な繊維で出来た糸に、同じ大きさの鉄粉を均等な厚さで焼き付けたものである。
だが『惨式鋼糸』は、不揃の大きさの鉄粉を、バラバラの厚さで焼き付けた、言うなれば特注品だ。
通常の鋼糸を研ぎ澄まされた刀と表すなら、この鋼糸は錆付いたノコギリだろう。
これで切断された箇所は筋繊維や神経系、細胞に至るまでズタズタに引き裂かれ、二度と接合することは出来なくなる。
だがこの鋼糸にも欠点はある。
それは、一度使えば鋼糸全体に血脂が纏わり付き、洗浄も出来ない為、二度と使用出来ないという点である。
そして今回使った鋼糸はと言えば、
「兄さん、それ、どうするの?」
「どうするもこうするも、捨てるしかないだろう。第一、あんなヤツの脂を纏った鋼糸なんぞ、使いたくもない」
「言えてるね。でも捨てるんだったら、先に御祓いでもしといたら?そのままじゃ変な祟りとかあるかもしれないし」
「ふむ、確かにアレは見るからに執念深そうだからな。例え血脂でも油断は出来んな」
思いっきり腫れ物扱いされていた。
ちなみにこの鋼糸は、後に御神一族御用達の神社で御祓いを済ませた後、活火山の火口に投下され、文字通り消滅したそうな。
「あ、あんた達、私に、この私にこんな事をして、ただで済むと思ってるの!?」
激痛の為、額に脂汗を浮かべながら、それでもその両目に憎悪を漲らせながら言うミサト。
その根性は見上げたものだ。
「じゃあ尋ねるが、貴様があのまま銃を撃っていれば、確実にレイとシンジを殺していたのだが?」
そう、恭也の言う通り、あのまま銃を撃てば、確実に2人に当たり、命を奪っていただろう。
まあシンジは避けれるだろうし、レイも美由希がちゃんと避難させていただろうが、そんな事はミサトは知らない。
御神がどういう存在か知らないミサトにとっては、シンジ達はただの一般人である。
ならば銃で撃てばどういう結果になるのかは分かっている筈なのだが。
「んな事知ったこっちゃないわよ!私に逆らう奴に、私からえびちゅを奪う奴は死んで当然の屑なんだから!!」
これだ。
ここまで自分勝手な答えを返されると、もう呆れてものも言えなくなる。
そしてこの答えを聞いたシンジ達は、そろって溜息を吐いている。
「あのな、分かっているのか?シンジとレイは、今日本にいる、たった2人しかいないエヴァの操縦者なんだぞ?」
恭也の言う通り、レイとシンジは使徒に対抗する唯一の兵器である、エヴァンゲリオンの操縦者。
つまりネルフにとって、簡単に替えがきくような存在ではないのだ。
そんな2人に勝手に危害を加え、あまつさえ射殺したとなれば、ミサトも無事では済まない。
良くて更迭、下手すれば反逆罪か何かで即刻処刑だろう。
まあ、後者になる確率のほうが圧倒的に高いのだが。
恭也はそう教えるように言ったのだが、
「うっさいわね!それがどうしたっていうのよ!!」
ミサトには何も分かっていないようだ。
そして、その本当に脳みそが詰まっているのか疑問に思えてならない答えを聞いた4人は、
「「「「はあ・・・」」」」
とそろって溜息を吐いた。
さすがにこの時ばかりは、普段あまり感情を表に出さないレイも呆れた表情を浮かべている。
「もういい、貴様と話すだけ無駄だ・・・」
「そうだね。さ、レイも美由希ちゃんも、馬鹿が移らない内に帰ろう」
「そうですね。レイさん、行きましょう」
「(コクコク)」
そうして、4人は血を噴出し続けているミサトを置いて、迎えの車が待っている駐車場に向けて歩き出した。
一方、残されたミサトは。
「ちょっと、待ちなさいよ!!私の話はまだ終わってないわよ!待ちなさい、ああ、もう面倒ね!こうなりゃ撃って止めてや・・・って、指が、血が、ぎゃあああああああああ!!!」
指が千切れているのを忘れ、銃を撃とうとし、噴出している血を見て痛がり、しばらくして脳内麻薬の分泌により痛みが治まったら、また撃とうとする。
この繰り返しを、止血することも救助を呼ぶことも忘れ、見回りの人間が発見するまで延々と続けていたそうな。
つーかコイツには出血多量なんて意味が無いのだろうか?無いんだろうなぁ・・・。
ちなみに、万が一に備えてこの騒動を影から見ていた御剣いづみ嬢は、本当に地球上の生き物か判断に迷うミサトの姿を見て、
「もう嫌だ旭川に帰るあんなヤツの観察なんて私じゃなくてMIBに任せて下さいよもしくはFBIのモルダーにっていうかいつから御剣はUMAの観察まで請け負うようになったんですかむしろここは本当に日本ですかいつから日本は使徒やらあんなのやらが闊歩する危険地帯になったんですか・・・ああ、あの頃はよかったなぁ」
と、半ば現実逃避気味に呟き続けていた。
・・・ご愁傷様です。
一方、ジオフロントを出たシンジ達は、現在住んでいる家に向かっていた。
彼らが今現在乗っている車は、どこにでもある一般的なセダン車である。
だがこの車は碇グループの重工業部門の方々の血と汗と趣味の結晶とも言える一品であり、開発主任曰く、
「まあ大抵のモノは跳ね返せるよ。つっても、こいつに傷を付けようと思うなら、最低でも徹甲弾を使わないと無理な話だがね」
との事である。
そしてその車を運転しているのは、碇本家から出向いてきたドライバー・・・ではなく、
「あらあら、あなたがレイちゃんね。う〜ん、本当にユイ姉さんの小さい頃にそっくりね〜」
御神宗家の長女である、御神琴絵その人であった。
この人、体が弱くて御神の技をあまり覚えられなかった代わりに、様々な操縦免許を取得していたりする。
普通免許はもちろんとして、セスナやジャンボジェット、果ては各種軍事用船舶までと、取れるものは徹底的に取っているのだ。
ちなみに士郎も同じように各種操縦免許を持っているのはご愛嬌。
「あ、あの、なんで琴絵さんがここにいるんでしょうか?」
「ん〜、レイちゃんの事で色々とお話があってね〜。それで、電話よりは私がこっちに出向いたほうがいいかなって思って」
シンジの素朴な疑問に、後部座席にいるシンジの方を見ながらにこやかに答える琴絵。
分かっているとは思うが、今は運転中、しかも走っているのは高速道路である。
そんな状況でドライバーが余所見をしていれば、
「こ、琴絵さん、前、前ーーー!?」
と、美由希が焦りながら注意するのも当然と言えよう。
だが、当の琴絵はいたってマイペースだった。
「あらあら美由希ちゃん、こういう時は、志○、後ろ〜って言うのがお約束よ?」
「そんなボケはいいですから、ちゃんと前を見て下さいよ!?」
「大丈夫よ。これでも昔は『静岡のシューマ○ハ』とか『奥多摩のジャン・○レジ』って言われてたのよ?」
「元走り屋ですか!?」
「む、失礼ね。私はれっきとした峠派よ」
「いや、そんな事聞いてませんよ!」
・・・あんた体弱いのに態々奥多摩まで走りに行ってたんかい。
そして美由希が琴絵ワールドに引き込まれている中、シンジは、かつて自分が御神として育てられるきっかけとなった頃を思い出し、
「う、ううう、裏切ったな、僕の思い出を裏切ったな、父さんと同じで裏切ったんだ・・・(泣)」
と、あの夕日の中で見た、自分を孤独から助けてくれた綺麗なお姉さんという琴絵のイメージがガラガラと音を立てて崩れていくのを感じながら、後部座席で泣き崩れていた。
「懐かしいわね〜。あの頃はタイヤが磨り減るのが早くて、母さんによく怒られてたわ」
「うう、もういいもんいいもん、もうツッコミなんてしないもん・・・」
あらら、いじけちゃったよ。
「そういえば、あの豆腐屋さん元気にしてるかしら?」
「豆腐!?豆腐屋さんが峠で爆走!?」
二度とツッコミなんてしないといじけていた美由希は、想像してしまった光景に思わず叫んだ。
彼女の頭の中では、あのやる気の無い笛を吹きながら、自転車でドリフトをかましている豆腐屋の姿がイメージされていた。
深夜の山道。
『パ〜プ〜』というあの笛を鳴らしつつ、自転車なのに時速100kmオーバーで現れる豆腐屋の親父。
荷台に積んだ豆腐を決して崩さずにドリフトを決め、ただ客を求めて走り去って行く。
・・・そんな豆腐屋がいたら、はっきり言って下手な都市伝説よりも怖いぞ。
いや、ちょっと見てみたい気がしないでもないが。
そんな琴絵ワールドが展開されながら、車は第3新東京市郊外に向け、車内の喧騒とは裏腹に、ゆっくりと走り続けた。
車を走らせることおよそ1時間、一行は現在住んでいる家を囲んでいる森の入り口に来ていた。
ちなみに車は、既に近くにある車庫に入れてある。
「さて、それじゃあ行くか」
その恭也の言葉に頷くと、一行は玄関に向かいゆっくりと歩き出した。
途中、シンジや美由希が、罠の位置や、枝に偽装した罠の発動スイッチの箇所、それに非常用の地下通路への入り口をレイに教えていた。
2人の説明にレイは、時折頷きながらその全てを記憶していた。
元々物覚えはいい方だが、たった1回の説明で記憶できるとは、これも天才と謳われたユイの血が成せる業だろうか。
余談だが、ゲンドウも京都大学で機械工学を専攻、修得していただけあり、ユイ程ではないにしろ知能指数は比較的高い部類に入る。
最も、その自慢の知能も最近は役に立っておらず、このまま永遠に役に立たない方が世の為人の為ではあるが。
それから30分ほどして、一行はようやく玄関に到着した。
今回はレイに色々と教えながら着たのと、退院したばかりのレイに負担を掛けないようにゆっくりと歩いた為、普段よりもだいぶ時間を掛けたのだが。
そして今日から住む家を見たレイは、
「・・・」
その外観を見て、固まっていた。
この家の外観は、早い話が武家屋敷だ。
御神宗家や不破家、それに碇本家の屋敷には及ばないものの、世間一般で見れば相当大きな部類に入るだろう。
まあ今まで再開発区にある古びたマンションに住んでいたレイからすれば、こんな、それこそ時代劇でしか見ないような屋敷が目の前にあれば、驚くのも無理の無い話である。
「・・・?レイ、どうしたのさ、急に固まって」
「大方、この家の外観に驚いているんだろう。今まで住んでいた場所が場所だったからな」
「ま、それもそうか。でもこの分だと、宗家に連れて行ったらどんな反応をするんだろうね」
「ああ、そうだな・・・。なんせあそこは、道場だけでもこの屋敷の母屋ぐらいの広さがあるからな・・・」
「うん。宗家の設計をした人って、きっと何か間違ってるよね・・・」
「ああ。道場は宗家で最も小さな建物だからな・・・」
「小さい頃にお仕置きで道場の掃除を兄さんと2人でやらされたけど、今思えば、あれってある意味拷問だよね」
「そうだな・・・。渡されたのは雑巾一枚、それで完全に終わるまで食事はおろか水の一滴さえ口に出来なかったからな」
「僕達、よく生きてたね・・・」
「終わる頃には脱水症状と貧血の一歩手前だったがな・・・」
「「・・・ふっ」」
昔を思い出しながら乾いた笑みを浮かべる恭也とシンジ。
そして2人の会話を聞いていたレイは、まだ見ぬ御神宗家に対し、微かな恐怖を覚えていた。
「それで、何で琴絵さんがこっちに来たんですか」
家に入り、美由希の煎れたお茶で一息ついてから、シンジが琴絵に尋ねた。
車内で尋ねてもよかったのだが、結局あれから家に着くまでずっと琴絵ワールドが展開されていた為、聞くに聞けなかったのだ。
琴絵はその発生源だし、美由希はいじけるし、シンジは泣き崩れるし、レイは途中から寝るし、恭也は盆栽の手入れをシュミレーションしてるし。
なので、家に着いて一息ついてから、改めて尋ねたのだ。
「そうね。レイちゃんだけど、退院したら御神が引き取るっていう話だったでしょう。それで一族で話し合って、私が引き取る事になったの」
「琴絵さんが、ですか?」
「ええ。ほら、私は体が弱かったでしょう?それで今は良くなってるけど、それでも、子供を作るのは難しいのよ」
そう言うと、琴絵は寂しげに微笑んだ。
「だからね、美影さんや静馬も、私が引き取るって言うのは賛成だって。私も、レイちゃんみたいに可愛い子なら大歓迎だしね」
少し重くなった雰囲気を吹き飛ばすように最後は明るく言うと、琴絵は隣に座るレイの頭をゆっくりと撫でた。
最初はビックリしていたレイだったが、琴絵の持つ雰囲気の柔らかさを感じ取ったのか、次第に緊張を解き、今は気持ちよさそうに目を細めている。
片や黒髪に翠色の瞳を持つ琴絵、片や蒼銀の髪に紅玉の瞳を持つレイ。
容姿は似ていない2人だが、今の彼女達の間に漂う雰囲気は、間違いなく親子のそれであった。
「さて、レイちゃんの話はここまでにして・・・」
穏やかな雰囲気が続いていた中、琴絵がゆっくりとシンジの方を向いた。
「私がこっちに来た、もう一つの理由・・・。シンジ君、あなた、こっちに来てから毎日みたいに『神速』を使ってるんですって?」
静かに問いかける琴絵の顔を見て、シンジは例えようの無い悪寒に身を振るわせた。
穏やかに微笑んでいるのに、その周囲の空気が震えている。
そして、琴絵がその両目を開いた瞬間、異常なまでの重圧に、世界が震えた。
その身体から発せられるのは、痛いほど冷たい怒気。
琴絵を中心として吹き荒れる怒気と言う名の嵐は、窓に張られたガラスを震わせ、部屋の中にいる者の心臓を締め付け、呼吸すら忘れさせる。
「―――っ、はっ・・・」
身体を震わせ、やっとの思いでその声とも呼べない声を絞り出したシンジは、自分の周りにいる恭也達に目を向ける。
すると、恭也と美由希も、シンジよりはマシだが、それでも同じように身体を震わせている。
一方レイは、多少の重圧を感じてはいるようだが、別段身体を震わせている様子は無い。
「(レイには怒気が向かないように意図的に調整しているのか!?・・・さすが、宗家って所か)」
まだ殺気では無い分、思考はある程度冷静さを保っているらしい。
これが殺気で行われていれば、間違いなく気を失うか、例え様の無い自殺衝動に襲われていただろう。
そして、暫くして、琴絵から発せられる怒気と言う名の嵐が収まった。
「―――っ、はあっはあっはあっ・・・」
途端、シンジは思い出したように呼吸を始め、全身に酸素を行き渡らせる。
その横では、恭也と美由希も、何度か深呼吸をしている。
これが、宗家の長女である御神琴絵の実力なのだ。
体が弱いが故に、御神の剣を極める事は出来なかったが、代わりに気の扱いに類まれな才能を見せた。
殺気で相手を硬直させる、気配を完全に遮断する、己から発せられる気を一点に収束させたり、任意の方向には向けないようにする。
こういった技術においては、恐らく歴代の御神でも五指に入るであろう稀代の遣い手。
それが、彼女の、御神としてのもう一つの顔であった。
暫くしてシンジの息が整うと、琴絵は改めて話を切り出した。
「シンジ君、確かにあなたは天才と呼ぶに相応しい才能を持っているわ。その歳で師範代にまで上り詰め、奥義も殆どを会得している」
その言葉の通り、シンジはまさに天才と言っていいだろう。
御神流、並びに御神不破流に伝わる、一から六までの、合計十二の奥義の内、九つを修得し、その派生型も幾つか使える。
こと御神不破流の技に至っては、当主のみに伝えられる技以外は、全て自分の物にしているのだ。
「確かにあなたと恭也君、それに美由希ちゃんの3人は、御神でも特殊な存在。『神速』に耐性があったとしても不思議じゃないわ」
そう言うと、琴絵はゆっくりと溜息を吐いた。
御神の技は、習えば誰もが修得できるものではない。
何百年と闘争を繰り返してきた御神一族。
その御神の血に連なる者だけが、御神流を修める権利を持ち、そして会得することが出来る。
その代表的な例が、奥義である『神速』だ。
完成した御神の剣士の証であり、御神が最強と謳われる最大の由縁。
これは、極限まで高めた集中力により、全身の筋肉のリミッターを一時的に外す技である。
一種の自己暗示に近いレベルまで集中力を高め、それによって得られた爆発的な筋力により、人間の限界を超えた速度での移動を可能にする技。
本来これと同じような事をしようと思えば、自己暗示と言える段階まで集中力を高める時間が必要になる。
だが、完成した御神の剣士は、それを一瞬で、しかも戦闘の最中に行い、あまつさえそれを連続で使用出来るのだ。
集中力を一瞬で極限まで高め、それを維持することの出来る精神力。
情報処理速度の急激な加速に耐えられる脳。
筋力の爆発的な向上に耐え、それを連続で行っても壊れる事の無い肉体。
これらは、全て御神の血によって受け継がれているようなものだ。
御神と同じ鍛錬をしたからと言って、誰もが『神速』を修得できる訳ではない。
もしも修得が可能であるなら、きっと今頃スポーツの世界記録はその全てが大幅に更新されているだろう。
さて、ここまで説明した時点で、琴絵が言った『シンジ、恭也、美由希は、御神でも特殊な存在』という言葉を改めて解説しよう。
不破恭也、不破シンジ、そして、御神美由希。
この3人は、言うなれば御神一族の体現者とも言うべき存在なのだ。
不破の血を最も強く引いたとされる不破士郎と、不破に最も近い分家の長女である夏織との間に生まれた、不破の初代に最も近い存在である恭也。
御神宗家の嫡男である静馬と、不破の長女である美沙斗との間に生まれた、御神流の開祖に最も近い存在である美由希。
そして、もう一人。
不破シンジ、彼の場合、彼自身と言うよりはその母、碇ユイに焦点を当てるべきだろう。
御神一族の総本家である碇本家当主であるコウイチロウと、不破家の長女であり、美由希と同じように、御神と不破との間に生まれた、不破美鈴。
この2人の血を引いたユイは、言うなれば御神と言う一族の初代に、最も近い存在なのだ。
そしてその息子であるシンジも、多少薄まってはいるが、御神の血を色濃く受け継いでいる。
だが、例え初代に近いからといっても、生まれた瞬間から御神流を扱えるわけではない。
師の下で鍛錬を積み重ねたからこそ、御神の技を扱える。
これでは、普通の御神となんら変わりは無い。
では、何が特殊なのか。
それは、先に挙げた御神と不破の初代に関係している。
彼らには、ある一つの共通項が存在する。
それは、彼らが『奥義の極』を会得していたと言う事だ。
御神の歴史上、それを会得できたのは片手で数えるほどしかいない。
唯一つ分かっているのは、不破が御神から分かれて以来、それを会得できた人間は皆無であるという記録だけ。
だからこそ、初代に最も近い存在である恭也達には、可能性があるのだ。
ここ数百年の間、誰一人として会得できなかった『奥義の極』を、会得できるかもしれないという可能性が。
故に、その可能性を秘めた彼らは、特殊な存在なのだ。
それは恭也達3人が、皆、12〜13歳で『神速』に辿り着いている事も、そう考える1つの大きな要因になっているが。
「それでも、あなたの歳で行う『神速』は、身体への負担が大きすぎるの。今はまだ何の変化も無いけど、このまま使い続ければ、きっと将来、その代償を払うことになる」
「あなたが何の考えも無しに、あれを使うとは思わない。恭也君も止めなかったのだから、きっとそれ相応の事情があったんでしょうね」
ゆっくりと言葉を紡ぐ琴絵からは、さっきまでの怒気は感じられない。
だがそれ以上に、シンジを心配する気持ちがひしひしと伝わってくる。だからこそ、シンジは素直に自分の非を認め、俯いている。
「だけど、あなたが無理をして、もしも取り返しのつかない事になったら、多くの人が悲しむ事になる。それは、分かってるわね?」
「・・・はい」
「週に3回、それが、今のあなたが耐えられる『神速』の使用限界よ。これ以上は決して使わない事。いいわね」
「分かりました。・・・ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした」
非を認めたシンジは、素直に頭を下げ、謝ったのだが、
「うん、素直でよろしい。後は、近い内にフィリス先生の所で整体を受けに行ってきなさい」
「え゛・・・?」
琴絵が笑顔と共に言ったその言葉に、思わず、それこそ「ピシリ」と擬音が聞こえるような勢いで固まった。
ちなみにフィリスというのは、御神一族がよくお世話になっている病院の先生である。
長い銀髪に可愛らしい顔立ちで、患者や同僚の医者からも人気が高いのだが、はっきり言って彼女の整体はある意味拷問に近い。
幼い外見に似合わずその力は強く、鼻歌交じりに背骨を矯正したり、ポッキリ折れそうな位に間接を曲げたり。
その間中「ゴキッ」「ガコンッ」という骨の音と「がっ!?」「ぬぐあっ!?」と言う悲鳴が絶え間なく続くのだ。
痛みには慣れている筈の御神の人間が思わず悲鳴を上げるのだから、どれだけ痛いのかは推して知るべし。
「あ、あの、琴絵さん。行かないという選択肢は・・・」
その治療を思い出したのか、少しだけ顔を蒼くしながらシンジが恐る恐る尋ねたのだが。
「シンジ君、何か言ったかしら?」
怒気と言う名の風を纏った琴絵の言葉に、何も言えなくなった。
これで行かないとか言った日には、今纏っている風が嵐になり、台風に発展し、挙句の果てにはハリケーンに進化するのは間違いない。
退路を絶たれたシンジは最後の望みとばかりに恭也達を見たのだが、
「シンジ、骨は拾ってやる」
「シンジさん、フィリス先生によろしくね」
「シンジお兄ちゃん、ふぁいと」
全員に顔を背けられながら応援の言葉を頂きました。
ちなみにレイも美由希からフィリスの整体について聞いたらしく、まだ見ぬ医師に対する恐怖で顔が引きつっている。
いや、整体は荒っぽいけど、決してヤブじゃないですよ?
そして、前門のフィリス、後門の琴絵、援護射撃は全く期待できない状況の中、シンジは、
「はい、行かせて頂きます・・・」
と、滝のように涙を流しながら頷いたのだった。
後日、某病院にて、
「シンジ君、あれ程無理をしてはいけませんって言ったでしょう!?」
「わああ、すいません、すいません〜!」
「ああもう、何で恭也君もあなたも素直に言うことが聞けないんですか!?まったく、今日はみっちりと整体を施しますからね!」
「あ、あの・・・できればお手柔らかにお願いしたいんですが・・・」
「駄目です、今日と言う今日は許しません!!」
「そんなぁ〜」
「琴絵さんと桃子さんからも手加減は要らないって言われてますし・・・覚悟はよろしくて?」
「あ、あの、そんな素敵な笑顔で言われましても、どう反応すればいいやら・・・」
「さあ、始めますよ。・・・よっ、はっと♪」
「って何でそんなに楽し・・・がっ!?ごへっ!?」
「さ、次はちょっと強くいきますよ〜、えいっ♪」
「あがっ!?ちょ、ギブギブギブギブそれ以上は折れ・・・あ゛あ゛あ゛〜〜〜!!?」
と言う悲鳴が延々と鳴り響いていたそうな。
・・・合掌。
To be continued...
(あとがき)
ソロモンよ、私は帰ってきた!!
初っ端から暴走気味ですが、どうもお久しぶりです。
後期試験やらパソコンの殉職やら引越しやらで、気が付けば前回の投稿から早4ヶ月。
まだ忘れられていない事を願いつつ、ようやく第六話が完成です。
さて、予定では次回ようやく鞭を操るイカもどきが登場します。
次回は出来るだけ早く投稿するようにしたいと思うので、どうぞお楽しみに。
それでは。
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