人生とは後悔に綴られた物語であるとは誰の言った言葉だっただろうか…
しかし、あなたは本当に"とりかえしのつかないこと"をやってしまった事があるだろうか
大抵のことにはやりなおす機会というものが与えられている
それは償いであったり、再起に繋がることだったり…あるいはつじつまを合わせる為の行為であるかもしれない
だが、与えられた機会こそ、その"とりかえしのつかないこと"の始まりであるかもしれないこともまた真実であるのかもしれない
─とある科学者の残したメモより



ヱヴァンゲリオン新劇場版:零 -stand alone paradox-

第二話 足音はウインドウズと共に

presented by じゅら様




1

そもそもの始まりはあの朝のことだった…あのような突飛な訪問者が訪れることがなければ、そもそもここにこうしていることもなかったのだが…
そこはそれなりに静かな部屋の一室だった。
碇シンジはサードインパクト後に残された廃墟…と、いっても住居として使えるようにした一戸建て住宅の片隅に居を構えていた。
住居の外に並んだ旧式の燃料式の発電機が動かないものも含めて数台置かれている。
その電気を使うのだろう。一般的であった電気式の車とバイクが数台並んで停めてあった。
庭に並んだ中の一台の発電機は朝というにはやや遅めの光の中、ややうるさい音を立てて動いている。
その雑居然とした家の一室では複数のカチコチという時計が時を刻む音を響かせていた。
電波にのせるあらゆるメディアも停止したこの世界で自らの生きている時を知ることができる時計は今やシンジにとって必要不可欠のものとなっていた。
部屋には壁掛時計が時を刻み、どこから拾ってきたのか腕時計が数台、本棚に飾られている。
そんな時計と本しかない部屋では、あくびを噛み殺しながらも食器の接触する音をさせて碇シンジはやや遅めとなる朝食をとっていた。
もっとも全てのバイオマスが死滅した世界での食事というものといえばせいぜいデパートやコンビニと言われていた場所から集めてきた缶詰が主食となる。
シンジはけだるそうに床に座りこんで、缶詰をフォークでつつきながら、どこからか集めてきた書籍を読んでいた最中だった。
妙に甲高い蚊の羽音のような音が1分ほどもしたかと思うと、窓という窓からまばゆい光があふれてくる…発電機の故障かと最初思っていたシンジだったが、ことここに至り異常さに慌てて脱ぎ散らかされた衣服を急いで身に纏いだす。
かざした手を隙間から目を細めて動揺するシンジを他所に、外からいかにもデジタルなといった声…いやもう聞くこともないだろうと思っていた誰かによる音声がシンジの耳に届く。しかし、
『ロl7W』
と、訳のわからないそれでいてまるで耳元で話しているかのような言葉が聞こえてくる。
よくわからないなりに他人の存在に飢えていたシンジはだったが、人かとうかもわからない相手に向かって、
「え、こ…こんにちは」
と、日本語をはじめとした自分の知る限りの言葉でその聞こえてくる音声に向かって話しかけていた。
それは他人から見れば極め付けに奇妙なものだったろう。
いくばくかの語りかけにしばらく聞き手に回っていたようだった相手から、
「コンニチハ」
そう返事が返ってきて、驚きよりも喜びを覚えて一気にまくしたてていた…
ただ、嬉しがるシンジに対して依然として冷静なデジタルな音声で、
「ソコニイッテモイイデスカ?」
と、伝えられ、一瞬ためらいを見せるシンジだったが、そこに否定するという考えがそもそもないことに気がついた。
おそるおそるといった具合ではあったが承諾を伝える。
「…オジャマシマス」
家の玄関まで向かい、入り口を見ていたシンジだったが天井から空中を通り抜けるかのように表面がつるりとした…1リットルのペットボトルを大きくしたような物体がふわりふわりと部屋の中に降りてきた。
いいかげん慣れてきた驚きの感情を押し殺してシンジはソレをじっと眺めていた。
それはシンジの腰のあたりまで降りてくるとその体から触手のような手か足かわからないものを数本足元に向かって生やしたかと思うと、挨拶を行い自己紹介を始めた。
それは簡単に書くと以下のようなものだった。
2000万光年離れた星からやってきたこと、今目の前にいる自分がロボット端末であること、他星系生物の調査を目的としていること。
それにこの星で唯一存在している知性体である生物、この場合シンジのことであるが…保護法の適用を希望する場合は繁殖を可能にするためのサポートを受けることが可能であること、生存可能な惑星への移住を希望するのであれば船に乗せることも可能であること…が、告げられた。
そしていくらかの思慮・混乱・逡巡こそあったものの、この後を省みる必要もない生活を見切り、一躍シンジは地球生命の代表として船に乗る事となった。
もちろん宇宙船であろうものに搭乗できることや宇宙を見てみたいといった好奇心が彼の背中を後押ししたことは想像に難くない。
しかし、あるいはこの彼の判断こそがいわば地球、または人類にとっての最後の希望だったのかもしれない。
彼にとってはまさに宇宙船とはノアの箱舟、最後の命を乗せて旅立つものであったのだ。
「…どうしてだろう。だけど一人じゃないのなら」
それは碇シンジというパーソナリティゆえだったのだろう。
だが、その性格ゆえに今、碇シンジはこうして暗闇に満ちた未来、自分をまるで導こうとしているかのような運命に後戻りできない決定的な一歩を踏み出してしまっていたことを彼は後に知ることになる。
このまるで先の見えないトンネルに入ったこそこそが、あるいは彼の運命だったのかも知れない…
福音の鐘の音が彼の前途を祝して今、盛大に鳴り響く─

*

唐突だが、碇シンジは途方に暮れていた。
大きな音に睡眠を邪魔され、不機嫌に目覚めた彼にロボットは、
『捕虜ニ対スル予備端末ノ着装ガ非常事態ニヨリ許可サレマシタ』
今までの白色の明かりが一斉に赤く変わり、煩いほどのガーガーという音が鳴り響く中、
その妙によく通る声が聞こえたかとおもうと上から何かが覆いかぶさる感覚がして目の前が真っ暗になる。
(…何があった?)
そう考えるのが精一杯だったが、一つわかったことはこの船はタイタニックだったのではなかろうかということだ。
自らの不幸を嘆かずにはいられない心境だったのだが、ロボットが自らの体の中に自分を避難させたのであろう状況でそうもいっていられなくなった。
ただ、自立的に何ができるかというと、せいぜい慌てて見せるくらいしかできないことに気がついて寝てしまおうかと考えたのだがあまりの煩さにそうもいっていられずに状況をただ眺めるに留まることにした。
「何があったのか教えてもらってもいいですか?」
返事を期待せずにそう言ったのだが、律儀に返答が返ってきた。
「空間転移状況ニオケル緊急事態デス。通常アリエナイコトデスガ、転移コース上ニ歪ミガ生ジテイルコトガ確認サレマシタ」
「なら避けちゃえば?」
あまりにも考えなしの応答ではあるのだが、理屈が正直わからないシンジは率直な意見を口にする。
だが、ロボットは
「説明ガ長クナルノデ口頭デノ応答ヲ止メ、生体接続シマス」
そう言って透明だったロボットの体が次第に斑模様…そう、牛だ。あのミルクを出す牛の模様のようなものがロボットの体に次々と浮かび上がってきたのだった。
その模様がロボットの体表を覆うにつれて視界も黒く覆われていく。
シンジはロボットの言ったこともよくわからずに視界が遮られることに動揺したのだが、
一瞬の後、ものすごい光の奔流…そうとしかいいようがなかったのだが、これは情報の高速伝達であることがものの数秒でわかる。
端的にいえば空間転移における移動ルートが定められたあと、歪みがどこかへ発生することは本来ありえないのだが、もしそうなった場合電車の置石と同じで非常に危ない…と、いうことらしい。
シンジには己の不運を既にこの時点で達観するに至り、薄笑いの表情で、
(さすが僕だ、ありえない。あははは)
などと崩壊寸前の状態に陥っていた。
その時間はどれだけ長かったのだろう…いつのまにか気を失っていたシンジの目が開いたとき、そこはどこぞとも知れぬ山の中であったのだ。

2

周囲にはシンジの他に誰もいないし、木とか草以外に特に何もない。
そう思ったのだが、背中に感じた何やらごつごつした感触に振り返ってみると、不法投棄されたのだろうか…粗大ゴミの山が背後にあった。
あるいは気絶している間にこれが崩れて碇シンジ、粗大ゴミに埋まって死す!なんていうことになったのかもしれない。
そんな考えが浮かんで背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
何も持っていないと思っていたのだが、たしか宇宙船に乗ったときに手持ちの荷物を詰め込んだディパックに似た袋が足元に落ちているのを発見してまさか、と思いつつも拾って確認した。
それはまさしく自分の持っていた手荷物だった。
だけれどもあいにくこの山の中、一番必要であろう食料はまったく入っていないはずであることを思い出し、やや落胆の気持ちにさいなまれてしまう。
(ここはどこだろぅ〜)
せいぜい考えられる予測は2通りくらいしかシンジの中にはなかった。
その一:引き返した その二:ここは天国
どうしようもない暗い気持ちを隠そうともせず、とぼとぼとどこへとも知れずに歩みだす。
いっそそのへんで首でもくくったほうがいいのではないだろうかと思い始めた頃、シンジは信じられないものを発見した。
草むらが途切れてそこにはアスファルトの道路が続いていたのだ…道路沿いに視線で先を眺めると民家らしきものが数件あるのがわかる。
(あぁ地球に戻ってきたのか、インパクトの被害の死角の場所あたりなんだろうな)
そうひとりごちる。
誰もいない地球にまた戻ってきた残念さと、戻ってこれたという安心感が奇妙に入り混じって自然にシンジの顔には苦笑が浮かぶ。
どこまでいっても堂々巡りというものが己の運命であったということか…そう思うことにして下山していっていたのだが、もう何度目かわからない驚愕に襲われることになった。
前方から見えてきたのはなんとジョギングしている中年のおっさんではないか。
人が生き残っている!そう思って駆け足に進むのだが、なにやら様子がおかしいことにおっさんの言葉で気がつくこととなった。
「おはようございます」
そう言って会釈と共にすれ違うおっさん。
おっさんの様子に戸惑っていると、数件先の民家から自転車の中学生らしき人が出てきたのが目に入った。
中学生は耳にイヤホンをしてこれから登校なのだろうか、学校でよくある黒のカバンを前カゴにいれたまま山を降りていく。
さすがにここまできて、もう驚く気力はシンジに残ってはいなかった。

*

そこからシンジの苦難は一層激しさを増すこととなった…まずは無一文である。
とりあえず何か食べないことにはどうしようもないことに自らの腹の音で気がついてはいたのだが、お金なぞもう随分と手にしたことがない。
やもを得ず、そこらの畑からキュウリ・トマトを盗んでかじる。
ちなみにナスは生では食えないので手を出さなかった…
仕方なく次第に開ける街に向かって歩いていくと、バス停だろう場所のベンチに新聞が無造作に置かれているのを発見して読み出しはじめる。
右手にトマト、左手に新聞を持って歩く姿は哀しみを誘うものであったがシンジはいくばくかも歩かないうちに立ち止まり、トマトをぐしゃっと地面に落としてしまう。
その表情はおそらくはリストラ宣告されたサラリーマンであったかのようであったのだが、時々すれ違う通行人は頭の可哀想な人を見る目でシンジを見ていた。
─その新聞にはこうあった。
『マイクロソフト社がMicrosoft Windows 95日本語版を本日発売』
なお、日付は平成7年11月23日と…あった。
このもう戻れない錯綜する事態に、これからこの世界は、いや…この物語は始まってゆくことになった事を知るものはこの時点ではこの世界に誰一人としていない。

3

無一文だった彼が何をすればよかったのか、それは後になって考えれば色々思いついただろう…だが、今日の食事にも困る有様で何を差し置いても日銭は一番切実であったのだ。
シンジは街まで10kmという長距離をなんとか歩き、唯一金になりそうな所持品である腕時計をリサイクルショップに売り飛ばした。
もうすこし趣味に走らずに金目のモノを選別しておけばよかったと後悔したのだが、モノを見る目はあったのだろう…既に使用して長い着用していたものは安く見られたので除き、予備を含めて持っていた全ての腕時計を売ることによって当面の生活費とすることができた。
金額にして60万、当事としては普通に生活する分にはしばらくしのげるものであった。
ここからがやはり両親の血というやつであろうか、本屋に向かって現状の知識の把握にいそしむ事にすることにした。
十分疲れきった体を休めるため、本屋で調達した本をもって住む場所のないシンジはなるべく安いビジネスホテルに当面住むことにした。
もちろんこの時代に戸籍をもっていないシンジだったのでアパートの類は借りられない。
仕方なくとはいえ、そんな生活をすることを余儀無くされる状況でどうするか考えるのが必要だったのだが、もう疲れも限界に達していたシンジは読みかけの本に突っ伏して泥のように眠った。

*

碇シンジという構成は時代を変わってしまえば血の繋がりによるものももちろん、知人とて全くいないといった状況ではあったのだが彼は意外と悲観してはいなかった。
これは人間が死滅した世界で生きてきたシンジならではであったろう。
彼はホテルで一週間もの間考え続け、自らのやるべきことを考えた。
一つ ゲンドウとユイの結婚阻止、これは自らの誕生を阻止することにもなりかねない為にタイムパラドックスについては考えなければならないという課題ができてしまった。
一つ 使徒の誕生の阻止、セカンドインパクトを阻止できる立場になれたら…という仮定の為に、これまた課題となってしまった。
一つ 使徒の誕生してしまったとして対抗できるだけのモノを考え付くこと…いい加減このあたりで課題ばかりであることに気がついてシンジは考えるのが嫌になってくるのだが…
一つ ゼーレをどうにかする…このあたりでシンジはボールペンを置き、寝てしまったのだろう。やるべきことを書きなぐった紙にはみみずが這ったようなぐちゃぐちゃの線が残っていた。
ここからは彼からしてみれば天恵ともいえる思いつきだったのかもしれない。
「シンジ君。俺はここで水を撒くことしか出来ない。
 だが君には君にしか出来ない、君になら出来ることがあるはずだ。
 誰も君に強要はしない。自分で考え、自分で決めろ。
 自分が今何をすべきなのか。
 まぁ、後悔のないようにな。」
加持リョウジの言葉であった…久しぶりに頭をよぎる思い出ではあったが、これにシンジは涙を拭って自らのやれる事からやることにした。
かつて、シンジはMAGIの設計図面を持っていた。
サードインパクトが起こったあと、ほとんど遺跡と化したNERVに潜り込んで入手したものだ。
持っていれば役に立ったのかもしれないソレは、あまりの大量の資料のために住居にはもってこれずにそのままにするしかなかったのだ。
だが、その経験をしたときの手持ちとした資料の中には役に立つと思われずに荷物の隅にあったものもあった。
それを有効利用するため、シンジはここで大博打を打つことにした。
サードインパクトで死んだビル=ゲイツと会うことである。
既に世界的に有数の大富豪である彼に会うことは並大抵のことではない。
しかし、手元にある資料の中にあったCPUの設計推移にはマイクロソフトのこれから開発するであろうCPUの設計図があった。
本屋で買った資料ではこの時代、ペンティアムというCPUがメインであったためにシンジは次世代であろうペンティアム2の設計図面を実に一週間かけて図面に起こして彼に送り付けたのだ。
それは本来あるはずのない世界、あるはずのなかった出来事であったろう。
ビル=ゲイツは彼、碇シンジをスカウトしてきたのだ。
ここからマイクロソフトは本来であるなら異常ともいえる技術の躍進を起こしていく。
それはそうだろう、次世代CPUを開発しおわったらもう次の世代のCPUの図面が上がってくるのだ。
シンジが所持する銀行口座は、次第に銀行にシンジが現れると迎えに出るものが出てくるまでになってきていた。
匿名を条件に就労したシンジ…こうして彼の金銭的な問題は解決されていった。
就労に当たり、日本国籍と戸籍を貰ったシンジはこうしてようやく生活するための基盤を手にしたのだった。

*

こうしてシンジは戸籍を手にしたわけだが、ここで彼はある思いつきの為に碇シンジという名前ではなく父の名前で登録を行うことにした。
それはこの時代にきてしばらくしたときに考えたゲンドウとユイの結婚阻止、の為の第一歩であった。
ゲンドウと名乗る人間が碇ユイの周囲に既にいたとしたら現れるゲンドウは必ず自分にアプローチを掛けてくる。
そう考えての事だった。
そう、ユイよりも先にだ…あるいは問題が起こるかもしれないと考えなかった訳ではないが、結婚阻止を目的にしている以上仕方ない事と思うことにした。
こうして彼、元 碇シンジは六分儀ゲンドウと名乗り一路京都に居を構えてゲンドウの邪魔をすることにしたのだった。
その傍ら、興信所を使って六分儀ゲンドウと碇ユイを調べることも怠らなかった。
ゲンドウについてはいまだ調査中であったが、碇という名はその界隈では既に有名であったらしく、家族構成と碇ユイの大学での身辺聞き込みはすぐに報告が上がってきた。
だが、何分有名であるということはいいことであるばかりではない。
一回目の報告だけで家族親戚の情報は掴めずに終わった。
そればかりではない、それなりに忠告をしてきたのだ。
街の興信所程度ではさすがに荷が重かったのだろう、碇については興信所もこれ以上は口をつぐんでしまった。
シンジはゲンドウの調査継続をお願いし、碇については自らが臨むために京都大学へやってきたのだった。
こうして物語は全ての始まりの地、京都大学へと移る。
それはもはや災いともいえる邂逅であったのかもしれない。
そうやって時はシンジ、今はゲンドウと名乗ってはいるが…が、SEELEと呼ばれている謎の組織に接触を行った日まで進んでいく。
だが、そうやって過ごした2年足らずの…シンジが成人するまでの間が後から思い起こすとき、このやたらこんがらがった運命であっても楽しんでいられた最後の時間ではなかったか、とそんな風にも思うのだった。

4

そこはどの都市にも一つはある空港からそれほども離れていないホテルであった。
迎えを寄越すという会話から一日、ほどなくして現れた迎えの人間にここまで丁重に連れてこられたのだった。
何もしゃべらない迎えの人間と共にホテルに到着したゲンドウに不安がなかったわけではないが、ある種開き直りともいえる精神でなすがままエレベータに通されていった。
エレベータではホテルの人間が同乗し、迎えにきた男たちは1名のみを残して一階に残っていった。
そのホテルの人間が懐から鍵を取り出し、操作パネルの下にある鍵穴に通した時、ゲンドウはこんな地方都市のホテルにもこのような仕掛けがあることにむしろ感動していた。
(あぁ、隠しフロアとかいうやつかな。ふむ、貴重な体験かもしれないな)
などと、見当違いの感想を抱いていた。
ややあって想像に違わぬ秘密の隠しフロアに到着するとホテルの人間はエレベータに残り、そこからは黒服の案内でそのフロアーの一室に案内されたのだった。
「六分儀ゲンドウだな」
「あぁ」
不敵な挨拶ではあったが、ここにゲンドウとゼーレの初対面というものが実現した。
「我々になぜ接触を?」
そう言ってきた相手に向かって、ゲンドウは
「必要だからだ」
こう切り返す。
もし、かつてのネルフの人間がこれを見ていたら爆笑していたかもしれない。
それはゲンドウ真似としては秀逸の部類に入る、そう思わせるに足る仕草であったからだ。
この堂に入ったゲンドウ真似もやはり血筋と言わねばならないだろう、その言い草に怒るでもなく男は単刀直入に切り出した。
「我々も調べはついている。マイクロソフトの発展…アレを画策したのが貴様であることもな。だが、それについてはいい。何を必要として我々に接触したのか…それを話してもらおう」
さすがはゼーレとも言える。
この本来は匿名であるゲンドウの情報について調べる手段は限られている。
あるいはアメリカ自体の情報網も利用したかもしれないその手際にはさすがとしかいいようがない。
だが、ゲンドウとしてはこの接触もステップの一つにすぎない。
ゼーレの情報はどうやっても手に入れるには闇が深すぎるのだ。
この組織の中で本当に接触をすべき人物と言え、挙げられるのはキール=ロレンツ。
彼を置いて他にはいない。
まずはそこからのつもりであったゲンドウは、
「キールと呼ばれる人物がそちらにいることはこちらも判っている。彼に情報を渡したい、それが目的だ」
と、ある意味ストライクど真ん中。剛速球で臨んでいた。
これに困ったのが対面の男である。
本部の雲の上の人物を名指しされて自分の管轄をすっとばされてしまったのだ…
面白くない上にどうしようもない、それは市役所にいって現職大臣を会話の相手に指名するようなものであった。
なんとかその情報を引き出そうとした男を余所に、ゲンドウは約束のモノだと言い放ち、男に書類の束を無造作に手渡す。
それはやはり本来ありえないモノ…
この世界のどこにもあってはならない…その設計図面であった。
国連が未来において開発した、その爆弾。
名をN2地雷…
それはこの場所が、かつて優秀な科学者を全米から集め、アメリカの軍産学の総力を挙げた国家プロジェクトとなったロスアラモス研究所での研究の完成披露にも匹敵することを示すものであった。
男…この日本における責任者の一人であったのだが、事ここにきてようやく自分の役者不足を認識することになった。
むしろ、その内容を吟味できる器量を持っていることがゼーレという組織の底知れなさを窺わせるものだ。
男の図面を見る目が次第に変わっていく…それはある意味自然なことであったのだろう。だが、顔をあげたその視線にはどうしても熱がこもっているのを隠しきれないでいた。
「私の裁量を超えていることは認めよう。本部に掛け合ってみてから連絡させて貰う、帰りに専用の連絡機を受け取ってくれ…」
そう、男は伝えるがゲンドウにはその男の声の震えと熱の入った視線に片頬を歪ませるに充分な手ごたえであった。
「では連絡をお待ちしますよ」
そう発する彼は忌み嫌う彼の父、碇ゲンドウとそっくりの表情であった。
この後、シンジは彼の父ゲンドウが持っていたある称号をゼーレによって名づけられることになる…
そう、それはまさに「魔人」その誕生の瞬間でもあったのだ。
このときから運命の歯車は壊れたかのように、あるいは電車の連結器が噛み合うようにその凶暴な姿を見せていく。
それはヱヴァンゲリオン…福音という名のやたらとやかましい汚れた物語の始まりであったのかもしれない…



To be continued...
(2009.09.19 初版)
(2009.09.27 改訂一版)


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