長い間この論争は続けられてきた
"神はいるのか"
存在は証明できず、非存在もまた証明できてはいない
結論からいうと神はいる
だが、その名を正確に言い表すと"必然の法則"というやつになる
あらゆるものには神がやどり、その恩恵は等しく皆に注がれている
故に神に祈るその時、慈悲を請うてはならない
法則に慈悲はなく、どれだけ素晴らしい人間であっても神は"えこひいき"はしない
祈りは届かず、祈る者の内面を変えるに留まる
人は神に祈る
それは"どうにもならないこと"を、どうにかしたいという"どうしようもないこと"なのだ
だから人よ 神に祈り、世界を変えて見せろ
それこそが人間にできる唯一の事なのだから



ヱヴァンゲリオン新劇場版:零 -stand alone paradox-

第三話 人の造りしもの

presented by じゅら様




1


「それでこれが私に見せたかったというものかね?」
そう嘆息するように言った初老の老人のように見える白人の男は、じっと正面の男を値踏みするかのように睨んだ。
奇妙な対面であった。
白人としては決して背の高い方ではない白人の男、その名前をキール=ロレンツという。
いかにも高級そうな机についている彼の正面には彼自身とおなじように目を隠した、背の高い男が一人で立っている。
サングラスとバイザーの違いがあれど、それは互いに心の奥を見せまいとするスタンスを互いが取っているかのようであった。
男の対面に立つ東洋人の男性はサングラスを片手で位置を直す仕草をし、
「ええ、黒人と黄色人はフィジカル面で小進化を起こしていると見られ、遺伝子の進化は時期は不明でこそあれ白人から起こるものと思われます」
これが普通の場所であったなら世間の耳目を引くであっただろう言葉だったが彼ら2人以外に部屋にはいない。
最初に東洋人の男性、ゲンドウが人払いを願い出た為である。
「こういうものは嫌いではないがね。ふむ、既存の説にある環境淘汰説などはどうなっている?」
知らない者が見たら、研究論文を品定めする教授とその生徒であるかのように見えるだろう。
論文の質疑を頁をめくりながら問いただすキールだったが、
「環境への適応。遺伝子の自己複製。しかしいずれも現実に合致しない。例えば、陸生哺乳類が水中に入っても魚類になりません。陸生の哺乳類が水生の哺乳類になることはあるが、魚類になることはないし、また、魚類を経て単細胞生物になることもない。それは進化ではなく退化です」
「そうだな」
正解だ、とでも言いたげに小さく、しかし満足げにキールは頷く。
そのままゲンドウは、
「進化した生物ほど個体として完成度と複雑さは高まります。例えば猿の中でもメガネザルのような小さな猿と類人猿のオランウータンなどを比べると、類人猿の方が圧倒的に複雑で高度な生物。つまり、個体としての完成度・複雑さを高めることが、進化そのものであると言う事になるのです」
そう続けていたが・・・その後をキールが引き継ぐ形で論弁を続けていった。
「それそのものは既に判っていた。進化とは今までの価値観からしてみれば劣っていると判断されるものであろうこともな。・・・正直いうと私は奇形における病理からして人はその形を大型でかつ歪んだものになるのではないかと思っている。そう、結論としては私がその進化した人類になりたいという気が決して起きない・・・そうなるであろうと、な」
「そうですか・・・」
「ああ、まぁそれも今までにはないものではある。しかし、君のこれは…実にユニークだ」
小さく息を吐き出すと、今度は乾いた声で小さく笑い出す。
「…学会で発表していたら面白い事になったろうにな、くっくっく」
自らも野に発表せずにいた彼は、ある意味残念そうに、しかし少し空しそうに手を静かに机に下ろす。
「そうかもしれません…」
すらすらと穴のない答弁を振るうゲンドウに、ある意味共感といっていい感情を抱いたキールは、
(ふむ…この段階にまで独力でたどり着いたのなら・・・)
その論文における趣旨は実はゲンドウに言われるまでもなく、彼自身がかつてたどり着いた場所である。
進化とは特化した遺伝子から起きるのではなく、いわば遺伝子的に何かに明らかに優れた面を見せてないところから発生する。
そのゲンドウがキールに提出した論文は、キールが前もって期待していた技術文明的なものではなかった。
いってみれば彼自身が研究し、絶望に及んだ進化論であった。
絶望を持ってその道を断念した経緯を持ったキールだったが、それを見も知らぬこの東洋人がたどり着いた・・・このことに意味を見出すことにどうしてもある種の楽しさを隠し切れずにいた。
そこで自然とキールの口は、ある意味教え子の教育段階を試すように、こんな質問を発していたのだった。
「では、我々はどうするべきだと思うね?」
その質問に、はっとして思わずキールの視線から真意を伺うようにゲンドウは顔を上げる。
そこには学徒としての好奇心と試験官の厳粛さを兼ねた雰囲気を放っているキールがいた・・・改めてゲンドウは小さく頷いて、
「次の人類の事は彼等に任せていいでしょう。我々より進化しているのであれば、自ずと良い方法を見つけるかもしれません。むしろ我々ホモ・サピエンスとしては自らの遺伝子を計画設計するべきかと・・・」
その言葉に、少し考えてからキールは頷いた。
「まぁよかろう。だが、次のときはその先を聞かせてもらうぞ?」
「御随意に・・・」
「よし、他になければ退出してよい」
退出の命令に従い、ゲンドウは退出していく。
その彼の背に呟くように背後を向いたままキールが声を掛ける───
「日本に戻ったら支部から連絡があるはずだ。指示に従え・・・」
「承知しました」
振り返りもせずゲンドウは返答して、扉を閉めて退出していった。
同時刻、日本の京都大学の一室で・・・

*

「これは残念だが受け取れないよ。碇君」
「なぜでしょう?よろしければその訳を・・・」
やや困惑している彼女、碇ユイを前にしている男、この部屋の主である冬月はその言葉に返答せず、机の引き出しを開けて机の上に書類の束を引っ張り出す。
その表題は『魂の発生と消滅』と、あった。
それを見て少し納得がいったかのように"あぁ・・・なるほど"という表情を見せて、
「内容はどうなのでしょう?私はそれなりに論文として書き上げてきたつもりなんですが、その・・・」
碇ユイ自身は昨晩ようやく自信ありとして仕上げた論文であっただけに、その内容が自分以上であるものでなければ納得がいかないという気持ちもやはり確かにあったのだ。
それを無言で眺めていた冬月は短く、だが確かにひとつ息を吐き出すと、
「その論文はコピーだよ。彼から君に・・・だ。持って行きたまえ」
碇ユイは自分がどうしようもなく慌てているのを自覚する。
表面ではわからなかったが、どうしてこんなことになったのかまるで掴めない。
彼とは誰のことだろう、どうしてこんな論文を私宛に寄越すのか、どうして冬月教授がそれを渡すのか・・・
内心の困惑をどうにか押し留めて冬月から論文を受け取ると、足早に部屋を退出していった。
それを見届けると冬月は椅子から立ち上がり、後ろの窓から見える西日に眩しげに目を細めて、
「やれやれ。これでいいんだな、六分儀・・・」
そう呟いていた。
そう、その論文が彼の元にきたのは数日前の事だった・・・

*

「例えば人間の魂というものを自由に扱えるとして、仮に別の入れ物に入れることが出来たとしたら…それは人と言えますかね。仮の入れ物が例えば犬の体だったとしても…」
「それは犬だろう。脳が犬なら魂が人間のものを移植できたとしてもソレは犬だ」
「そうです。つまり肉体が人でないのであれば魂は人であってもソレは人ではない。仮に神の肉体というやつがあったとしてもね」
「ふむ、それで"生"、つまり誕生による魂の発生。そして"死"、肉体から受ける影響からの論文か。しかし、面白いものではあるがコレを何故私に?」
「…もしかしたらいずれ必要となるかもしれない。これはそういうものです」
「そうかね。だが、そういう判断はここでは早計でしかないな。君の目に盲信のきらいがあれば一笑に付すこともできそうなものだが・・・正直私にはどういう意味かは妙にはかりかねる処ではあるな」
「・・・それで結構です」
「そうかね。私の形而上生物学でいうと魂があることを証明することも、否定することもまだ出来てはいない・・・いずれ日の目をみることがあるときには参考にさせていただくよ」
「魂は只のエネルギーにすぎませんよ、アインシュタイン博士も古の偉人も言っています。意思が人を人たらしめている、魂はその雛形であることをいずれ誰かが証明する事でしょう」
「アインシュタインは故人の書き残しを余人が解釈したものではないか?」
「む、それは・・・」
言葉尻を捕らえられ、ゲンドウの口が止まる。
大きな椅子に座り、目をつむったまま冬月は目をあけることもせず、そのまま沈黙が満ちる。
だが、その沈黙を破ったのもまた冬月だった。
「わからん…」
「…何がです?」
「何故そのような話をする」
「必要だからです」
「何にだね?」
「そう…あえて言えば碇ユイに…です」
冬月にとっては、不愉快だった。学者の中にはこういった説明に誠意がない輩がたまにいる。
大学の教授などやっていると、どうしてもそんな輩でも相手をしなければいけなくなる。
そういうとき、大抵はそれが稚拙な論理であることを判らせれば良い・・・
だが、こういう他人にとって良かれと思って行動している人間は大抵は色んなものをすっとばしてしまっているのだ。ネジがはずれているといっても大差ない。
そんな評価をされているとは露ほどもゲンドウは気付かず、目の前にいる冬月を眼に映しつつも別のものを見ている・・・そんな印象だった。
額に手を当てて冬月は一つ息をつくと、
「では写しを碇君に渡しておこう。それでいいかね?」
そう、早々に締め切ってしまう事にしたのだった。

2

鳴上二家(ニケ)…それがNSA部外工作員であるホロコーストの表向きの名前である。
この名前が付けられたのは最近であるが、彼はもちろんこの名を持っていた前任者の事は知る由もない。
知っていたら工作員のランクが、AからFに急降下しているのを不審に思っただろう。
ただ、知らずも任務としては前任者の仕事を引き継ぐ事になっていた。
それは六分儀ゲンドウの調査であり、場合によっては誘拐・勧誘または暗殺という判断を一任されている。
前任者と違い、優れた能力といったものがあるわけではない彼がこの仕事に抜擢されると同時にホロコーストの名前を戴いたのだ。
正直、彼自身も不審に思っていて一体何をやらされるのかとビクビクしている。
コードネームを戴いた者に命令されるのは単独任務と相場が決まっている・・・らしい。
かつて上役にコードネームを貰ったとき、面白そうにそう言われたのだ。
(例えが007だったもんな、世代の差ってやつかね。どうも・・・)
そんな彼の一応の特技は催眠術である。
テレビなどにある暗示の類のものではない。
彼のくぐりぬけた世界がそれを彼にもたらした。一言で言い表すならば瞬間催眠、単純で万能に思える言葉ではあるが実際はそうでもなく、相手の心の隙を突いて…いってみればうやむやに誤認させるのだ。
気を散らせる、慌てさせる、安心感を与える・・・などである。
ただ、あまりにも地味で小さな効果のために対人テクニックのうちだと評されてもいる。
実際、そういう話術に長けた人間とあまり変わらないと、自分でも思っている。
むしろ、英語日本語どちらもできることのほうが今まで大抵の人間に受けは良かった・・・
そんな、使い捨て人員筆頭の潜入工作員の彼が京都にほど近い場所にいたのもまた任命された理由の一つであったかもしれない。
状況をわかっている人間から見れば、上は彼を使い捨てる気満々である。
ベージュのやや大きめのサイズのスーツに身を包んだ彼が京都に到着したのは日差しが強くなりはじめた午前のことであった…

*

ニケはベージュの上着を片手に抱え、眩しそうに京都の町並みをただのんびりと散策しているようにも見える。
地図などの情報は彼の頭の中にしかない。
実は、命令書と一緒に格好つけて燃やして後悔しただけのことであったが・・・
ただふらふらしているようにも見え、時々塀などの番地の書かれたプレートに目をやるくらいだ。
歩きながら今まで行った調査内容を反芻する。
彼は六分儀ゲンドウについては何も知らなかった。
そのため、普通に調査から行うことにしたのだが、調べただけでも出てくる出てくる。
異常な実績を方々に本当に隠すつもりもないように手を出している。
ただのというには大きな会社ではあるがソフト会社だったマイクロソフトをコンピュータの総合開発会社に作り変える切欠をつくったらしい。
推測で裏はとっていないが、NSAがこうして調査に乗り出したのはその為であろうと思う。
それに、自衛隊や警察などから人員を引き抜いて警備会社を立ち上げたとかもわかった。
これは間違いはない。
ここ最近ではどういったつもりからか病院経営者と頻繁に連絡を取っているらしい。
らしい…と、いうのはただ連絡を盗聴した記録では怪しいところはなかったからだが…
さらに2日の時間を慎重に聞き込みに費やしたのだが、
「…いまいち堅気にはみえないねぇ。まぁ学生としてはバイタリティあるし成功組なんじゃないの」
「何考えてるか判らないけど、会社は儲かっているって聞くし調子いいんじゃないの」
「ワンマンでやってるらしいけどね。まぁ若いってのはいいもんだねぇ」
「いつもサングラスかけてて顔…こわいです」
聞き込みではそういう似たり寄ったりの感想しか得られない。
さらに調べを進めたがこれといったものは見当たらなかった。
だが、あまりにも躊躇いのないその手腕に何か引っかかるものを感じ始めたニケは情報を人からのものでなく金に限定して整理しなおしてみた。
すると、最初の時は見逃していた資産運用のひとつに目が留まる。
それが先に挙げた病院経営者の経営する病院への寄付だった。
本来であれば会社を経営する人間が会社イメージアップのために病院や医療団体に寄付をするのは決して珍しいというものではない。
ただ、それを目的としているにしては効果が薄いし何というか他の躊躇のない行動と比べて違和感を感じざるを得なかった。
そう。他の用意周到さに見え隠れする目的という匂いが、明らかにこれには見当たり難かった。
疑わしいところがその中にこれといって目立ったわけではなかったが、それでもニケはその病院をあたってみることにしたのだった。

*

そして例のベージュのスーツで街を歩いて、目的地の病院に向かっているのだった。
途中で見舞客に見せかける為のカモフラージュ用にピンクガーベラのアレンジメントという花籠を買った。
なんとなく持ちやすかった籠だったからで、特別意味なんてない。
病院は大きなものである。
ちょっとした市や県の庁舎ほどもある大きさで高さは8階もある。
京都という景観に神経質な抗議団体が煩いこの場所では破格といってもいい。
だが、その配慮のせいもあって病院らしい姿をもっていない白い壁面と黒の屋根瓦風のタイルに包まれたその姿は、なんというか"病院らしくない"のであった。
変わった形のせいもあって苦笑でも浮かびそうになりながらニケはまるで城のような病院に入っていく。
入り口には警備員の姿も見えるが特別な場所でもない限りは普通の病院らしく、誰でも出入りはできるようだ。
特に何かを探すでもなく彼は病院の中をうろつく。
子供の泣き声、おばさんの大きな笑い声、掃除の機械であろうか掃除機らしき音が聞こえる。
そこらには聞こえた通り雑多大勢な人々がそれぞれ動き回っている。
…特に不審な感じではない。建物に比べて中身は普通の病院のようだ。
しばらく建物を上から下まで巡回し、時々ネクタイに仕込んだ小型カメラで要所を写していく。
(考えすぎか…何かあるかと思ったが工作の臭いはしないな)
ニケは花籠を持ったまま下に降りてきた。
そして入り口の案内板を改めて見ると、東の方にどこに繋がっているか表記のない区画があるのに気がついた。
なんとなくと、いった風情でひょろひょろしした足取りでそちらに向かった足がぴたりと止まる。
そこにはいかにも医者ですと、いった表情の…だが、白衣でなく茶色のコートを着込んだ男がベンチに座っている中学生くらいの少女の前にしゃがみこんで何かを話していた。
その男は苦労を重ねてきた人生を物語るかのように白髪の混じる髪を後ろに流した、サラリーマンというよりは大学の教授とでもいったほうがいい雰囲気を持っていた。
ただ、その目の前に座っている少女に向けた労わる様な、だが憐憫を幾分か含んだ眼差しが病人を見舞う人間特有の印象を持っていた。
少女を見舞う父であろうと結論付けたニケはなんとはなしにその親子らしき二人の会話に耳を傾けながら廊下の先にゆっくりと進んでいこうとした。
「それじゃ先生のとこに父さんは行ってくるからな。部屋へは戻れるな?」
「うん、またね」
そう言って父であろう男は手前の…つまりこちらへとやってきた。
何とはなしに道を譲るように廊下の端に寄り、すれ違って前を向きなおしそのまま前に進もうとした時、少女と視線がぶつかった。
ニケの歩みがゆっくりと止まる…
「……?」
彼女はこちらを特別何の感情もこもってないが…先ほどの父に対するときと同じ気軽さで、
「ホロコースト…?」
そう確かに言ったのだ。

*

つややかな桔梗色の髪には天使の輪が輝き、瞳は底の見えない黒曜石のようだった。
細く、頼りない身体が今にもどこか折れそうだ。
そんな少女がいきなり自分の裏のコードネームを呼び当てたのである。
どういうことだ、とホロコーストたるニケは動揺し、意識せずにごくりと喉を鳴らす…
この少女が何故自分のコードネームを知っているのか?
どこかの諜報に関わる人間とはとても思えない。また、記憶を漁ってもまるで心当たりはない。
単に忘れてしまっている可能性もないではないが、彼はことそれが美少女であれば記憶力は自称3倍になるのだ。
もちろんそんなことは誰も知らないことであるし、必要性も全くないのだが・・・
こいつはこちらの情報を既に知っているということなのか?
右手が反射的に胸元のホルスターに伸びようとする───が、少女は全く反応らしいものをしない。
無抵抗にベンチに座って両手はベンチにのせたままこちらをじっと見つめているだけだ。
まるで動揺のないその視線に野良猫とニラメッコしている錯覚に陥る。
根拠はなかったのだが、気持ちが自然と右手を押しとどめる。なんだかおかしい。
「えーと…」
少女はかぶりを振り、視線を上にそらせて何か考え込むようなそぶりを見せている。
「そうじゃなくて…そう、探し物ですか?」
少女はそう言って微笑みかけてくる。
その様子は本当に隙だらけで…ニケは同様を隠したまま、出来るだけ自然に聞き返す。
「あなたは?」
「え、うん。私はミサト。葛城ミサトです」
「ミサトちゃん…か。その、さっき何故?」
どうしようもなく逸る気持ちをなだめ…できるだけ穏やかな口調で、と言い聞かせながら言う。
「おじさんのあだ名を?」
「…なんとなく!」
そう言って子供らしい歯を見せる可愛らしい笑いの表情を見せる。
隠した敵意が急速に削がれていくのを感じてしまう。
(この状況…どうしたものか…)
そう思って子供に接する態度に切り替えようとしたとき、
「それで探し物は見つかった?」
少女はいきなり話題を切り替えてこちらを伺った。
「え?」
「ほら…」
そう言って彼女が指差す方向を見ると、中庭に通じる大きなガラスがある…この方向からだと吹き抜けの中庭越しに全階の窓際の景色が一目瞭然だ。
「ああ、なるほど」
「うん、ここから何回か見えたの」
「うん、だけどさっきのあだ名はどうしてわかったんだい?」
慎重に相手に警戒されないように努めて優しく口にする。
「おじさん口は堅い?」
「ん?そりゃこう見えても外交員やっててね。口外しないことの分別はちゃんと持っているよ。どうしてだい?」
「そっか、まぁなんとなくわかるっていうのかな、」
ニケの頭でパズルのピースが入る場所が突然わかったような、そうピンとくるものがあった──
その瞬間、彼の奥歯は気がついたらかちかちと音をたてて鳴っていた。首から下がなくなったかのような気がして冷や汗が噴き出してきて、そのくせ身体中が何かに向かって落ちていくような得体の知れないものに包まれてしまっていた。
(なんだ、これは・・・)
「うん、そういうことになるのかな」
はっとして彼が少女に意識を向けたとき・・・ぎょっとした。
そこにいた少女は表情もそのままではあったのだが得体の知れないものに見えたのだ。
日本の古い伝承にあるその妖怪の名前を思い出したのは、それがあまりにも・・・
「要するにここは私のためにある場所ってことになるんでしょうねぇ。全然ありがたくないけど・・・」
そう言ってぶすっとして頬を膨らませて視線を横にそらす。
そのとたん、彼の言い知れない恐怖・・・まるで自分の身体がなくなったかのような感触が消えうせる。
我知らずに強く握り締めていた手から力を抜くと、ようやく緊張も解けたのを自覚できる。
異常な体験をしたにも係らず、緊張が引くのと引き換えに頭が冴えてきたのがわかる。
なんの意味があってここがあるのか・・・まだ幼いといってもいい彼女ではよくわかっていないだろう。
その力に興味を持たれて研究されているくらいしか思い浮かばないはずだ。
世界の裏側でそれがどんな使われ方をするのか、職務の範疇外であるそのことに推測することは難しかった。
だが、それが少女に限らず人の不幸に繋がることは容易に想像がつく。
そんな運命を背負っている彼女には大いに同情できる。それは紛れもない彼の本音だった。
この少女は本人も知らぬ、何かとんでもないものを背負わされているのだ、とニケは感じた。それはきっと平凡な人生でも、戦場で戦うといったような次元でもない、もっと何か大きく壮大でロクでもない事のための・・・
そんなニケが我に返ったのは彼女の荒い息の音だった。
「───っく、は、はぁっ、はっ・・・!」
荒い息を吐き、額といわずそこらから汗が滲んできていた。
そのまま前のめりに倒れ込み、苦しげに呻き出す。
ニケははっとなった。そういえば入院着を着ているが、それは本当にそれなりの問題を抱えているということだったのだ。
「待ってろ!今医者を呼んで──」
その言葉がまだ終わらないうちに、ミサトは手を前にかざしていた。
いったん駆け出そうとしたニケは、滑りそうになりながら声をかけようと口を開いた。
そこで、後ろから来た医師に弾き飛ばされて壁にしこたま頭を打ち付けた。
看護婦も押し寄せて彼女はあっという間に診療室・・・というには大袈裟な扉。多分治療室なんだろう、そっちに運んでいかれてく・・・
「・・・・・・」
ニケは呆然としていた。
何がなんだかわからなかった。
なんだか色んなものが通り越していったような気がしてちょっと情けなくなっていた。

3

「ああぁ────!畜生!」
むしゃくしゃして歩きながらニケは大声で毒づいていた。
俺は馬鹿だ、と思った。
せっかく報告すりゃ任務完了になったかもしれない絶好のチャンスを逃してどうするんだ!と。
これが知られたら、間違いなく任務放棄の罪で始末されてしまうだろう。
どうして報告しなかったのか・・・
「わっかんねぇよ、糞ったれ!」
それは報告した後、上に判断されて別の人間が任務に就くこと・・・を阻害することに他ならなかった。
彼は結局、少女のことを報告することを止めた。彼自身どうしてそうしたのかも判っていなかった。
例え少女が何かを自分にした結果であったかもしれなくても、そのことよりも先に何かがソレにはあると思ったからだ。
正に好奇心猫を殺す・・・である。自覚があるからこそ、微妙に違う自分の気持ちというやつに折り合いがつかなくてどうしようもなく苛立っているのだった。
そして六分儀ゲンドウという人間が何をしようとしているのか、改めてそれを知るために彼は上に長期の潜入を申し出るのだった。



注1)前述の進化論であるが、環境への適応はないわけではないが、それは進化ではなくただの適応に過ぎない故、それは特化することに等しい。
特化することは余計な部分をそぎ落とす行為に等しいし、進化の本質が個体としての完成度を高めることにある以上それは進化たりえない。
ちなみに遺伝子の数を増やすことの究極の方法は、単細胞生物になることだ。単細胞生物になれば、分裂による自己複製が可能。
しかも、ほんの数十分間で数百、数千倍する、という急速な増殖も可能。
つまり、単細胞生物こそ最も自己複製に適し最も進化した姿だ、ということになる。
それは同じく進化たりえないのである。

注2)誤解されやすい説であるが、人類の進化とは人類の遺伝子の改善であるとの見方がある。
進化とは新種の追加であると考えるのが正しい。それはチンパンジーとゴリラ。原人と現行人類を比較してみるとわかる。
チンパンジーの遺伝子を改良してもゴリラが生まれるわけではないのである(ゴリラとの遺伝子を比較して違いを埋めたとしてもそれはもはやチンパンジーではなくゴリラの遺伝子を人工で作ったことに他ならない)
遺伝子の改善であることを前提とした場合は原人は少しずつ改善してクロマニョン人になり、原人は淘汰されてすぐ消えたことになる。
そうではなく、現実の化石的事実にも裏づけされているものは違う種であっても2つの種が混在する時代というものがあったということだ。
そこから推論すると人類の進化とは人間という種のなかに新たな種が発生することであり、現人類の中に新種が新たに生まれることとなる。
以上の点から遺伝子的に何かに特化した人というものからは新種は生まれない可能性が高い。
これは既にマラソンランナーとして訓練を積んだものが次の日からいきなり歌手や政治家にはなれないことに等しい。
特別な人間でないことこそが進化という現象の中においては特別なのだ。
故に既に小規模ながら変化を見せた黒人や黄色人種は進化という点では特別のくくりに納まってしまっている
可能性がないことではないが、進化を起こせる可能性が一番高いのは白人であろう
あらゆる人種において他よりも環境に適応していった人類こそが進化という現象からは遠くなるのは皮肉としかいいようがない
黒人は肉体面で厳しい環境を生き抜いた個体が子孫を残していった。
それは肉体そのものの強化をもたらした。同様に黄色人種は風や砂、雪などがあっても生き抜ける肉体の省エネ化がもたらされている。
そして一つの種から二つの種へ、種の総数が増える。これが進化であり、新旧の間には、明確に違いがある。
旧種と新種はお互いにその必要がなければ混在し、共存することもあり、旧種が絶滅することもある。
故に、人類はお互いの中から敵を見つけ出す才に溢れていることから新種が旧種にとってのメリットを持っていない限りにおいては争いが起こることは避けられないであろう。
むしろその時になるまで私の命が続かない事こそ私が神に感謝すべきことであるのかもしれない…



To be continued...
(2009.11.21 初版)


(あとがき)

現在の進化論においては脳の進化というものが議題にあがることが多い。
しかし、産道における人間の頭蓋骨の大きさというものが既に限界に達している。
故に、頭脳の進化の行く末は頭脳の使われ方、その効率をあげる仕組みに変化することが推測される。
あるいは巨人症といわれる奇形化などに見られる成長過程が歪むことが遺伝子に織り込まれるものであるかもしれない。
左右の大脳半球をつなぐ交連線維の太い束である脳梁とよばれる部位に相当するような頭脳内ネットワークが生まれるかもしれない。
また、その両方においてリンパ腫がキーとなっているのも面白いと言える。
ただし、あえてこの愚作では人の頭脳は他人とのリンク。つまりテレパシーを進化の可能性として挙げることにした。
こうなるといいなぁという作者の遊びではある。ご容赦のほどをお願いしたい。
そうなる可能性を否定する材料もまた存在しないのだから・・・



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